2009年09月30日(水) |
中日×巨人(ナゴヤドーム最終戦)&立浪和義引退試合 |
この日ばかりは、勝敗なんか関係ない。 とにかくこの空間にいられることだけで幸せだ。
立浪はオイラと同い年。
なんて言うか、一つの時代が終わったって言う感じがした。
スタメン発表でもうウルウル(T^T)。
セレモニー中はダメ[s:364] 目の前が滲んで滲んで仕方なかった。
ここまで頑張って来たことに敬意を表するとともに、感謝の気持ちが溢れてたまらない。 今思い出しても、感動の嵐だ。
本当に22年間お疲れさまでした。 君の活躍がオイラを勇気づけてくれました。
本当にありがとう!
これでオレ流勝敗12勝3敗!
CSに向って突き進め! 燃えよドラゴンズ!!
昨夜は疲れていたのか、日が変わるか変わらないかのうちに布団にはいってスヤスヤと眠った。
気がついたら、オイラは森の中にいた。 森の中には、何故かそば屋があった。 オイラはそのそば屋に向おうとした。
すると、後ろから福山雅治の声が聞こえてきた。
「そばが食べてみたいなぁ。」
振り返るとそこには、大きなヒグマが!! オイラの方に向ってくる〜!!
なんじゃこりゃ〜!!
オイラは必死で逃げた!! とにかく逃げた。 森の中を、草むらの中を、とにかく必死で逃げた。
草むらが開けたと思ったら、そこは片側1車線の国道だった。 道路の反対側には、そば屋が! 国道には、昭和50年代のセドリックが1台走って来た。 すぐ後ろから熊がせまっている! あ、逃げなきゃ、とにかくあのそば屋へ逃げ込むんだ!!
急いで、国道を渡ろうとした目の前に!!!! あのセドリックが!!! 危ない!!!!(あ〜、オレってバカ。熊はそばやに行きたかっただけじゃないかって、今気付いた〜!!)
はっ・・・・
・・・・・
辺りは暗い。
あれ、オレ布団で寝てる。。。。
よかった〜夢か・・・・
しかし、あ〜びっくりした・・・
本日は審判の日。 大腸ポリープを摘出した結果を聞きに行く日だ。 昨日の夜からちょっと緊張して眠れなかった・・・と言うのは嘘で、ちょっとお酒を飲んだらそうそうに撃沈してしまった(笑)
でも、起床してからちょっと緊張気味。 出がけに嫁さんに励まされ、出勤してからは職場の同僚の笑顔にホッとさせたもらったり。 検査に行く前は、幸い外に行く仕事で気を紛らわせることが出来たので、ちょっと気分的に落ち着くことが出来た。 とはいったものの、行ったん職場に戻って来てからは、心臓がドキドキするし手は振るうし、結構気弱な自分を感じてしまった。
そして病院に到着。 昨日陣痛室から実況中継していたマイミクさんが無事に第2子を出産したことを知ってちょっと嬉しい気分になった。 受付をして待合室に行くと、そこには「60分遅れ」の表示。 ありゃりゃ。 ドキドキする時間が長くなるなぁ。 そんな時手元にあったiPodで気を紛らわせた。 Superflyの「愛に抱かれて」と言う曲を聴いた時、その曲を教えてくれた人に勇気づけられた気がして、思わず一杯の待合室の中でウルウル来てしまった(汗) 嫁さんからもメールが来て励まされた。 こういうときの嫁さんの一言は大きいなぁと思う。
さあ、そしていよいよ、診察の時。 あの時内視鏡でオイラを苦しみのどん底にたたき落としたお医者さんがいた。 もうこれ以上の苦しみはくれるなよと願いながら、診察にはいる。 検査の時に撮影した画像を見ながら、いろいろと説明をされた。
摘出したポリープについては、悪性の所見なし。 でも、体質的にポリープが出来やすいようなので、2、3年に一回は検査を受けてください。 ポリープは10個あれば1個は悪性に転じる可能性が大きいです。 今回提出したような大きな成長があった場合、5年間ほっておくと手術も出来ないような状態になることがあります。 だから検査は定期的に受けてください。
と言うことだった。 ホッとしたものの、あのしんどい検査をまた受けなきゃ行けないと思うと、ちょっとがっくりするのだった。 でも、検査はしんどいけれど、ガン化するかもしれないポリープを事前に摘出出来て、健康でいられることには感謝しなきゃいけないな。
職場に戻ったあとに、カウンターに来た業者さんに、「最近やせたんじゃない?どしたの?」と聞かれたので、笑いながら「病気病気(笑)え?何の病気かって?内緒。」と冗談を話せる自分がいて嬉しかった。
帰宅後、嫁さんに一足先に健康が確認出来たことを報告出来て、娘が趣味で作ったロールケーキがあって、なんとなくお祝いみたいな気分になった。
それに、こうしてピンチの時に助けてくれたいろんな人たちに感謝だ。 ありがとう、皆さんのおかげで、とりあえずしばらく健康でいることが出来ます。
2009年09月27日(日) |
井上一樹選手引退試合 |
試合は2−8で惨敗だったし、岩田に対する苦手意識のままにCSを迎えそうな予感。 3位争いはヤクルトと阪神の2チームに絞られて来たかな。 出来ればヤクルトとCSを戦いたいなぁと今は思っている。
そしてこの日はそんな状況の中行われた井上の引退試合。 ライトスタメンで6番。 フルイニング出場。 最終回まで打席が回って来た。 でも、4タコ。 成績としては残念な結果だった。
最終打席が終わって、試合も終わって、阪神矢野選手の花束贈呈で、もうダメ・・・・テレビの画面が滲んで見えてしまった(汗) 立浪の花束贈呈でもウルウル状態。 自分自身がこんな風に泣けてくるとは、全然予想してなかったから、ウルウル来た自分にビックリだ。
号泣状態の井上選手の挨拶は彼らしく素晴らしい挨拶だった。 かっこ良かった。
井上選手20年間お疲れさまです。
いやぁ、いい天気だ。
いい天気だ・・・・
いい天気過ぎる・・・・あつい!
子供の出番までは日影に非難だ。
お、長男の出番だ。 写真とらなきゃ。
あ、走った〜、頑張って走って・・・4番目か。。。
今度は末っ子の番だな。 来年からこの小学校にお世話になるので、顔見せレース。
オイラカメラマン。 写真撮ってる間に終わっちゃった。 生で見たかったなぁ。
てなわけで、休憩時間にはいって、行ったん家に帰りお昼ごはんのお弁当作成。 とは言っても、オイラが作るわけではなく嫁さんがテキパキとおにぎりやら唐揚げやらを作って行く。 嫁さんがテキパキと働く姿をみながら、この風景ってかけがえのないものすごく幸せな風景なんじゃないだろうかと、ふと思った。
そしてお弁当完成後、小学校へ。
ちょうどお弁当タイム。
体育館のフロアが開放されていて、そこにシートをひいて家族みんなでお弁当。 ホンの一時緩くて心地いい時間が流れる。 本当にホンの一時・・・ みんながとりあえずお弁当を食べ終えたら、体育館はこどもたちの遊び場に。。。 もう無法地帯・・・とてもゆっくり休憩出来る場所ではない(笑)
お昼の部は応援合戦。 みんな登場するから長男がどこにいるかさっぱり分かんない・・・ 仕方がないから、全体の写真を撮って、あとからどこにいたか聞いて、そんで写真を見ながら、「オーここにおるがや」と言う話にしよう(汗)
そんなこんなで時間も過ぎて行き、楽しい運動会は終わりを告げた。
そういえば思う。 子どもたちが頑張っているグラウンドの景色もとても大切な景色かもしれないが、それを見守る観客席の大人たちの景色もとても大切な景色だ。 この人たちがいて、今の子どもたちがある。 そして観客席の背後には、今の大人たちの親が小さいときから立っていた3本の楠が、みんなを見守るように立っている。 楠→観客席→グラウンドと代々引き継がれて行く流れがここにもあるんだなと、密かに感動をした。
また来年、運動会に、また違うメンバーで同じ景色を見ることになるんだろうな。
まずは一言お疲れさま、そしてありがとうだ。
本当にいろんな意味で印象に残る素晴らしい選手だったと思う。
27日に引退セレモニーがあるが、そこには残念ながら立ち会うことは出来ない。 せめて、テレビの画面を通して感謝の気持ちを伝えたいなって思う。
2009年09月24日(木) |
くやしーーーーーーーい!!! |
巨人 3年連続33回目のリーグV
とても残念な結果。 しかも、中日戦だし・・・・
最後の座席が立浪だったなぁ。 これで、悔しいけれど、立浪の姿がしばらくは何度もテレビでお目にかかれることになってしまった。 巡り合わせの妙かな。
CSに気持ちを切り替えて行きたいんだけれど、やっぱりリーグ優勝が一番。
来年こそは完全制覇目指して、頑張れドラゴンズ!!!
そして、悔しいけれど、ジャイアンツ3連覇での優勝おめでとう。 本当に強かった。
2009年09月23日(水) |
自分史って言う感じ? |
先日のカラオケのあと、そのメンバーの一人から「ほかにもかねまつのきっかけになった曲があれば教えて欲しい。」というリクエストがあった。
そうそうあの日のカラオケは、自分のきっかけになったような歌を歌い続けたっけ。 そんなわけで、早速家に帰って、iTunesとCDラックとのにらめっこ。
え〜と、
あれと、
これと、
それと、
これと、
あれも、
これも、
・・・・・
うーん、こんなもんじゃないなぁ・・・
あ、これこれ、
そうだよなぁ、あの時この曲を聴いて気持ちが変わったんだよなぁ〜
あ、これ、あの時あいつからCD借りて聴くようになったんだよなぁ〜
うん、うん、このときこんなことがあったよなぁ〜
この曲!あいたたた・・・
この曲で人生が変わったって言う曲は、誰でもそうだけれどそうそうたくさんあるもんじゃない。 でも、先に曲があって、気がついたらそれが思い出の曲になっていたり、辛いことがあった時にふと耳に入って来て癒された曲や当時の原風景や匂いを思い出す曲はたくさんあるはずだ。 オイラの場合は舞台に立ったりするもんだから、芝居で思い入れたっぷりに使った曲や、演奏した曲なんかも結構ある。 一曲一曲みんなエピソードが引っ付いてる。
まるで今までの自分を振り返る作業。 出来上がったセットリスト達は、まるで自分史みたいな作品になった感じだ。 何か一回生まれ変わった気分(そこまで大げさなものじゃないか・・・)
カラオケメンバーの一言から始まったんだけれど、このシルバーウイーク数日かけて素敵な振り返りが出来た。 その一言に感謝だ。
でも、本当はこの3日間くらいで別の製作作業もしていて、おかげさまでそっちもちょっと捗ったかな。。。
2009年09月22日(火) |
あ〜、ついに来る時が来てしまったなぁ・・・ |
ついにマジック1になってしまった・・・
なんとか目の前の胴上げだけは阻止してくれ!
連休明けに職場の人に「おめでとう」を言わなきゃならない自分がせつない・・・
久しぶりにあの場所に行った。 そこには何かあるような気がした。 でも何もなかった。 人の力では太刀打ち出来ない恐怖しか・・・
周囲は当たり前のような日常を過ごしている。 ただそれだけ。
いったい何があったのかは誰も分からない。
もしそこに残ったものがあるとした、悲しみに似た感情と、感謝に似た感情だ。 もっともっと話がしたかった。 同時に、オイラの所為で他の人に同じ思いをさせちゃいけないとも思った。
凶器の行き交うその場所は、当たり前の日常を過ごしていた。
久しぶりに、プライベートでカラオケに行った。 ここぞとばかりに、自分自身のヒストリーみたいな構成で順番に歌って行った。
1.「ルビーの指輪」寺尾聰 2.「銀河鉄道999」GODIEGO 3.「NEXTのテーマ〜僕らがいた〜」OFF COURSE 4.「青春の影」TULIP 5.「シャララ」長渕剛 6.「ff」HOUND DOG 7.「I LOVE YOU」尾崎豊 8.「僕は大人になった」佐野元春 9.「Any」Mr.Children 10.「僕の一番欲しかったもの」槇原敬之 11.「太陽の下」レミオロメン 12.「旅立ちの唄」Mr.Children 13.「3月9日」レミオロメン
初めて買ったアルバムやシングル、初めて人前で演奏した曲や、テレビで歌った曲など。 思ったことは、後半になって来るに連れて、曲の難易度も歌詞の内容の複雑さや歌詞の量もどんどん上がって行っているということだ。 何か情報化社会のヒストリーを音楽を通して感じた気がするなぁ。 いやしかし、こんだけ歌うとさすがに声も枯れがれ。 でも、気持ちよかった〜。
1ヶ月ぶりのナゴヤドーム。
言いたくないけど、既に順位が確定した感がある でも、まだマジックが0にならないかぎり可能性はある。 未来は可能性だ。
試合の方は前半から順調に点を重ね、ゆうこりんもびっくりの、ひらたりんのホームランで、勝負あり
これでこれでオレ流勝敗12勝2敗
2009年09月18日(金) |
Mr.Children Dome Tourチケット抽選予約 |
ついに始まったチケット争奪戦。 もちろんご多分に漏れずオイラも参戦。 とりあえず、ホームページ先行予約で挑戦。
結果発表は早速来週にある。 はたしてどんな結果が待ち受けているのか?
今回こそは夫婦揃ってMr.Childrenを見てみたいのだ!
2009年09月17日(木) |
ドラクエ9すれ違い通信成功! |
職場のメンバーの協力もあり、初めてすれ違いに成功。 メジャーな地図を頂くことが出来た。 反対にヘビーユーザーにはレベルの低い地図がいる模様。 オイラはレベルの低い地図をばらまきながらすれ違って行こうかな。
電車に乗らず、大型スーパーマーケットにもあまりいかないオイラには、なかなか難しいということは認識出来た。 数少ない電車で移動する機会などには、すれ違い状態で移動しようかな。
すでに昨日のことだが、めでたく結婚して14年を迎えた。 いやぁ、こうして数字にすると結構長いこと夫婦生活してるんだなぁと我ながら感心してしまう。
でも、今年の結婚記念日は嫁さんが治療中ということで祝杯はあげず、ご挨拶で終わることにした。
・・・とメールを打ってみたら
「忘れとった」
・・・・
・・・・
あれ? いつもならオイラが誕生日やらなんやら日付をすっかり忘れて怒られるところだが、今回は逆パターン。 うーむ、怒るも何もオイラがよく忘れるからとかそういう意味じゃなくて、何だか呆気にとられたりして(笑) まあ、嫁さん自身の身体のことがあったから、それどころじゃないんだよなぁ。
ま、これからもボチボチと夫婦生活をやって行きやしょう。 来年の今日にはお互い健康な身体で祝杯があげたいな。
2009年09月15日(火) |
名古屋平成中村座「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)法界坊(ほうかいぼう)」 |
うむむ、ふりがなを付けんと読めん(笑) この演目は「隅田川続俤」が正式な演目名で「法界坊」は通称だとモノの本に書いてあった。
今年、オイラ的には最大の演劇イベントになるであろう、名古屋平成中村座。 本来だったら、嫁さんとこの日を目指してチケットをとったのだけれど、残念ながら免疫力を落とす薬を飲んでいる関係で、人の密集する場所はNGと言うことになってしまった。 代わりに急遽、芝居仲間にピンチヒッターをお願いした。
中村勘三郎が名古屋城二の丸に仮設小屋を建てて、1ヶ月間公演する名古屋平成中村座公演。 もともと名古屋は中村姓発祥の地であり、初代中村勘三郎の出身地であるとも言われている。 その縁あって、3年前には名古屋市中村区にある同朋高校の体育館で4日間の襲名披露公演の千秋楽を行っている。 そして今回は名古屋城に場所を移し、1ヶ月公演である。
仮設劇場は、仮設とは言っても立派な歌舞伎小屋になっている。 860席の江戸時代風の小屋は、空間そのものが歌舞伎の舞台セットとしての作品として出来上がっている感じだ。
芝居の方は、もう何というか、演劇ってこういうもんだっていう見所満載の素晴らしい舞台だった。 勘三郎と笹野高史、そして亀蔵の3人がとにかくやりまくる。 何をやりまくるって、上品なものから下品なものまで全身全霊を使ってアドリブかと思わせるような、しかも精度の高い身体能力で劇場中を笑いの渦に誘ってくれる。 まずはご挨拶代わりに笹野高史の超一流の下ネタからスタートした(汗) 何をしたかってことは、さすがに書けない(笑) 楽屋落ちも連発。 勘三郎は長男の勘太郎に親としてのダメ出しを連発。 橋之助には「三田寛子」口撃。 お客さんにも様々な口撃(笑) とにかく、いまやれる精一杯のアイディアを随所に盛り込んでお客さんを楽しませてくれた。 何故か、「燃えよドラゴンズ」の大合唱もあり、いまこの瞬間、この場所で、(昔の歌舞伎という様式を使った)いまの芝居をしっかりとお客さんと空間を共有して作っているって言う心意気がひしひしと伝わって来た。 演出的には、いろんな場所から役者を登場させたり、舞台奥の壁を取り払って、名古屋城の石垣をバックにしたりして、この場所でしか出来ないことをたくさんやってみせてくれた。 最後の桜吹雪に至る過程は圧巻だった。 その度に観客からは歓声が上がり、拍手が起き、涙が溢れ、本当に芝居ってこんな風に作って行くもんなんだぜぇというところを、余すところなく見せてくれた超一流のエンターテイメント作品だった。
お話的には、3時間の芝居ではあるけれど、とても単純な物語だ。 主人公の法界坊がお宝と女をゲットするために、ありとあらゆる手段を講じて手に入れようとするが上手くいかず、恋敵やお宝を管理する人たちを次々と惨殺する。 しかし、正義の味方が現れ、法界坊は命を落とすが、後に亡霊となって現れ、もういちど女をこの手に収めようと攻撃を仕掛けるも、菩薩像とお宝の力で退散させられるという話だ。 いまで言うところの私利私欲のために起こした猟奇殺人事件だ。
でも、このハチャメチャな法界坊を見ていると、気がついたら感情移入しながら見ている自分がいた。 もちろんオイラは女のために恋敵を殺したりしないし、人のお宝を持ってこうなんて言うことを日常的に思っているわけではない。 だけど、とても深層の部分では誰しも持っている私利私欲だったりするんじゃないかなと。 例えば好きな女の子(あるいは手に入れたいアイテム)がいれば、自分の良心や法律の範囲内で収まる手段であれば、ありとあらゆる方法で、その女の子の心をゲットしようとすると思う。 一度は恋に破れたとしても、もう一度這い上がって、また幸せをつかもうと努力をする。 でも人に迷惑をかけちゃいけないし、法律や常識や良心を侵してもいけない。 それは分かっているから、こうした舞台上の非日常の世界の主人公に感情移入をして、自分が出来なかったことを疑似体験させてくれてるんだなあと感じたし、一番最後の場面で、ものすごい桜吹雪の中、法界坊が退散するシーンを見て、感情移入している分、何故か自分も救われたような気になった。 何だか分からないけれど、グッと熱いものがこみ上げて来る感覚があった。 ここんとこ、いろんな出来事が重なっているが、本当にスッキリした。
見終わって、とにかくいいものを見ることが出来たなぁと、一緒にいた芝居仲間と語ることが出来た。 明日からまた元気に仕事にいけるような、そんな気がする。
Mr.Childrenの曲で最近お気に入りの曲の一つだ。
イントロから、何かホッとさせてくれるような雰囲気を漂わせている。 何度聞いてもいい雰囲気の曲だなぁ。 HOMEツアーの一番最後に新曲として歌った曲だったっけ。
歌詞を見るといろんな試行錯誤のあとがちょいちょいと垣間見える感じがする。 サビで「旅立ちの唄〜」というフレーズがあるけれど、ここは何となくもともと別の言葉が入ってたんじゃないかなって思ったりもする。 でも、どれをとっても唄として据わりが悪いから「旅立ちの唄〜」にしたのかなって感じる。 でもまあ、そんなことはどうでもいい話なんだけど。
ライブの最後に歌うことが前提だったかのようなこの曲。 大切な人とお別れすること自体はとても寂しいことなんだけれど、またいつかどこかで逢えるから、それまでは、もしも何かにくじけそうになったりした時に、ここ(ライブ会場)で共有した大切な時間を思い出してみてよ、その想像の中のオイラはちゃんと君の背中を押してるよ、というメッセージが汲み取れる。
この曲の素敵なところは、旅立ちの瞬間である別れを「おわり」だけど「はじまり」と表現しているところだ。 しかも「祝う」のだ。 お別れ自体はとても寂しいことなんだけれど、人生の終焉でもないかぎり、「終わり」は何かの「はじまり」だ。 例えば、恋人同士の別れは恋人という関係の「終わり」であると同時に、次の新しい出会いへの「はじまり」とも取れる。 現実にはそんなに素敵な気持ちでお別れ出来る恋人同士はいないじょ!と突っ込みが来るかもしれないけれど。 でも、何かの「はじまり」だから「お祝い」をする「最後の唄」として、その時その瞬間の関係はそれっきりというライブの一回性と重ねあわせて二度と同じ顔ぶれで同じ関係性で逢えないという現実をきれいに仕上げている感じがする。
オイラにとって「終わりなき旅」みたいに人生の応援歌みたいな一の曲ではないけれど、大切な人に贈りたい曲の一つだ。
どんなに離れていても、いつでも君のことを見守ってるし、そっと背中を押してるよ、それに、君の存在がオイラを勇気づけてくれているよというメッセージをこめて。
例えば、いままでの経験でいけば、芝居を観に来てくれたお客さんのように、その日その場限りの関係の大切な人もそういうメッセージを伝えたい人だったりする。
だから、今度芝居を創る時に最後の曲にしてみたいなぁと思ってみたり。。。 まだ台本もままならない状況だけどさ。。。。
いい曲は創作意欲をかき立てられるなぁ。。。。
そろそろ真剣に書き始めようかな。。。。
現在のBMI指数。 昨年の今頃25.3だったから、1年間での変化としては、かなり驚異的な数字かも。
でも、これ、先日の大腸内視鏡検査で強制的に下痢させられ、さらにその後3日間食事制限があって、ほぼ飲まず食わずで出て来た数字。 でも、検査前までには普通に22台前半まで来てたから、やっぱり急激に減ったんだよなぁ。
先日の検査でポリープがあったことがオイラを不安にさせる。 いくつかあるうちの大きなものしか摘出していない。 ポリープは放置しておくとガン化する物もあるようだ。
そんな不安を口にする度に「ちがうよ」とあっさり言ってくれる人や、「点在するポリープはガンじゃないよ」と専門的に安心させてくれる人たちがいる。 なんとかその人達に良い報告が出来ればいいなぁと思うんだけど、こればっかりは2週間後の検査結果を聞きに行くまでは分からない。
22.00がBMI指数としては最も健康的に長生き出来る数字だ。 あとちょっと頑張ればその数字に到達出来る。 でも、もしものために体重が減ってるとしたら・・・・
オイラの人前結婚式で、仲介役を勤めてくれたオイラの師匠の座右の銘が「最悪の結果を考えて最善を尽くす」と言うものだ。 このまま当てはめると遺書まで書いてかなりへこんでしまう結果になってしまうが、でも、そういうことだ。 楽観的に考えることが今は最善を尽くすことだと思う。
ちなみにオイラの座右の銘とまではいかないけれど好きな言葉は「変わらない、そして変わり続ける」だ。 意味はそのとおりのことで、何も変わらなくても思い方一つでいろんなことが変わって行く。
いろいろと言葉をくれた皆様ありがとう。 今はその言葉だけで癒されますです。
ああ、2週間後に、「なんてことなかったです」と笑いながら報告したいなぁ。
発売日にゲットした割には、いろいろとあり一歩も冒険に出られていない日が続き、周囲には(きっと)追い越されており、いまだ本編をクリア出来ず。 そんなわけで、まずはこんなものに頼ってみようかなと。 ネットで調べるのもいいけれど、それはそれでまたコアな領域に入った時に必要なのかなと。
しかし、毎日DSを持ち歩いているにもかかわらず、誰にもすれ違えず。 ああ、誰かすれ違ってくれ〜。
2009年09月11日(金) |
山本昌205勝目!! |
このタイトルの日記をやっと更新することが出来た。 長かったなぁ〜。 ほとんど1年ぶりだもんなぁ。 何にしてもとても嬉しい。
ついでに(失礼!)井上一樹の涙のタイムリーは、ちょっと来るものがあった。
ドラゴンズとしては、クライマックスシリーズに向けて明るい材料が一つ増えた。
いよいよやって来た大腸内視鏡検査。
10時に現地到着。 そこから、ニフレックスという下剤を2時間かけて2リットルごくごく。 便の色がほぼおしっこの濃い感じなるまでトイレに行くのを繰り返す。 強制的に下痢状態にするんだけれど、本物の下痢よりは非常に楽だった。 しかし、このニフレックスがとにかく不味い。 ポカリスエットの出来損ないみたいな味がする。 他の患者さんはタオルで口を押さえながら、なんとかこなして行かなければならないような、そんな悲惨な味だった。
そして、便の色も完璧になり、ついに大腸内視鏡検査。
痛いと聞いていたが、とにかく痛い。 お尻のアナは痛いし、腸に送り込むガスも痛いし、内視鏡が動くと痛いし、とにかく苦痛の時間が続いた。 時間も他の人よりもかかったようで、途中で、他の看護師さんがやって来て「まだ終わらんの?」「分かんない。」と言う話を、うんうん唸っているオイラの横でするのだった。 件数が多いのははかるけれど、それでもTPOをわきまえて会話してほしいと思う。
大腸の中にいくつかポリープが発見された。 一度にとるには数が多いので、この段階で「来年もやろうね」と宣言されてしまった。 この苦痛な状況をもう一回経験しなければならないかと思うと、余計に苦痛がますのだった。
目だった大きめのポリープを2個摘出。 検査に回されることになった。
検査は永遠の時間に感じたが、普通の人は30分程度かかるところを、オイラは倍くらい時間がかかったようだ。
検査が終わってからはもうぐったり。 空腹も相まって、家に帰ってからも何もする気力がなく、ひたすら眠り続けた。
今月末に検査結果が出る予定。 ポリープが良性であることを祈るばかりだ。
2009年09月09日(水) |
応急危険度判定士講習 |
大地震が起きた時に、家屋の被害状況を調査し、危険度を判定するお仕事の講習を受けた。
オイラのように、建築士資格を持たない行政職員は、市町村災害対策本部で、応急危険度判定士のコーディネーターとなる役割だ。 本当はこんな仕事を実際にやることにはなってほしくはないのだが、もしもの時に被害を拡大させないためには大事な仕事になる。
講習会の前半戦は、こうした具体的な判定士の仕事についての説明だった。
そして後半戦は、地震についての講義だ。
建築界の重鎮による講義だったが、その内容は実に胸に突き刺さるものだった。 昔から大地震が起こると社会が変わる。 直近の話で言えば、関東大震災が起こり、国が抱えた借金が国家予算ではどうにもならなくなり、アジアに攻め入った一つの引き金となった。 同時に、東南海地震で多くの軍需工場が操業不能となり、太平洋戦争終結の引き金のひとつとなった。
この30年先までには必ずくるであろう東海大震災や首都圏直下地震での被害は、国家予算を遥かに超える規模と言われている。 超高齢化社会を迎えたとき、国家が維持出来なくなるくらいの地震に見舞われると、取り返しのつかない状況に追いやられる。
この講義で訴えかけられたのは、一つには地震が起きた時に建物が一つも壊れないように、耐震補強をしっかりとすること。 阪神淡路大震災のように、密集市街地で一棟でも倒れて失火が起こるとたちまち焼け野原が出来てしまう。 人的にも経済的にも損失が非常に大きくなる。
更には、重要な建築物の建替えが必要であると訴えかけられた。 例えば東京には様々な官公庁や大企業の高層ビルが建っているが、その多くは交通の便のいいところに建っている。 JRの駅名からして分かることは、田んぼだったり谷だったり、あるいは水に関する駅名も多く存在する。 これら場所は基本的に昔は湿地帯だった場所であり、埋めたてられて出来た地盤だ。 そうした場所では、同じ地震の波が来ても揺れ方が大きく違う。 関東大震災で甚大な被害が出た場所は、そうした場所であった。 早急に、重要な建築物の場所を移設する必要があると講師は訴えるのだ。
そして名古屋もご多分に漏れずなのだ。 名古屋が昔から形成していた城下町以外の部分は、ほとんどが湿地帯であり、もしもの時の揺れも大きくなる。
でも、これから一度に地盤の弱い場所の建物を移動させることは不可能に近い。 まずは、せめてもの対策ということで、家具の固定や建物の耐震補強で被害を少しでも減らして行く必要があると。
そして、講師である建築界の重鎮は重ねてこんな話をした。
建築家である我々が、地番のことをちゃんと理解せずして、街を巨大化させてしまった責任がある。 それは、薬害エイズの話と同じように責任を問われる話だ。 そして、現段階では大地震対策は建築家だけで手に負える問題ではなくなってしまった。 この先、未来の世代に今の繁栄を残して行くためには、たくさんの人たちと手を組んで、大地震対策をしていかなくてはならないと。
非常に身につまされる重要な話が聞けたと思う。 まずは、自分自身の家から地震対策をしっかりやって行かなきゃならないなと、心底感じたのだった。
初めてのプロ野球での甲子園。 リニューアルしてからも初めて。 いままで高校野球で見て来た甲子園とはまるで違う球場になっていた。 きれいないい球場だ。
ここに来る途中に、神戸の町並みを散策したがいろんな発見があって面白かった。 ガード下の靴屋街や、陣内「元」夫妻が結婚式をあげた生田神社や、平日なのに何故か沢山人がいる三宮を楽しんだ。
さて、試合の方は生田神社で必勝祈願をした甲斐があって、7−0で見事完封勝利! 1、2番が出た回をしっかり得点する形を作れたことが勝利を呼び込んだ。
いやぁ、しかしやっぱりお外のナイターは素晴らしい。 夕闇が辺りを包むにつれてワクワク感も向上していく。 ここに集ってるみんなが、ある種の共犯者意識をもって楽しめる空間になっていくのだ。
これで、オレ流勝敗11勝2敗
2009年09月07日(月) |
そして6週間・・・いよいよ退院へ |
嫁さんの病状が安定して快方に向って来たので、明日退院出来ることになった。
しかしながら、これで治療が終わったわけではなく、これからまだまだ長い治療が続いて行く。 そして10月にはもう一回入院して扁摘オペをしなければならない。
退院はしたけれども、これからが本当の治療本番になる。
寛解を目指して力を合わせて頑張って行こうとおもう。
今まで嫁さんにエールをくれた皆様、ありがとうございました。 そしてこれからもよろしくお願いいたします。
「寛解」=(かんかい:病気を持ったままだけど日常生活にさしさわりないくらい回復する意)
2009年09月06日(日) |
つボイノリオさんからの贈り物 |
CBCから封筒が我が家に届き「金太まけるな」ステッカーが入っていた。
4月の還暦記念コンサートのあと、CBCのホームページに感想を送ったからかな。
とは言っても、もう半年近く時間が経っていたから、カキコミしたこと自体記憶の彼方に(笑)
あれから、つボイノリオは軽い心筋梗塞で暫く休みが続いていた。 最近やっと、脱メタボ対策を敢行しつつ、元気な姿を見せてくれた。
まだまだ長く活躍してほしいと思う。
2009年09月05日(土) |
MOVIE「20世紀少年〜最終章〜」 |
ストーリは整理されていてとっても分かりやすかった。
幼少期の勝俣とケンジのやり取りがきっかけで、「ともだち」に繋がって行く。 そうしたことを本当に丁寧に見せてくれた。 前半戦の回想シーンはもうちょっと短くてもいいジャンておもった。
最終的に見終わった気持ちでいけば、マンガは越えられなかったなぁということだ。 特におもったのは実写の分、スケール感が映画の方が限定されてしまっていて、もう一つ想像力に響いてこなかったなぁ。 そういう意味で言うと、まだまだハリウッドまで距離があるかなと
でも、ほんといい映画だったとおもう。
カンナかわいかったなぁ(笑)
おそい時間なのに、頭の中をチューリップの「人生ゲーム」とMr.Childrenの「終わりなき旅」と松任谷由実の「リフレインが叫んでる」が交互に駆け巡って目がさえている。 曲に今置かれている状況がモロ反映されてるわけじゃないのに、何故かこの3曲。 それに何故か今頭の中で聞いても味わいぶかい曲だとしみじみと思ってしまっている。
崖っぷち!
嗚呼、吉見がこれ以上ないってくらい打たれて撃沈(T-T)
てなわけでオレ流勝敗10勝2敗
連敗m(__)m
2009年09月01日(火) |
なんだかんだで5週間 |
選挙やら防災訓練やらで、なんだかバタバタしているうちに、時間は過ぎていく感じだ。
嫁さんの治療も前半戦の山場を越えた感じで、先週の報告から一週間のびちゃったけど、お医者さんから来週には退院できるというお墨付きが出た。
でも、これからが大変なんだって思う。
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