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- 諸行無常 -

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2003年12月31日(水) 当たり違いの大当たり

いよいよ年末も差し迫った今日。

店も昨日で終え今日は掃除と年明けを迎える準備に明け暮れようとした

その矢先・・・。

ドカーン。

ガラガシャーン。

車の左横に大きな音。

一瞬何が起こったかも解らなかったが

車の左横には車が突っ込んでいた。

すぐさま降りて文句を言いに行ったが、聞けばぶつけたその相手

2日前に親御さんを亡くされているとの事。

いかんいかん仏心がと思ったが、動いてる物同士の衝突は10:0の

過失割合はありえない為、とっさに言葉を続けた。

その後直ぐに警察に証明書を出してもらうために本署に向かった。

しかし事務的な仕事とは裏腹にはらわたは煮えくり返るばかり。

今年だけで自分に衝突されたのはこれで3回目。

そして車のトラブルその物も決して少なくない一年だった。

最期の最期に当たって終わった。

宝くじも当たっているのかと一瞬縁起を担いで見たが

さすがにそれは無かった。

現実にしっかり生きろとの神様の思し召しだろうか。

とにかく来年こそがいい年である様に祈りたい。


2003年12月28日(日) 年末の休暇

巷が年末休暇に入ったらしく静かになった。

店の周辺もかなり静かだ。

年末に週末がはまったせいか結構人も少ない。

官公庁関係も30日まで営業するらしいので30日までは静かだろうか。

何も変わり無く終わって行く今年も、この先を予感させる物が逆に怖かったりする。

結構年末は付いている事が多かったし続いていた。

でも最後の最後に途切れた感じだった。

その分来年はいい事が有れば良いなと思い、要らぬ期待もしてしまう。

来年は年男だなあ。

何かいい事有るかな。

(-人-)願願願。。。


2003年12月27日(土)

この世は全て理により成り理によって運ばれる

現実筆頭な世界。

カルマを信じる訳では無いがカルマのごとく

世の中は輪廻し無常に流れ続いて行く。

流れの支流に人の心が有るとするならば支流無くしてこの世の流れは生きる事が出来ない。

愛情、友情、同情、人の世に情け有り。

厳しき叱咤のごとくの情は一般的な情の言葉とは一線を画し

受ける者与える者の心にのみ浸透する崇え高き稀な物。

所詮分子の集まりが人間などと考えてしまえば痛みも喜びも一喜一憂せずに済むだろう。

しかし精神世界が有るのなら人の心のたどり着く場所には

必ずしてシナプスのように心と心を結ぶ

大切な要素も有るはず。

情とは何かを考えて見て欲しい。

あなたにとっての情とは何か?


2003年12月26日(金) マトリックス・レボリューション

ついに完結編を見た。

おれは暗くなったり体温が上ると眠くなるので

最初の部分を少しうとうとしてて見忘れた。

とにかくストーリー云々よりも圧倒的な特撮とアクションの多さにスターウォーズ以来の感動をした。

しかし元々難しいストーリーなので理解するには前作見ないと解り辛いかも。

でも楽しかった。

キアヌリーブスが最期どうなったのかが解らないけど

ビデオが出たらもう一回見てみよう。


2003年12月24日(水) クリスマス

夜遅くまでお店にいた。

さすがに周囲は早い時間から静まりかえりいつもの公園とは違う様相。

もともとクリスマスやお正月に縁の無い生活をかれこれ10数年続けているせいか

特別な物と感じなくなっている自分が恥ずかしい。

夕飯を食べに出かけるタイミングも逃し

結局人からの貰い物のウマイ棒とベビースターラーメンを食べて終わりにした。

なんと虚しい食生活だろう。(笑)

アベ・マリアのソプラノを聞いた。

神聖な気持になるね。

いつでもどこでもコレを聞くと気持ちがいい。

いよいよあっという間の年末だ。

やる事が沢山有るのになかなか何も進まない。

相変わらずの忙しさで過ぎたいつも通りの水曜日だった。


2003年12月22日(月) 公園と雪

FMからもTVからもゴスペルが聞こえ始める最近。

ラジオは特にクリスマスソング一色になり

どこか切ない冬の風物詩を醸し出し

街にはロマンティックなカップルや楽しみを集う家族たちの姿。

一年のうち最もイルミネーションが多くなる時期だろう。

珍しく沢山降ったこの雪も溶けずに木々の小枝を震わしながら

静かな公園にも雪の音を聞く事が出来る。

ピアノとゴスペルの歌声。

それだけで神聖に心を撫で下ろす事の出来る今。

癒される事の無い現実からも深夜の一時だけは心を無に出来る一瞬だろうか。

街中の灯りが消えてもあたりを白く光らせ

雪に反射する月の光だけが大きく

青白い幻想的な風景を作る。

今年もあとわずか。

困難を極める今をどうにかやり過ごし心に一時の休息が訪れる事を祈り

今日も頑張ろう。

誰も居ない公園を見ながら。。。


2003年12月21日(日) 自分が無くした忘れ物

一時の忘却に思いやり。

毎日があたり前になり過ぎて、気付けない物が有るとしたら

それはとても大切な物だったりする。

没頭する事で頭が一杯になり大切な物を気付けずにいたりする。

本当にしたい事も出来なくなったりする。

色んな物に捉われて足を掬われ大事な物を逃してしまう。

その先の支えをどうして作り得よう。

人生の先を予言など出来ない。

ようやく夏に一番大きな問題を裁判に持って行く事が出来て

これから徐々に問題を解決しながらもっともっといろんな事に精進しなければならなかった。

これからだった。

苦しい生き方だと思う。

どこかこんな苦しみを取り除ける所は無いのだろうかといつも自問自答する。

生きている以上頑張らねば・・・


2003年12月20日(土) 霧に入った所

波が次から次へとやってくる。

押し返されそうになる。

ポジティブになったんだよね。

これでも。

波を越えるには体力使うんだ。

幾つも幾つも越えると体力は失われ

そのうち溺れる。

溺れたら誰か助けてくれるんだろうか。

船が居る海なんだろうか。

沢山有りすぎな自分の人生にたまに後ろ向きに流される事が有る。

久し振りに潰瘍になった。

この痛みの数だけ痛みの分だけ越えている事になる。


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人って解らない。

おれは自分の人生の中で人殺し以外の殆どを経験してきた気がする。

大げさでは無くそれくらい沢山の経験をして来た。

その経験から招かれる助言も知識も人の役には立たない。

理解も得る事が無い。

何がそうさせてるんだろう。

人の心をもコントロール出来てしまったらそれは機械と同生している様なもんだろうか。

自分が今置かれている状況も何もかもが、思いも寄らずに招いた出来事だから

自分がどうにも出来ない苦しさと

手に取れない物の大きさを知る事になる。

裁判アリ、人の死アリ、色々一度に起きたこの1〜2年に俺に課せられた物は大きい。

現実を逃げる訳にも行かず真面目に対峙しない事には進めない数々。

理想だけでは生きていけないんだと言う自分への改めて思う感情。

もがいている自分が何を手にするか解らないのに

もがいている。

霧を掴むようだ。


2003年12月19日(金)

雪が降ってきた。

2度目の雪だ。

結構早い今年の雪。

本格的にしんしんと降るのは珍しいかも。

寒いもんなあ。

ここんとこ。

友達は明日早速ボードをしに行くと言う。

もうそんなシーズンだ。

早い早い。

1年なんてあっという間だ。

本当に早いなあ。

やる事やり残した事沢山あるのにな。


2003年12月15日(月) 夜中のJAZZ

夜中また仕事をした。

誰も居ない景色になった。

今は寒いせいか前ほど公園にたむろする若者もおらず静かな夜中になった。

ゆうせんの海外FMを聞きながら仕事をした。

本当に静かで誰も居ない公園と町の中心。

空は綺麗に星が見えて月も真上に大きく光ってて

この世の征服感でいっぱいだった。

海外FMのジャズに交じってクリスマスソングが聞こえるんだけど

静かに聞こえると商売っぽい曲にならずに聞こえる。

普段街中に居る分商売的なクリスマスソングばっかりだから

すこし違った聞こえ方になる。

とっても寒かった。

帰る頃にはもっと寒くなるんだろうな。


2003年12月14日(日) 流れ星

夜中2時を回ってた頃かな。

とっても寒くて星がしっかり見えてました。

人を乗せて送り届ける途中

交差点や建物が突然、視界の開けたその瞬間

一筋の流れ星がすーっと下に向かって伸びて消えた。

願い事をする間もなく消えた。

まだまだ続くこの先の人生がとても素晴らしい物になります様に。。。

来年の出来事が良くなります様に。。。


2003年12月13日(土) 続く不運のナンセンス

ここんとこ面白くない事が続いている。

デジカメが突然意味も無く壊れた事に始まり

>パンク>ホイル紛失>店の椅子が盗まれる

などと不運が続いている。

元々店の外に置いていたアルミ製の椅子とテーブルのセットは

コンランショップなどにも置かれている気に入っていた物。

その椅子が一脚無くなっていた。

残業の為に夕飯を食べていたその隙にだ。

交通量こそ無いが公園に面しているので人影も多く

堂々と盗んで行ったものが居る事が理解出来ない。

しかしこれも来年年男になる事への布石であって

来年もっとわるい事が起きるのか

それとも今年厄を落として来年に向かい良くなるのかは解らないが

いい方向に進んで欲しい物だ。

しかし中途半端な出来事が多いので今度は何が起きるんだろうと

心配になってしまう。

今の所木曜日からずっと毎日何かが起きている・・・。





2003年12月12日(金) 当たり前がもたらす物

最近の自分はとてもポジティブで前向きな力強さが結構みなぎっていた方だと思っていた。

始末し尽くせない沢山の負が覆い被さり

それでも払い除けようと、全てに前向きにして来たつもりだ。

後から後から絶たない負の材料は永遠を思わせる程続き、頭を悩ませる。

どこで終わりが見えるのか。

どこで休憩出来るのか。

どこからが人生を楽しく過ごせるのか。

暗中摸索。

心の中にまた霧が掛かった。

当たり前の生活のリズムや当たり前の毎日がとっても幸せに満ちている物だと

言う事を何度も知る事がこれまでに有ったが

やはりいつも感じる事は同じ。

心の安定は全ての調和が取れた平穏な毎日にこそあるのだと言う

『当たり前』

きっと今この心の靄もいつか晴れる為に今を前向きに歩む事で後ろ向きに進む事は無いだろうが

亀ほどの歩みで少しづつ進むしかないのかな。

幸せの定義について書いた事が有ったけど

やっぱり『当たり前』の毎日に勝る幸せは無いよ。

心の解放が最も願われた一日だった。


2003年12月11日(木) タイヤ続編

昨日遅くまでかかりしょうが無いのでスタッドレスに履き替えた。

一個ホイールキャップが中々はまらないのがあったので

むりやりグーパンチで叩いて入れたら『メキッ』って音がした。

とりあえず気にしないで、今日の用事の為に高速にのった。

ずっと気付かずに乗ってたんだけど、なんかヒューヒュー音がする。

なんだろうと思って音の方向へ回って見ると

ホイールキャップが一個どこかに飛んで行って無くなっていた。

・・・。

どこまで付いて無いんだ。。。

しかし久し振りに逢う人が何人かいたので

思い出話に花を咲かせた。

ひとり高校時代の同級生が居て、2階建ての美容室をやっているのだが

そいつの所に行きマルボウズに限りなく近いゴブガリにしてもらった。

いい気分転換の出来た一日だった。

不満半分、楽しさ半分のフシギな一日だった。


2003年12月10日(水) パンク

今朝またしてもパンクした。

今年に入ってもう何度パンクを味わっただろうか。

しかもいつも金の無い時に限ってパンクしてくれる。

今日は辛うじてスペアタイヤが積まれていたので、それに履き替える事にしようと

思ったらなんと!!

スペアタイヤ(ちなみにスペアはピレリだった・笑)の空気が無い!!!

長期間確認しなかった前オーナーのせいか空気が抜けたまま入って居なかった。

しかし道中で立ち往生も困るので直ぐに替えて、とりあえず駐車場まで

徐行運転して戻ろうとしたら、これまた

こういう時に限ってまた老人運転や不安全な運転手達の危険な運転に苛まれるんだよね。

とりあえずスタッドレスに履き替えつつ次の方法を考えようと思った。

( ̄ヘ ̄)ウーン しかし昨日から突然意味無くデジカメが壊れたりしてるしなあ。

なんか虫の知らせかなあ?

いやだなあ。。。

来年は年男だし、なにか有るなら今年の内に病み切って置きたいなあ。

ε-(ーдー)ハァ



2003年12月09日(火) 趣味性趣向

最近ユーズドの仕立て直しにはまっている。

昨日はイタリア軍パンの裾ゴム外しに熱中し、ミシンなるものを駆使して

ようやく思うような物に仕上がった。

そのまえは手縫いでスウェーデン軍の鹿の子ヘンリーのTシャツの裾が割れているのを

裾に少しだけスリットを作り縫いつけた。

これも成功だった。

最近自分が意外と余暇を過ごす事が意外に上手なんじゃないか?と思い始めた。

全く無趣味の人も居れば、したい事が有るのに不器用な人もいる。

おれは昔から趣味やしたい事が途切れた事が無い。

確かに、どれだけ苦しい時期でもしたい事は山ほど有ったし、出来るように頑張って来たからなあ。

これこそが楽しみなんだろうな。

俺の中では。

自分が生きている内は幾らでも楽しみを見つけられる気がする。

人って千差万別で、本当に自分と似ているなって思うような人でも

やっぱり違うんだよね。

どこか似てるのに価値観が、あわなかったりもする。

でもね何かが一致してるだけで人って幸せな気分を感じる事って有ると思うんだ。

全てが合わなくても、どこか共感できる趣味や会話が有るだけで人って幸せになれる。

もちろん哀しい時の傷を舐めあうのとは、ここで言う共感は違うけどね。

惨めな傷の舐め合いはいいもんじゃない。

虚しさを広げるだけ。

せっかく生を受けたんだから、楽しい自分の未来を作って行く事位は自分に課せられた使命なんじゃないかな。

残り少ない人生なんだから常に『Take It Easy』で行きたいね。


2003年12月06日(土) カルティエ・パシャ・メリディアン

同名の時計を3年位前に買った。

ずっと大事にして持っていた。

自動巻きで24時間計が付きGMT機能が付いている。

もともと時計が好きで色んな時計をして来た。

昔商売を駆け出しの頃、何度か質屋に質草に入れて助けてもらった時計も幾つか有った。

これまでにブルガリやル・クルトや色んな時計を処分して売ってきた。

売らざるを得ない形で売って来たのでやっぱり悔やまれる。

おれの大事にして来た時計やアンティークは、おれと一緒に色んな時期を経て来ているし

色んな苦楽を共にしてるから、思い入れもまた深い。

自分が大事にしていたものを手放す時の寂しさってとっても苦しい。

現代にも売っている物ならまた買えば良いと思えるかも知れない。

でもそうじゃない。

おれは生きるために働き頑張り、幸せを得るために毎日を働き頑張る。

尊い物を得るために、物は時間に変えられない。

いつか昔話を笑える様に一日でも早く前の余裕有る毎日に戻りたい。

人にはかならず晴天の霹靂と言う物が付いて回る。

それを受け止めた人間がそこで受ける壁の大きさをどうやって越えるかによっても

人の幸せの価値観や思いも変わるだろう。

今は時間と言う、おれにとってもっとも尊く大事な物として感じた物を得るために身を削り

痛い思い出の一部も削っている。

カルティエのこの時計を譲る人が『○○さんの持ち物だから安心して買えるし大事にするから』と

言ってくれた。

次のオーナーの手元で大事に愛されて欲しいと思う。

今、この時計は定価45万で売られているが、同じタイプの物はモデルチェンジをしたため

新品での入手は不可能になった。

去る心の1ページがとっても重いものになった。

さようなら。

おれの時計。


2003年12月05日(金) 恩恵

寒くなってきた。

ようやく冬を感じさせるような陽気になってきたよね。

今年も年末ジャンボ宝くじの時期になったね。

早いよねえ。

そういえば面白い話が有ってね

去年の年末ジャンボ宝くじの当選金の換金が済んでいない物が結構有るらしくて

おれの住んでる同県内だけでも2等の1億円が2本も未換金らしい。

それほど買うだけ買って放置されている物が、全国ではかなり有るらしいよ。

今年は今までの当選確率で行くと至上最高の確立での本数が入っているらしい。

余談だけど宝くじの当たる確立って言うのは

『宝くじを買った帰りに交通事故に合い救急車のお世話になる確立』

らしい。

何とも難しく解りづらい確立だ。

話は変わるけど、最近本業以外の事で体が忙しくてしょうがない。

でも普段から嫌と言わずに付き合いをかさねていた恩恵をここの所受ける事が増えてきた。

いい事ばかりでは無いけれど、色んな意味で人から受ける贔屓が増えて来たんだ。

こういう関係を大事に育てて行きたいと思っている。

それにそういう期待にも応えたい。

今を頑張ろうと思う。

来年の事なんて考えててもどうなるか解らない。

とにかく今を頑張って生きる事。

大切に大事に楽しく生きる事が大切だと痛感している。


2003年12月04日(木) お洒落一考 フレグランス編

世の中には色んな思い付きで、洒落たアイデアを活かし

生活を楽しくお洒落な物にしている人が多い。

他聞に洩れず、実はおれも幾つか持っている。

その一つに香りをさりげなく使う方法。

以前香水石鹸をタンスに入れる事を書いた事が有るが、今回お勧めするのは特に男性へお勧めしたい。

車社会において車を乗らない男性は少なくないと思うが

気になるのが車の中の匂い。

もちろん気を使い市販の車内用フレグランスを使う事も良いと思うし、いま売られている車内用フレグランスは

作り手も色々と研究しているので良い物も多いと思う。

そこでこんなアイデアも有る。

昔から女性専用とされてきたパウダー型パヒュームやジェル型パフューム

そして『練り香水』だ。

これらは色んなブランドで隠れた名品になっているが

余り店頭では目にしないとおもう。

それは日本のマーケットを考えた上で匂いを得る物=香水と判断し

香りを売るには香水が手っ取り早いし現実に売上も多いためだ。

ただし海外にはこういう物を使い、洒落た使い方で匂いを身体に染みつかせたり、個々のオリジナリティによって使っている者が多い

練り香水は 他のパフュームとは違い、揮発性が無い。

つまりアルコール成分が少ないのだ。

小さな物だとフランスのロクシタン等の練り香水は直径僅か数センチの物も売られている。

もちろん自然成分が殆どなブランドなので、あまり麝香系の作られた香りは無いが

コレを車のどこかに両面テープで貼り付ける。

そして時々蓋をあけてやる。

夏場はもちろん気をつけないと溶解する可能性もあるので注意です(笑)

おれの知る限りでは他にブルガリやシャネルなども出しているはず。

あまり匂いの強く無い物がお好きな方にはロクシタンは良いと思う。

要試し。


2003年12月03日(水) 良き時代の避暑地の歴史

長野県には有数の避暑地、軽井沢が有る。

今でこそ大きな商業施設が立ち並び、人の増加と建物の雑居で熱効果もあり

避暑地としての意味合いこそ失われているが

その昔はまだ作物も早々育たないような片田舎だったそうだ。

中山道として古く江戸から京都までを結ぶ宿場町として栄え始めて

まもなく、これまた、有数の活火山 浅間山 が噴火をしたのだ。

そしてあたりは満遍なく火山灰に包まれ

一説では群馬県全域に4メートルもの火山灰が積もったと聞く。

そして復興の時期を同じくしてスイスなどの列車のしくみを利用したものや

馬車、牛車を併用しながら 現在の国道18号線が出来た。

やがて現国道から外れた場所に位置する宿場町は廃れ、ひっそりと面影を消していった。

現軽井沢にはプリンスホテルがあり、西武系の資本が沢山使われている。

その為も有り、ゴルフ場側には120店舗もの沢山のショッピングセンター(アウトレットショップ)が作られ

毎日毎週賑わいを見せている。

軽井沢銀座、所謂旧道と呼ばれる方は客数こそ減った物の、いい意味での

客数の減少が起きている。

なぜならば買物客と観光客をきっちり分ける事が出来るからだ。

旧道方向には佇まいの素晴らしい建物、明治、大正建築が無数に残っている。

文豪や著名人などがこの地で執筆や活動をしていた事は周知である。

この様な急激な人の流れには理由が有り

なによりも先述の 浅間噴火 が起きた後に 交通革命とも言えるべき道の整備が行われ始めた際

多数の布教活動の為に訪れた外国人がいた事が外国文化を根付かせた事に有る。

その昔、アレキサンダー・クロフト・ショーと言うカナダ生まれのイギリスからの布教に訪れていた外国人がいた。

軽井沢を初めて訪れた外国籍の人間だ。

その彼が軽井沢をこう称し表現した。

『まさに天井の無い病院である』

つまりそれまでの日本の都会には日射によるヘルサマーとも言うべき暑さが有った。

当時の軽井沢は標高が1000mを越えている事も有り、非常に涼しく寒かったのだ。

やがて過ごし易いこの土地はあっという間に知れ渡り

在日外国人がヨーロッパの文化を持ち込み、その後も文豪や各界の著名人たちが

別荘を持つに至ったのである。

今の軽井沢には避暑地としての条件は減ってきているかも知れない。

ただし昔ながらの佇まいを感じる場所は無数に有る。

俺自身も幾つか知っているが、人には教えたく無いような場所ばかりだ。

こうしてロマンと言う言葉の似合う軽井沢は生まれ、今も盛んになっている。

無粋な余談だが、今年の7〜8月の約2ヵ月での観光客が軽井沢にもたらした

金額、つまり経済効果は80数億円と言われている。

無論長野県の中でも唯一のお金持ちの町となったのである。

おれが軽井沢で一つ何かをお勧めするとしたら

香る『苔の香』を、楽しんでもらいたい。

緑多く、木々の香りでは無く、わずかにほんのり香る『苔』の香りなのだ。

乞うお試しを…。


2003年12月02日(火) セブンイヤーズ・オブ・チベット

今ごろになって ブラピ主演のこの映画を見た。

若い頃のダライ・ラマと触れあいを持ったオーストリア人との実話に基づいて居るらしい。

中国に寄るチベット侵攻により平和しか求めなかった、チベットの民族は主なる戦いに当然のごとく破れ

宗教国家としてのチベットが変わらざるを得なくなったきっかけの戦争だろう。

この映画で面白い事を聞いた。

世界の殆どの国々は制覇を求めると言う。

つまり登山でもオリンピックでも人より秀でている物に対し尊敬は向けられ

崇められると言う意味だ。

だが、チベットの人たちの中でもっとも尊敬されるのは煩悩を捨てた物だと言う。

煩悩と一口に表現してしまったが、その中には人助けや人を敬う事や様々な行動の裏には賎しい欲望がない事を表すのだろう。

この映画ではオーストリア人とドイツ人の2人の登山家がチベットの聖地ナサの一角に

外国人としては異例に滞在許可を貰えるわけだが、その際にも高官による慈悲深い心が生きている。

ダライ・ラマとの交流を描いた映画と言うよりも、チベットの人々の無欲でいて

幸せを願う本当の平和主義な人たちの国なんだと言う所を一番感じた。

ダライラマは56年?にインドに亡命しそのまま今も中国とチベットとの国交回復に努めているという。

そして今もオーストリア人との交流も有ると言う。

若き頃のダライ・ラマはきっと常に閉ざされた仏教徒の中の崇拝的存在に置かれ

海外の人間から聞く他文化を吸収したり、知識を深めると同時に

まだまだ幼い子供としての関心が友情へと発展していったのだろう。

奇しくもオーストリア人の息子はダライラマと同じような年齢のようだったらしい。



2003年12月01日(月) 30代スタイル一考

最近ハンティングを良くかぶっている。

ジャケットスタイル、カジュアルスタイル問わずかぶっていたが

最近はまっている格好が一つ。

きちんとした格好でのハンティング帽とサングラス。

イタリアかぶれなおれには、こういう可笑しなオヤジスタイルがHITする。

自分が30を越えてしばらくした頃から、色んな格好を考えた時に自分のスタイルや

好みって決まってるもんなんだよな。

どんな格好をしてみても、着る物選ぶ物は結局似付く。

今はベルベットのジャケットかタキシードのジャケットを使った

おれが19の頃にしていたような格好をしたい。

俺の中では、ドレスコードの無いパーティーでならチープアンドシックの極め系と思っている。

ウイングシャツ(バータイやアスコットタイをするシャツ)や、クリレックを洗いざらして着てボタンを2つ3つあける。

そして古着のジャケットを着る。

勿論ボトムはジーンズだ。

そして足元は願わくばスウェードのチャッカーか若しくはウエスタン。

ベルトには爬虫類だ。

これが今一番したい格好。

もちろんハンティングもかぶれば尚一層かも知れない。

ただこういう時のハンティングは、出来れば黒のフェルトがいいね。

しかもチラッと見たらボルサリーノ製だったりして。(古くからある有名なイタリアの帽子専門店。当然ながら高価。)

それから30代にしか出せない当然な雰囲気や経験の作る気持ちの余裕みたいな物も必要かも知れないな。

若い頃と全く同じ格好をしてもやっぱり今の自分の方がコレをちゃんと着れているって

思う物がこの数年増えてきている。

いい年の取り方をするためにはこういう楽しみを見つける事もひとつ有るかも知れないな。

もちろん物に頼った『過剰な自己表現はナンセンス』だけどね。


toto