う〜む。 まだ稽古にいけない。 フラストレーションのたまる日々。
しかしうれしいお知らせが一つ。 マツダのアテンザ2日間貸し出しキャンペーンに応募したら見事当選して借りられることになった。 今まで懸賞と言う懸賞、そして宝くじ、ナンバーズ、ロト6など様々なくじに外れまくっていた。
ここに来てやっと当選の知らせを受けた。 いや〜、よかったよかった。
そんなわけで、明日夜の対面を楽しみにしている。 どこに行こうかな。
あ、でも嫁さんの検診もつれていかなくちゃ。
とタイトルに書くとなんとなくかっこいい。 でも、未だ台本らしき文章は書いていない。
今までの経験からオイラの場合はどうもこんな順番で台本を書くらしい。 1、何でもいいから言葉をとにかく絞り出す。 2、絞り出した言葉から登場人物を考える。 3、ベースになる場所を設定し登場人物を想像の中で出会わせる。 4、物語を進める。 5、台本にする。
大体こんな感じだ。 ちなみに今のところは「2」の途中段階までしか進んでいない。 だけど、登場人物が出来たら台本を書く為の大事な部分はほぼ完成する。 今はまだ登場人物が出てこない。 後少しなんだけど。
今まで何度も劇団Beansのオリジナル作品をめざして何度も台本書きに挑戦した。 しかし、途中で挫折したものや人に見せて意見聞いて没にしたものや、様々な壁にあたりこの世に出ていない。 今度こそはと思う。
「壁」はそれを乗り越えられる人の為にある・・・はずだ
今朝、夢を見た。 テロリストに拘束された友人を取り戻しにいったら、オイラも拘束されて人質になり車で連れまわされ、殺されかけると言う夢だ。 やり残したことがたくさんあって泣きそうだった。
その夢から覚めたのは拓矢の泣き声だ。
拓矢の泣き声をおぼろげに聞きながら、病院での産声を思い出した。 そう言えば、生まれる時って泣きながら出てくるんだよな。 そうおもったら、せめて死ぬ瞬間くらいは笑っていられたらなと、思った。
なかなかそんな人生はおくれないかもしれない。 だけど、そんな終わりを目指していければと思う。
逸話の一つにこんな話がある。
昔々、太陽と月は兄弟で、月も太陽と同じように光に満ちあふれ一緒に地球を照らしていた。 ある日のこと月は兄である太陽に「毎日地球を照らしているのに人間たちだけが感謝してくれない。いっそのこと人間たちを焼き殺してやる。」といった。 太陽は「そんなことはない。彼らなりに私たちに感謝しているではないか。」と月をなだめようとした。 しかし、月は人間達を襲おうとした。 「やめないか!妹とて容赦しないぞ。」と太陽が怒鳴ったとたん月からまばゆい光が消え失せて、うっすら光るだけになってしまった。 月は大いに悲しんだけど、太陽は優しく語りかけた。 「そんなに泣くんじゃない。おまえは私がいない夜の間地球を照らしておくれ。人間は闇が嫌いだからきっとお前の光を見て感謝するさ。」 それ以来、太陽は昼を、月は夜を照らすようになった。
夜空を見上げる度、空にポッカリ浮かぶ月。 時にとても悲しく切なげに見えるのはその所為か。 だけど、真っ暗闇になりかねないこの世界をほんのりと優しく照らしてくれる。 ますます月が好きになっていくのだ。
昨日トヨタに向かう車中のことだった。 車窓越しに自衛隊の輸送機が飛び立つのが見えた。 弥生が「どこにいくのかな?」と聞くので、「イラクだよ(ほんとはまずはクウェート)、いきて帰って来れない人もいるかもしれないね」と。 車の運転中にもかかわらず熱いが込み上げてきてしまった。 また今日も陸上自衛隊と海上自衛隊に派遣命令が出た。 平和憲法を持つ日本だからこそイラクに行かなければならない大義名分は整っている。 彼等は決して戦争に行くわけじゃない。 だけど、戦わなくてはならない。 そういう国に生まれてそういう仕事に就いた宿命だから仕方がないといえばそれまでだ。 しかし、なんともやるせない気持ちは残る。 願わくば、誰一人として命を落とさず、そして現地でも人を殺さず任務を遂行して欲しいと思う。
久しぶりに、若くてかわいいイカス女とデートだ。 午前10時30分に出発の約束をした。
時間どおり彼女を助手席に乗せ豊田の映画館へと向かった。 何故豊田か? 既に封切り後時間が立ち、そこでしかやってなかったからだ。
その映画のタイトルは
「とっとこハム太郎」 「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ」
の2本だて。
そう、弥生とデートだったのだ。 弥生も一日楽しそうにつきあってくれたし、とても素敵な一日だった。 それに、この二本の映画が意外にもとても面白かった。 とくに「ハム太郎」は予想外の出来。 思わず涙腺を緩ませている俺がいた。 ゴジラも久しぶりに映画館で見たけど、相変わらずのゴジラさ加減が素敵な一本だった。
2004年01月25日(日) |
育児休暇一時中止で稽古参加 |
今日は久しぶりに稽古にいった。 まだまだ稽古は育児休業中だけど、公民館職員が夜の行事のため誰もいないと言うことで、同じ生涯学習課の職員であるオイラが鍵当番ということで、半ば仕事で参加となった。
久しぶりに稽古場のドアをくぐった瞬間、今まで遠ざかってきたオイラを暖かく包み込んでくれるようなそんな感覚を覚えた。 こんな感覚は本当に久しぶりだ。 時間に来た時にはまだ誰もいなかったけど、だんだん人も増えてきて稽古場らしい活気に満ちた空間だった。 久しぶりのオイラの言葉もちゃんとブランクなく役者たちが受け入れてくれた。 ここにいる人たちがいて今の自分があるんだなあと言うことを実感させてくれた。 とても楽しく苦しく、そして心地いい時間だった。
故郷は遠きにありて思うもの。 そんな言葉が頭をよぎった。 本番まであと2か月をきった。 これから芝居づくりの正念場だ。
早く稽古に完全復帰したいものだ。
拓矢、早く大きくなれよ(無理か・・・・)
2004年01月24日(土) |
弥生「山名っ子発表会/王子様の耳はロバの耳」 |
本日弥生さん、小学校の発表会でハレの舞台。 「王子様の耳はロバの耳」という元ネタをパロったのかどうだか分からないタイトルの劇だ。 芝居でも演劇でもミュージカルでもなく「劇」だ。 弥生さんの役は「葦」の役。 「王子様の耳はロバの耳」と言えなくて困っている散髪屋さんが、穴を掘って自分のストレスを大声にして埋めた、その場所から生えてきた「葦」の役だ。 風に吹かれると「お・お・じ・さ・ま・の・み・み・は・ろ・ば・の・み・み・・・」としゃべる葦なのだ。 台詞はそれ一個。 弥生さんは、この日の為にご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、寝る前も、何度も何度も練習を繰り返していた。 この姿、どこかの劇団員に見せてやりたいと思った、、、、あ、見てるかオイラが。 それはそれは健気な姿であった。
さて、本番、見終わったあと怒りがふつふつと湧いてきた。 予想していたとは言えこれほどかい、という怒りが。 この発表会の場は、この一年子どもたちと先生がどんな風に暮らして来たかと言う発表の場だ。 オイラには残念ながら、この発表の向こう側に、先生が怒鳴り散らしながら無理矢理子どもたちを型にはめて動かしている姿しか見えてこなかった。 子どもたちの自主性や想像力なんかはどこにもなかった。 まだ1年生だから、と言う人もいるかもしれないが、1年生だから想像力を伸ばしてやる方向にいかないと、と思いながらみていた。 型にはめることなんていつでも出来る。 今しかできないことがあるんじゃないのかな。 そう感じざるを得なかった、きょうの発表会だった。
遂に言葉が溢れてきた。 待ち望んでいた瞬間だ。 しかしよりによって、それが昼飯食いにいく車の中。 さっそく近くの駐車場にとめて、携帯電話にかちゃかちゃやって、パソコンに送信した。 結局A42枚くらいの言葉が出て来た。
まだ物語になってない言葉の断片たち。 これから物語を紡ぎ出そう。
職場にわらび座の営業の女の子がやってきた。 なんでも、隣の犬山市でミュージカル公演があるからということで、その宣伝をしに教育委員会へいったら「芝居のことならあいつに聞け」ということでオイラのことを紹介したそうだ。 どうもこの近隣の演劇関係者をあたりたかったらしい。 町内の劇団や、近隣市町の劇団演劇関係者と紹介してあげた。 でも、この近辺に劇団は数少なく、既にいろいろと回ってきているようだ。 だったらということで、町の知り合いで人脈が広く一番信用できる人を紹介した。
彼女は岩手から名古屋に出てきて、今年わらび座に就職したてのほやほやの営業マンだ。 劇団で営業専門の人を本拠地ではなく地方に置けるというのはうらやましい、とおもいながら、いろんな話を聞いた。 とにかく清々しいくらいまっすぐな人だった。
彼女が一番声を大にしていってたことが 「こうやっていろんな場所に出かけていろんな人とつながっていけることが素晴らしい」
彼女よりちょっと人生を余分に経験してしまったオイラは、 「でもね、それが仇になる人生もあるのよ」 とちょっといじわるなこともおもいつつ、それよりも 「そういえば、就職したての頃って、俺もこんなふうだったよな」 なんて、思わず思ってしまっていて、そう思っている自分に驚いて、そして若さってこうやって飛び込んでいく勇気のことだよなとしみじみ感じてしまって、そう思っている自分に更に驚いて。 だけど、これから人生を歩んでいく上で身に付けていかなくてはいけない武器と、捨てていかなくてはいけない荷物があって、ちゃんとそれを見極めながら大きくなってほしいとも思うのだった。 でも、その彼女のまっすぐさはいつまでも失わないでいて欲しいと、ちょっと人生を余分に経験してしまった大人は思うのだった。
うわ! 自分のこと大人って自分でいってる・・・・なんてこった
2004年01月21日(水) |
第16回公演打ち合わせ |
現在稽古を育児休業中のため、演出方針を稽古中の劇団員に伝えるべく打ち合わせを行った。
幸い、土日に行う通し稽古をビデオにとって数回見ているんで、何とか今の状況は把握できる。 さすがに現場の雰囲気まではビデオはつれてきてくれないから、ややグレーゾーンを保留しつつも、それを見て毎週指示を出してきた。 そういう意味では劇的な変化は難しいまでも徐々にいい感じになってきていると、現場で戦っている劇団員たちに感謝するのだった。
芝居の輪郭の部分はちゃんとできあがってきていて、これから必要なのは輪郭の中身を埋めていく作業になる。 個人的には芝居に魂を入れる作業と思っている。 それは、現場で行っていくしかないので、育児休業を終えてからになる。 しかし、演出としての自分らしさをどこかで出したいという欲求と、その欲求を保留して集団で出してきた答えをそのまま進めていく方法と二とおりある。 今の段階では。
どちらを選択するかは、幸い今週末に一度稽古場で劇団員と一緒に芝居作りできる時間がもてる。 その感触を見て決めていこうと思っている。
2004年01月20日(火) |
施設予約システム構築会議 |
県庁で会議の為に休日出勤だった。 市町村の施設予約システム構築の為の会議で、愛知県内88市町村のほとんどが参加した。
数年後には愛知県内のほぼ半数の体育施設文化施設の施設予約手続きがネットワークを利用した個人認証システムでの手続きになるようだ。 なんだか腑に落ちないと思いながら、それもまた時代の流れかとあきらめる自分もいたり。 でも悔しいので、ちょっと質問をしてみた。
「既存の窓口対応での手続きは切り捨てか?」
答えは
「Yes」だった。
システム改編の時はAll or Nothingという厳しい姿勢で臨んでいかないと、完全に軌道に乗せることは難しいと言うことだ。 いってる意味はよく分かる。 その気持ちもよく分かる。 だけど、今まで施設を利用してもらう為に足で稼いできた過去がある。 それを、一気に否定していくことになる。 そこんところのせめぎ合いが、そこの職員にもジレンマとしてしばらくは残るんだろうなと思う。
ちなみに今回の会議でこのシステムの入札予定価格が公表された。 おや?と思うかもしれないが、こう言う何年もかかって作り上げていくシステムには「総合評価一般競争入札」と言う手法がとられる。 簡単な話、一度落札した業者がその後何年も継続してシステムに携わっていくわけだから、最初低価格で入札してその後利益を上げようというやり方を防止しようとする方法だ。 だから、最初の年はこんだけの予算でスタートしますよ、と言うことを公表して、入札の時にその後何年間かの計画表を業者に出してもらい、システム構築の案とその時の必要価格を何人がよって会議をして、それで、業者を選定してくと言う作業をするのだ。 昔の1円入札や0円入札を許しませんよと言うことなのだ。
え?予定価格がいくらかって? それは報道を御覧下さいな。
今日から家族7人の生活がスタート。 嫁さんと拓矢が帰った来たのだ。
恥ずかしい話だが、嫁さんがいない間はとても寂しかった。 出産して病室に入る度に心に陽がさしてくるような、そんな感覚があった。 嫁さんは自分にとって太陽なんだと思った。 嫁さんが家に帰ってきて、やっと我が家に陽がさしてきたような気がした。
これから家族7人、ぼちぼちと生活していこうと思う。 そして、人生の伴侶として選んだ嫁さんと、もっともっといろんなことを共有できたらと思う。
ホームページ上にこうしていろんな言葉を書いているけど、いざ台本となると筆が止まってしまう。
自分自身の気持ちを素直に書けばいいけど、素直な言葉になってこない。 どことなく観客はこんな気持ちになるんじゃないだろうか、ここはこんな風に分かって欲しい、っていう色気がムンムンしているラインになって、やせっぽっちな稚拙なラインになってしまう。
これじゃあダメなんだ。 役者に心開け、って言ってるわりには、書こうとしている自分が心を開けていない。 今抱えている矛盾を見ず知らずの人に開示することに臆病になっている。
それじゃぁダメなんだ。 きれいなままの自分だけ見せて生きていこうと思っている。 そんな奴は、人の心を動かすようなものなんかつくれやしない。
小手先だけじゃ何も変わらない。 そんなことは分かっている。 分かっているけど先の一歩に踏み出せない。
朝方、外に出ると時々月と太陽が空に同時に見えることがある。
太陽はその光を解き放ちながら、やがて世界を自分の色に染めていく。 月は太陽の光が強くなると同時に、その存在を消していく。
やがて月の姿が見えなくなる。 でもそこに確実に存在し世界を見ている。 確実に世界を見続けている。
太陽は世界を強烈に染めていくけれども、沈んでしまうと闇に包まれる。 まるで何もなかったかのように。
それでも月はそこにある。
太陽にはなりきれない僕は、月のように存在したい。
2004年01月16日(金) |
DVD「ダイハード」 |
「ダイハード」とは決して「激しく死ね」という意味ではない(笑)
これはたまらなくおもしろかった。 エンターテイメントの王道を行くような、そんな映画だ。 お話もうまく作り込まれているし、何よりもブルースウイリスの芝居がおもしろい。 そしてかっこいい。
あざとい演出もたくさん盛り込まれているけど、これがまた妙にはまる感じがすてきだ。 うちの芝居もこんな感じになればいいなあと思いながら見た作品だ。
2004年01月15日(木) |
ドラゴンズユニフォーム一新&DVD「マイノリティーレポート」 |
ドラゴンズのユニフォームが今日発表になった。 後ろ姿は結構かっこいいものがあるが、胸のロゴがなぁ・・・・ あの筆記体の「Dragons」は残しておいて欲しかったなあ・・・ どうも強そうに見えないんだけどな・・ うーむ。 気持ちは微妙・・・
スピルバーグ監督のDVD「マイノリティーレポート」を見た。 未来の世界を描写する映画はいつもそうだけど、これから進んでいく未来へのメッセージが含まれていると感じる。 A.I.の時もそうだったけど、見終わった後に何か苦虫を噛んだような、そんな思いが残る。
特に今回は、自分で物語の中では「禁じ手」と思っている、予知能力の話だ。 予知能力はあっても絶対に使ってはならないし、それを知らしめてはいけないと思っている。 自分の未来は自分の手でつかんでいくものだし、先がわかっていれば人は何の努力もしなくなってしまう。 そして未来はわからないからおもしろい。
未来のわかる世界には何の魅力も感じない。 だから人の未来を限定的にしてしまう占いにも興味がない。 もちろん、もっと努力をしなさいというメッセージの込められた占いは好きなのだけど。
この物語でも結局のところ未来予知システムは破綻を来すことになる。 それは、殺人を予知することで殺人を予防するシステムが、人を殺すシステムとして使われてしまったからだ。 もちろん、未来を予知したいという開発者や科学者の夢は確実に存在する。 その夢が形になったとき、どんな使い方をされればいいのか。
そんな警告を込めたメッセージが映画の全般にちりばめられていた。
正月ボケというか、お目出度ボケからやっと目覚める事ができはじめてきた。 この2週間、いろんな事を考えてきた。 家族のこと、仕事のこと、そして芝居のこと。
しばらく悶々とした日々が続いていた。 このままでいいのかよくないのか・・・ 自分の中に何もなくて、ただぽっかり穴が空いているような、そんな感じだった。 どこか欠落した自分から逃げ出さなくちゃ・・・
そんな時たまたま見ていたMr.ChildrenのDVDからAnyという曲が流れてきた。 その曲を聴いたときに「はっ」と我に返った。
それはそれで、そういう自分を認めてやればいいし、本当の言葉を、本当の気持ちを無理矢理紡ぎ出して言葉にする必要もないんだと。 どこかやりきれない場所に押し込められていたと感じていたかもしれないけど、実は廻を見渡せば、とてもすばらしい世界なんじゃないかと。 そう考えるようになったら、何となく前に進めるような気がした。
嫁さんにも話をしたとき、よほど家族が路頭に迷うような事でもない限り、行きたいところをすすで行けば、という勇希をもらった。
夢見がちな自分だけど、もう少し現実に目を向けて、その現実を夢色に染めていけばいい。 そんな気持ちになった。
2004年01月13日(火) |
34回目の生誕記念日 |
34歳になった。 あと一年位すると40って言う数字を意識しながら時を過ごしてくことになるのかな。
まあ、なんにしても誕生日って言う日はどれだけ年とろうとも、どれだけふけようとも、それまでの何年かを無事に過ごして来たお祝いの日だ。 まわりからお祝いされるのが常だけど、同時にまわりの人たちがいたから、今ここに自分があると言う、まわりの人たちに感謝する、そんな日でもあると思う。
幸い、オイラにはおめでとうを言ってくれる人がたくさんいた。 同時にそう言う人たちがいるから、今の自分がある。 本当にありがたいことだと思う。
約1週間の入院生活を経て、拓矢が退院することになった。 そしてそのまま実家にGo! オイラは弥生・秀次と実家まで送りにいった。 さすがに秀次はとても寂しそうで、とにかくあまえまくっていた。 弥生はさすがお姉さん。 自分が母親側になったような、そんな気丈さを見せている。 まるで「となりのトトロ」みたいだ。 これから1週間、嫁さん拓矢は里帰り。 うちがにぎやかになるのは来週からだ。
本日もめでたいことに劇団員が結婚した。 そしてオイラは結婚式と披露宴の司会と言う大役をまかされた。
場所は新栄のイタリアンレストラン。 結婚式はその地下にあるワインセラーで行なわれた。 今回は更に今までの反省を活かし、事前に台本を何度も読み込んで、当日も何度も読み返した。 しかし、やはり予測できない事態と言うのは必ずおこるわけで、、、いや、これくらいは予想しておかなければいけないことなんだろう。 普通乾杯をすると、一回「ぐいっ」と行った後に拍手が必ず起こるわけだが、参列者の皆様が机がない状態で立って片手にワイングラスをもっていると、拍手はできないわけで、そう言う意味で、つなぎの言葉を用意しておくとかしておかなければいかんなぁと、反省した。 以前「カミオ君」とまで言われた「カミ」は例の如くやってしまった、、、、とほほ。
続いて披露宴。 この披露宴で新婦の手紙をもしもの時に代読する段取りにしていたので、披露宴直前に手紙の写しをもらった。 読んで「やばい」と思った。 その手紙を一読した時にオイラが知る限りの彼女が今まで過ごして来た時間がフラッシュバックした。 何気ない言葉が綴られたその手紙は、涙腺を緩ますには充分以上の威力があった。 友人代表みたいな立場とはいえ、司会は司会だ。 宴を司会の都合でとめるわけにはいけない。 新婦自身は「へいきへいき」といっていたが、やや不安を抱えながら披露宴本番の時間を迎えた。
披露宴は新郎が事前に用意してくれた台本に個人的に思うところを少しずつ手直しした台本で行なった。 披露宴は滞りなく進み、あらかじめ用意しておいた笑いも程々にうけた。 そして、感動のクライマックスへと進んでいった。 「へいきへいき」といっていたやはり新婦は感無量で、なかなか言葉にならない。 新婦が手紙を読み終えてすぐにしゃべらなきゃいけないのだけど、オイラもグッとくるものがあり、自意識が「こらえないといかんいかん」と叫びながらの司会になった。 でも、何とか無事に終えることが出来た。
疲れたけど、楽しい時間だった。 こんな機会を与えてくれた新郎新婦、そしてそのきっかけになった劇団Beansの存在に改めて感謝だ。
そういえば、司会をしながらふと不思議な縁を感じていた。 新婦は役場の同期なんだけど、同時に劇団Beansの旗揚げメンバーで「天使は瞳を閉じて」の「マリ」役で、結婚式のシーンでオイラが祝福していた。 新郎は初舞台で「ゴジラ」をやり、オイラは「モスラ」と言う役で新郎の演じている「ゴジラ」の結婚式の司会をやっていた。 そして、新郎は再演の「天使は瞳を閉じて」でマリと結婚する「ユタカ」を演じていてその時もオイラは舞台上で祝福していた。 何となく不思議な縁を感じざるを得なかった。
2004年01月10日(土) |
みなさまありがとうございます |
拓矢誕生につきまして、各方面からお祝いのお言葉などいただきまして、本当にありがとうございます。
親ばかと言われるかもしれませんが、本当にかわいいやつです。 これからもかわらぬ御愛顧のほどよろしくお願いいたします。
2004年01月09日(金) |
Mr.children |
最近Mr.ChildrenのDVDにはまっている。
桜井和寿とは生まれ月も近い同い年だ。 彼とは会ったこともじゃべったこともないが、なぜか同じ道を同じように歩いているように感じる。 彼の作った歌を聴いていると特にそう思うことがあるし、出る曲出る曲その時自分自身が思っていたり悩んでいたりすることを歌っている。 そこに、なぜか偶然以外の何かを感じざるを得ない。
それを実感させてくれた歌が「Any」と言う曲だ。
聴いた瞬間、自分自身今までどこかかけていた部分を埋めてくれるような、そんな曲だった。 決して彼のことを崇拝しようとか言う気になるわけではないのだが、どこか歌を聴きながら彼と会話しているような気分になる時がある。 どこに行こうか迷っていた時にどこに行こうか、いやどこでもいいから一歩を踏み出そう、と言う勇気をくれるのだ。
繰り返すが、彼自身はオイラのことを知らないし会話したことなんてあるわけがない。 ましてやホームページを覗いたことすらないと思うが、勝手にオイラがそう思ってしまうのだから仕方がない。
数年前ナゴヤ球場にMr.Childrenのライブを初めて見にいった時に嫁さんが一言、「桜井君ってまじめな子だね。」といっていたことを思い出した。 当時は何故か嫌悪感みたいなものを抱いていた時期もあった。 その気持ちを今になって思うと、歌が自分を見透かしているような、そんな気がしてならない時期があった。 それに、おごった言い方をすれば、もしもオイラが同じ境遇でステージにたってたら、彼と同じパフォーマンスになってしまうんだろうな、と感じた。 ひねりがなくただただストレートに屈折した(と自分で感じている)自分について歌っていくけど、聴衆に媚びない。 でも今思うと、それが彼の精一杯の礼儀でありパフォーマンスだったんだろうなと。
ここ最近の彼はものすごく成長した。 だから悩んでいることを素直に出して歌に出来るんだと思う。 そして、オイラは・・・・
まだ、本当の気持ちを台本の一行にも書けないでいる
劇団は稽古が続いているが、オイラは育児休暇中(笑)だ。
秀次が拓矢が生まれる前から赤ちゃん帰りをはじめて、ずっとお姉ちゃんである弥生の手を煩わせ、弥生が誰かに甘えたい時に、秀次がそこに横入りすると言う繰り返しだ。 お母さんが家にいないから余計にその傾向が強いし、秀次は周囲に甘えまくっている。 そして、自分の欲求が満たされないと所かまわず口撃を仕掛けるようになる。 弥生はずっとそれを我慢してきたが、さすがに今日はぶち切れた。 秀次に怒ったわけではなく、弥生自身がどんな気持ちでいるのか、今まで我慢して来た気持ちを涙ながらに語ったのだった。 自分自身がどんなにお母さんやお父さんに甘えたかったか、秀次の為にどれだけ我慢してきたのか、とつとつと語ったのだ。 その姿を見て弥生にとって今までの時間がどれだけ彼女を成長させたかと言う事実に感動をしたし、今まで自己主張が苦手だった彼女が、やっと自分の気持ちを自分の言葉で言えたと言う達成感みたいなものを感じた。 オイラは言葉を失い、弥生をよしよしと抱きしめてやり、ちゃんと自分の気持ちを言えたねと誉めてやるしかなかった。
しかし、最後に拓矢が戻ってくると秀次も私と同じ思いをすると思うし、その時に秀次は私の気持ちが分かる、と一言。
うーむ、出来た娘だ。 しかし、末恐ろしやといったところか。
普段なら昨日初めての対面を済ますはずであったが、いろいろとあり、今日が初めての面会となった。 体重が4キロ近くでかなり大きかったわけだが、実際に抱っこしてみると、ちゃんと赤ちゃんの重さだった。 抱っこしなきゃいけない時期にあまり大きくなられるのもなんだなあと、思っても見たり。
病院に弥生も一緒に行ったわけでだけど、自分の弟を抱っこしてたりして感動していたが、その姿をみてオイラの方が妙に感動してしまった。
今日、平成16年1月6日午後6時34分、我が家の第3子、そして次男として「拓矢」が生まれた。 身長は51センチ、体重3904グラム。
3人目のくせに予定日を過ぎるとは、なんてふてぇ野郎だ、と思ってたらほんとに大きいやつだった。 こんなに大きいのに自然分娩ででてきた。 本格的な陣痛が起こってからわずか1時間程度で出て来た。 その点では親孝行ものと言えるのかな?
出て着た子どもを見た瞬間、かわいいやつだと思うと同時に、これでオスとしての役目を果たしたという、よく分からない達成感を感じた。
これから更に家の中がにぎやかになりそうだ。
獅子座流星群はよく聞くけど、これは初めてだ。 日本で一番流れる時間は、1月4日15時ゴロ。
!!
おいちょっとまて、昼間じゃん。 ん? よく読むと、1月5日午前5時頃に満月が水平線に沈んだ当たりが、結構見えそう。 ほほう・・・と時計を見ると、いまじゃん。
さっそく外を見た。 北斗七星の方向にりゅう座がある。 みると、まわりの街灯が明るくて良くわからない。 やっぱり光害は公害だ、とおもってったら、あ。
こぼれるようにいくすじもいくすじも流れ星が流れていく。 最近いろんなことがあって、3時や4時の時計を見ても平気になってしまわないといけない状況だった。 でも、この流星群はそうやって頑張って着たご褒美だと思うことにしよう。 本当は嫁さんや子どもを起してみせてあげたいけど、時間が時間だしな・・・・さて、寝よ。
予定日だ!
が!
何もなかった。 いや、徴候はあったが、もう一つだった。 やはり今回も遅れるのか? いや、遅れてると言うことよりは最終月経の日にちをお医者さんが数え間違えているんじゃないかと思うしかない。
そんな中稽古は進んでいく。 今日も昼間うちで音響打ち合わせをした。 そこで、また、いろんな変更をお願いした。
稽古後通し稽古のビデオを見た。 まあ、初めての通し稽古なので、いろんな不都合はあるにせよ、予想通りの出来だった。 だから、年末までの稽古は無駄になっていないことが分かり、かなりホッとした。 こうやってビデオやメールと言う形で間接的にでも芝居に作用できるので、便利な世の中になったと思うのだった。
嫁さんのおなかがぼちぼちとはって来た。 この強いのが規則的に来るようになれば病院にゴーだ。
そんなわけで稽古にいけないので、今日も今後の稽古について打ち合わせをした。 この時期稽古にいけないのは非常に辛いところだが、家族があって芝居が成り立っている。 こんな時間も必要間と思う。
稽古には他の劇団員にビデオを持ちこんでもらって、稽古後収録したビデオをみて、出来る限りの修正をしていこうと思っている。
そういえば、最近むさぼるように音楽を聴いている。 からっぽになった自分自身を満たそうという作業のように。 芝居のことを考えていても、いいアイディアが浮かばない。 仕事のこともテンションをあげる動機が見つからない。 その所為か無性に音楽が聴きたくなる。 おかげでいろんな音楽と新しく出会い、いろんな発見があった。 そして、芝居のことや仕事のことも考えていけるきっかけができた。
これからだ。
年が変わりさっそく始動開始だ。 と、意気込んではみてみたが、予定日が間近に迫り、子どもたちの生活も支えていかなければいけないので、ここは涙をのんで産後3週間くらいは家族のことに専念しようと考えた。 特にいま既に秀次が赤ちゃんかえりしかけている。 出産前からそんなことを感じるなよ、と言いたい所だが、子どもは多感どころか敏感なので、仕方がないか。
そんなわけで、この二日三日で焦って今後の稽古のうちあわせをするのだった。 まずは手始めに今回も芝居にダンスを取り入れるのだけど、その打ち合わせをした。 ダンス自体はまだ未完だが、おおむねOKをだした。 未完部分については、譜割を見ながらここはこんな感じでと注文を付けていった。 きっと、オイラが本格復帰する頃にはかっちょいいダンスが完成していることであろう。
明日は、結婚式の司会をまたやることになり、その打ち合わせと劇団Beansの今後の稽古の打ち合わせだ。 さてと、案を作らなきゃ。
皆様あけましておめでとうです。 昨年中はいろいろとお世話になりました。
世界は相変わらず混沌としていて、なにが正義か、なにが正しいのか、なにが正常なのかさっぱり分からない世の中になってきている。 何かをしなければいけないと言う自問自答はするものの、答えなんかは簡単には出ない。 しかし時間はただただ過ぎていく。 とにかく前に進むしかない。
まずは自分に与えられて状況を精いっぱい生きてみようと思う。
だけど、自分の為に精いっぱい生きようとした結果、戦争が起こったり殺人事件が起こったりする。 それも事実だ。
だけどとにかく今は前に進むしかない。 そうしないと答えを探し出す手段さえ見つからない。
来年の今頃はこんなことを思わなくても済む世の中になってほしい。
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