メモが落ちてる? なんてこった。
メールが再開した。今日は溜まっているメールに対する返事を書かなければ、と思っていたのだが、意味不明に疲れているみたいでまったく気力が湧かない。メモのほうも、半ば意地になって更新を続けてきたが、もはや限界らしい。自分の日記を楽しみにされている方には本当に申し訳ないと思う。
「日記を楽しみにされている方」というのは、昔はあまり意識していなかったのだが、一時期日記を書かずに読む方専門になっていたときに、一部の日記が更新していないことをそれまでより強くさみしく感じたことがあった。自分が読むばっかりで、ねえ。誰かもし一人でも自分と同じように思う人がいるのならば、なんか駄文でもいいから(というか、ほとんどはただの駄文だ)書いておこう、と思った。
それ(意地でも書くこと)に疲れたわけではないし、誰か個人のせいでもない。ただ自分でもわけがわからないほどに疲れてしまった。人間というものに疲れてしまったのかもしれない。
自分は「公」と「私」ではまったく違う自分が存在していると思う。「公」の自分は、自分で言うのもなんだが異様に頭の回転が速く、ユーモアもそれなりにあって気が付くとみんなの中心的存在になっていることが多い。仕事はたいていのことはこなせるし、それは事務でも肉体労働でも同じだ。そして状況などを自分の有利なほうに持っていくこともきちんと、ただし無意識のうちに計算している。
「私」ではまったく違う。みんな大なり小なりそういう傾向はあるのだろうが、自分はほんまに極端だ。人に会うことを極端に避け、何も考えずに発言し、ただ呆けたように酒浸りだ。人間が怖い。一部の人間を除いて。たちまち鬱状態になってしまう。書きながらも反吐が出そうなくらいクソな人間だ。
自分はその両方のバランスをとりながら、何とか生きている。崩れるとおしまい。
少し前に、自分によく似ている人間に出会った。先方は似ているだなんて言われたくないだろうが、本当によく似ていた。本当はぜんぜん似ていなかったのかもしれない。よくわからない。
「鬱病」の特徴は、「病識がない」(自分は病気だとは夢にも思っていない)、「鬱になる原因がない」、「朝に増悪する」、「眠れないし、寝てもすぐに目がさめる」とかそんな感じだったと思う。だとすれば、自分は鬱病ではないみたい。ちなみに、鬱病に対する「禁忌」は、「励ますこと」だそうで、自殺企図を強めるらしい。引越しや昇進を気に発症する場合が多いらしい。
とにかく、疲れた。しばらくはネットに繋げない日々に突入するので、ちょうどいい機会かもしれない。そんなことはない。ネットとは、きっと無関係な「疲れ」に違いない。
窓の外には、まだ明かりが点いている研究室が見える。みんな徹夜で研究に没頭しているのだろう。自転車に乗って家まで帰る気力
昨日は日本酒を飲んだら眠れなくなって、古いビデオを明け方近くまで見ていた。朝起きたらいつもの部屋があった。あまり眠っていないのに頭は妙に冴えていた。春になってからまったく呆けている。
別に誰のせいでもなく、誰の力も届かないわけではない。なければもっとひどくなっているに違いない。いろんな人の支えがあって、自分はここにいることくらいは自覚している。まったく恥ずかしい人間だ。
今日はとある方の日記を読んで、思わず涙が出そうになってしまった(というか、読んでいる場所柄こらえざるを得ないのだが)。自分にとっては相当珍しいことで、こないだの「友人の母のガン」の一件と同じく「どーでもよくない話」だと思った。
自分は何で日記を書くのだろう。と思うと「ストレス発散」以外の何者でもなく、ひたすら日記を書き残すことで精神安定を図っている。ということは、もっぱら(というか、全部がそうだとは自分でもよう言わんが)どーでもいいことばっかり書いている、ということになってしまう。
なんとなくどーでもよくない話をしてしまう。
昔付き合っていた女性に、付き合っていた当時「あなたはいつもてきとーなことしか言わない」「本当のことは何一つ言わない」という、痛烈な批判を頂いた事がある。そんなことは今まで言われたことはなく、かつ自分でもそんなことはまったく思っていなかったのでこれはかなりの衝撃を受けた。
そんなことはない、とそのときは反論したのだが、それからよく思い返すと、確かにそうだったかもしれないと思うようになった。その女性からはそれからのことあるごとに「ほら、またてきとーなことを言っている」と批判された。その批判は今でも結構心の奥底に引っかかっていたりするのだが。
何が書きたかったのか、書いているうちにわからなくなってきてしまった。彼女が指摘した「てきとーなこと」と、今自分が使っている「どーでもいいこと」は、本質的にまったく違うものではあるが、なんとなくふと思い出したので書いてみた。
自分の父親は、自分に「こういう人間になってほしい」という理想をある程度持っていたとは思うし、時にはそれを押し付けようともしてきたが、自分は父のそういう部分は好きではなかったので父親と距離をおくようになったのかもしれない。ちなみに母はまったくの放任主義者だった。が、父は「基本的には子供は生きてくれているだけでいい」と思っていたと思う。それはたぶんに祖父への反動だろう。
日本人ではない祖父は、戦後そのことで相当辛酸を舐めたらしく、一人息子の父には祖父の理想以外の道には進ませない、という気持ちで溢れていたそうだ。父はそのことに反発して、結局は家を飛び出して好きなことをしだすのだが、彼の父としての態度はそれゆえに中途半端になったに違いない、と思う。つまり祖父の意識を無意識に受け継いでいる部分と、自分の子供にはそういう気持ちを味合わせたくない、という部分が。そんな中途半端な父を見てきた自分は、自分の子供は生きてくれているだけで十分だ、と思う。
すべての親がそう思っているだろう、という期待ももちろんある。ことあるごとに必要以上にそれを主張してしまうのは、親子二代の葛藤を見てきたからだと今ふと思った。
まとまらないが今日はこの辺で。
だいぶと前のことになるが、ぱったりと姿を見せなくなっていた友人S氏がへこんでいた理由が、実は母上が末期のガンだと診断されたからだ、という話を聞いて自分までつられてへこんでしまった。そうりゃあそうだ。無力である自分、というものを、嫌でも見せ付けられたのだから。いったい今まで自分は何を勉強してきたのか、と。
一部削除。
I've been feeling malaise, headache, and palpitation. Mmmmmmm... Yeah, as palpitation is too severe for me, and I got... Something breaking me, and something can give me some relief as everybody do so. How long, how long must I have this feeling?
Fuck myself.
自分のダメさ加減にもううんざり。同じところをぐるぐると回り続けて、勝手にブルーになってすべてを排除したくなってしまう。前もこんな感じで日記の更新を止めてしまったが、今はほとんど気力だけやな。アフォや。
思っていることを、たとえその一部だけでも書ける人はすごいと思う。自分は絶対無理。なので自己嫌悪な日記しかかけないのでしょう。精神安定にもなるけど、不安定にもなるね。
くそっ。でもここに書いてすっきりした。便所かここは。
勉強が前に進まん。マシーンのようになれたらいいなあ、とふと思う時があるが、そんな風になっちゃったら自分が自分でなくなってしまうわな。なんでもいいや。
2002年03月02日(土) |
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