amatelasuの日記

2010年01月05日(火) いま、考えていること。

世の中にはどうにか出来る事と、どうにも出来ない事がある。

今の仕事はとりあえず正社員という肩書きが欲しかったから、可能な範囲内でやりたい事を織り交ぜて見つけた所だ。だから、将来的にこの会社でどうしたいとか、この仕事を続けてどうなるとか将来性はとくにない。

販売のプロになりたいわけではないし、バイクのプロになれるわけでもない。だから、将来に不安を感じるのだけど、それはどっちかと言うと「どうにも出来ない事」だから、不安がってもしようがないのだな、と開き直っているようなのだ。

まぁ、一時と比べると仕事も順調で、しんどい時期ではないから余裕があるだけなのかもしれないけれど。でも、「どうにも出来ない事」を憂いて嘆くのは人生の無駄なのだなぁと思うし、最終的には自分の出来る事しか出来ないのだから、出来る事をやるしかないのだと思う。


年齢を考えると「やりさえすれば全てが可能」とは言えない。これも僕に不安を与えるのだけど、実のところ今はそれほど不安じゃない。なぜなら、これはとても重要なのだけど、たとえどんな道に進んでも僕は僕であり続けるだろうという確信があるからだ。

自分で言うのもなんだが、ここ一、二年で僕はとても大人になったというか、社会人らしくなった。周囲の環境もガラリと変わったし、モノの見方も変わったし、経験値も増えたのだけど、やっぱり僕は僕なのだ。


それはきっと、今の僕が「成熟」を求めているからだと思う。先行きが不安だからこそ、どんな状況になっても生きていけるように、自らに一人の人間としての「強さ」を求めて。

そういう「個」としての「成熟」によって得られる「強さ」はきっと自分を守るだろうし、自分だけじゃない誰かも守れると思うから。同棲を始めたり、結婚を真剣に考えるようになって、そういう考えに至ったのは偶然ではなく必然だろう。

晩婚化とか少子化とかモンスターペアレントとかクレーマーとかユニクロとか鎌倉シャツとか、諸々の問題はそーゆう「成熟」を受け入れるか忌避するかによって発生しているのではないかと思っているのです。

そして、本来なら僕はスキゾ的にモラトリアム的にヲタク的に、おそらく責任と大人が呼ぶであろう「成熟」から軽やかに逃げるべき立場だったはずが、体勢から逃げ続けていつの間にか「成熟」に向かってしまっているのは…、いったいこの国はどこに向かっているのだろうかと危惧するのです。

そして、その危惧がよりいっそう自らを個としての成熟へと向かわせるのです。だって、世の中がどうなるか分からないのだから、会社の発展よりも自らの成長の方が重要なのです。もちろん、自らの成長と会社の成長は関連しているのですから問題ないし、そう思うと仕事へのモチベーションも高まるのです。

最近はそうやって仕事へのモチベーションを高めながら、将来について思案しているのです。


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