頭の出来が普通のやつが、超エリート学校を卒業する事ほど悲惨なものはないかもしれない。その学歴が一生付きまとい、何をしても期待され注目される。そのプレッシャーに耐えられるやつだけが本物のエリートなのだろう。
今日は中絶に立ち会った。まだ不完全な人間の形をした物体が股間から娩出された。彼にも彼なりの人格があるに違いないのに、その存在は彼の預り知らないところで無とされる。「なんということでしょう」と、加藤みどりのナレーションが鳴り響いた訳ではないが、理不尽さを感じざるを得ない。宅間守氏が感じた以上の理不尽さだとてめえは思った。
大学時代が懐かしくてしょうがない。頭のいいやつらに普通に囲まれていると言う幸せを、今噛み締めている。
奴らは元気にやっているかなあ。みんな大きくなれよー。
どーでもいいが、アメリカナイズされたてめえの病院では、手術の時には「メス」ではなく「ナイフ」であり、産婦人科も「ギネ」ではなく「オービー」である。というわけで、昨日から始まった産婦人科の話。
をしようかと思ったが、やっぱやめる。
「忙しいが充実した日々を送っている」などとぬかす研修医は嘘をついている。少なくとも自分に対して。それとも、よっぽど恵まれた環境にいるのか大バカなのかマゾかどれかだ。きっとマゾなんだろう。しかもきっと、大事な事に目を瞑り続けているとしか思えない。
そうか、やつらは単に鈍感なだけなのかも知れん。てめえにははっきり言って耐えられない日々が続く。この職業を続けていけるのか全く自信がなくなってきた。
恵まれた環境。素晴らしい指導医。研修医に対して寛容な地域性。求められる事は与えられ、研修医としての環境としてはありえないほど幸せなはず。だが、それ以上に現場は過酷である。
今日は子宮内死亡した胎児を取り上げた。初めて経験するお産が死産。胎児は死んでいると分かっているのに陣痛に苦しむ母。生まれた直後、母は「赤ちゃんに会わせて!」と叫んだ。胎便に塗れた赤ちゃんを抱かせた。母親は、何時までもいとおしそうに泣かない赤ちゃんの頭を撫でていた。
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