2012年03月13日(火) |
point of noreturn |
気持ちはすすまないが、今日は日記を書かざるを得ないだろう。
いま、僕は分岐点にいる。 それは間違いない。 転勤すること自体が分岐点なのではなく、それを自分がどう受け止めるかが分岐点なのだ。
まず、正直な気持ちとしてはショックだった。 連載を打ち切られた漫画家の気分が、これなのだろうか。 前振りがなさすぎて、どう反応すればいいのかわからない。
そして、それに反発するだけの体力もない。
大阪に帰ってこれるかどうかは、仕事的にも精神力的にもわからない。そこまでの行動力が自分に残るかどうかもわからない。ただ流されるだけのサラリーマンになってしまうかもしれない。それは怖い。
けれど、僕を飲み込もうとしている大きな流れに、たった独りで立ち向かうだけの勇気が僕に残っているのだろうか。確信が持てない。彼女とは相変わらず感じなときに限って連絡が取れない。
ここ半年ほどは何も感じなく、孤独に対する感覚が重く鈍くなって、表面的な心の動きは見えにくくなっていたのに、久しぶりに涙が表に出てくる。それでも泣くだけの精神的な体力が足りないような感じはある。
要するに、僕は独りで生きていけるだろうかという心配と、今の疲れた状態で12年ぶりにまったくの未知の土地への移動がまともに出来るだろうかという心配をしている。
そして、大阪に何か残していけるものがあるのだろうかと、自分の生きてきた意味があったのだろうかと、不安でいる。
十年や二十年先、あるいは一生を視野に入れて考えるから行き詰るのだ。考えるべきは次の五年をどうやって生きるか、だろう。この一年半、考え続けた結果として、そこに行き着いた。
あの夏からはじまった僕の二十代後半は、およそ五年という節目で一つの区切りがついた。そして、僕がおぼろながら想い描いていた未来や可能性はついえた。未来はなくなった。その失意の中で考え続けた結果、次の五年を生きるしかないという結論に至ったのだ。
気力、体力ともに充実していられるのは多く見積もってもあと十年だろう。三十代後半には身体がついてこなくなるかもしれない。精神面や技術面ではまだまだ天井は見えない。けれど、体力や気力が続くかどうかはわからない。
だから、十年後や二十年後を視野に入れて人生設計するのではなく、今出来る事をやるべきなんじゃないかと思った。
ライフワークというか、自分を失わす自由に生きるという生き方さえブレなければ、とにかく今出来る事をやっていけば後悔はないんじゃないかと思う。あとはどれだけ本気でやれたかで自然と結果が示されるだろう。
だから、僕はいま、次の五年を考えようと思う。
2012年03月03日(土) |
諦めないということ。 |
映画館でベルセルクを見た。 エンターテインメントとして、とてもよかった。 それ以外に、個人的に思い出すことがあった。
本当にあきらめないという事がどういう事なのか、改めて思い出した。
今は夢を追う事が一番に来る事はないように思う。 自分が自分であることをあきらめない。 そして、自由であろうとしたことをあきらめない。 自分の生き方を思い出したのだ。
僕は不器用だから、一度に一つのことしか出来ない。 それはその時々によって変わる。 それは書く事であったり、バイクであったり、彼女であったり。 今は、今まで知らなかった事を知る事で得られる成長感を求める事が最も重要な位置を占めている。
とにかく、本当にあきらめないとはどういう事か。 自分がいかにあきらめているのかを思い出させてくれた。
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