Stage Diary
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Yoshimi.Aが観た舞台の感想です。
レポートではなく感想だけを載せてたりすることが多いかも…。(^-^;


2004年09月26日(日) 『ミス・サイゴン』

観に行ってきました『ミス・サイゴン』…結構、デンジャラスな日だったようです。
何故かというと昼の部で『舞台装置のトラブル』で2幕が一時、中断していたらしいから。
しかも、『しなの路』でご飯を食べていた時に小耳に挟んだのは『ケガ人でなかった?』…というもの。
……一体何が…!
ヘリでも墜落したんですか?(笑)<まさかそこまでは…
しかし、夜の部は遅れることもなく時間どおりに無事に開演しました。

ベトナム版蝶々夫人。
大作なだけに、通り一遍の知識はあったけれど、正直言って…ここまでひどい話だとは思っていなかった。
大体、元ネタの蝶々夫人だって私は嫌い。<いつだってつらい思いをするのは弱者だから。

舞台は楽しめた…エンジニアの橋本さんも歌はそんなに上手くないけど、悪党になりきれない小ズルい人間というのを上手く表現していた。でも、エンジニアがのし上がれないのは悪党になりきれてない人間臭い暖かみがあるから、やっていることはどうであれ嫌いではない。

坂本さんは…相変わらず舞台で探しちゃったけど、スケールの大きな声は聴いていて気持ちがいい。岡さんと並んじゃうから、背が…と思うけど、そうでなければ全然気にならないほどの存在感の大きさを示している。

岡さんのジョンも相変わらず硬質で端正な、実にアメリカらしい矛盾と公平さを兼ね備えていた。そして、相変わらずのいい声〜。硬質な声にはジョンという役はよくあっていたと思う。怒鳴りつけながらもなんだかんだとクリスには甘い…アンジョルラスに通じるようないいお兄ちゃん的な役どころがよく似合うと思う。

洋平君は…声が太くなっていた…『レ・ミ…』の時は可愛いだけでいまいち大根だったのにそれだけでも随分と印象が変っていた。マリウスの時には顔だけ…の印象が拭えなかったが、これからもっと演技に幅を持たせることが出来ればいい役者さんになれるかもしれない。

松さんは何時まで経っても上手くはならないけど(あの家族の中では一番かもしれないけれど)、まあ頑張っていた。各方面からの噂でむっちゃくちゃへヴィスモーカーだと聞いているので、どうしてあれだけの声が出るのかは不思議なところではある。

おまけに…子供、可愛いよね。
一言も喋らないけど、エンジニアにキスした後は唇をこすってたりカーテンコールで松さんと高橋さんの間で手をつないでもらってたり。
あんな年の頃から綺麗なお姉さんのが好きですか………?

しかし、内容はひどい話だ…何時だってつらい目にあうのは女性や子供。
望んで生まれた訳でもないのに『ブイ・ドイ』=厄介者と呼ばれた子供達。
『ブイ・ドイ』は4Knightsのアルバムで戸井さんが歌っていて、メロディ的には好きな曲だった。
だけど、本当にあの場面でそれをスクリーンで流さなければいけないのか?

私はもう…この曲を口ずさむことはないだろうと思う。
『地獄で生まれたゴミクズ』なんて歌いながらあのスクリーンに映し出された子供達の顔を思い出すから。
ベトナムでそう呼ばれて厄介物扱いされている子供達を引き取ろうというのは中々いいことなんじゃないかと思うが、まるで、アメリカでもゴミクズと呼ばれているかのよう…。
もう少し何とかならないものか…。
第一に舞台ではクリスとキムのことにスポットが当てられているから、『ゴミクズと呼ばれている子供達を引き取ってなんとかしてやりたいんだ!』っていうジョンの心情がおざなりにされている。
こういうところをもっと丁寧に表現しておけばまだ救いようがあったようにも思った。
せめて、岡さんではなくもっと下手な人が歌ってくれていればよかった。
そうすれば、ただ心を通り過ぎてゆくだけのナンバーだっただろうから。
いい曲なのは認めるけど、この扱いはひどい。

こういう時に翻訳ミュージカルの限界を感じる。
1音に1単語入ってる英語と違ってその意味を最小限の言葉で伝えなければいけないから。

言葉が足りなさすぎるー!

どうも後味の悪い話なので、せめてラストはキムもアメリカに渡ってクリスから金を巻き上げながら、新しい恋をしたりして強く逞しく生きていって欲しかったな。<蝶々夫人じゃありません





2004年09月10日(金) 『百物語』

『百物語』第二十二夜(…?)…上田秋成『雨月物語』より、『青頭巾』と『吉備津の釜』&筒井康隆『時代小説』の三話。

『青頭巾』はある寺の住職が子供に死なれ、その悲しみのあまり鬼となり、人の血や肉を食らうようになったのを旅の高僧が諌め、仏の教えと真理を求めるように導く…そういうお話。
『吉備津の釜』の方は吉備津の釜の占いで凶と出たのに娘と長者の放蕩息子との縁談を進めてしまう。
夫はやがて愛人を作り、妻から金を騙し取って愛人と出奔。
妻は嘆き、二人を恨みながら死に、やがて二人に祟る。
そういうお話。

原文のまま朗読されていくので、所々わからない部分はあるものの、自分で原文の本を読むよりは物語がすっと浸透する。
『源氏物語』にせよ、『百物語』にせよ、白石さんの朗読は非常に明瞭で音が綺麗。
観劇のたびに日本語という言葉の持つ響きの美しさを確認させられる。
そして、日本語とは喋る為の言葉だと再認識させられる。
パンフレットにも『日本語の音の持つリズムを楽しむ』…とあったが、まったくそのとおりだと思う。
ただ、それを他の人が体現できるかどうかはまた別問題なのだけど…。

しかし、原文で朗読される『青頭巾』より『吉備津の釜』よりわからなかったのが、『時代小説』。
時代劇のパロディでロードムービーのような話だというのはわかるけれど、多くの登場人物が出て、めまぐるしく章が変り、何がなんだかわからないうちにまた次の章へ…。
…白石さんも朗読しながら仰ってました。
『筒井さんは天才だからよくわからない表現が出てくる』って。
だからそれを補足するためなのか、わかりづらいだろうと思われる言葉は舞台に用意された紙で実際にその字を見てお勉強しながら進んでいきます。
やはり、音じゃわからなくても、字ならわかる事柄というのはあるものなのです。
また、そういう部分は筒井さんならではの言葉遊びも交えられているので、尚更補足なしには辛いと思います。<観た人だけがわかるえっちな言葉も(笑)
だから、『雨月物語』には『源氏物語』の時のように現代訳はないけど、『時代小説』には訳(=補足)がある(笑)。
そういう話の性質上もあるのか、1幕ではしっとりと座って朗読されていたのが、2幕では多少のチャンバラを交えながら動きながらの朗読。
小道具に竹光も登場していたのですが、途中で竹刀に変えさせられちゃったりもして忙しそうです。
でも、取り替えてもらわないとプロンプターが斬られちゃうからね(笑)。
…竹刀でも加減はされていたけれど、打たれてたのに。
まあ、そんな感じに話自体に勢いがあるので、その調子を生かすためにやや早口で進行していきます。
…ブレスの位置が大変そうでした。
面白いには違いないし、随所で笑えるのだけれど、私にしてみればどちらかというと天才よりも天災…あの方の文章は破綻のツボがわからない。
筒井さんはそういう点があまり好きではないので普段から読まない。
以前に何冊かは読んだが…その時も設定は面白いと思ったが中身は『?』。
そして、朗読になってさえも今回もその印象は変らない。
むしろ、鴨下さんと白石さんじゃなければここまでその面白さを引き出せなかったろうと思う。
だって、『やや』とか『よかった』という台詞だけで20通り近くものパターンを話分けるのは並大抵のことじゃない。
しかし、そういう面があるから…ネックだとは思ってもついつい観劇予定に入れてしまうのだけれど。
ただ、どうしても筒井さんはハッピーエンドにはならない。
いつも…というか、何作か読んだものは全てバッドエンド。
どうしてそう…時代劇のパロディであってもハッピーエンドを否定するのか、それが不思議でならない。
(時代劇なら勧善懲悪で大団円はお約束ですよねー)



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