**Secret**..miho
信頼関係
2004年04月20日(火)
人間は信頼という目に見えない絆で結ばれているのだと思う。
少なくとも私は、その存在なしでは心の扉を開く事ができない…


昨夜は強烈な情緒不安定に駆られ、その不安感を制御する事ができず、自分の全存在に対する憎悪の気持ちは募る一方で、極限にまで達した。涙が次々と溢れ出てくる…私には、その理由も処理法も解らなかった。自分が自分である事に激しい憤りを感じ、消し去りたい気持ちで
いっぱいになってしまった…尋常なはずがない。
一体どうしちゃったのだろう。。

真っ暗闇の中、眠りに付く事が怖かった。
どんな恐怖が襲ってくるのか分からないから…
だから、昨夜は夜を徹した。
そう、待たなくても必ず朝はやって来るんだ。
そして、昨夜もまた私は一人だけ取り残されてしまった。

確か今日は履修登録の締切日だった。
ギリギリ間に合うので、一つでも何か授業を取っておこうと思い
立った。本当は卒論だけに集中して頑張ろうと思っていたんだけど…
じっとしていられない衝動が私を焦燥感に駆り立てたのだ。
けれど、私の場合、慎重性を欠いた行動はたいてい失敗に終わる。

きっと、授業科目の選択が悪かったんだ。
今日はちょうど「心理療法」についての講義だった。
サラサラの黒髪でロンゲのマニアっぽい若い男性教師が担当だった。
いや、担当なんて誰だっていいんだけど、内容があまりにも客観的
すぎて、実際に情緒不安定に駆られている最中の私にとっては
キツイものだった。

心の問題について淡々と述べていく教師が何だか信じられなくなり、
自分がその場にいる事自体が完全に間違っているような気がしてきて、
涙を必死で堪えながら、授業中にも関わらず、大講堂の中を一人
走った。扉は大講堂の後方にあり、私は前方へ座っていたので、
みんなの視線を真っ向から受けた。もちろん、途中で抜け出したのは
これが初めてだった。

行き場を失った私は、大学内の聖堂へ向かった。
両側のステンドグラスが日光を透して光り輝いていて、幻想的な空間を
作り出していた。今ならきっと素直に心を開けるような気がした。
ゼミの先生に会いに行こう。卒業延期を決断した昨年の6月以来ずっと
顔も見せられずにいたけれど、今なら心の内を全て話せるはずだ。

先生の研究室へ行くと、その時間と次の時間が「授業」になっていた。
このまま何もせずに帰宅する事はできなくて、ずっと先生を待ち続けていた。ちょうど階段の所で先生と出くわす事ができ、軽く挨拶を交わすと、色々と尋ねられた。卒論の事…病状の事…でも、急に言葉に
ならない感情が涙と共に込み上げてきて…
先生は「部屋へおいで」と言ってくれた。

二人きりになる事が怖かったけれど、不思議な事に先生とは
何でも話せた。最初は何を聞かれても「分からない…」としか
答えられなかった。
全ての感情において抽象的すぎて、言葉に表す事ができなかったのだ。
自分が何に怯えているのか、自分の何が憎いのか、嫌いなのか…
先生の顔を見る事さえできず、ただうつむいて涙を流し続けていた。

私にとって先生は卒論指導者だけど、私が先生と話す時はいつも卒論には全く関係のない話題ばかりだった。人生、恋愛、人間関係、性格、趣味…私的な内容でも平気で話してくれた。私を気遣ってくれている感じもなく、ごく自然に親友との会話のような雰囲気だった。対話の回数はほんの少しなのに、その一つ一つがとても深く、
信頼を感じずにはいられなかった。

涙の量は言葉を交わすごとに増えていき、私はどんどんありのままの
姿に曝されていった。でも、恥ずかしくなんてなかった。
先生なら大丈夫…先生にとって、私の話はきっと幻滅するような
内容ばかりだったと思う。先生は私の能力を認めて下さっていた。
でも、私はそれらを全て否定した。
ただ、自分を押し殺して努力する事によって逃げていただけなんだと…

先生ならきっと分かってくれると思っていた。そして、受け入れて
くれた。咎めなかった…軽蔑もしなかった…
「人間を理解する事は難しいですね。」
「人間関係が怖い。でも、それは不信感のせいではなくて、私は
 相手をあまりにも信じ込んで、全てで接してしまいがちなので、
 相手に負担をかけそうで怖いのです。
 結局は、自分が傷付く事が一番怖いんですよね。」
「拒絶されてしまった時に、割り切れる気持ちも大切ですよ。
 誰もが誰も、解り合える関係にあるわけではないのですから…」

廊下がガヤガヤしてきた。次の時間は先生の研究室でゼミがあるん
だ!!もう30分も経過していた。早く帰らなくちゃ…でも、もっと
お話していたい。すると先生は「ちょっと待っててね。」と言って
研究室を出てゼミ生たちに「今日は中止。もう帰っていいよー。」と、
サラリと言った。えっ?!大事なゼミなのに…ひょっとして、
ボイコットしちゃった??確か前回は、私の方が必修の授業を
サボってしまったけれど…

そして、再び椅子に座り、何事もなかったかのように対話は続いて
行った。私は戸惑いを隠し切れなかったけれど、真剣に私を受け止め
ようとしてくれている先生に対して、嬉しさと恥ずかしさでいっぱいに
なった。先生は一方的に私の話を聞くだけではなく、自分の体験談や
素直な気持ちも自分から話してくれた。教師と学生ではなく、人間と
人間の関係だった。一体なぜこんなにも打ち解けて話し合えるのかが
不思議だった。

次第に涙が笑顔に変わっていき、視線もいつの間にか先生の顔を見てた。そして、お互いに何を言っても気まずくならない信頼関係が生まれてきた。先生は決して驕らず、いつも自然体で飄々としている男性だった。ある意味、掴み所がなくて、敬遠されがちでもあるけれど、
真に先生を慕う学生たちとは、このような信頼関係を築く事ができるのだ。私はその一人になれた事を嬉しく思い、そんな先生に対して感謝の気持ちでいっぱいだ。私に少しだけ自信と勇気をくれたから…
心底から救われたよ。

精神科へ通っている友達も先生のゼミ生だった。
そして、高校時代に片想いだった英語の先生がよくちょっかいを出して
いて、私がヤキモチを焼いていた若い英語の先生もそうみたい!!
私も本当はシスターのゼミ生だったんだけど、途中でシスターが転勤
され、今の先生に変わったのだ。これも運命だったのかなぁ…
縁って、すごいなぁ…私もずっと先生に忘れないでいて欲しい。

気が付いてみれば、かれこれ3時間も話し込んでいた。
私の両目は徹夜による寝不足と泣き過ぎで、カラカラに枯れていた。
でも、笑顔だった。3時間前の私は廃人寸前だったのに…
やっぱり信頼関係で結ばれた人間の温もりじゃないと癒されない…
重たい会話だったかもしれない…
でも、真実を語り合っただけだよ。
お互いに受け入れ合える環境だったから、語り合えたんだよ。

「ちょっと入試広報部へ行く用事があるから…」と言われたので、
もう帰るように促されたのかと思っていたら、そのまま行っちゃった。
ちょっとルーズすぎない?!学生一人を置いて研究室を去るなんて。。
私は勝手に部屋の中を荒らしたり盗み見なんてしないけど…
これも信頼関係の証拠なのかなぁ。。お留守番??

しばらくして戻って来て、再び対話が始まった。それが最後となった。
「こうやって長く話していると、やっぱり疲れちゃうのかな??」
私はハッとした。いつものように顔が引きつっていなかった!!
「いいえ、自分の気持ちをありのままに話しているだけですから。
 ある意味、そんなに親しくない友達と話している時の方が、言葉を
 選んでしまったり、抑制しなくちゃいけないので疲れてしまいます。
 先生とは大丈夫です。」それに対して先生は、
「僕はズボラなO型人間だから、言っても仕方がないと思う相手には、
 敢えて何も言わないんだ。マメじゃないしね。」と、言った。

そして最後に「よし、じゃあ、そろそろ帰ろっか。」と言って、帰りの身支度をしながら、先生の生まれ故郷である佐賀県のモナカを1つ下さった。先生は生まれ故郷を愛している。その人にとって、落ち着ける
場所があるという事は生きがいにも繋がる。今週末に静岡と千葉の親戚の家へ行く事を先生に伝えると、先生も一緒になって喜んでくれた。

二人で一緒に研究室を出た。先生は鍵を閉めていた。
先生は私のお父さんと同世代なのにまるで等身大の親友のようだった。どこまで解り合えたのかは分からないけれど、少なくとも二人の間の
距離は3時間前よりも近づけたよ。私の思い込みなんかじゃないよね?
廊下を並んで歩き、途中で分かれ目に差し掛かった。
先生は、「じゃあ、またねー。」と言って手を振ってくれた。
私は「ばいばい」や「さよなら」よりも、
「またね」という言葉が大好きだった。
これが最後じゃないんだって、安心できるから…

何だか今日は少しだけ心の整理ができたような気がします。
今度会う時までには、卒論を少しでも進めておかなくちゃ!!
これで、スッキリした気分で親戚の家へ行けそうだぁ(*^_^*)♪
そして、再び帰って来てからは、気持ちを新たに頑張るぞぉp(*^0゚)ノ




手作りクッキー
2004年04月18日(日)
私のお母さんはお料理が上手で、バースデーやクリスマスのケーキは小さい頃からずっと、必ず毎年お母さんの手作りケーキでした。そして、私はよくそのデコレーションを任されていました。私と違って、お母さんは細かい作業が嫌いなのです。。σ(^_^;)最初の頃は、つまみ食いができるという事で張り切っていたんだけど、だんだん大きくなるにつれて、自分でも最初から全部作ってみたいという意欲が湧いてきて、お菓子作りに興味を示すようになっていきました。

私がお菓子作りを好きになった決定的な出来事は、小学2年生の2月14日、バレンタインデーでの事でした。その日、クラスの女子が男子にお菓子を作ってプレゼントをするという学級会が行われ、私は初めてクッキーを作る事になりました。お母さんに一番簡単そうなレシピを借りて、それを見ながら正確に作っていきました。それは本当に初歩的なレシピで、ただバターと砂糖と卵と小麦粉を順々に分量通りに混ぜて、端っこを少しだけ切ったビニール袋にそのタネを入れて、鉄板に適量ずつ絞り出していき、最後にそれらを焼くだけの作業でした。その名も「絞り出しクッキー」。

飾りっ気のない素朴なクッキーだったんだけど、初めて作ったクッキーは我ながらおいしく出来上がって、これならきっとクラスの男子たちも喜んでくれるだろうと思いました。予想通り、私の手作りクッキーは評判が良くて、みんな「おいしい」と言って、全部なくなるまで食べてくれました(*^_^*)♪中でも、当時片想いだった男の子が、「お菓子作りが上手なんだねぇ♪♪さすがは女の子だぁ。」と褒めてくれた事がとても嬉しくて、その時点から、お菓子作りに目覚めたのです(〃▽〃)♪クラブも主に調理クラブだったよ☆特にクッキー作りは、今では私のレパートリーになっていますv(*'-^*)~ミ☆

単純なきっかけなんだけど、小さい頃の自信って、意欲にも繋がっていって大切な要因だと思うんだ。もしも初めて作ったクッキーが大失敗に終わって、苦い思い出となってしまっていたら、私は今頃お菓子作りが大嫌いになっていたかもしれません。性格的に細かい作業が好きなので、特に手間隙のかかるクッキー作りは、私には合っていたのかもしれないなぁ♪心を込めて工夫を凝らせば凝らすほど、おいしく可愛く出来上がるんだもん(〃∀〃)♪お菓子作りが好きだけど面倒臭がり屋のお母さんは、クッキーだけはあまり作ってくれませんでした(^_^;)ゞそれと、バレンタインチョコのトリュフです。これも私のレパートリーで、小学生の頃から毎年バレンタインデーには必ず作っていたんだけど、病気になってからは、しばらく小休止中です(*ノ_;)

私は小さい頃から、プレゼントに関しては「手作りに勝る愛情表現はない」というポリシー(?)を持っています。だから、恋人でも友達でも身内でも、大切な人には、必ず一度は私の手作りクッキーをプレゼントするのだぁ(^-^)私の愛情の印だよ(-.-*)元カレとは付き合いが長かったので、きっと10回以上はプレゼントしただろうなぁ(^_^;)他にもマフラーとか編み物も頑張ったよ☆でも、やっぱり手作りクッキーが一番得意かなぁ(*^〜^*)男性の場合、趣味がよく分からないので、たいていプレゼント=手作りの物でした。片想いだった人たち、学校の先生方、大好きな友達、親戚の人たち、そして今の彼氏のために、今までいっぱい作り続けてきたな…思い返してみると、これも私の長い歴史になっているんだなぁって、しみじみと実感してしまいました(*'ー'*)♪

最後に、最も大変だったクッキー作りの大切な思い出をお話します(*^▽^*)私の退院日に、神経内科病棟のお医者さん&看護婦さん全員に手作りクッキーをプレゼントしたのだぁヾ(*^。^*)ノ♪一年間もお世話になった人たちに、私から何かしてあげられないかなぁと考えてみて、思い浮かんだアイディアは、私の手作りクッキーでした。でも、退院した後に渡しても意味がないと思い、退院日まで前々から色々な計画を立てていました。退院日(9月1日)のために、6月の後半辺りから毎週末に試験外泊を行っていたんだけど、退院の兆しが見えてきた8月頃から、試験外泊中に、人数分の可愛いラッピングやリボンを買ったり、着々と計画を実行していきました。みんなをビックリさせるために、当日まで内緒にしておかなくちゃ( ̄b ̄)♪

それで、退院一週間前の最後の試験外泊のために外泊届けを出した時に、主治医から「あと一週間だけなんだから病院にいればいいのにぃ。」と、笑われちゃったけど、私には一番大事な秘密の作業が残っているんだもん☆そして、1泊2日の最後の試験外泊中に、見事に約50人分の手作りクッキーを作り上げました☆もう無我夢中だったから、怠いなんて言ってはいられませんでした。一人分が6個くらいしか出来なかったけど、ちゃんと一人一人のプレゼントをラッピングして、それらをまとめてサンタクロースみたいな大きな袋に入れました。そして、退院日に両親に持って来てもらって、代表で婦長さんに手渡しました☆みんなビックリしてとっても喜んでくれたよぉ(≧∇≦)私も心置きなく退院する事ができました。でも、とっても寂しくて、記念写真では大泣きをしちゃったよ(ノ△・。)これも全て私の大切な思い出です(^-^)

これからも手作りクッキーを通して、少しでも多くの人たちに、私の気持ちをほんの少しでも伝えていけたらいいなぁ(*^▽^*)♪




Limited Life
2004年04月15日(木)
もう安定剤は飲まない事に決めた。
はっきり言って、効き目が全然ないんだもん。
おかしいと思ったんだ。あれほど主治医が嫌っていたお薬だもん。
これはきっと、おまじないのお薬だったんだ。
「これを飲めば、眠れますよー」って。。
どうせなら、まんまと引っ掛かっていた方が楽だったのに…

眠れないものは眠れないの。
お布団の中で何時間も孤独に眠れない時を過ごす…
時計の針は容赦なく進んで行き、私は一人暗闇の中に置いてけぼり。
誰かが傍に居てくれたなら…私はその温もりに吸い込まれて行って
安らかな眠りに付けるのに…でも、真夜中はいつも一人ぼっち。
主治医の「添い寝をしてあげようか…」という言葉を思い出す。

私は不眠症を逆用して、卒論研究に勤しむ事にした。
どうせ昼間はいつも不調だから、眠れない夜に頑張ればいいんだ。
入院中もそうだった。みんなが寝静まった頃に集中していた。
でも、それは病気を悪化させてしまう事になり兼ねない。
そもそも主治医が安定剤を処方したのも、睡眠不足による病状悪化を
防ぐためだった。でも、眠れないものは眠れないの。

昔から夜行性で、試験勉強も夜の方がはかどっていたけれど…
不眠症の場合は別だ。頭がぼぉ〜っとしていて怠いのに眠れない。
それを無理に堪えて、難しい参考文献を次々と読んでいく。
ちゃんと全ての内容が頭に入っているのかどうかも分からずに…
そして思ってしまうんだ。果たして今やっている事はムダなのか。
間違っている事なのか…それでも、今はやるしかないんだ。

病気になってから、ある意味で、みみっちくなってしまった。
何をするにも先の事を考えなくちゃいけなくて、失敗するごとに
これはしない方が良いと記憶させられていく。制限された生活。
今日外出したら、明日は家で休養しなくちゃいけない。
病状を悪化させる事なく、今ある体力を上手に使わなくちゃダメ。
そのためにも、ムダな骨折りはできるだけ避けるべきだ。

でも、今までの私の行為の半分以上はムダな事だらけだったと思う。
バカで要領の悪い私は、持ち前の努力だけで補うしかなかった。
自分にできる限りの事を一生懸命に頑張り続けてきたけれど…
そのうち、実際に実った努力は、ほんのひとかけらに過ぎない。
ほとんど空回りで、その代償はあまりにも大きすぎた…
私は今、限られた力量しかない。そんな私にできる事って何??

本当はムダかどうかなんて考えたくない!!
針の穴から物事を見ているような、窮屈な生活なんていらない。
どんな事にでも人並みに思いっきり頑張れる力が欲しい…
今までムダな事も多かったかもしれないけど、生き生きしていたよ。
私にとって「一生懸命に頑張れる事」が生きがいだったから…
それなのに今は…ムダな事を恐れている。その代償が怖くて…

かつて入院中に学校の先生から言われた言葉が今でも忘れられない。
悔しかった。歯がゆかった。自分が憎かった。自分を恨んだ。
一瞬にして、私の全ての努力が一掃されてしまった…
学校へ行けなかった。それでも一人の学生として勉学に専心した。
遅れたくなかったから…入院をしていても最善を尽くしたかった。
それなのに…

「学校へ来れないあなたは、ズル休みをしている学生と同然だ。」

一言そう言い放たれた。私は呆然と立ち尽くしていた。
所詮、報われるはずのない努力だったんだ。分かっていたけれど、
恐れていた。自分の行為が「ムダ」に終わってしまう事を…
そして、恐らく先生も長い間なかなか言えずにいたのだろう。
最初から見せ掛けの優しさなんていらなかったのに。。
心に深い傷を負った私は、それでも努力をやめようとはしなかった。

そして現在も頑張り続けている。
あの頃と同じ、静まり返った真っ暗闇の中で…
もうこれ以上に痛みや苦しみを感じる事はないだろう。
一体このうちどれくらいの努力が実るのかなんて問題ではない。
「一生懸命に頑張る」という事が、
私である事の証となってくれるから…




初恋
2004年04月12日(月)
初恋は、長年も生きていれば誰にでも経験のある事だと思います。
――初恋は実らないからこそ、儚くて素敵な思い出なんだ。
って、よく言われるけど、世の中には見事に初恋を実らせた人だって
いると思うし、私みたいに「実る」だとか、そのような言葉には全然
値さえしない初恋だったりする場合もあると思います。
私の初恋の相手は、2つ年上、厳密には1年と5ヶ月だけ年上の
いとこです。

私には、お兄ちゃんの他にいとこが4人います。少ない方だよね??
お母さんのお兄さんは独身なので、母方にはいとこが一人もいないのです。お父さんは男3兄弟の真ん中で、長男と末っ子にそれぞれ二人ずつ
いとこがいます。しかも、お兄ちゃんも合わせ、いとこ全員が男の子で
唯一私だけが女の子なのです。そういえば3兄弟の中でお父さんだけが
性格とか女っぽい(?)ところがあるなぁ…(ーー;)そうじゃなかったら、
ひょっとして私は男の子に生まれる運命だったのかもしれない。。

お父さんのお兄さんの家が、いわゆる祖父母が同居している本家で、
そこが私の本籍にもなっています。だから、「静岡の親戚」と言ったら
そこを指しており、私は毎年その家へ遊びに行っているのです(*^▽^*)
一方、お父さんの弟さんの方は、同じ静岡でも少しだけ離れた場所に
住んでおり、本家へ遊びに来てくれない限り、弟さんの息子たちとは
めったに会う事はありません。いつも電話で音沙汰を聞くくらいかな…
兄の方は私より1つ年下なんだけど、今年は大学を卒業できずに留年
しちゃったみたい**弟の方は今年は高校へ入学したみたいです☆
すごく年が離れた兄弟だよねぇ。最近ずっと会っていないから顔さえも
ぼんやりとしか思い出せないよ(・・。)ゞ

それで、お父さんのお兄さんの息子たちの事なのですが…
唯一、彼らだけが私の数少ない「いとこ」と呼べる親しい間柄であると
思います。本家へ遊びに行くと、そこには当然だけど必ず彼らがいて、
私は彼らと会える事を一番の楽しみにしながら、いつも静岡の親戚の家へ遊びに行っているのです。
もちろん、静岡という場所が大好きだから…
その理由は、彼らや親戚のみんながいる場所として、大好きなのです☆
いつも本家のある町へ足を踏み入れた瞬間、胸が大きく高鳴るのです。
普段は離れて生活しているから…でも、今だけは同じ時間を同じ空間で
過ごしているんだなぁって、とても幸せな気分になれるのです。

お父さんのお兄さんの息子たちのうち、弟の方は私と同級生で、兄の方は2つ年上です。でも、「いとこのお兄ちゃん」だなんて一度も思った
事はありません。そのいとこは今でもずっと私の初恋の人だから…
決して打ち明ける事も実る事もない、ただ遠くから一途に想い続ける事しかできない恋なのです。めったな事では会えないので、余計に想いが募っていくばかりで、離れている間は音信不通でも仕方がなく、ひたすら自分の中だけで耐えるしかないという切ない片想いなのです。そして、1年間に2度だけ、織り姫と彦星のように、長い月日を経て再会できる瞬間を心待ちにしながら、日々を一生懸命に生きるのです。私は恋愛と言ったら、ほとんど遠距離だから、生まれた時からそういう宿命なのかもしれないなぁ(*ノ_;)

幼稚園へ上がる前までは、「みほは将来お兄ちゃんと結婚する!!」と
言い張っていたほど大のお兄ちゃん好きでした。もちろん今でも大好き
だよ(*-.-*)でも、それは兄弟愛なんだって、ちゃんと割り切れていました。私のお兄ちゃん好きに関する思い出の一つとして、高校1年生の
時に学年全員で「四百人一首集」を作成するという行事があって、そこへ投稿した私の作品は、離れて暮らしている兄を想う気持ちを描いた
ものでした。

  ちょっとだよ 会ってないのは それなのに

  どきどきしちゃった 兄妹なのに

この作品が公開され、中にはブラコンと言われて冷やかされたりもしたけど、これは本当に私の素直な気持ちです(*^_^*)今でも久し振りに
お兄ちゃんと再会すると、やっぱりどきどきしちゃうもん(*^〜^*)ゝ

そして、相手が初恋のいとこの場合はもうどきどきするなんて次元では
ありません(≧_≦)まともに顔さえ合わせられなくて、会話なんて
とんでもありません!!!同じ部屋にいるだけでも、近くで声が聞こえるだけでも、ドギマギ状態で、いつもお風呂やトイレなどの中で一人っきりになった時に、「どうしてこんなにも大好きなんだろう…」って、切なくて、苦しくて…涙が溢れ出て来てしまうのです(≧o≦)思春期の少女じゃあるまいし…って思うかもしれないけど、本当に今でもこんな感じなのです(//o//)

小学・中学の頃に流行ったサイン帳の「理想のタイプ」の欄には、必ず
「○○ちゃん(←いとこの呼び名)みたいな男性」と書いていました。
今でも、どんなに他の男性を好きになっても、付き合って愛し合っていても、やっぱり○○ちゃんに勝る恋愛感情を抱けた事はありません。それほど生まれて初めての幼い恋心は強烈な感情として、今でもずっと消える事なく私の心の奥深くに刻み込まれているようです。…そういえば元カレの本格的な初恋は私みたいです。。複雑だなぁ**

私の親友もみんなこの事を知っていて、かつてよく「一体いつになったら○○ちゃんを諦めるつもりなのー??」と聞かれた事があって、その時は、「う〜ん…きっと死ぬまでずっと好きでいるよ。でも…私か○○ちゃんのどっちかが結婚した時には、きっぱりと諦めなくちゃダメだよね…??」と、答えていたんだけど…もちろん「その時」の事なんて、今まで真剣に考えた事はありませんでした。誰だって考えたくなんてないよね…一番大好きな人が結婚してしまう時の事なんて。。

昨年の春、それを現実の事として受け止めなくちゃいけない時が訪れて、私は今だに心の整理が全くできずにいます。「ついに来る時が来たんだなぁ…」という気持ちです。最初は「できちゃった婚」だったので、気絶しちゃいそうな感じでした(>_<)でも、その後、赤ちゃんは流産されたみたいで…籍は結婚を決めてからすぐに入れていたん
だけど、結婚式は一年経った今、ようやく挙げられるみたいです。
奥さんとは去年の夏にお会いしました。私よりも一つ年下で、
現代人(?)っぽく可愛くて活発な女性でした。
住居は清水にあるアパートに決まったばかりだと言っていたなぁ。。

結婚式には、いとこの中では唯一私だけが招待されたみたいです。
たぶん両親を誘っておいて、私一人だけ置いてけぼりというわけには
いかなかったんだろうなぁ…複雑な気持ちだけど嬉しかったです☆
できるだけ笑顔で「おめでとう♪」と、心から祝福できたらいいなぁ
って思います(*^_^*)…全く自信がないけど。。(ーー;)
逃げちゃダメ!!
それと、涙だけは絶対に流さないように気を付けていなくちゃ。。
初めての結婚式への出席なんだぞぉ☆☆ピンクのドレスも着られるし…
○○ちゃんのカッコイイ姿だって、近くで見られるんだぞぉ!!
初めて会う人たちもたくさんいると思うから笑顔でいなくちゃ(*^▽^*)
そして、何よりも体調を整えておかなくちゃね…(>_<*)




「ごめんね、ありがとう」
2004年04月10日(土)
私はしばしば自分はちょっと変わっているなぁって思う時があって、
「ありがとう」と「ごめんね」という基本的な挨拶言葉に関しても、
ちょっと普通じゃないかもしれない…と思うケースがあります。
というのは、普通は「ありがとう」という言葉を言う場面で、私は
つい「ごめんね」という言葉の方が先に出てきてしまうのです。

つまり、私の中で「ありがとう」という感謝の気持ちよりも、
「ごめんね」という申し訳ない気持ちの方が先行してしまうのです。
それが本当にありがたい事であっても、その嬉しさに対する喜びを
素直に「ありがとう」という一言で済ませる事ができなくて…
こう言うと、すごくひねくれ者みたいに聞こえちゃうかもしれないけど
もちろん感謝の気持ちはいっぱいいっぱいに感じながらも、その厚意に
対して「私なんかのために…」と申し訳ない気持ちでいっぱいになって
しまうのです(≧_≦)

私の中では「ごめんね=ありがとう(感謝の気持ちを表する言葉)」
という意味で使われているつもりなんだけど、よぉく考えてみると、
かなりおかしな現象だよねぇ。。必ずしも陳謝が感謝の意味になる
はずがないのに、それでも私は小さい頃から無意識に「ごめんね」
という言葉を感謝の気持ちを表すために使用してしまっているみたい
なのです(^_^;)ゞ決して「ありがとう」という言葉が苦手で
言えなかったりするわけではないので、ちゃんと「ごめんね」と
言った後に「ありがとう」とも言うのです。
「ごめんね、ありがとう」って…ヘンテコだよねぇ(・・。)ゞ

何か親切に優しくしてもらうと、普通なら嬉しく思って感謝すべき
ところをその上、私は申し訳なく思って戸惑ってしまうのです(≧_≦)
ひどい時には迷惑をかけちゃったって、自己嫌悪に陥ったり…
…全然素直な反応じゃないよね。やっぱり素直に喜んでくれる方が
可愛げもあって、やって良かったぁっていう気持ちにもなれるのにね…
決して厚意を台無しにしようという意志があるわけではないんだけど、
つい後ろめたさを感じてしまって…別に悪い事ではないのにねぇ(>_<)
やっぱり変だぁ。。おかしすぎる!!!

こういう時、私は受け身にはなれない性格なのです。
どちらかと言うと、私の方から相手に尽くして喜んでもらいたい
気持ちの方が強くて…ただ単に感謝されたいっていう意味では
なくて、純粋に相手の喜ぶ笑顔が見たくて…だから、どんなに苦労を
要する事でも頑張れちゃうのだぁ♪相手に対する好意が大きければ
大きいほどに…「ありがとう」と言われたら、それまでの努力が
一気に報われたような…そんな幸せな気分になれるのです(*^_^*)♪
時として、単なるおせっかいで終わる時もあるけどねぇ(・・。)ゞ

今ではメールの顔文字や絵文字を使って、自分の感情を記号的に率直に表す時代になってきているので、もっと深い真髄にある感情を表出できず、コミュニケーションが短絡的になってきている傾向にあると思います。文章においても、それこそ感謝の気持ちを表すためには「ありがとう」の一言で、嬉しい場合や悲しい場合も「嬉しい」や「悲しい」という一言で相手に自分の感情を短く伝えていたり…それは分かりやすい事ではあると思うんだけど、やっぱり人間の感情って、一言だけでは表せない複雑な体系を成しているので、本当に相手と解り合いたいのであれば、もっと自分の内面を相手にありのままに表せるようじゃなかったら、浅はかな関係に留まってしまうような気がします。それが、文章による言葉であろうと、口から発せられた言葉であろうと…

本題から逸れてしまったけれど、最後に「ごめんね」という言葉に関する私の辛い過去の思い出をお話します。私は小学校4年生の時に、同級生のある友達グループからいじめられていた時期がありました。その理由がよく理解できない事なんだけど、「私がすぐに『ごめんね』と言う」からでした。当時から神経過敏だった私は、感謝の気持ちだけに限らず、そのグループの友達との関わりにおける一挙一動に対して自信が持てずに、何かある度に「ごめんね」という言葉を発してしまっていたのです。頭の中で「謝らなくちゃ」というスパイラルが存在していたんだろうなぁ。。気まずくなればなるほどに悪循環で、だんだん手に負えなくなっていって…ビクビク怯えているような私の気弱さが気に食わなかったんだろうなぁ…自分でも嫌だったもん(≧_≦)

今でもその後遺症のせいか、人間関係において不安に駆られてしまった時には、頭の中が「ごめんね」の気持ちでいっぱいになっちゃうよ
(>_<*)でも、あんまり「ごめんね」って言い過ぎると、やっぱり相手だって嫌な気持ちになっちゃうよね。。そこで自己嫌悪に陥って自分を責めたりと、本当に不器用な性格なのです(*ノ_;)いい加減に直したいよぅ…

これは余談なんだけど、当時は内股だった私は、少しでも弱気なところを隠したいと思って、わざと意識的にガニマタに歩く努力をしていて、なんと現在はO脚になってしまいました…(T_T)




心の距離
2004年04月09日(金)
今日は友達と会う約束をしていたんだけど、昨日メールがあって延期となりました。その友達は心の病気を患っていて、毎週精神科へ通院しているんだけど、「今日の診察でコテンパンにやられちゃってヘコみ中〜(>_<)笑顔で会えそうにないから延期してもいいー?」って言われたので、もちろんOKだとお返事しました。精神科の診察って大変そうだなぁ…目安になる数値がないから、常に自分の心と正直に向き合っていなくちゃいけないし。。って、今の私もそんな状況かなぁ(^_^;)ゞ

それで「最近どうー?」っていう話題になって、前回の外来の出来事をありのままにお話しました。同じ「闘病をしている」者同士だから、病気の話題でも平気で気兼ねなく話せるから心地良い空間です。やっぱり例え仲の良い親友であっても、時と場合によってはシリアスで暗い病気の話題なんか、できるだけ避けたいものだもん…だから、メールとかで「元気ー?」って聞かれたら「元気だよー」って答えてしまう。話したくても我慢しちゃう時が多いけど、さすがは親友で、思いが募ってつい話してしまった時には、ちゃんとマジメに聞いてくれるんだよね(^-^)それを知っているから、余計に「甘えちゃダメだ」と思って避けてしまう時もあるのです。。

私が返信した直後に即「大丈夫ー?!」って電話がかかってきました。いきなりだったからビックリしちゃったよぅ(≧_≦)その友達とは1年近くも話していなかったし、何よりも逆に心配をかけちゃったみたいで、何だか申し訳なくなっちゃって…私なんかのために(≧o≦)でもね、いつものパターンなんだけど、最後は私の方が話を聞いてあげる立場になっちゃったのだ☆私はつい受け身になってしまうんだよねぇ(*・_・*)ゞその友達はいつも「話ならいくらでも聞くよー」って優しく言ってくれていて、今まで私はそれに真っ向からは甘えられずにいたんだけど、きっと今回も私の話を聞いてくれるつもりで電話をかけてくれたんだろうなぁ。。う〜ん…でも、どうやら私は他人に悩み事を打ち明けるのは苦手みたいです(+ー+*)

例え相手が快く自らに受け手でいてくれたとしても、やっぱり多少なりとも何らかの負担をかけてしまうと分かっていながら相手にすがってしまう事は容易にできなくて…相手にもよるのだと思うけど、強がりな私の場合はよっぽどの包容力のある人じゃないと、私もその気にはなれそうにないかなぁって思います(*^〜^*)ゝ主治医でさえも私の精神面ではお手上げ状態だもん。。(ーー;)それと、信頼関係も大切だと思います。お互いが相手に対して完全に心を開き合っている状態じゃないと、負担に思ってしまう程度も増えてしまうから…それから、血縁や同じ境遇にいるという事も大事な要因かなぁ(^-^)家族や兄弟や親戚だという絆だけで、目に見えない安心感が生じて、ありのままに身を委ねられそうな…それが将来は恋人に転じるかもしれません。同じ境遇を共有しているという絆においても、言わずと知れた暗黙の了解が、お互いの関係を支えてくれているような気がします。

これらは全て心の距離の問題だと思います。相互の間に距離を感じてしまえば、遠慮がちになってしまったり変によそよそしくなってしまったり…時として、それは自意識過剰であったりするのかもしれません。特に私は他人の感情を気にしやすい敏感なところがあるので、その点では人間関係に不器用なんだと思います(*・_・*)ゞもっとおおっぴらに関わっていけたらいいんだけどなぁ…私の場合、もっと神経が図太くならなくちゃいけないんだろうなぁ。。




外来レポート
2004年04月06日(火)
今日は久々の外来日でした。
前回に病院へ行ったのはいつの事だったかなぁって
思い出すのに苦労するほど懐かしい感じがします(^-^)
単に頭がぼぉ〜っとしていて思考回路が狂っているだけ
なのかもしれないけどねぇ(*・_・*)ゞ
相変わらず不眠&食欲不振の状態が続いています。。(_ _。)

病院に着いたら桜が満開で綺麗だったよぉ(≧∇≦)♪
この桜並木は入院中にも一人でお花見をした場所なのだぁ♪
今日も一人でその桜並木を歩いていると、当時の思い出が
そのまんま甦ってきて、ほんのひと時だけタイムスリップした
ような気分になりました(*'ー'*)心境まで当時と一緒だよ・・・
ずっと日陰にいたから、日向がよりいっそう心地良かったよ。

いつものように、まず最初は採血から始まりました。
免疫抑制剤の血中濃度を測る採血で、名前と身長と体重を聞かれて
普通に答えていたら、「あらぁ…これでもあの頃よりは体重が
増えたのかしら?」と言われて、「え??」と思って
顔を見上げてみると…全く見覚えのない検査技師さんでした。
その後も、その見知らぬ人との会話はどんどん進んでいきました。

「あの頃は…何歳だったの?」「…ハタチでした。」
「当時もそんなに髪が長かった?」「はい。結んでいましたから。」
「確か…半年間だったかなぁ?」「いえ、丸1年間です。」
どうやら入院中にお世話になった事のある検査技師さんみたいです。
入院中は週に2回の採血を1年間もしてもらっていたので、
全ての検査技師さんの顔までよく覚えていなかったようです。

「えぇ?!1年間も??それは長かったねぇ。
 大変だったでしょ。本当によく頑張ったねぇ!!」
今まで何度も言われてきた言葉だったけれど、今日は
一瞬だけ何やら不思議な感情が頭の中をよぎりました。
自分の事を言われているような気が全くしなかったのです。

『2000年、神経難病を患っているハタチの少女が神経内科
 病棟で丸1年間の闘病生活を送っていた・・・』

当時、何らかの形で私と関わった事のある人たちの心の中には、
その記憶が今でも残ってくれているのだという事を知り、それと
同時に本人である私まで、その記憶を自分の中で客観的に見ていた
という事に気が付いたのです。
あの頃の私は、本当に自分だったのだろうか・・・
今の自分が当時の私の延長線上にいるのだという事に違和感を
感じてしまうのです。成長なんかまるで自覚できなくて・・・
「乗り越えた」なんて言葉は私には当てはまらなくて、結局、
逃避していただけなんじゃないのかなぁって・・・

今でも病院にいると、あの頃の私がヒョイっと私の目の前を
横切って歩いているような気がして怖くなる時があるよ。

採血室を出たら、背後で聞き覚えのある名前が呼ばれました。
確か…同じ病気で私と同じ時期に入院していたオジサンだぁ!!
退院以来ずっと顔も姿も見た事がなかったよ・・・
でも、私は後ろを振り向かなかったの。


今日も相変わらず病院は混んでいて、3時間以上も待たされました。
待合室の窓辺に座っていると、カーテン越しから日光が差し込んで
きて、まるで深い眠りに誘われているような気分でした。
今日はいつもに増して全身が怠くて無気力状態だぁ。。
早く診察を済ませてから、おうちに帰って休みたい・・・
その一方で、ドキドキの鼓動が次第に激しくなっていきました。
今の私の状態を主治医に何て報告すればいいんだろう…??

ようやく私の名前が呼ばれて診察室の中に入りました。
主治医の前での私はいつもと何かが違う。恐らく身内や友達の前で
見せるような強がりが不器用になってしまうんだろうなぁ・・・
隣にお母さんさえいなければ、思いっきり泣き叫びたい気分でした。
入院中のように主治医の前で涙が枯れてしまうまで泣く事ができたら、
このモヤモヤな気持ちも晴れてくれるような気がしたから・・・
でも、この期に及んで必死で涙を堪えました。

抗体値が・・・最近2ヶ月連続で90も下がってくれていたのに、
今回は一気に110も上がっちゃって480に逆戻り。。(_ _。)
「また戻っちゃったねぇ。。」と、主治医もガッカリの様子でした。
握力も右が10繊∈犬9舛派堋患ぬだし。。(≧_≦)
自分でも表情がどんどん暗く沈んでいくのが分かりました。
でも、無表情の顔から涙がこぼれ落ちる事はなくて・・・
もしかしたら、もう完全に枯れちゃったのかもしれない。

主治医が私の気持ちを悟ってくれて「何か不安や悩み事を抱え込んで
いるの??」と、いつもの調子で両手を握りながら尋ねてくれたけど、
私はうつむいて涙を堪えるだけで精一杯でした。でも、ちゃんと
伝えなくちゃと思い、片言ずつ今の気持ちを言葉に表していきました。
自分でも何を言っているのかよく分からなかったよ・・・
たぶん、いつものように、お手紙の形で書き記したとしても、
まともな文章にはならなかったと思います。

私の言葉を聞いた主治医は、しばらく考え込んで、そして・・・
「軽い安定剤を飲んでみよう。」と言いました。それから・・・
「それでもダメそうだったら、心療内科へ行ってみようか・・・」
そう言いました。私は愕然として、頭の中が真っ白になりました。
主治医の口から発せられた言葉が信じられなくて・・・

今までずっと精神的にピンチな時には軽い抗鬱剤のみに固執して
いたのに…安定剤や睡眠剤だけは絶対に飲ませたくないって・・・
何だか裏切られたような気分でした。そして何よりも・・・
入院中、どんなに精神的にヤバかった時にでも、心療内科にだけは
絶対に行かそうとしなかったくせに、今更になって・・・
・・・見捨てられたような気分でした。嫌だよ・・・
そんな真剣な顔をしないで。たった一言「大丈夫だよ」って
笑ってくれたなら…今までのように。私は平気だから・・・

結局何も言い返す事ができずに、安定剤を処方される事になりました。
でも、心療内科には行かないよ。その前に必ず立ち直ってみせるから。
絶対に、私の大好きな主治医の診察だけで、神経内科の領域内だけで、
この病気を治したいの・・・他の病気を併発する事なく・・・
精神的に落ち込みやすいのは生まれ付きの性格のせいだもん。。
ただ、今はちょっと不安定になっているだけで・・・
早く心身ともに元気になりたいよ・・・もっと強く・・・強く。
笑顔
2004年04月04日(日)
私は周囲から「いつもニコニコしているイメージ」であると思われているみたいです。自分ではそんなにも意識はしていないんだけど、ただフーセン顔だから、お多福ソースのお亀さんみたいに見られているっていう事なのかなぁ「(゚〜゚o)でも、笑顔は昔から大好きなので、常に絶やさずニコニコ笑顔でいようと心掛けてはいます。私はブスな芋娘だから、せめて笑顔でいないと余計に見栄えも悪いしねぇ…(;´▽`A)

でも、自分の感情を押し殺しやすい性格の私にとって、時として笑顔は自分をごまかすための道具と化してしまいます。他人に迷惑をかけたくない…他人に不快で嫌な思いをさせたくない…そんな他人本位の気持ちから、いつの間にか、私はできるだけ自分の感情を表情に表す事を避け、その代わりに偽りの笑顔を作って、いわば笑顔をコントロールする習慣が付いてしまったのです。どんなに辛くても、悲しくても、苦しくても、嫌な事でも、一人きりでいる時を除いては、一番近くにいる相手に自分のマイナスな感情を悟られないように笑顔でいようとしてしまうのです。もちろん、楽しさや嬉しさなどのプラスの感情はちゃんと素直に笑顔で表せるよ(^-^)

私とは正反対で、私のお母さんは感情を全て表情や態度に表す性格です。だから、一緒にいると、その時のお母さんの気持ちが率直に伝わってくるんだよねぇσ(^_^;)ご機嫌な時は有頂天で鼻歌なんか歌っちゃって、不機嫌な時は無口でブスゥ〜っとしていて、怒り狂っている時は辺りの物体に八つ当たりをして、私もしょっちゅうとばっちりを受けてばっかりです(*ノ_;)こんなにもコロコロ感情が入れ替わったりして、本人は疲れたりしないのかなぁって思うくらいです。特に私は相手の顔色を気にしやすいタイプなので、余計に振り回されやすいのかもしれないなぁ(^_^;)お母さんと一緒にいると疲れちゃうもん。。時にはご機嫌取りもしなくちゃだし…親子なのにねぇ( -o-)=3

でも、お母さんまではいかないにしてみても、恋人同士のように親密な関係においては、自分の感情を素直に表せる方がいいのかもしれないなぁ。。覆い隠す必要もないし、本当に愛している人に対しては、できるだけ自分の全てを曝け出して理解してもらいたいものだもんねぇ(*^_^*)もしもそこに障壁が存在するのなら、二人の関係に何か問題が生じてしまっている証なのかもしれません。遠距離恋愛のように、お互いに接していられる時間が限られているケースでは、常に人一倍敏感に心のアンテナをピンと張っていなくちゃいけないのかもしれませんね。少々ワガママであろうと、素直に甘えられる気持ちが大切なのかなぁって…私は意地っ張りで強がりな性格だから、可愛げがないと思われる部分もあるんだけど、本当はすごく一途で甘えん坊でヤキモチ焼きで、その分、それが相手の負担になってしまうかもしれない事をつい恐れてしまうのです(≧_≦)何事も適度が一番だよねぇ(・・。)ゞ

最近の私は悲しい顔をして泣いてばかり…でも、笑顔とはほど遠いように思われるかもしれないけれど、こんな私でも誰かと接している時間は自然にニコニコ笑顔になれるんだよ(*^_^*)♪それが長年の習慣となった無意識のゴマカシの笑顔なのかは分からないけど、笑顔でいられる時間は、やっぱり幸せだなぁって思えます。私にとって元気になれる原動力は人の温もりが一番だなぁって(^-^)今後も笑顔を忘れないでいよう。病気になってから、一時期完全に笑顔を失ってしまった時があったけれど、やっぱり幸せには笑顔が付き物だもんね(*'ー'*)♪ただ、今でも緊張して神経が高ぶっている時には、顔面神経麻痺のために、笑顔でいたくても顔が引きつってしまう事があるけどね。。(*ノ_;)それも徐々に治っていくといいなぁ☆




NIGHTMARE
2004年04月03日(土)
昨夜、悪夢を見ました。


「明日、学校の行事でピアノを弾いて欲しい。」と頼まれたのです。
いきなり明日?!しかも、その曲は私が最後に弾いた思い出深い
ショパンのバラードでした。
私はなぜかそれを引き受けてしまいました。
小学時代から頻繁にピアノ伴奏を頼まれていたので、
特に何も違和感を感じなかったのです。
でも…現在の私だったらとても考えられない事です。

あれ以来、楽譜さえも行方不明になっているので、まずはバラードの
楽譜を探す事から始めました。必死であちこち探し回って、ようやく
見つけ出した時にはもう真夜中になっていました。
今更になって再び以前のように弾けるかどうかも分からないのに…
いや、それは絶対に無理なはずなのに、悠長に平然としていた
夢の中の自分が不思議でたまりませんでした。

次は、真夜中でも周囲の迷惑にならなくて、かつピアノが弾ける場所を
探し求めて移動しました。そこにはチェンバロに似たクラシックな
グランドピアノが置かれてあって、私は即それに手を触れ、楽譜通り
見事に最後まで弾いてみせました。
途中からは暗譜していた記憶が鮮明によみがえってきて、
あの頃の自分と完全に同化していました。
まだ病魔の存在に全く気づいていなかった頃の私だった…

その時…ある物体が私の頭を直撃した。
自らの指で奏でていたメロディーが途切れ、鍵盤の上に真っ赤な血液が
滴り落ちてきた。振り返ってみると、高校生くらいの少女が、今にも
溢れんばかりの涙をいっぱいに含めた鋭い瞳で私を睨み付けていた。
私は椅子から立ち上がり、そのコと対峙して、
相手の姿をじっと凝視した。
そのコは辺り一面にある物体を無造作に次々と私に投げ付けてきた。

私は避けなかった。反撃もしなかった。
そのコを止められなかった。非難もできなかった…
だって、そのコはね…あの頃の私自身だったから。
今、私がピアノを弾こうとしたらそのコは哀しんで憤ってしまうんだ。
あの頃、私はそのコに何もしてあげられなかった…
そのコの切なる純粋な気持ちに気づいてあげられなかったの。
心に一生消えない傷跡を負わせてしまったから…
封印したくても、もうできない。病気なんて口実に過ぎないよね…

朝目覚めると、頭がズキズキと痛みました。
今更なんでこんな悪夢を見てしまったんだろう…
今でもピアノを疎んでいる自分がいる…鍵盤に触れるのも嫌だ。
クラシックのメロディーを耳にするのも嫌だ。
以前はあんなにも愛し専心していたのに…
単なる子供心による拒絶反応??
それとも…トラウマになってしまっているのかもしれない。




別れた夜の夢…
2004年04月01日(木)
やっぱり眠れないよ…
何も手に付かなくて、お部屋の中もグチャグチャのまま。
ぼぉ〜っとしていて、何か刺激でもあればすぐに涙が出てきてしまう…
一人っきりの時は特に…恐怖心??寂しさ??辛さ??
自分でもよく分からないよ。私の感情を取り替えて…

子供の頃からずっと親戚と別れた後は虚無感に襲われていた。
遠い存在である事を心底から恨んだ…憎んだ…悲しんだ。
それでも次第に妥協する事を覚えていって、楽になろうとした。
決して満たされるはずもなく、そうやって摩り替えられていった
偽りの感情は際限なく蓄積されていって、今では爆発寸前…

だから私は…抱え切れない感情を押し殺して生きていく人生を
選んでしまった人間なのかもしれない。
それならば、もっとそれに見合う強さも同時に養いたかった。
弱ければ何も成し遂げられないから…
強がりでさえ形を失ってしまう。
それなら無力な自分の存在価値は一体どこにあるの??
私は今どこにいるの??今までどこにいたの??

私には他人しか見えない。醜い自分を見たくないんだ。
でもね、そんな自分が唯一輝いて見える時があるの。
それは他人を介して間接的じゃないと無理で、
やっぱりその視線は、他人に向けられているよ。
ヒトの温もりが恋しいのは単に甘えたいからじゃないの。
愛情…支えたい。守りたい。可能ならば…
それが私の存在価値に繋がるから。

相互の距離は真実を語るのだと思う。
人間は亡くなった時、その価値が再確認される。
視界から完全に消えてしまった時も同様に…
そして、失う怖さを思い知るだろう。
離れていれば離れているほどに…
別れに麻痺する事は決してない。
いつでも別れによって容赦なく劈かれる。
時には新たな出会いさえも拒むようになってしまうかもしれない。

宙ぶらりんのまま…暗中模索の旅は続いていくんだね。




m a i l



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