**Secret**..miho
抗体値
2003年10月14日(火)
「この病気の場合、抗体値は単なる指標で、そんなに当てにできるような値ではありません。」

入院中、週に一度の総回診で、主任部長から何度こう言われた事だろうか。私はその言葉を信じていた。心からそうであるように願っていたから…。できれば、抗体という存在を私の中から全て消し去ってしまいたかった。うっとおしいから…邪魔だから…いつまでも私に付きまとって欲しくなかったから…。私にとって抗体とはそういう存在であった。そもそも私の病気自体が自己免疫疾患の一種で、自分で自分を傷つける病気とされているように、自らに悪さをする抗体を勝手に作り出してしまうのだ。従って、抗体は私にとって最大の敵である。そして、その抗体を作り出している根源、つまり私の身体はもっと憎むべき対象である。

「あなたの病気は本当に厄介です。」

入院中、そして現在もずっと主治医から言われ続けている言葉…逆に言うと、私の病気に対してはそれしか言いようのないような、または、今では言い逃れの言葉と化しつつある。その裏には、「あなたの病気には対処の仕様がない。」という言葉が隠されているのである。私は、いくら自分の病気が‘厄介である’と言われようが、今ではもう動じなくなっている。むしろ、‘また言っているよ’と、冷めた心持ちである。いくら驚いてみても、嘆いてみても、助けを求めてみても、結果は一つ…私の病気は誰にもどうする事もできないのである。あえいでみるだけ無駄なのである。この態度や考え方が正しい事なのかどうかは、もはや考えるに値しない。一種の学習によるものなのか、もう生理的に身に付いてしまったのである。

私の病気が厄介な原因は、やはり抗体値である。上述のように、抗体値は、存在してもしなくても、高くても低くても、それは個々人の病状の指標となるだけであり、症状と照らし合わせてみて初めて有効な結果となる。私の現在の抗体値は580である。この数値は決して低くはなく、恐らく誰もが驚くほどに異常に高い数値である。私が今までに関わってきた医師たちも、私の抗体値には目を丸くしていた。私は自分自身の抗体値の高さを自覚しているが、先にも述べた主任部長の言葉を信じているので、抗体値の高さ自体はさほど問題にはしていない。抗体値が高ければそれに比例して病状も重症であるとは限らないからだ。実際に私の症例がそうである。もしも比例するのならば、今の私の状態はとうてい語れないであろう。恐らく最重症度の寝たきり状態になっていたかもしれない…。その点は、感謝すべき事なのかもしれない。

いや、私の病気の厄介な点は、そこにあるのだ。主治医がなぜいつも厄介とばかり言うのか、厄介としか言えないのか…それは、私の抗体が大量に私の身体の中で潜在的に存在しているからなのである。つまり、その潜在性が非常に厄介な状態を生んでいるのである。例えば、もしも内在的に存在している抗体が悪さをして、それが全て症状に反映されたのであれば、その症状を何とか治療すればいいだけの問題である。現にその対処法はいくつか存在するのだ。もちろんその症状の全てを抑え切る事は、難病ながらに不可能ではあるが、治療のしがいは出てくるものである。しかし、私の場合は、病原体の抗体が内に秘めたまま表に出て来ないがために、手の打ちようがないのだ。抗体が大量に存在しているという事は検査結果によって明らかであるのに、それをどうする事もできないのである。だから、厄介なのだ。

抗体値が身体の中で大量に存在していても、それが実際に悪さをしないのであれば、気にする事ではないじゃないか。そう思えば、全然大した問題ではない事になる。万が一、主治医が抗体値の検査結果を私に告知しなければ、私はこんなにも抗体を意識して憎まなくても済むのに…。昨年まではそれで良かったかもしれない。というのが、今ではまさに抗体値が許容範囲を越えてきているのである。昨年までは、せいぜい200代が普通で、たまに試験のストレスで400代に上がってはいたけれど、そのストレスが解消されたらすぐにまた200代に戻っていた。しかし、今ではそうはいかない。一度急激に上がって以来、一向に下がる気配はなく、500代をさまよっている。現在では、それがまた少しずつ上がってきている状態である。500代は入院して手術をする前の値である。もちろん、退院後では最悪の数値だ。

許容範囲を越えると、次第に全身がその状態に付いていけなくなっていくのが分かる。抗体によって、どんどん身体の自由が奪われていく…全身に重くのしかかってくるような、そんな威圧感に襲われる…しかも、その症状は決して治療の及ばないもので、ひたすら耐え抜くしかないのである。自分の病気と上手に付き合っていくしかない…分かり切っている事だけど、これほど辛い事はない。今までは抗体の存在も忘れる事ができるほどの余裕があったけれど、今では全身の怠さによって、いやおうなく思い知らされてしまう。実際に全身で抗体の存在を感じ取る事ができるような、そんなところまで来てしまったかのように…

主治医が外来の診察で言う。「トイレで立ち上がったりできない時、ある??」「食べ物が飲み込めない時、ある??」「息苦しくなったりする時、ある??」これらはただの質問なんだけど、私にとっては脅迫や警告のように聞こえてしまうのだ。‘いつかはそうなるかもしれないから、気を付けて!!’と…。私はそのたびに恐怖心に駆られる。それは全て、潜在的に存在する抗体のせいだ。冗談にならないほど高い抗体値だから、私の頭の中には常に抗体の存在が付きまとうようになってしまった。何をするにも怠くて、そのたびに抗体の存在を憎んでしまう。目に見えない病魔との闘いは、これからもずっと続いていきそうだ。でも、決して負けたくない!!いつかは、私の中から抗体を全て追い払って、新たな自分と出会うんだ。それまでは、絶対に弱音を吐かないで頑張ろう!!




卒論&卒業
2003年10月04日(土)
私は、2000年8月31日・大学二年生の夏休みに入院し、翌年2001年9月1日・大学三年生の夏休みに退院しました。そして現在は、実質大学五年生の夏休みを終え、今週から後期の授業に入りました。大学二年生の前期の授業は全て通年の必修・専攻科目であり、その後期は入院のために休学をしていたので、大学二年生の授業は、前期の試験で病気と闘いながらも良い成績を修めたにも関わらず、全て再履修となりました。その挫折感を乗り越えて、大学三年生の後期から大学へ復学をしたけれど、後期からの途中復学だったので、通年の必修・専攻科目を受ける事ができず、選択科目だけを履修しました。退院してからたった1ヵ月後の授業再開だったので、いきなり必修・専攻科目を受けるのはハードだろうと思い、ちょうど選択科目でぼちぼち頑張って大学生活のペースを取り戻していくには良かったと思います。

大学四年生になり、ようやく入院前の大学二年生の必修・専攻科目の授業を受けるための機会を得ました。丸二年間のブランクを抱えて、二つ年下の学生たちと一緒に授業を受けました。大学二年度の前期の授業は再履修だったので、授業を受けていくうちに「そういえば二年前にそんな内容を習ったなぁ。」と懐かしく思い出す事ばかりでした。時間は余分にかかったけれど、一種の復習のようなものだったので、二度目の前期試験も確実に点を取る事ができました。そのうち一科目は満点でした。二年前はいい点数を取れたのに、二回目はダメだったなぁだなんて先生に思われたくなかったので、必死に頑張りました。大学二年度の後期の授業内容も、実は入院中に独学をしていたので、直接は先生に教わっていなくても、入院中にベッドの上で一人で頑張って予習をした内容とだいたい重なっていたので、そんなに難なく授業を受ける事ができ、後期試験も満足のいく点数を取る事ができ、大学四年生にして、大学二年度の必修・専攻科目を全て優で単位取得できました。

そして現在、私は大学五年生です。友達はみんな無事に今年卒業をしました。私は相変わらず二つ年下の学生たちに混じって、大学三・四年度の授業を履修しています。休学していた一年間を除くと、今年の大学五年生の一年間でちょうど丸四年間の大学生活を送る事になります。すると、大学四年目というのは、本来ならば順調にいけば、(留学などを除くと)必要最低限の授業は全て履修し終えていて、あとは就職活動と卒業論文の作成だけとなるはずです。それで時間が余っていれば自由に好きな授業を受けるというのが理想的だと思います。でも私の場合は、今年で大学四年目といっても、大学二年生の前期と大学三年生の後期が中途半端になってしまったために、大学生活四年目でも、大学三・四年度の必修・専攻科目の授業を受けなくてはなりません。

そして、問題の卒論&卒業は…一体いつできるのであろうか…。大学生活四年間できっかり終了させたいのであれば、現在から授業と並行して卒論の作成も行い、来年の三月で卒業をするのが理想的かもしれません。しかし…今年になって色々な出来事やストレスが重なり、去年までは順調だった病状も今年になって悪化し出し、抗体値もここ数ヶ月間、退院以来最悪の結果が出ています。もしもここで無理をして頑張り、来年の三月に卒業できたとしても、卒業後にその無理がたたって病状が悪化してしまったら元も子もないし、授業と卒論の二兎を追って一兎も得ずだったら、もう本当に遣り切れなくなってしまうので、病状が不安定な現在は、おとなしく今できる限りの事だけ、つまり授業を精一杯に頑張ろうと思い、今年は卒論を本格的に作成する事を断念しました。心に余裕がない事も一つの理由です。同級生の友達のみならず、一つ年下の学生たちにも卒業を追い越されてしまうのはとても辛いです。今後もまた取り残されたような孤独感を味わって生きていかなくちゃいけない…

これは私だけではなく、私の家族や友達やゼミの先生と共に決断した事です。一体この判断で正解だったのか…いまだに不安になる時があります。卒業が遅れている分、頑張ってできるだけ早く卒業をしたいというのが本望なんだけど、やっぱり病気を抱えているから無理だけは避けたいという気持ちもあるので、ゆっくり焦らずマイペースで頑張っていこうと決心しました。何よりも自分の体、自分自身が大事である事には変わりがありません。他人は他人、私は私…一度、敷かれたレールから逸脱してしまったからには、もう二度とそのレールには戻れないし、戻る必要もないと思います。これからは、私だけのオリジナルの道を歩んでいこう…人それぞれに異なっているから、世の中には様々な人生があるのだ(*'ー'*)♪私も自分だけの人生をしっかりと頑張って築いていかなくちゃ☆辛い事も苦しい事も全て乗り越えて、本当の幸せを掴むために…




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