たぶん、気持ちは伝わらない。 少なくとも、僕は気持ちを言葉で伝えられない。 でも、僕には言葉しかないから言葉で書くしかない。 言葉で書くしか表現できないから、伝わらないだろうと感じるけれども、それでも言葉で書くことにする。
こんなことを書くと言い訳に聞こえるだろうけれど、2006年08月26日の日記以来、僕はこの日記をリアルだと感じられなくなってしまった。
この日記にはもう真実など刻み付けられていない。 大切な何かがすっぽりと抜け落ちている。 その大切な何かをすっとばして、曖昧な結論だけが転がっている。
過程がない。 歴史が記されていない。 だから、この日記を読んだところで、僕が何を考え、何を行動し、何が結果として残ったか判然としない。 だから、真実は明るみに出ないし刻み付けられてもいない。
あれほど曝け出す事に挑もうと思っていたのに、僕はあの子を失ってしまう可能性に怯えて曝す事から逃げた。 曝す事で迷惑をかけたくないからと逃げた。 ああ、また逃げた。 だから克明な過程は消えたし、感情の変遷も消失して、現在の感情だけが理由もわからず浮かんでいる。 見失ってしまった感情はもう線では繋がらないから、書きようがない。
ライフワークは書く事と乗る事なのだから、その二つを失ったら僕は僕を保てないのだろうか。 だから、自分を見失って、僕の真実を捕まえる事が出来なくなって、この日記からリアル感が喪失してしまったのだろうか。
重要なのは書く事よりも書き続ける事。 その繋がり、変遷、歴史。 そして、情報は核心に近ければ近いほど、その瞬間の感情を克明に呼び覚まし、同時に現在の感情を納得して受け入れる事が出来るし、その先にどうするべきか考える事も出来る。
繰り返すけれども、この日記にはもう真実は欠片しかなく、僕の全てを投影しようという努力もなされていない。 負の遺産が堆積しているだけに成り果てつつある。 言い訳に聞こえようがとにかく僕自身はそう感じながら書いている。
失うのが怖くて、何より自分の本心とか本音とか、そういう本気の気持ちを拒絶されるかもしれないのが怖くて、恐怖が転化した怒りだけがここには転がっているのです。
とにかく僕は臆病だから拒絶されるのが怖くて、だからヘラヘラと笑ってダメ人間を気取って防衛線を張りつつ、密かに進入を試みようと裏で悪い顔をしているのです。 とにかく怖いのですよ、拒絶されることが。 そして、同時に求めているのはただ許される事。 僕が思うままに接してもいいと、好きでいてもいいと、笑顔で許されて受け入れられる事を望んでいるのです。
いつもバイトを辞めるとき、いつどのタイミングで言い出せば良いのか困る。
たいがいアルバイトをメインに雇っている仕事場というのは人数がギリギリで、仕事が出来る出来ないに関わらず一人でも抜けると他の全員がしんどくなったり、最悪の場合は仕事が回らなくなってしまうのだ。
その現場で働いてれば、それは肌で感じられるわけだから、そこから抜けるという意志を表明するのは、他のみんなに悪いようで気が引けてしまうのですよ。 「そうか、しょうがないな」と笑顔で送り出されると胸が切なくなります。
ずっと同じ職場で働き続けることが出来れば良いのだけど、アルバイトだとそれは難しくて、特に僕の場合は最適だと思う環境がコロコロと変わるので、同じようにコロコロと仕事を変えている現状なものでして。
バイトなんだからもうちょっと気楽に考えて、仕事場の人間関係とかも薄っぺらく無関心でいければいいのだけど、その辺りが変に生真面目というか不器用というか。
適当な生き方をしたくて、実際にコロコロと生きてるくせになんだか変なところで生真面目なので、ときどきデコボコにひっかかって止まってしまうのだろうなあと思うのです。
まぁ、でも、本当に何のひっかかりもなく仕事を転々と出来るようになったら、それはそれで自分の思う自分とは違うような気がするので、自分が転職で悩んでいるのは悪い傾向ではないと思いたいのです。
職場の文句を言いながらもくずくずと辞めないでいるのは、そうやって簡単に仕事を放棄できてしまえる自分になりたくないから、という理由もあるのです。 ろくに努力もしないで文句だけ言って逃げたりすれば、自分が嫌な人間になっていくような気がして、だから、ぐだぐだと愚痴をこぼしながらも少しぐらいはがんばってみたいとも思うのです。
でも、表面上は言い訳ばっかのダメダメな自由気ままで自分勝手な先輩なので、mixiにはそんな想いは一言も書かない方向で行こうと思うのです。
残って欲しいと言われたので、実家には帰らずに大阪に居ると告げたのですが、正直なところ、迷っていたりもするのです。 でも、それは疲れたからとかしんどいからとかではなく、もっと前向きな理由で、自分らしく生きるために短期的に実家に戻るのは有り得るんじゃないかと思ったりもしているのです。
現状の何が不満なのかといえば、自分らしく生きられていない事が不満なのだろうと最近になって思いついたのです。 だから、今後はどうやったら自分らしく生きられるかという命題に挑みたいわけですが、その選択肢の一つとして実家に帰るという選択も有り得ると思っているのです。 そう思うようになった細かい経緯もあるのですが、それは今後の日記に譲ります。
とにかく、いつも言っていることですが僕は自由に生きたい。 で、今は特にその自由をバイクと書く事とあの子のために使いたい。 その中でも今はバイクと書く事を優先してもいいんじゃないかと思っているのです。
ライフワークは乗る事と書く事だと吹聴している僕ですが、そんな僕が自由の全てをあの子のために使うとすると、僕には本当に何も残らなくなってしまうのです。 それが今の僕です。 それでも夏から冬にかけてはどうにかなっていたけれど、それは僕の今までの人生で蓄積してきたものが多少なりともあったから保てたわけで、そのストックが尽きてしまうと僕には何も残らないのでしょう。 だから、あの子も僕に対する興味を失ってしまう。 それは僕にとって大きなマイナスだし、そのまま放っておけば僕はあの子に何もしてあげられなくなってしまうに違いない。 冷静に考えると、今の僕に人としての魅力ってほとんどないように思うのです。 もちろん、「とりえなんかなくても、あなたがいてくれればいいの」なんてラヴな感じだといいのですが、現実はそんなに甘くないのです。
だから、そうなる前に僕は僕個人として何かを蓄積しなきゃならないんじゃないだろうか、と思うわけです。 そのためにも自由が欲しい。 自分独りの世界に没頭できる自由が欲しい。 自分を自分として保ち、高めていかないと、僕はあの子に何かをしてあげられる人間にはなれないんじゃないだろうかと思うのです。
だから自由が欲しい。 具体的には時間と金。 それを両立する手段として、一時的に実家へ戻るという手は、もちろんリスクはあるけれど、それなりに有効だと思うのです。 だから、いまだにあれこれと悩んでいるわけなのですよ。
一時的に距離を取って自分を磨くべきなのか、あるいはとにかく近くに居るべきなのか。 ああ、こんなとき経験不足が判断を鈍らせるわけですね。
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