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- 諸行無常 -

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2005年04月30日(土) 隣国

北朝鮮でのイラン、バーレーン戦が仇となり、FIFA国際サッカー連盟から厳罰が下された。

異例の3つの制裁。

180万円の罰金、無観客試合、第3国でのAWAY措置。

北朝鮮にとってはこの上ない制裁となった。

北朝鮮にとって苦しい展開がサッカー以外にも起こっている。

6カ国協議を進めたいアメリカにとって、北朝鮮が乗ってこない事に対し、最悪の場合、核廃止への運動を国連に付帯するとこぼした。

それに対し、北朝鮮は付帯=宣戦布告とみなす、と牽制。

つまり核を否定する運動に対し、報復を訴えるということは、核の保有を証言している様なものでは無いのだろうか。

隣国、北朝鮮は窮地に在って、なお強気な姿勢を崩さず、ブッシュ大統領の言葉を借りれば

アジアの「暴君」となるべく独裁的な国家作りに拍車が掛かる事態が起きている事には間違い無さそうだ。

一説には旧ソビエトの潜水艦や高速船を入手したとの噂がある以上、既に日本が警戒すべき空海域は

東シナ海、日本海に留まらず、太平洋上からも狙われると言う事を懸念せざるを得ない。

また日本が推し進めている、『ガメラレーダー』と呼ばれるシステムには、弾道ミサイル発射直後の瞬間を察知できないと言うデメリットが在るのだそうだ。

つまり着弾までおよそ10分と言われているこの時間を短縮するには、結果、アメリカに依存するほかなく、オマケに憲法がさらに「集団的自衛権」と言う難しい物を定めている事など

治めるべき仕事は多い。

いずれにしても大変な雲行きに変わりは無さそうだ。


2005年04月25日(月) 交通事故

朝突然聞いた。

7年来の御知り合い、宮崎さんが昨日突然交通事故で亡くなられたと。

つい先日自分のお店をオープンしたばかりの30半ばの女性。

小池さんの店に従事し、ソムリエを嗜み、その後、独自の観点を持ち続けた彼女が、選んだ「世界の御茶」をたしなめるお店だった。

誰の援助もなく、自身のみでの商工会議所の特別支援指導をうけながら手にした、末の苦労の出店であった事を紙面により以前から知っていた。

つい先月も往来で話を交わしたばかりであった。

詳しい状況はまだ解らないが、ここから徒歩数秒の場所にお店を構えていた彼女が交通事故死をするとしたら

もらい事故だろうか。

また尊い知人の命が断たれてしまった。

春、この上ない希望を持ちながら前進をする季節に

訃報から始る哀しい季節となった。

故宮崎さんは、接客経験も少なに、素晴らしい接客のプロとしての顔を持っていた。

当地でも評判の接客だった。

その芽を摘んでしまったのは、当時オーナーの小池さんだった。

彼女は職場を去った。

そして自らの道を選んだ。

小池さんの下を離れ独立・成功している人は多い。

その中の一人だった。

また一人素晴らしい人間がこの世を去った。

宮崎さんのご冥福をここに祈りたい。

終生若くしてなくなることの多い、自分の周りの人たちを切なく思う一日だった。

疲れからまた十二指腸潰瘍が始った日でもあった。


2005年04月23日(土) 久しぶりの景色

随分と久しぶりに都内に出張した。

久し振りでどこも景色が変わっていた。

久しぶりに見るその景色は懐かしさで一杯。

東京駅から地下鉄に至るまで全てに懐かしさを感じた。

千代田線、都営新宿線、山手線、丸の内線。

どこにも立ち寄ることなく、朝から最終までの時間を歩き続け、仕入に没頭。

途中、何年ぶりかに表参道を歩いた。

LV、CHANEL、サンローランなど沢山の新規ビルが出来ていた。

表参道から裏原に入り、散策。

裏原には刺激を受ける物は無かった。

でもいつも思うのが表参道の景色は春〜夏がいい。

歩いている人を歩道脇の鉄柱に腰掛しばらく眺めた。

やっぱり都内はいいなって感じさせてくれる。

もうかれこれ田舎に引っ込んでからと言う物、どれくらいこの辺に出て来てないんだろう。

途中裏原に店を構える知り合いの男の子の店に顔を出し、色々な話しをした。

東京という街にはいろんな刺激がある。

不思議と。


2005年04月16日(土) 心の値段

故人の見舞いに行っていた頃を思いだす。

苦しさに顔をゆがめるのが普通だろうけれども、見舞いに行くと無理やりな笑顔で話す。

カテーテルが胸部にも鼻にも通っているから話しづらいはずだけど

無理をしていた気がする。

色々考えるところはあっただろう。

悔やむ気持ちと切ない気持ち。

その後、様々な出会いがあり、その中にも見出す事の出来る

優しさという、本来の人の真心と呼べる物の存在。

優しさをもって接してくれた人への恩返しや言葉をもつことがこれまでに

出来ただろうか。

人の気持ちは複雑に絡み、難しい局面にさえ発揮する、人の真心。

人を思いやる気持ちと言葉。

生きていく中で大切な物。

頂いた言葉を見たり聞いたりするたびに心を白く広く真直ぐに綺麗に居たいと

そう感じます。

真心とは人の心の最も崇高な部分。

もてない人も世の中には居るけれど。

心に値段はつけられない。


2005年04月15日(金) Seed-Master

とあるテレビ番組でまた興味をそそるドキュメンタリーがやっていた。

それはウイルス(病原体)と、生物の進化との関係であり

尚且つ、その発展や進化には必ず、彗星が関係しているという物だ。

彗星は数年周期で地球に近づく物や、数百、数千年周期でめぐり近づく物もあるとされ、

これまでに約2,000以上もの彗星が確認されているのだそうだ。

そして何故、彗星にウイルス、進化論が関係するのかというと、

こんな説を唱える人がイギリスやUSA各地に居るらしいのだ。

仮説はこうだ。

『彗星には有機物が含まれていることが解り、地球に近づき粉々になって落ちてくる彗星の中には、生物の元素になりうる物が存在する』そうで、

『かつてアポロ計画の中に地球から持ち上げられたウイルスが月面を2年間も生きていた』という事実や

『ウイルスを制空権上に放置しても大気の存在しないところで生き続ける』など

驚くような事が解明、実験されているらしいのだ。

つまり、彗星にのってやってくるウイルス、100日風邪やSARSや、所謂風土病は

その地に落ちた彗星破片によるウイルス被害なのでは無いかという仮説がある。

3年周期で起こる疫病流行に、平行してかならずその年の同じ時期には彗星群が現れていると言う。

これを単なる偶然が重なり、起こることは想像も付く事だが

生物進化に於いては、例えばキリンが元来首の短い生物で、ダーウィンの進化論で考えると、

高い場所の枝葉を食すために首が何十年何百年何千年もの間に

長首進化をしたという説になるのだが、実際の所、首の長くなるまでのキリンの祖先の化石や痕跡は見つからないのだという。

また、人類の祖先とされる、猿類からアウストラロピテクスに至るまでの間の

途中進化の痕跡、化石はやはり無いのだそうだ。

つまりこういう事になる。

ウイルスが彗星に混じり地球に降り立ち、そのウイルスがそれまでの生物に入りこみ

何らかの突然変異、又は抗体生成により、形を変える=進化と見る事だ。

これなら考え方にも説得力がある。

実際この方法論で考える研究者が増えているらしい。

またNASAでも某大な計画が企てられており、『Deep Impact 計画』と言う

地球の近隣を軌道とする彗星群のひとつに研究用ポットを打ち込み

内包物を明かしてやろうという計画なのだ。

それによって様々な進化論や、元たる物が何なのかを知ることが出来る手がかりになるのである。

このような事が続き今のわれわれが地球という生命体存在の域に於いて

一番の知恵をもち君臨する生物となっているだけということらしい。

また面白い意見としては、実は意図的な彗星群へのウイルス寄生により

何ものかが地球という天体そのものを研究地として、未知の生命体が我々の進化を導いているのでは無いかという説もあるようだ。

まぁこれについては、何ともいいかねるが、否定を出きる根拠は何も無い。

前出のウイルスと彗星による進化論は、これまでずっと信じられ続けてきた

ダーウィンの進化論を部分的に否定するものとなり、人類至上最大の発見に繋がる事は間違い無いと思われる。

NASAを始め、これらの研究者による、何かしらの結果が、我々が生きている間に発見され解明されれば

また生きている間の楽しみの一つとして心待ちにする事が出来る。

仮説とは本筋を裏付けるまでの一考であると俺は考える。

仮説無くして本節はありえないのである。


2005年04月11日(月) 岩城滉一

昨晩、春からの新番組のゲストに岩城滉一が出ていた。

大体、いつも取り沙汰されるのは、彼の彼らしい毎日の事だ。

一時、巷を賑わせた、韓国籍騒動や破綻騒動にも、全く関係なく

そこには変わらぬ姿の岩城滉一がいた。

流石に50代を迎え、加齢を感じざるを得ないが、いい意味でやっぱりオヤジになっていた。

男なら誰もが憧れる、岩城滉一と言う人間の生き方やその在り方に

俺は昔から憧れている。

岩城滉一のような年の取り方や趣味に嵩じられる事にとても憧れを感じる。

永遠の不良という呼び方が相応しい、在日韓国人だ。

こんな大人になりたい。



2005年04月09日(土) 小春日和

晴れて暖かい一日になった。

白のパンツを今年初めてはいて、夏っぽい格好で仕事に行った。

街中を歩いているだけで、ホッとする時間を感じた。

週末と言う気分を味わう事のない職種なので

こんな時間がものすごくホッとする。

とは言うものの、現実は職場に戻れば全てが待っているわけで、

今日も大変難しいお客様が見えた。

うちに出入りしているレンタルモップなどの業者の人が

極々たまに見にきてくれる。

見にきてくれるのはいいのだが、我侭をごね出す。

50前後くらいの見た目には若い方なのだが、、、

値段は割り引け、白いストレッチものの被り物を試着させろ、いいのが有ればとっておけ、、、などなど

色々な事を言ってくれる。

顧客との信頼関係とは長い時間をかけて作っていくものであり

物売りの立場からすれば、その人の個性や好みがわかり始めて

その人に似合いそうだから、これをとろうなどと考えられるのが

カスタマーズサービス、つまり顧客への配慮だと思っているので

取りおいても買ってもらえなかったり、我侭を言われる事への配慮は

はっきりいってできないに等しい。

信頼関係とはそう言うものだと理解できないのかも知れないけど。

人と人が繋がりをもって、長い間繋がっていけるのは、お互いへの配慮や

心持を理解しあうからこそ、もてるものだと思いたい。

色んな人が世の中にはいるけど、その中から、自分にとって必要な人、そして互いにもちつもたれつを重ねられる人との付き合いを

選択する審美眼を普段から持ち合わせたいと常々思う。

今日も暖かい日に終わりそうだが、現実的な正面はまだ寒さが続く。



2005年04月08日(金) 4月

町を歩いていると、着慣れない、スーツを着た人たちが沢山歩いている。

緊張と希望で一杯の新入社員だ。

ナゼか、新入社員って解るんだよね。

オーラが薄いと言うか。

風が凄く吹いていて黄砂と花粉が入り混じった、粉塵だらけの風がビュンビュン舞っている。

目が痒い。

仕事がとても暇になってしまった。

大変だ。

一大事。

やる事は山ほどあるんだけど。

4月か。

魔の季節だ。

ガンバロ。

少しづつ。


2005年04月07日(木) 花粉飛散

今年は花粉の量が凄いと言われていたけど

こんなに凄いとは・・・

目はしょぼしょぼ、のどはごろごろ、鼻水は限りなく出っ放し、鼻奥はもぞもぞ、耳はむずむず。

ほんとにすごい。

若い頃、お世話になった社長も今年から花粉症デビューをしたらしく、それほど今年の花粉の量は半端じゃないらしい。

毎朝思うのが、車の上に乗っかった、砂塵や花粉?らしき粉塵の量。

車を置いておくだけでこれだけの量が、宙に舞っているのかと、思わされるほど

すごい粉塵の量が乗っかっている。

ようやく暖かくなり、過ごし易くはなっているものの、かつての政策から発展した、「杉の植樹」は、今となっては

無用の長物と思える。

しかしすごい。。。

∵ゞ(>д<)ハックシュン!

おまけに仕事はガタガタ。

何か迂回路を探さないと。。。

ふうぅ。。。


2005年04月02日(土) とある女性誌の記事から

かれこれ十数年、仕事柄殆どの女性誌に目を通し、関心が女性のものに集中することが多い。

今日もとある30代の為のファッション紙を見ていると、冒頭のコラムに

『幸福不感症』と言う文字が書かれていた。

内容を読んで見ると、つまりは人に先駆けて、色々な経験をするも、納得のいく物が得られず

結婚、出産、仕事、遊び、趣味、全てに於いて腰を据えられない事を指している。

これが発言にも留まらなくなり、デリカシーの欠如にも覆い被さってしまうと言う始末のようだ。

感心が次から次へといく様は、幸せに満足が行かないのでは無く、幸せを感じる為のハードルが高くなっているため。

このような人たちは意外と多いのでは無いだろうか。

男女問わず、全てに於いて飽食の時代となった今、感じる事のハードルは常に上位にあり

欲する物への飽くなき欲望だけで成り立っているという虚しい『幸福不感症』は

現代のどの分野にもどの性別にもきっと少なからず存在する。

ただし、それを肯定も否定もできないのが、人とのボーダーラインだろう。

気付くのは自分だけでいいのだから。。。


toto