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- 諸行無常 -

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2003年09月30日(火) 東海道東京玄関口の波紋

10/1を皮切りに以前から騒がれていた新幹線(名古屋間が先)のぞみが

品川駅乗り入れになり、これにより今まで東京駅まで出ていた人たちの通勤や

旅先の移動手段が完全に近場になった。

つまりベッドタウンである東京〜神奈川県境に位置する超数の人口をここで補う事になる。

あおりを受けたのは航空会社。

報道によれば、これまで航空手段で新幹線客の3割を占めていたシェアが

2割まで削られるのではないかと言う所見。

確かに時間短縮と交通費の競合により、利用者に取ってはいい事かも知れない。

ただし国内シェアを電車により削られると言う事は航空会社もそれだけ大きなパイを削られる事になる。

インタビューを見ている限り両者の内余裕の表情を見せたのはJR東海だった。

これにより益々、他国より高めの交通費が安くなり

お互いサービス競争、価格競争に拍車がかかってくれればと願ってしまうのは、やはり無責任な消費者魂だろうか。

友達の一人が航空会社の少数精鋭により出向先のテコ入れを行っているが

どの様な結果に発展していくのか、今後を見守っていたいとおもう。

ガンバレ日本の航空会社!


2003年09月29日(月) 北朝鮮拉致問題の残した物

北朝鮮の拉致被害者が一時帰国と称して帰国してまもなく1年が経とうとしている。

被害者の5人は未だ家族と離れ離れになり、中々動かない政府の重い腰に、業を沸かしている。

今となっては結果として最終的な日本と北朝鮮が取るべき秘策の最終カードとされているとしか思えない。

拉致は、古く戦争のわだかまりから国交正常化がなされなかった為に、この様な拉致という行動が生まれたのでは無いかと思う。

孤独を強いられている曽我ひとみさんをドキュメンタリーで見る限り、マスコミの取り上げにより笑顔をみせつつも

きっと影で流す涙は、計り知れないと思った。

家族と離れて暮らすと言う気持ちは、断片的にだが俺にも解る。

夜逃げにより実家を離れ、隠れ、離れ離れに生活した事が有る。

友達にも施設で育ち、幸せな家族像に、不満を持つ友達も多かった。

だから、全く種類は違うが逢いたくても逢えず、気丈に振舞う事の葛藤は解る。

拉致によって連れてこられた事は果たして本人達にとっては良かったのか?

日本で待ち続ける親や親族の心中は安堵が有るだろう。

ただし、この25余年もの空白のブランクを埋めるだけの社会経験が彼らに有るだろうか。

運命と割りきり、北朝鮮に居たほうが良かったのではないかとも感じたドキュメンタリーの一場面だった。


2003年09月27日(土) 刺身とソースのトゥーマッチ

今日昼飯に誘われそいつの行き先に行って飯をたのんで見ると

ネギトロと漬けマグロの丼だった。

美味しそうと思い、添えつけの小皿の醤油らしき物を

わさびを溶いて上からかけると、なんともジューシーな、林檎と蜂蜜が

混ざってフルーティな味!!

て言うか、ソースじゃん!!!! 

これ!!!!

(*゚д゚)ムキー

結局替えて貰い、普通に食べたのですが、やっぱり、ネギトロには醤油ですな。

(^ー^)フフン。


2003年09月26日(金) 十数年ぶりの再会

今日夜中まで仕事をしているとよもや十数年ぶりかと思われる昔の後輩分が挨拶にきた。

聞く所によると彼は今立派に銀行員をしているらしく、ベッピンな奥さんも貰い、子供もいるそうだ。

どうも俺の中で銀行員、警察官、税務官、市役所員と言った、いわゆる難しい顔色の職業の人間がどうもニガテだ。

理由は全員融通が利かない所なんだな。

彼は本当に良くなついててくれた。

当時俺をしたってきた後輩分は沢山いて、今はみんな立派に結婚も職業も持って頑張っている。

しかし俺はこの様な種類の人間には一種条件反射のように自分を作り、言葉をついて話してしまう向きがある。

この気持ちをわかるひともいるだろうか。

俺は彼がみょうに言葉使いから何から銀行員然としている事に

いささか嫌な気持になった。

かつては共に馬鹿をしていたのだが、今はこうして社会の中の一部に溶け込んでいる彼。

俺は昔にすがり過ぎる所があるせいか、こんな下らない事に気持ちを奪われる。

今日は何年かぶりに気持ちを揺れ動かされた気がした。

動揺だ。

自分だけが社会から取り残されている気がした。

何とも言えないこの不思議な気持ちに今日は取り乱された。

仕事が途中から手に付かず、なぜ、自分がこんな気持になってしまったかもわからないでいた。

俺は俺でいた人生が、少し違って薄れて見えた気がした。

自分と言う存在の薄さを少し感じた気がした一瞬だった。


2003年09月24日(水) 近づく一周忌

かれこれ一年が経つ。

命の終わりと共に人生の方向転換も考える様になった。

いろんな意味で新しいスタートを切るためには相応しい事をしなければ

ならないと思う。

亡き事にしがみつくのでは無く、ひとつの整理として故人を送り出し

自分に残った使命感と自分の幸せの為に頑張る事だ。

自分が本当にしたいと思った事を出来ずに強いられてきた事も沢山有る。

そんな事も全部踏まえて、きちんと祈り送り出す。

自分を責める事も沢山ある。

でも責めるより先の一歩の為に頑張ろう。

先の人生の為に何かをしよう。

そう思うようになった。

かなり身勝手な考え方だけど、それが残された自分の使命。

楽しく生きる事をしようと思って出来ないと語る人が多いけど

それは楽しく生きる方法を見つけ損なっている。

楽しさに気付けない、我侭な欲だ。

人にとってなにが幸せであり何が楽しい事なのかを

この一年で身を以って知った。

小さな楽しみ、小さな幸せを感じず逃さず、もっともっと小さな物に気付いて上げたい。

自分の為に。


2003年09月23日(火) 自己顕示欲と自己啓発

自己啓発をする場合自ら自分に対して行動を起こさせる為の起爆剤として

自分に課す事が多いと思うが

自己啓発もし過ぎると自己顕示欲を育てる事にならないだろうか。

元々自信の無い人が自己啓発をして、自分に自信を持たせる事に意味のある行動も

自身のある人が自己啓発の名の元に、それを行ったらどうなるか。

それは傲慢や態度の変化を作り、自己顕示欲を育てる。

自己顕示欲は持って悪い物では無いと思うが

自己顕示欲と言うのは時として罪を生む。

他人に対し自分の成果や結果を誇示する事で慢心を更に深める時

それを聞かされ見せられた他人がどう感じるで有ろうか?

人に気の使える優しさの持ち主で有れば、多少は考える事も出来るだろう。

考えずに慢心と自信だけで行動していたら、いつしかそれは独りよがりの満足になっていくだけだろう。

ある意味自己顕示欲を持った人間は自分に対し他人から認められないゆえの、寂しさの塊とも言えるかも知れない。

哀しきかな気付けぬ己の裸心。


2003年09月22日(月) 羨望食欲の秋

秋な天気になったねえ。

すっかり晴れても風は冷たくてさ。

これってかなり気持ちいいんだよねえ。

おれは日焼けが直ぐに取れてしまう方なので、もう日焼けも消えちゃった。

昨日から筋トレに姿勢の矯正を足してやってるんだけど

もともと円背気味な俺はかなりこれが効くんだよね。

けっこう背中の筋肉が攣りそうな位いたい。

なんでも遅筋?速筋?みたいな 糖質と脂肪と使われる筋肉が違うらしくて

この姿勢は脂肪を燃やす為の物らしい。

ついこの前までは全然気にし無かった部分にあっという間に

脂肪の浮き袋。

やっぱり35歳だなあ。

でも筋トレ始めてから腕力は戻ってきたかな。

その代わりしまっていく分、腹が余計目立つ。

やっぱりはしらなきゃだめか。

頑張ろうっと。

今回はしっかりダイエットアンド筋トレ続いてます。

ついに3週間目。。。

(-L- ) クックック


2003年09月21日(日) 男、岩城滉一の顛末

おれは岩城滉一がすきだったんだよね。

ずっと昔から好きで岩城滉一の経営する店やバイクのレースにはどこまでも行ってたな。

心から崇拝してたんだよね。

ところがこの前とある事で有名になったね。

そう、彼は在日朝鮮系人だった。

自らカミングアウトしたものの、なぜ隠すんだろう。

日本には蔑視の多い対象が大抵朝鮮、韓国系の人たちに当たるよね。

おれは民族間のわだかまりは感じない方だが、岩城滉一が隠していた事が

少々残念。

非の打ち所の無いおれの心のバイブルとも言うべき対象には、曇りをつけて欲しく無かったから。

彼は自己破産も余儀なくされそうだよね。

あれは彼が現在住んでいた資産価値5億とも言われる豪邸に端を発してるんだよね。

そもそも建築中の岩城邸にはすでに朝鮮系の銀行から5億もの抵当権が

付けられていた。

建築中なのにもかかわらずね?

これは同民族系銀行が広告党としての役割を担わせたとの言い分も

ちらほら聞こえるらしいが、普通に考えてそうとしか取れないだろうな。

おれの昔からの岩城滉一に対するイメージはそのままに

少々幻滅も有ったけど、男として頑張って欲しいなと思う。

おれは彼のライフスタイルも好きだが、やっぱり男気を感じる所に魅力を感じるからだ。

いまや芸能人に外国籍が珍しく無くなったが

この前見てたら 安田成美は中国人だの、にしきのあきらは在日朝鮮人だの

美空ひばりから〜〜色々出て来るわ出てくるわ。

どうでもいいのになあ?

しかし出身地位は明かしてほしいとおもう。

もっと国際色豊な国民性に早くなって欲しいな。

いつまで経っても鎖国的国民感情のままだ。

もう戦争は過去の話し。

同じ人間同志を尊重する者として恥しくない国に早くなって欲しい。


2003年09月20日(土)

急に雨降り出して寒くなったよね。

なんか急に秋になった。

あ〜ぁ、夏が恋しいなあ。

暑くて汗かいても良いから夏がいいなあ。

何年ぶりかなあ。

夏がこんなに恋しいと思ったのは。

面倒を考えずに楽しく残りの人生を生きたいな。

もっともっと我侭に生きたいな。

楽しい事しか考えたく無いな。

季節事の楽しみを沢山したいな。

楽しい事を発見しよう。

我侭に生きようっと。

(-L- ) クックック


2003年09月17日(水)

茜って何だか知ってる?

茜って植物は赤い根っこを持った植物でね。

赤根って昔は言ってたんだって。

染めものをするのに使っていたらしいんだよね。

夕焼けを表現するのに赤根色って使うんだよね。

なんだか日本の情緒を表すためには必要な色だね。

茜色。

真っ赤では無く薄ら濃い紅色。

日本には植物にしか出せない情緒溢れる色が沢山有る。

大事にしたいね。



2003年09月16日(火) 色々知った事

車のカタログや使用諸元を見ると必ず馬力を指すところに

『***hp』みたいに付く『hp』って何かを今日知ったよ。

あれは『horse power』の略だった。

言葉のままだった。

ホースパワー=馬力。

あとね昨日新聞を読んでたら『ビッグフット』(雪男)の正体なる物の記事が

日経新聞にのっててね、これが結構面白かった。

日本でビッグフットの解明を研究していた人がちかじか本にするそうなので

そちらを見て欲しいが、おれの記事を読んだ記憶によると

その昔、1950年代にイギリスの登山家が大きな足跡を発見し

それを偶像化した物がビッグフットの存在になったようで、

現地の山岳に住む原住民も登山家の話しを聞き崇高に思い始めた事がきっかけらしい。

ただこの日本人の人によると、実際、現地語でヒグマ系の熊を指す言葉と

ビッグフットを指す言葉が一緒で、どうも現地の大きな熊(2メートル級)を

指しているようだと言う事が解った。

そう言われて見ると以前、時を同じくしてネス湖のネッシーを作り上げた(イタヅラと判明した)

張本人もイギリス人だった気がする。(俺の記憶が確かなら)

いづれにせよ、何かを偶像化する事により観光化する事に付随する

人間の欲からくるエゴだったのかも知れない。

人間の一番の卑しい部分がエゴだ。

そんな所を商売の道具にしてしまう事への虚しさがこの新聞の記事からは取れた。




2003年09月15日(月) ホスピスの現状

日本は医療の現場が非常におくれている。

大学病院の試験治療以外は大幅に遅れているのだ。

もちろん倫理観をどのように取るかと言う患者や患者保護者の一方的な解釈にもよるが

現在ガンの患者のほとんどが自宅治療によるホスピス(和やか、暖かな治療の意味を指す)治療を望んでおり

ドイツや欧米では患者の殆どが『在宅ホスピス』と言う形をとっているため

自宅で息を引き取る患者が多いのだと言う。

日本は約8割程が病院で最後を遂げる。

日本は『在宅の老人介護』が有るのに対し、癌患者への『在宅介護』がおくれている。

食べ物や飲み物をも口に出来ずにIVHや点滴による栄養補給を余儀なくされる

患者にとって自宅にいられる事がせめてもの心のゆとりとなる事は間違い無い。

医療の現状が進むのに対し万全の策を敷き、挑むのは患者も医者も同じだろう。

但し末期の癌患者に対してのホスピスをもっと視野の広い部分で見て上げて欲しい。

限られた残り少ない命をどのように過ごしたら、患者は救われるのか。

どんな事でもかなえてやりたい気持ちがホスピス治療を変える事に繋がれば良いと思った。

現在日本の中でもにわかに『在宅ホスピス』が根を張り始めたらしい。

少しでも日本の医療の現状が進み、不治の病がひとつでも少なくなって欲しいと思う。


2003年09月14日(日) マツキヨと通産省との争点

先日からマツモトキヨシと通産省との裁判が決まったらしい。

なんでも下らない争点であり、マツキヨの言い分に対し通産省が訳の解らぬ態度を示している。

マツキヨは薬剤師の置かない店舗に対し、電話+ネットカメラ上で薬を販売し始めた。

更に薬剤師の居ない店舗での販売は禁止されているため、マツキヨは無料で提供すると言う方法を取った。

夜遅くまで営業している薬局は少なく、実際こういった営業努力が

現実的需要に対し、行き届いているケースも有るはずだ。

何故このような物に対し不満を持つのかも解らない。

都内の薬局などの認可体制は各区、各市によって委ねられているらしく

国による行政指導を受けた各区・市が営業店舗に対し指導すると言うシステムに

なっているらしい。

実際こういった争点よりもおれの気になるところは

どうして現実社会に浸透しきれていない高官が、民生の実情を理解したような

発言を出来るのかが不思議でならない。

この様な事を以前にも日記で書いたが、どうして日本は実状主義でないのだろうか?

なぜ不条理な法律に振り回されるのだろうか。

なぜ不条理な法律を改正しないのだろうか。

国家安全保障や風営法、少年法などばかりが先を急げとばかりに

法の改正を優先され、こうした実状生活に関する問題の改正は遅れているのか。

日本はもっと合理的で合法な発想の出来る高官を選択して欲しい。

下らない自民党内の派閥政治に終焉がかかっただの、足を引っ張り合う与野党たちのスキャンダラスな問題だの

実際本末転倒な物しか見えてこない。

時を同じくしておれの住んでいる市議会の選挙の遊説が始まったが

足を止めて聞きいるような物を掲げている人が居ないかと思うと

ただただ落胆してしまうばかりだ。

まだまだぬるま湯に浸かっている日本だ。。。。


2003年09月13日(土) 久々に感じる虚無感

このところ恵まれている天気とは裏腹に虚無感だけがとても付きまとう。

大抵の場合、虚無感が有る時は自分が満たされ、そこにわがままを欲しがる時だと考えている。

しかし今回は色んな事を一度に考え始めた結果の虚無感だった。

胃を患ってからと言う物、自分を現実逃避させる事で、胃痛を防ぐ術を覚えてしまい

そのおかげでこの1年間はあれだけ救急にも運ばれてたはずの十二指腸潰瘍や神経性の胃痛にも悩まされて居ない。

でも何にでも付き物なのが副作用。

嫌な事を遠ざけようとするせいで、記憶力は低下するし、しゃべりたい言葉なんかも出て来なくなった。

おれはこんな形で胃痛を克服し、その結果精神的に強くなる事も出来た。

やっぱり何を取るかによって優先順位は決まってくると思う。

潰瘍を経験した人ならわかると思うが、胃カメラの心地悪さと

あの胃痛をしたら、寝るにも寝れず耐えられない痛みだ。

でもこの5年くらいの間に、自分が確実に強くなっていく事を改めて実感した。

やはり全ては自分の身に起こっている事。

自分が奮起したり直す努力をしなければ何も変わらないと言う事かも知れない。。。

自分の代わりは自分だけ。。。





2003年09月12日(金) 世界柔道

世界柔道が開幕した。

昨日は井上、棟田、阿武の3人が金メダル、そして惜しくも塚田が銀となった。

この日の日本代表出場者が全員ファイナルまで揃い一同金メダルの期待を

持たせるほど湧いたのだ。

スポーツは感動を与える物でなんで?と思うかもしれないけど

おれは柔道をビデオにまで撮って見ながら感涙に耽っている。(笑)

今日も泣きながら見る。(笑)

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今日知人の ウイルソン病を患いながら克服しつつCGアーティストを目指している

女性が来た。

彼女は最近支援者が付きはじめ、様々な会場で腕を振るっている。

体調もすこぶる良いらしい。

彼女のような難病指定を抱え、悩まず前向きに生きる人がいる事を

知っておきたい。

彼女の目下の目標は有名、著名になる事だ。

既に地元TV局がドキュメンタリーを3年係りで作り始めたらしい。

心を病む人はこういった前向きな努力を持つ人間を見習ってもらいたい。

人には無理と言う言葉が無いのだから。

なぜならば無理は自分が作る自分の勝手な仮想限界だから。。。。





2003年09月09日(火) 筋トレ

最近近所の店や周囲の人が端からダイエットを始めたせいか

自分もかなりの勢いでしている。

今の生活の中の節制はこうだ。

腹筋100回>朝晩

腕立て>20回〜程ほど無理の無い回数(腕を骨折してから筋がおかしい)

2リッターのビール樽を右腕、左腕別々に200回づつ>朝晩

缶ジュース類、スポーツドリンク類をやめ水のみ2リットル飲む>1日中

食事制限>1日中

等だ。

結構腕とか背中の方の筋肉が最近又もとに戻り始めたのがわかる。

すっごくキツイ時も有るけど、そこからの数回が筋肉に効くと思うと

やってしまう。

せめて、体力が元に戻る位まではしたいとおもう。

去年おととし位までは腕立ても50回を数セットしてても平気だったのにな〜。

腹の肉を落す事と骨折した左腕の筋の部分、それから軟骨によって出来る窪みを

筋肉で埋めたいのが一番の狙いだ。

はぁ〜

もう自分もこんな年なんだなと改めて感じさせられる35歳の晩夏でした。

おしまい。。。


2003年09月07日(日) 記憶の音楽 2

アリソン・リメリックのMAKE IT ON MY OWN

キャリン・ホワイトのROMANTIC

マライア・キャリーのEMOTIONS

シャニースのI LOVE YOUR SMILE

これらが自分が一番記憶の刷り込みが多い曲だ。

どれも自分が若くして自信に満ちて、様々な土地に足を運び、遊び、楽しんでいた

昔を思い出す曲だ。

中古のBMWを買って無謀にもそれで当時日本に入り始めたスノー・ボードを

しに行ったり、名古屋に遊びに行ったり。。

何もかもが自分の思い出。

こんな曲をまた最近探し始め少しづつ増やしている。

でも中々ないんだよね。。。。。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ


2003年09月06日(土) 今を生きる事

毎日が大変な事の連続で自分が追い詰められポジティブに何も考えられなかった時を

考えれば今はとても自分が今と言う時間を前向きに充実させて生き様としている事が良くわかる。

今抱えている問題のそれぞれはそれほど簡単では無い物が殆どだが

苦しみの中に自分が無理やり木の葉を見つけ出し火をつけ、暖を取ろうとしている自分が良く解る。

人はそれがどんな物であれ目標を見付けそこに嬉しさや楽しさを見出せれば

そこに何とかたどり着こうと考える。

それが長い道のりで有っても、途中息継ぎをしながらそこまで行こうと考える。

そんなものが有っても良いと思う。

今の自分に分相応な物で無かったとしても、そこに向かう気持ちが持てる事で

少し頑張れたりする。

心なんてきっかけひとつだったりするもんだ。

もしも種類は違えど同じように何かに頭を悩ませている人が居たら

そういう考え方をしてみたらどうだろう。

最近ある人に精神セラピストの勉強をしたらどうかと言われ

自分にも少し向いていそうな気がした。

勿論医療免許を持っている人の様な事は出来ないだろうけれど

心の解放をお手伝いしたりする事をしてみたいと思う。

基本がおせっかいだから、向いているような気がする。

精神科の先生でも精神安定剤を飲んでいる事が多いそうだ。

それほど精神疲労を伴う物なのだろう。

話は前後するが、今を生きる事、今と言う時間を充実させ楽しむ事は

今で無ければ出来ない物だ。

後で後悔をするよりも、気になったり、考えたりしたら即行動をしてみるのも

いいかも知れない。

子供がするのでは無くおとな然とした発想の基に於いて。


2003年09月05日(金) Blue Blue Heaven

聞きなれたレゲエの音も、燦々と刺さる様な陽射しも、穏やかになり

街には秋の匂いと色が溢れ、音もジャジーになり

葉を揺らす風も車の窓も少しづつ秋に変わっていく。

楽しかった夏の毎日が遠のいていく。

暑く、鮮やかで、雨の香りのする夏の毎日が終わっていく。

どこか寂しげに感じるのが夏の終わりだ。

とても早い1年だった。

もうすぐ一周忌になる。

もうすぐ思い出を塗り替える日になる。

身近な人の死は人を大きくさせる。

この1年で大きくなれた。

ほんとはいつまでも暑い陽射しと鮮やかな色とレゲエの心地いい毎日で居たい。

毎日を思いっきり過ごせる夏の暑さが今の俺に至るまでの

力の源となっている。

いつまでも夏のままがよかったな。

1年中夏のままがよかった。

いつまでも自分がポジティブでそして楽しんで毎日を送っていた自分でいたかったなあ。

これほどの苦境に自分が刃を向けられる様になったのは

昔の自分が呼び起されたからだ。

いつまでもこの自分で居たいと思う。

おれも35だ。

折り返し地点だ。

次の人生のステップアップの為に今、種まきをする。

楽しく生きていく事が供養になると思うから。



2003年09月04日(木) 老後と介護の現状

老人介護の特番を見た。

現在お年寄りの数が増え始めてから老人関係の介護系民間企業が増えている。

役所でする介護、民間でする介護、どちらがされる側にとって嬉しいのだろうか?

答えは民間も役所も同じだ。

受ける人たちは自分の家で過ごしたいと願い、数ある施設に入りたくて入る訳でも無く

各戸が持つ理由などからそれを余儀なくされているケースがほとんだそうだ。

家族から見放された気分を持ったお年よりはどう感じているのだろう。

もちろん痴呆老人も居れば身体的障害老人もいる。

そのケースは様々だ。

昨日の施設のドキュメンタリーの中に、妻を介護する数人の旦那さんたちの

話があった。

みんな高齢で、70代から90代なのである。

そのお爺さんたちがヘンジも出来ない妻に対して介護をしている。

痰の吸引も2時間置きにする。

睡眠時間などあるはずが無い。

こんな問題を抱えながら川に病床の妻と共に身投げをした夫婦が居た。

奇しくも夫だけが助かってしまい、懲役3年、執行猶予5年という殺人罪になってしまった。

同じ事を考えている老夫婦は多いと言う。

日本の中にどうして矛盾した税金の使い方が是正され無いのかが不思議で困る。

最近ドラマで『ウォーターボーイズ』、『クニミツの政』というのが放映されてるが

これを見るたびおれは涙が出る。

それはこてこてのスポコンと人間臭さで町を変えようとする物語なのだが

共通して人が手を取り合い輪を組み、それぞれが大きな波に逆らっているからだ。

納得のいかない物に対し長い物には巻かれろとばかりに流される

日本の国民たち。

自分が非力だからと悲観し今を生きられれば良いとそればかりが聞こえてくるような

風潮におれには取れる。

かといって、おれが何かを変えられるわけもなく、こうしてただ評論づいているだけの人間だが

矛盾は大きく脹らみ、老後の話しにまで及んだ。

おれは自分が小さな頃からあまり人の為にはならない人生を送ったと思っている。

だからこそ今、おせっかいが働いているのかも知れない。

客だった医療ミスで半身不随になった人の戦いにも一役買おうと

地元マスコミに訴えた事もあった。

それでも何も変わる事も無かったが、やはり自分が自己満足だけで終わらない様にするためには沢山のコネが必要だった。

こんな正論然とした問題にまで政治的力と言うのは及ぶのだ。

総理大臣を何度変えようと、政局をどこが牛耳ろうと、なんら変わらない失望感だけがあるのはおれだけだろうか・・・・。


2003年09月01日(月) 記憶の音楽 1

この音楽を聞くと当時の記憶が甦るっていう物って誰でもあるよね?

俺の場合サザンの『青春の轍』はそのひとつなんだ。

あれを聞くと色んな思い出がめぐってくる。

沢山ありすぎて一気にね。

時に泣けたり、楽しかったり。

でも泣ける物がおおいかな。

こんな曲って一生心に残っていくんだよね。

夏の暑い中をスコールが降り注ぐような、そんな気持ちのイメージが

頭の中に出来上がるんだよね。

きっと誰にでもこういう曲ってあるよね。


toto