目口覚書



■目口覚書■
ごめんください
どちらさまですか
お入りください ありがとう

2001年11月30日(金) ローリングストーンな人

実家では上げ膳据え膳で それはそれは楽をさせてもらった。
で、老母も自らインターネットをしたいと所望するので
恩返しも込めていろいろ教える。

母自身、区で主催の無料ネット教室に何度か通ったらしい。

実家に置いたままの私の腐れパソコンでゲームをするのが日課らしい。
(本当に腐っている。立ち上げたら毎回訳の分からん言語が
つらつら出てくるので10回ほどEnterを押さないと普通の画面に辿りつけない)

それはいいのだが、どのプロバイダがいいかとか
そもそもプロバイダとはNTTだ、とか思ってる老母なので
私の使い放題のやつをあてがってやる。
hotmailでメールアドレスも取得し、すんごく嬉しそうだ。
これで、大阪で1人暮しの息子や東京住まいの娘(あたし)とも
メール交換できるやん。

っていっていたのにあれから数日メールはきやしない。

どうせパスワード入力で「M」と「N」を間違ってサインインできないのを
「おっかしーなー。このパソコンこわれてるんちゃうーん」と
すぐ機械のせいにでもしているのだろう。さすが親娘。

で、実家にいるとき、私のメールボックスの整理を試みた。
母親が今後どこをあけやがるかわからないので
とりあえず恥ずかしいメールやあられもないメールは削除に限る。

昔のメールに、付き合い始めた頃のダンナさんからのメールがあった。

普段文を書かず、遠距離恋愛の頃はかわいく交換ノートちっくなことを
したこともあったが すぐしりきれとんぼになった男が書いたメールだ。

ところが、これは絶品なのだ。
どこをどうすれば、奴の脳みそからこんな素敵な文章がでてくるのか。
もしかしたらシラノ・ド・ベルジュラックに代筆でも頼んだのか、
それとも芥川か川端の霊でも憑依したか、
そう思わせる出来具合だ。

その頃私は、恋愛にひどく絶望していたので誰にも彼にも猜疑心のフィルターを
通してしか接する事が出来なかった。

そのバーミヤンの石仏より硬かった私の心を ほろほろぉと溶かした文章。

実家のパソ前でしばし思い出にふける。自宅宛に転送してから削除完了。

さて、自宅に帰ってからダンナさんに
「なっつかしいメールを見つけたのー」
「へ〜 どんな?」
「あのね、『2人で種を撒きま・・』」

途端に、両手で顔を覆い、枕に押しつけてもんどりうつダンナさん。
「や〜〜〜〜〜〜〜め〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜て〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

今度は畳の上で毒を盛られた毒見役のようにころがっている。
「ほんとーにやめてっ! もう死んじゃうぅぅうう」
ゴロゴロゴロ・・・・
ゴロゴロゴロ・・・・

大袈裟な。

はいそれではそのメールは、私の宝物入れに封印することにしましょう。
きっと何かの拍子にまたこそっと読んだりするでしょうけど。



2001年11月29日(木) 本当は出張中に ダンナさんが失踪したりしてないか心配だった

全10回の仕事(秘密のレクチャー)が昨日の広島をもって終了。

はじまった頃は、それはそれはいろんなことを言われました。
まっこうから刀を振り下ろされた時もありました。

全ての声を聞くことはできても、
全ての人が納得するものを作るのが私の仕事ではない。
当事者である学生達にとって必要なことをするのが仕事。

いつもはグラグラぐりとぐらなあたしも
さすがの外野のうるささに、結構毅然と対しました。

そして、少しづつ理解してくれる人が増え
この仕事の目的や着地点が浸透するにつれ

最終日には「今度はうちにもきてくれ」と
西に東にお仕事を頂くことができました。

普段あまり仕事に達成感を感じられない私ですが
ここに至るまでにはなかなか努力したので
今回は自分を誉めてあげるのでした。

最後の会場である広島の放送局のビルを飛び出して
お土産を買いに走る。

仕事のバートナーは広島出身なので「尾道ラーメンは『阿藻珍味』よ。
もみじ饅頭なら『にしき堂』!。広島駅の冷蔵広島焼はばかにできない旨さ」
と教えてもらい、しこたま買いこみ、最終ののぞみ号に乗りこむ。


一週間ぶりの我が家。
大荷物に鍵をあけるのを手間取っていたら
鍵の音に飛んできただーりんがドアを開けてくれた。

たった1週間なのに、なんか泣いてしまいそうなくらい懐かしい顔だ。

私がいない間、冷蔵庫のオレンジを貪り食ったり
パチンコにしこたま負けたり
することがないのでビデオを見たり
知ってるつもりジョンレノン版で泣いちゃったり
死ぬほど寝るつもりもなかったのに起きたら夜の10時だったりしたそうだ。

だから、いつもと一緒だ(笑)

なのにそこにいるべき人がいるということのあったかさ
嬉しさ、楽しさ、面白さ、よ。

私が帰る時間を見計らってお風呂を入れておいてくれるのも
こんなことでもなければもうないだろう。

時計はとっくに24時をまわったのに めぐっち特製豚バラ入り
尾道ラーメンを食す。

これがまたしこたま旨かった。

あと残り10玉あるのだが、「はにーが食べていいのは2玉までね」
と数量制限をして一人で「ふぉふぉふぉふぉ」と笑っていた。

夫婦は一緒にいるのがいい。




2001年11月21日(水) 私の彼は力石徹?

昨日で、東京の仕事はひとまず完了。
明日からは関西と広島どえす。

ちぅことで またまた溜まった家事をやっつけて
ダンナさんを夜勤に送り出したら夜の新幹線に乗ります。

わたしの仕事は、実は今まで他のセクションでやってた仕事。
でもそこの仕上りの評判が悪くて 結局昔やってたわたしがすることになった。
(別にわたしがしたからといって評判がいいわけではありません。
ただ経験者ということで周囲への納得感があるみたいです)

昨夜のミーティングで、そのセクションで仕事してた野郎が
「過去の(俺達の)やり方のほうがよかった」と言ってきた。
自分たちがしてきた仕事を今否定されていると勘違いしている。

こういう人達とも調節しながら 仕事を進めていく。
私は何を言われてもそれは意見として聞くようにしているから
自分への抵抗勢力とは感じないように気をつけている。

気をつけている ということはやはりそれに気を取られているということだが。

ただ目的は何か を踏み外さなければ誰とでもやっていけるはず。
と 信じている。相手の目的も同じ方向と仮定してだが。

ただ、私の悪いところは、議論で納得し合うのではなく
即座に調整してしまうところ。
あぁ反省。

「過去のやり方のほうがよかった」という意見にその根拠を聞き出し
それに対する周囲の意見や現状の問題を提示し、だからどうすべきか
をもっとはっきりさせるべきだった(-_-;)

相手を傷つけないようにしすぎることが、実は自己防衛になることも
あるのだ と気付く。

あぁ反省。

なーんていう思いを抱えながら 新幹線に乗ります。
今からダンナさんの弁当を作るわけですが
さっき寝室から

「はにー・・・今ねー、矢吹ジョーと喧嘩して負けちゃったよー・・」
という夢のご報告を受けた。
彼を残して1週間も留守にするのは非常に心配だ。



2001年11月18日(日) 運転

あれからすぐ、ダンナさんは帰宅し
腹いっぱい昼飯食って、寝て、起きて、夜飯食って、
というピクミンもびっくりな繰り返しの生活です。

お友達の引越しは、実は彼はドライバーに任命されていたんだけれど
夜勤明けの ましてやオマエに頼むのはちょっと・・・ということで
解任されたらしい。

ましてやオマエに というのはこの話しが端的に表している。

彼は正真正銘のペーパードライバーで、
免許取得後、数回の運転(すべてレンタカー)を経験したが
普段繁華街に行くと「この人の多さ!あぁむかつく」とかいってるくせに
運転中は極度の小心者になって「ごめんなさい。ごめんなさい。」と
なぜか謝りながら時速40キロで走行してしまうらしい。

会社の人が車で通勤していたある日
「ねー、今日帰り運転させてよー」とダンナさんが頼んだ。
あぁいいよ、と快くキーを投げてきた持ち主の車は新車のオートマ。

「あー、オートマかぁ。俺、マニュアルしか乗ったことないんだよねー。
えーっと、走るのはRUNだから、シフトはRに合わせるんだよねっ(^^)」

そう言ったダンナの手から、持ち主は車のキーをもぎ取るように取り返したという。
無理はない。

彼を運転手解任したのは わたしは絶対に賢明だと思う。




2001年11月17日(土) さぁ 気分を入れ替えて

さてさて

結局
たかが500mlの淡麗生一本すら飲みきらないまま
コンタクトレンズもつけたまま
服きたまま
歯も磨かないまま

こたつに足突っ込んで 熱いもんだから時には片足出したりしながら
うつ伏せ寝しちまいました。
夜中に地震があって つけっぱなしのTVが「震度3」の字を流していたけど
「・・・・」
うつ伏せ寝のまま薄目を開けて気絶しておりました。

ダンナさんが夜勤でいなくてよかったようなよくないようなどっちでもいいような。

さてさて

目玉にレンズがはりついたわたしは 
カピカピしながら起きだし
目やにを無理やり擦り取り
すべきは洗濯です。

曇り時々晴れの中
溜まった洗濯と 溜まった流しの洗物と かけてなかった掃除機がけと
替えてなかったシーツと 開けてなかった通販の開封
などなどを一気に片付け ダンナさんの帰りを待ちます。

あれ?
でももう昼過ぎだ。
今日は午後から友達の引越しがあるから
早く帰ってきて仮眠をとるっていってなかったっけ。


最近、私が仕事で遅いのをいいことに 夜勤明けにパチンコが
すっかりお気に召している彼は アホウなのでまた行ってるかもしれません。
でもお小遣いを増やしてきてるので(減らしている時もあるのですが
それは気がつかないふりをしてあげてます)放っておきます。

彼の兄さんが言ったそうです。
「オマエはなんでも(奥さんに)正直に言いすぎだよ。
夫婦のためにあえて隠しておいたほうがいいこともあるのさ。
俺なんか、サッカーに行くって言ってパチンコ朝から行って、
帰りは公園でわざわざユニフォームに泥付けて帰ってんだぞ」

お義兄さん。
わたしは 嘘をつくつかないの以前に
洗濯物増やされているほうが 切れますが。



2001年11月16日(金) ただ今 どつぼ中

ひとりで ちびりちびりとビールを飲みながら
今週の仕事を終えたあたしは 底を這っております。

だいたい、ビールをちびりちびりしているところから
もうあきません。

痛いところを突かれて、自己嫌悪と自己反省。
くそ。くそ。くっそー>自分

こんな感情を抱けるのも 感謝感謝。



2001年11月14日(水) 風呂も飯も明日じゃ 明日

仕事からの帰りの地下鉄で今晩のメニューとか
明日の弁当の中身とか、ダンナさんが起きたときひとりでチンしてもらう
朝食メニューとかをいろいろ思い巡らしていた。

もうその時点で午後9時を過ぎていたので正直
めんどくせーなー でもきっと奴は寝てるだろーからその間にちゃちゃっと
やっつけてしまうべやー と思っていた。

ところが帰宅するとチェックのパジャマに着替えて
すっかりおくつろぎモードもダンナさんは起きていた。
起きて『本日の出来事』を如実に語ってくれた。

それを聞きつつ、タイツを脱ぎ、スカートを脱ぎ
「ふんふん、それで?」と相槌を打ちながらパンいちになって
冷蔵庫からビールを取り出す。

地下鉄の中でシュミレーションしたメニューの全ては
うたかたと消えていく。

見るとこたつの上にはからになった缶ビール(500ml)が2缶
ころがっていた。
「こいつ、酔ってる・・・・」
気がついたときは遅かった。

本日の出来事は、会社編、TV編、こたつ快楽編と様々に形をかえ、
要するに ただ酔ってる男のうだうだが続く。

ただ、聞き手である私も へろへろの身体にしみわたるビールのせいで
彼が何を喋ってもすごくおかしくて
ケタケタ笑いながら「ひゃーーっひゃっひゃっひゃ あほやーー」
とかいいながらペチペチ彼の肩を叩いていた。

うちの変わってる点のひとつに
「なーなー、きいてー、今日なー仕事行く前になー生ゴミ捨ててーん」と
そんなの誰がきいてもあたりまえやろーということを自慢する主婦がいて
無理やり「へーえらいねー」と誉めさせられるダンナがいるということだ。

敵の然る者で、必ず自分も「風呂場の髪の毛くずを捨てた」とか
「冷蔵庫の残り物を片付けた」なんてことを自慢し
「さすがだねーえらいねー」と私が誉める。
とにかく誉めあう。これがうち。

そうこうするうちに、酔いが覚めても議論が白熱してしまい
結局ピザを取り、夕飯シュミレーションは1日繰り延べとあいなりますった。

これでいいのだろうか。本当にこんな1日でいいのだろうか。
心底考える。



2001年11月11日(日) 西新井大師でも境内の白猫ちゃんと遊びました

さて、昨日まわしげり受刑者となったダンナさんは やはり惰眠をむさぼる。
そーっと起きようとしたら、相手の腕と足でがしっとロックがかかる。
あくまでも本人はそれを覚えていない。
久しぶりのいいお天気。洗濯しなくちゃなのにー(実は私もずっとロックを
かけられていたいので「もぉ〜」とかいいながらちゃっかり布団に入り直すことを
3回位繰り返す)

この間、ついさっきまで起きてたのに もういびきをかいてるのを
無理やり起こしてからかったら
「それはイビキじゃない。発声練習だ」とのたもーてた。
それはいいんだが、そう自分が答えたことを翌日彼は覚えていなかった。

つまり、目が開いているのに寝ているという睡眠症ではないかとふんでいる。
もしそうだったら全国にも珍しい奇病なので「運命のダダダダーン」とか
「特命リサーチ2001」とかから出演依頼がくるかもしれない。


そんな戯言はいいとして。

本日は西新井大師に行った。
別にそこにいくつもりでなかったのだが あてもなくバスの旅に
むりやり誘って、とりあえず西新井というところで降りたのだ。

駅前で廻り寿司を二人で22皿頂戴し、まじ腹がはちきれるかと思った。
なのに、大食いで有名な小林 尊くんは、あっというまに寿司を70個くらい
飲みこむ。やはり彼はすごいと思う。

バスの中からは巨大タコの足がくねってるような、東京マリンというのが
見えた。この夏限りで存続があやぶまれていたがその後どうなったのかね。

西新井大師のおみくじはグッズ付き。
「恵比寿さん」とか「かえる」とか「瓢箪」とかそれぞれに招福のいわれがある
マスコットが8種類ほどある。
わたしは、女性としての福を得られるという「お多福」を求めていたのだが
ダンナさんから借金までして2回ひいたのに、「大黒さん」と「招き猫」。
どちらも商売繁盛とか販売によし とな。
あふ。
わたしはやっぱり仕事運なのか。

ちなみにおみくじは末吉と小吉で、恋愛運は今はよくないらしい(笑)

西新井大師で、塩にまみれたお地蔵さんがたっており、その足元から頭から
塩をかぶっているのに出会う。
塩は勝手に持って帰ってもいいらしいのだが、願いがかなったら塩を倍返し
しなければいけないらしい。

最近盛り塩をしているので、少しお裾分けしていただく。

丁度、七五三で かわいい7歳の着物姿や やんちゃくれな5歳のスーツ姿
おしゃまな3歳のこっぽりちゃんに顔がほころぶ。
絵馬にも、「健康な子供でありますように」という親御さんの願いが並ぶ。

その中に異彩を放つ絵馬ひとつ。
「これから精神を入れ替えて(一から)やりなおしますので
今のけんくんとなかよくやっていくべし」

今日、西新井大師で絵馬を描いた上昇思考のお嬢さん。
「今のけんくん」って そもそもそー書いてしまうことがやばくないすか?



2001年11月10日(土) 寒い夜はふたりで湯豆腐

ふたりそろってひさしぶりなお休み

本日はメインが「湯豆腐」。
貰い物のでっかーい土鍋に昆布をゆらゆらさせて特大豆腐が2ケ。
ぶり照りを漬込む間、酒の肴にタコの刺し身と、こないだ伊豆で買ってきた
あたりめをあぶってマヨしょぅゆをあてがっておく。
うれしそうに咀嚼している。

ぶりの照り焼きと山芋のたんざく、ポパイ焼(ほうれん草のソテー。今晩命名)
山芋の皮の塩焼き、そして湯豆腐。
とっても居酒屋メニュー。

夕飯前に一緒にスーパーに行って、「和牛霜降りサーロインステーキ」(3割引)
を買う買わないで小競り合いがあり、2人ともちょっとテンションが
下がってしまっていた。

でもビールと共にいただく居酒屋メニューは旨くせっかく気分がよくなったのに
「あぁうまいね〜 はにーの作る料理の中でこれが一番旨いよぉ」と
こともあろうに指差した先は「山芋たんざく」

・・・・・・

まわしげりの刑確定



2001年11月09日(金) 世界遺産とルーブルと飯田史彦

お仕事では
タタキ台のたたきになって
気持ちがくたくたになって

でも、それから逃げるのでなく
よし 絶対いいもの作ったる
と心の底で決心したあとは、
家に帰って
世界遺産
ルーブル美術館をバーチャルツアーする。


仕上げは
飯田史彦研究室
に立ち寄って、どんな問題があっても
それは「順調」なんだ と確かめる。

そして優しい写真や詩や文章を放つ人達のページをちょこちょこっとお邪魔して
元気をもらう。

ぼろぼろとした日の糧でありまする。



2001年11月07日(水) 鹿児島の不思議

黒板消し

日本全国 どう考えても「黒板消し」としか名前がないような
そんなブツを。
なぜか「ラーフル」という島。

酷暑に食べたいかき氷。それはかき氷。
そんなブツを。
なぜか「しろくま」という島。

それは鹿児島。


教室で「ラーフル取って」って言われても、
街角で「しろくま食おう」って言われても、
わたしはきっと固まるだろう。

鹿児島出身の人とひさしぶりに会って、そんなことを思っていた。

明日の仕事そのものよりも、朝6時に家を出られるかどうか
それより前に起きて、ダンナさんの弁当作って、化粧して。
そのことが心配すぎて、そんなどうでもいいことを思っていた私。



2001年11月05日(月) 宮迫ですっ☆

仕事をはじめたといってもまだまだウォーミングアップの段階。
本格的には今週半ばから始まる行脚(東京、名古屋、神戸、広島)からである。

私の仕事相手は、大学4年とか短大2年とか専門学校の最終年とか
そのへんの男子女子だ。
就職活動を終えた内定者相手に秘密のお話をする赤ずきんのおばぁさんなのだ。

年内は400人くらい。来春には600人にもっと濃厚な秘密のお話をする。
相手は多数でも 話しをするのはわたしひとりなのでそりゃもう色々大変だ。

とにかく木曜日の仕事のことで頭がいっぱいで寝ても覚めてもそのことを
考えているのだがもうひとつ気になることがある。

それは
昨日草サッカーをしに行ったダンナさんが知合いに
「雨上がり決死隊の蛍原(ほとはら)の髪型を目指してるのか?」
といわれたことだ。

やはり そろそろなんとかしたほうがいいのだろうか。
それともやはり相方らしくわたしは宮迫に変身すべきなんだろうか。



2001年11月04日(日) ただいま

4日間程家を空けました。
事前にカレーを大量に作り置きしたり
酢醤油漬込み鶏唐揚や浅漬けとか
別にコンビニに行けばいくらでも食料は売ってるが
せめても手料理を、と思って冷蔵庫に入れていった。

我が家はいつもお茶をウォーターピッチャーで冷してるので
それもたっぷり4本分作って冷蔵庫。

ところが。

昨夜帰って「だーりーん」「はにー」と抱擁し
さみしかったおーーーーと言いながら冷蔵庫を点検したが
どれもあまり減っていない。
おまけにあたためたカレーの残りはいたみはじめて発酵中(T_T)。

気のせいではなく確かに彼は顔が痩せておりくままでできていた。

自分でチンしないといけないとおもうとおっくうになったんだと思うけど
あまりお腹も空かなくて、ビールばっか飲んでたからお茶も減らなかったと。
おまけに いつもお腹の調子のいい彼は私がいなくなったあたりから便秘に。

が。
再会の喜びもつかのま、暫くして彼の腸が見事に動き出した。
何も食事をとっていないのに トイレに行くといって旅だった。

まぁ数日間溜まっていたものが時間的に丁度排せつの時がきたといえば
そうなんだろうが、なんであたしの顔見た途端やねん。
あたしはオオバコか。サラリンか。

いや実はわたしも仕事中は食欲がなかったんだが
伴侶と喋っていたらがぜんお腹が空いてきた。

離れていたら止まってしまい 会えば運動し出す胃や腸。
体内機能まで制御してしまう間柄になってしまったのか。
なーんて考え過ぎだろうか。

時間も遅かったので夕飯は作るのが面倒でケータリング。
雨の祝日の夜はピザごときが90分待ちだった!

またまた「お腹いっぱいすぎー」でのた打ち回っためおとは
ピザがなくなり猿の惑星が終わった途端に横になる。

怠惰。それはわたしたち。
でも目覚めたら気持ち良さげにねてる相方の顔が目前にある幸福さよ。

本当は塩野さんとたけしのイタリアを見てたんだけど
(チューザレボルジアの話しなんてくわぁ〜だ)
ダンナさんに猿惑星を譲ったわたしって優しい。
優しいって言え!と強制されていたダンナさんも嬉しそうに復唱していた



2001年11月03日(土) 現在出張中でして

ひさしぶりの故郷の駅に降りたら
そこにあったKIDDY LANDが私が今月から主婦パートしだした
会社の店になっててびっくり。

で 今日仕事中にその店の前で発砲事件があったとかで
会社の危機管理部がすわ出動しててびっくり。

主婦パートだから配偶者控除枠内ではたらきま〜すって
お気楽のはずなのに 家着いたら日付けかわっててびっくり。

でも仕事って 刺激だな。正直自分のだめさぶりも露見して
イイカンジに面白い。いやーなまってるぜ。脳みそ。
うん。


 <あとっぽ  目次  さきっぽ >



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