**Secret**..miho
万年ロング
2004年03月13日(土)
私は恐らく「万年ロング」なんだと思います。つまり、自分の中で「私のヘアスタイルは絶対にロングじゃなきゃダメ!!」という固定観念みたいなものが生まれながらに植え付けられているような気がします。自分は髪が長い方が似合うんだぁというよりも、髪の性質や顔の形からして、自分は絶対に短い髪は似合わないんだっていうコンプレックスのようなものを常に感じているのです。いや、本当に似合わないんだもん…(-_-;)それと、私は昔から長い髪に対する憧れの気持ちもあったのだと思います。幼い頃に私が描いたお姫様の絵は必ず腰よりも長いロングヘアでした。リカちゃん人形よりも髪の長いティモテちゃん人形の方をおねだりしたし、着せ替え人形では髪の長い女の子を一番に可愛がっていたし、とにかく女の子は髪が長い方が可愛いんだと勝手に思い込んでいたみたいです。

でも、その憧れの気持ちの裏には、実は様々なコンプレックスが潜んでいたのです。特に髪の性質に関して、私は生まれた時は男の子みたいに髪の量が少なくて髪の質もサラサラで、小学校へ上がるまではずっとショートヘアでした。だから、幼い頃の写真を見たら、まるで別人のような感じがしますσ(^_^;)そして、小学校へ上がって自分の好みもはっきりしてきた頃には、長い髪に対する憧れの気持ちも芽生えてきて、それ以来ずっとロングヘアでした。毎朝お母さんに「今日は三つ編みにして♪」「今日はポニーテールにして♪」「今日は二つくくりにして♪」と、うるさく頼んでは長い髪のヘアスタイルを色々と楽しんでいました。決して肩よりもショートにしようとは思いませんでした。

しかし、小学4年生の時に、当時仲良しだった親友と思い切ってお揃いでおかっぱにしようと、危険な試みを行ったのです。30cm以上はカットしたと思います。美容師さんに「本当にいいの?」と聞かれたんだけど、お揃いだったら何だって大丈夫♪という落とし穴にはまってしまって、結果は大失敗でした。二人とも泣くに泣き切れないほど後悔しました(≧_≦)周りは似合っていると言ってくれたんだけど、短い髪の感覚を全く知らなかった私は、まるで身体の一部が一瞬にしてなくなってしまったかのような深い悲しみに襲われたのです。そこで改めて、もう二度と髪を短くなんかしない!!と、固く誓ったのです。ここで、ロングヘアに対する固定観念が私の中で決定されてしまったようです。

小学校の高学年辺りから、私はストレスを受けやすく神経過敏な性格になっていきました。極度に内気で上がり症、そして何事も一人で抱え込んで我慢をしてしまう…それでいて無茶をしてでも頑張ってしまう性格でした。ある日お母さんがいつものように私の髪を結んでくれていると、円形脱毛を発見したようです。当時の私の髪は昔のようなサラサラ感が一つもなくなってしまい、髪の量は多くなって髪の質もゴワゴワのクセ毛になってしまいました。恐らくその当時からホルモンのバランスに異常が現われてきていたんだと思います。そのため、ますますショートヘアになんかできない状態になってしまい、常に髪を結んでゴマかしておきたいという気持ちでいっぱいでした。

中学校へ上がり、女子の髪型はおかっぱか二つくくりのどちらかじゃないとダメだという学則だったので、私はもちろん二つくくりの方を選びました。そして、中学2年生の時に学則が改正されて、ショートヘアとお下げの三つ編みも許可が下りたので、それ以来ずっと私のヘアスタイルはお下げでした。しかもクセ毛だったから、かなりの太巻きでした
σ(^_^;)その頃から自分の髪を何度も恨みました。そこではもうロングヘアが好きだとかそういう段階ではなくて、綺麗な髪じゃないがためにショートヘアにできないんだというコンプレックスでいっぱいでした。髪を櫛でといていて絡まった時に、急に腹立たしくなって、絡まった箇所を思いっきり引っ張って、自分で抜いちゃった時もありました。

高校へ上がり、髪形がほぼ自由になり、ただ肩よりも長い場合は結ぶようにと学則で定められていたので、入学当初は毎日ポニーテールをして高校へ通いました。ポニーテールなら自分でも結べたから(・・。)ゞそして、二つに分けて三つ編みをし、それらを輪っかにして結んだりと、ヘアスタイルを自分で好きなように楽しむようになりました。高校時代から色々とオシャレ感覚にも芽生えてきたので、その分、余計に自分の髪に対するコンプレックスが浮き彫りになっていきました。そんなある日、友達からストレートパーマの話を聞いて、ぜひ自分もやってみたいと思って試してみました。本当はストレートと言えどもパーマだから、学則で禁止されていたんだけどねぇ。。それで、予想以上に真っ直ぐなサラサラヘアになったので、調子に乗って念願のショートヘアにしてみました。短い髪になってしまったショックは全くなく、むしろ自分でもそれが可能になったという事に喜びを感じていました。それ以来、高校時代は定期的にストパーを当ててショートヘアで過ごしました。

大学へ入り、病状がどんどん悪化していく中、オシャレをする気力さえ失われていきました。顔の症状からどんどんひどくなり、今度は自分の顔に対するコンプレックスがだんだん大きくなっていき、できるだけこの醜い顔を覆い隠してしまいたい!!という気持ちが生じ、やっぱり自分にはロングヘアが良いんだと再確認しました。ショートヘアは顔が小さくて綺麗な人が似合うのだと思っていたから…もともと私は長い髪に慣れていたし、ロングヘアの方が自分に合っているような気がしていたので、せめて髪だけでもオシャレをしようと心掛けてみました。そして、大学時代からカラリングを始めたので、髪を傷めないようにとストパーを卒業しました。でも、当時は本当に病状がひどくて、他の事にまでいちいち配慮なんかしていられなかったんだよね…とにかく自分の全てが憎くて、生きている事がとても辛かったです。

そして入院…ステロイド剤を大量に服用していたために、その副作用で脱毛が激しくなり、髪がどんどん抜けていきました。でも、毛根はちゃんと生きているので、頭がツルツルになる心配はありませんでした。頭のてっぺんに新しく生えてきた短い毛がツンツンと立ってしまう事が嫌でした。。☆(+―+*)それでもやっぱり全体的に髪の量はかなり減って、それがお薬の副作用のせいだと思うと複雑な気持ちだけど、今まで髪の量が多くて悩んでいたので少しだけ嬉しかったです☆抜け毛によってゴワゴワだったクセ毛も新しく生え変わったのか、髪の質も以前よりかはだいぶ良くなってきたみたいです?!やっぱり以前のような髪の異常は病気のせいだったんだなぁ…病気の治療と共にホルモンのバランスも次第に整っていき、髪の量も質もちょうど良くなってきているみたいです(*^_^*)♪

そして退院後、私は今でも相変わらずロングヘアです。恐らくよっぽどの事件(?)でも起こらない限り、短い髪にはしないと思います。よく失恋をした時に髪を短く切るって言われるよね(←古い(^_^;))何だかその気持ちがよく分かるような気がします。今では爪までも同じような状況になっていて、長いままで短く切る事ができなくなっています
(*・_・*)ゞ髪も爪も、切っても痛みは感じないものの、今ではすっかり自分だけの型にはまっていて、必要以上に短くする事ができなくなってしまっています。何だか自分じゃなくなってしまうような、そんな恐怖感があるんだよね…それに、私は何事にも安定性を求めてしまうから、突飛もないイメチェンなどはハメを外しそうで怖いのだぁ(+―+*)だから、私は流行を追わない定番好きでもある、典型的な平凡ッ子なのです。

でも、ロングヘアに関しては、テレビなどでロングヘアの女性を見ていても、この人も私と同じで「万年ロング」なんだろうなぁって思う時がしばしばあります。そういう人たちは、一度イメチェンで髪を短くしてみても、必ず再び長い髪に戻るんだよね。やっぱり髪が長いという事にその人だけの落ち着ける要素みたいなものが何かあるんだろうなぁって思います。ショートヘアに関しては、そんなにロングまではいかないけれど、短い髪に固定せずにけっこう長くしてみたりと色々な変化が見受けられるんだけど、やっぱりロングヘアの人には、その人だけの特別な思いがあるのかなぁって思います。それは存在する物を失う怖さと似ているのかなぁ…ちなみに、昨日の美容院では、カットと共にシャギーも入れてもらったので、私的には全体的にけっこう短くなってしまいました(>_<)でも、肩は十分に越えているので一応ロングヘアだよ☆
う〜ん…栗色はちょっと失敗だったかなぁ。。髪が重たく見えちゃうよぅ(*ノ_;)




約束
2004年03月11日(木)
昨日は大学の卒業式でした。3月10日というキリのいい覚えやすい日付け…しかも、お父さんのバースデーの前日でもあって、この日を忘れるはずがありません。でも、やっぱり辛いよ…普通ならこの日は一生忘れられない記念日になるはずだけど、私にとっては年が巡るたびに甦る悪夢だよ。私がこの日に卒業する事はありません。例え9月のいつか、この日に代わる卒業という日が訪れたとしても、それは真の「卒業」なんかじゃない。フッド&ガウンを着用して、3月10日という定まった日に共に学んだ同志たちと同じ空間で卒業式という儀式を遂行しなければ正式には成り立たないのだ。きっと…私は宙ぶらりんのまま卒業を実感する事もなく卒業証書というただの紙切れを手にして大学を去る事になるでしょう。自分に「私は卒業したんだ」と納得させる事しかできなくて、誰とも喜びを分かち合えないままに…それが私の選んだ道だから妥協しなくちゃいけない事なんだけど、やっぱり辛いよ。

3月に入ってから去年と同様の心境である憂鬱さが心を騒がせた。そろそろ卒業式の練習が始まった頃かなぁ…かなりハードだというウワサは聞いていたけれど、実際はどんな感じなんだろう…私には測り知る事はできなかった。知ろうともしなかった。一切関わりたくなかったから…ただひたすら逃避する事ばかりを考えていました。友達にもずっと音信不通で「練習を頑張ってね」という一言さえ伝えられなかった。そして当日、卒業式の模様が放映されるローカルニュースさえ敢えて観ようとはしなかった。でも、昨日がポカポカ陽気になって、絶好の卒業式日和だなぁって心からほっとした事は真実だよ。友達に「おめでとう」メールも送ったよ。本当は綺麗な花束でも抱えて大学まで足を運んで友達を祝ってあげたかったんだけど、そこまでに踏み切る勇気が出なかったんだ…ばかみたいだよね。どうして素直になれないんだろう…もっと揺るぎない真の強さが欲しい…

昨夜、卒業式が行われた日の夜、今年もまた卒業式が終わったんだなぁと一息付いた瞬間に、心の中のモヤモヤが一気にあふれ出てきて、再びいつものどうしようもない罪悪感に襲われました。本当にこれで良かったの??本当に…そう何度も問い掛けて、必死で答えを探し求めてみたけれど、出てくるものは涙だけでした。いつまで同じ事を繰り返していくつもりなの??何が私のゴールなのかも分からなかったから、今までひたすら突っ走ってきたけれど、この手で掴み取ったものは何もないよ。走るしかなかったんだよね。結局は逃げていただけだから、得るものなんて何もないんだよ。朝に友達に送った「おめでとう」メールの返信が届きました。「ありがとう」と「頑張ってね」という言葉でした。そして「卒業後も暇な時には遊ぼうね」って…私は知っていました。去年も親友からこの言葉を聞いていて、実際に卒業してからはお互いに都合が合わなくて、ほとんど会えなかったという事を…私は、一緒に卒業できなかったという事が親友との距離を遠ざけ、そのため孤独な寂しさが生じてしまったのだと思っていました。でも、決してそうではないんだと信じたかった…そして今年もまた同じ言葉を聞き、その言葉に希望を託してみる事にしました。

その後、家に電話がかかってきました。高校時代から今でもずっとお世話になっている先生からでした。たぶん今日が私の大学の卒業式だと知っていて、思い出して電話してくれたんだろうなぁ…だいたい夏休みと春休みに電話をかけてきてくれて、いつも体調の安否を気遣って下さいます。入院中は、二度もお見舞いに来てくれました。そして、今回もまた会ってお話をする事になりました。その先生は高校時代に、まるで父親のように勉強の事から日常生活の事まで、あらゆる事に対して親身になってくれました。誰よりも私の事を…私の人格を理解して認めてくれていました。だから今でもこうして定期的に連絡をくれて、二人の関わりは途絶える事なく続いているのです。高校時代の私は、それこそ今以上に頑張り屋で、その努力を最初から細部まで近くでずっと見守って応援してくれていた人が、その先生だったのです。そう、私が病気になって予想外の大きな挫折をしてしまった時も、決して私を見放す事はなく、今まで通り変わらず私の心の支えでいてくれました。

私が今の大学で試験地獄を毎回必死で頑張って乗り越えてきた根底には、その先生との固い約束がありました。ただ優秀な成績を修めたいから…完璧主義な性格だから…そういう意味で今まで努力してきたのではありません。先生とある約束を交わしていたから…私はそれを使命として受け止め、必死で成し遂げてきたのです。この約束を果たせば、きっと報われるだろうと信じていたから…今からちょうど5年前、私は今の大学へ入学する事を決心しました。それは、必ずしも本望の決断ではありませんでした。当時はまだ自分が病気である事を知らず、晴天の霹靂のような挫折感に強いられての結論でした。その時に初めて、世の中には努力だけでは報われない事もあるのだという事を痛感しました。そんな私に先生は言いました…「この大学のレベルなら間違いなくお前はトップになれるだろう。いや、必ずトップの成績を修めて卒業せねばならん!!」と…全くの無謀だと思いました。もうこれ以上に余計なプレッシャーをかけないで…期待を持たれたらそれに応えなくちゃと頑張ってしまうから… 当時の私はもう「頑張る」という事に疲れて絶望していました。このまま落ちるところまで落ちて行けばいい…そう投げ遣りな気持ちでいたけれど、やっぱり心の奥では納得できないという突っ掛かりがあって、常に自分を苦しめていたのです。

大学へ入学し、病状はますます悪化していき、もはや限界状態となりました。やっぱりもう頑張る事なんてできないんだ…そして、最終的には入院する事になり、病気が判明して、主治医から「これからは頑張っちゃダメよ」と忠告されました。そう、もう頑張る必要なんて全然ないんだ。私はそれを先生に伝えました。「私は病気だから、もう頑張る事は無理なのです。」と、約束の撤回を求めたのです。先生の反応は意外にも深刻で、非難されるかと思っていたら逆に賛同して、「いい、いい!!もう無理なんてするな。卒業できればそれだけで十分じゃないか。」と…私は涙があふれ出てきました。でも、それは喜びの涙ではありませんでした。本当はきっと先生に「それでも頑張れ!」と言われたかったんだと思う…なぜならば、私には頑張る事しか取り柄がないから…そして、それを誰よりもよぉく知っているのは先生自身だったから…その先生から「頑張らなくても良い」と言われた事は、何だか逆に見放されたような気持ちになってしまってショックだったのです。やっぱり結局私は頑張るしかないんだ!!そして、意地でもその使命を果たす事ができたら、きっと何か答えが見つかるはずだと信じて、「頑張る事」に徹する事を決心しました。

そして、大学の授業に関しては、2月の段階で先生との約束をほぼ果たせたと確信しています。自分なりに精一杯に頑張った事は確かだから…でも、その事を昨日の電話で先生には伝えませんでした。まだ全てが終わっていないから…でも、その第一関門を突破した事は今度会った時にお話しようと思っています。もう今年度の卒業式は終わりました。今度大学へ行ったら、果たして私の居場所はあるのだろうか…ううん、私にとってはこれからが勝負だから、何が何でも一生懸命に頑張らなくちゃいけない!!私はまだ答えを見つけ出せていないから…まだまだ突っ走らなくちゃいけない!!ゴールが見えてきた時に、その先には運命の女神が微笑んでいる事を祈りながら…




アナログ vs デジタル
2004年03月10日(水)
ずっと更新できなくてごめんなさい(≧_≦)マイパソコンがご機嫌ナナメだったのです(p_q*)まだ完全に直ってはいないんだけど、今は何とか落ち着いてくれているみたいですσ(^_^;)特別に何か難しい処置をしたわけではないので、きっとまた不調になっちゃうかもしれません(>_<)どうか私が遠出から帰って来た時には、何事もなかったかのように今まで通りのマイパソコンでいてほしいです。特に今後は大事な大事な卒論作成が控えているので、これ以上に大きなトラブルが起こらない事を心から祈っています。。(ll ̄人 ̄)

いつの間にかパソコンのある生活が当たり前になっちゃって、現代社会では機械文明なしでは通用しなくなってしまったように思えます。例えば、卒論にしてみても、パソコンがまだ普及していなかった時代では、みんな原稿用紙 60枚以上を手書きで書かなくちゃいけなかったんだけど、当時ではそれが当たり前だったので、大変だなぁというだけで何の違和感も感じる事はなかったと思います。現代では考えられない事だよね!!私だったら、卒論の内容がどうとかよりも、それらを最後までちゃんと書き切れるかどうかが不安になってしまいます。今ではきっと、そのような作業は「無駄な労力」だと言って片付けられるかもしれません。

でも、ある日そのような便利な機械類がただの鉄の塊になってしまった時に、人間は改めてその価値を実感し、再確認するのです。そこでは機能主義のみが作用しています。本当はなくても可能な事なんだろうけど、一度その便利さを体験してしまうと、「それなしではいられない」という新たなネックが芽生えてしまうのです。こうして現代社会はどんどん文明化し、進化を遂げて便利になっていっているわけですが、その基底にある人間らしい温かみのある文化的な生活に対して排他的になってはいけないと思います。常に機能主義に頼り切って機械文明に従ってばかりいると、いつか落とし穴にはまってしまった時に、そこから這い上がる力を失ってしまう事になります。

ここでふと思い浮かんだ言葉があります。それは「アナログ」と「デジタル」という対になった二つの言葉です。私がこれらの言葉を聞いて連想する実例は腕時計かなぁ…幼い頃、私は時計を読む事が苦手で「○時○分の○時間○分後は何時何分ですか??」といった算数の問題を解く事ができませんでした。それで、初めて腕時計を買ってもらえる時に、「時間が数字で書いてあるやつ(デジタル時計)がいい!!」と、お願いしたんだけど、私の両親は敢えて文字盤付きのアナログ時計をプレゼントしてくれました。確かに時計の読み方が分からなかった当時の私にとっては、デジタル時計の方が一目で時間を知る事ができて便利だったとは思うけれど、それではいつまで経っても時計を読む事ができないままになっちゃうもんね☆(+ー+*)

現代社会を例えるならば、デジタル時計の方だと思います。実際にデジタル化はあらゆる分野で目まぐるしく活躍しているよね。それはそれで画期的で文明の進歩に貢献できているとは思いますが、その一方でアナログ的な要素の存在も忘れてはなりません。デジカメが普及してきている中で、敢えてフィルムカメラを好む人もいます。デジタル化しているから有利なんだという考えは一概に言えないと思います。特に「癒やし」を求めがちな現代人にとってはアナログ的な要素も必要なのであり、両者はお互いに相補関係にあるのです。時計の話に戻ってみると、デジタル時計の場合は、パッと見た目前の数字だけによって判断するために、それは機械的なつながりになりますが、アナログ時計の場合は、動いている針によって類推的に判断するために、それは有機的なつながりになります。これらの相反する要素を使いこなしていく事が現代を生き抜くための課題だと思います。

さて、最後にこれらの問題に関わる事で、一つだけ気になったお話をして締めくくろうと思います。今年の4月からだったかなぁ…商品の表示価格が税込みになるようです。よって、 100円のアイスは105円と表示されるようになり、表示されている価格の通りに代金を支払えば良い事になります。すると、100円ショップは100円ショップじゃなくなるのかなぁ…「(゚〜゚o) 消費社会においてもデジタル的な便利さは組み込まれ、これで消費者たちは、今まで表示価格から消費税を割り出していた労力が省かれ、だいぶ楽に買い物ができるようになると思います。しかし、便利さの裏には必ず何か欠点が付き物であり、この場合、恐らく消費者たちは「消費税を払っている」という自覚を徐々に失っていく事になるでしょう。また、もしかしたら、たった5%の違いだけでも、表示価格を見て高く感じるようになり、買い物をするのに戸惑ってしまう事もあるかもしれません。最後は個々人の判断能力と価値観が大事なのかもしれませんね。




両親の恋愛話
2004年03月05日(金)
みなさんは今までにご両親の恋愛話を聞いた事がありますか?中にはお見合い結婚をされたご両親もおられるかもしれません。恋愛結婚にしてみてもお見合い結婚にしてみても、双方が愛し合った末に結婚に至ったのだと私は信じています。私は愛のない結婚には納得できないタイプなので。。(・・。)ゞ自分の両親の恋愛話なんて興味のない人も中にはたくさんいるとは思うけれど、時には両親のラブラブな夫婦愛を感じ取る事ができると、子供としても何だかほっとできるものですよ(^-^)やっぱり両親が夫婦ケンカをしたり不仲だと、家庭内も気まずくなっちゃうし、気持ち的にも悲しくなって暗い影が潜んでしまうもん(*ノ_;)もちろん恥ずかしがって表向きではオープンに夫婦愛を一切表わそうとしない夫婦も中にはいると思いますが…σ(^_^;)

私は以前にお母さんからお父さんとの結婚前の恋愛話を教えてもらった事があり、ある程度の事は知っていました。私の両親は今では決しておしどり夫婦なんて言えないほどの仲ですが、結婚は一丁前に(?)恋愛結婚、しかも静岡⇔ 東京の遠距離恋愛を乗り越えての幸せな結婚だったそうです。しかも同級生で、お父さんは静岡の田舎者、お母さんは東京のお嬢様というミスマッチなカップルで、色々と二人の間で障害は大きかったようですが、見事に愛を成就させたようです♪詳細な事はプライバシーに関わるのでお話できませんが…いいなぁ♪♪ 私も元カレとの初めての恋愛では両親と同じく遠距離恋愛で、元カレは田舎者で年の差まで一緒(同級生&相手よりも5ヶ月年上)という事もあって、両親を見習ってこの恋愛を成就させるぞ!!って張り切っていたんだけど、唯一の違いは相手の性格でした。。相手がお父さんみたいに思いやりのある男性だったら、間違いなく…って言ったら、元カレに対して失礼ですよね☆(+ー+*)

私の恋愛話は…\(・_\)置いておいて(/_・)/、再び両親の恋愛話に戻ると、今日お母さんと一緒に昼食を食べている時に、再びお父さんとの結婚前の話題になって、改めて色々と聞き入っちゃったよ(o‥o)それで、新事実を発見!!以前に聞いた話では、いかにも田舎者のお父さんが都会のお嬢様であるお母さんに一目ぼれをして、一方的に愛を貫いてアタックして結婚に至ったような雰囲気だったけど、実際にはお母さんにもお父さんに対する愛情が存在していた事が判明したのです。じゃないと好きでもない人とさすがに結婚なんて踏み切れないよねぇ(^_^;)今までずっとかかぁ天下で、お母さんはお父さんに対して我がまま言い放題でいばり散らしてきたような夫婦だったから、いつもお父さんが可哀想だとか、お父さんは選ぶ相手を間違えちゃったんだとか、お母さんはお父さんを愛していないんだとか、私は色々な事を不安に思いながら育ってきたんだけど、今日お母さんの口から聞いた話によって、本当はそうじゃなかったんだぁ (^-^)って改めて確信できて、何とも言いようのない安堵感で嬉しくなりました♪

どんな話だったかと言うと…以前の話では、二人が出会ったのは、ある日お父さんの住む町まで働きに来ていたお母さんが、そこで知り合った女性と一緒にバス停でバスを待っていたら、そこへお父さんの車がやって来て、その女性はお父さんの事を知っていて、お母さんは「○○君はいい人だから、送ってもらいなよ。」と勧められて、お父さんの車でお母さんの家まで二人でドライブ♪♪ お母さんの行為だとはとても思えないほどの出来事で、本当にビックリでした。お母さんは今では夜のタクシーには絶対に一人では乗りたくないというほど、誰よりも警戒心が強い人なのに。。σ(^_^;)ここでもすでに気があったっていう事だよね( ̄∀ ̄*)確かにお父さんは昔「郷ひろみ」に似ていたほど顔立ちも良かったし、性格もお人よしで我がままなお母さんにはピッタリだったと思うし。。

そして、以前の話では、それからお父さんの一方的なアプローチによって、お母さんは仕方なくお父さんの相手をしていただけなんだっていう感じだったけど、実は!!その話はただお母さんがお高かっただけの事で、もっと掘り下げて聞いてみると…ある日、再びお父さんの住む町の近所まで用事で出向いた時に、せっかくここまで来た事だし、ちょこっとお父さんの家にでも行ってみようかなぁって思ったらしい!!そこでもう気がある証拠だよねぇ(*'ー'*)♪そういえば私も元カレと付き合った当初は、いきなり行き当たりバッタリで元カレの家へ行こうとしたなぁ…結局勇気がなくて家には辿り着けなかったんだけど、元カレの住む町を身近に感じる事ができて嬉しかったです。瀬戸内海の潮の香りがしました。今ではしょっぱい思い出です(-_-;)でも、お母さんはそれが恋愛感情であったとは自分では分かっていなかったみたいです(^_^;)電話番号も知らなかったので電話はできなかったし、住所も知らなかったので、近くの神社にいた子供に「この辺りに○○っていう家を知らない?」と尋ねてみたみたい(>∀<)そして愛のパワー(?)で無事に到着ぅ・:*:・( ̄∀ ̄ )。・:*:・お母さん、良かったねぇ♪

以前におばあちゃんからも、お母さんが結婚前に「今日○○さんとケンカした。もう別れる!!」と泣きべそをかきながら帰ってきた後で、やっぱり寂しくて何度も電話をかけていたという話も聞いた事があって、二人とも相思相愛だったんだなぁって、感動してしまいました(*-.-*)しかもお互いに初めての恋愛だったし、それが遠距離恋愛という事で、さぞかし寂しさや辛さもいっぱいだったんだろうなぁって、今更ながらに改めて両親の愛情を実感しました。じゃないと、東京育ちで都会のお嬢様が、親元を離れて倉敷という全く見知らぬ田舎へ愛する人ただ一人だけのために付いてなんて来れないよねぇ(*ノ_;)お母さんもなかなかやるじゃん(* ̄∀ ̄)bただ、結婚後は本当に何度も離婚の危機があって大変だったけど、偽りなき愛情があれば決して壊れる仲ではないよね…って信じていました。これからも夫婦円満でありますように…( ̄人 ̄)そして、いつかは私も素敵な恋愛ができますように。。(〃∀〃)♪




色えんぴつ
2004年03月03日(水)
今日は私の必需品とも言える色えんぴつについてお話しようと思います。私が筆記用具としてシャーペンを使い始めたのは中学校の時からかなぁ…小学校の時はもちろん筆記用具は鉛筆と規定されていました。中学校に上がって、初めて筆記用具としてシャーペンの使用を認められた時には「自由」を実感しました。でも、中学時代って、やたらと校則に束縛されていて、今は何時代だぁ?!っていつも思っていました(^_^;)中学によっては、筆記用具が全て規定されている学校もあって、それには本当にビックリでした。高校に入ると、当然のように全員シャーペンを使用するようになっていました。でも、中にはこだわって鉛筆を使用していた人もいて、鉛筆だからってシャーペンよりも劣っているとか、時代遅れだとか、そういう事はないんだよねぇ(^-^)用途に応じて使い分ける事が一番だと思います。シャーペンは確かに便利だけどね。。

私はよく筆記用具の一部として色えんぴつを使用します。別にこの年にもなって「ぬりえ」をして楽しんでいるわけではないよぉ(≧_≦)それに、絵画を描くという高尚な趣味もありません。あ、でも「ぬりえ」は昔から大好きでした♪幼稚園ではクレパス、小学校ではクーピーだったなぁ( ̄ー ̄*)初めてお留守番をした時のご褒美は「ぬりえ」だったよ♪ところで、私は物心が付くまでは絵が上手な方でした。一番の思い出は、小学1年生の時にニワトリの絵を描いて金賞を受賞し、近所のケンタッキーのお店に展示された事かなぁ(^-^)でも、だんだん今の恥ずかしがり屋な性格になっていって、一枚の画用紙に堂々と大きく自由に描くという事ができなくなっていきました。きっとその辺りから内向的な性格になっていっちゃったんだろうなぁ…

私が初めて色えんぴつを手にしたのは小学5年生の時でした。当時お道具箱にはクーピーが入っている状態が普通だったけど、私にはなぜか色えんぴつに対する憧れがあって、お母さんにおねだりをしてピーターラビットの色えんぴつセットをプレゼントしてもらいました。お母さんの趣味だったので、小学生にしては少し大人っぽい柄の色えんぴつセットでした。もちろんクラスの中では色えんぴつを持っている人なんて私だけで、いつも「貸して♪」と頼まれていました。小学生の頃って、他の人が持っていない物を持ちたがるよね。特に珍しい物好きな私は、香り付きプリントティッシュとか、変わった形をした消しゴムとか、可愛いメモ帳とか、お店で見つけてはすぐに欲しがっていました。そして、なぜか友達に分けてあげていたよ(^_^;)昔からプレゼント好きだったんだなぁ。。

当時の色えんぴつセットは今でもちゃんと残っています。でも、中には友達に貸したまま紛失しちゃった色もあれば、ピンク色などよく使用する色はもう握れないほど短くなっちゃったりして、そろそろ限界かなぁと思い、大学1年生の春に新しく買い替えました。しかも100円ショップで。。(^_^;)色えんぴつセットって、けっこう高いんだもん(>_<)色えんぴつなら何でもいいやぁと思い、100円ショップで12色の色えんぴつセットを見つけたので、お買い得だと思って買ったんだけど、やっぱり安いだけあって質が悪かったです(>_<)芯がプラスチックのように硬くて、書き心地もまるでロウみたいでした。でも、何とか色が付けばいいんだぁと思い、それでも半分以上短くなるまで今までずっと使用し続けてきました。

それでは、色えんぴつを何に使用するのかと言うと、一言で言うと「色分け」です。私にとって色えんぴつは、試験勉強やレポート作成には欠かせない重要なアイテムでした。例えばレポート作成において、書きたいテーマについてのメモを頭に思い浮かんだ順にざっと書いていって、一通り書き終えたと思ったらそのメモの内容を整理します。その時に色えんぴつが大活躍するのです☆ つまり、同じ主題だと思われる内容には同じ色で囲うのです。例えば「愛」に関する主題の内容には赤色、「正義」に関する主題の内容には青色で囲って色分けをしていき、それ以外の内容には新たな主題と色を設定していきます。そして、最後に同じ色同士の内容を集めて、各色の構成を考え、それぞれの内容をもっと詳細に推敲して文章に表していきます。このように、個々の主題を色で置き換える事によって文章をまとめやすくするという方法は、単純なようでとても役に立つのです(*^_^*)♪

私は今までずっとこの方法で勉強してきました。けっこう根気のいる細かい作業なんだけど、私はこういう仕分け作業が大好きなんです(^-^)♪もちろん、頭の中でこれらの作業を全てできるに越した事はないんだけど、私の頭は回転が鈍いからなぁ…(ーー;)もちろん、色分けができれば別に色えんぴつじゃなくてもいいんだけど、私にとっては色えんぴつが最も使い慣れているようです。ペンやマーカーのような液体カラーだと、間違えて引いちゃった場合に厄介だし、色がハッキリ出るので「適当に」引く事ができないんだよね。。一方、色えんぴつは色が薄くて気楽にさらっと引けるから、少々間違えて引いちゃっても大丈夫っていう安心感があります(^_^)それに、お絵描きをしているような気分になれるのだぁ♪よく高校時代でも、色ペン代わりに色えんぴつでノートを可愛く彩っている人がいて、色えんぴつブームまで巻き起こったくらいです。

今では色々な種類の色えんぴつがあるよね☆お父さんが数年前に水彩色えんぴつを買ってきて、年賀状のワンポイントなどに工夫を凝らしていたけど、3日坊主でした(^_^;)今では私のお部屋に転がっているよ。とても高価な品だったみたいなのに。。どんなアイテムでも上手に使いこなす事はなかなか難しいもんね(--)そのケースに描かれていた見本はきっと芸術家が描いたんだよ**それと、最近ではお仕事に使うという事で、消しゴムで「消える色えんぴつ」を買ったようです。そういえば、たいていの色えんぴつって消しゴムでは消せないよね??でも、その色えんぴつはちゃんと消せるのです!!1本150円もするけど。。こうして色えんぴつもどんどん進化していっているんだなぁって、改めて実感しました。

そして今、卒論の作成に取り掛かかり始めるに当たって、100円ショップで買った色えんぴつではやる気も出ないなぁと思い、お父さんにおニューの色えんぴつを買って来てもらう事にしました。一番安いのでいいよって言ったんだけど、こだわりの強いお父さんが平凡な色えんぴつを選んで買って来るはずがありません。お父さんが選んだ色えんぴつは、芯が緻密で硬質な「グラフ用鉛筆」でした。何やら細くてくっきりした線が引けるらしいよ!!確かに芯がいくら減っても線の細さは変わらず、色塗りというよりも線引きに適した色えんぴつでした。これなら卒論も頑張れそうだぁ♪♪(謎)でも、色えんぴつの出番はまだまだ先のようだよぅ(T_T)とにかく今は参考文献の数をたくさんこなして、テーマをはっきりさせなくちゃ!!頑張ります(* ̄_ ̄)9″




「○○の親戚」
2004年03月01日(月)
よく親戚の人たちの名前を呼ぶのに、その親戚の人たちが在住している地名を付けて呼ぶ事が多いですよね。○○のおばあちゃんとか○○のおじちゃんとか…○○には都道府県名が入ったり、もっと細かく区市町村名が入ったりと、身内との会話において、誰の事を指しているのか識別しやすいような呼び方になっていると思います。身内以外の他人と話す時は、大まかに都道府県名を使用する場合が多いかもしれません。具体的な地名を言っても相手に伝わらない場合があるもんね。

同じ区市町村内の近所に住んでいる人たちの呼び方はよく分かりませんが、私の場合は親戚がみんな遠くに住んでいるので、地名を付けて呼んでいます。きっと私の家族も親戚の人たちから「倉敷の○○」と呼ばれているんだろうなぁ …でも、「岡山の○○」と呼ばれるよりかはいいかなぁ…相変わらず自分が生まれ育った故郷には愛着のない私(^_^;)たまにお母さんが親戚の家へ電話をして「倉敷ですぅ」って挨拶をしているのを耳にして、何だか変だと思っちゃうよぅ(>_<)相手にとっては「倉敷の○○」という呼び名が定着しているから「倉敷」と言えば最も手っ取り早く相手に分かってもらえるのだという事は分かるんだけど…でも私は「倉敷」なんて名前じゃないぞ(ーー;)それは地名なの。。

そこで、今日はこの「呼び方」に対して私がつい最近までずっと犯し続けていてすっかり習慣となってしまっていたバカみたいな誤解についてお話しようと思います。私の親戚、つまり私の両親の実家は、以前にもお話したように静岡と千葉にあります。そして、いつも身内ではそれぞれ町名と市名を名前に付け加えて呼んでいます。それには全然問題はなく、一目瞭然で相手を特定できて会話が円滑に成り立っています。でも、問題なのは友達などの他人との会話です。私には静岡と千葉に親戚がいて、いつも春休みと夏休みにはそこへ遊びに行っているという事は友達全員が知っている事なのですが、そこでの呼び方に問題があったのだという事につい5年前ようやく気づいたのです。

私は今だからこそ、こうして普通に「静岡の親戚」or「千葉の親戚」と呼んでいますが、大学へ入学するまでは「静岡の親戚」or「東京の親戚」と呼んでいたのです。静岡の親戚の方は明らかに静岡県という自覚があったのですが、千葉の親戚の方は大学へ入学するまでずっと東京都だと信じ込んでいたのです。年賀状などのお手紙では住所にちゃんと「千葉県○○市…」と書いていたんだけど、その県名に少しも疑問を抱かなかったようですねぇσ(^_^;)バカでした。。私は 19歳までずっと友達に「東京の親戚の家へ遊びに行ってくるね♪」と言って、普通に東京で買ったお土産を渡していたのです(>_<)それまで無意識にウソを付いていただなんて…―( ̄∇ ̄;)→

「千葉」のおばあちゃんの家は江戸川を挟んですぐの千葉寄りにあります。だから、新幹線で岡山駅から東京駅まで行って、東京駅から電車で約40分くらいかなぁ…新幹線に乗って「東京」へ行くというイメージがとても強かったために、ずっとおばあちゃんの家は東京都にあるのだと信じていたのです(>_<)ほぼ首都圏とも言えるし、都会的なマンションに住んでいるから、私のおばあちゃんは東京という都会に住んでいるんだぁ♪と、小さい頃からずっと思い込んでいたのです。実際に転勤族だったために、お母さんは結婚する前は東京都内を転々としていて、最後に今のマンションで落ち着いたみたいです。でも、それが千葉県だったなんて…**もちろん「千葉」のおばあちゃんの家へ行って、遊び&ショッピングに行く場所と言ったら東京ばかりだし…でも、最近ではどうせなら千葉の自然にも触れてみたいなぁっていう気持ちにもなってきました(*^_^*) 房総とか。。

でも、おばあちゃんにも意地があるようで、おばあちゃんの兄弟・姉妹や姪・甥やおじさん・おばさんからは「千葉の○○」と呼ばれたくないみたいで、今だに「東京の○○」と呼ばれているみたいです(^_^;)おばあちゃんは70歳まで神田でバリバリに働いていて、実年齢よりも10歳くらい若く見え、見かけもオシャレでとても元気なおばあちゃんなので、田舎のおばあさんと思われたくないみたい。友達と丸ビルへ行ったりお台場の温泉へ入りに行くような人だもん。実際に、東京での生活も長かったから「千葉の○○」と呼ばれるよりも「東京の○○」と呼ばれる方がしっくりくるみたいですねぇσ(^_^;)単なる呼び方の問題だけなのに、色々と難しいものだなぁ;;;;(;・・)ゞ

それでは、「東京の親戚」から「千葉の親戚」へと改名(?)したきっかけは何かと言うと…本当に恥ずかしい出来事なんです(≧_≦)いかに私が長年バカな思い違いをしていたのか…反省です\(_ _ ;)それは中学時代のある夏休みの事… 当時は年賀状だけではなく、友達や先生方に暑中お見舞いのハガキもきちんと出していました。それで、その年は「東京」の親戚の家で書いて出してみようと思ったのです。切手の捺印に「東京」と押されたらカッコイイだろうなぁと想像しながら、おばあちゃんの家の最寄りの駅前ポストへ投函しました。翌日に友達に電話をしてちゃんと届いたかどうか尋ねてみました。そして、わくわくしながらどんな捺印だったのかを聞いてみると…「えっとぉ…○○?」という返事が返ってきました。( ̄◇ ̄*)エェッ!?○○とは、おばあちゃんの家の市名でした。一瞬頭が混乱しちゃいました(>_<)でも、これでもまだ気が付かなかった所がすごいです。。

それで、大学1年の夏休みの決定的な出来事によってようやく明らかになったのです。私はお留守番を任されていて、家の中で退屈していました。当時の彼氏にでも電話してみようかなぁと思い、遊び心で携帯からではなくおばあちゃんの家の電話でかけてみる事にしました。元カレの家の電話はナンバーディスプレイなので、きっと東京の市外局番「03−」が表示されるんだろうなぁとわくわくしていました。「…もしもし?」と不思議そうに元カレが出て「私だよ♪ビックリした??」と会話をしていたら、「え?でも今は東京にいるんだよね?番号が『03-』じゃなかったよ。」と言われてハッとしました。「え?なんで?!ここは東京だよ??」混乱しながら色々と考えた末に…「あ、でも、千葉かも…」と、ようやく気が付いたのです(>_<)そして、今まで堂々と「東京の親戚」と言ってきた事が急に恥ずかしくなってしまって、それからはちゃんと「千葉の親戚」と呼ぶ事にしようと決心しました。我ながら本当にあきれちゃう過去の過ちでした(^_^;)ゞ

さて、その静岡&千葉への出発まであと2週間となりました。夏休みの場合は、春休みからちょうど5ヵ月後となるのですが、春休みの場合は、夏休みから7ヵ月後になるので、とても久し振りで懐かしいような感じがします(*^_^*) 楽しみだなぁ♪♪




m a i l



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