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2004年07月30日(金) 豪喝

我が地元銀行におれのもっとも毛嫌いする銀行がある。

以前の日記でも触れた件の銀行だが

またしても俺を憤慨させる出来事が起きた。

今回は支店だった。

通常の振込に関しての不備により3回ほど足を向けたのだが

一向に作業が一度に済まない手際の悪さ。

暑さと偏頭痛の痛みからも相まって

ついに管理職に対し怒りをぶちまけてしまった。

『悪態をつく嫌な銀行内の客』

と化した。

大声を張り上げてしまった。

表向きの看板重視な建前100%のこの銀行。

内容充実に欠ける情けない銀行だ。

33億赤字をむりやり黒字転化する建前だけの銀行。

体質が体質なら社員教育も中途半端な建前のみだ。

全員がそうだとは思わないがぬるま湯に浸かったこの銀行の風潮が

心から気に食わない。

あぁ

暴れたい。


2004年07月29日(木) 聞き上手は円満上手

聞き役に回る人っているでしょ?

世の中のほとんどの人は「俺が」「私が」「自分が」なんだって。

とある経済紙のコラムにも載っていたけど

聞き上手になる事が現在の職場の上司には求められている。

大体の社会人は自分の事だけしか考えておらず

気持ちの余裕の無いまま毎日を過ごしている。

上司に求められる物

それは理解ある聞き耳と懐の深さだと俺は思う。

例えば友達同士の会話の中で意志を口にいちいち出さずに聞いてもらえたら

胸を撫で下ろせる気持になれる人が居る。

大体気持ちの不満や不安を持っている人は愚痴をこぼしたい事が多い。

その愚痴を聞いてもらいたくて話している事も多い。

その時、聞き手が「俺はね〜」「私はね〜」と自分の話しを始めてしまったら

話している方の気持ちも生煮えで不満が残る。

それだけ聞き役に徹するって言うのは簡単じゃないんだよね。

アドバイスを送るにしてもそうだ。

聞き役に徹した後、そっと一言最後に添えてあげるだけで、自然と相手の心に浸透するだろう。

こうして聞く事の出来る立場の人が居る事で

円満に過ごせる場合も有る。

ただし常に聞き役にばかり立ち回ると、聞き役にもやがてストレスはたまる。

そしたら遠慮なく話せる人を探して話してみよう。

その場限りの会話でも良いのだから。

人は言葉と言う共通言語を持つ生き物だから

意志の疎通も意見交換も口を使って行う。

口頭で伝えたり話す事をしなくなったら人間本来の「話す」と言う行為が出来なくなり

それもストレスとして溜まっていくだろうね。

現代の一番怖い病って、『ストレス』だと思う。

万病を呼び起す怖い存在だと思う。

癌もそう言われているし、色んな病気の起因しているものが『ストレス』だと

認めざるを得ないと思う。

話しを聞く事

それはとても重要で

おれの知る限りでも、相談をしても、自分の意見しか言わない人間が何人か

思い当たるが、それは余り思わしくないね。

色んな人間が居て当然だけど、やっぱり人の相談を聞く時には聞き耳聞き役になってあげたいね。

難しいけどね。


2004年07月28日(水) 説破

夏になると精神状態を歪める様々な出来事が後を断たない。

全国各地で起こる事件や様々な出来事。

人の精神を司るのはやはり心。

環境から育成までがその親、周囲などの影響を大きく受ける。

犯罪、暴行、病気

色んな事が世間を騒がせ問題化する。

夏の蒸し暑さも相まり、不快指数は上昇し

やがて抵抗無比な弱者へその愚行は向けられる。

愚行を省みる事の出来る者はまだマシか。

省みる事の出来ない愚行を繰り返す愚弟にこそ

神の罰・試練を与えるべきと感じるが

人の世には司法と言う万人擁護の武器が有る。

様々な人に出会い、色々な事を話したり、時に諭したりして来たおれにとって

人の温もりが与える、愚行を成す物への効果は大きい気がする。

寂しさや欠落した精神の空虚を埋める事が

思わぬ行動へと体を動かせてしまうのでは無いかと思う。

実は今日色んな人のHPを幾つも見て思った事が

俺にこの様な内容の文章を書かせた。

人を説破するよりも先ず、心の通じる人の存在や温もりを感じられる存在が

近くに有る事が必要なのでは無いだろうか。

人は弱い生き物であり、1人より2人、2人より3人。

支えあうその心の奥底に濁りが無ければ、より多くの暖かさで繋がり居られるのでは無いだろうか。

表向きだけの愛情や友情には心の謀反が生じるはず。

人の気持ちは繊細で

与えるだけでも

与えられるだけでも

良くないと言う事だ。

物を感じる心の豊かさを持つものならば

かならず感じるのが「恩恵」だ。

恩恵に対しどれだけの心を自分が持てるか。

形に出来なくてもいい

その恩恵に対する、感謝の気持ちや、人を労る心が常に気持ちの中に有れば。。。







2004年07月27日(火) 意外な事実

パンダって笹を食べるでしょ?

熊とか猫科の草食動物の代表でしょ?

でもね1992年の中国で民家に住む24頭のヤギを食い殺したと言う実話が残っている。

野生のパンダは雑食でも有るらしい。

ただしこの一件しか事例は無いようだ。

現在パンダは保護されている物以外で1600頭にまで増えているそうだ。

パンダの意外な素顔にちょっと背筋がぞ〜っとしたひとコマだった。


2004年07月26日(月) 24時間の苦痛

24時間休まる事無く偏頭痛と眼底痛が起こっている。

鎮痛剤は効き目無し。

寝つきも当然悪いし直ぐに目が覚める。

痛いな。

目も見えない時も有る。

目がかすむってこういうのなんだなって思う位。

今までこんなに痛みが強かったり長く続いた事が無かったので結構苦痛だ。

ダルさと頭痛で体力は落ちていく。

今やらなきゃいけない事沢山だからなあ。

軽井沢で再出発をスタートさせた、くだんのシェフのお店の導引を考える始末になった。

賛否両論だったけど、やはりあの人は職人であって、経営者では無かった。

前々からマネジメントを出来る人をパートナーに迎えないと駄目だと

話していたにも係らず、雇ったのは形ばかりのソムリエ。

結局HPを作ってくれと言われてその先の広告作業までをも請け負う事となり

色んな方面に早速電話やら仕掛け作りやらをし始めた。

頭痛が邪魔して何も出来ない。

急ぐ事は沢山あるのに。

五体満足が何よりもの幸せだとツクヅク感じるこの頃。





2004年07月25日(日) 緊張性偏頭痛/自律神経失調症

同名の偏頭痛と言う事がわかった。

自律神経失調症と言う事もわかった。

体調、食事、姿勢

全てに於いて弊害をもたらす日常疾病の一つだろうと解釈した。

友達がビタミン剤を沢山くれた。

今日から飲み続けると共に

運動、摂生を心掛ける事にした。

つい数日前まで真直ぐに歩けなかった。

怖かった。

脳の病気だとばかり確信していた。

体をほぐす事や摂生を促す事で少しづつ回復するようだ。

新潟の友達から夏野菜が届いた。

お米も貰った友達だが、なぜか同梱の箱の中にはエアパッキンの代わりに

大量の『パイの実』が入っていた。

何だったんだろう・・・。

今日から健康生活開始。

出来るかなあ。

健康生活。。。

環境から変えないといけないな。

(´−`) ンー


2004年07月23日(金) フィオレンティーナ復権へ

以前触れた事の有る破綻したセリエAの覇者『フィオレンティーナ』

そのフィオが再度セリエC(4部リーグに相当)から再出発を、計り

ついに今年セリエAに復活する。

実力で上り詰めたのだ。

しかも使用が許されて居なかったこの2シーズンぶりに『フィオレンティーナ』の称号を使用できる事となり

ついに復権へ向けての第1歩を標す運びになった。

かつてフィオレンティーナ出身の名プレーヤーは五萬と居たが

R・バッジォ、M・ルイコスタ、そしてセリエB陥落の時も支え続けた

アルゼンチンが生んだ名フォワード、バティステュータ等

スペシャルなプレーヤーが多かった。

老舗にして、常に覇権を争うTOP7と言うチームの一つだった。

今年再建し、復権に向けて、日本の中田が移籍する事になった。

実は中田はあの名門、R・マドリー(スペイン)からの正式オファーを断り

フィオに決めたのだ。

名門でサブに回るよりも、自分を中央で使ってくれるチームを選んだ。

俺の考えだとイギリスのプレミアシップも中田に合っている様な気もするのだが

所属事務所の公式発表によると『生涯セリエ』だそうだ。

日本とイタリアを結ぶ固い掛け橋となっている事は確かだが。。。

プレーヤーとして見た場合、日本代表の中では孤立する選手だと俺は思う。

むしろ中央では無く、右サイドや左サイドもしくはボランチの位置で

チームを操る方が中田が生きそうな気がする。(無論独断)

フィオはまだ有名選手の補強が出来ておらず、金銭面でも中田を利用した

マスコミアピールや広告収入などサブビジネス面での収益も期待しているに違いない。

それ以上に中田が生きるフォワードを獲得して欲しいと個人的には思う。

スピードが有り、ディフェンダーの裏を取れるフォワードだ。

前所属のパルマにレンタル在籍していたジラルディーノ、アドリアーノなどは

中田にとても有っていた気がするのだが、チーム方針上中田とホットラインを

作る事は無かった。

さてさて、俺はこのフィオが好きなチームの一つで、チームカラーも薄紫だったのだが

今期もそのカラーを使えるのか、フィレンツェのサポーターはイタリア一荒くれと言うお墨付きだが

果たして中田はボローニャ同様にチームの救世主となりうるのか乞うご期待だ。

中田の唯一凄いところは、チームを移動しても直ぐに結果を結びつけるところだ。

イタリアの目の超えたサポーター達は、結果を出せば直ぐに受け入れてくれる。

仏の顔も三度までのような所が有り、結果を出せないプレーヤーは

どれほどチームに貢献していても受け入れられないのが実状なのである。

中田は日本代表に必要不可欠なプレーヤーとは思わないが

海外の中心選手としての中田は確実に必要不可欠な生きるプレーヤーになっている気がする。



2004年07月22日(木) A.Dunhillと言う老舗

今アルフレッド・ダンヒルが調子良い。

時計で手腕を発揮しつつ

随分前からスーツは『イザイア』が手掛けているとか居ないとか。

イタリアのナポリ製クラシコが誂えるスーツに変わり身しただけでも

ダンヒルの底力は計り知れない。

今ダンヒルが出している車関係に携わったシリーズの時計は

群を抜いてカッコイイ。

オヤジしか知らないダンヒルのイメージを持っている奴は

相当な頭デッカチと言える。

イザイアを知って、ダンヒルを知るべし。

要男気。


2004年07月21日(水) Cancer/癌

火曜の朝、癌のドキュメンタリー番組を見た。

悲痛な叫びの届くような内容だった。

何組かの家族のドキュメンタリーと共に一つ俺の気を引いた物が有った。

夫婦娘一人の3人家族に、ある日突然父親が肺癌宣告をされた。

末期(4)だった。

母は娘と父に笑顔で馬鹿に振舞った。

やがて父は貯金のない事や転職したばかりと言う

自身の状況を省みて、病院をむりやり退院し結果2週間後に死去。

そして毎日を馬鹿に振舞い笑ってばかりいた母に娘は激怒。

しかし、実は母の身体にも父と時期を同じくして胃癌が住み付いていた。

父の看病をする立場に居ながら自分が手術を受ける事は出来ないと

無理を強い、娘と父に内緒で胃癌を隠しとおした。

結果、間もなく母も死去。

残された娘は一人施設に預けられ、後に結婚。

だが本人もまた子宮頚癌と診断。

何とも不運な運命だろうか。

厚生省は2015年には癌患者の死亡数は今の2倍になると正式発表したそうだ。

もはや直せないはずなどない医療革新の時代に

こうして今尚苦しむ人々を見るたびに涙腺が緩む。

この日も朝から涙が止まらない程、久し振りに泣いた。

Cancer・・・死と隣り合わせに生きる人間がどんな心もちで居るかを

身近に見た者として、様々な事を考えさせられ振り返させられる。

生は尊く、エネルギーの要るもので有り

それまで普通に感じられていた幸せの一片を奪われた時

その有難味を実感するので有ろうか。

今年も夏は暑く、体調を左右する。

今を幸せに生きるキーワードを探し、いつまでも前向きに楽しみを発見出来る様

奢らず、焦らず、じっくりと確実に一歩を踏み続けたい。



2004年07月20日(火) カルティエと言う一流ジュエラー

おれはカルティエのジュエリーとリストアクセサリーが好き。

カルティエのフルランナップで嫌いなものが無い程だ。

カルティエの時計の部門の最高決定権及びマネジメント以外全てを仕切っているのが

女性だと言う事を余り知られて居ない。

元々一流ブランドの時計士だったこの女史は

約3年前にカルティエに就き、その手腕を振るっている。

ツゥールビヨン機構に始まり、単なるカルティエのコレクションを

一流時計メーカーと戦える戦力を身につけさせた逸材である。

その力はデザインにまで及んでおり、それまでの売れない代名詞とされてきた

『サントス』などを機械式に変えるなどムーブメントの変更のみで

時計好きを唸らせる存在にしてしまったほど。

彼女が与えるカルティエへの功績は大きい物で

どれほどカルティエから見込んでいるのかは解らないが

俺の中では、それまでのカルティエとは180度違った時計作りをしている事を見れば瞭然だ。

ブルガリやV/C/アーペル、ティファニーのそれとは違い

明らかな時計ブランドのみでも一人歩き出来るだけの物を備えているからだ。

かつてブルガリのムーブメントも、かのジラールペルゴが作ったり

革はカミーユフォルネが提供したりしていたが

時計その物の価値観としては『ジュエラーが作る時計』と言う感じは否めなかった。

同じくしてエルメスもこの状態を脱却すべく素晴らしい時計を近々発表した。

どのメゾンも躍起になる理由は時計の出来ひとつで

全てのブランドイメージを変えられて見られてしまうからだ。

ブシュロンもダミアーニも有名デザイナーを使いブランドイメージを表現しようとしているが

やはりカルティエの牙城にはほど遠い。

カルティエは特別なのだ。

それほどにこの女史の功績は揺るぎ無く

おれがカルティエのCEOだったら、彼女に取締役の席を用意するだろう。

カルティエが他の時計を扱う一流メゾンと一線を置く理由はそこに有る。。。


2004年07月19日(月) 延髄痛2

もうかれこれずっと延髄の痛みが続いている。

頭に血が上ったりタバコを吸ったりするとなる。

今日は瞼が重く開かずコメカミが痛む。

どうにかなってしまうのかな。

俺の頭。

激しい痛みがずっと続いて居たら脳外科に行って見ようかな。

このままポックリ逝けたら楽なのにな。

とにかく鎮痛薬を我慢して、しばらくタバコを少なく、野菜を摂取する事にした。

おかしな痛みだけに怖い。

年と共に自分の体の不調が不安で仕方無い。


2004年07月12日(月) 延髄痛

4日ほど前から延髄の血管が切れるような音がよくする。

以前問診結果で脳溢血の気が有ると結果が出たので少々怖い。

例えば寝ている時に思い切り体を伸ばしたり

怒りながら頭に血を上らせた時に

頭の中の血管が切れるような音がして

それからしばらく頭が(延髄)痛くなる。

それはしばらく続く。

タバコの本数を少し減らそうとも思っているが今はストレスの方が勝って居て

中々やめられない。

フシギな痛みと毎日闘いながら現実とも闘っている。

負けるな自分。

エイエイ (ι´Д`)ノ オー!!

*o_ _)oバタッ 脳溢血死。





2004年07月11日(日) 人を信じる事

人を信じる事がまた出来なくなった。

自分に関係の無い人間がどうしようがなにを思おうが関係無いが

自分に因果関係や携わった事の有る人間に

不釣合いな出来事が起きた時

人に対して内心に常にビクビクした気持ちを持っている俺は

ちょっとした出来事が急転直下として人への不信感となる事が少なくない。

これも我侭な性格なのかも知れないけど

俺にはこんな性質が根付いてしまっている。

人を信じて裏切られる事

それは誰だって嫌に決まっている。

でもそれと解って居ながらにして裏切られたら

心持は重くなる。

人を信じて人に頼って生きなくては生きられない

状況だったり環境なのに

人を排他的に見る時がたまにある。

人を信じて信じた方向が別の方向に向いていたらそれはどうだろう。

たいした事じゃないのだけれど。。。俺にとっては不快。

人は面倒臭い生き物だ。


2004年07月10日(土) レンジローバー4.0

いつもお世話になっている先生の車が納車された。

イギリスのレンジローバー4.0だ。

色はミッドナイトブルーで内装は薄タン色に紺色のパイピング。

最高にかっこよかった。

今売られている現行レンジで無ければ意味が無く、先生も慌てて購入した。

今のレンジはあと数年後フォード製になってしまうからだ。

フォード製がいけないわけでは無いが

現行のBMW製の方が安心感と信頼性は強い。

元々BMWはエンジン屋だから日本で言う所のヤマハみたいなものだ。

先生は俺に見せてくれるだけの為に仕事に乗ってきてくれた。

しかも動物の毛だらけ汗まみれで乗ってきてくれた。

感謝。

夜も先生に誘われて飲みに出た。

先生なりに色々気遣ってくれてる様だ。

おれはサッカーと格闘技と車だけには我を忘れる事が出来る。

今日はホンの一瞬我を忘れる事が出来た。

最近サッカーでも格闘技でも自分が夢中になれて居ない事に気付いた。

以前なら急いで帰宅してたのに。

何か自分の中で変わりつつあるのが手にとる様に良く解る。

過渡期。


2004年07月09日(金) 一息

ようやく先日友達が退院出来た。

とりあえず一安心。

奴の状況を想像する限り見守る家族の気持ちの方が俺には先に立つ。

涙が出る思いだった。

故人とダブるからだ。

とりあえず娑婆に出られた事に対しては神に感謝。

命有っての賜物だ。

ここの所ずっと暑い。

今日は若干疲れも加算され軽く脱水症状を起している。

珍しく熱中症注意報が発令された。

そりゃあ暑いわけだ。

頑張らないと。

今月は色々大変だ。

頑張れ俺。






2004年07月08日(木) 無の苦痛

無の苦痛

様々な無が目に見えない苦痛として

降りかかり、モチベーションを低下させる。

夜を越し、朝、意気揚揚と力むも

目に見えぬ苦痛は確実に心を蝕み、気持ちを萎えさせる。

目に見える結論や結果、形を変えた姿を見る事でそれは

心の安心となり、束の間の心の安堵を作る。

見えない苦しみ

それは如何ともする事が出来ぬ無の苦痛。

ただ虚無感に流される制動的な心の空白とは違い

動きを求める時間との戦いの間に生まれる苦痛。

耐え忍ぶその忍耐にも無は脅迫観念として覆い被さり

またしても心を蝕み続ける。

今をどうして生きようか。

今をどうして越えようか。

今自分は何をしなければならないのか。

自分を見失う事ばかりが次々と頭の中を巡り輪廻する。

こんな苦痛とどれだけ共棲しただろう。

麻痺が麻痺を生み

パブロフの犬

のようにシンドロームを心に作り上げる。

避けざるを得ぬ苦痛や葛藤と常に向き合いながら

遠回りを続けて来た今の自分に未来を考える心の余裕は無い。

それでも時間は容赦無く自分の背中を押していく。

重い足を一歩づつ持ち上げられ

次の場所へ進まされる。

下がる事も進む事も留まる事も許されない

時間との葛藤。

いつまで続くのだろう。




2004年07月07日(水) 排他的潜在心理

小さな頃から頼れる存在って余り無かった。

男だから頼るなんて言葉勿論変だけど

色んな境遇の中で心の頼り所って言うのを

身近に感じなかった気がする。

何をするにも孤独感て有ったかな。

おれは心の保険、心の頼り場所が欲しかった。

いい大人が何をって思うかも知れないけど

やっぱり、気持ちの上では何かに心を預けておきたいと思ってしまう。

今の時期のように自分が孤独だと言う事を

改めて感じた時に一番それを思う。

何に対しても背伸びして我慢して来た気もするし

無理を強いて来た気もする。

いつの日からか、身の回りの人にお世話になるようになり

人の差し述べてくれる暖かい気持ちを手にする事が出来た。

こういう心のよりどころも有るのだと思った。

切迫した状況を何度も見て、救って、見守ってくれた人も居た。

でも所詮おれは甘えてるに過ぎないのだろうと思った。

それでも心の隙間を生める手立ては今は無く

ただただ心の孤独感と共に毎日を追いやるだけ。

仲良しは何人も居る。

でもその中に自分を真直ぐにさらけ出せる人はいるのか。

それは解らない。

弱い自分にもろい鎧を重ねて

世に憚り、自分を偽る。

思いとは裏腹に心は次第に荒み、音を立て崩れる様になる。

世の中とは別の世界に生きている様な錯覚にさえ陥る。

おれの環境って言うのは人並みの生活や楽しみが許されないのか?

とさえ思う様になる。

年を取れば取るほどそう思う。

苦労を自らしたがる人なんて居ない。

要らぬ苦労なら避けて通りたいに決まってる。

長い長いトンネル。

入り口からまだ進めて居ない気がした。

世は七夕。

良いことが自分に訪れる様、心から願おう。


2004年07月06日(火) 時間と扉

諸行無常。

永遠に同じままの物は一つとして存在しない。

万物が時間と言う物に後ろを押され

形を変え変わり行く。

実直と被虐。

表裏一体に近い精神世界。

実直が生む利益は少ない。

新たな扉の向こうを覗く時

新しい発見を期待して、扉を一つづつあけて行く。

何か新しい発見と共に

新しい何かを掴む事が出来るといい。

他動では掴む事の出来ない自らが手にする新しい何かを

探し、掴み、形に変えるまで

扉は何度も開け続ける。

自分の求めている何かが見つかるその部屋の扉まで。




2004年07月05日(月)

神戸に住む友達が実家東京を後に原付バイクを届けにわざわざやってきてくれた。

普段から商売に対し釈然としない俺を気遣ってか

買物をして行ってくれた。

奴はもうすぐ仕事を辞める。

いや、実質上は辞めているのかも知れない。

奴の心遣いが、今のおれのこのモチベーションから脱却させてくれた。

ホンの少しの時間でも奴は奴なりに俺に気遣ってくれたに違いないし

それ以前から色んな事をおれにしてきてくれていた。

奴がどう言うつもりで俺に逢いに来てくれたかは解らない。

ただ言える事は感情表現が非常に不器用で俺に無理を強いて

何かをしてくれようとしている事だけは伝わってくる。

感謝。

友よ。






2004年07月04日(日) 人の歩み

人の歩みはその人の歩幅によって違う物。

勇み足、急ぎ足、及び腰

歩みによって人は到達点までの早さを競うのか。

そうじゃない。

歩んでさえ居れば必ず到達点は見えてくる。

到達点に辿り着く事が出来るのだ。

確実に到達するために幾ら時間を裂こうと良いじゃないか。

人の歩みは千差万別。

早さよりも到達する事が大切。

見えぬ先を急ぎ足で進むより

先が見える所までゆっくり歩んで行けば良い。

到達点に何が有るのかも又人それぞれ。

人が何か目標を持たずに居たとしても

人は死と言う到達点を背負わされている。

いつか辿り着く同じ到達点に着くまでに

何か大切な物を拾えれば良い。

自分のスピードで。。。


2004年07月03日(土)

目は前に付いている。

後ろには付いていない。

前を見るために前に付いている。

後ろは振り返らないと見えない。

前を見て前を見るだけに目は前に付いている。

目は前に付いている。


2004年07月02日(金) 苦しいな

いよいよの季節に入って自分がとても苦しい事に気付いた。

今まで気付かないふりをしてた。

苦しい。

沢山苦しいよ。

色んな事に目を背けて楽しい事だけに目を向けて来たからね。

自分が正しいと信じて真直ぐ前だけを見て間違いの無い自分をただただ信じるだけ。

今はそんな時期だから。

決して避けて通れない自分の運命をしっかり両手両足で支えて

いつか見えるトンネルの出口の明かり目指して

ホンの僅かづつでも進む事を考えるだけ。

ただひたすら。

今の俺が唯一和む物、それは

石鹸で洗った自分の手の香り。

優しい香りに自分がホッとする。

たったそんな事が今のおれを和ませる。

それほど自分が息苦しいのかと改めて自覚する。

目を背けたらいけないんだけど

目を背けたくなる自分の現実。

強くも有る反面、もろい自分。

表裏一体になる事の無い自分。

もろさを持つ事で人の弱さを助けたくもなり、おせっかいもやいてしまう

駄目な自分。

強さだけで生きられたら良いのに。

自分が叫び声を上げられる場所は有るのかな。

自分が泣ける場所は有るのかな。

自分がどんどん小さくなって行くのが解る。

意味の無い矛盾と現実逃避の毎日。。。



2004年07月01日(木) 至極方正

街がセールでごった返す時期になった。

どこもかしこもセールだらけ。

今年はどこも聊かセールが不調な様子。

週末にずれ込みそうな気配だ。

今世の中の人たちは良い意味での品行方正を知りつつある。

世の人全部がと言うわけでは無いが、色んな物が氾濫して

値段が安くても品格が良い物。

値段に相応しいリアルにマッチした物を見る目が自然と養われつつある。

都内では既に根付いている物のおれの居る土地ではまだまだ浸透されて居ない。

ただ、人を見ているとホンの少しづつそんな物を匂わせる感じがする。

良いものを自分の足と目で確かめて金額を判断する。

こんなに当たり前な事が日本の人々にはこれまで出来て居なかった。

飽食の時代を何十年も暮らし当たり前になりすぎて

ぬるま湯から脱却出来ない世の中の人が多いからだ。

フランスやイタリアの人々のように

当たり前の品行方正を持った若者が日本には少ない。

至極主義。

豪華主義。

豪華主義≠品行方正。

世の人に足りない物、それは発展途上国にアリがちな、モラルとマナー。

日本は言わずと知れた先進国で有る。

今、ようやく精神分解され、再構築される時代に人々は生きているのかも知れない。

飽食は要らぬ当たり前を生み、駄社会を作り上げる。

今、全ての要項に於いて、過渡期な時代なのでは無いだろうか。

政治も経済も国交も。

(なんて偉そうに言っている俺は余り社会の事を良く知らない・・・(-L- ) クックック)


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