目口覚書



■目口覚書■
ごめんください
どちらさまですか
お入りください ありがとう

2001年12月30日(日) 来年もよろしくむーん

あとは喉の痛みに耐えるだけで どうやら病床年越しは免れそう。

昨日は業務用冷蔵庫をピカピカにしてまいりました。
冷蔵庫は普段からきれいにしましょーね。

そして今日は自分ちの大掃除。
普段何もしないダンナさんには、天井掃除、電気かさ掃除などなど
タッパある人用の箇所をお願いしたところ 今くちびる真っ白にして
両手ガサガサになって クタバッテらっしゃいます。

そろそろ起こして、二人で忘年会いってきます。
明日からはあちらの実家へ、年明け後わたしの神戸の実家へ。
しかも深夜バスで(恐)
あーケチらないで新幹線にしたらよかったべさと思うのだけれど
2人でバスなんてのもきっと最初で最後かな とか思ってしまってわんわんわわん。

さて、今年1年。
皆様はどんな年でしたでしょう?
新しい出会い、新しい家族、新しい棲家、新しい仕事、新しい別れ、
色んなことがありますが、誰にも新しい毎日がありましたよね。

来年は こっそりひそやかに流れに逆らわず生きていく所存でおます。
どうぞ今年同様 仲良くしてやっていただけたら嬉しくって
鉄棒の逆上がりが出来るかもしれません。

皆様にも どうぞよいお年をお迎えになられますように。
愛を込めて

めぐっち



2001年12月29日(土) 今年最後の風邪(のはず)

ミレナリオの翌日から
ムカムカしてきましてね。
いや周囲のカップルや
イブ頑張りすぎてガス切れて翌日(クリスマス本番)に
妻を置いてパチンコいったダンナさんに、
とかではなく 胃が。

考えてみれば朝から下痢っぽいし、おかしーなーって。

丸3日 臥せってます。

わたしの場合 咳のど痰とかいうのは最後で
今は胃腸異常→悪寒→発熱→扁桃腺→咳段階 の扁桃腺初期です。
ステキな年末です。

昨夜は ダンナさんが会社帰って即鍋焼きうどんと温泉たまごと
シーザーサラダの夕飯を並べてくれて。
びば コンビニですね。

今日は忘年会行ってるんでまだ帰ってきてませんが
私も今年最初で最後の忘年会のはずだったんです・・・・
そ、それが・・・うぅ。やっぱりステキな年末です。
さすが、わたし。来年から大殺界だけあります。
陰影 停止 減退 なんてこわくないぞーーーーーーーーーおー!

そうだ。ダンナさんの買ってきてくれた充実野菜とピルクルとエクレア
まだあったよな。
彼の献身的コンビニ優しさには頭が下がってそのまま寝てしまいそう。
だから 食って飲んでもう寝ます。

3日間、ずーっとパジャマで朝食、弁当作りサボタージュしたので
そろそろ明日から始動開始しなきゃなんべーし。
あー、ダンナ店の大掃除第2弾だったんんだ・・・ぐへ。


おやすみなさい。
皆様もうがい手洗い励行忘れずに。
・・・・合掌



2001年12月25日(火) 東京ミレナリオ初日に行く!!!(無謀)

イブ。
恋人たちは渋谷で、池袋で、お台場で、TDLで、
梅田で、ミナミで、USJで、大阪城公園で、通天閣で
大通り公園で、青葉城で、葛西臨海公園で、山下公園で、
北野で、ポートピアランドで、ハーバーランドで
栄で、帯屋町で、八丁堀で、紙屋町で、中州で
国際通りで、ワイキキで、サンタモニカで

それぞれのクリスマスを楽しむ。
女達は今夜の勝負下着の引き換えに
彼の持つ包み紙の柄で、4℃かテファニーかヴィトンか
プラダかカルチェか それが何かを察知する。

男達は今夜リザーブした部屋へ早く行きたくて
ディナーも夜景を見ながらのバータイムも
まどろっこしいが それは一連の所作、そう
まるで歌舞伎の勧進帳のように決められたルールにのっとって
コトを進めねばならぬから 作り笑顔と共に従う。



さて
わたしのイブはダンナさん実家の店(喫茶店)のトイレ掃除から始まった。
ええ 磨きましたとも。
自分ちのトイレ掃除もまだだというのに、
嫁いで初めてのイブを 「よか嫁ごぢゃ」と思われたい一心で
便器の前でしがみこんで サンポールのしぶきを顔面にうけつつ
ええ 一生懸命。

頑張りすぎて 腰をすっかりやられ 老齢の新妻はふらふらでした。

朝から、いえ昨夜からろくに口もきかない妻の顔色をちらっと
見ているダンナさんには気がついていましたが
それに反応する元気もございません。

我が家には 米が残り少なく。
あぁ 米、米、米買いにいかなきゃぁだなぁ・・・・
呟いた妻に、「うん!うん!行こう!行こう!」と
めっちゃカラ元気で追随する夫。

(ふん。こんな時だけ)
鼻先で吐息を。

「あぁ~ 今日はイブかぁああ・・・・」
聞こえよがしな イケズな妻の独り言。
「うん!イブだねっ。ハニ~ イブだねっ。」
(・・・・・)
「お米は明日にしてさっ 今からイブ、しに行こうかっ?」
(横目で・・・・・)

「・・・わたし、明日独りでミレナリオ行くもん・・・」
「あ、え。お!今行こう!今日行こう!ミレナリオ行こう!」

その時午後6時過ぎ。
その日イブがミレナリオ初日などとは彼は知らない。

神戸出身者の私は ルミナリエ歴6年。いわば電飾見学のプロだ。
たかが地方都市のイベントに どれほどの人間が集まるのか
その密集度合いは 地方から観光バスが繰り出すほどに
息が詰まりそうであり、真冬だというのに、汗でびっしょりになる。
たかが神戸がその騒ぎである。

ニッポンの首都東京、その駅前丸ノ内
いったいどれほどの人口が集まるのか。
「死んでも知らんぞ」なんですかマンのように呟く。

さて、東京駅丸ノ内北口。
すでに隣の人との間隔ゼロ。
押されて着膨れが凹み、マイナス5cmだったかもしれぬ。

無類の人ごみ嫌い。
しかも煙草が吸えない。
そんな苦痛を強いられながら
ほんの数十m先に、60分かかる難行苦行に
彼は挑んだ。


「ハニ~。はぐれちゃだめだよ~」
としっかりと手を握り(いつも手をつないで歩いているのだが
ここしばらくは触れることもなかった)
人並み脱水機のような波に飛びこんでいった。

彼にとってはタイタニック沈没前に1、2の3で海に2人で飛び込む
ローズとジャックの気分だっただろう。

東京ミレナリオは21時までの点灯。(早すぎ。神戸は22時までついてるぞ)
あれ、20時に東京着いて、さーやっとこれから見るぞっていう直前で
消灯されたら 暴れるやろな。
(実際暴れて「オマエは警察手帳もってるのか!」と警備のバイトに
くってかかっている壊れたオヤジがいた)

そもそも神戸のルミナリエは
震災の年、鎮魂のために行なわれたものだ。
だから今のようなイベントのお祭り騒ぎではなく
むしろ荘厳な、教会の中へ入りこむような
それでいて こぼれそうな輝く灯りが 震災のさまざまなことを
洗ってくれるようで、泣きながら光りのアーチをくぐる人も
少なくなかった。


そんなことを話しながら、亀の歩みと言ったら亀が怒るような速度で
キラキラのトンネルをくぐる。

きれいでしたが、うーん。
TVで見てるほうがかしこいとおもいます。
それと、正規ルートを歩いては正直者はばかをみます。
それは神戸と一緒でした。
(これから行かれる方は 丸ノ内中央口から横入りしたほうが
絶対早く目的地へ着けます。)

丸ノ内から有楽町までの一方通行なので
国際フォーラムに出てからは、2年前初めてのデートで行った居酒屋
なんかにも行ってしまいました。
イブに居酒屋かよ、なんて文句はいいません。
だって牡蠣酢がおいしくて2杯もおかわりしちゃったし。
やっぱイブには牡蠣ですね。

「なつかしーねー。ここ。
あの時、はじめてプリクラ撮ったっけねー」

そんな話しをしていたらわたしの鉄板のような硬い心も
和らいできました。

帰りはケーキをホールで買って
部屋でろうそくを灯したころには日付けはかわっていました。

そういや 今日は大掃除からはじまったんだ。
腰の痛みに思い出す。
なんかてんこもりなイブでしたが 
一番頑張ったダンナさんには敢闘賞をあげましょう。

ということで イブ家出ではなくふたりでイブの家路を
ぼろぼろにでも笑いながら辿りつきましたとさ。

モヘジさん、ご心配ありがとうございました(^^)

さて、クリスマス本番の今日、仕事が休みの彼は
朝から実家店のイベント手伝いに、身体に鞭打って出かけました。
いやはや ご苦労。



2001年12月24日(月) クリスマス家出も 面白いかも

「夜勤が明けたらすぐ帰るね。そしたらどこかへ出かけようよ。」

煮詰まってしまってることをカミングアウトした私に彼はそう言った。
なのに帰ってくる時間になっても カチャとも音はせず
ばかばかしいのでご飯を作る気にもなれず
午前中には人口密度2名のはずの部屋はひっそりとしていて
冬至、真っ暗な午後6時 年末に向けて電球とかぱるっくとか
じゃがいもとか烏賊とか買い出しにでかける。

もしかしたら次の信号で腕が片方ちぎれるんぢゃないか
って思うほどの買い物は 私に悲しさを伝えてきた。
いつも必ず重いほうの袋を3つは持ってくれる男がいない。

午後の電話は「ちょっと打ってるんだぁ。いいかなぁ?」
という遠慮がちに厚かましい内容だった。。



さて
23時近くに帰ってきた夫に 妻は極めて冷たく
時間すら零下13℃だ。

「ウソツキ」
妻は心で言う。

きっと夫の胸にも届いているだろう。
気まずそうな夫は、黙々と電球を替える妻を気遣って
普段ぜーーーったいしないよなお手伝いまでする。

さて
クリスマスイブ
ダンナさんの実家のお手伝いをする予定だが
その後 何かイベントのひとつでも考えているんだろうか。

何もなかったらわたしは独りで ミレナリオに行く。



2001年12月23日(日) 「1/47」

28日放送の忠臣蔵の話し「四十七分の一」のダイジェスト版を観た。

主役のキムタクは堀部安兵衛という話しは前に書いたが
大石内蔵助は佐藤浩一(おお!)
吉良は津川雅彦。(おおお!)
浅野は堤真一。(ふ~ん)

これで若い人達も忠臣蔵に興味を持つ人が増えるのでは?(ふふ)

わたしは大石の妻りくが小林聡美なのに気がひかれる。
彼女がするときっと明るくおもろいりくになるんやろーな。
ポポンSのCMで洗濯物倒したりお皿割ったりしている彼女だが
三谷幸喜が選んだ女性だというだけで一目おいてしまう。

それにしても木村の顔はいい。
キムタクファンでもなんでもないが、討ち入り装束で相手に向かう彼の目
あの目の光に吸いこまれそうだ。

わたしが大阪で司会者をしている時
先輩の司会者で 朝日放送で毎朝ラジオのパーソナリティをしていた女性がいた。
キダタローという、浪速のモーツアルトのアシスタントをしていた人なのだが
彼女は親が歌舞伎役者だということもあり 
また彼女自身若い頃から芸能の道に進んでいたこともあり
京都の撮影所の話をよく聴かせてもらった。

床山さん(カツラを調整する人)や殺陣師、衣装さん大道具さん
仕事をきっちりこなすプロの人々は にわかに人気が出ただけの
礼儀を知らない若いタレントには徹底してイケズをして潰すらしい。

わざと相手が聞き取れないような喋り方をして困らせたり
それで相手がわかったようなふりをすると したたかに怒ったり
まるで吉良並みだ(笑)

その京都のスタッフ達が木村を手放しで誉めていた。
三船、高倉に続く大スターだ と言ってる人までいた。

チキンライスを一緒に食べながら、
わたしはキムタクの目の光が尋常でなくカッコイイとめでた。
ダンナさんはTV画面を見つめつつ「俺も木村になる」と言っていた。

意味はわらかないが 今日からどうやら木村になるらしい。
でも今朝の彼の頭は 手塚治虫の漫画に出てきそうなファンキーな髪型だった。
全ての毛並みが右に流れて「右が重い」とまで言っていた。
右に傾いてレインマンになりそうだ。

とにかく忠臣蔵をみようと思う。




2001年12月22日(土) 藤井隆占いをやってみた。藤井隆度69%だった。

マシューを見てから 妙に藤井隆が好きになったわたしです。

すこし前だが「徹子の部屋」に内田哉也子が出ていた。
モックンの妻であり、内田裕也と樹木希林の一人娘である。
仕事は文筆家で英語の絵本「たいせつなこと」を訳したり
映画「アメリ」の解説だったかも書いていたような。

この人を見てると なんとなく顔がわたしに似ていると思う。
彼女のほうが 鼻は高いし睫毛は長く憂いと知性は遥かに高いが
なんとなく「ぼわー」とした輪郭のぼやけかたが似ていると思う。

なぜならわたしは樹木希林にも似ているからだ。
そう言い切るのは実の母親だ。藤山直美にも似ているという。

そして林真理子にも似ているし、泉ピン子にも似ていると
他人にいわれたことがある。
あぁ泣けてくる。

友達には室井滋に考え方が似ているといわれた。
彼女は室井滋の考え方をいつ知ったのだろうか。

人前で喋るときは上沼恵美子に似ていると言われる。
藤本義一の奥さんや庄野真代や岸ユキや鬼太郎のおやじに似ていると
言われたことがある。

USJの「ターミネーター3」の最初に出てくる立て板に水のように喋る
赤いスーツの役者にも似ていると 何人にも言われた。
顔ではなく雰囲気が だ。

一番多いのは一般人で「学校の先輩に似ている」「同僚に似ている人がいる」
と。結局はどこにでも転がっている樹木希林顔なのだ。
振袖着て 岸本加代子の写真屋に買い物にいくぞ。
何ならナッチャンと味噌汁のCMしてもいいくらいだ。

それぞれ、全然違う顔やキャラなのに
会う人によってイメージがかわるというのは その人の受取り方だな。

本当の私は、幼い頃夏目雅子にそっくりだった。本当だ。
最近は財前直美だ。
いや本当だってばさ。
但し お水の花道で思いっきり崩れた顔の だが。

ふとおもいついてダンナさんに「私って誰かに似てる?」と尋ねてみた。
暫く考えてからの答え


「・・・・・ファービー」



・・・・・・・・
やっぱ人間のほうがいい






2001年12月21日(金) 深夜族の楽しみ。

深夜 
民放TVは「砂の嵐」か「箱崎インターのライブカメラ」を放送している時間、
NHKは「MUSIC BOX」という番組(どーでもいいモードな画像)を流す。

これが最近わたしには面白い。

70年~80年代あたり 高度成長期の日本の当時を 
これまた当時流行りの音楽をバックにただただひたすらON AIR。
ただただひたすら淡々と画像&音楽。

一切のナレーションなし。
「このあと 意外な展開ぐわあっ」というアホらしいひっぱりや
その後すぐにCMに入ることも もちろんなし。

例えば始めて歩行者天国になる銀座の様子とか
竹の子族が横行する以前の原宿とか。


バックにはミッシェルポルナレフ Tレックス ABBA
ガロ、イルカ、かぐや姫、アリス 
これがまた 今CMやドラマで使われている曲がわんさかわんさー
イエーイエーイエイエーなのだ。

面白いのはその画面に写っている人々。
概ねデート中の若者だったり、買い物中の女の子のグループだったりする。
それが非常に時代を彷彿とさせる。

髪型、服装、化粧、まゆ毛の太さ。
それぞれ70年代80年代を物語る。

13時丁度にホコテンになる道路に恐る恐る足をおろす人々。
表参道で三原順子のような髪型をして買い物する女の子たち。

ただ、そこには和光とか三愛とか並木道の木々とか
今と変わらない「モノ」がある。

このモノ達のおかげで あぁここは銀座のあのあたりだ
とわかるのだが、そこを闊歩する人々は数十年前の若者。

この人達は 今50才代くらいだろうか。
今NHKにどうどうと晒されてしまっているが、
その(カップル同士の)相手と別れた人のほうが多かろう。
今リストラの風に晒されている人も多かろう。
この瞬間孫が生まれるのを待つ人もいるだろう。

そんなことを考えると もー寝られなくなる三球照代状態なアタシ。

おかしい?



2001年12月20日(木) ブルガリはブルガリでも バカ高い時計ではなくヨーグルトなブルガリアン

最近「GI値」なる単語を聞く。
食べ物に含まれていて血糖値に関係があるんだったか
高すぎる食品ばかりとってるとデブになるとか
まーそんなものだ。

パンや米よりパスタが低く
カルボナーラやオイルベースのペペロンチーノより
トマトソースで食すとGI値は低いらしい。
まーカロリーも低いやろーとは思う。

おもちも煮ると高くなり、焼いて海苔をまくと海苔さんの食物繊維が
悪玉高GIを包んでくれるそうだ。

で 野菜はジャガイモと人参がこのGI値高いのだそうだ。
人参って βカロチンやvitaminAが多いとか 結構栄養価の
女王って感じだったが やはり過ぎたるは及ばざるが如しか。

冬野菜のしろいぽってりした大根や 土付きのごぼうなど
うまそーなのが八百屋に並んでいる。
これらは低GI。

わたしは最近やっと気がついたのだが ダンナさんが豚と化したのは
「不規則」「高GI値」そして何より私の作る「量が多い」
ことが原因のようだ。

そこでここしばらく量を見直し(普通料理の本の2人前程度に)
ごぼうをメニューにいろいろ加えている。

ポピュラーどころできんぴら。煮物、豚汁、ちゃんこ鍋の具・・・

それに加えて最近ヨーグルト菌なるものを買ったので自家製ヨーグルトに
せっせと精を出すわたし。
どんどん増えるので これまたせっせと食すわたし。顔に塗ったりもできる。

結果とてもお通じがよく 夫婦の会話は「我こそは超腸調子良好也」と
自慢大会ではじまる。

ある日など
あまりの量に自分が押し上げられて便所の天井に頭がつくかと思った
と 月亭八方もびっくりのオオボラをダンナさんは吹いていた。

いや吹きたくなるくらい快調なのである。

ごぼうと自家製ヨーグルト
今年の冬はこれで決まりだぜ!



2001年12月18日(火) セミナー参加の巻

仕事がアウトプット系なので、たまにインプットしてやらないと
電池ギレになる。

ずーっと行きたくて でも行けずにいたセミナーへやっと参加表明ができ
銀座と月島の間にあるイナセな土地へ先週から通っていた。

つくば大学の先生が主催のとあるメンタルヘルス関係の勉強会。
参加者はいわゆる援助職の方々が多かった。
皆さん仕事がらみなのだが、その実自分の中に「ポチっとある」
普段たいして気にならない問題が セミナーが進むにつれて
クローズアップされていく。

大勢の前で話すと 論点があっちこっちへ行く養護教諭
足の手術で杖が話せないことが劣等感の看護婦
無意識に人に示唆的指示的話し方をしている自分に気付く婦長
あることがきっかけで水が飲めなくなった学校の先生
古いものが捨てられない捨てると罪悪感がわく栄養士

数日間のセミナーだったのだが、わたしのパートナーは30代の設計士。
その人は 毎日個人的な勉強をする という目標を目指すために
「何がそれを妨げるか」という深堀をしていく。していくのが私の役割。

はじめは なんてことない日常の話しが どんどん遡っていく。

勉強を始めると それに理解を示さない奥さんの目が気になって集中できない
その時の気分を何度も確認していく。
その気分と同じ気分を味わった過去の出来事を探していく。

やった人は皆体験するのだが「ピン」と琴線にふれる過去の出来事が
完全に忘れていた過去の出来事が 映像化して浮かぶ。
(浮かぶような構造化されたしくみにのっとって作業を行なう)

誰も知らない 自分だけがしまっていた 自分だけが傷ついていた
傷ついていたことすら自分は気がついていなかった出来事。

その人は 8歳の時父親に蹴られている自分、
親父の愚痴をいう母の言葉を黙って聞いて我慢している自分 
そのくせ親父とまたよりを戻した矛盾だらけの母親の愚痴に
小さな身体を固めて耐えている自分が浮かぶ。

 彼は、絶対に泣かなかったらしい。
 どんなことがあっても 泣かなかったらしい。

その彼が ワークの最後 始めて泣いた。


今 彼の子供が、妻から言葉や力で暴力を受けているらしい。
耐えることで均衡を保っていた父は 子供を助けてあげられなかった。
その子供は、今8歳。あの頃の彼と同じ8歳。

彼の目標は「毎日勉強すること」から 「子供を抱きしめてやること。
そして 暴力をふるってしまう自分に傷ついているはずの
奥さんを抱きしめてやること」に変わっていた。


まさがこんなことが、というような生活上でのことが
幼少期のある出来事につきあたる。

私自身 日常苛まれている誰かに責められているような意識。
家事がスムーズにこなせないことを異常に劣等感に感じている自分があった。
「どうせうまくいかない」
この刷り込みのような意識が どこからきたのかを自分で見つけたときは
幼稚園時代での鉄棒にまつわる話しだったので 意外すぎて唖然とした。


あぁ こんなにはしょって言うと 伝わんないねー。
とにかく わたしは外部からインプットもされ自分自身で養分も与え
色々な人々と出会い また頑張ろうと思ったのでした。

来月は また違う先生のところで全然違う勉強会に行ける♪
こういうものは 自分がその気の時にいっぱい参加しておくに限る。
でないとまたお尻がひけちゃうもんなー。
あーわくわく




2001年12月14日(金) 本日は忠臣蔵なり (積年の恨みはらさいでか)

今日も今日とてボウネンカイラーなダンナさんは、
夜勤明け少し寝て新宿へ向かっていった。

特大目覚まし時計に起こされた時には『起きたくない度数140度だー』と
いったいどんな基準やねんとおもうのだが、そう言っていた。

シャワーを浴びた後は室温の低さも手伝って『180度』にあがったそうだ。
もう起きてるくせに。

「こんな日はこたつで『忠臣蔵』でも見たいね」と コーヒーをすすっている。
おぉ!そうだった!今日は14日!

四十七士 討ち入りの日ではありませぬか。
そしてお約束のようにTV映画では健さんの「四十七人の刺客」をする。
ビデオに録画を頼まれた。

結婚前、忠臣蔵好きなわたしが、デートで無理やり品川の泉岳寺に連れて行ったことがあった。
義士たちのお墓や記念館に連れて行ったのだが、主人の仇討ちという物語を
わたしは講釈士よろしく 彼に語ってきかせたのが 1年前かー。
元禄の男たちのドラマに興味を示した彼は、わたしの倍の時間をかけて記念館をみていたっけ。

「あの時」着ていた大石内蔵助たちの鎧とかあるんだよー。ふんごー。


年末の大型ドラマは キムタクが堀部安兵衛役をやるらしい。これもダンナさんが教えてくれた。
この話しをはじめてみたのは歌舞伎座でだが、ストーリーもさることながら
誰がどの役をするかで面白さもまた違ってくる。


わたし「キムタクドラマでは誰が吉良をするのかねー」
だぁ 「昔、たけしが大石をしたんだよー」
わたし「へー。浅野はヒガシとかいいかもぉ。慎吾くんは不破仁左衛門とかねー」

マニアックな話。

こんな話しをしていたあたりまでは よかったのだ。部屋の空気が。

忘年会に出掛ける用意をしているダンナさんが
「ごめんねー 俺ばっか出かけてー」とか言っている。
「えー、そんなのいいよー」 
わたしだって勤めていた頃は、忘年会新年会と日夜肝臓強化をしたものだ。
普段会話しない部署の人達とも交流をはかる 貴重な場でもある。

わかっているから理解がある(つもり)だが、なぜか ほんとーになぜか
去年の私の勤め先での送別会の記憶がポンと蘇った。

わたしが主役の送別会、しかも部署だけでなく 社のフロアの人全員出席という
ありがたい酒宴に なんと奴は「夜10時には帰るように」
と 信じられないことをいったのだ。

「わたしはこんなに理解のある妻なのに、あの時オマエはわたしに10時に帰れと言った」
とののしりはじめたわたしは 1年以上前の恨みを口にした。

なぜだろーねー?
今、彼自身首をかしげている。

「結婚前は 特別なんだよっ」 
外出前にそんなこと言われた彼はだんだん不機嫌になって
屁理屈にもならんことを言っている。
ふんっ。屁がかわいそーだ。

そしてなぜそんな無謀な命令にわたしは抗いながらも結局は従おうとしたのだろう?
いやそれよりなんであたしは1年以上前のことを急に蒸し返して 怒っているんだろう?


浅野内匠頭が殿中で起こした刃傷沙汰で 切腹を命じられたのが元禄14年3月。
四十七士が仇討ちを果たしたのが 翌15年12月14日。

思いを晴らすまで1年9ヶ月の歳月をかけている。
赤穂浪士たちの思いが、わたしに1年以上前の悔しさを口にさせたのだろうか。


それとも

この自分の執念深さを 他のせいにするクセ なんとかしたほうがいいのだろうか。





2001年12月13日(木) 下着泥棒

先日、陽のあたる部屋で ぼぉーっと「笑っていいとも」に出てた三木道三
なんかを見てた。
こういうお兄ちゃんって、大阪ミナミ界隈で司会をしてた時巡り合う事が多かった
そんなタイプで、とてもタイムスリップしてしまったものだから余計にぼぉーっと
TVを眺めていた。

すると!

その陽のあたる窓に、なにやらチラチラと陰が見える。
今朝はすでに物干し竿に ずっらーっと洗濯モノを干している。
そのあたりにチラチラと見える陰。

「?」
「?」
・・・・・・・・・・・

階上から垂らされたひも状のもの。
その先端には「J」の字が3方向くらいに放射している釣り針状のもの。
昔夜店で見た、ヨーヨー釣りのさきっぽを集めたようというべきか、
「がまかつ」「上州屋」で見ることはできるのかというようなデカイ釣り針。

それが、今まさに ダンナさんのパンツと靴下の間を 何度も何度も往復しているのだ。
私のパンツは 物干し竿の反対側だ。
と、いうことは 目的はダンナさんの下着?!!!

では なくて。

落とし物得意者の上階の方が また何やら落としたらしいのだ。
それを 自ら工夫して上から釣り上げようと努力しているのだ。

今ここで わたしが窓をガラっと開けて その針にひっかけてあげたり、
はたまた上の奥さんが「ひゃぁ~ すんまへ~ん ちょっとソレにひっかけて
もらえますかね~」っと言えるような人であればコトは簡単だ。

だが、それが出来ないから相手はわざわざヨーヨー釣り状を垂らしている。
それを気付いてしまっては きっと相手は恥ずかしい。
だから陰ながら応援することにした。

あともうちょっとなのに、あと1歩のところで失敗。
「頑張れ!頑張れ!」
私は窓を凝視して硬直する。
数回のチャレンジの結果、上階の洗濯モノは釣られていった。
おもわずスタンディングオベーションしそうだった。


こんな生活とは早くオサバラしたいのさ。



2001年12月12日(水) 運の使いきり

北国では、観測史上記録的な量の雪が降り積もっているらしい。
ここ江戸のはずれにも、凛とした寒さが訪れ頬がピンと張るようだ。

そんな朝、私は居住まいを正し 墨をすりだす。
傍らには茶釜が湯気を出し、狭い茶室を暖める。
部屋いっぱいに墨のにほひがたちこめ、
真っ白な半紙の前でひとふでおろす
その緊張感を身体全体に感じる。

夫が休みの今朝は、そうありたかった。
貧しくても 清く正しく美しい朝を迎えたかった。

でも 起きたら昼で。
昼なのに 起きたままのカッコで外を覗いたら やっぱりまだゴミ回収車は
きていなかったので 生ゴミを出す。もうそのあたりから落ち込みは始まる。

そしてまだ寝ようと思った私に呆れたダンナさんは外出に誘った。
あぁ久しぶりのデート。
昼まで寝ててもいいことあるのですね。どこへ行くのだろう。
デズニーシーかしら。映画かしら。

そこは銀色の玉がコロコロころがる遊技場だった。
そう、あのニコラスケイジも「FEVER---!!!」と叫ぶ あの場所だ。

私は あんな煙草の煙まみれの 乾燥しまくりの 
何より 汗水たらして働いた金をうすっぺらいカードに変えて
どんどん回転していくような
そんな場所には 近寄りたくなかった。

でも休日を一緒に過ごしたかったから 
可愛い女心がその禁断の地に足を踏み入れてさせてしまった。
・・・・・・・
・・・・・・・

その結果
私は、なぜか傍らに銀色の玉いっぱいになった大きな箱を積み上げて
夫の勝負運も私が吸い取ったが如く どんどん箱を積み上げて
「おめでとうございます!10000連発!」なんて看板を頭の先に立てられて。

あぁ 神様
なぜかわたしはとても罪悪感に苛まれています。
こんなふうにお金を手にするなんて わたしはどうもダメです。
せっかくだから楽しく遊べばいいのだけれど、あっというまに
ななまんえんも手にしてしまって とても落ち込んでいます。

今年の運はすべて使いきってますね?
っていうか きっと年末ジャンボは ダメですね?
やっぱり、寒い日は朝から墨をするような
そんな生活って わたしにはほど遠いですね?



2001年12月11日(火) サイボーグ009のヘアスタイル 

今日は朝6時起きの日で、眠いっつーのに
ダンナさんの寝起きのヘアスタイルが、すべて左に流れていて いやもう全て。
「今の俺って 漫画でビルから落下する人の髪の毛」とかいうもんだから
朝っぱらから大笑いしてしまった。

そういやそろそろダンナさんをヘアカットしなくちゃ(まだやる気か?!)

いつも起きる時間にはすべての家事を終え、銀行やら帰省チケット購入など
いろいろすることがあったので駅まで行く。
普通の生活をしている人って こんなに時間があるのね。
んでついでだから新宿まで行って 送ってなかった進物の手配をしよう
と思いきったのはいいのだが、
どうみてもちょっとそこの八百屋まで行ってくるワ的格好で
あたしもおばちゃんぶり満開やなーとなかなか感心することしきり。

さて新南口をトットコ歩いていると、ずらっと並ぶ宝くじ売り場。
この間、宝くじに当たった人の談話で「買う当日は朝日を浴びること」と
根拠がなさそうだが妙に納得させられてしまった。

「そういや、いつになく今朝は朝日を浴びたわっ。(窓際で居眠り)
それに朝の星占いでNO1はてんびん座だったしっ(こじつけ)」
ということで、買っちゃいました。年末ジャンボ。

やっぱり思いを馳せるのは 「もし当たったら。」
そんな夢を大晦日までみるのも買った人間の特権か。
あぁ もし当たったら 皆で活蟹オフでもしようね~♪





2001年12月09日(日) 牛の怒り

さて、みなさんは牛、食べてます?
3頭目が見つかってくらいから、気にしたがりのダンナさんは
「うちは牛肉禁止!」と
自分が牛みたいな身体してるのに言ってました。

どーせ、今更とか ちゃんと検査してるんだし とかワタシ的には
いろいろ思うのですが ま 豚も鶏もおいしんだし、普段あまり食卓に上らない
お魚なんかを頂ける機会も増えるわけで、べっつにいーやって思ってました。

したらね?
奴は、昨日会社の忘年会(第一弾)で「すきやき食べ放題」行って
しかも大皿4皿食っちゃったよー といやしんぼ丸だしで帰ってきました。
そして今夜はフットサルの忘年会で また肉くってくるそうです。
「ン十年後には 脳みそスカスカだったらごめんねー」だと。

人には禁止じゃの食うなとゆうといて
あんた、いっこも気にしてへんやんかいさっ

と忸怩たる想いを抱えるワタシは、この間仰天する寝言を聞いた。
「不二家ペコちゃんポコちゃんぶどうジュースを飲むんだ!」
その後、頭だけこたつにつっこんで寝てました。牛が。





・・・・・・脳は もうイッチャってますね。


今朝の夢のご報告はまたすごかった
「俺は忍者なの。で、追われてるの。逃げても逃げても追ってくるので
『えへへ。みつかっちゃったぁ』って言えば助けてくれるかもって思って
わざわざ追手の前で止まってそう言ったんだ。
すると「問答無用!」と一言、首を切り落とされて、首無しの俺は
『ひどいよ~なんで切るのさぁ 』
って首がないくせに相手を責めてるの。ねぇねぇこれどういう意味だと思う?」



誰か奴を止めろ。



2001年12月08日(土) さて期限の切れる生クリームの変身後は

卵・・・・ある。
牛乳・・・ある。
砂糖・・・ある。

ということで、母が持たせてくれた数少ない嫁入り道具のひとつである
茶筅(ちゃせん)でお抹茶をシャカシャカ。

じゃーん。抹茶アイスの誕生ぉぉおお。自分で言うのもなんだが旨い(あ、自慢?)
そりゃ合成保存料・添加物無しの新鮮アイスだもんなー。旨いべ。

ミカンの袋もむき、りんごはうさちゃん状態にしてグラタン皿にレイアウト。
貰い物のとろけるプリンとやらをパカッと伏せて プリン・ア・ラ・モード。
そこに抹茶アイス。
なんとも不思議な取り合わせだが、まぁいいだろう。

酒好きのくせに 甘いもの大好きダンナさんは 目を徳光さんのように細め
嬉しそうだ。

だが、その嬉しさの顔の裏側には人言えぬ陰がある。はず。

私が ダンナさんに小言をいう時、それは寝る前至近距離でしっかりと
逃げられないようにしてからだ。目と目としっかり合わせてもう離さない。

私の話しが佳境に入ろうかと言う時、必ず奴は目線を泳がし、
「あ、はにー。(ちなみに彼は、ホンマにわたしのことをはにーと呼ぶ。
まゆ毛つながってるよ」
「はにーったら、ヒゲ生えてるねー。」

「うるさいっ!はやしとんぢゃい!!!」
何 話し変えとんねん!ハラタツ。

そんな毎日を楽しく送る中、寝ている奴の左側に添い寝してみた。
それまで左側向いていたのに、す~っと右をむきゃぁがる。
今度はわざわざ右へ移動する。
まるでわざととのように、反対側を向くダンナさん。
熟睡していることは その沈むタイタニックのような轟音でわかっている。

・・・・・・・・・
「おいしーよー♪」
アイスを食う奴の腹の底にはきっと別の想いがあるに違いない。



2001年12月07日(金) 生クリームの賞味期限が一昨日で切れた

昨日どこかのサイトでちらと目にしたんだけど
「神戸の人って自慢したがりだよねー」って言葉。

確かに私は自慢したがりだし、それは自信がないことの裏返しだし
そう思うと昨日の覚書なんぞも「関西自慢」に見えるかなーとか
そんなこんなで悶々としてしまう私もええ年こいて弱気だよなと
なかなか思い煩う今日この頃でし。

昨晩
自分の奥様との壮絶なバトルを描く呉氏のところを久しぶりに覗いた。
1日のアクセスが8千とかいっちゃう人なのでご存知の方も多いかな?
「我が妻との闘争」、笑えないし笑えるし。
今はアホアホらぶらぶなあたし達も、3年目を迎える頃から
だんだん呉夫婦状態になるのかな。くっくっく。楽しみだ。

http://www.117.ne.jp/~kure/index.html

↑呉さんち



2001年12月06日(木) やっぱ故里のなまり聞きたし停車場の でんな

仕事で実家(関西)に帰っていた時、つくづく思ったことがある。

夕方4時からの時間が、こちら(東京)と全然違うのだ。
くだらないこと と笑われそうだが、TV番組の構成が
ずうぇんずうぇんちゃうわけだ。

こちらは、あきれるくらい過去のドラマの再放送だ。
だから夕方は 江角とか反町とか藤木とか米倉とか押尾とか
まぁそのへんがでずっぱり。

どのチャンネルもそうなのであまりドラマに興味のない私は
仕方なく東京12chのすっごくアイソのない将棋盤みたいな顔のおっさんが
メイン司会してる情報番組をつけていたりする。至極つまらない。

関西では、吉本マイナータレントの仕事が始まるのがこの時間。
夕方から各チャンネル情報番組を2時間枠くらいで毎日やる。
視聴者は奥様が大半だから、レシピとか買い物情報とか地域のイベント紹介とか
そんなあたりなのだが、それを進行するほとんどが吉本のタレントなのだ。

それも絶対東京じゃ誰も知らんやろーな というマイナーな漫才師や落語家が
めちゃくちゃツボにはまったりするし、何より生活密着型情報満載なので
奥様だけでなく学生とかにもとてもうける。

だって阪神百貨店の「ペット用品」紹介ひとつでも腹抱えて3回は笑えるし
街中で道行く一般人に自分の自宅に電話をかけてもらい
「今晩の晩ご飯ナニ?」と家族に聞いてもらうコーナーなんて
まさかTVに音声流れているとは思わず普通に喋ってるおばちゃん達が
どんだけおもろいか。鼻から牛乳どころの話しではない。

実家のTVの前で寝そべりながら
「ああぁああ やっぱり関西はええなぁああ。」と何度呟いたことか。

これが、今東京で活躍している吉本タレントが同じことしても絶対おもろないねんやろな。ナイナイもダウンタウンも全国区すぎてとてもとても・・・

それにタレントがボケた時、メイン司会のアナウンサーが素早くつっこまへんかったらしらけてまう。
いくら人気があっても安住アナとココリコのセッションなんて確信的氷河期だ。

そう、関西の民放アナは吉本芸人と同じ技量を求められているし また
それが自然に身につく風土があるのだ。
以前司会の仕事で毎日放送のアナウンサーとご一緒したが普通の会話がおもろい。
それは誰でもそうなのだ。
なんといってもあたしらは、土曜日の昼は新喜劇とお好み焼で育ってんねんから。

あぁ。
南光とボタンとたかじんと上沼さんとざこばさんで主婦向け番組やってくれ。コーナーは、陣内とリットン調査団にもたしたろ。もちろん小百合ちゃんも。

千原兄弟とメッセンジャーとたむらけんじとケンドーコバヤシとで
夜中のアブナイ番組やってくれ。

そんなこんなで欲求不満な夕方ライフは続くのです



2001年12月05日(水) 今晩はひとりで赤を一本いっちゃってます(ひっく)

ちょいとやさぐれているので気分をかえる。

えんびつ日記にしまってある素敵なだいありの数々。
そのひとつをふらりんと訪れたらたまたまアクセスが10000って数だった。

なんか自分が嬉しくなって思わずメールをしてしまった。
いちまん、すごいすごいぃパチパチパチィ
そんな気持ちだったのだが、見ず知らずの人間からそんな言葉がきたら
「こいつカウプレとか期待してんぢゃねーの?」とか思われたらやだな
とか(笑) どうにもひねくれてしまって躊躇はちぃと。

でも私のFCな部分(精神分析の一種で自分に正直な部分です)が反応してしまった。

この方のHPにはとても優しい言葉が織り込まれていて
また類は友を呼んじゃって お仲間さん達が紡いでる言葉もとても素敵だ。
文才のないわたしは見るばかりで楽しませてもらっている。

電車の中で本を読んだり音楽聞いたり眠ったり黙ったりしている全ての人々。
最初はサイボーグだと思ってた人々だけど、奥底にみんなこんな素敵な思いや
言葉をしまっているんだ。

そう思ったら 東京の電車も怖くなくなった。
そんなことを感じさせてくれた出会いも たくさんのHPにある。
どんな言葉も触発させられるパワーがある。
そんな出会いに今更ながら 感謝を。



2001年12月03日(月) 犬はやはり食いませんかね・・・

夕飯前に「何時に起きる?」と 一応聞いたのだ。
夜勤明けで解凍したてのイカのようだったダンナさんに。

その日は鍋だ。
ちょっと贅沢してエビなんぞも4匹いれてみたりした。
ダンナさんの好きなエノキも豚も 大根おろしもたっぷりだ。

「すぐ起きる」
そう答えたから鍋に火を入れたのだ。

わたしの何が悪かろう。
しばらくして起こしても起こしても何度起こしても起きないので
むっかついて襖を「ばしっ」と閉めてしまった。

夜勤明けて疲れて無理やり起こされて戸をけたたましく閉められては
そりゃ腹も立つだろう。かなりご立腹で起きてきた。
しかし、むかつくものはむかつくのだ。

結局、私は自分の分だけ器にとって台所で食った。
「それ、変だよ。おかしいよ」と言われながらも ガスレンジを台にして
きゃたつを椅子にしてもくもくと食った。

だんだん自分でも何を訴えたいのかわかんなくなったけれど
とにかく「むかつく!」という意思表示をしたかったのだ。

飯作って起こして怒られたんじゃこっちもやるせない。
「もう2度と起こさん!一緒に食事を共にすることも もう ない!」
と雄叫びをあげるあたし。

「何でそう極端なの?」
困った顔をして聞くダンナさんに またむかつくので
フロンティア愛煙者の応募ハガキを書いている彼の腕に
ボールペンで20㎝ほど線をひいてやったら
途端にし返しされて あたしの右の項と左の手首は
ボールペンの跡だらけだ。

あぁぁっ むかつく。


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