今日も通し稽古。
役者はだんだん立って来た、特にこの日は劇的に良くなった役者もいた。 物語としてもだんだん形が出来てきた。
同時に演出的に弱い部分も見えて来た。 この部分をどう解消していくかがこれからの課題だ。
遂に育児休暇があけ今回の稽古から完全復帰。 そんな日だからかもしれないけど、珍しい劇団員が稽古場に一番のり出やってきていた。 いやあ、珍しい。
稽古自体は順調に進んでいった(と思う)。 場面場面で気になる部分をどんどん直していった。 段取りの修正や気持ちの要望、役者の芝居を見ていいとこをのばす為に、そして芝居を豊かにしていく為に演出の要望として台本にはない芝居を付け足していく作業だ。
演出なのに舞台監督もやらなければいけないオイラは、裏方の打ち合わせも行なった。 進捗状況などを把握する為だ。 一部遅れている作業もあるが、本番までには何とかなりそうだ。
今週を過ぎれば遂に芝居のある月へとカレンダーはめくられる。
う〜む、書けん。 やはり人生の引き出しが少ないのだろうか? 若い頃からもっといろんなことに苦労しときゃ良かった、とか、たくさん小説読んどきゃ良かった、とか、いろいろ反省したり後悔したりする日々。
言いたいことは決まっている。 その為の具体的な方法がアイディアが出てこない。 筆が進んでも、安易な方向に流れていくので、途中で筆が止まる。 そして書き直し。 そんな感じの状態だ。 自分で決めた締め切りに間に合うのか?
そう言えば誰かが言ってたな、締め切りはやぶられる為にある。
いかんじゃん、それじゃ!!
2004年02月26日(木) |
「ぼくドラえもん」創刊号ゲット! |
「ぼくドラえもん」の創刊号をやっとゲット。 ものすごく嬉しい。
家の近所や名古屋や目に付いた本屋さんと言う本屋さんをいろいろ回ったがどこも売り切れだった。 半ば諦めていたところに知り合いの本屋さんから「ここの本屋さんに残っていると言う情報があるので、みにいってみたら」といわれて、そこの本屋さんにいってみた。
おお!あるではないか! それも最後の1冊!!
家に帰ってさっそく中身を開いてみた。 オイラを堪能させるには充分すぎるほどの内容だ。
これから1年間ドラえもんとおつきあいが出来る。 とても嬉しい。
ちなみに次回の特典は「のび太の家」だ。
久しぶりに名古屋へネクタイ締めて出張だ。
この4月から始まる教室の交付金を受ける為の説明会だ。 基本的に生涯学習関係の説明会なので見渡す限り体育関係者はオイラ一人。
数年前公民館にいた時に参加した説明会だが、はじめの偉いさんの挨拶は数年前と寸分変わらないものだった。 簡単な話、愛知県はいい加減なことばかり言って仕事を無理矢理押し付けてくる文科省におこっている、という内容のものだ。 オイラが公民館にいて仕事してたのが7〜8年くらい前だから、この間ずーっと怒り続けているのだろうか? もう少し仲良くなれよと思う。 でも無理なんだろうな。
で、オイラの部署がもらう交付金の説明になった。 なんだか煮え切らな説明にいろいろと質問をしてみた。 その答えがまた芳しくない。 事前に打ち合わせさせてもらったことと回答が180度違う。 これは大変なことだ。 これではうちの教室が維持できない。 どうもこの数日のうちに文科省の方針が明らかになって、それで変わってきたらしい。
あまりにもむかついたので、一緒にいた上司とそのまま夜の名古屋へくり出した。
2004年02月24日(火) |
CD「佐野元春/VISTITORS-20th Anniversary Edition-」 |
佐野元春がLP「Someday」のヒットによる絶頂期、突然「グッバイから始めよう」という曲をファンの前で披露し、活動休止。 単身ニューヨークに乗り込み、ポップソング全盛時に台頭して来たヒップホップを取り込んで、そして復帰後初のアルバム。
オイラは佐野元春は92年頃からのおつきあいなので(丁度TDKのカセットテープの宣伝をしていた頃)、このアルバムは後追いで聞いた口だ。 そして今日発売20周年を向かえ、あたらにリマスタリングされ(音を良くして)DVDのおまけ付きで再発売となった。 以前「Someday」20周年バージョンが発売されたがそれには興味がなかった。 聞きたい曲のほとんどが、ベストアルバムの形でリマスタリングされていたからだ。
今回は違う。 このアルバムの中で一番欲しい曲がリマスタリングされているので、それが目当てだ。 ちなみにリマスタリングされると、当時スタジオで流れていたであろう原音にかなり近い音でCDが作成できる。 それだけ、昔のCDは音質が悪かったのだ。
聞いてびっくり。 今まで聞いていた音はいった何?といわんばかりの出来映えだ。 当時の佐野元春ファンはこのアルバムを聞いて度肝を抜かれた、というか正確に言うと、リズムばっかでなんだか分からず、離れていく人もいたようだった。 ちなみにうちの嫁さんもその口だったようだ。 今こうしてこのアルバムを聞くと、普通のポップソングにヒップホップの要素が加わってるだけのように感じるが、当時はきっとそれでも日本初のヒップホップ系の音楽だったので、みんなビビったのだろう。
「NEW AGE」や「VISITORS」の2曲がたまらなく素敵だと思うし、今聞いても気持ちが高揚する。 それだけ、力のある曲だと思う。 素敵なアルバムだ。
そういえば今日は久しぶりナゴヤドームにいって来た。 いまだ続く星野の幻影を吹き払いに新監督落合携帯ストラップをゲットする為だ。 しかし! 2004年グッズはまだ売ってなかった・・・・ 仕方がないのでシャオロンで我慢をした。 プロ野球が始まったらまたこっそりドームにいこう。
そして本屋さんにいてまたもショックが! 今週から発売になった「ドラえもん」の創刊号がどこの本屋さんも全て売り切れ。 とほほだ。 悔しいので2号から予約をした。
今日の収穫はこの「VISITORS」のみ。
あ、最大の収穫を忘れていた。 ナゴヤドームグッズショップにあったドラゴンズの宣伝用チラシ。 そう、落合語録の書かれたあれだ。 既に2バージョン出ている。 両方とも何部かもらって来た。 どこに飾ろうかな・・・・
昼下がり、劇団員二人プラス子ども一人がうちに遊びにきてくれた。
2歳の彼女は照れ屋さんで、オイラの顔を見るなり泣き出した。 部屋で4人で話をしている時も、オイラのいる方向だけは向かず、間違って目が合ったりすると、すぐお母さんに隠れてしまうのだった。 その後、ケーキ攻撃やジュース攻撃などの様々な物量攻撃にぼちぼちと心を開きはじめた。 そして時は過ぎ、帰る頃になってやっと心を開いてくれた。 何となく一安心だ。
子どもが一人いるだけで空気がかわる。 何となく時間の流れがとまって、ホッとするひとときだ。
あ、うちにも子どもはいるか。 でも、人の子だからそう思えんるんだよな。 もちろん立場が変われば逆なんだけどさ。
今週土日と稽古に参加した。
いろんなことがあった。 CATVの取材。 通し稽古でのいろんなこと。 今年初めての稽古後の飲み会。 稽古後のダメだしや個別メール(電話)でのいろんなこと。 嬉しいことも悲しいこともたくさんあった。
でも、いろんな出来事で一番嬉しかったのは、芝居がちゃんと成長していることだ。 芝居がしっかり成長して来た分、演出のミステイクも浮き彫りになってくる。 これから、そのミステイクをひとつひとつ消していく作業だ。 そして同時に、芝居に魂を入れていく作業も行なっていく。 これは芝居の気持ちをつなげていく作業だ。 この手順を間違えるとお客さんには本当に伝えたかったことが伝わらなくなってしまう。 大事な大事な作業だ。
いつもそうだけど、オイラはただ一人の観客に向けて芝居を作る。 その人がハンカチを握りしめてくれるかどうかだ。 一人が猛烈に感動できる芝居であれば、きっとそれは他の人にも伝わるはずだ。 そう思いながら芝居づくりをしている。 もちろん稽古場では基本的に不特定多数の観客に向けた芝居づくりを行っている。 そして、稽古を進めていく中で選択肢が複数現れた時、ある一人の観客を想定して選択肢を選んでいくのだ。
本番まで1ヶ月を切った。 本番当日のこの芝居の姿が、だんだんはっきりと見えて来た。 この先オイラがミスをしない限り、この芝居は劇団Beansの代表作になりそうだ。
2004年02月21日(土) |
TBS「NEWS23/Mr. Childrenダガタメ」 |
オイラの知る限り、「タガタメ」がテレビで流れるのは2回目で、しかもフルバージョンは今回初めてだ。 そして「タガタメ」を全部聴くのは今回が初めてだ。 今まではラジオと有線で流れていたが聴く機会が一度もなかった。
強烈なメッセージの強い曲だという評判だったのでかなり期待して聴いた。
演奏は圧巻の一言。 久々にこんな力強い曲を聴いた。 音楽として聴くだけでテンションが上がってくる。 ちゃんと突き抜けた感じがした。
そして強烈なメッセージのほうは・・ うんうんわかるわかる、俺も思うよ。 という感じ。
同世代で、子を持つ親で、そしてこの不安な状況下、やはり考えることは同じだ。 この社会を作り上げているのは他でもない自分を含めた世界だ。 世界を背負うとかそんな大げさな意味じゃなく、目の前でおこる楽しいことも悲しいことも、全て自分自身の存在が少なからず影響している、そう思う。 地球の裏側の戦争も、今の自分達の生活に不可欠な原油の利権が絡まなければあそこまでのことにはならない。 今住んでる場所で星空を楽しめなくなったのも、生活を豊かにする為にみんなで努力して来た結果だ。 そしてそこには自分自身の生活や趣味や思考が直接的に間接的に絡んでいる。
自分達の次の世代に何を残していくか、それはじっくり考えていかなくてはいけない。
昔、卒業式や成人式という節目節目で「21世紀をになっていくのは君たちだ」とエライ人たちが異口同音にした。 今でも、そのエライ人たちが君臨していることに「嘘つきやん!」という怒りと、悲しみを切なさを覚えるのだが、それはさておき、オイラがもうすこし大人になって、次の世代に堂々とそんな言葉を口にしてバトンタッチできるだろうか。 ひょっとして、「ごめんなさい」とあやまるしかなくなるんじゃないだろうか? そうならないためにはどうしたらいいのか? そんなことを考える。
今朝出勤したら、またも体育館に空き巣。 今年度これで3回目だ。
今回の被害は体育館内にある自動販売機を狙ったものだ。 自動販売機はコインボックスの部分が無惨にもバールのようなものでこじ開けられていた。
体育館は夜間は無人だ。 周囲に人通りも少ない。 狙い目といえば狙い目。
セキュリティーを何か考えないかんなぁ〜
とほほ・・・
毎度のことだけど、劇団で起こるいろいろな出来事が胸を締め付ける。 芝居作りのことだったり、それとは関係ないことだったり。
芝居作りのことならばなんとでも手を出すことは出来る。 それは、劇団という集団を構成している1メンバーとして責任が発生することだし、それを解決しないと芝居が良くなっていかないからだ。
芝居とは関係のないところでの問題は厄介だ。 自分が当事者にならない限り手を出すことは出来ないし、してはいけない。 でも、集団というのは自らの目的よりも、そういうことで傷ついてバラバラになっていくのかもしれない。
集団がバラバラにならないためには、芝居をつくりたいんだという気持ちを強く持つことだ。 他のいろんな雑音を遮断するくらい強い意志を持つことだ。
劇団は仲良し集団ではない。 例えプライベートで仲が悪くても、稽古場で芝居をつくりたいという気持ちが一致していればいい。 それで芝居作りは上手くいく。 芝居作りに個人的な人間関係の一滴をかき混ぜると、一気に濁ってしまう。
どんな胸つぶれる思いをしても構わない。 純粋に芝居さえつくっていければいい。 稽古場にいて欲しいと願う声が一つでもあればその人のために、そして自分のために芝居作りをしていきたいと思う。
いやあ〜、辛くも勝利。
なんだかみんながちがちになって試合してた感じだった。 でも、この勝利で一次リーグは突破できる可能性がかなり高くなった。
この勢いで二次リーグに突き進んで欲しい。
しかしこの日、試合を見ることが出来たのは体育指導委員会が終わってからほんの少し。 結果的に美味しい場面だけ見ることになった。
前半のPK失敗やいろいろなことはあとから知ったのだが、こういう試合だから普段出来ることの半分も力を出せていない感じが見た瞬間に感じた。 芝居もそうで、お客さんや雰囲気に飲まれてしまうと普段の力が出し切れないで幕を下ろしてしまう。 そういう意味でいい見本になる試合だった。
携帯電話を機種変更した。 これでやっとJ-PHONEからvodafoneになった気分だ。
やはり新しい携帯と言うのはいろいろと機能が良くなっていて結構楽しい。 いいおもちゃだこれは。 最新マシンを手にしたポップチルドレンといった感じ。
古い携帯は思い出とともに封印されるのだった。
2004年02月16日(月) |
20000HIT!! |
この「日々つれづれ」はおかげさまで開設930日目の今日20000HITを達成。 こんなにたくさんの人に見てもらえてとてもうれしく思います。 ほんとにありがとう。
トップページが何故か16000前後をうろうろしている。 この差は何? と思うのだけど、単純に日記しか更新してないせいでしょうな(笑)
やりたいことがたくさんあり過ぎて何もできない。 そんな状況の中、この日記が足かせになったこともあるけど、反対にこの日記があるから出来たこともあった。 自分自身の言葉で勇気づけられたこともあった。 自分の言葉を人に言われて感情を解放出来たこともあった。 人に言われたことを日記に書き知るし、あとからその日記に慰められることもあった。 この日記がいろんな波紋を呼んだこともあった。
いろんな人たちがオイラのまわりをとりまいている。 そのうちの何人か1日平均20人前後の人には見てもらっているわけで、その人たちの為に、自分の為に、まだ見ていない人の為に、まだまだこの日記を書き続けていこうと思っている。
今後ともよろしくです。
2004年02月15日(日) |
小牧市東部演劇サークルエチュード「スマイルアゲイン」 |
元劇団員が中心になって活躍している劇団の公演を観にいく。 元劇団員の彼女が作、演出、主演その他をこなすという、オイラには到底できない八面六臂の活躍である。
芝居そのものは稚拙で深みもない。 だけど、精一杯芝居をやってますという勇気と情熱に溢れた舞台だった。 とても好感の持てる芝居だった。
彼女はうちの劇団ではできない新しい挑戦をするために劇団を移った。 その選択は間違っていなかったと今回の舞台を観てあらためて思った。 うちにいる時は相当辛くあたったこともあった。 でも、今こうして立派に勤めている彼女を観て本当に良かったと思った。 うちにいたことが少しでも役立っているんだと芝居を見ながら感じた。 そして、オイラが何度も挑戦して出来ていないことを、あっという間に形にしたことに敬意を覚えるのだった。
でも、
本当は悔しくて悔しくてたまらなかった。 いろいろと頑張って形にしようと努力してきたはずなんだけど、まだいろいろと足りなかったんだな。 そう思い知らされる舞台だった。
すぐには変われないけど、自分で決めた期限までに何とか形にしてみせる。
今はそうとしかいえないや、、、
2004年02月14日(土) |
インフルエンザ、カーテンコール |
やっとインフルエンザ収束。 今回は「インフルエンザの疑い」だったのでA型用の薬を使っていた。
しかし、今回予防接種をしたにもかかわらず感染。 今年のワクチンは見事「はずれ」だった。 ちょくしょー!! 痛い思いしたのに・・・・
さて、そんなわけで今日から本格仕事復帰。 そして、稽古も復帰。
一日結構いろいろと忙しい一日だった。
2004年02月13日(金) |
インフルエンザ千秋楽・・・・・・・か? |
昨日お風呂に入って身体に張り付いた地層を落とし、すっきりした気分でなった。 そして今朝、久しぶりの仕事にいった。 もちろん感染防止の為にマスクマンで出勤だ。
マスクはユニチャームの「超立体」。 とっても心地がいい。 こんなマスク今までにない。 しかし、欠点が一個だけある。 マスクをして眼鏡をはめると、なんと、息する度にメガネクリンビューの宣伝みたいに目の前が真っ白になる。 これでは仕事ができんし、運転もできない。 やむを得ず、運転はマスクを我慢して、仕事中はメガネを我慢するか。
そして職場に向かう。 この日から上司二人は体育指導委員の研修に参加する。 というわけで、職場の職員はオイラ一人。
いつもの時間にいつもの格好の上司と顔が会う。 あっれ?
「今日は特に仕事ないから、ここまかせて家に帰って休みなさい」
がーん!! (でも、少〜しラッキー・・・)
と言うわけで今日も家で休憩。
2004年02月12日(木) |
インフルエンザ4日目 |
やっと熱が少し落ち着いた。 しかし、今まで4日以上寝続けてきたもんだから、身体のあちこちが痛い。 ついでに、鼻も回復してきたせいで匂いが分かるようになってきてしまった。 あ〜、早く風呂に入りたい〜
2004年02月11日(水) |
インフルエンザ3日目 |
まだまだ熱が下がらない。
今日も休憩。
あ〜、外は素敵な天気だ。
2004年02月10日(火) |
インフルエンザ2日目 |
昨日に引き続き発熱で撃沈。 医者に行くと「インフルエンザの疑い」ということだった。 そんなわけで今日もおとなしく休憩。
昨晩から38度台の発熱。 立派な病人だ。
というわけで休憩。
しかし、病気になると何故か変な夢ばかりみてしまう。 今回は友人の結婚に絡む話。 普通は結婚なのでめでたい話なのだが、これが、あんまり目出度くないのだ。 そういう二人の結婚で、表面上は取り繕ってる俺がいる。 で、腹腸は煮えくり返っている。
そんな夢だった。 現実には起こってほしくない類いの夢だ。
あ、休憩とかいいながらながながと書いてしまった。
そして復帰二日目。
あれ? 朝起きるとどうも調子が良くない。 のどがイガイガする。
とりあえず仕事には行ってみたものの、どうにも調子が上がらない。 職場にはいるけどキリギリス状態。 まだ秀次の熱が下がらず、へなちょこになっているが、どうもオイラもへなちょこになったようだ。 体温を測ると数字を見て撃沈しそうなので、まずは体温測らずにそのまま稽古時間まで布団で横になった。 調子が悪い時と言うのはよく分からんもやもやの夢を見るもんだ。 何かを必死でしようとしては見るけど、もがいてももがいてもそこには到達しない。 そんな夢だった。
そう言えば来週元劇団員が主宰している劇団の公演がある。 作・演出でそのこの名前があった。 何か、先を越されたような、そんな気がしてくやしかった。
そして、稽古だ。 稽古前に水分補給でポカリを飲み、更にドリンク剤も数本服用。 このドリンク剤が何とか稽古中の身体を持たせてくれた。 意外と効くのね。 ドリンク剤に感謝!
音楽と芝居をシンクロさせる作業を行なっていった。 些細な音のきっかけをひとつひとつとっていって、そのきっかけに台詞や動きをはめていく作業だ。 現場でも「細かいよ」といわれるが、それがオイラの芝居の方法論だ。 でも今回は割と繊細な心の動きをしっかりお客さんに伝えていかなくてはいけない。 オイラ史上多分今回は最も細かい。 なんどもなんどもやり直したけど、役者たちは腐らずに一生懸命やってくれた。 それだけでうれしいのだけど、そんなところで感謝していては芝居の肝心な部分を作れずに終わってしまうので、いろいろ厳しいこともいいながら、稽古を進めていった。 特に今回音響やってもらう子にはいろいろなオーダーをバンバン出していった。 演出のわがままを嫌な顔一つせず聞いてくれて、うれしい限りだ。
一か所だけどうしてもなんともならないシーンがあり、そこの音を取っ替え引っ替え試してみた。 うーむ、でも結論です。 ただやればやるほど目の前の芝居はだんだん良くなっていった。 それがせめてもの救いだった。
稽古の終わりをる告げると一気にお母さんがやって来た。 あ、いや、オカンが・・・悪寒が・・・
今はへなちょこでこんなギャグセンスしかない・・・・あ、もともとか。
育児休暇が空け稽古復帰。 今まで芝居の状況はビデオで見て来たものの、やはり芝居は生物なのでちゃんと現場で見ないと分からないことが多い。
前からしていた懸念も見事に的中。 オイラが頭の中で思い描いて方向と、目の前の芝居の方向が少し違っていた。 まあ、1か月も現場を離れていれば仕方がないかなとは思う。 で、一番大事なシーンの気持ちが予想とは違っていた。 でもいい方向に変わっていた。
通し稽古を見たが、全体的に本当に良くなっていた。 オイラが現場にいなかった所為なのか、どうか分からないけど、本当に良かった。 みんなが一生懸命今まで頑張ってきた結果がよく分かる。 中にはほんのちょっと乗り遅れている人もいたが、それはそれ。 これからきっと良くなっていくだろう兆しが見えた。 本当にみんなの頑張りに感謝だ。
あすは、オイラがいなかった分、できなかった芝居の段取り関係の稽古をしようと思う。
秀次君久しぶりに高熱出してへなちょこになっている。
昔からの友人から手紙がきた。 正確に言うと電子メールだが。
きっと本人はそんな気持ちはなかったかもしれないけど、ちょうど切ない気持ちになっていたところを優しく包んでくれるような手紙だった。 面と向かうとお互い維持を張り合ったりぶっきらぼうになったりするけど、何となく送ってくれたという、その友人の気持ちが嬉しい。
ただただありがとうの言葉しか出てこない。
そして、こんな風に人と人はつながっているんだなあと、そうやって生かされているんだなあと改めて感じた。
役者の一人が降板した。 そして、退団した。
降板の決断を下したのはオイラだ。 現段階の稽古状況では仕方がないと思った。 だけど、本人が退団まで考えるとは思っていなかった。
努めて冷静に受け止めようと思ったが、かなりショックは大きい。 そういう信頼関係しか築けなかったことに悔しさを感じる。
結果としてとても悲しく辛い決断となってしまった。
2004年02月04日(水) |
マツダアテンザカーテンコール |
午前中にアテンザとお別れをした。 そして、S-WAGONと再会。
アテンザはほんとにいい車だった。 どんな状況にも問題なく反応してくれた。 懸念していたアクティブマチックも使ってみるとほんとにマニュアル感覚が楽しめた。 2300V6という大きなエンジンは街乗りにはちょっと強力すぎるかなとも思うけど、そうではない場面ではストレスのない気持ちのいい走りをもたらしてくれる。
そしてこの車の最も素晴らしいところはバランスの良さ。 どんな場面でも安定感を失わないバランスのとれたサスペンションのチューニングが運転の楽しさを倍増させてくれるのだ。 そして、車体にあったパワーのエンジン、ボディーの剛性、この二つがバランス良くとれてることで、「軽い」「軽快な」走りをもたらせてくれる。
とても素晴らしい車だ。
いつか乗りたいと思うんだけれども、だめかな? よおよお、買ってよお〜
とおねだりしても嫁さんの財布の紐はきっと固いのだった。
2004年02月03日(火) |
マツダアテンザ千秋楽 |
そしてマツダアテンザ試乗の千秋楽を迎えた。
午前中から今まで自力で言ったことのない伊良湖岬を目指した。 今までここには何度かいったことはあるが、大学時代渥美半島駅伝の監督車に乗って自分の大学のチームを2回ほど応援したときに乗せてもらったいらいだ。
東名を東にひた走り、豊川インターから豊橋経由で渥美半島に入った。 豊橋は久しぶりにやって来た町だが、愛知大学の横を通り過ぎるとき痛い思い出がよみがえってきた。 ここに通っていた高校の友人ととあることでトラブルになり、そのトラブル自体はたいしたことではなかったが、そんなことをしてしまった自分がやり切れず、ただただ誰もいない部屋の中で一日泣いて過ごした事があった。 今となっては青春の1ページだと思えるのだけど、当時はほんとにこの先どうしようか必死に悩んだ。 そして今思うとそうやって感情を露にして泣ける自分がうらやましくも思う。
そしてマツダアテンザは快調に走る。 かつて仲間たちを応援しながら移動した道を通りながら。
伊良湖岬に到着した。 恋路が浜の風景は10年前から変わっていなかった。
激変していた大学周辺の風景を思う。
自然はいつも変わらない、そして変わり続ける。
寄せては返す大きなやさしい波の傍らで太平洋を眺めながら、地球の大きさを感じた。 同時に自分の小ささを思い知らされた。 いろんなことを考えようとここに来ては見たものの、とにかく大きさに圧倒された。 何も考えられなかった。 いや、考えなくていいんだと教えてくれたような気がした。
しばらく太平洋を眺めていた。 やさしい日差しが包んでくれた。 やさしい波の音が心にしみた。
ただただ眺めていた。
気がつくと顔がじりじりした。 潮風と太陽にやられた。 自然はちっともやさしくないと感じた。
だけど、日常はもっとやさしくない。 日常はこんなまったりした時間を与えてくれない。
やっぱり自然はやさしいと思い直した。
潮風と波を堪能した後は、やっぱり昨日の夕日が気になってもう一度知多半島に行きたくなった。
途中で田原町に、いや、田原市によって同じ研修をともに苦労した人としばらく語り合った。 相変わらず大きな人だった。 本人の前では言ってないけど、とてもおおらかで一緒に話をすると心が休まる人だ。
そして、三河湾沿いに車を走らせた。
マツダアテンザは快調に走る。
衣浦トンネルをくぐり半田市から247号に入った。 この道は東海学生駅伝でやはり監督車で仲間たちを応援した。 おいらは当時大学陸上部の主将だった。 普通体育会系の主将は一番実力のあるやつがなるのだけど、うちは変わっていた。 おいらは当時肩を壊して槍投げ選手としては終わっていた。 だから一番時間があった。 そんなわけで主将になったのだ。
やはり知多半島は思い出がたくさん詰まっていた。 武豊、富貴、河和、師崎、豊浜、内海、野間、奥田、昔見慣れた地名が次々と視界に入ってきた。 そして昨日作ったばかりの思いでもよみがえってきた。 昨日夕日を見た場所に車を止め、同じ時間に西を眺めた。 どういうわけか昨日と瓜二つの風景だった。 この素敵な夕日を記録に残そうと思った。 でも、携帯電話のカメラしかなかった。 もっと絵を勉強しておけばと後悔した。 でも、仕方がないからカメラを向けた。 なかなかうまく撮れない。 そして夕日はどんどん沈んでいく。 やっとの思いで1枚とった。 思ったような一枚ではなかった。 だけど、すぐにこの風景を伝えたくって、大切な人にメールをした。
思い出は形に残らない。 だから思い出は美しいのかもしれない。
奥田の町を通過した。 昨日感じたようにやっぱりいろんな思い出は詰まっているけど風景は変わっていた。
だけど、それでいいと思えた。 今度は大切な人と一緒に来ようと思った。
そしてマツダアテンザは快調に走る。
帰路についた。 空には昨日見えなかった月が、まるでオイラとアテンザを見守ってくれるように、やさしく美しく輝いていた。
本日の走行距離400キロ、燃費13Km/L。 結構びっくりな数字だ。
てなわけで、マツダアテンザ初日です。 朝から生憎の雨・・・ しかし、せっかく嫁さんからもらった一日を無駄にはできない。 さて、いくぞ・・・あ、そうだ、午前中は検診に行かなきゃ。
嫁さんを連れて産婦人科まで検診に行った。 出産してからまると4週間。 お風呂に入れるかどうかのチェックに。 幸いお風呂にはGOサインが出た。 と同時に、おいらの稽古一部復帰がここで決定した。 それでも、しばらくは実際に稽古に復帰するのは土日限定だ。 だけどとてもうれしい。
そして、検診が終わってから早速走り始めた。
・・・いやあ、麻薬ですな。 胸のすく走りとはまさにこのこと。 とにかく今まで体験したことのない運動性能と安定感。 なんともいえないすばらしい走りだ。
午前中はとりあえずいつも走ってる場所をうろうろして、どんな風に感じるかを実感した。 高速道路も同じルートを2回走ったりもした。
そして午後からは、知多半島までいった。 知多半島はおいらが通っていた大学があり、思い出がいっぱい詰まった場所でもある。 大学のある美浜町に近づくにつれていろんな記憶がフラッシュバックのようによみがえってくる。
しかし、10年もたてば町は生まれ変わる。 いろんな思い出が詰まった昔好きだった人の下宿や馬鹿騒ぎしたお店がどんどん新しく入れ替わってしまっていた。
思いではいつまでもかたちしておけないもの。 いつかは形のないもになってしまう。
そんなことはわかっているのだけど、実際に目の当たりにすると寂しいものがある。
そして、今日はあたらなる思い出を残すため、今まで言ったことのない野間灯台向かいの喫茶店で夕日を眺めた。 雲の切れ間から見え隠れする太陽は、とてもきれいだった。
この風景を自分のものにしたい。 そんな風に思っては見たけれど、やっぱり形には残らないのだった。
そしてマツダアテンザは快調に走るのだった。 走行距離300キロ、燃費10Km/L。 2.3のエンジンにしてはまずまずの数字だ。
遂にアテンザと対面した。 正確に言うと実は以前にも対面してるんだけど。
前は、アテンザ発表の数日前、マツダのディーラーさんで運転席に座らせてもらった。 その時に、この車の空気の心地よさを感じた。
そして今回、改めてシートに身を沈めると、これがまたなんとも言えない心地よさ。 運転が楽しくなるようなそんな予感をさせてくれる車だ。
しかし、しかしだ、今回使わせてもらう車はアクティブマチック。 自分でギアを決められるオートマだ。 これがなかなか馴れるまでに時間がかかりそうな予感。 普通にDレンジで走れよと言われそうだけど、マニュアル乗ってるオイラにとってはやはり攻略したい山なのだ。
明日明後日の二日間でこのアクティブマッチクを何とか自分のものにしたいと思う。
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