日記でもなく、手紙でもなく
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2000年06月19日(月) フェルメールとその時代展

 ご無沙汰していますが、お元気でお過ごしのことと思います。

 <フェルメールとその時代展>を、17日(土)天王寺にある大阪市立美術館へ見に行ってきました。雨が降っていることもあり、結構見に来る人は少ないだろうと甘く見ていました。大間違いでした。

 天王寺公園入り口では、入場120分待ちの札が。
 ガーン! 怯みました。

 しかし、フェルメールの全作品中、その7分の1にあたる5点が一度に見られる機会に、それを見ないで帰るのも、と思い直し並ぶことにしました。
 よくご存知かも知れませんが、フェルメールの絵はあまり大きい作品がないし、今世紀になってから、再評価されたようないきさつのある画家で、現在この人の作品と認められているのが35点ほど。しかも、それらが世界各地の美術館に点在しており、その所蔵美術館にとっては、結構重要な所蔵作品でもあるため、なかなかまとめて見ることができる機会も少ないようです。
 本や写真などより、実物は本当に良いと思える画家の典型かもしれません。

 列の後ろにつくと、90分待ちの表示でした。実際には約1時間でしたけれど。考えてみれば、雨だったのでこの程度で済んだのかも。しかし、大阪の雨はけっこうどしゃ降りに近く、靴とズボンがびしょぬれになりました。

 やはり<真珠の耳飾りの少女>(青いターバンの女、とも)が、一番よかったのですが、フェルメールの初期の作品1点も、画集などで見るよりもずっと良かったこと、今回の展示作品の中で、比較的日本で見られる機会の少ないデ・ホーホやヤン・ステーンなどの作品もいいものがあって、別の意味での収穫もありました。

 東京でこの展覧会が開かれない、というのが残念の極みです。

 会場を出たのが午後2時。その後、今神戸のほうの大学院にいる方と、その人の結婚のお祝いを兼ねて食事をして、東京に戻りました。
 上り最終ののぞみで戻りましたが、雨を追いかけて移動していたような私の17日でした。


2000年06月12日(月) ミレニアム記念同窓会


 6月、梅雨の季節に入りました。お元気でお過ごしのことと思います。今回は、東京で開催しました高校時の同窓会の話。

 実は今年の2月くらいから、同窓会を開くべく動きはじめました。2年次同じクラスにいたNが、昨年末から、やろうやろう、と結構しつこくメールがきていました。その時は(昨年福岡で会ったときお話ししていましたように)毎週土曜日が埋まっていたと同時にその準備も必要でしたので、同窓会を考える余裕もなかったのですが。
 昨年もクラス会に毛の生えたような同期同窓会をやったのですが、集まったのが20名。今年はなんとか30名を超して、できれば40名ほどは集めたい、というのが当初目標。
 そのためには、新しい住所録データベースを何とか手に入れようと考え、まずNのほうにそちらの打診を、私のほうは同窓会通信を0号、0.5号、1号と作成しつつ、参加意向者を増やしていきました。
 2号の段階で、目標の40名は超えたものの、3月末になって異動に伴う単身赴任含む転勤が、参加意向者の中から7名ほど出てきました。その中に、実行委員をやってくれていたのが宮崎へ転勤となって、一瞬どうなることやら、と思ったりもしましたが。
 日時(5月27日土曜夕刻〜)、場所(銀座8丁目)などをなんとか3月末までに決定して、参加者を増やす算段などもやりました。
 私の3年時の担任だった方も、自費で参加してもらったり、他にも熊本から6名、京阪神地区から7名、中京圏から2名、福島1名なども参加してもらえることになり、出席者は当日なんとか67名というところまでいきました。

 これは、恐らく卒業して以来、同期が集まる数としては最多ということになったのではと思っています。
 2年次、生徒会長に同じクラスから立候補して当選したのと、やはり同じクラスにいながら、別の立候補者(同じクラブの先輩)の応援演説をした二人も参加しました。この応援演説が曲者で、普通応援というと当選させることを考えるものの、この応援演説が落選させてもらわないとわがクラブがもたない、というような内容でした。これを聞いたときは、みんな唖然として、この時のこと、我々の世代というのは、絶対忘れていなかったりします。

 2〜4月は、この同窓会の連絡事務局で土日はつぶれました。5月は事前準備で、この段階も土曜日が結構つぶれてしまったりしました。
 幹事役というのは、その段階ではなかなかゆっくり友達と話せないみたいなところは残るので、単に参加するだけのほうが、ラクできて楽しい、というところは残るのですが、それでも今回ばかりは、終了後メールでのお礼とか、はがきでのお礼等々、結構入ってきて、それなりにやってよかったと思いましたけれど。
 来年もということになると、作業が大変なので、おおがかりにやるのはオリンピック並みに、3−4年に1回か、というような話をしています。

 やっと、会計報告も作成して発送したところで、これが終わると一段落。17日には、大阪までフェルメールを見に行き、その後京都で最近結婚したご夫妻のお祝いを兼ねて、3人で食事でもしようということになっています。
 今回の東京での同窓会、大阪のほうのメンバーがいたく刺激を受けたのか、夏から秋にかけて大阪でやるという話も入ってきました。


riviera70fm |MAIL