++ diary ++

- 諸行無常 -

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2004年04月30日(金)

少しざわめきと葛藤と

色んな事を考えて胸騒ぎがする。

一つ自分が思う毎に大きく心のどこかが反応して

拒絶と後悔と色んな物が交錯する。

日常に満足する一つの自分なりの法則を見つけた。

おれは自分が日に日に解らなくなり

何かこの「もやもや」を取りたくて仕方が無い。

もやもやの原因は解ってる。

でも取れない。

心の動揺はまだ続く。


2004年04月29日(木) MISIA

MISIA良く聞いたね。

MISIAの曲は特別なんだ。

MISIAは特別。

MISIAの曲が一番良い時にいい時間を過ごした。

MISIAの曲を聞く度に心地良かった時間が頭の中だけに戻ってくるんだ。

となりのFM局で『つつみ込むように』が流れてる。

MISIA良く聞いたね。

MISIAが好きだった。

いつまでもMISIAは特別。

Everythingもね。。。


2004年04月28日(水) 新発想

某・企業店舗向けレンタルマットレンタルオフィス用品の企業が

面白い発想の商売を開始した。

それはレンタルマットやレンタルモップを契約するのと同じく

サラリーマンのYシャツをクリーニング込みで1回280円ほどで毎回取り替え

洗濯後納めてくれると言う物だ。

つまり洗濯の必要もアイロンの必要もクリーニングに出しに行く手間をも省き

業者が取りに来てくれて糊の効いたシャツを置いて行ってくれると言う物。

この企業の場合一着あたり、ほぼ6千円〜1万円前後の小売価格の物を繰り返し、使い続けると言う物だ。

クリーニング業務を省き買い取る場合はその小売価格で販売もしてくれるそうである。

ここまでなら『面白い発想だ』で、終わってしまう。

おれが凄いなと思ったのは

『全て生地を選択後、採寸の上オーダーして作成』と言うところだ。

これはどんなに生地が安かろうが自分の寸法に合った物を

着た事の有る人間ならば、誰もが心地良さをわかるはず。

つまり自分だけの為の管理をしてもらえる新機軸のクリーニングと考えるといい。

管理人付きのマンションで管理人にクリーニングを依頼しておいたとしても

取りにきて届けるまではいかないだろう。

しかしながら多忙な昨今のサラリーマンには、利有って損無しの存在では無いだろうか。

凄い事に着眼したこの企業に手放しで拍手したいほど

隙間な商売だと思った。

まさにパーソナリティ、オリジナリティ、カスタマーサービス、様々な商売に必要な要素を含んでいると言える。

感心、天晴れだった。


2004年04月27日(火)

昨日自宅の押し入れを少し整理していた。

かなり昔、故人に書いた手紙や写真などがドッサリ出てきた。

整理を中断して読み返してしまった。

ひょんな事からもうあっという間に2年も経ったのだと言う事を

今日の昼間感じたばかりだった。

爺さんも天国に行き、この世に残される者の現実との駆け引きや

苦しさをまた考えるような毎日に戻ってしまった。

仕事をしている時間が今は充実している。

報われて無いけど

それでも仕事をしている自分が充実していると思うようになった。

本業をもっともっと頑張ろうと言う気になれて来たから。

今日は雨降り。

寒くなったり暑くなったり

毎日天気が変化する。

おれの気持も変化する。。


2004年04月23日(金) 自分に正直に生きる事

自分に正直に生きる事って難しい。

いつからか正直でいる事

自然でいる事

気を使わずにいる事

考えずにいる事

こんな簡単な事が出来無くなってた。

仕事柄そうなったのかな。

年齢がそうさせたのかな。

家庭環境がそうさせたのかな。

元々の性格なのかな。

自分がしたい事正直でいる事

言いたい事やりたい事を口に出す事が難しい。

言えない。

やれない。

臆病な自分と我侭な自分。

我慢を強いる自分。

大勢の中の孤独感。

自分は何だろう。

自分は楽しいか?

自分は幸せか?

自分が自分で居られてるか?

自問自答は増えるばかり。

こうしてまた自分を誤魔化して一日が過ぎていく。


2004年04月21日(水) 夢見

へんな夢を見た。

延々と喧嘩をしている夢だ。

おれの中学時代の実家の風景に自分が今の年齢で居る夢だ。

そこには倒産後の実家の風景。

辺りにはヤクザが沢山。

おれはなぜか親父の代わりにヤクザたちを諭そうとして

そのまま喧嘩になっている夢だ。

喧嘩してもしても沢山湧いてくるヤクザ達。

なぜかおれは疲れていて幾ら殴っても殴ってもヤクザは倒れない。

2人目を倒した所で1度目が覚めた。

そしてまた続きを見始めた。

実家にはおれしかいなくてひたすら喧嘩をしてるんだ。

延々とずっと喧嘩をしていた。

とっても夢見が悪かった。


2004年04月12日(月) 久々の胃痛

嫌いな物を好きになる事

好きな物を嫌いになる事

矛盾を肯定する事

否定を肯定に変える事

人生を我侭に生きる事の難しさ

出来る気がして出来ないのがわがままを通す事

挫折や失敗、難問を経て知る現実の感情と心のギャップ

昨日は久々に潰瘍がイタヅラをした

また数日空腹とにらめっこ

意せず方向へ進もうと坂を駆け上がり

壁を攀じ登り

来た道を見えぬ様、壁の向こう側へ飛び降りる

一層壁が高ければ戻り戻れぬ壁へとすがる事も無く数歩先へ目を向けるのみ

36にもなれば社会的自立が当たり前

人に迷惑を掛けぬ様ひっそりと自分と向き合い

時に自棄を

時に理性を

時に夢を

そして忍耐を



2004年04月09日(金) 密かな喜び

昨日当地から少し離れた場所のリサイクルセンターへ行った。

何の気無しに覗いて見た。

沢山の古着の山。

何となく気持ちを引く物が目に入り

手にして見ると、そこには一つのぼろぼろのジーンズ。

値札には1300円。

こんなショッパイ場所でこんなショッパイ商材しか無いのに

おれの目に入って来たこのジーンズ。

きっとこんなローカルな場所で知る人が居ないんだろうなと思ってずっと辺りの客を見渡して見ると

見るからに近所のオバサンしか居ない。

レジのお姉さんもそれ相応。

各しておれはそのジーンズを1300円で買って帰り試着。

やや大きめなのと後ろのベルトループが取れているのを除けばコンディションは最高の色落ち。

定価19,000円するであろうそのジーンズは

フランスのAPCの物だった。

ちょっぴり得した気分の一日だった。



2004年04月04日(日) 告別式〜そして日記の休止

明日は告別式。

おれが爺ちゃんに逢いに行って死ぬまでの3日間

爺ちゃんはおれの夢の中に毎日出てきた。

逢いたかったのかなあ。

明日は唾液が少なくて良くしゃべれないお婆ちゃんの為に南天のど飴を

買って持って行ってやろう。

婆ちゃんの世話をしてやろう。

気が抜けた途端に自分も天国に行ってしまうと言う老夫婦の話しを良く聞くので

正直怖い。

明日は元気づけて上げよう。

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日記を少し休む事にしよう。

現実の忙しさを直に受け、これからを頑張る為にしばらくの間没頭しよう。

長い事書き続けて来た日記だけど。

心の内を出せてた唯一の物だったのかも。

少し疲れたからな。

休もう。









2004年04月03日(土) 爺さんの死

金曜日の午後一時に爺ちゃんは目を落とした。

88歳の命を全とうした。

最後の最後まで人に慕われ嫌われる事の無い爺ちゃんだった。

土曜の夜通夜に向かった。

仕事をハネてから行ったから殆どの身内や家族は居なかったが

やっぱりおれの育った爺ちゃんの家だけ有って、一緒に面倒を見てくれた爺ちゃん方の兄弟(もちろん高齢)たちが

おれの顔を一目見て帰ろうと来るのを待っていてくれた。

やがて周囲の人、おれの家族なども帰って行ったがおれは婆ちゃんが一人残され機を張っている気がして

可哀相で、腕を患ったり膝を患っている婆ちゃんの体をさすりながら

爺ちゃんの話しをしていた。

みんなが寝ようとするまで一緒にいた。

そして婆ちゃんたちの布団を敷いて上げ、寝るのを見届けてから帰ってきた。

爺ちゃん婆ちゃんが年老いて行くのを見るのも切ないが

自分の親父とお袋がやっぱりどんどん小さく見えていく。

還暦を遠く昔に過ぎ、今や70に近づいている自分の親の姿を見て

改めて自分の年齢を感じた。

色々思う節や人の思われ方色んな物を感じながら、自分なりに考え色んな事を廻らせた。

自分が人への驕りを持って居ないだろうか。

自分が過信していないだろうか。

自分が正しく居られて居るだろうか。

色んな事を考えた。

相変わらずの車での往復だった。

雨がざんざんと降る中を往復しているうち、考える時間が沢山あった。

自分が正しいと思う方向へ足を進め少しづつ歩もうと思った事に変わりは無く

例え誤解が有ろうが磐石の思いで自分を居続ける事。

強固に自分を貫く事を考えた。

自分の代わりは誰にも出来ない。

人の代わりを自分も出来ない。

今、おれ自身が何を考えているかを、もう一度考えられた、いい時間だった気がする。

葬儀の場と言うのはもめ事が多く有るのが通説で

紛れも無くおれも兄貴と一戦交えた。

どう考えても矛盾する兄貴の言葉に許せず、キレてしまった。

何十年ぶりだろうか。

兄弟喧嘩をした。

兄貴は後からおれに気を使い始めた。

自責の念に駆られたのだろうか。

やがて帰るころに兄貴から一通メールが入り、言いづらそうな兄貴なりの詫びとも取れる内容だった。

最近ずっと大変な日常を送って居たせいか

しばらく平気だったはずのリンパ腺のヘルペスが又出てきた。

少し休みたいな。

体も心も。

磐石、、、とても言葉にするには簡単で、行う事が難しい言葉だ。

36歳、まだまだ修行不足だね。

爺ちゃん、さようなら。

故人、いとこの嫁さんと共に天国で仲良くやってくれ。

いつか、おれ自身が同じ場所に行けるまで。

さようなら。






2004年04月02日(金)

梅の咲く木を見た。

梅はどこか桜に似てるけど桜より華が無く少し控えめ。

おれは梅の花が好きだ。

桜に比べて細い枝に一生懸命に咲いている。

梅は脇役。

桜の時期と時を同じくして咲くけれど、どこか控えめで。

脇役は主役ほど重圧も無く、でも脇役無くして主役は映えず。

梅でいいんだ。

人生は梅のように有る事で身近な幸せや身近な大切な物に気付く事が出来る。

桜ほど満開に咲かずとも人の気持ちは得られる。







2004年04月01日(木) 深夜の病室

爺ちゃんに逢ってきた。

爺ちゃんはもう意識が朦朧としたりしているので家族が解らない。

おれが病室に着いたのが9時過ぎ。

たまたま居合わせたおふくろと一緒に交代を兼ねて1時近くまで居ただろうか。

爺ちゃんはおれをわかった。

言葉にならない言葉でおれを解って、カンジタ(カビ)によって乾いた舌を見せながら

おれの顔をみて笑った。

お見舞いを渡すと、それを『持って帰れ』とジェスチャーをする爺ちゃん。

衰弱しているのに孫と解って気を遣って居る。

爺ちゃんは事実上、おれの育ての親で

この母方の爺ちゃん婆ちゃんに育てられた記憶が沢山で実家に居る記憶よりも多い。

しばらく見ないうちにいつしか痩せ細り目は小さく窪み、まるで子供の様になっていた。

親父、おふくろでさえ、小さく感じるのだから祖父母は尚更小さく感じるのは当たり前だが。

人は死ぬ数日前になると意識が急にハッキリしたりする時間がある。

おれの行く前の日(30日)は、かなりハッキリ物を話せたそうだ。

少し心の準備が必要かも知れないと自分にも言い聞かせた。

ペースメーカーの音と自動点滴機の電子音だけが響く個室で高濃度酸素吸入と

氷を少しづつだけ欲しがる爺ちゃんを見ながら、ずっと手を握ったりさすったりしていた。

爺ちゃんは吸入機が嫌で、全部管から何から取りたがってしまうので

手にも拘束衣を付けられ、足には抵抗力低下のせいで出来たヘルペス(帯状疱疹)を消毒で湿らせた包帯。

痛々しい。

深夜の病室は故人を思い出す。

病状こそ違えど、その様に同じ光景をフラッシュバックして見てしまう。

これが嫌で、実は中々病院に足を向けられなかった。

爺ちゃんはまだ目で物を追える。

大きな声で声にならない声を発する事も出来る。

しかし故人の晩年はそれが無かった。

何度見ても病人の弱った姿を見るのは嫌な物だ。

外は土砂降りで雨がものすごく降っていた。

帰り道おふくろを実家へ乗せて帰り、その後帰路についた。

おれの好きだった爺ちゃんは、これから坂を下るように体調を悪くしていくだろう。

おれの今の性格の基礎を作ってくれたのはきっと

この爺ちゃん婆ちゃんの賜物かもしれないなと、ふと思う。

良い所が有るわけじゃないけど、困った人の声を掛けたりおせっかいをやいてしまうところ

色んな所に爺ちゃんと似たところを見る。

必然的におふくろも似ている。

爺ちゃんは慕われる人で敵の居ない人だった。

慕われる人が増え嫌う人の居ない人だった。

そんな人間になりたいよね。

どうせなら。。。

爺ちゃん余生を楽しめるような晩年じゃなかったかも知れないけど

あと何日生きていられるか解らないけど

頑張って欲しい。

31日の朝、おれは爺ちゃんのおれを呼ぶ声の夢?を見て起きた。

なんとも複雑な気持ちの夢だった。









toto