体育館で行う万博のイベントの関係で、セネガルの人がやってきた。 生まれて初めてアフリカの人と握手をし言葉を交わした。 地球の裏側にいた人とコミュニケーションができて、なんだかすごく感動した。
今日は休憩!!
核爆弾をテーマにした博物館がアメリカにオープンした。 内容は「アメリカの核開発がいかにして世界に平和をもたらしたか」という趣旨らしい。 中には核爆発体験施設やキノコ雲をデザインしたグッズショップなんかがある。
核は娯楽なのか?
その映像を見ながら、何か吐き気のようなものを感じた。
少なくとも広島・長崎ではキノコ雲の下で多くの命がなくなっている。 それをジョークにしたりする(そこの館長談)のは、さすがに許せないと思う。
いつまでアメリカは世界のルールのつもりでいるんだろうか・・・・
2005年03月28日(月) |
行財政改革プロジェクト会議 |
この日は4月23日のイベントに向け、担当同士の下打ち合わせだ。 いよいよ本格化する行財政改革の流れ。 テンションを落とさず、頑張ってやっていきたい。
ちょっと休憩。
親戚関係で2つも立て続けによろしくないお知らせが届いた。 そのうち一つは、これから生まれくる命についてのことだ。 ふとした瞬間に考え込んでしまう。 答えの出ない問いに答えを出さなければ行けない当事者たちの気持ちを思うとやるせない・・・
うーむ、イランの方が一枚上だったなぁ〜。 いい形は何度も作ってたけど、12万人の12番目の選手に押されてる感じだったなぁ。 如何せんシュート数が少なすぎる。 そこに行くまでに流れが途切れてしまう。 競技場の芝にも苦労してたし。 アウェーはやっぱり難しいんだろうな。
があると思って期待したけど、来年もまたもや同じ職場。 うーむ、土日出勤か・・・・ 変わりて〜(泣)
芝居が終わってから今日までの3日間、ほとんど誰とも話をしていなかった。 もちろん仕事にも行ったし、家族とも生活しているので、そういう話はする。 でも、なんとなく自分の中にぽっかり穴があいた感じがして、昨日に至ってはただただ一日眠りこけていた。 だけど、今日仕事に行って、やっと世間の生活のペースにヒキヅラレながら社会復帰した。 ついでに、接骨院に行って電気治療とマッサージをしてもらい身体のリハビリ(社会復帰)もしてみた。 明日は、いわゆる異動の内示だ。 ほんとは今の仕事を変わりたいところだが、上司が動く公算が強い。 そんなわけで、きっと留年であろう。 淡い期待を描きながら明日を迎えるのだった。
2005年03月22日(火) |
劇団Beans10周年メッセージ |
この10年 いろんなことがあったけど 本当に楽しかった でも、 少しだけ苦しかった(笑) そんなとき いつも支えてくれたのは 仲間であり 友人であり 家族であり 「あなた」です 本当にありがとうございます
芝居は奇跡です 今この場で 偶然にも集まったみなさんが 泣いたり・・・ 笑ったり・・・ 気がつくと いつの間にか こころをひらいてる ひとつになってる
こんな奇跡を 続けることができた 必然と偶然に感謝します
劇団Beansは これからも こんな奇跡を あなたと一緒に 創り続けていきたい
2005年03月21日(月) |
第17回公演「けれどスクリーンいっぱいの星」パンフ掲載ごあいさつ |
ごあいさつ
いよいよペナントレースも開幕。ウッズ加入で今年のドラゴンズからますます目が離せなくなってきました。
そういえば昨年この芝居の稽古が始まるころ、僕は生活の一部のようにナゴヤドームに通っていました。 それはそれは幸せな日々でした。 しかし同時につらい日々でもありました。 あんなにナゴヤドームで強かったドラゴンズなのに、僕が見に行くととにかく負け続けるのです。 昨年の成績は14試合で3勝11敗。 勝率.272。 その最たるものは日本シリーズ。 ナゴヤドームで行われた4試合のうち1戦、6戦、7戦と全て負けて50年ぶりの日本一を逃してしまったのです。 ある劇団員からはナゴヤドームに近づくなといわれました。 でも、ドラゴンズだって負けて胴上げしてるからいいや、などとよく分からない理屈で自分を慰めたりもしました。
それでもある意味幸せなことに、昨年ナゴヤドームで2回の胴上げを見ています。 一つは西武ライオンズの日本一の瞬間(泣)。 そしてもう一つが川崎の引退試合です。 川崎はジャイアンツキラーの代名詞と共に鳴り物入りでヤクルトからドラゴンズに移籍してきました。 背番号はエースナンバー20。 ところが、あっと言う間に肩を壊し、昨年のペナントレース開幕戦で先発に起用された以外、4年間何も仕事をしないままドラゴンズを去っていきました。
そんな川崎が目の前でドラゴンズとスワローズ両軍の選手に胴上げされているのです。 僕はこの胴上げを見ながら涙が止まりませんでした。 どこか自分に似ているような気がしてならなかったのです。 それは決して裏方である演出の自分を投影したわけはなく、自分自身が元々夢見た世界に対して川崎と同じ故障で挫折を味わったからです。
僕は大学時代槍投げの選手でした。 当時、ものを遠くにとばすことなら誰にも負けないと思っていました。 日々トレーニングに明け暮れ、今では考えられないような体型をしていました。 大学2年になって槍の記録も伸び始め、今までつらかった陸上競技がだんだん楽しくなってきた矢先のこと、右肩に強烈な痛みが走りました。 川崎が「心臓を刺すような痛みだ」と自分の怪我について語っていましたが、まさにそんな感じです。 走っても歩いても寝ても痛いという状況で二進も三進もいかなくなり、まずは自宅近くのお医者さんに向かいました。 そこで受けた処方のとおりトレーニングを続けました。 ところが状況は一向によくなりません。 焦った僕は、もう一件のお医者さんのドアをたたきました。 そこで言われたのは「どこの医者だ、そんな処方をしたのは。競技はあきらめなさい。」というものでした。 当時の僕が今ぐらいの大人だったら、きっとその医者を医療過誤かなんかで訴えていたんでしょうけど、20歳そこそこの自分にはそんな知恵はなく、お先真っ暗になった道の前に立ち止まるしかなかったのです。 そんなころ、「お前、競技できんで暇だろ。主将やってくれ。」といわれ、裏方に回ることで表舞台で活躍する人たちのバックアップをすることにしたのです。 それは自分の性に合ってる合ってないということではなく、このまま陸上に関わっていける方法は、それしか道がなかったのです。 それに、これまで競技を続けてこれたのも、こうした仲間がいたからに他ならないし、だったらこの人達を支えていこうと思ったのです。 もちろん現役への復帰をずっと模索していきました。 この肩の痛みから解放される方法や、反対に騙しながら投げる方法やいろんなことを試してみました。 でも選手としては結局ダメでした・・・
そんなこんなでいろんな戦いはあったけど、卒業の時にはみんなに胴上げされ、涙を流してくれる人までいました。 あの時はっきりと僕は何かの役に立ったんだなということを実感できたのです。 何かになることは出来なかったけど、何かの役には立てるんだと。
きっとドラゴンズの中の川崎もそんな存在だったんだろうなと思えてならないのです。
そんなころから何かを支え続けるということに興味と喜びを感じ始めるようになりました。
気がついたら、今こうして劇団の代表になり演出も手がけるようになっていました。
でも思うんです。 やっぱり表舞台にたてる何かになりたいなって・・・贅沢ですかね?
本日はご来場誠にありがとうございます。
この芝居は僕みたいな人を勇気づけるための芝居です。 でも、難しいことを考えず、思う存分楽しんで頂ければ幸いです。
2005年03月20日(日) |
第17回公演「けれどスクリーンいっぱいの星」千秋楽 |
初日翌日が千秋楽。 もう一日くらいやりたいなと思ったりする。
実はこの芝居で劇団をしばらくお休みすることにしているので、この日はいろんな思いが交錯した。
芝居のほうは、笑いと言う意味での反応は少なかったものの、伝えたいメッセージがきっちり伝わった芝居だった。 7年前の初演から一皮も二皮も向けたすばらしい公演となった。 このメンバーでこの芝居ができてとても幸せな気分になった。
ちなみにこの日の2回目の公演の最後は、劇団Beans10周年ということで、お客さんと劇団向けのメーッセージを流した。 みんなに内緒でやったから、ビックリしたみたい。
2005年03月19日(土) |
第17回公演「けれどスクリーンいっぱいの星」初日 |
いよいよ17回公演「けれどスクリーンいっぱいの星」が開幕!
会場には予想を4割ほど越えたお客さんであふれ、急遽座席を増やしたりして対応した。 しかし、フリースペースな分客席作りは難しい。 夜の公演でお客さんの密が濃い日は要注意だ。 芝居がお客さんに負けてしまう。 特に自分たちのように公演回数を多く経験できないと、流れが悪い時の立て直しの方法も持ち合わせていない。 そんなこんなで、少し待ったりした感じの芝居になってしまった。 でも、何度も何度も客席を爆笑の渦に引き込んでいったので、今回の芝居の大事な部分の一つは持ち帰ってもらうことができたかな。
思い起こすと7年前にやった初演の用な雰囲気で芝居が進んでいったな。
明日は少し立て直しをはかって、もう一つの大事なものをお客さんに持ち帰ってもらおうと思う。
実は先週から腰に不安を抱えていて、この日をどうやって乗り切っていくかがとても不安だった。 でも、当初の野望どおり、翌日にやることが何もないところまで仕込みを完了することができた。 いやあ、よかったよかった。
行政の仕事に携わって10数年。 今にも壊れそうな愛知県庁には何度も足を運んだけど、今回初めて県議会議事堂にはいった。 しかも、出張の帰りなのでジャージ姿。 ゴージャスな建物にとても似つかわしくない格好だ。 そこで、久しぶりに藤川県議といろんな話をした。 内容はもったいないから書かないけど、自分にとってはどの言葉も一応に重たい言葉だった。 ちなみにこの藤川県議は「この世の中で唯一嫁さんのトイレ姿をみてしまった男」だ。 とかくと、政治家にありがちなスキャンダラスな話になりそうだが、実はそうではない。 オイラの結婚式の司会をしてもらったとき、その会場にはトイレが男女兼用で一つしかなく、嫁さんが鍵を閉めずに入ってしまったのが運のつき。 しかも洋式だから、藤川県議(当時役場の先輩)が扉を開けた瞬間、お互いはっと目が合ってしまった。 ということだ。 でも、県会議員という4年後の失業が前提の世界に飛び込んでいった先輩とこんなふうに話ができるのは、貴重な経験でありしあわせな経験だなと思った。
さあ!明日から仕込み!!
2005年03月16日(水) |
行財政改革プロジェクト |
業務改善シートについての提案を会議で行った。 これまでかなりの時間を割いてみんなで話し合ってきた成果なので、このまま行けると言う自信めいたものがあったりしなかったり。 一番気になったのは町長がこれでいいと言うかどうかだった。
反応は上々で、これで進めていこうと言う話になった。 いやあ、よかったよかった。
本番まで、あと3日だ!
またも休日出勤。
行財政改革プロジェクトの関係で、大学教授と打ち合わせのため職場の先輩と椙山女学園大学へ。 この日は卒業式だと聴いていたので、何となくウキウキしながら行っては見たけれども、学内には大学生は誰一人としていなかった・・・ そうだった、こういう人数の多い大学は名古屋市公会堂とか愛知県体育館とか、そういう場所で卒業式やるんだった。 そういえば、オイラも学内で卒業式ってやらなかったな。 半田の文化会館だったな。
その後CBCへイベントの打ち合わせ。 万博関連のイベントを体育館でやると言うことになり、それで急遽この日の昼に決まった打ち合わせだ。
帰りは悲しいことか激しい渋滞にはまり、高速で拘束と言うじゃれにならない状況に。 とほほ・・・
そういえば、昨日佐野元春の誕生日だと言うことをすっかり忘れていた。 今回の芝居にとっても関わりのある人だけに、俺としたことが・・・・と言う感じだ。 稽古の方は、できる限りたくさんの場面を繰り返しやりたいと思って、役者がいなくても通しをやっていった。 さすがに、2人しか役者がいなかった時はどうしようかと思ったけど、関わりの深い役者同士だったので、抜き稽古ができた。
そうそう、やっと理想に近い形に近づいてきた。 本番まで後1週間。
お客さんの前でこの芝居を見てもらえるのが、だんだん楽しみになってきた。
うーん、もう少し、後もう少しだ。
今悩んでいる仕事はこれ。 どんな書類を作ると職員がKAIZENに向かって気持ちを盛り上げてくれるか、それを模索中。 仕事量以上に考える時間が必要な仕事だ。
とりあえずベータ版を作ってみた。 プロジェクトの幹部にもみてもらった。
ドキドキ
ドキドキ
幹部「ふーん。わかった。もちょっと頑張れ。じゃあな。」
え?
それだけ・・・(泣)
更にそのシートのKAIZENをするのであった。
仕事が山積みになったけど、色々あって集中力が切れた。 仕方がないから、家でやろうと思って持ち帰って(もちろん個人情報のたぐいではないですよ)みたけれども、残念ながらやる気がおきず、久々にドラクエやって寝てしまった。 うーん、明日はどうなる・・・
何度も言うが、平日の稽古は少ない。 稽古前に集まってくる役者の出欠情報を見ると、ちょっとナーバスになってしまったりする。 でも、集まる役者によってやるべきところが幸いいろいろと見つかるものだ。 今日はそこを実感した稽古だった。 実は盲点だった部分を何度も繰り返し稽古することができたし、やるたびに楽しい世界になっていった。 でもこの場面、きっと稽古でこんだけやっても違うシーンになるんだろうな。 もちろんいい意味でだけど。
2005年03月08日(火) |
CD「徳永英明/My Life」 |
もやもや病から復活した徳永英明の、昨年リリースされたアルバム。 午前中床屋に行った時、有線から流れてきた曲がタイトルナンバーにもなっている「My Life」。 あまりに曲が素敵だったので、そのままHMVに直行した。
聴いてみたら、こりゃあよかった。 今の自分にはとても良く分かる心境だ。 アルバム全編を通して、自分自身を信じて迷いながらでもこの先の人生をどうにか生きていってやる、という野心を撃ちに秘めた心境が如実に現れている。 毎日愛聴できるようなアルバムではないけど、何か自分自身が迷ったり、立ち止まったりした時に一度ゆっくり聴いてみたいと思えるような、そんなアルバムだ。
ちなみに、ついでにウルフルズの「9」もかってみた。 血湧き肉踊る感じで良かった。
今までの疲れが出たのか、一日寝倒した。 そして夜に稽古。 前日の通し稽古で改善していきたい部分をやりなおしていった。
しかし、インフルエンザが劇団を見事に直撃している。 一人また一人と倒れていく。
うーん、この本番前の大事な時期に、こんな病気流行るな!
2005年03月06日(日) |
弥生生誕8周年&ソフトバレーボール大会&通し稽古 |
弥生が8歳になった。 8歳と言えば小学校2年生だが、時々大人の表情になる。 オイラにはできないような気遣いをさりげなくしたりする。 拓矢や秀次のリーダーになったりもする。 それって実は、長女だからなのかなと思ってみたり。 何にしてもこの日にうちにやってきてくれたことに感謝する日だ。
本当は弥生の誕生日をしっかり祝ってやりたいところだが、この日は多忙な一日だ。 オイラの残業の直接の原因の一つ、ソフトバレーボール大会の本番日だ。 準備が結構大変だったこともあって、本番で参加者の笑顔を見た瞬間、なんだかとてもうれしくなって、泣けてきたりした。 槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」がぴったりの心境になった。
そして通し稽古。 本当に久しぶりに役者全員が揃った稽古となった。 そのせいか、昨日の通し稽古に比べたら格段にレベルが上がったが、仕事に疲れた人が劇場にやってきて勇気をもらえる芝居になってるかどうかと言う点についてはまだまだだ。 アツい芝居になりつつあるが、もう一つ温度が上がりきらない。 あとすこし、あとすこしなんだよ。
本番までついにカウントダウンが始まった。 そういえば、旗揚げしたての頃って稽古場に黒板にいちいち「本番まであと○○日」って書いてたな。 今は、焦りを助長するだけなのでやらないようになったけど。 まあ、そんなこんなでケツに火がついた状態になった。
久しぶりに公演場所での稽古となったせいか、うーむ、と思わず考えたくなってしまう状態だった。 オイラが今まで作ってきた芝居ってこんな芝居だっけ?
環境が変わったせいでもう一つ乗り切れないというか、気持ちの伝わってこない通しになった。 割と焦ってきたオイラであった。
色々とやることが山積み。 そんなわけで、定時に仕事を終えることができず。
久しぶりに忙しいと思える状態になってきた。 そんなわけで、もう一がんばり。
そういえば88年以来差別を助長すると言われて絶版になっていた「ちび黒サンボ」が復活した。 きっとベストセラーになること間違いなしだな。
稽古前にプロジェクト会議。 自分の提案した業務改善シートが話題になった。 それだけでも収穫か。
そして稽古。 人数は少なかったもののやりたいと思っていた場面を作っていくことができた。
残業続きでお疲れのため休憩
2005年03月01日(火) |
CD「U2/How To Dismantle An Atomic Bomb」 |
恥ずかしながらこのアルバムが出てたことをつい先日までしらなくて、iPodの宣伝で「カッチョイイ曲だよな、アルバムいつだろ?」ってずっと思ってたくらい。
で、聴いてみた。
血湧き肉踊る、とはまさにこのことか!ってくらい素敵なアルバムだった。 何でもっと早く気づかなかったんだろうって後悔。 U2のいいところがギュッと凝縮されたアルバムだ。
これ以上余分な言葉はいらない。 ほんと、辛抱たまらんくらいいい。
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