遂に納車の日だ。
納車はいろいろあって午後7時過ぎになった。 ディーラーまでランティスで最後のドライブだった。
ディーラーに着き、様々な手続きを済ませモビリオのキーをもらった。 そして同時にランティスと最後のお別れをした。
モビリオに乗ってみると、さすがに低速トルク重視だけあって、走り出しにストレスはない。 しかし、そもそもがファミリーカーなので走りに期待をしてはいけない。 と、思いつつもちょっとそれっぽく走ってみる。 ・・・・やはり期待どおりダメなところはダメだった。 走ってる感覚もふわふわのカーペットの上を走ってるような感じだ。
後部座席は3列目まで大人が乗っても広くはないがせまさは感じない。 しかし、乗り降りする時に乗降口がちょっと狭いような感じだ。 でも、相撲取りみたいな余程のデブでない限り、なんとかストレスなく利用出来そうだ。
ちなみにこの車、無段階変速のオートマだ。 当然変速ショックはない。 そして、エンジンブレーキが予想以上に効く感じだ。 この感覚に慣れるまでに少々時間がかかるだろう。
何となく高速道路に乗ったりもして、峠も走ったりして、エンジンのあたりを付けながら、さまざまなところを経験してみた。 全体的な印象としては、まあ、可もなく不可もない普通の車だなあと言う感じである。 もう少し「不可」があって癖のあるやつだといいのになあ、と思った。 これから暫くの間、こいつと付き合っていくことになる。 はやく「愛車」と呼べるだけの関係になりたいと思うのだった。
今の仕事の最大の行事「扶桑町民体育祭」まで僅か。 これから2週間が怒濤の日々になる。
町民体育祭は少なく見積もっても3000人以上の人がグラウンドに集合し長い時間を一緒に過ごすこととなる。 その分、準備も大がかりだ。
準備自体は数ヶ月前から始まっているが、こっからが具体的な準備となる。 道具をそろえたりグラウンドに様々なものを設営していったりと。 そして様々な人の協力を仰がなければ出来ないことばかりである。
そして、この体育祭の最大の敵は天気である。 準備を完璧にしておいても雨が降ったらおしまいなのだ。 普通に考えるとこんな形の投資はしないのであるが、そこがお役所のお役所たるゆえんか。
10月14日に向けてお天道様の機嫌ばかり伺わなければいけない。
人はやはり自然の前には無力なのか!?
髪を切った
365日前ビルが崩壊した日に
酒を飲んだ
北の国と会話した日に
台本を読んだ
列車が衝突した日に
価値観は変わった
偽りの正義も生まれた
生活は何も変わらない
最近遂に「演劇入門」らしき本を読みはじめた。 しかし、これがかったるくって仕方がない。
感情や動きや音声を文章だけで表現しようとしているのだから、まあ、仕方がないと言えばそうだけど、回りくどい表現が多すぎる。 特に日本人の書いたのは読み物としてはあまりに辛すぎる。
おかげで、何度も睡眠学習になりそうだった。
でも、そろそろ経験の話ばかりでなくきちっとした理論も学ばなければいけないなあと思うのだった。
休日出勤の代休をとった。
いろんなことしようかと思っていたが、結局普通の人が起きてる時間の半分位を寝倒した。
疲れてるんかなぁ〜
10月14日の町民体育祭に向けた体育指導委員会だ。
様々な角度から体育祭の打ち合わせをした。 だんだん体育祭ムードが高まりつつある。 しかし、そう思っているのは今のところ今日会議に出席したメンバーだけで、その周囲はまだまだだ。 でも、これから一日一日と体育祭が近づくにつれてだんだんと盛り上がって行くことであろう。
そして、体育指導員会もだんだん上手くまわせるようになって来た。 いろんな人の協力があってこそなのはもちろんだけど、職員も体育指導委員の皆さんもいろんな意味で前向きになって来た。 よかったよかった。
しかし、何だか今年は天気が良く無さそうな感じだ。 照る照る坊主さんにお願いしとこっと。
2002年09月24日(火) |
くやしいけど、ざまあみろ! |
巨人が優勝してしまった。
くやしーーーーーい!!!!!!
でも、その試合を見ていたが、ざまあみろである。 さすが星野阪神。 見事な逆転サヨナラ勝ちだ。 その瞬間の巨人のしらけたムード。
でも、今年の巨人は本当に強かった。 そして、就任一年目で長嶋色をほとんど一掃した原監督には正直恐れ入った。 毎年巨人は優勝候補筆頭で戦力的に見て優勝しなければおかしい戦力で戦って来たわけだけど、これだけ普通に力を出して戦えたことは未だかつてなかったと思う。 それだけ、チーム状態が良かったと思うし原監督のコントロールが上手く言ったとうことだろう。 本当に敵ながらあっぱれである。
これで暫くは故障者さえ出なければ巨人は黄金期に入りそうな予感だ。
あー、ドラゴンズが優勝から遠ざかって行く・・・・
お別れが決まったランティスと最後のロングドライブに出掛けた。 ほんとは秀次も弥生もお休みなので、一緒につれて行くのが筋なんだろうけど、ランティスとデートしたかったので、嫁さんに無理言って単独ドライブにしてもらった。
そういえば、車の決まった日、秀次にモビリオのカタログを見せて「これがお家に来るよ」といったら、素直に喜んでいた。 こいつは車だったら何でもいいのかも。 弥生に同じことしたら「あたしはランティスの方がいい。えー、いなくなっちゃうの?いやだー!」そういえば弥生が小さい時からスポーツカー好きだったことをすっかり忘れていた。
で、そんなこんなでドライブだ。 いき先をいろいろ迷ったけど、独身時代よく走っていた41号と19号を中心にしたルートを選んだ。 そして、せっかくだから一番高いところまで連れてってやろうと、乗鞍を途中に挟んだコースにした。 具体的には扶桑〜高山〜乗鞍スカイライン〜白骨温泉(ちょっと寄り道)〜松本〜中津川〜飛騨金山〜扶桑。 概ね500キロの道のりだ。
休日の午後スタートの所為もあり、反対車線の渋滞を余所にすいすいと走っていけた。 高山まで120分そこそこ。 夜中走っても前に遅いトラックがいると達成できない奇跡的なスピードだ。(でも飛ばしてないよ) 乗鞍スカイラインはあいにくの濃霧。 だけど、長野側に下りはじめるとキリも晴れて絶景が目の前にひろがった。 とても心あらわれる瞬間だ。 その後日も暮れ松本〜中津川へそして素直に19号で帰ればいいものを、わざわざ付知経由で41号に出て帰って行った。
全体を通じて思ったのはやはりランティスは良く出来た車だった。 この行程の何処にもストレスを感じず、快適にドライブが出来た。 いい車だなあ〜。
暫くはこんなドライブは我慢だな。
遂に、新車を購入する決断をした。 てなわけで、今回はモビリオ。 ホンダの7人乗りの車の中で一番小さいやつである。
さっそくホンダクリオへ交渉に赴いた。 今回は、将来嫁さんの車になると言うこともあり、嫁さんの意向もいろいろ込めた選車になっている。 といっても、色くらいかな。 オイラが選ぶ時はブラックに決めているけど、今回は猛烈な反対にあった。 と言うわけで、宣伝で良く出ている緑色もどきの色になった。 そして、愛車ランティスの下取り価格も出た。 なんと5万円! さすが不人気車(間違っても希少車ではない)だ。 ちなみに、前回嫁さんのムーブを見積もったところ25万円だった。 ランティスと数カ月違いで買った車だ。 うーむ、需要の有る無しでこんなに違うのか。 世の中厳しいのね(泣)
で、いろいろとオプション選んだりなんだかんだしたら、諸費用込みで200万円を軽く超えてしまった。 で、ここから交渉である。 ディーラーさんがいきなり「いくらなら買いますか?」と勝負に出て来たので「最初の数字が1(100万円台)ならいいよ」といったら、一気に顔が曇った。
このディーラーさん、歳は30歳だけどこの春転職したてのホヤホヤ。 ようは新人さんなのだ。 ちなみに妻子持ちなので思いっきり生活のかかった転職だ。 いろんな意味で気合いが入っているし、ものすごく一生懸命やってくれる。 とても好感が持てる。 しかし如何せん新人さんなので、何か質問をすると、事務所に入って暫く出て来ない。 きっと上司にいろんな相談をしてるんだろうなあ。 なので、普通の交渉の3倍くらい時間がかかった。
まあ、それはさておき「200万でやらさせていただきます」と言うことになった。 オイラ的には満足だったけど最初の数字が2だと嫁さんが吃驚するといけないので「もちょい頑張ってもらって、あと一円引いて1999999円にならない?」とお願いした。 そしたら、「199万にさせていただきます!」 交渉成立である。 バンザーイ!
そして同時に愛車ランティスとのお別れも決定になった(泣)
2002年09月21日(土) |
遂に来た、結婚式司会! |
遂にこの日がやってきた! 劇団員の結婚式! そして、人生で初めての結婚式の司会!
結婚式は名古屋市市政資料館。 元名古屋高等裁判所で現在は名古屋市公文書館、そして、国の重要文化財! こりゃまた偉いところでやるもんだなあ。 現場に着いてリハーサル・・・あれ? 何とリハーサル突然の中止!! なんでも、元々管理が厳しいらしく、やれることが次々と制限されているようだ。 さすが公共施設。 だんだん事なかれの世界へ突入中! ダメだなぁ〜お役所は。(自分のことはおいといて・・・)
てなわけでぶっつけ本番! ものすごい緊張が襲う。 はじめの言葉をどうやってじゃべったか記憶がない。 カムは間違えるはで、心の中は八百屋お七の地獄の炎よ! こんな姿劇団員に見せられないぜ。 しかし、いたのだった。 参列者に、そして主役に! あー、情けない。 皆さんのおかげで何とか式は滞りなく終わり、次は披露パーティーへ!
披露パーティーの場所は産業技術記念館。 トヨタ自動車の施設だ。 これもまた古い建物で、もともとは豊田自動織機の工場だったところだ。 こちらは先ほどと打って変わって開放的な雰囲気の施設で、そのなかのレストランでパーティー。 時間通り始まるかと思いきや、肝心な乾杯の人が遅れて30分押しでスタート。 自分自身の緊張を解きほぐそうと、お客さんをおもちゃにしたギャグをとばすも笑いはとれず。 聞こえてくるのは劇団員の失笑ばかり・・・・ あとから、「ギャグは(おもしろくないから)やめたほうがいい」とだめ出しももらってしまった。 でも、その後は何とか雰囲気も壊さず、しかし上手く盛り上げも出来ず(泣)新婦の注文にも応えられず、普通の司会者として、普通にパーティーを終えることで精一杯だった。
ある程度原稿も用意したが、現場の雰囲気がイメージしたものと変わってきて、その場でカットしたり付け加えしたりと、思っていたよりもスリリングな世界だった。 こんな場面を何度も仕事としてやっているプロの人は偉いなあと思うのだった。 職業として成立するわけだ、と、つくづく思った。
しかし、後になって思えば、こういう経験って一生のうちで何度出来るかわからない。 とても貴重な体験をさせてもらえたなあと、声をかけてくれた劇団員と、プロデュース会社の人、相談にのってくれた役者さん、そしてこの日同じ時間を過ごしたみんなに感謝感謝である。
でも、みんなが楽しそうに酒を飲んでる姿を見ると、やっぱりオイラもあっちの世界で過ごしたいなあと思うのだった。
それでも、多分この先ないと思うけど、もしも同じ話が来たら考えてみようかな。
こうしてネットで日記を公開している人はとても多い。 自分の存在証明に使ったり、ただただストレス発散の為に書いたり、プロパガンダの為に書いたりと様々だ。
オイラ自身は何故書いているか・・・う〜む・・・
・・・・理由は・・・・ないなあ。
時としてほんとに日記だし、誰かへのメッセージだし、ストレス発散の場所だし・・・
ある人の日記は、自分のことを自分の言葉でしか書いていないので、なんだかよくわからない。 ある人の日記は、客観的事実の説明しか書いていないから、貴方自身はどこにいるの?と突っ込みたくなる。 ある人の日記は、夢ばかり描いていて現実感に欠けるから、気持ちが伝わってこない。
こうはなりたくないなぁ。 ってことはオイラは人に読まれてナンボだと思っているのか。 上記の人達は人に読まれることはどうでもいいと思っていると思うので文章を工夫しないのかな。
人に沢山読まれている日記は、人に読まれるための文章になっている。 そして、絵空事のように毎日がスリリングに描かれている。 本当に毎日こんなことばかり起こっているのか?と不思議になる。 でもそれはその人が日記に残しているという事実自体が真実なので、それをどう読もうが読む側の勝手な想像の世界だ。 その想像の世界を上手く支配できると小説家や劇作家になれる。
で、オイラは何で書いてるかって話でいえば、劇団の代表だから書いてるのかな。 そもそも劇団がきっかけでページを持ったわけだし。 プロパガンダの一つなのかな。 なので、劇団を辞めたらここも辞めってことかな。
この先も書き続けるかどうかは、神のみぞ知るって感じ。
今週土曜日の結婚式&パーティーの司会を頼まれたのだが、何分初めての経験なので、自分自身に引き出しがない。 というわけで、プロデュース会社の担当者と一連の流れを打ち合わせて、全体のイメージをつかんで、その後、とても信頼しているプロの役者さんに相談した。 さすがに経験豊富で場数もたくさん踏んでいるだけあっていろんなアイディアをもらった。
この人に会っていつも思うことだけど、本当にいろんなことを親身になって聞いてくれるし適格なアドバイスもくれる。 いい人だし、尊敬する。 オイラもこんな人になれたらなあと思いつつ、いまだ足下に及ばずと言った感じ。
さてこれで、アイディアをまとめて原稿にすれば恐いものなしだぜ!
・・・あ、本番明後日だった。
焦る俺。
最近不思議な夢を見る。 劇団に新しい人が入ってきて、その人が気がついたら「作・演出・代表」をやっていてオイラがそのレベルの違いにショックを受けている図である。 ここんとこしばらく何度も類似の夢を見た。
今日の稽古にオイラがその夢を見るであろうきっかけになった見学者がやってくるのだ。 名古屋で一年に一度づつ自分たちのユニットで「作・演出・出演」というかたちで芝居をしている。 ちょうどうちの劇団がそのオフシーズンに芝居をやるということなので、先ずは見学ということのようだ。 オイラのスタンスは来るもの拒まず去る者追わず、しかし、芝居をやりたそうな人は引っ張ってくる、と言った感じ。 なので、歓迎の気持ちでいっぱいなのだが、やっぱり不安もあるのだろう。 多分プロのバリバリの役者がこの劇団に入ってきたとしても、何の不安もない。 一度芝居を見たことのある演出や代表がやってきても。何の不安もない。 おそらくは今度やってくる人が「まだ見たことのない」劇団(ユニット)の「作・演出」だからだろう。 そして、今日種明かしである。
話は変わって、これは経験上の話だが、「芝居の質が合わない」「劇団の方向性が合わない」といったような芝居の本質的な理由で離れていった劇団員はいない。 そうでない理由で離れていく劇団員がほとんどである。
さて、どうなることでしょう。 以下いつか!
2002年09月17日(火) |
雨のばかああぁぁぁぁ!!!!! |
昨日から愛車ランティスで(恐らく)最後の家族旅行。 行き先は富士サファリパークと富士山。
初日からものすごい雨。 東名高速は50?規制。 前方を走る車が巻き上げる水煙で視界も悪い。 前の車のテールランプがやっと見える程度なのだ。 そんな苦労とは裏腹に子ども達は、ただただサファリパークに行くことが楽しみなので、未だかつてない悲惨な状況も物ともしない。 さすがだ。 車の中でビビっているのはオイラだけのようだ。
そしてランティスもこの雨をものともしない。 さすがだ。
サファリパークに着き雨も小康状態。 そして子ども達は大興奮。 よかったよかった。 この日、大ヒットだったのは車の間をすり抜けて行くキリンやシマウマや鹿ではなく、小動物園にいたライオンの赤ちゃんである。 宿に着いてからはそのライオンの赤ちゃんのぬいぐるみを子ども達で取り合っこしていた。
そして翌日、ただただ個人のセンチメンタリズムで富士山五合目へ。 しかし雨! ものすごい雨!! 嵐だ!!! 目の前で雲が渦巻いているのが良く分かる。 予定としては五合目で雲海を眺めながら一服する予定だったが、車の外に出るのが危険な状況。 弥生もさすがにビビって「早く帰りたい〜・・・」と。 しかし秀次はぐっすり就寝。 嫁さんは車に酔って撃沈。
富士山から降りても相変わらず雨。
お昼は清水市のエスパルスドリームプラザへ。 エスパルスと言う部分が引っ掛かるが、ちびまる子ちゃんミュージアムや北原おもちゃ博物館などがあり、家族で楽しめる場所になっている。 ここで、お昼御飯をとって家路へ向かう。
東名は行きと同じく50?規制。 そして土砂降りの雨。
雨に祟られた二日間だった。
あめのばかあああぁぁぁ!!!!
福岡で幼い子どもの命が奪われる下らない事件が起こった。
いったいどうなんってんだ!!
劇団員の結婚式の司会をすることになった。
最初は「立食パーティーの2次会」の司会、と言うことで過去にも経験があるので軽く安請け合い。 ところが話が進むにつれて、2次会の全貌が明らかになってきた。
・・・これは2次会などではなく、いわゆる結婚披露宴の格式の角をホンのちょっと丸くした程度の物と分かり、緊張感は高まるのだった。 そして、ぬあんと人前結婚式そのものの司会もやることになってしまった。
さっそく自分の結婚式のビデオを引っぱりだして勉強しなくては・・・あ、しまったオイラのは何の参考にもならない。 なぜなら、ライブハウスで音楽ばっかりの立食パーティーだったので、格式の「か」の字もない。 しかもシナリオは全部オイラが作ってるし・・・うーむ。
来週に向けて緊張感は高まるばかりであった。
以下次号!!
そういえば、外部公演がポシャった。 いろんな経緯はあるものの、なんともさみしい限りだ。
むむむ、遂に愛車ランティスを手放す決断を迫られることになりそう。
家族のために7人乗りの車だ。 しかし、まともな7人乗りは普段の足として使うには大きすぎる。 燃費が良くて7人乗れて、価格も安いのは・・・ そんな車は2種類しかない。 H社のMとD社のA7。 さてどっちにするかなあ〜。 悩みどころ。
そして、この車をある程度のった暁には、D社のあの車が生産中ならきっとそれにのせてもらえるはず。 そんな夢を見つつ、現実を見つめるのだった。
昨日熱を出したので、必然的に病み上がり。 頭がボーッとしていまいちテンションが上がらない。
仕事中もボーッとしている。
こんな日は何気ない言葉が無防備なオイラに突き刺さる。
(書いてから空しくなったので中略)
病み上がりから更に上がったら、きっとこんな話は物ともしないと思うけど、たまには毒吐き・・・・
熱が出た。
仕事も休んだ。 疲れてんのかな〜。
そういえば、嫁さんも秀次も風邪気味。 来週家族旅行だが、キャッチボールしないように気をつけなきゃ。
2002年09月11日(水) |
第15回公演スタート!! |
今日から第15回公演スタート!!
本番日がいろいろな事情でなかなか確定できないけど、出来ない状況ではないので、ちょっと一安心。 劇団員に台本を配り、読み合わせ。 一度過去にやった芝居なので読みながら当時の事を思い出す。 その時の自分の気持ち、劇団の気持ち。 そして、劇団の状況。
いろんな思いが交錯する。 今状況は当時に何となく似ている。
いろんな過ちはあったが、劇団がここまでやって来れたと言うことは、あの時の選択はきっと間違ってなかったと言うことだ。 と信じたい。
劇団を離れる人もいれば、反対に入って来る人もいた。 元劇団員の復活だ。
いろんな意味で新たな気持ちで再スタートだ。
そして今日はあの日から一年。 今は取りあえず黙祷。 改めてイマジンという歌の精神の大切さを思う。
僕らの価値観を変えてしまったあの日からもうすぐ一年・・・
PTSDとまではいかないが、何かしらの不安がふと襲う時がある。 その不安はテロかも知れない不安だったり地震かも知れない不安だったりする。 テロのあと、様々な事件がテロと関連づけられた。 結果的に全く偶発的に起こった事故までも。 とにかく敏感だった。 そして不安をあおられた。 来るかも知れない東海大地震や南海地震のように。
情報が溢れる時代は不安を煽られる時代なのか・・・・
しかしだからといって、テロへの危険性、地震への危険性を警告することを否定するつもりはない。
少なくともいろんな意味での「人災」は防ぐ手段があるんじゃないんだろうかと思う。
次回公演は前途多難だ。
外部公演の予定はまとまらないし、予算はないし、人も少なくなりそう・・・
まだまだ考えなければいけないことがたくさんあるな。
2002年09月08日(日) |
親善ソフトボール大会 |
今朝もはよから親善ソフトボール大会だ。 朝早いのは毎回そうだが苦手中の苦手である 早起きして仕事するとそれだけであとの一日がだらだら状態になる。 しかし仕事はやらないと進んで行かないので、ぶつぶつ言う労力を惜しんで仕事をする。
そういえばこの大会、毎回のごとく重傷者が出る。 骨折や肉離れなどなど。 普段運動をしてない人が張り切り過ぎてなるそれである。 毎回注意しててもどっかのチームの誰かが必ずと言っていい程骨折してしまう。 特に20代30代に多いのだ。 若かりしころの自分のイメージが抜けないまま動いてしまっての結果だ。
ふと思う。 何処かで同じ状況が・・・・
2002年09月07日(土) |
ジュニアスポーツ教室再開!! |
夏休み中は中断していたジュニアスポーツ教室が再開。
今回のお題はドッヂビー。 この競技はウレタンのような素材で出来た直径27センチのフリスビーでドッヂボールをするのだ。 全国統一のルールがあるのだが、ドッヂボールもそうだと思うのだが各地にローカルルールがある。 なので今回はそのローカルルールで行なって行った。 その所為があったからかどうかは分からないけど、教室はものすごく盛況だった。 普段だと必ず脱落する子どもが出て来るのだけど、今回は一人もいなかった。
夏休み明けの第一回目、まずは幸先良いスタートを踏むことが出来た!
家にかえってから何年か振りに第2回公演「ピルグリム」のビデオを見た。 オイラが初めて主役(らしき役)をやった芝居だ。 やった当時はやりきって満足していたが、今回改めて見ると目を覆い隠さんばかりの悲惨さだ。 会話は取れない、腹式で発声出来てない、立ち方は格好わるいと、散々。 昔のビデオとは言え、今後役者をすべきかちょっと考えるのであった。
体育館の施設に池がある。 毎年一回は水を抜いて掃除をしてやらなければいけない。 今日がその日になった。
池の中は藻がいっぱいで透明度も低い。 でもその中に様々な生き物が住んでいる。 メダカ、カメ、ナマズ、金魚、ミズスマシ、アメンボ等々・・・ よくぞこの悲惨な環境の中で生き延びているなあと感心するのだ。 水を抜き始めて余分な藻をとっていくわけだけど、これがまた臭いし感触があまりに素敵すぎる。 藻の何とも言えない感触と臭いに耐えながら何とか水の入れ替えに成功した。
水を入れ替えたあとは、それまで汚くて影も形も見えなかった生き物たちが元気に動き回る姿が見える。 ちょっとは苦労は報われたかなと思う瞬間だ。
前回に引き続き反省会。
今回の公演の宣伝方法や、資金面の話などいろんな話をした。 完全とまではいかないが何とかか今後の方向性が見える話し合いになった。 次回の稽古日からいよいよ第15回公演がスタートする。 どんな芝居にしていこうかまだ思案中だけど、今回の公演で弱点だと思っていた部分へのアプローチが出来る芝居にしていこうと思っている。 劇団全体でスキルアップが出来ればと思う。
そして、つくづく思うのは集団運営とはそこにいる一人一人が成長していかないといけないなあと強く思うのだった。
そういえば、今日とある筋から 立浪、郭、小松、星野、福留の直筆サインボールをもらった。 幸せなオイラ。
ドラゴンズの調子が上がってきた。 遅すぎるといえば遅すぎるが、このままいって何とか星野阪神より上位で面目を保ちたい。 川上も月間MVPに選ばれたし。
そしてグランパスは悲願のリーグ戦制覇に向けて動き出した。 2ndステージ初戦を飾り好発進!! 現場に行って応援したいけど、今の仕事やってる間は無理かなあ・・・ 今年の冬には何とか笑っていたいものだ。
この日の夜、久しぶりに東京から帰ってきたミュージシャン三浦鯉登にあう。 一年越しに待ちこがれたビデオを渡すためである。 前回奇跡的に見にきてもらえたウォルターミティーの感想なんかもいろいろと聞いた。 そして気がついたら・・・おおー、空が白々と・・・ いつもそうだけど、この人と話をするといつも時間が足りないくらいだ。 くだらない話が結構刺激になったりする。 今度こそは翌日の仕事やなんかを気にせずゆっくりと話が出きるといいなあ。
再来週のお休みに久々に家族で旅行をすることになり、その計画をすることになった。 行き先は東のほう。
ガイドブックなんかも買って宿探し。
と思ったけど、ガイドブックにのってた全然別のところに心引かれ、そのページばっかり読んで宿決められず。 丁度夢に浸ってるあたりで嫁さんに一声かけられやっと宿探し本格化。
この宿探しに重宝したのがインターネットだ。 いろんな情報が載っているし、特典や割り引き情報も紙媒体とは違ってリアルタイムだ。 ついでに言うと某ペンションの写真がネットと雑誌で同じ家族だったのに、各々の出身地がちがってたりもした。 どっちがいい加減かわかんないけど、結構いい加減なのね。
む? いい加減って「いい」「加減」って書くけど、「いい加減」になるととても良くない状態を指すことになる。 日本語は不思議不思議。
てなわけで、ぼちぼちと宿探しは終わった。
毎年旅行に行く場所(伊那)は決まってたんだけど、今回はちょいととある施設のタダ券が入ったのでそっちに行くことにしたのでした。
公演後の反省会だ。
今回役割の面やいろんな面で劇団の中が整理できないまま本番を向かえてしまっていた。 その整理をするための反省会である。 本当にいろんなことがあったがみんな感情的にならず、その時自分の置かれていた立場ややっていた仕事を冷静に振り返り分析し、この先何が必要かを模索出来る反省会になった。 自分自身もたりないところがあったし、それをもう一度考える機会になった。
2002年09月01日(日) |
やっと一週間が終わる |
本番後の一週間の仕事はリハビリ期間。 とても長い一週間だった。 しかも日曜の夜まで仕事! ちくしょー! でもやっと社会人の生活に復帰した、いや、なれた感じになった。
さあ、仕事も適当に頑張るか!
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