目口覚書



■目口覚書■
ごめんください
どちらさまですか
お入りください ありがとう

2001年09月28日(金) 感情を昇華させてやること

実は今週末、ダンナ一族(大人10人子供1人)と一泊温泉旅行があり、
産婦人科の先生にも無理しなければいってもいいよね?と確認し
お義母さまに「お背中洗いましょうか?」っていうタイミングはどうしようとか
義理姉夫婦 義理兄夫婦 との部屋割りに周囲がめっちゃ気をつかってくれて
新婚夫婦(あたいたち)は別に一部屋とるよっていってくれてるのを
「え~ みんな一緒でいいですよ~ 枕投げしたいし~」とかいって
あきれられたりとか
義理姉 兄 その配偶者 誰と比べても末っ子の嫁であるあたしが一番年上で(笑)
年くってるくせに若いふりもなかなか大変とか

まぁ 結構旅行を楽しみにしてたですよ。

で、こないだはじめて産婦人科行った翌日にですね
朝 自分の足の間を液体がつつっとつたわるので目覚めたわけで。

慌てるな 慌てるなあたし と言い聞かせ
なぜか洗濯をはじめ
出血量を確認して 再度妊娠検査薬つかったら 陽性が。
「まだ 生きてる」
でも 基礎体温ががくんと下がってしまいやがりましてね。
何がなんだかわからなくなってんだけど
とにかく慌てるなあたし の連呼ですよ。

病院に電話して 状況を説明したらすぐ来いってことだったんですけど
大きな病院だから すごく混んでて
2時間くらい 待合室で妊婦にまみれて本読んでました。

あ、その時読んでたのが 湯本 香樹美の「ポプラの秋」っていう文庫本なんですけどね
待ってる間に読みきっちゃって それがまたいい内容でね
映画の「ニューシネマパラダイス」をわたしは思い出したんだけど
ぼっろぼろに泣けてきちゃってね
その時の自分の精神状態も不安定だったんだとおもうんだけど
でも あの本がそばにいれくれたから ことのほかしっかりしていれた気がします。

診察は 昨日とは違う先生で 結果的にはエコーでは見えないのは
まだ見えるほどに育ってないからか、もう見えないと言う意味で育ってないからか
よくわからなくて やっぱ来週になんないとわからんですと。

だだ、2分くらいの診察の間に「流産かもねー」って言葉を10回くらい言われまして
まだ わかんねーべ って思いながら 覚悟しましたですね。

で、止血剤をもらって今は絶対安静状態なので
これも布団の中で書いてます。

昨日 病院の帰り 隅田川の水上バスのりばのベンチに座って
ぼーっとしてたら 自分が感情を閉じ込めているのに気がつきましてね
まだ 何もわからないのだからそれは至極当然なのですが
うまく悲しめないっていいかた へんですね。篭っている感じ でした。

朝 出血したときは ダンナさんは前日の夕方から夜勤でいなかったので
携帯の留守電に事情をいれておいたんだけど
病院をでて 歩いてたらまた出血しているのに気付いて心細くなって
また留守電に メッセージいれてたんですね。

水上バスのりばをようやく立ちあがって歩き出したら
隅田川の橋の上を 必死に自転車こいでるダンナさんが見えました。
きっとメッセージを聞いて あわてて帰ってくところだ と思ったら
なんか安心感がわいてきて、うん 慌ててくれる人がいる という安堵感でしょうか。

 出血はしても腹痛がないので大丈夫かな とか
でも出血とともに基礎体温が下がったこととか
(それを医者に言ったら「あ~それなら流産の可能性高いですね~」と念押しされた)
その日の夜中 こわごわ3度目の妊娠検査したら とても儚い色なんだけど
うすーく+の反応がでて
せめてちゃんと結果が出るまでは 信じて体をいたわろうと 今に至ってます。

あのね
もし 今回ダメでもまだ赤ちゃんは何ミリのもんだし
8ヶ月9ヶ月お腹の中で育って 稽留流産することと比べたら
子供に対して思い入れも少なくて 身体のダメージも少なくて
だからいいんだよ

っていう 不幸比べしてなぐさめるのって この場合役立たずなのですよ。
その通りだと 思うんですけどね。
出産予定日に 赤ちゃんの心音が聞こえなくなって
人工的に陣痛起こして それはそれはのたうちまわる苦しみで死んだ赤ん坊を
無理やり産み落として で産道をうまく降りてこなければ赤ん坊の首を切断する
なんてことにも術前に承諾せざるえなくて 精神的に壊れた人知ってます。

その人と比べたら 確かに そうです。

じゃ その人に対して
「まだ胎児の時でよかったよね。うちなんて産まれて2歳半で亡くなったんだよ」
こう言われたら 不幸比べされたら 言われた人はもううまく悲しめなくなるのですよ。そんな大変な人の前で 悲しいなんていうのは甘えている なんて歪んだ風潮がある気がします。

いや 思うのは勝手だし 実際そうでも 本人にいっちゃぁいけません。
悲しい人は おもいきり悲しませてあげることです。

亡くなった年齢じゃないんですから。命に対する思い入れなんですから。 



なんか 死んだ話しばっかですね(笑)
予防線はってるのかなやっぱ。

ということで 結果待ちの今日この頃。

旅行も 今月いっぱいで期限のポンペイ展(東京江戸博物館)も
行けなくなりました。せっかくチケット買ったのに。



2001年09月25日(火) なんでやねん

会社を辞めて1年経った。

電気が消えないので夜でも昼のような会社と言われ、夜の11時を過ぎても
会社の前には客待ちのタクシーが並ぶ。
最終のポートライナーに乗り損ねた社員目当て。

最近、そこが長年の時間外勤務の実態調査をうけ
労基監督所から「あんさんとこ、あきまへんで」とご注意を受けたと
新聞に載っていた。

わたしが社員だった頃から内偵調査をされていて、ハナから残業手当など
つかなかったが 正確な退社時刻を書いていた勤務表に
どんなに遅くなろうとも就業時刻は17時半と申告しろ とお達しがあった。
こりゃ ちかいうちに何かあるな と思った。

手当てはつかないとはいえ、給与には「みなし残業」として月24時間残業したと
仮定した金額を加算されており 反対にいえば定時通りに帰りにくい環境が
あったともいえる。しかしみなしをはるかに超える残業の実態。

勤務表を書き換えろ伝達のあったあたりから、社内の再構築が進み
社員の間にもモチベーションの差がかなりひらいていた。

どこぞの部署の家族が社長に「帰りが遅すぎる」という嘆願をしたとか
社員の祖母が労働基準監督所に密告したとか まことしやかに囁かれる。
 みんな必死だったころは そんなことありえなかったことなのに、な。

そうこうしているうちに 人事部のバリバリのリーダーが自宅の風呂場で
眠るように亡くなった。誰もが過労死と思った。とても慕われていた人で
会社中に暗いショックが重い霧のように漂いなかなか消えなかった。 

そしてお上からの注意と改善勧告 新聞報道と相成ったわけだが
報道に対して対応した人事部長のコメントにひっくりかえった。
「そんなに残業しているなんて知らなかった」

まぁ 会社ですからね、そういいますわね。
とっくの昔に知っているから1年以上前から証拠物件の勤務表に虚偽申告を
命じてたのに。部長ご自身もめっちゃ残業してはったやん(^^)
残業もやらされている(と感じてる人)より 理由はさておき自らしている人
ばかりだったと思う。

で、今は といえば夜8時以降の残業は原則的禁止らしい。
最終電車より遅く帰って仕上げた仕事は どうなっているんでしょう。
あれは なんだったんでしょう。

あらたな事業計画修正が上向きに発表されていた。
未払い残業分は本社社員分だけで 12億5千万(!)支払われるらしい。
いつの頃からさかのぼっているんだろう。
ち、わたしの未払い分もくれよん。
2000人の本社社員だけでそうだから、グループ社員分を合算すると・・・

それでもなお上方修正とはこれいかに。

さて その会社からひさしぶりに連絡があったのがひと月ほど前。
わたしがしていた仕事を 「首都圏でやってくれる人間を探している。
かといって正社員のように仕事があるわけではないのだが、どうだ」

わたしがこの1年仕事をしてこなかったのは 新しい生活に慣れて
子供作りに専念したかったから。
ゆっくり身体を休めたかったし。
産める年齢のタイムリミットも近づいているし
今が決して豊かなわけではないけれど
私がどうしても働かなければいけない事情もなかった。

ところが
専業主婦というのが どうにも暇を持て余しているように周囲は見えるらしく
いったい家で何してるのぢゃの 何もしないで家にいるぢゃのとか言うのが
聞こえてしまい
「あはは~ 家事してま~す」って言える器でないわたしはドツボにはまり
次は 引きこもりになるよ、鬱になるよとか言われてさらにきーっとなっていった
 
仕事しないの?単なる素朴な相手の質問すら それがストレスだった。

実はこれはダンナさんが「何もしないで家にいるんじゃないでしょ?」の
たったひとことで解消することになる。

根は「働かざるもの食うべからず」の教えがインプットされているからなのと
人に認知されてないという思いこみが 自分を追い込んでいったわけですがね。
「あなたは 本当によくやってくれるよ?Yシャツを10日続けて着なくても
いい生活なんて天国だよ。毎日新しいものが着れるんだよ?」
この話し自体とても問題だが この場合まぁそれは無視しよう。
私の努力を 誰もわかんなくてもあんたがわかっててくれてたらそれでいい。

ちなみに日頃から 必ず「ありがとう」を言っている私達ですらこうなんだ。
口数少ない男性陣よ、ぜひ妻には感謝の気持ちを「ことば」にしておくれ。

かなり話しがそれました。
で、くだんの人事部長にお会いすることになり
お互いの利益を重ね合わせて ひとまずパートタイムにお仕事をすることに。
この秋から本格的に動きだす。
わたし自身この仕事を極めていつか将来再開したいと思っていたし
ちょっと環境をかえたほうがいいかな と思ったから。

ところが 今まで何かをはじめようとすると他の何かが変化するのが今までの常。
例えばお見合いしてそろそろ身を固めようという気になったとたん
チャンスな仕事をもらい恋愛どころじゃなくなったり。
新しい恋がはじまった途端、仕事量が3倍になったり。

で、今回もなにかあるかなー、あるだろーなー、と思ってたら
思ってもいなかったことがありました。

妊娠検査薬で 2回 陽性。
もう間違いなし。
そして病院で検査。
ワクワク(^。^)
ドキドキ(>_<)
ハラハラ(*_*)
そして今回わかったこと。




『子宮筋腫』・・・

そうきたか。

詳細は来週にならないとわかりませんが
世間に珍しい話しではないし
ただ、今まで毎年していた検査では まったく異常なしだったし
それに筋腫の検診をしたわけじゃなかったんで
不意打ちくらい の心境。



2001年09月24日(月) 夫はケントデリカット

独身の時は、あれほど「来いっ 来いよっ 絶対来いっ」と祈っていたのに
結婚したら「来るなっ 来るなっ んなぁああ 来たぁ・・・」とうな垂れる。
こうも正反対の反応をさせるもの。



―生理―


+++++++++++++++

わたしのホームページをダンナさんは ほとんど見ない。
だから好き放題にここにも書いてきたが
今日何気に「ちょっと見せて」と わたしのノートパソコン前に割り込んできて
この目口覚書を つらっと眺めていた。

・・・・・・・
ほっぺた ふくらんでる。
「これってさー、俺、すんごく バカみたいに見えない?
寝て食ってゲームしてるだけのオロナイン好きのデブって 思われてるよぉ」
(お、自覚しましたか。)

「そんなことないよ。
きっといい人度UPだよ~」

一応そう答えておきました。
だって、毎日喋る相手って ダンナさんがほとんどだし
話題が彼に集中してしまうのは 情けないけど仕方ないし
観察すればするほど面白い題材でもあるのだ。

今はフレッシュな話題も、来年の同じ日には「こんなことあったねー」と
笑える言葉のアルバムにする所存だ。だからenpitu頑張れ。無くなるな。

あ、でも昨日のカレーに『ほどからなんばん』を入れていたのが
バレてしまった。
「ひっどいねー、ひっどいよー」とケントデリカットになったダンナさんであった。



2001年09月23日(日) ほどからなんばん後日談

カレーをつくった。

冷蔵庫の中に、数日前につくって容器に入れたままだった
『ほどからなんばん煮(激辛版)』が あったっけ。
あれを細かーく刻んで カレーに入れたらスパイシーちゃうのん♪
と またいいアイデアを思いつく

で、この間の失敗を反省して2本だけ取り出し細かく細かく刻む。
バケツ一杯のカレーに 2本だもん、ダイジョブダイジョブまいふれんど♪

と・・

と、・・とと・・・っ 痛ぅっ!

激痛が指先に走る。
何度かこの覚書にも書いたが 私の指先はデリケートだ。
指紋は溶け おまけに今 親指と人差し指のさきっちょが炎症を起こして
通院までしているところだといふのに その該当指で『ほどからなんばん』を
つまんでしまった。
いや つまんだだけだった。

しみるとか痛いを通り越して、熱湯を浴びたような感覚。
みるみるうちに、薄い皮で覆われていたマイ らぶりーフィンガーが
割れ、血が滲んできた。
ヤケドしたわけでないのに流水にずーっとさらしておかないと
じんじんする。

ぱくっと指をくわえたら口の中 激辛(>_<)!
洗う洗う。ラスカルのように。
洗ってる最中は大丈夫だが、水から離すとまたまた激痛。なんぢゃいこら。
洗っても洗っても 舐めたら激辛。なんでやねんな。

食事中も左指先は氷で冷したまま。
(ホント火傷と同じだ。傷に塩というが、もともと切れてもただれても
いなかった指なのに、大きな刺激を受けるとこんなことになるのね(T_T))
でも、家人には「アレ」を入れようとしてこうなったなんて内緒に
しておく。そんなもの入れたのくわっ と怒って食べてくれなかったら
それこそイタイ。バケツ一杯あるのに。
スパイス触ったら こないなってーん と言い訳しておいた。

「かわいそだねー。あとでオロナイン塗ってあげるねー」
そういって、食事中 薬箱を探しに立つダンナさん。
なんでもオロナインで治ると信じている男である。
タイガーバームを信仰する香港人のようだ。

ニンニクたっぷりなすりつけ 片栗粉まぶして焼いた茄子をたっぷり
トッピングしたカレーは ことのほかおいしいし 特に辛くない(ほっ)
大盛おかわりして再び食卓についた彼、しばらくして
「うっ をっ んがっつつ!」
・・・・・



あ!

『ほどからなんばん』をカレーに入れようとして激痛に襲われたので
そのまま塊でトポンと鍋に入り、混ぜてもすくっても
そのみじん切りの塊は離れることを拒んだまま彼の皿に盛られたようだ。


「あれ~ そんなに辛いぃ? やっぱカレーやねぇ」
わけのわからんフォローして、こめかみを両手で押さえるダンナさんを
見つめる。

あぁ恐るべし『ほどからなんばん』
あぁ恐るべき 反省のない台所人生。
もうしません。ごめんなさい。



2001年09月22日(土) キャラメルボックスでぃ♪

雨が降ってる。
出掛けるタイミングを見計らって 小降りになるのを待とう・・・

と ポストをのぞいたら
うおっぉぉおっ

この間のサンシャイン劇場で生中継したキャラメルボックスの
『ミスタームーンライト』のビデオでは あーりませんくわっ!
んぎゃーーーーー
『また逢おうと竜馬はいった』もあるぅううう

んなもん 出掛けておれるかいっ
中止じゃいっ 中止っ

PS:のりこ ありがとよっ



2001年09月21日(金) 体内時計 七転び八起き

家人の仕事のシフトの関係で、夜勤が続くと 
朝6時就寝
昼3時起床
夕方5時出勤
が調子づいてくる。

彼はその後、20時間連続勤務して帰ってきて、使い終わったサランラップみたいに
くちゃくちゃになって寝る。

ところが、今週はずっと昼勤務だ。
朝7時起床という 世間様では至極当り前の時間が連続する。
『目覚ましテレビ』で寝てたのが『ズームイン!』で起きるのだ。

それまで夜11時に寝てた人が、12時に起きて仕事いかなきゃならん
みたいなもんじゃないか。
何に対してかはわからんが、何だかわたしは怒っている。

短時間に朝食と弁当を作り終えないといけないわたしは
ぼさぼさのアタマ ばんばんにむくんだ顔 腫れた目にメガネをかけ
竹村健一が主婦になったような有様で 米を研ぐ。

今でこそ それだけ(だけ?)で済んでいるが
当初は、まとわりつかれでもしたら包丁片手に「何やねん!」と
殺気だって振り返ってた。余裕がないない。

それでも弁当箱に詰め終わる頃には平常心がやってきて
ダンナさんの横にぺたんと座り、コーヒーを ずずとすする。

日常と非日常の境目がぼやけている我が家は 
4日も続けてダンナさんが夜帰ってくる なんてはじめてじゃなかろうか。

だからって何もかわらないが
早起きも、誰かがいるっていうことも
たまにあるから なかなかいいものだ。
一緒にいる分ケンカの数も増えるが 仲直りも同じ数だけ増える。
(今のところは、ね)

今日は洗濯もできそうにないので両国へおでかけ。
それも早起きのおかげ。







2001年09月19日(水) 花嫁はお花に包まれて

アンナちゃんが結婚披露宴をしたとかで、その時のブライダルブーケを
手造りした過程を深夜番組でやっている。

お花はウエディングシーンには欠かせないアイテム。
わたしのようなロマンも記憶力もない女は ついさっきみたはずの
花嫁のブーケも、花の種類が思い出せない。
それより、葉っぱが青々しててきれいだった、とか
持ちにくいやろなーそのブーケ、とか どうでもいい余計なお世話な
ことを思っていた。

花嫁は その花選びの段階からそれはそれは真剣に悩まれる方も
いるが、ある披露宴に招かれたわたしの友人Yはすごかった。
その披露宴には私も出席しており、彼女の友人でフラワーアレンジメントを
生業としている女性も出席するという。

せっかくだから、ナマのお花をコサージュににしなさいよ、わたしが
アレンジしてあげるし、とそのアレンジャーさんがおっしゃった。
お花もその人が調達してくるから、Yさんはサイドに添える緑のもの、
そーねー、アイビーとかそのあたりでいいわ、お庭にあるでしょ?それを
もっていらしてねっちぅことだった。

かくして、披露宴出席のためにバタバタを準備をし、気がつけばもう
電車に乗る時間!
Yは、アイビーなんぞをもぎとる時間がなく それにかわる緑のはっぱを
手に結婚式場に現れた。









それは パセリ


「あんたは、なんでこのごにおよんでそんな笑いをとろうとするねん!」腹よじれすぎ
「いや あたしは真剣よっ。これも緑じゃけん!」(Yは松山の女)
スーパーでパックされたビニールで包まれたままのパセリ一束100円。
アレンジャーは、「わたしは薔薇を持ってきたのよ。なんで薔薇とパセリなのよっ」
と叫んでいる。

そのあと、いくらなんでもパセリじゃぁということになり、どこかでかすみ草でも
拝借してくっつけた。
今でも 生花のコサージュというと Yを思い出す。

それよりも
この話題を書いてすぐに、WEDDING MCのネタにすればよかったと悔やむわたし。



Tank 更新しました。↓のHOMEPAGEからお入りください。
京都祇園のお茶屋話です。






2001年09月18日(火) 目口ジェンダー論

いろいろな人妻さんのお話を伺うと、世の亭主たちは縦のものを横にもせず
生息しているのがあまたいるらしい。
かくいううちの母親も、新婚当初は父親に靴下をはかせていたらしいし、
自分の下着の場所もロクに知らないご主人のために
着替えのたんびに用意に走るなんて、
幼児化に拍車をかけているのではさぞお疲れさまなことだ。


夫には厳しくても、息子に対してはいつまでも子供扱いして
息子ができることまでしてしまう母親もいる。精神的にも。
とても乱暴な言い方だが、その母親は息子を去勢してしまっている気がする。

そうでないおうちもいっぱいあるだろうし、ご主人が率先して台所に立ち
「男の料理」なーんてものを作ってくれるお話はまことに羨ましい。
うちのはそこまではいかない。多分人がやってくれるのならどこまでも甘えるタイプだろう。
 家事ができるからといって精神的に自立しているとはいえないが
まずは自分の靴下やパンツの場所を知っているって、必要なことでしょ。


甲斐甲斐しく世話をやきたい人ならどんどんやればいい。
ただ代償を求めてはいけない気がする。
やりたいからする。それがいい。

あとで「わたしがこんなにしてあげているのに」というのは違反のような気がする。
自分がそうすることを選んでしまったのだから。
いやなら少しづつ方向転換していくのだ。

かくいうわたしも世話焼きなほうだと思うが、ことダンナさんに関しては
あまり構わないように気をつけている。
着替えなんて出したこともないし、食事中のご飯やお味噌汁のおかわりも
ついでがない限り自分で行く。
例えば同性のルームメイトと一緒に食事をしていて、「おかわり」と言って茶碗を差し出したり
しないやんね?その感覚です。
役割分担として、彼は外で狩りをし、私は家で洗濯炊事をしているが
出来ることはやってもらいましょうが原則だ。
あわよくば 食後の洗物を全部してくれないかと思っている(のは単にサボりたいだけだケド)

食事の仕度は下手っぴ同士がぶつかり合って危険なので頼まないが
おやつ作りは手を借りる。
 この間は、ふたりで粉をこねてまるめて 白玉あんこを食べた。
やはり「オレの作った白玉のほうが旨い」と、まったく見分けがつかんのに自慢していた。
自分の努力が形になるっておもしろいし、ただぽんと出来たデザート皿を出されるより
ずっと愛着がわく。
何より、ふたりともまっしろになってキッチンを粉だらけに汚しながら泥遊びのように
戯れるのがコミュニケーションになり楽しい。

ダンナさんは、シャワーを浴びる前に着替えを部屋において出て行く。
丁度、台所で弁当を作っていたのだが、なんとなく、本当になんとなく
彼のパンツを頭にかぶってみた。
イメージは、七福神の布袋さんね♪
(きっと、妻の65%はしたことがあると思う。
ちなみに夫の94%は妻のパンツをかぶったり、ブラをあたまに乗せたりしたことあるはずだ)

パンツをかぶったまま、フライパンをふる。
よっ あらよっ
風呂からあがり パンツがない ないと探す夫に
「あなたは いかに私を見ていないか ということが今明かされたっ!」
と わけのわからない言いがかりをつけたら 無視されてあたまからスポッとパンツをとられた。
いや、とったのは私か。


基本的に「わたしがいつ入院しても何がどこにあるかわかっている男」であってほしいと思っている。






2001年09月17日(月) ほどからなんばん

この間 スーパーで買って冷蔵庫の野菜室にいれておいたパックを取り出す。
深い深いミドリ色のそれは十数本入って1パック50円。
ししとうの倍くらいの大きさで、つやつやときれい。でも、これ、何?
わけもわからず買ってきた。

パックには「山形産 ほどからなんばん」と印刷されている。
そこから推理するに、ほどよい辛さの 南蛮渡来の野菜
という答えを勝手に導く。
まぁなんてエキゾチックなお野菜でしょう。

でも、ほどからなんばん なんて単語今まで聞いたことないし、
レシピ検索してもでてこないので適当にちゃっちゃと調理。
焦げ目がつくまで炒って、甘辛く味付け♪
今日のお弁当の色つけにええやんかいさ。
では、味見 味見ぃ♪
パクッ

















ボーッ!!





口から火を噴く。
即ゴジラ。
なんやの、なんやの、なんやのこれーっ。
ダチョウ倶楽部の上島か出川哲郎にでもになった気分。
これだけを食べるのは、夫のお尻を血だらけにさせる危険がある。
じゃぁ、ナプキンを持たせよう。
いや、そういうことじゃなくて。

細かく刻んで、野菜炒めと混ぜ合わせた。
午後3時の朝食にそっと出す。
彼は、一口食べた後、黙って「ほどからなんばん」の細切れを
皿から丁寧によけている。
まるで、給食のグリンピースを神業のように除く学童のようだ。

(ご、ごめんね。
あのね、
もう、お弁当に入ってるのよ。
でもさ、他のお野菜も一緒だからさ、大丈夫って思ってさ
ひごさ、ひごどこさ、くっまもとさ、とひとごとのように歌ってごまかす
いや、黙って心の中で手をあわす。)

あとで、ネットで調べてみたらそれは、青唐辛子の一種で
かの、ほんのちょびっとで誰でもゴジラになれる鷹の爪の
赤くなる前に収穫したものみたい、だ。
(あたしゃ 若い唐辛子をまんま頭からくっちゃったわけですね(>_<))
それに、南蛮渡来ちゃうし。日本原産ってなってるし。

なんで、
なんで、
なんで
これが ほどから なんですか。>山形の野菜農家の方

それとも もっと違う意味なんですか。

ほどよくからい ではなく、ほどなくからい・・・
程度を知らぬからさってことっすか。

さて、ここで引き下がっては専業主婦家畜論の槍玉にあがってる者として
風上にも立ってられません(意味不明)
明日から ほどからなんばんのおいしい食べ方にトライだ。
まずは甘酢につけこんで、それには薄口だししょうゆ漬込みもいけるか。

味見は・・・・だぁりんにお願いしましょう♪






2001年09月16日(日) 銀座へ来い の物語

銀座の御蔵という和食屋さんに連れていってもらう。
おしながきに『京都 御池』と 書いてある。
どれも美味しそう。
南善寺豆腐とか湯葉をいただき
とても口福胃福(^。^)

開店同時にいったのにお店の前には列ができ、
席は予約の人たちでどんどん埋まる。
へぇ。
おいしくてリーズナブルなところって、この不景気でも人気ですのね。
聞けば渋谷マークシティにも支店があって電話予約もいっぱいで「待ち」らしい。

その後博品館に舞台を観に行く。
先日見た舞台に出てた今陽子さんが前の客席に。か、かおちっちゃーい。
ちゅぅか、座席の周囲役者さんだらけなのだが、皆スタイルはいいは
顔は直径10㎝くらいだわ、まったくもってわたしはいたたまれず
持ってたスカーフで真知子巻きしたかったぞ。

なんの予備知識もなく行ったのだが、舞台はエルサレム、宗教弾圧が背景にある。
今の時期だけに なんとも複雑な思いになる。
踊り、歌、芝居、それぞれの分野で頑張る人達に触れ、目も耳も福福。

終演後ヒロインとお会いできるという恩恵に与り、写真も一緒に撮ってもらった。
むかーし、着物のお見立て会で、高橋英樹と2ショットで写真を撮ってもらったが
それよりずっと嬉しい

この舞台にとってもインパクトのある役者(♂)さんが出ておられた。
私うとくて知らんかったが、この山形ユキオさんといわれる方、
ヤットデタマンとか、ギンガマンとか、銀河旋風ブライガーとか
とにかくアニソンたくさん歌ってはるおじさん^^;です。
ミュージカルはピーターパンとは葉っぱのフレディとかレ・ミゼラブルに出演されていた。
素晴らしい声と、演技と、アクでした(笑)。

数ヶ月に一度、主婦業半ドンでお楽しみの日。
たくさんの福をいただきるんるん帰宅。
夕飯は、適当に食べておけと言っていたのに
冷蔵庫のハンバーグも あたためたらいいだけのスープも手付かず。

パチンコで負けた、とダンゴムシのように丸まって自責の念と戦っているトドが部屋にいた。

・・・・・あほや。

実際「あほ~。あっほやぁ~」と言ってみる
余計丸まって「あほゆうなあぁあああ」と泣いている。こら、だからTシャツ噛んでひっぱるなって。

さて、夢のような半日は過ぎ、腕まくりして遅い夕飯でも作りますか。
ま、この間の戦利金でピザをおごってくれたから今回はあほ10回言うだけにしといたる。
かくして現実は始まるのであった。







2001年09月15日(土) 俺はジャイアーン がっき大将ぅ~♪

ただでさえ、訪れてくださる人の少ないHPなのだが、
この数日 カウンター回転 激減(笑)

そんなものね。
うふ。

そんな中でも覗いてくださった方。
「あのおばはん 生きてるかいな」と
月に1回介護訪問員的な方。
半年に1回位,ブックマーク整理の為に訪れて
削除していかれる方(あうぅっ)

とにもかくにも 来てくれて
本当にありがとうございます。
多謝多謝多謝でございます。

くされぽんちきなHPですが、ぼちぼち ほんまぼちぼちやっていきます。
んなもんで よろしこ。(こういう古いギャグいってるから だめ?)


テロ事件で、放送予定のダイ・ハード3は放送が見送られた。
5ガロンと3ガロンの容器で4ガロンのお水を計るシーンは映画館で、
その後のストーリーが頭にはいれへんほどずーっと考えてたら
いつのまにかラストだった(ので観たかった)

TVはバックトゥザフューチャーをやっていたのだが、
この作品には 典型的いじめっこビフが出てくる。
ここであらたな発見。
わたしは とろい奴の頭をげんこでコツコツしながら 「Anybody here?」
と、ビフ真似して聞いてた、と告白した。。
うちのダンナさんは どんくさい奴の頭を掴んでゆらゆらゆらしながら
「誰かいませんかぁああああああああ」と今でも言っているよ、と楽しそうに言った。

わたしたちって
ビフ夫とビフ子。
ビフ夫婦。
ちょっと いや。






2001年09月13日(木) 心から出て行かないもの

生き物は、生きていく為に 精神の安定の為に
「慣れる」とか「忘れる」という力を与えられた。
震災の時、
靴はいたまま、服着たまま、1週間続けて食卓の下に頭つっこんで寝た時。
家族3人とネコ一匹は、かすかな揺れにも身体が反応した。
それをしばらく続けると、
一番敏感だったネコは、震度3がやってきても
腹を上にして口を半開きにしたまま眠りやがってた。
それを見たときに 皆が笑い、それから笑うことを思い出したような気がする

NYの事件も1日過ぎると、ちゅらさんやったり相撲をとったりバラエティが放送される。
わたしは それにどうにもこうにも違和感を感じてしまう。
本当はそうやって日常に戻ったり、笑いを取り戻すことが健康なんだと思う。

大きなコンクリートの破片や曲がった鉄、埃だらけの街
やはり6年前を思い出してしまう。
まっ黄色な空を思い出してしまう。

手放せない恐怖とはなんだろう。

あの瓦礫の中に、まだたくさんの人が生きている。HELPのシグナルが出ている。
神戸でも何日も経って助けられた人がいた。
民家の圧壊とは比にならないのはわかっている、わかっているけど何とか、
何とかひとりでも多く助かってほしい。

どこかに入院していると思い、家族の写真を手に病院を歩き回る人々。
あの時、小学校の校庭で知合いを探し回った時とオーバーラップする。

でも これは天災じゃない。
災いを起こした人間を裁いて済む問題でない。


テロを排除する と力強くいう国。
その国に制裁されて恨む国。
排除のシーソーゲーム。
かつてアメリカがミサイルのボタンを湾岸戦争で押した時
そこで消えた命に わたしはあまりにも無関心でなかったか。
自分たちの正義しか見えなかったのではなかったか。
ただ、人間は冷静に学習していると信じたい。
忘れていいことと忘れずに解決すべきことのために




2001年09月12日(水) 助けてあげられなくて ごめんなさい

NYのトレードセンター、階上でタオルを振る人が見える。
でも ビルは倒壊してしまった。あの人は テロにノミコマレタ







2001年09月11日(火) こうなったらとことん落ちるに限る

ゆうべビデオを観ながら2人とも床の上で寝てしまう。
起きたら ゴミ回収がとっくに済んでて 自己嫌悪にさらに陥る。

布団の上で寝なかったら、なんか自分に腹が立つのはなぜだ?
あぁ 冬のコタツがこわいな。

昨日 ちょびっとは前向きになろうとしてたのに、ちぇっ。
金曜まで生ゴミが捨てられない気持ち悪さと 自分への情けなさ。
やっぱ ダメダメだわさっ と
ダンナさんに悪態をつき、彼の出勤前にぷい と外へ出る。

郵便局、銀行、病院、八百屋、
結局はそんなところへしか用事はなく
両手がちぎれそうになりながら 野菜の袋を指にくいこませつつ歩く。

隅田川を通りかかる



オーヴァーザ レインボー!!!

反対側の西の空は それはそれは きれいな夕焼けの雲と光
黄金と、浅黄と萌黄が入り乱れて 目も胸も痛い。

橋のあちこちでは 立ち止まって空を見上げる人たち(なぜかおじさんばっかり)
それにまじって しばらく見上げる。

問題解決はしていない。
忘れたふりをするのも出来る。
むきになって 厚い鎧をつけるより
今日私がしたことを振りかえろう。きっと自分を誉めてあげられることがあるぞ。

ゴミ捨てられず(あっ くじける)
ブランチ(単に朝昼兼用)は アワ(Our)ブーム のお餅。磯部焼きときなこ餅。
作りすぎて鼻から出そう。
大雨のニュースを見続けながら また喧嘩
寝室たてこもり
ぬおっと部屋から出て弁当作る。
郵便局で 発送
銀行で記帳と引出し
病院、薬局。快方むかわずイライラ
八百屋で じゃがいも1袋60円に立ち止まる
気がつけば両手いっぱい
呆然と夕焼け空を見上げる 女1人川べりに。誰も「はやまるなっ」とは言わない。
帰宅したら ダンナは出勤した後。缶ビール500mlをいっきにいく。
食事をしてうたた寝

わーい やっぱダメぢゃん(T_T)






2001年09月10日(月) ペシミスティックなオプティミスト

百貨店の扉は、空調のためか ガラスのドアが二重に施されている。
外から よいしょっと一枚目を引いて 数歩歩いてまた よっこらせと2枚目を引く。

押した時は 自分の身体も一緒に押して入るので そういうことは少ないが、
「引」「Pull」の指図におとなしく従うと、必ずといっていいほど 中から人が出てくる。
誰かが出ようとしているのを 私がガラス扉を開けさせて頂いたの図。
あたしは あんたのサーヴァントかいっ と いつも思う。

でも 待てよ。自分が進もうとしているドアが 誰かによって開けられたらどうしてる?
両側に扉のある場合、相対する人は、ほとんど向かって左のドア(開ける本人にとっての右)を
開けるので、私はいくら丁度いいタイミングで開いても もう片方の右側のドアを自分で開ける。
または開けた人が出入りするのを待って自分が出入りする。
みんなもそう?

なのにマーフィーの法則のように、わたしが開けたドアは 他の人が出入りし
場合によっては 対向者に阻まれしばらくドアを開けたまま待ちの姿勢なこともあり
このあたりになると、職務に忠実なドアマンのように笑みを口元にたたえながら
おまえらええ加減にしてくれ と一人いっこくどうの如く 小さく呟く。
・・
こんなくだらないこと、さっさと自分がはいっちまえばいいだけのこと
開けたのは自分やねんから、ルール違反な奴らなんて押しのけたらええねん。

出来ずに後でくさくさしている。これがいつものあたし。
東京に来て1ヶ月くらいだかの頃、すごいストレス症がでて、
寝れないわ、食えないわ、代謝悪いわ、顔腫れるわ、泣くわわめくわ、煙草だけで生きるわ
なんて時があって、その原因も わたしのそんな「ドアを開けて待ってしまう」ところだった。

ドアを開ける、それは自己主張の場合もあるし、普通のことを普通にするということもあてはまる。
誰もわたしに気付かず 開きが狭いと思ったのか内から勢いよくさらに開けられて
こっちの顔にぶちあたり、泣きそうになる。
相手は そんなとこになんで立ってるの と不思議そうに。いや立ってることも気がつきゃしない。

誰も悪くなくて、わたしが勝手にやったり喋ったりしたこと。
誰も悪くなくて、単なる好奇心で尋ねられり喋ったりしたこと。
それが ドスンとわたしの中に居直る。
そしてそれがどんどん大きくなって いつもの被害妄想がはじまる。
絶対、わたしの方がおかしい。そう思って、振り切ろうとして
触れないように触れないように他の話しなんぞでお茶を濁したけど。

やっぱり 正直悲しくて、泣けてきて、案の定理由を聞かれて、「考えすぎ」と言われて。
そうだね、と笑ってしまったら もう解決したと思っているんだろうな。

その通り、その通り。
その通りなんだけど、葛藤をセルフ消化できるほどまだ痛みに慣れないし
「正しい」判断力がでてこない。
人の言われたことに いちいちクヨクヨしてて、とても責められた気分になって、さ。
責めているのは「そう感じている」自分自身なのに。

でも、前みたいに 食べられないことも寝られないこともないし、流す涙の滴数も減っている。
わたしは間違いなく強くなっている!

その強さは無神経度かもしれないし、タフネス度かもしれない。
事実を冷静に見られるまでの時間が短縮されているだけかもしれないが
それはそれでよし。

この次は、ちゃんと前をむいてはっきり言おう。
このドアはわたしがわたしの意思で開けて わたしが今から入ろうとしています。
肩に力を入れず、構えず。
今日できなくったって ええやんか。
この次できたら ええやんか。

この次あかんかったら その次がんばったらええねんな。
その次が、今よりちょっと進歩しとったら 最高やん。

ここしばらく 中学2年生のようにイライラしていましたが
良く考えると、自分も人の開けたドアを さっさと入ってしまったり
痛いことをいっぱいしていた。
自分がその立場になってわかる痛みが とっても多い。
その痛みを 今知ることができて よかったともしよう。
・・
結構お得な人生♪















2001年09月09日(日) オークションフリーク その2

別に買いたいものもないのに ぼーっとオークションのページを眺めることがある。
そこに見える生活の一部が面白いから。
単なる暮しの覗き見も面白いが、その裏っかわに想像できる見えない人の気持ちがあったりする。

例えば,
同じ人が、いかにもお中元という感じのたくさんのギフトセットを出している。
写真だけが ざっと並ぶページでも、その商品の背景が同じ
(白い布の上とか、フローリングの上とか)だと同じ出品者だとわかる。
コーヒーセット、そうめんセット、カルピスセット、サラダオイルのセット

この人は、お商売人さんか 先生か。毎年毎年いろんな物貰って もう使えない数々たち。
好みにあわないものもあるだろう。それをせっせとオークションにかける。
でも値段が ちゃんと計算されている。送料を含めて「ちょっと」買い手が得をする程度。
貰いものだけど、バカみたいなお値段では出さないその人の如才なさが
「これがお中元をいっぱいもらえる人になるコツか?」と笑える。
堺 正章と離婚した美里さんが、牡蠣100個、りんご何箱毎年届く生活がいやだったと言っていた。
貰う人にもある苦痛か。

別の人は、とてもお安い値段で素敵なランプとか、ギフトセットを出している。
自己紹介欄を見ると
「当方、年金暮しの老夫婦なり。
引退して家は息子夫婦に任せました。息子に教えてもらい 古い家に溜まった不要な品々を
買っていただける場があることを知りました。
孫のおもちゃを買ってやるのが唯一の楽しみです。そのために出品しております。
経験が浅い 未熟者ですがどうぞよろしくお願いします」

身につまされたようなところもなく、押し入れの肥やしになって場所ばかりとる品々の処分と
インターネットを使って取引しちゃえるワクワクと、孫かわいさがあいまって 
先とは違う意味でほほえましい。この老夫婦さんももしかしたら大金持ちで、今まで誰にも
お裾分けしなかった品々が今 陽の目をあびているのかも。(だったらちょっと悔しい(笑))

食品のコーナーで、積み上げたバラの缶詰数十個、サトウの切り餅、
ダシの素、きなこ、砂糖、どうみてもギフトセットにならない面子。
内容は「実家から送られてきたんだけど、アタシ外食ばかりで使わないのぉ。
誰か使ってよ500円でいいからさ」

シーチキンやいわしの蒲焼缶詰なんぞを 娘の為にことあるごとに送る田舎のおっかさん。
うちも、「なんでそんなん わざわざ神戸から送ってくるねん」なんてものが
月1回ほどのペースで母から送られてくるので おかぁちゃんの甲斐甲斐しさが目に浮かぶようだわ。
外食もいいけどさ、たまには食べてあげたら?

そんな余計なお世話を思いつつ、オークションの裏っかわのストーリーを
勝手に自作して楽しむのでありまする。






2001年09月08日(土) オークションフリーク

出品していたオークションの数々が 落札されていく。
意外にも入札者が多く、希望価格の数倍の値段がつくものもあった。
劇団関係のビデオやら パンフレット、ウエッジウッドのジャスパーの小物入れやら。

でも一番アクセス数が多かったのが、ダイエット食品♪
写真をUPした途端にばんばんアクセスがあって
人気がある品だったのと(松原 千晶がこれで痩せたっていうアレ)
基本的に市場では定価販売なので 送料込みでもちょっとでも安いものを探す人が多い。


引越し前にも 大量に出品して、神戸から東京までの引越し代はゆうに
まかなえ、家財道具はほとんど捨て値のオークションで手に入れた。

しかし、単に不要品の売買ではなく、自分の手に入れたいものの為にしているので
昔の人が 時計や着物を質に入れる時の気持ちがわかる気がして
ちょっと寂しくなる。
とても好きな物とかを手放すのは残念な気持ちもあるが きっと好きな人が
大切にしてくれると信じて、同封するお礼のメモをせっせと手書きする。

これをやりだしたおかげで無駄買いの前に考える癖がつき
捨てる前に売れないか、と思うようになった。

かつて これは誰もいらんやろ というような
使用済みの電車のプリペイドカードが6000円とかで売れて
商品価値というものが混乱したことがある。

反対に美術館のチケットやら キャリーカートやらちまちましたものを買う
行きたかったポンペイ展♪
TVでやっている『世界遺産』を見たときから絶対行くって決めてた。
キャリーカートは、うっかりしていて送料しか入金せずに
すぐにお詫びと追加入金をしますメールを打ったところ
だれか引き取り手を探していたのでタダであげますと言われて甘えてしまう(^.^)

台所用品を買い漁っていた時「結婚で引っ越すので 転居先に送ってはくれまいか」
とお願いしたら、「まぁ それなら 他にもいろいろご入用ではありませぬか?
こんなのは 如何?」といって、わざわざ写真をUPしてくれた人がいた。
大きな土鍋、ホーローの両手鍋、ガラスの器、木のお椀・・・・
どれも新品で、もちろん即ください!返事をして送料だけの負担で送って下さった。

もちろん、いろんな人がいて 信じられないくらいいい加減な人との出会いもあって
それはそれで面白い経験ができた。

数あるオークションのサイトを見ていると、この国はなんて物にあふれてるんだ と思える。
お中元シーズンが終わったら 掘り出し物を探すのだが、この盆暮れの付け届け習慣って
本来の意味からはずれているようだし、いろいろ見直す時だなあと つくづく思う。

とか言いながら、フォーナム&メイソン のアールグレイ300円 とか見てしまうと
おいおい とか言いながらぽちっと入札してしまう 結局は弱いわたしでございます。






2001年09月07日(金) 夫婦善哉


好きなTV番組が始まった時のダンナさんが おもろい。


二つ折りにした座布団の上にクッションを置いて
自分の陣地をかたち作る。


小高い丘を安定させるとそこにうつぶせに寝て
目が悪いので ぐっとカブリツキになる。


真剣な目になるのは巨人戦と、サッカー。
打たれると、顔色が ほんまに変わる。
ちびまるこのようだ。


目がキラキラしてくるのは「USO」とか「あんびりーばぼー」。

どこぞでアナコンダを探すとか、
杉沢村のお化けを探すとか
私はあまりいただけないので
なぜマツゲまでくりんくりんにしているのか
さっぱりわからん。



ただ、そんなダンナさんが面白くって 
ついつい画面の前をわざと横切ったり、
偶然を装って脇腹をつついてみたり
ない隙間を探して、無理やり座席に座る
電車の中のおばはんのように
横に割り込み邪魔したりする。


私が「五嶋 龍くん」のバイオリンに釘付けになっていると
興味がない彼はわたしのぶるぶるの二の腕に噛みついている。

いや、こんな夫婦のちちくりあってる描写など
他人さまからみれば噴飯ものとは思うのだが 
これらの時間の流れの真っ最中にも
とても冷静に 感情の移り変わりを観察しているのである。

諸行無常とは 経験から得た人生の摂理。
こうしているうちにも、いつか心替りをされるのではないか
と不安になるの。(自分がするとは思っていない)

かつてわたしの友人達が ばたばたと結婚し
そしてまたばたばたと離婚したのを見ていて
結婚そのものに魅力を感じられなかった時
現実はそんなに楽しいものではないとインプットされた。

そして 結婚半年になろうかという今
「まだ」めっちゃ楽しい自分がいる。
これがいつまで続くのか。
いや悲観的ではなく、どのように変化していくのか
それを冷静に温かく留めたい気がしている。






2001年09月06日(木) 祝儀袋の行方

ここ1ヶ月くらいの間で、全く同じ悩みを言っている女性が5人以上いた。

それは「結婚式の両家の祝儀袋を全部、義母が持って帰ってしまった」
というもの。
1人が悩んでいると、実は私もなのよってな具合に。
そんなに頻繁にあるのかと驚く。
これは、元ブライダル産業に関わった者として、
放置するにはゆゆしき問題、
というよな大袈裟なものではありませぬが
HPのコンテンツのひとつであるBridal MCのネタにすることに。
近いうちにUPします。



2001年09月05日(水) サンダルの小指から感じる秋

わたしの図書館タイムはダンナさんが出勤後の夜から始まる。

麒麟淡麗生マリナーズグッスのクーラーバッグに
返却本を詰めて さぁれっつおでかけ♪
秋の温度が 素足で出てきてしまったことを後悔させる。


匂いって 温度が上がったほうが充満しそうやのに
こと秋の気配に関しては 冷気とともに匂いもやってくる。

夜の匂い。空気の匂い。
2日前ビデオを返しに行った時よりよく感じ よく見え よく香る。
どうしてこうも急にかわってしまえたのか。
まるでベッドから出た男のように潔い。
あの熱さなど忘れたみたい。

図書館脇の草むらで、鈴虫がこれでもかって大きく鳴く。
あまりはっきりと大きい羽音なので人為的とすら思える。
あたまに唇をとんがらかした江戸屋猫八が浮かぶ。
もちろん横には子猫。

返却後新しい読み物のおかげでまたずしっと重くなったバックを肩から下げ
魚屋の前を通ったら 水族館の匂いがした。
おそらくいつもは感じていないことを 肌や嗅覚が感じるのか
そう思えるくらい秋の訪れは 人を敏にさせる。

夏蒲団は くりゅっとまるまって足元でくたばっていたのに
そういや今朝はちゃんとお腹に巻いて寝てたっけ。
お布団の衣更えもそろそろだな。

空が高く青くなったら 圧縮袋の中でせんべいになってる蒲団を
お日様にあててあげよう

秋は、朝も夜も素敵だこと
わたしの生活も 夏のだらしなさから脱出させねば。



2001年09月04日(火) ブルータスおまえもか

某サイトで、ご主人さまが旅行先から1mもあろうかという
抱き枕を購入して帰ってきたことを呆れているというのがあり、
これは他人から見ると誠にほほえましぃし、笑えた。

むほっと 1人笑っていたら横から覗き見したうちのダンナさんが
「・・・・へぇ・・・いいなぁ・・・・(^.^)」
彼の目はごまあざらし風の抱き枕の図をうっとりと眺めていた。

お、おまえも抱き枕 欲しぃんかい!?

やはり自分ちのこととなると笑えないもんだ。



2001年09月03日(月) Sexもバイオレンスもドンパチも血もなく やるぜデビットリンチ

夕飯後ビデオで「ストレイトストーリー」を観た。
心の針の振れ幅が 少ないのに こんなに残るなんて。
ドキドキも 激昂も 滂沱の涙もなく

語りと表情と場面を包む(醸すか)空気で
優しさや悲しさを感じる。戦争の酷さまでも。

静かに静かに 時速8㌔の映画。

あまりにゆったりしてるんで、はじまってすぐに
目を開けたまま イビキかいた人は自分自身に驚いていたが
映画のリズムに身体が乗ると あっというまの2時間だった。

リンチといえば私の中では「ツインピークス」
夢野久作の「ドグラマグラ」読後を思い出し さぶいぼ(鳥肌)でたっけ。
「エレファントマン」「ワイルドアットハート」
いろいろな引出しがあるおっさんやな。これからの作品も楽しみになった。
主役のおじぃさんが、去年自殺したと知ったのは悲しかったが。

観終っていい映画だったねーっとダンナさん大絶賛。
返却日だったので夜中に2人で返しに行く途中も大絶賛。
「ほんとうによかったねええ」「うん よかったねえ」
「借りた中で一番よかったのは?」
「私は、さっきのストレイトかなぁ。貴方は?」
「俺は『雨あがる』と競ってるな」

へ?それ観た後 何も言わへんかったやん。
ふーん、そんなものなのね。

 



2001年09月02日(日) ファッションとトイレ

ジャンプスーツが流行りだそうな。
自分のことを名前で呼ぶファッションリーダーちゃんが火付け役とか。

あれはトイレが大変だろーな、とすぐそんなこと思ってしまうのは
もう流行りの流れからはずれきっている証拠。

トイレ話で恐縮だが、パンツで個室に入ると裾が床につかぬよう配慮する。
ジャンプスーツの場合、脱いだ上半身も下につかない気配りがいるので
上から下から心配だ。
特に今年モノは袖なしだったりするので袖を持ったり巻きつけたりできぬ。
もしバッグをかけるフックとかがなく セカンドバッグと紙袋3つとか持ち
しかもすごい尿意に襲われていたら・・・・

考えただけでストレスな服ですこと。

ロングスカートにエプロンというイデタチで働いていた頃、
手洗いをすませて近所に花を買いに行った。
観光客の多い場所だったので ちょっとした外出にも気をつかう。
出掛ける前にはちゃんと鏡でチェックするエチケットガール。

花屋さんで品選びをして、店の奥さんにラッピングを頼んでいたら
そこのご主人が配達から帰ってきた。
軽く会釈して店を出た私を、ご主人は振りかえりながら奥さんに
何か耳打ちのようなしぐさをしていたのを覚えている。

秋風に髪をなびかせ らったった らったったと自店に戻る私に
「おきゃくさぁぁーん」と追う声。花屋の奥さん。
???
しっかり追いついてから 奥さんは私の腰のあたりを掴み、何かをひっぱり出した。

エプロンのせいで、鏡チェックの時にはわからなかった。
スカートが、スカートが、
ガードルの中に挟み込まれ、ケツだしながら 店名入りエプロンつけて
観光地をかっぽしていたおまぬけな女。
それは わたし。

花屋のご主人は、帰った途端にすごい後姿見せられて
しかも堂々と会釈なんかされた日にゃぁ これは今の流行りか
と思われても無理はない。
ことはなく、いくらなんでも自分からは進言できなかったんだろう。

だから出先のトイレはきらいよ。

ジャンプスーツなんか着た日にゃぁ どんな珍事が起こるやもしれぬ。



2001年09月01日(土) ウルトラマンとバロムワン

最近のウルトラマンって 青いって知ったはりましたぁ?。
洗濯ものたたみながら じーっと夕方の子供向け番組を
見入ってしもた。
怪獣の名前が「やまわらわ」
「あかさたな はまやらわ」と「山笑う」がドッキングした
まさにニッポンちゃちゃちゃな怪獣。
ちょっとホンコンに似てる。
ウルトラマンに変身する人が、やたらふにゃぁっとしたタイプなのが気になる。

かつては 「本郷 剛」とか「隼人隊員」 なんて
名前からして強そうやったのに
そこらへんの大学生のにぃちゃんみたいな人が変身。

おとこ おとこしてないのが時代ちゅうわけですかね。

昔の話しですが
かつてバロム1っていう変身ものがありまして
2人の少年が腕を組んでバッローッムって叫ぶと
合体一生物@正義の見方になるのです。
少年の1人は太っててガキ大将で
もう1人は頭がよくてかわいい男の子。
役名がたしか白鳥 健太郎。しらとりよ?しらとり。麗子もびっくり。
ちなみにでぶのほうは やっぱりたけしって名前だった。


その変身していた少年の細くてかっこいいほうと
ある学校で 一緒になったのですよ。


もう すっかりむこうは青年なんやけど。

彼の鞄は「ビニールのカバー付紙袋」だけだったんよ。
ほら、文房具屋の入り口とかキオスクで売ってるような、チェックの。
一番大きなサイズ。
お財布も ハンカチも 本も 手帳もそれに入れてて。
いえ 決してビニールカバー付き紙袋がいけないっていいませんけど
なぜ いま それなのか!? ですわ。

かつて見たことのあるバロム1での彼の勇姿と重ね合わせ
ちょっと騙された感じがしてしまいました。

今だったら むしろそっちのほうが面白いって思いますがね。
わたしも青かったです。
なぜその紙袋なのか それが気に入っているのか 利点は何なのか
いろいろ聞き出してみたいです。
その答えがいちいち期待に沿いそうで わくわくします。

どちらかというと 今の変身ものにでてくる ヤワイタイプで
売っていただけに 実はその芯は 紙袋に対する熱い思いがあったかも
しれません。

今 ふと彼の名前を検索してみたら
3年B組欽八先生とかにも出てたようですが、
ウルトラマンディガの出演歴もあって やっぱ変身ものに戻ったんでしょうか。
それよりも
現在の写真を見て 青いウルトラマンの数十倍驚きました。
尾藤イサオ似のおっさんでした。

やっぱり 騙された気分です。  







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