日記でもなく、手紙でもなく
DiaryINDEX|past|will
2000年08月27日(日) |
関西同窓会と南紀の旅報告 |
やがて9月の声を聞く頃になりましたが、東京でも今年は厳しい残暑が続いています。しかも、例年ですと、私が住んでいるところは、(東京より)夜など涼しい風が吹きそろそろよく眠れる頃に入るはずなのですけれど、夜中まで暑さがとれない日が続き、結構夏には強いと思っていても、今年ばかりはあごを出しつつあるところです。 今回は、K君にも会えた関西同窓会参加を含め、南紀を回ってきた報告です。以下お暇な折にでもお目通しいただければ幸です。
零)同窓会の前段
当初今回の関西同窓会のほう、私は6月にも大阪へ行っていましたし、11月にもまた行くことを予定していますので、この8月の大阪での同窓会はパスしようかと、実は思っていました。 ところが、東京での同窓会に出損ねたK君が参加するということもあり、できれば出席しようかと思い始めたのが、7月下旬にはいってからでした。 そんなことをしている折もおり、高校3年間同じクラブに属していて、偶然私の訪米研修ツアー時、サンディエゴで落ち合えた友人のTも、この同窓会に出席するというメールが入ってきました。彼の場合は、サンディエゴの研究所に留学していて、留学直前に結婚した奥さんともども、そこに家を借りてすんでいました。アメリカでしか乗れないようなかなり大きい(燃費のやたら悪そうな)クルマで、ホテルまで迎えに来てくれて、彼の家で食事を御馳走になったりしたのですけど。
この2人がやってくるというのであれば、それなら、今回は夏休みを兼ねて、すこしゆっくりと、温泉にでもつかってこようか−−と考えました。どうせなら、関西でもまだ全く足を踏み入れたことのない、南紀を回ることにして、太地(たいじ)と紀伊勝浦にそれぞれ一泊することにしました。
壱)K君も元気でした
同窓会開始前の当日4時に、K君とは梅田のヒルトンホテルのロビーで落ち合い、少し後からHさんが合流。K君は、すぐわかりましたね。船のエンジンを作る会社にずっと勤務しているとのことで、子どもは娘さん二人。 実は、今回大阪にはUさんが住んでいた、ということに、行く直前気が付きまして、連絡をとりましたら、当日は少し前から用事が入っていて無理とのことでしたが、11月にまた大阪に来る予定なので、その折集まろうという話をしています。電話で話をした感じでは、大変元気そうでした。
大阪を歩くというのは、私もK君もさほどないので、梅田から北浜まで、(少しありますが)歩いていくことにしました。やはり大阪の風景らしく見えるのは、梅田界隈よりも、川の橋が見える風景のほうでしょうか。
同窓会参加者は今回の幹事役含め18名、東京からは私含め2名、九州からそのT、桑名から1名、岐阜から1名などが、遠方組。 例によって3次会まで。ちょうど午前0時を回ってしまうと、(東京ではまだ電車があったりもしますが)大阪では既に終電後となり、単身赴任をしているSが住んでいる江坂の寮のほうにに、2人ほどなだれ込んだようでした。 今回は私も楽しい時間を過ごさせてもらいました。
弐)豪雨の南紀へ
同窓会翌日の20日は早起きをしまして(ローカルエリアを、列車とかバスで移動する場合は、午前中にどれくらい動けるかで、その日の行動範囲が決まりますので)、新大阪7:35発の特急にうまく乗り込めました。予定では、午前11時に串本に着いて、本州最南端の黒潮輝く潮岬へ行って−−、翌日は太地のホテルから勝浦経由で瀞峡へ行き、勝浦戻り、などと勝手に考えておりました。 朝、大阪を出るときは今日も暑そう−−と思っていた空が、なんと、和歌山を過ぎると怪しくなり、御坊に近づくにつれ本降りに。しかも、車内アナウンスでは、三重、和歌山南部が大雨の影響で、反対方向からの列車にかなり遅れが出ているとのこと。 乗り込んだ紀勢本線は、単線・未電化で、すれ違うべき駅ですれ違うようにしないと先へ進めません。 遅れた上に、串本に着いた時も豪雨に近い状態でした。 これでは潮岬へ行ってもしょうがないので、そのまま紀伊勝浦まで。着いたのは昼近い時間で、40分ほど遅れて到着しました。
そのまま太地のホテルへ行くのは面白くないので、当初予定には入れていなかったのですが、バスで30分の那智の滝まで行くことにしました。もともと、冬などの一部の季節を除き、水量の多い滝ではあるのですが、いやいや、その日は豪雨だったこともあり、一層豪快な音を轟かせ、迫力この上ありませんでしたね。 太地のホテルのすぐ脇に、くじらの博物館もありましたが、ここは見ないで、小雨の中、露天風呂につかっていました。
参)暑くて遠い南紀
21日は、うってかわって晴れ上がり、晴れ上がると、午前9時でもじりじりと焼けてくるような陽射し。このへんは、南九州と似た感じですが、九州より朝が少し早い分、9時にしてはあっつい。 ホテルから、勝浦駅前へ出る時に、勝浦港市場に鮪がかなりあがっているのが見えました。8割方は築地に回るとのことです。高く売れるものは、やはり東京に回っていくようでした。 勝浦からの路線バスで、昨日行き損ねた本州最南端の潮岬へ。見渡す限り、水平線がくっきりと、まあるく見え(るような気がする)、遮るもののない、濃紺の広々とした海が見渡せます。ここへ来たかったのは、たぶん、これを見たかったのだろうと思いますね。
串本駅からほど近い天然記念物・橋杭岩(海岸に高さ5−6mはある巨大な岩が10ほど、橋桁を支える杭のように、見事に一列に150mくらいの距離の中に並んでいるので、このような名前が付いたようです)に寄り道して、勝浦の海の島巡り観光船などに乗りましたら、天気の良い日だけあって、昨日見てきた山の中にある那智の滝が、(小さくも)はっきりと見える! やはり、日本中に滝はあちこちにあっても、こんなに遠くから滝が見られるのは、ここだけなのだろうと納得しました。 勝浦のホテルでは、またまた、露天風呂につかり、ゆっくりと過ごすことができました。
勝浦に住んでいる人と話をすると、ここは遠かったでしょう、という一言が必ず出てきます。大阪からも、(帰りは名古屋経由で戻りましたが)その名古屋からも、特急で3時間半。単線である限り、恐らく縮まらない時間でしょうね。 その分黒潮に乗ってくる恵まれた海の幸を堪能できる部分もありそうです。 ただ、おいしい鮪に関しては、値段は高くても、まともな東京の鮨屋に軍配を上げる人のほうがひょっとしたら多いかもしれませんが....
JR西日本が大阪から新宮まで、JR東海が名古屋から紀伊勝浦まで、それぞれ特急を走らせています。JR東海のほうが新しく、窓が大きい車輌を使っており、収益性の高さがここからも感じられました。
勝浦のホテルで朝ふと目覚めて外を見たら、海の向こうに日の出。 平安時代から鎌倉時代の変わり目、源平合戦の熊野水軍(ま、もともと海賊ですけど)が、このあたりにいた、ということが、ここへ来てみてなんとなくわかったような気がした、そんな南紀の旅ではありました。
蛇足)
名古屋へ着いて途中下車。駅ビルには高島屋が入っていて、そこの地下で、新幹線の中で食べる弁当でも買おうと思いました。うなぎの弁当もあって、結構そそられました。ひまつぶし、と書かれている(ように最初見え)、名古屋だとうなぎは暇つぶしか、と思いきや、よく見たら「ひつまぶし」でした。 ひつは櫃で、ごはんとまぶす、みたいな意味か、そんなように勝手に理解しましたけれど。ひょっとすると、全く違う語源があるかも。 焼いてたれを付けたうなぎ一本分は、東京などのようにふっくら焼き上げるというより、少し外側だけ固めに焼き、それをやや細めに包丁を入れて(バラバラにならない程度につながっている状態)、ごはんの上に乗せてあるもの。新幹線の中で売りに来る浜松のうなぎ弁当より、それはそれはおいしく戴きました。
長い手紙、最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。来年はまたそちらのほうまで行く機会が、たぶんあるのではないかと思っています。 またその折は、連絡をとらせていただくことにします。
|