目口覚書



■目口覚書■
ごめんください
どちらさまですか
お入りください ありがとう

2001年10月29日(月) いつのまに

いつのまに今日になったんだろう

確か土曜の仕事明けに
「入院している同僚の見舞いに行く。夕方には帰る」
と電話一本いれたまま
夕方になろうと夕飯時刻になろうとターミネーター2が始まろうと
ダンナさんは帰ってくる気配はなく。

はは〜ん。と思ったが
思いの他ターミネーター2が面白かったので
特別心配もしないでTVを楽しみ一人で夕飯を食んだ。

おそらくわたしの予想が当たっていたら23時までは帰ってこない。
ぼーっとネットをしていたらピンポン23時に帰ってきた。

私の横にペタンと座り、ニット棒を脱ぎ、土下座をしかねぬ勢いで
「申し訳ありませんでした」と謝ってきた。

「お宅の夕方は、えらい長い夕方やね〜」
「病院の面会は、えらい遅ぉまでしてはるんやね〜」

見舞の後パチンコをしていたのはとっくにわかっていたが
せっかく謝っているのでお約束のジャブを2,3発打ち
「遅くなるなら電話一本いれんかい」とみぞおちにお見舞いした。

「あぐあぐあぐ」と何やら言い訳していたが
電話したところでとてもじゃないけど帰れる状態でなかったと言っていた。

私は事故にさえあっていなけりゃいいので
勝とうが負けようが晩飯を食おうが食おまいがどっちでもいい。
それをあまりわかってないようだが まぁそれもどうでもいい。

彼は静かに台所へ行って残り物の器を空けているので
聞くと晩飯も食ってないという。あほや。


そして翌朝
ぐだぐだ遅寝をして14時間睡眠後
今日は好きな物食わせてやると嬉々としていう。
起きたらまずこれを言いたかったんだろうな。
勝って旨いものを食わせてやりたかったんだ、と
昨日の自分を正当化している。
おかしい。

何を食べるかで2時間くらい布団の中で討論し
はらぺこ2人組は服を着替えタクシーで赤羽へ。

ひさびさの牛角で何の遠慮もしないで耳の穴からピートロでるんちゃうか
ってくらい食って帰宅。

9時から知ってるつもりを観ようといっていたのに
あまりの満腹に8時半に横になる。

起きたら翌朝11時・・・
え?昨日したことって肉食って寝ただけ?

目がいつ覚めても、隣に相方がいるのが嬉しくて
寝ることをやめられなかったっていっても誰も信じてはくれまいか。
部屋はきっとニンニクの匂いで満ちていた。




2001年10月27日(土) 武士の情け

ホームページのPHOTOを更新しました
該当日時の覚書もリンクしてますんで
よろしかったらご一緒にお楽しみください。

会社に行くのに、今までの行き方はやめて有楽町線で
麹町で下車。この方が時間の節約だ。
買ってもらった靴をはいて 昨日は出社。るるるん。
私がしていた職種の社内選考会があってオブザーブしてきた。
 これから私のパートナーになってくれる人たちを見る場でもあり
いろいろ感動することがあった。

選考会では「プレゼンテーション」のカリキュラムがあって
パニックになった人が胃痛で座り込んでしまった。
思わず助けそうになったが、私の現パートナーは冷ややかに
「続けますか?やめますか?ご自分でお決めください」と。
あぁ この厳しさ冷静さが私にはないんだ。
助けようとする人間のほうが私は好きだけど 情は相手の力もこそぎとって
しまう時がある。それを肝に命じる。




2001年10月26日(金) ばれた

本当のことを告白すると、彼の後姿や風呂上がりのサンバラ髪姿を見るたびに
「ぷ」と笑いをかみ殺していた。

いや、それは自分をも笑う始末なのだが、実は旅行の前に随分伸びたダンナさんの
髪の毛をさてどーしたもんだかと悩むまでもなく100均でみつけたスキ鋏で
私がカットしたのである。

結果は「いとうせいこう」


でも、自分の後姿は見えない彼はもともと無頓着なのも手伝って
仕上りにたいした不満も訴えず「こんなものなの〜?」の一言で納得していた。
私自身も、切りたての時は大丈夫と思ったのだが、1,2日経っただけで
その毛先の不揃いさは陽の目を浴びるより明らかとなる。

出社前の彼を見ながら今日こそ切り直そう直そうと思っていたら
とうとう会社でばれてしまった。
彼がカッパ頭だということに。
妻の髪型をなかなか気付かぬ人種なのになんで同僚のヘアスタイルが変なのに
気がつくねん(そりゃおかしいからや)

「ねぇ、ねぇ 気がついたんだけどさ、床屋、変えた方がいいんぢゃない?」
そういう言葉から始まったそうだ。
「まるで裁ちバサミでじょきじょき切ったみたいだ」
「スソが切りっぱなしだ」
「どうみてもおかしい」
「うん おかしい」

そこまでいわれようやく彼も気付いたもよう。
実は今日ふたりで実家に行った際もさんざん親兄弟に「オマエの頭、それ変」
と言われっぱなしだった。

で、その元凶ともいえる私はといえば一緒になって
「わははは、おかしーですよねー」とはやし立てていた。

ちゃんと床屋で切ってもらえという忠告だけ頂きながらついさきほど
再度ばーばーめぐっちがカットいたしました。
いとうせいこうが大槻教授に変身しました。

うーん びだるさっすーん。



2001年10月23日(火) 伊豆ふたり旅

昨日9時東京発踊り子号に乗る。

バナナワニ園も、海岸沿い最上階のお部屋も、
そこから見える荒れた海も そこならではの趣きがあった。

ワニ園はワニしかいないと思ってたらジュゴンとかレッサーパンダ
とかいるし(何でもあり)
何より 池の鯉状態でわんさか特大ピラルクが
子供だましな浅い池にいっぱい入れられていたのにはあんぐり。

どこかのじぃさまが園名の看板を見てそういう種類のワニがいると思い、
看板を見るたびにいちいち「バナナワニはどれだ?」と言っている 
これにもあんぐり。

食虫植物に食わせよーと、周りを飛んでる羽虫を片手であっというまに5匹
手掴みで捉えた自分自身にあんぐり。

夜も朝も目の前に迫る波の音に包まれ布団に沈む心地よさ。
「寝るより楽があるものか。起きて働くたわけもの。」
我祖父はよくそういいながら床についたらしい。まさしく それさね。

ただ、
うらぶれた温泉街は、旅人の心にも寂寥感をもたらす。
このやるせない寂しさは天気のせいであったと気付く。
一夜明けて天晴れな晴れ。

昨夜は雨であきらめた露天風呂は、今朝のお日様がウエルカムといってるぜ。
100名様収容の大露天風呂貸し切り状態。

「8時20分にここで」とダンナさんと待ち合わせしてそれぞれのお風呂場へ。
1人で岩風呂に浸かっていると 頭上の木々をすすすーっと渡るものが。
ももんがかリスかむささびかヤンバルクイナかしらねども
小さげな生き物が枝を渡っている。うぅ 自然だ。

しかし朝の外風呂は結構寒い。食事後に大浴場へ行くつもりだったので
おつかりだけしてさっさとあがる。

待ち合わせしたのに一向にでてきやがらない夫に業を煮やし、
男風呂のスリッパが1足だけになったのを確認して ずかずかと進入。

そこには椅子からはみだしたお尻をゆっくり洗う楽しそうなジュゴン。
背後から大声で「いつまではいっとんねん!」と叫ぶ女房に飛びあがっていた。

上げ膳据え膳チェックアウト12時まで 昼寝まで楽しんで
となり駅まで海岸べりを歩いたんだがこれが面白かった。
白い波しぶき
洗われる堤防
流れ着いた椰子の実
地下から出てきた温泉の湯気
フナムシの大群
そんなものにいちいち立ち止まり興味を示し 寄り道をし 
大きな河口では いちもくさんに川に下りて
ゆったり羽を休めるカモメに威嚇されているダンナさん。

歩いて20分かかるといわれた隣駅に(だれかの寄り道好きのせいで)
1時間かけて汗だくになって歩く。

地元の活け魚料理屋では そこのオヤジサンが朝から釣った魚をいただく。
釣り舟も持ってて、貴乃花や江口洋介もよく乗りにくるという店「一心」。
そこで、名物の金目鯛のしゃぶしゃぶ茶漬けを食む。
(わたしは煮付けを注文したが「これを食え」とオーダーを替えさせる
こまったオヤジだった)
冷めない器なので ずーっとおいしいし何やら秘密の味付けがあるとかで
やたら旨い。マグロの刺身もとろけそぅだ。
腹いっぱいで1300円。
どうだ、これにしてよかっただろ?とオヤジに無理やりうんと言わされたが
美味しかっただけに煮つけもちょっと食べたかった。

帰りの東京行き踊り子号では、すっかり遊び疲れた人は眠りこける。
東京に着いたらそのまま翌朝までお仕事だからさすがにちょっかいかけないで
寝かせてあげよう。

楽しくて楽しくてまたどこかへ行きたくなったし
私は家へ 彼は職場へ と途中で分かれたあとは
遠距離恋愛中の途方もなく寂しかった時間を思い出す。

そうだ。
離れるのがつらかったんだ。本当に本当に つらかったんだ。
だから結婚したんだ。
それを思い出した一泊2日でありました。



2001年10月22日(月) モデル足てんこもり

またまたバスの旅
今回は、200円こっきり乗り換えなしで新宿西口までひとっとびだツアー。
環七から青梅街道、甲州街道を横切り 都庁が見えた時きゃぁ結構感動。
途中ラーメン屋が並ぶ道では、!野方ホープだ!横浜家系だ!と興奮。
板橋、練馬、中野、杉並、新宿・・・と区をまたいでの旅は、乗車時間
きっかり1時間。

わたくしったらうきうきでキョロキョロでしたが隣のトトロさんったら
人ごみが近づくにつれて胃が痛いと言い出した。
極度の人ごみ嫌い。ならなんで新宿行きについてくるねん。
それは実家からプレゼント用に預かった現金を彼が持っているから。
新宿のデパートで、好きなもの買っていいのどわぁ(^。^)

さて、大変珍しいものを拝ませてもらいました。

新宿南口を出て、新南口へ行く横断歩道を前に立っていると
何やら赤い看板を掲げた人々が。
信号待ちの間は、それを下ろしているが、青になった途端また掲げる。
「?・???・・?」

赤い看板と思ったものは、新聞様に折りたたまれた道案内で大きく矢印が印刷されている。
信号が青になって人々が動き出すたびに、10人くらいいるソレを持った人達は
一斉に新聞を読んでいるように顔の位置にもって掲げる。
実際、その内側には新聞が仕込まれていて、新聞の外側が案内看板になってる。
今日オープンしたリーバイスのファッションビルのコマーシャルなのだ。

白いトレーナーに、スリムなジーンズをはき、
新聞を読んでいるように橋にもたれているのは 
すべて素晴らしいスタイルの女性たち。
軽く前で足を交差させ、読む姿勢を保っているのも全員揃ったポーズ。
新聞の下からは それはすらりとした足。皆さんモデルかコンパニャン?

信号が赤になったらそのポーズを解いてあくびしている人もいたが
いやー、東京ですなー、おもろいことしはりますなぁ。

もし隣に人ごみ嫌いがいなければしばらく信号を渡らずに見学していたいくらいだ。
靴を買ってもらって、地下で寿司なんぞも買って わたしにしてみれば
すごい特急で買い物を済ませたのにそれでも新宿に3時間いた(笑)

ダンナさんはすごい形相で電車に乗る。腹痛頂点らしい。
この人はほんま東京住まい不適合な人間と認識。ストレス耐性マイナス30。
日曜の新宿がストレスになり神経性胃炎を起こす。だからあんたとは買い物しとぉないんや。

さて、自宅に着いて彼がまっさきにしたことは靴下を脱ぐこと。
そしてGパンを脱ぐこと。
すると するすると不快な痛みは去っていったとさ。
もう上機嫌で寿司をほうばり、小泉孝太郎ビールが「うすい」と文句を言っている。

そんなこんなで愉快な日曜日も夜は更ける。
明日から伊豆へふたり旅。
いってきま〜す。



2001年10月21日(日) ナマでいきます

サッポロ生絞り「ナマでいきます」キャンペーンでシールを送ってなおかつ
お金も出してもらえるコースのバックが送られてきた。
思ってたよりちゃっちぃのだが、明後日から伊豆熱川に旅行に行くので
一泊ならこれくらいで丁度いいかもしんない。もってくべ。

本当は先月の末に行くはずだった旅行に不参加だったわたしの為に
家人が提案してくれたささやかな温泉の旅。
バナナワニ園に行って温泉入っておいしいもの食べて翌日は・・・
と楽しみにしてたのに、どうしてこう物事は一筋縄ではいかぬのか。

ダンナ'S会社に突発的シフト変更が発生。旅行の日に夜勤とあいなった彼。
ぐっすん。せっかくあたしの誕生日だってんで有給とってくれだんだけどね。
ま、そういうもんですかね。なんか天気も悪そうだし。ぶす。

そのまま仕事へ行く人には気の毒ですが旅先では楽しむことにしましょぅ。

さてサッポロ生絞りキャンペーン第2弾は、CMでもやっていますが
totoのように結果を予想するタイプ。
酒井若菜が腕立て1回以上できるか→○or×
11月1日のオリコンシングルヒットチャート1位は女性シンガーだ→○or×
テリー伊東と若菜と真木蔵人がばば抜きして勝つのは真木だ→○or×
てな感じ。
あまり応募意欲がわかないのでシールは缶に貼ったまま捨ててる現状。

そういやダンナさんの愛用たばこがキャンペーンをはじめた。
この日のために 箱のロゴをコツコツとちぎっては貯めていた。
景品は天体望遠鏡・・・
貰う気マンマンな人が一名いるが、うちの窓からは見えるのは隣の家の壁だのに。



2001年10月20日(土) ぶらり途中下車

不思議なもので 生活が動き始めるとフットワークも軽くなる。
長瀞の翌日、きっと筋肉痛だろうと踏んでたら ぜ〜んぜん大丈夫なのと
至極いいお天気なので ぶらりひとり旅 ラララ都バスだぜイェィイェイツアー
に出掛けた。

行き先は北千住。
大阪で言えば「ちょっと天王寺いってMIOのぞいてくるわ」とか
神戸で言えば「新長田でパチンコ打って勝ったら六間道で旨い饅頭こうてくる」
てな感じか。

一度ゆっくりいってみたかったのよ北千住。
家からバス一本で行けるし。
いろんなお店がひしめきあってて安そうで。

バスが来る前から「進行方向のどっちがわに座ったらよりよいか」に
思いをめぐらす。荒川に沿ってバスは進むのだ。
結果は、土手の下を走るので川は見えず それでも口をあけて空を眺めたり
やたらと揺れるのが面白かったり 信号待ちでは信号機の下の看板を覗き込み
その地名を探そうと必死になったり そりはそりは楽しい。

北千住の地理はまったくもって疎いので 駅前をウロウロするばかりだったが
びっしり並ぶ庶民的な店にいちいち心ひかれる。
駅前はどっちへ行くのにも横断歩道がなくロータリーをくるぅっと回るのだが
その都度金融会社のテッシュをくれるので くるくる回ってたあたしの鞄の中は
あっというまにテッシュでいっぱいになった。

次回は亀有に行ってみよう。
ここもバスで行けるんだ。
あぁなんて素敵なこと。バス大好き。電車は駅でしか止まらないけど
バスは至るところで止まる。店先の堀だし物や 興味を引かれるパン屋などを
見つけることができる。運がよけりゃ散歩中のネコと目があったりする。

亀有といえば両さん。
実際は公園に派出所などないそうだが、両さん饅頭が売られているそうだ。
絶対に買わないと思うけど 売ってるところを見てみたい。

そーいや今日図書館の帰り道、近所の会社の塀にスプレーでこんな落書きがあった
「○○一家へ。喧嘩希望 我千住暴走族」○○はうちの地名。
一文字直径1mほどの どえりゃぁ迷惑な落書きなのだが
すごく字が整ってて 喧嘩 なんていう字画の多い漢字もとてもバランスよく
スプレーしている。
千住暴走族 あなどれない。







2001年10月18日(木) ばたっ

2日続けて早起きして電車に揺られ会社にいったら
すっかり疲れきってしまい
昨夜はひさしぶりに会ったダンナさんとの会話もそこそこに
夜9時に布団へ這っていく。

眠くないというダンナさんは 私をころがしながら遊んでいるが
あたしはほとんど気絶寸前の眠りに入ってたので相手をしてあげたくてもできぬ状態。
退屈な彼は「いーよーだ。アインシュタイン見てから あとでまた起きるもん」
と 布団の中でNHKの「その時歴史は動いた」を見ている様子。

夜中目を覚ましたら 隣で一緒に眠りこけているトトロがいた。
眠くないはずのトトロ爆睡。
朝方、地震があって寝ぼけながらも身体が反応して硬くなっていると
爆睡トトロがわたしの頭を抱えよしよししてくれた。
きっとそんなこと本人は覚えてないだろうが。

社会復帰できないほど体力は低下しているのに
来月は神戸中心に広島や名古屋まで遠征決定。
おまけにひさしぶりに結婚式の司会まで決定。
動くとなったらとことん動いてくれやがる。あたしの日常ったら。
こうなったらもみじまんじゅうと広島焼と味噌煮込みときしめんを
鼻からでるくらい食ってきてやる。



2001年10月14日(日) 高崎線古今東西

長瀞に川下りを目的に行ってきた。
「ながとろ」と読む。
初春は梅 晩秋は紅葉が有名なすてきなところだ。
天気はいいし、川に行ったのに登山もしたし、弁当は旨いし、
もちろん目的の川下り(関西の方は 京都の保津川下りを想像のこと)も
大変面白く大満足の1日だった。

写真なんぞはあらためてHP内にでもUPしたいと思うが
その帰り一緒に行った仲間たちと 電車に乗りこんだ。

弁当を作ったり、早起きしたり、そして遊びまわったせいで
まぶたが重くこのまま居眠りしてしまいそうだったのに
私たちのMな血が騒ぎ あえて眠れないようにゲームをしかける。

おきまりの古今東西は、『スナック菓子』

とめどなく頭に浮かぶスナック菓子の名をかたっぱしからあげる。
自分の順番はすぐにまわってくるから常にストックしておきたいし
次に言おうと思っていたお菓子の名前を先に誰かに言われると
悶絶寸前に苦しがる。
本人たちは必死に考え すごい早さでゲームをしているつもりなのだが
考えるふりして途中で居眠りしてしまう者、名前は出てこなくて
「あう あう」と身振り手振りで菓子の形状を説明する者、意識朦朧として
記憶力が薄れ 前にとっくにでた菓子名を何度も口にだしその都度
自分のおばはん度にぞっとしながら また「それ さっき言ったよー」と
注意をうける者。

いい年をした大人が両目を真っ赤に充血させ、髪をかきむしり 眉間にシワを寄せ
「おさつチップ どきっ!」「よっちゃんイカ!」「コアラのマーチ!」
「う〜ん あ 源氏パイっ!」と叫ぶ姿は高崎線の車内の携帯電話と
いい勝負する迷惑行為だったかもしてない。

しかし、菓子というのは奥が深い。
自分の幼少期の思い出と しっかりリンクしており その時代利用していたのが
駄菓子屋か、スーパーか、コンビニか、で出てくる種類が全然違う。
はたまた親のくれていたお小遣いの金額や 親の菓子感や友人関係、
近所の菓子店の品揃えの多さ、個人の味の嗜好、 様々なことに影響を受ける。

まるでその人の子供時代を垣間見るようで めちゃくちゃおもしろい。
いや面白かったのは 疲れ過ぎて眠くて もう何がでてもへらへらと笑っていた
からかもしれないが。

ところでコーヒー豆の形状をしたチョコ「コーヒービート」はもう製造停止に
なったのだろうか。
そして 銀色の目がね風のパッケージにマーブルチョコのようなカラフルな
チョコが目のぐるりに埋まっている ソレ あれもまだあるんでしょうか。
商品名はなんだったか 誰も知らないが。

って、こんなゲーム興味のない人には全然面白くもないし
やるメンツの問題も多いに重要なゲームなのだが
もし「なーんにもやることない時間つぶし」が必要なとき 是非お試しされる事を
お勧めする。

ところで そのあとコンビニに入り
「うんがあぁー スニッカーズがでてなかったぁ」と悔しがった。
この現象は当分続く。長年の経験でよくわかる。
この悔しさもまた遊興後のおもしろさのひとつなのだ。

だからぁ いっぺんやってみてって。



2001年10月13日(土) 東京キッド

引越した時分は 桜の季節で
近所の隅田川を渡るとき どちらかが必ず「サン、ハイッ」
と号令をかけ、
♪はぁぁあるのぉ うらぁあらぁのぉお す〜み〜だ〜が〜わ〜♪
と歌いながら渡った。

ただ2人ともなぜか「下のパート」を歌うので妙にテンションの低い「花」だ。
滝廉太郎もがっくり?

もう今は輪唱(になってないが)することがない。
2人で川を渡る機会が少ないからでもあるし たまに一緒に歩くと
今はきまってダンナさんは やたらコブシをきかせスローバラードに
♪り〜んごぉぉおおお〜 のぉお はんなびぃらぐわぁああ♪
と そこだけしか歌えないくせに歌っている。
(なんで ♪はんなびぃら♪ やねん。)

最近スーパーで おいしそうなりんごが売ってるからだ。
それを網膜がキャッチし 彼の潜在意識となって歌わせているんだ。
単純な奴は気がついてないが きっとそうにきまっている。

いまどき美空ひばりを鼻歌してるなんてびっくりしてやる。
そういやマッチョが障害物競走を競う「SASUKE」で 
ケインコスギとダンナさんが同い年というのを知り 
これまたびっくりしてやった。

肉体を鍛えぬいた男と
肉体を鍛えることをはなからしない男
「筋」と「贅」の違いはあるがどちらも肉に包まれている。
両極にいるとはこのことかと思い知る。

この間は 会社でポルターガイスト現象に悩まされた夢をみて悩んでいた。
あたしはそんなアンタに悩む。

今 信販会社のCMで若者が
♪右のポッケにゃ 夢がある 左のポッケにゃ チューインガムゥ♪
と歌っている。イイかんじだ。
ふと、これもひばりの歌だと気付き
もしかしたらひばりブゥムか!?とおもい
もしそうなら 先見の明に見直してもいい。 かもしれない。



2001年10月12日(金) せっかん

そろそろ寝ようとおもいながら、この間図書館から借りてきたまま未読だった
下田治美の『愛を乞うひと』をなにげに手に取る。
その時点で午前4時だったから もうやめようやめようと思いながら午前7時

そこで洗濯機をまわしまた表紙をあける

気がつかなかったが 去年原田美枝子が二役で虐待母とその娘を演じていた
映画の原作だと途中で気付く。

すさまじい虐待。そのせいで娘は股関節も膝の骨もやられ歩行に少し難がでるほど。
と、7時半に突然 どどどどどどど・・・・と走る音と小さな男の子の
すごい泣き声(叫び声)が聞こえた。
読んでいる最中の本が本だけに 「え?」と身体が止まる。

どどどど・・・・・・・・・
どどどど・・・・・・・・・・
そして 大人の男の叱る声。男の子は室内を走って逃げているのだろうか。
おもわず玄関をあけて様子をうかがう。
部屋に戻って窓をあける。
ついさっきまでの罵声が しんとした朝の空気だけになる。

まさか とは思うがあってはならないことが今多いだけに。

この本には虐待という文字は使わず「せっかん」という。
そう、昔はせっかんっていった。
でも何を伝えるべきかを知っている親は こえてはならぬ線を知ってると思う
伝えるものはなく ただマスターベーションな暴力が虐待だろうか

夏に受けたセミナーで ある女性が 母親から旅立てないことに
ひどく怯えていた話しをしたことを思い出す。
彼女は子供の時から執拗に限度をこえた「お灸」をすえられたらしい。
幼い女の子に対してするには異常ともいえるお灸の数とその温度で
身体と心に傷を受けた彼女は、母親の気に障らないように
喜ぶように 誉められることだけに神経を注ぎながら大きくなり
30を過ぎ家庭をもってもなお まだ母を怯え自分を諦め泣いていた。

愛されることを諦められたらもっと楽だろうに
それができるくらいなら 世の中の病の半分以上はなくなるんじゃないだろうか
それができないから とことん退廃的にならずにこの世は持ちこたえているんだろうか

洗濯ものをほし 午前9時 読み終えた本を閉じる
自分の未来に シャッターを下ろしたら希望はそこで止まる。
下ろさなかった主人公は 自分の足で歩き出す。









2001年10月11日(木) 都電荒川線は乗車1回160円

先日、ちんちん電車に乗って雑司が谷の鬼子母神にお参りに行った。
『きしぼじん』ではなく正しくは『きしもじん』だそうだ。

子沢山の鬼子母神は 人間の子供をとって食っていた。
周囲の人間たちは嘆き 彼女を恐れていたのを見かねて
お釈迦さまが 鬼子母神の溺愛する末っ子を隠された。
千番目の子供にあたる末っ子を気も狂わんばかりに探す
鬼子母神にお釈迦様は 静かに言う。
「千人のうちの1人でもいなくなると悲しい。
大切な子を奪われた人間の気持ちが少しはわかったか?」

ということですっかり改心した鬼子母神は子を守る仏へ帰依。
現地の看板では「鬼」の字の「´」はない。つののない仏さん。

神がつくから神社だと思ってたけどお寺だ。
子授かり、安産の寺ということで 絵馬をのぞくと
「元気な子供に恵まれますように」
「赤ちゃんを授かりますように」
これらを書いた人達は 今は笑顔でいるかしら。

ダンナさんが鐘をうち ふたりで手を合わせる。
ありがとう、ばいばい、そしてはよおいでな まってるで


境内には ちゃ系統のねこがあちこちで居眠りしたり毛繕いしたりしている。
人間などそしらぬふりで ダンナさんが手を伸ばしたら
「しかたねぇなぁ なでさせてやるよ。でも調子に乗るなよ」
って顔で耳を伏せる。
安産の銀杏の大木の根っこにも そのくぼみがいいあんばいなのか
すぽんとおさまっておみあしを舐めるのに余念のない猫。これも白茶。

帰りは目白まで歩いてみる。
駅の近くの田中家とかいう輸入食材屋で 夫婦別行動に。
おぉチョーコーの醤油がある。
塩も味噌もうちの近所じゃ絶対みかけないあれやこれや。
天使の髪の毛パスタや、ゲランドの塩やらバルサミコ酢をかごに。

ダンナさんはチョコレートとウィルキンソンのジンジャエールを2本
手にぶらぶら歩いてる。
前に友達の家で そのジンジャエールを頂いた。
その喉の心地よい刺激が忘れられないらしい。
ウィルキンソンの工場は 兵庫県宝塚市にあって車でそばをよく通っていたから
覚えている。閉鎖される前だったかな。今はどこで作っているんだろ。

駅前通りを 瓶のままぐびっと一気し、その辛味に咳込むわたしたち。
半日の小さな旅の辛味のように ぴりっと そしてほの甘いあとあじ。



2001年10月10日(水) 映像鑑賞

『グラディエーター』
『エクソシスト』 ディレクターズカット版
『モンタナの風に抱かれて』
『スペースカウボーイ』
『海の上のピアニスト』
『ストレイトストーリー』
『未来は今』
『ショーシャンクの空に』


ティム・ロビンスを2本
これぞ映画!のショーシャンクを満喫
わたしもメキシコいきたいぞ。



2001年10月08日(月) 無言電話

この間 家人が飲み会で留守の夜 遅く
無言電話があった。

「もしもし?」
数回聞けども相手は何も答えない。
ただ受話器の奥からTVの声のような男女の会話が聞こえたような気がしたので
こっちのTVの音声を落として チャンネルをかえまくった。

おなじ音声のTV番組をキャッチしようと 思わずしたのだが
そんなことわかって何になるというのだろう。

「ちょっとあんた。
今 ○チャンネル観てるやろ。んぁ?
どや、あんたの素性はもう割れてるで。」

相手の覆面性をはぎとってこらしめてやりたかったのだと思うが
我ながら力の薄いことをしてしまった。

正直1人で部屋にいるのは怖いので
おかしな脅迫傾向に走ったのだろう。
「・・・あぁ ○チャンネル観てる。 で?」ってもし言われたら
どう応じればいいんだ。
「そ、そうか。面白いか、な?」と 途端に私は弱気になるに違いない。

しかしどのチャンネルも 電話から聞こえる小さい音と合致するものがなく
かえってほっとしてしまった。

じーっと受話器をもったまま様子をうかがうが、
この相手は何も喋ろうとしない。

もし相手が はぁはぁ言ったり 下着の色でも聞こうものなら
「この鶴光めが!」と 大昔のオールナイトニッポンを知ってる人間しか
理解できないせりふで罵倒しようと思った。

だが相変わらず沈黙と TVかラジオからのような遠い音声が聞こえるだけ。
すんごく不愉快なのだが、ふと 
さっき「○時に帰る」と電話してきた家人の携帯電話が
どうかした具合でリダイアルになってしまい
その音声が今 届いているとしたら と思った。

TVと思った男女の声は 実はTVではなく
リアルタイムな家人の状態であったとしたら。
そして、そこに大変な秘め事があったとしたら。
す、すごいドラマだ。

わたしは 無言の受話器を握り締めて 妄想と鼻の穴だけを大いに膨らまし
気が付けば数分経ちそうだったので 静かに受話器を置いた。

翌日、ダンナさんに昨晩の無言電話の話しをし、リダイアル疑惑も伝えたが
その時刻に発信歴はなかったそうだ。
つくづく自分は被害妄想のケがあると思った夜なのであった。
*********

とってもさばさばと まるでいくらでもこれからチャンスのある試験に
落ちた人間にいうかのように「残念だったわねっ」と
私に例のことを慰めた人がいた。

事態は決して深刻でないことを強調した
それは、私に対する彼女なりの思いやりだ。

でも私はぽかんとしてしまった。
再度同じ言葉を繰り返されてようやく少し笑って「そうね」と言った。

だけれど やはり私の中にしこったのは、
もしかしたらもうチャンスはないかもしれないのにという怯えや
同じ経験をしていない人間に対する嫉妬もあったかもしれないし、
優しくされたいという 甘えもあったと思い当たり
うまく答えないとお互い恥ずかしいと思って
笑って「そうね」といった後「がんばるわ」といった自分が恥ずかしかった。

いよいよ自分が醜くなるようで 
自分に棲む鬼にぶるっとした。



2001年10月06日(土) よっこらしょ と。

よくできたもんで、仕事の打ち合わせは否応なく入ってきた。

普段すれ違う機会のないビジネスメンにまぎれて
地下鉄を永田町で乗り換えて半蔵門駅に出る。
半蔵門駅3番出口って、こ、こんなに階段多かったけ。
いや 体力がなくなっているのが動悸息切れでわかる。
救心や 救心くれ と心の中で呟く。

1年以上ぶり。
まさか またこの駅に降り立つ事があろうとは。
まさか またこの会社を訪れる事があろうとは。

でもこれからは部外者として 受付けを通して訪問を告げる。
こういう距離が かえってありがてぇな。
かつての仲間も 部署がてんでに散らばっているが
受付けで座っていたら 「おーっ」「あれーっ ひさしぶりー」。
懐かしい人達が通り過ぎる。 再会は嬉しく 笑顔になる。

人事との話しであっというまに スケジュールは決まっていき
初日から 出張決定。

こうやって 背中を押してもらい
腕をひっぱってもらい 
わたしは1歩を踏み出す。

なかなか靴をはかない私には
まるで 最初から台本が出来あがっていたような気がしてしまうが
どこかへ行くためには 右足の次に左を出すだけだ。


さて、久しぶりにヒールを履いたからだろうか
帰宅して 足と腰 筋肉痛。
こんなので これから仕事できるんやろか。

めずらしく飲み会でダンナさんの帰りは遅いので
夕飯もそこそこに 風呂上がりサロンパスの匂いをぷんぷんさせて
うんうん唸りながら 七転八倒。

深夜3時 夫帰宅。
そろりと布団の中に入ってきたはいいが
こちらが(足腰痛のせいで)目覚めていたのをいいことに
“いかに有意義な飲み会であったか”、
“飲み会における 相互の意思疎通の成果”などを話しはじめ
ついには俺は酔っていないと力説し
いつのまにか 
“古代中国における武将のはたらき”やら
“三国志時代の 一騎討ちの戦場の美学”に関しての弁論
締めくくりは
PS2の新しい三国志ゲームは自分にとって必要不可欠だ
なんておねだりされてしまった。

がしっと頭を抱え込まれ 酒くっさい息を脳天に吹き込まれながら
身動きできず したくても身体は痛く
なんで こんな酔っぱげの戯言を夜中に聞かなあかんねん
と 思いはじめたらおかしくて
ちょっぴり涙がでたけど
それはあくびのせいだったかもしれない。

戯言は午前4時に突入しそうな勢いだったので
わたしも蟹バサミ攻撃で応戦し 
朝起きたら蟹バサミのままだった。




2001年10月04日(木) 10(テン)4(し)の日ということで 今日は天使の日らしいです。こじつけですな。

とってもいい子でした。

「ちょっと いい加減に健康に気をつけなさいよ。ったく。
はい、ここ筋腫あるでしょ。ここ、ね。
食事も酒も いつまでも好きなだけくらってんじゃないよ。
運動もするのっ 煙草もいい加減にしなさいって もー」
そんなことを言っていた気がします。

いったい何本 尿検査するねんってくらいマツキヨで買い込んだスティックは
日を追うごとに反応が薄くなり まるでそれは命の色でした。
出血した時点でかなり覚悟をしたんだけれど それでも一縷の望みというか
奇跡を信じて、いろいろなサイトを見てまわりました。
まったく同じ症状で注射を打って回復した例や流産した例を探して
もう何百何千と渡ったような気がします。
狂ったように 可能性を探していました。

負けるな負けるなって思ったとき
何に負けるなって思うの?って自分に聞いたら 「自分にや」って答えが
返ってきて、なら自分と戦って敵は自分なの?って聞いたら
「いや 違う 私は敵じゃない」と聞こえた。
今味方は自分自身だと しっかり認めてやらないと労われないと思いました。

判決が下って 診察室から出たとき足がふらっとしました。
いつでも ぷちっと押せば涙がでそうなのに
ダンナさんの顔を見ると わたしは泣けないのです。
なんでだろう。一番めそめそしていい相手なのに。苦しい。


ちゃんと悲しめないまま死んだみたいに眠り続けてしまうと
(まる2日 ほとんど食べないで寝る寝る寝る)
覚醒のたび出てくるのは怒りばかりなのです。
何に対してなのかわからぬ怒り。
あの時流産止めの注射してくれたらなんとかなったんちゃうか とか
まだ決まったわけじゃないのになんで慰めてん ダンナよ とか
陽性反応が嬉しくて 歩き回った自分は大マヌケ とか
あの病院を選んだ自分が悪いのか とか
大昔のことを思い出して「あのバチが今 あたってるのか」とか。
とにかく 憎悪といってもいいもの。

もし昔のままの私だと 100%自分を徹底的に責めてました。
けれど情報(ネット)があったお陰で 起きたことを至極冷静に
見つめることもできたし、周囲の人の優しさで 随分温かく過ごせました。
やり場の見つからない憎悪ですら 理不尽だってわかりながら持て余して
いたんですから 健康的ではないでしょうか。


わたしは完全流産でした。
流産後の多くが 子宮の中を掃除するために掻破手術しないといけないのに
とてもすっきりと まるで何もなかったかのようにいなくなっていました。
まるでわたしに負担をかけまいかとするように。
筋腫もこれといって今すぐ問題があるわけでもなさそう。

月光仮面のように 疾風(はやて)のように現れて
疾風のように去って行きました。

月光仮面の使命は わたしに筋腫をしらせること だった気がしてなりません。
そして置き土産はまだあります。
存在がわかってから 酒とたばこを ぷつっと絶っていたんですが
結果がでた後 ダンナさんのたばこを一本吸ったのです。
すると、口の中が 油を呑みこんだような ねっとりしたなんとも
嫌な感触が続くのです。わたしがいつも吸ってたものよりずっと
軽いたばこであるにもかかわらず・・・
もう吸いません。

ほんの数日間だけど たまごクラブを見るのが幸せでした。
ダンナさんと 家族が増えるについての夢を語り合ったのも ぞくぞくする
くらい楽しかった。
月光仮面よ ありがとう。

わたしは 今 やり忘れていることと やらなければならないことが
あります。
やり忘れていることは ちゃんと泣くこと。
そして、こんなわたしに傷ついているはずのダンナさんに優しくすること。
どうすれば 泣けますか?誰か教えてください。
なんて なに書いているんでしょうね。

今度のことは自分の親には言いませんでした。
喜んでくれなかったらヤだなって思っているうちに こんなことになったし
こっちの親に心配かけたから これ以上心配させるのやだし。
そんな素直になれないところが どんどん膿になっちまうのかな。

くぐもった月が見えます。
月光仮面は月にかえっていきました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

ご心配下さった方々へ
文字で発信されなくても ご心配と労わりの気持ちが
びんびん伝わってきていました。有難うの一言に尽きます。

ダンナさんは わたしがプライベートなことを書くのをとても嫌がってます。
血をさらしているような 垂れ流しているような気が 彼にはするのでしょう。
でも わたしはここで聞いてもらうことで 正常を保ったのじゃないかと思います。
彼を知っている人は、どうかここでのことは触れないであげてください。


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