名前は飾りではない。 言葉は記号ではない。
言葉では伝えられない事があるのではない。 伝えなければならない事がある。 呼び方なんてどうでもいいはずがない。 名前こそが「そのもの」なのだから。
時計は時計でしか有り得ない。 それが時計と呼ばれるなら、それは時計と認識されていて、それが時計と認識されているなら、それは時計でしか有り得ない。 もし、それが時計ではないと認識されたなら、それは時計以外の呼び方を与えられる。 だから呼び方をおろそかにするな。
僕はあまり人の名前を呼ばない。 よほど親しくなければ名前を呼ばない。 名前は、名付けた存在をその固有名の存在として固定するからだ。 だから、あまり知らない人を安易に固有名で固定したくない。
だから、言葉をおそろかにしてはならない。 あなたが発する言葉があなたの世界を形成するのだから。 あなたが言葉を発するたびに、その言葉が世界を一つずつ決定していく。 だから、決して言葉を安易に捉えてはならない。
どんなに言葉を尽くしても、ニュアンスでしか伝わらない事もある。 けれど、適当に喋っていればニュアンスで伝わると考えるのはあまりにも軽率すぎる。 自分自身に対して。
あなたが言葉を発するたびに、一つずつ世界が決定されていく。 しかし、それは言葉を向けた先ではなく、あなた自身の世界の話なのだ。 あなたが発した言葉は、それ一つ一つがあなた自身があなた自身の世界に対して為した決定なのだ。 だから、自己に責任の持てる大人は言葉を軽視してはならないと思う。
自己責任。
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