2002年04月24日(水) |
相互作用って感じですか? |
ボクは寂しいのですよ。 だから、誰かに話を聞いて欲しいし。 だからこのページがあるのですよ。
ボクからの呼びかけに対するフィードバックが欲しいのですよ。 だれも一方的に押し付けたいわけじゃない。 他者からの何かしら反応がないと意味がない。
だから、他者からのフィードバックにボク自身が左右される。 ボクはまだ若く、自分が定まっていないから、他者からのフィードバックに左右される。
だから、ボクは自己で他者を定義しているわけではなくて、自己と他者との共通性がどこにあるのか探っているのです。
自分のどこまでが普通で、どこからが異常か。 気になるでしょう?
ボクは弱い人間だ。
肉体的にも精神的にも。 体力が持続しないし、頑張ろうという気力も体力の低下と同時に下がる。 けれど、どうして人間はそんなに強くなければならないのだろうか。 どうして、楽に生きてはならないのだろうか。
世の中にはボクのように弱い人は他にもいるはずだし、誰でも弱くなるときがあるはずだし、弱くなりたい時だってあるはずなんだ。 そういう気持ちを世の中が否定してしまっては、あまりにもつらすぎる。
なあなあになってはいけないけれど、少しぐらいの弱さを許容できる世界であってほしい。ボクはそう願う。
だから、弱っている人に厳しい人がボクは嫌いだ。 もっと優しくなれるはずなんだ。
ボクは人に優しい人間になりたい。
また一歩、世間一般が理解できる領域から脱してしまったような気がする。 先週末、裏金剛に行ってからまた少し生息速度息が上がったように思う。 明らかにスピードが上がっているが、十分に余裕がある。 何より、バイクの挙動が変わった。 高速コーナーでよれるのですよ。車体の限界が近づいているのが認識できるくらいまでいけました。
それと同時に、ボクの中にあるバイクに対する観念が変化したと思う。 今なら、バイクだけで生きていけるかもしれないと思える。 なので、もし、パパがボクを引き止めるに十分な理由を用意できなければ、ボクはそこを去ることが出来るように思う。
ただ、しばらくは五月祭や新歓などがあるし、残った仕事を片付けるまでは、部長になった責任があるので辞められないけれど。
パパにKさんの影がある以上、ボクにとってはそれはストレスでしかないのですよ。(ここでいうストレスとは心理学用語としてのストレスであって、苦痛であっても快楽であっても、それが心的疲労を与えるものであればストレスと呼ぶ。) Kさんがパパを去る理由はどこにもない。 ならば、ボクがパパを去るしかないでしょう。
男になりたいのなら、いつまでもメソメソとしてはいられないでしょう。 ならば、いつか明確にケジメをつける時が来るのでしょう。 とりあえず、これから一ヶ月くらいはその節目の時になると思う。
2002年04月14日(日) |
見えるか試してきます。 |
今日、朝の四時過ぎに目が醒めてしまったので、峠へ行く事にしました。時間があるので裏金剛から並木メインに走ってきたいですな。
そう思って学校へ来ると、パパのボックスに人影が。 ん?誰の靴だ? と思いながらドアを開けてみると、そこにはOBのNさんとSさんがいました。 で、その後ろにKさんがいました。 「天は我に辞めろと言っているのか!?」 と、口には到底出せませんが。 時間にして7時すぎ。その後、3人は車で出かけました。
さて、どうやらボクには「サークルのお友達」という選択肢も残されていないようです。 なら、部長をやっている意味はないでわないか!?
という事で、覚悟を決めて峠へ行ってきます。 向こう側が見えるのか試してきます。 少しでも向こう側が見えるのなら、ボクは覚悟を決めてスッパリと辞められるかもしれない。 全く見えないなら、この状況を甘んじて受け入れよう。 みんなと適当に遊んで過ごそう。
膝パッドはもちろん、久しぶりに肘パッドも付けていきます。
破綻したいと思った。 壊滅的なくらいに破綻したら、多分、逆に楽だろうと思った。 全部、放り出したらすごく楽になるだろうと思った。
今日はサークルフェスティバルで新入部員の勧誘をしておりましたが、本気で面白くなかった。 サークルのイベントがこんなに面白くなかったのは久しぶりです。 RSの方の企画も全く面白くなかった。 少しは何かあると思って、やってみたけれど、やっぱり面白くないです。 だいたい、サークルのイベントなんてものは皆で同じ事をするから面白いわけで。
でも、ボクが求めるような団結、意思の疎通は有り得ない。 それだっら、一人で自分のやりたい事だけをやっていたい。 だから、ボクは部長が嫌なんです。 自分の意志を無視しないとダメだが、申し訳ないがそれが一番苦痛だ。 自分の意志とサークルの動きが合致している時はいいが、そこにずれが生じるとそれが全てボクにとってはストレスとなるのです。
どうでもいいけど、疲れて寝れないし。 笑いがこみ上げてくるし。 久しぶりに一人で笑ったよ。
どうでもいいけど、Kさんにメールを送っても返信がない。 電話にも出てくれない。
面白くないので中環100km/h巡航してたらポリに捕まった。 いっそのこと、免許取り消しになったらよかったんだ。 かなりボクの人生が破綻していくだろうに。
ミサトさんは人生なんてぬか喜びと自己嫌悪の繰り返しだったなんて言ったけど、その通りだよ。 喜びなんてぬか喜びなのよ。 結局、残るのは嫌悪感だけなのよ。 後味最悪だから、その後も最悪の印象しか残らないのよ。 楽しい思い出も、所詮はぬか喜びで、そうとしか思えないから。 結局は楽しい思い出が、ぬか喜びだと気付くから、ボクを自己嫌悪に陥れる。 自分の勘違い具合に吐き気がするよ。
たぶん、疲れているだけかもしれないけれど。 けれど、たぶん、時間が癒してくれるものでもないと思う。 一月十日から三ヶ月たったけれど、悪化しただけだ。 回復になんても全く向かっちゃいない。 いや、むしろ回復の余地がどんどん無くなっているように思える。 とりあえず、今年一年は全く最悪の年になることは間違いないようだ。 がんばろう。
でも、会いたい。
TDRのタンクを塗り始めました。 プラモデルをやらなくなって久しぶり、塗装という作業はなかなか面白いです。 サーフェイサーでキレイになった面をなでなでして悦に入ったり。 吹いた色の発色に感動したり。 五感が刺激されて、素朴に面白い。
が、それ以外は全くやる気なし。 サークル紹介用のネタも結局、ゼンゼン手付かず。 放棄です。 ごめんなさい。やっぱやる気が起きないんです。 瞬間的に起こっても続かない。 なので、その瞬間的なやる気をサークル紹介当日の会場に向けようと思います。 それ以外は無駄な努力はなし。
とりあえず、それで許して。
今日は高校時代の友達とアメ村へ行きました。 で、その友達が目的のものを見つけられなかったので、難波、心斎橋周辺を歩きました。 で、初めて堀江の方へも足を伸ばしました。
やっぱり歩いてる人の年代層が違うね。 アメ村は十代中心だけど、堀江は二十代中心。 ただ、別にオシャレな人がいっぱいいるわけではないので、ちょっとガッカリ。 ま、現実はそんなもんか。 対象年齢が違うから商品展開が違うって感じかな? オシャレな街を歩けばオシャレになるわけでわないですからな。
それにしても金がない。 即行で値札を見てしまうのは我ながら悲しい。
誰でもいいから彼女が欲しい。 とりあえず彼女がいれば、一時的にでもやる気はでそうな気がする。
とりあえず年下がいい。 ちょっと世間知らずな方がいい。 物知りなお兄さんを気取れた方がいい。 とりあえず誰でもいいんだけどね。
髪がキレイな子が好きだ。 肌も白くてキレイな子が好きだ。 身体が「若い」子なら許せる。 だから年下なのだ。 やはり、女子高生はその点が違う。 大学生でもそういう子はいるが、高校生の方がそうである割合が高い。
しかし、そうなるとKさんはボクの理想には今一歩、届いていないんだよねぇ。 ボクはいわゆる「艶やかな黒髪」、しかもロングでストレートなのがいいんですよ。 肌もキレイな方だとは思うけれど、十代の弾けるような若さ?にはかなわない。 ボクにとってKさんは決して完璧でないのに。 ストライクゾーンに入ってるけれど、ど真ん中ではない。
しかし、時として最良は最高ではない。 最高が絶対でもない。 ボクが愛車に後方排気を選んだのと同じ理由で、ボクの心の針はKさんの方へ振れたのだろうか。
恋愛とはなんとくだらないものかと思い始めた。
ボクは今まで恋愛というものを勘違いしていたようだ。 今、ボクの中で認識されている恋愛というものは、 相手は好みの範疇に入っていれば誰でもいいものだ。 普通の人が車を選ぶのと同じようなものだ。 そんな事はない!と反論していただいてもけっこうだが。 一般的に言って、恋愛とはそんな神聖なものでもなんでもない。 それは誰もが認める事が出来るだろう。
おそらく、その異性が「相対的」に評価して許容範囲ないなら恋愛対象となりうる。 だから、恋愛はタイミングが重要なのだ。 だから、極端な言い方をすれば相手は誰でもいいんだ。
なんとくだらない事だろうか。 やはり、恋愛とて単なる欲望のはけ口でしかないのは同じ事なのか。 ならば、単純に欲望のはけ口として消費してやるだけだ。
出会い系サイトにまだ出入りし始めたのは正解だろう。 欲望はより純粋に消費されるべきだから、女子高生と出会える手っ取り早い手段を取るのは当たり前だ。 それに、ネットやメールというツールは、より簡単に何の重みもなく人と繋がっていられる。
しかし、絶対など有り得ないこの世界で絶対的な何かを求めるボクにとって、そんな事はどうでもいいことだ。 問題なのは、その絶対へのアプローチの手段であるはずのバイクへの情熱が萎えている事だ。 或いは、心理学と言う専門領域への情熱もまた萎えているという事だ。 いや、言うなれば「何かをする」という事に対して気持ちが起たないという事だ。
もはや、やる気が起きない。 ボクが何か行動を起こしても、望む方向へ物事が進むことは決してない。 ボクがいくら決心しようとも、現実はボクを無視するように全く別の方向へ行ってしまう。 結局は何も実っていない。完膚なきまでに徹底的に、壊滅的に。 もうどうでもいいいか。
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