ドラマ!ドラマ!ドラマ!
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2001年12月31日(月) えっ!?

しまったしまった島倉千代子

(^_^;

う、一年のしめくくりの書き出しが何故にお千代サン…
勝手に好き好きドラマAWARDSを押し詰まる年の瀬に、勝手にお送りするはずが、えらいこっちゃ!です。2002になってしまふ…

やだねったら やだね♪
やっぱりね そうだろね♪
氷川きよしはセーラームーンみたいやしっ

審査員に早希さんがいるし(>_<)キャッ
好き好きランキング3位に落とした世界の室伏がいるし(*_*);

って、紅白見てますか?
PCジャックなくてつなげないなんて計算外!

来年、よろしくっ(^_^)v

Jフレンズでカウントダウンよ!

もっちん@携帯


2001年12月27日(木) もうすぐ2001も終っちゃうねぇ。〜締めは恋文?〜

 おぉ。10日以上も更新してない!そりゃ、世の中、クリスマスとかクリスマスとかクリスマスとか、色々行事もありますからみなさんもお忙しかったでしょう。さぞかし、もっちゃんも忙しかったんだろうとお思いの、文章の流れ・・・。そりゃ、私にも『天才脚本家』以降、京都の顔見世・昼の部とか夜の部とかドラマの最終回ラッシュとか、忙しかったです。君にクリスマスはないんかい!と、自分につっこみたくなるうような12月でしたなぁ。はい・・・。(また、落語口調になってますな)

 今年はクリスマス気分にはちょっと不足が・・・。だつて、だつてえ。マイ好例の『さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマス』見逃したんですもの。なんかすっごいダメ!盛り上がらない。ずっと見てるのに。ゴロちゃんいないけど、どんな風に進むかなって楽しみにしてたのに。クリスマスは、パーティがあろうとなかろうと、これがなくっちゃダメなんです。テレビ欄からなくなったのなら一介のテレビ好きの私ごとき、何を言おうがいたしかたないと、ちょっと泣きが入りながらも諦めるしかないです。でも、私が忘れるなんて、私が私を許せません。お馬鹿だわ。見忘れるのもお馬鹿だけれど、それをここで語ってるのもお馬鹿だわ。わかってるけど、クリスマスの飾りとかの一部のようなものなんだもの、気分的に。はぁ〜。

 そして、『天才脚本家』で恋に陥った関秀人さん。24日にちょっとしたお芝居がありまして、それにゲストで出るという。24日、言うたら世の中、イブですがな。お、丁度ええやないの?自分にクリスマス・プレゼントっていう感じ?みたいなぁ。・・・そんなノリだったざんすけど、逢えなかった。(行けなかった、と素直に書かない)きっと君は来ない、じゃなくて、きっとそこにいるのに逢いに行けなかった。くぅぅ。悔しい。口惜しい。はぁ〜。クリスマス・ムード盛り下がるわ〜、でしょ?(しかも、ビデオの予約申し込み日、間違えてて予約できてないときたもんだ)

 そんな日々でした。はは、どんな日々やっちゅーねん。はは。

 あ、なんだか、回路が、昔からおかしいけど、更におかしい。軌道修正!なんだかねぇ。もう2001も終わりだっていうのに、何、書いてるんだかねぇ。のん気だね。

 で、のん気ついでに『2001、もっちゃんの勝手に好き好きドラマAWORDS』でも年末に発表しようかな、なんて予告です。これ本題だったのに、愚痴ってますね。申し訳ない。2001、もっちゃんが見たドラマやお芝居などから、様々な賞を、勝手にこしらえて勝手に発表するという、もう、M-1グランプリなどとは破格に違う電気・通信費しか使わない賞です。もちろん、ここで賞をとったからといって、ご本人、作品関係者にお知らせなどできるわけもなく、更に、トロフィーとか賞状とか賞金なんて滅相もない。まさに、勝手に好き好き発表するのです。はい。
 もっちゃんを1年間楽しませてくださったドラマ人たちへの恋文、総まとめです。それにしてもM-1グランプリ、中川家で良かったわぁ。もう、2人の涙(兄・剛は一瞬で立ち直ったけど、弟・レイレイは目が真っ赤)には、うるうるでした。

 もっちゃんの○○ベスト3とか、そういうの知りたかったらお手紙頂戴。それ、賞にして発表します。って、お手紙ってどこに送るの?ここ、ここ、今、画面の下に映ってますから。映ってへんちゅーの!・・・初歩的やね、べたやね。ほんますんません。そう、「ほんますんません!」のあの人もランクインか?!

 「何、ごちゃごちゃごちゃごちゃ言うとんねん!眠たいんかぁっ!」松本人志さん風に怒られそうなんで、言い訳を一つ。実は酔ってます。
 本日、もっちゃん2001のラストをしめくくるにふさわしい『LOVE LETTERS』を観てきました。佐々木蔵之介と中嶋朋子の朗読劇。幼なじみの2人の往復書簡だけでやり取りされる50年の、そう、まさにお手紙朗読劇!ちょっとこれはどうなん?と、入り込んでしまうお話しに、アーンド蔵さま!蔵さまのアンディーに酔ってます。
 「ありがとう、アンディー」
くーーーーーーーーっ。アリーと違って、「先に結婚して先に子供産んで先に死んで」しまったメリッサの天からの最後の手紙。天からの最後の手紙じゃなくていいの。だって、まだまだ死にたくないから。だけど、言いたいねぇ。「ありがとう・・・」伝えたいねぇ。くーーーーーーーーーーっ。泣かせるねぇ。(マイ・アンディーはいずこに?え?幼なじみからはじめなあかんから、もう無理なん?無理なん?)

 ちょっと真面目モード。お2人がずっと椅子に座られ、間には小さなテーブル。本を持ち朗読していくのです。「もしもあなたと・・・」と、メリッサが死の前の手紙で繰り返し書くのですが、言葉の行き違い、手紙が手元に届くまでのタイムラグ、そして時に誤ったプライドや、判断が、2人を結婚という生涯の伴侶として暮らしていける道を2人が選べなかった。先に突然亡くなったメリッサの母への手紙は、メリッサに宛てて書いているような手紙。読み終わるアンディーに「ありがとう」照明は徐々に落ち、暗転。終演です。終演では有りますが、共演者の2人が、芝居の世界でなせなかったことをしているように、観客の拍手に答える時、手をつないでいます。カーテンコールででてきた時は、蔵さまが朋子ちゃんの手を、少し体ごとひきつけるように、グイと、引っ張りました。そして、幸福そうに、アンコールに答え、退場。蔵さまの最後の手紙は、淡々としていても涙で姿が見えないよぉ。になってもしかたないほどのものですが、私はこの終演後の2人に涙がこぼれたのです。果たせなかったメリッサとアンディの仕合わせのようで。



 念のため、飲酒はしておりません。悪しからず、ご了承ください。「こりゃまた、なーんのこってい!」(顔見世・坂東三津五郎襲名の出し物でもある『助六』の台詞ですね。最後まで、ほんますんません。)


2001年12月26日(水) 温かなお皿・・・1人で泣きたい女の泣きのタイミング

 クリスマスシーズンに送る、珠玉のラブストーリー・・・ってところでしょうか?一定レベル以上の生活を保障された妻。仕事をして生活を守って家族を守ってくれる優しいハンサムな夫がいて、かわいい娘がいる妻。彼女の日常はハウスキーピング、夫を送り出し、娘を送り出し、次は帰りを待つ。その間にご近所の主婦たちにお菓子教室みたいなことをして、お茶会もして。身につけるものもさりげなくブランドもので、家にある食器もブランドもので、時々夫と行きつけのきちんとしたレストランに食事に行く。そんな妻。

 その妻は今井美樹。高校生の娘にキレイな色のファンデーション(下着)をコーディネートしたものをクリスマスプレゼントにするような母。夫は三浦友和。高校生の娘にまだまだ娘でいてほしいし、男の気配なんてそんなそんな、そんな風に思いながら、全てが、まわりの羨望の的であるような理想的な家庭のはずが、実は、この夫は同じ会社の部下と不倫をしていた。その彼女は水野美紀。一人暮らしのOLのわりには結構いい感じの部屋に住み、当り前のようにやってきてくれる彼に料理をしてもらい、楽しい時間を過ごし、家庭へと送り出す。何かを奪っているとしたら、彼の時間を少しもらっている、そんなくらいにしか深く考えてはいない。いい意味で。

 ある日、その秘密がわかってしまう。妻はどうしたか?行きつけのレストランに予約を入れる。ランチの温かなお皿をかこむのは、夫とではなく、夫の恋人。2人は特に修羅場な話をするわけでもなく、どちらかというと雰囲気にもおされぎみの恋人に、妻はさりげなくアピールすることになる。「あぁ、こんな素敵な奥さんだったんだ。この2人には私がはいりこめない無数の時間や想い出があるんだ。そう、このお料理ひとつにしても」(この場面でメートルドテル(?)の藤村俊二さんの控えめな演技がまた最高によかった)恋人はいたたまれなくなる。自分はそんなつもりじゃなかった、決して奪ってやろうとか、そんなつもりじゃなかった。ただ彼が好きだった。少しだけ彼の時間をわけてもらって充分幸せ、そんな恋愛だった。それだけど、そう思っていたのは私だけで、実際には、こんな素敵な奥さんとそしてきっと素敵であろうお嬢さんを苦しめていたのかもしれない。いたたまれない思いで、せっかくの料理を味わうことはできない。

 料理もお酒も、空間、時間の流れ全てを支配した妻は、彼女に特に夫のことを責めたりはしない。そう、例えば、彼女のもちものから、私も猫が好きだったわ。と、さりげに彼との思い出をちりばめていく、それは、妻の余裕というよりは、本当に懐かしい思い出を話すように。彼女のように若かった頃、そういえばこんなことがあったわね。そんな風に。そして別室でお茶をいただく時間になり。いたたまれない彼女に「今日はごめんなさい」とまで言いながら。実は彼女に強いプレッシャーをかけていたのだ。夫の選ぶ人だから、ばかな女じゃないと思っていたのだろうか、そして実際にあった彼女をそう見込んだのだろうか。彼女の若さに嫉妬しながら、そして自分のそんなやり方に情なく思いながら、天使のように微笑んでこの不思議な妻と愛人のランチは終る。

 そのあと、別れた二人は結局泣くのだ。いたたまれなくて。若い恋人はショーウィンドウを見ながら、会食の途中から「別れなくちゃ行けない」そう感じながら、彼女は泣く。そして、妻は?ひらりと、彼女と別れ際に手を振る。余裕のあるマダムである。しかし、タクシーを拾い、乗り込んで彼女は泣いてしまうのだ。かわいい人をいじめてしまったわ、と。なんだか少し偽善的な気もするが、女を2人泣かせてしまっているとは気づきもせず、この日を過している夫は、いい女を選んでいたということか。とにかく、この2人の女性の泣くタイミングが絶妙だった。

 一人の空間と誤解しやすいが、タクシーの中には運転手がいるわけで、泣き出した美しい、恐らく人妻が気になって仕方ない新米運転手坂口憲二は彼女を海へと連れ出す。妻のある意味冒険、突然知った現実と、それを解決するために自分がとった自分で許しきれないやり方を忘れるための冒険。といっても、2人に何もないのだが・・・。帰宅した彼女は、普通にいつもの生活に戻る。昨夜から降った雪を窓枠から少しとって、小さな雪だるまをつくり、朝の食卓に飾りながら。生活を守ること、それだけでなく、夫にまだ恋している、そんな気持ちも新鮮な感じで?

 若い恋人は最後に家にあった彼のパジャマやなんかをプレゼント仕様にして家に届ける。それが彼女のせいいっぱい。復讐とまではいかないだろうが、きっぱり別れるためのせいいっぱい。そんな彼女が拾ったタクシーがまた坂口だったっていうのは、いいような悪いような。

 娘たちの恋も少し進展したりして、んーありえないスピードしかも傷口の小さい解決?それをとりもったのはあの食卓?普通無理?でもドラマの中だけでも、こんな何気ない会話の中からその中の言いたい事をお互いすくいあげながら、ストレートに言うだけではなく、お互いの言いたいことをわかりあえる・・・同じ男を愛しているから?・・・そんな風にして終焉をむかえる妻と夫とその恋人との話があってもいいかもしれないね。


2001年12月14日(金) もっちゃん、また恋に陥っていた・・・

 お相手は、ラブハンターこと立身出世劇場・座長・関秀人。
素敵な役者さん関西でみーっけ!!って、喜んでいた。楽しみ増えた〜☆だって、関東拠点の小劇場系の人より、おそらく舞台見れるチャンス多そうでしょう?わーい!!って。

 そこの若手頭(?)が、井之上チャルくん。劇団名はずっと前から知ってたんだけど、全然何にも知らないと、中々実際に小屋まで見に行く勇気が(お金)が出ないよね。ところが、「パンチ・デ・ニーロ」のおかげで、まずチャル君を知りまして、昼ドラの「ひとりじゃないの」に出てはりまして、その英作君が、また、とってもいい味なので、「チャル君、チャル君☆」言ってました。ええ子そうやわ〜。これから色々伸びそうやわ。何?「忠臣蔵1/47」にも畳職人の弟子で出る?木村拓哉の堀部安兵衛は、既存の安兵衛とは全然違って、どんな感じなのかなぁ、脇がいいし、見てもいいかなぁ。でも、見てて、腹立つかもしれへんなぁ。とか、考えていたけれど、チャル君でるなら、ほんなら見る!!

 なんてね、チャル君を応援しよう!!関西若手!!よっしゃ!やったんですわ。ところが、やはり、立身出世の劇団所属員ですから、座長・関さんのことも知っていくわけです。それに、「パンデニ」で、座長のお茶目なところも見てしまったし。なんか、この人はラブラブビームっていうんですか、いやらしくはないんですけど、人の心の中にググッと入ってくる視線をお持ちなんですな。(って、なんで、落語家っぽい口調なん、私?)

  そして、し、知らぬ間に、私は関座長の引力に・・・・・。

 極めつけ。舞台でね、G2プロデュース・作/後藤ひろひと、役者は、神野さん(べっぴん)以外みんな、関西の役者で、「天才脚本家」というのがありました。(関東の1/4くらいしか、なんで、関西で公演ないのさ!!ぷんすか)これは、面白いやろうと、もっちゃんさっそくチケットゲットしておりました。行ってきました。やられました。

 「天才脚本家」のローズで、もう、一気に引きずられたよ。関さんかっこよすぎ。

  「天才脚本家」は、無いところから事件を生み出す、やらせ専門の天才ディレクター春木と、スポンサーをとってくる関係にある電通マン安藤との関係が軸にある。(最初、2人はお互い利用している関係にあるとしか思ってないのだが)しかし、実は、有る事件(裏に政府機密が隠されている)を消してしまう、政府の依頼で動くイレイサー・ローズが、実は安藤であり、ひょんなことから、そういうイレイサー=天才脚本家の存在に気づいた春木と、イレイスするためのフェイクが、安藤には知らされていない依頼者だったことから、ローズはイレイスされることになる。春木も仕事を干される。

 イレイスされたという噂の天才イレイサー・ワイルダーのひとことをきっかけに、ローズは、春木と手を組み、逆に上のイレイスをはかり、自分たちはまた現れる、そういう大しかけに出る。
 広報いわくハードボイルドらしい。ハードボイルドタッチをいっきにになっているのは、ローズこと関秀人。根底にスリリングさが流れつつ、笑いが適切にちりばめられていて、かなりおかしいねんけど、ドキドキが静かに底辺にある。わくわくする。そう、何より、芝居が面白かった。もう1回見たいわ〜。チケットないかなぁ。

 もちろん、ローズの関さんがもう1回見たいのが強い動機であることは否めない。だって、せっかく5列目だったのに、私の座席は下手寄りで、そっちは、どちらかというと、春木役の劇団MOPの三上市朗さんの立ち位置で、関さん、上手なんだもん。遠い〜〜。ごめんね、目の前のミカイチさん見ずに首、斜め45℃で関さんばっかり見てて。

 あぁ、さぶいさぶい日でした。行きはもう、涙が出そうにさぶかった。もっちゃんは、さぶいのはダメ!でも、帰りは、ホットよ。足取りも軽いわ。とか、舞い上がる私に帰りの電車でショックは舞い降りた。パンフを読む。想像はしていたが、質問に答えて、破滅願望はないことはないけど、舞台のうえでならとことん落ちるのもいいかも。でも、現実には「妻と子のいる身。最近、ワンちゃんも飼ったしね」・・・・・・・・・・・がーーーーーーーーん。
 
 好きな俳優さんで、既婚者多いよ。妻子もちだからって嫌いにならないさ。でもさ、なんかがっかりしたの。文字になってるのを見た瞬間。その「がっかり度」に自分が驚いてるわけ。
 あーーーーー。私。やってもた。これは、恋よ、恋。また、やってしまったわ。知らん間にはまってたわ、関秀人・・・・。どうしてくれんの、関秀人。また、増えたやん。「勝手に好き好き」な人。
 そして、楽日は無理そうなので、ビデオの購入予約をすることにした。こうして、もっちゃんの、ミーハーとチケ貧は、続くのであった。


 1位のダーは、今のとこ不動だけど、朝ドラ「あすか」見てれば良かった。2位の藤木直人、チャル君も、なんと関座長も出てたの。あぁ、悔やまれる。・・・この惚れっぽさ、病気かもしれん・・・。



2001年12月09日(日) 「こんにちは、母さん」@舞台中継をテレビ鑑賞

なにげなく、NHK総合をつけたら、丁度、永井愛作・演出の「こんにちは、母さん」が、始まって10数分のところだった。新国立劇場小劇場で今年3月に公演されたものだ。こんなに豪華な俳優陣で、しっかりしたお芝居を、5000円代で、観られるなんて、なんて贅沢なんだろう。終ってみてそう思った。

 加藤治子さんが、70代の母親役で、出演されていた。私は江戸の人ではないので、本物の江戸弁は、きっとわからないんだろうけど、多少、お江戸が舞台の歌舞伎も観ているので、加藤さんの、きっぷのいい、流れのいい、語尾の切れのいい、江戸弁の「母さん」を、カッコいいとおもった。音響設備も整っているのだろうが、御年おいくつになられるのか、加藤さんのかわいさと、こ気味のよさが、とても素敵だった。
 
 2年ぶりに、息子が帰ってくると、そこは、外国人留学生の下宿屋斡旋、地域とのつながりなどを目指したボランティアの基点「ひなげしの会」事務所で、「母さん」は事務長。母のルスに突然やってきた息子は、中国人留学生にこそドロと間違われる。しかも、その次現れた親父は、どうやら、「母さん」と恋仲のような雰囲気。この何とも、身の置き場のない、それでも生真面目な息子を平田満が好演していた。(この息子、折り合いの悪い父に母の所在を尋ねるのも嫌で、持ち出す財布により、母の行き場所の検討をつけてきて、今もそのクセが抜けないのだ。注:決してマザコンではないと思う。)

 足袋職人をしていた父親と気があわず、大学1年で下町の家を飛び出た息子は、もう40代。妻と息子がいるが、どうやら離婚カウントダウンと観客にも見て取れる。しかも、先の人事異動で、リストラを断行していく総務部人事部長に。とりあえず、辛い現実から逃げるように、しかしそれを語ることもなく、今は父も亡くなり「母さん」だけの家に帰ってきた、はずだった。

 「母さん」は、自分の見たこともない、カラフルな服装で、ボランティアにいそしみ、留学生の学ぶ姿に触発され無料の「源氏」の講座に出かけ、講師である元大学教授「直ちゃん」(杉浦直樹)と恋をする。まわりには、同級生が煎餅屋の女房におさまったものの、息子が蒸発した女性。突然やってきた、元ヒッピーのスウェーデン人の夫にこれまた蒸発された女(田岡美也子)。そして、ついに、平田のリストラを根にもった同期が突然押しかける。「悪魔」とまでののしられる。その男に同情する、田岡。

 「母さん」は、はじめて「直ちゃん」の家に行ったが、下町と山手では暮らしが合わず、随分恥ずかしかった。それを「直ちゃん」が、かばってくれなかったのが、悲しい、もうやめようと言い出す。それから1ヶ月。息子はついに荷物を増やして家に帰る。「ここに住む」と決めた。同じ日「直ちゃん」も結婚するからと長男夫婦を説得できずに家を出てくる。不思議な3人の同居生活が始まる。
 父の遺品の中で、リサイクルできるものがあれば、と、人手を借りて、留学生にひきとってもらった。その中に、戦争中使っていたと思われる飯盒が出てきた。まぎれてはいってしまったものだけれど、中国からの留学生の心の傷に触れるからと返却される。「直ちゃん」の息子は一度も顔も見せない。妻が義父に協力している。そしていずれ自分も離婚すると決意したと言う。


 父との大きなすれ違いは、小6の頃トイレの柱にビートルズの絵を落書きしたことだ。「直ちゃん」は自分も息子のEP盤を全て取り上げてしまった、後悔していると言う。遺品の一部のカセットテープにビートルズが入っていた。「直ちゃん」は君の父親も君を理解し様としていたんじゃないだろうか、と言う。あの日叱った事を後悔しつづけているんじゃないか、と。しかし、「直ちゃん」は、自分の息子にそのことを謝る勇気はまだ持てなかった。その「直ちゃんが」これからという引越しの終わりに、階段で足を滑らして(?)死んでしまう。「直ちゃん」の息子は葬式でも無視だった。きっと49日の法要の知らせも来ないに違いない。息子が帰ると、「母さん」は、ごはんはいらない、と一升瓶から酒を注ぐ。

 息子の帰宅前、訪問者があった。それは、リストラした同期。外部労組に入り、裁判を起し、解雇取り消し、退職金は支払われ、仕事も今の経験を生かせるところを斡旋してもらえた。総て「悪魔」呼ばわりしていた、息子のお陰だと言う。会社は絶対に謝らない。彼が個人で彼に、謝罪の手紙を書いたのだ。帰り際、男は、息子に「妻にも手紙を見せたよ」と爽やかに去っていく。

 「母さん」は、飲みながら言う。「これは神様が試してるんだ」東京大空襲で、自分ひとり家族の中で生き残った時のことからはじまりる。この物語は、ある意味、雑然としている。下町の家。セットは変わらない。しかし、そこでの3ヶ月。国際ボランティア。近所の老人と毎日交替で「生きてますか?」と電話しあう習慣。70代の恋。壮年期のリストラ。大切な人の蒸発、戦争の傷跡。二組の夫婦の離婚の危機。そして、「直ちゃん」の死。素材がありあまるほどである。焦点はどこなのか?どこかカットできないのか?(3時間近くの芝居なので)でも、本題は、ここからなのではないかと思った。そのための、日常の人物の断片が、ある心地よい流れで、生活があるように、組みたてられているのではないか。

 「母さん」と息子は、2人で一升瓶の取り合いをしながら、まるで、不幸自慢を始める。母の、老いていく動けなくなる日が、近づく恐さの中の希望、それが「直ちゃん」だった。それがなくなった。息子は言う。「それは、いずれボクにも訪れる。母さん特有の不幸を言ってもらわないと。ボクは、今日会社から退職を勧められた。(あの男のリストラの方法がうまくなかったからだ)そして、離婚届にもハンコを押した。僕の方が不幸みたいだ。僕の年で、母さんこのくらい不幸だった?」もう笑いながら言っている。「僕の勝ちだね。」「何言ってるの、今ので、母さんの不幸は2倍になったわ。」でも、母は言う。「直ちゃん、喜んでるわ。自分のできないことをしてくれて、父さんも誇りに思ってる」

 その中で、ビートルズの落書きの日、彼は父にぼこぼこにされた話をやっと語る。母は「謝りなさい」と繰り返した。息子にとってショックだったのは、恐かったのは、父の怒りでも、暴力でもなかった。「最初、僕の絵を見たとき母さんは褒めてくれた。父さんの前でも褒めてくれると、父の帰りをワクワクして待った。父が怒った時。母さんは、父さんを恐れてばかりいた。ぼくは、本当に困った時に、母さんが僕を助けてくれない事がわかってショックを受けたんだ。母さんが信じられなくなった事が怖かったんだ。

 初めて、息子の本音を聞いた母。必死で息子を探し、見つけ、その夜、夫は、何度もうなされた。そして、階下の鏡の前でじっとしていた。表の車で鏡が光って、夫の形相が浮かんだとき、声がかけられなかった、恐ろしくて。その時妻は思った。この人は人を殺した事がある。戦争に行ってたんだから当り前だと思っていたが、本当の意味でそう実感した。しかも、子供を・・・。昔は子供好きの男だった。ところが、戦争から帰ってから、自分の子供に対してもどう接していいか分からないような態度だった。

 「あの時、母さんが聞けばよかったんだ。」息子は答える。「聞いたって答えやしないよ。」「それでも、聞いてみればよかった。」「聞いて聞いて、聞きつづければ、あるいはいつか・・・」。「言わない、ということは、受け入れてもらえないと思うからだ。言っても誰も聞いてくれないと思うからだ。聞かない、ということもそういうことだ。私は、受け入れるのが恐かった。あの時、聞いていれば・・・。」
 作者のポイントは作者にしかわからない。でも、一見不必要とも思える挿話や、人物の出来事を考えると、すべて、この母の幕まであと10数分というこのセリフの重みが、ずっしりと心に沈む。

 隅田川の花火がどーん、どーんと音を響かせる。この日は、本人は忘れているが、息子の誕生日だった。2階へ誘う母。いいよ、と断る息子に、母は、「偉かったね」と言い、ベランダに上がり、花火を見ながら、「私はこの2階でお前を産んだ。花火が、世界が祝福してくれていると思ったよ。」清々しい「母さん」の顔が花火に照らされるのだった。そして、この日から、母子の対峙が本当に始まるのかもしれない。

 私としては、私がはじめて芝居を見出した頃の貧乏で、年に数度も見れない頃観ていた、平田満さん、田岡美也子さんが、相変わらず、素晴らしい芝居をされてるのが嬉しかった。そして、今、色んな芝居が増えているけれど、「本当に言いたいこと」のための世界の設定、人物の一見無駄とも思える描写のもつ、屋台骨を支える力みたいなものを感じた。そして、悲しい場面で笑ってしまうというか、永井さんのたくさんある「笑いどころ」の入れ方が、本当の日常でありえそうなところが、うまいと思った。(其れはそれでアリなのだけど、ナンセンスとかブラックとかシュールとか、そうではない世界?)

 今日は、本当に長くなってしまいました。最後まで読んでくれたかた、本当にありがとう。


もっちゃん |M@IL( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場( ^-^)_旦""

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