兼松孝行の日々つれづれ

2002年10月31日(木) 同期会

久々に役場の同期会だ。
ちょうど同期同士が結婚するので、今回はそれのお祝い会。

本当に久しぶりに同期メンバーが勢ぞろい!
と思いきや一人熱のため欠席。
幹事のオイラとしてはちょっぴり残念。

飲み会は淡々と進み、それはそれで幸せな光景だった。
役場に勤めて10年。
いろんな思いが交錯する。

そしていろんな意味で個性が出て来る。

ある意味楽しいし、ある意味ちょっと恐い感じのした飲み会だった。

そして結婚の決まった二人には心からおめでとうを言いたい。



2002年10月30日(水) 稽古

今日はできたてホヤホヤのプラン説明。

いろんな制約があるとは思うけど、今の劇団の実力ならば最大限努力すればここまでのことはできるだろう、というところでの今のオイラの理想のプランを出した。
もちろん、裏方がどのあたりで現実判断をするかは、未知数な部分はあるけれども、少なくともお客さんを楽しませると言う視点に立てば、おのずとやっていくば期着地点は見えて来ると思う。

演出として譲れない部分。
裏方として譲れない部分。
各々あると思う。
そこには、理想を追い求める演出と現実判断をせざるを得ない裏方とのギャップがあると思う。
でも、それは喧嘩してでもいいからお互いに着地点を模索していければいいと思う。

これで本格的に芝居づくりがスタートだ。



2002年10月29日(火) やっとこせ

やっとこせプランの大枠が出来た。

今回は台本が決まってから2ヶ月近く立ってから出来たので、オイラにしてみたらかなり遅い。
もちろんまだ細かい点や、暫定案で保留にしている部分もあるので、そういった点はこれから考えていくところだ。
そしてそういう点は、基本的に稽古の現場で変わっていくと思う。

しかし、プラン出しに正味40時間程度もかかってしまった。
これでは日常生活もままならない(実際今週一週間は寝不足)
やはり何処かで割り切りが必要なのだろうか・・・



2002年10月28日(月) 未だ・・・

舞台と衣装のプランは上がったが、音がなかなか出て来ない。
家にあるCDを引っ掻き回してもなかなか見つからない。

音の作業をしていると、だんだん感覚が麻痺して来る。
どれもこれも同じ曲に聞こえて来てどうでも良くなる時間帯がある。
でも、その時ある一曲がジグソーパズルがカチッとハマるかのごとく来る曲がある。
そうやって音選びは進んでいく。

でも、今回はそういう曲が少ない。
別に妥協しているわけではなく、自分の中の理屈がそうさせる。

ほんとうは感覚的にかちっとくれば、走っていけるのになあ。



2002年10月27日(日) 難産・・・

演出プランなかなか進まず。

アイディアはある、しかし・・・・

うーん、難しいところ。

いつも演出プランを作っていく時は、我慢して我慢して溜めたものを、ある日一気に吐き出す感じで作っていく。
しかし今回は時間がかかっている。

久々だなあ。
半神以来かな、こんなに難産なのは。



2002年10月26日(土) 言論はどこへ行く

衆議院議員が暗殺された

意志を語るその先には悲劇しか用意されていないのか
やはり武器は必要なのか

形ある武器の前に、形なき武器は力を持たないのか

認めたくない、でもそれが現実
現実を許容しなければ前進はない

僕らが教えられた日本国憲法はこんなに不安定なところにいるのか



2002年10月25日(金) 恐るべしUFJ

仕事の振込でUFJ某支店に赴いた。

窓口に入って、専用の振込用紙を見せこの振込へ機械で出来るか聞く。
窓口でと言うことで、番号札を持って待つ。
午前中というのに40人くらいの待ちがある。
そして暫く待つ。
やっとオイラの番が来た。
さて窓口へ。

「これはあちらの振込機の方でお願いします」
「あれ?さっき窓口でって言われましたよ」
「機械で出来ますし、手数料も安いですよ」
「!」

なんてこったい・・・
てなわけで、現金振込機に並ぶ。
目の前ではおばちゃんがあたふたしながら機械と格闘している。
となりのATMではこれまたおばちゃんが店員をとっつかまえながらやっている。
この店員が二人の間を行ったり来たりしている。
どうも失敗ばかりしている様だ。

結局オイラの番が来るまでに30分くらいの時間がかかった。
都合1時間30分。
窓口処理の評判は元々あまり良くないが(お客さんが多い所為もあるが)ここまで悲惨だとは思わなかった。
これで日本で上から何番目かの銀行だと思うとめまいがした。



2002年10月24日(木) 制作打ち合わせ&プランニング

体育祭の代休を無理矢理とって(とらされて)お休み。

てなわけで、ちょいと時間が出来たので芝居のプランを一日悶々と考えた。
今まで溜めてきたイメージを一気に吐き出した。
うーむ、なるほど、そうね。
今までの劇団Beansのイメージする舞台とちょっと手触りの違う舞台になりそうだ。
そして、場面の構成と音を考えていく。

今回自分自身に高いハードルを設けて音決めをしているので、なかなか理想の音が見つからない。
暫く悩むことになりそうだ。

夜になって、制作関係の打ち合わせ。
お題は「低迷する集客の打開策について」である。
いろんな意見交換をしたが、なんとかなりそうな予感。
テーマとしては、「劇団Beansをより身近に感じる」ことだ。
具体的方法はこれからのお楽しみである。



2002年10月23日(水) 体育指導委員会

今朝、上司から電話があった。
「今、病院で、これから入院」
お!

これでうち職場は2人体制になった。
100人入るうちの1人が減るならまだしも、3人が2人になるのはさすがに辛い。

てなわけで毎月恒例体育指導委員会だ。

今回は体育祭の反省と12/8ジョンレノンの命日(高齢の人は太平洋戦争の開戦日といってたっけ)にある走ろう会の打ち合わせだ。
体育祭の反省では、今回の体育祭の進行の遅れが基本的には体指にあるせいか、割と骨抜きの議論になってしまった。
自分達の首を自分達では絞めないと言うことか!
オイラ達がミスると烈火のごとく突っ込みが来ると言うのに!
まあそれはさて置き、てなわけで、またこれから12月まで怒濤の日々が続くのだった。

それも何時出て来るか分からない上司に期待せず、これからの様々な準備と予算を2人でやっていくことに腹を決めた。

しかしなんともはやである、



2002年10月22日(火) 弥生空手サボる

毎週火曜日はいつもの様に弥生の空手の日だ。
しかしこの日は様子が違う。

弥生の友だちが来ていないのだ。
躊躇する弥生に空手の先生も困惑気味・・・

実は以前にも同じようなことがあり、今度空手をサボるようなことがあったら辞めにするという約束をしていた。

何度促してもいっこうにやろうとしないし、「空手嫌い。やりたくない。おうち帰りたい・・」繰り返すばかり。
埒があかないので、家につれて帰りオイラは放浪の旅へ。
暫くして嫁さんから電話があり、弥生も反省して落ち着いたということで家に帰った。

家では弥生が反省していたが、とりあえずこちらもいうことを言って叱った。

いつもそうだが、ここはほんとに先生がいつも親身になって教えてくれている。
それを友だちがいないからと言って簡単に無にするようなことをしたのが許せなかった。
本当に先生に申し訳が立たない。

今度行った時に一緒になって頭下げるしかないなあ。



2002年10月21日(月) 稽古&検問

本日も読み稽古。

ボチボチと具体的なイメージ出しと具体的なダメ出しをし始めた。
それでも、まだ演技指導のレベルではあるけれど。

そういえば、検問に遭遇した。
しかも、稽古の後飲みに行った帰りだ。
以前、劇団員からやってるよと連絡のあった場所だ。
パトカーの赤色灯がクルクル回っているので、これは!と思った。
でもよく見ると飲酒の検問ではないらしいことは分かった。
だけど、取りあえず道を迂回することにして交差点をまがった。

あ!

そこにも警官が。
ドキドキしながら窓をあける。
一応、コーラやあったかいお茶でお酒はさましてから出て来たつもりだがそれでもどきどきだ。

警官「免許証を見せて下さい」

免許を取り出す俺。

警官「この付近の方ですか?」
オイラ「そうといえばそうです」

警官、免許を確認する

警官「最近、このあたりで車上ねらいが多発してます。車の中にバックや金品をおいておかないよう気を付けて下さい。」
オイラ「どうも、ありがとうございます。おつかれさまでした。」

セーフ!

家に帰って嫁さんにはなしをしたら、もしもとっ捕まっても30万は自分で何とかしなさい、とのありがたいお話(泣)
そうね、飲んだら運転者しちゃいかんよね。
わかってるんだけどね〜。



2002年10月20日(日) 新庄やった!

新庄がワールドシリーズ初スタメン、初ヒット!

これには大きな意義があると思う。
依然ヤンキースにいた伊良部がレギュラーシーズンにあれだけ活躍しながらも、ポストシーズンにはベンチ入りこそすれ、当番の機会が全くなかった。
やはり、人種の壁がそこにはあるんだと言う思いがした。
かつて小田和正がオフコース時代に出したアルバムの受け止められ方も、「どうせ東洋人が作ったものだから・・・」てな感じで聞いてももらえなかったという。
しかしやっとワールドシリーズに出場出来たと言うことは、東洋人もやればできるんだと言うことをしっかりと見せつけたと言うことである。
そして、そこに至るまでには、やはり昨年のイチローや佐々木の活躍が大きな度台になっていると思う。

そういう意味で際物扱いだった東洋人が、やっと認められた瞬間でもあると感じた。



2002年10月19日(土) OSX

友人のiMacでプリンタが動かないと言うことで、家にいじりに行った。
そこでは、友人の他のグループの飲み会も同時開催されていて、パソコンいじりに行ったわりには顔は真っ赤になってしまった。

それはさておき、曲者OSX。
OS9使いのオイラには難敵だ。
X環境で9のソフトをダウンロードしたりする手段も未体験ゾーンのオイラにとっては、何がどうやら謎の世界だった。
しかし、ヒントが浮かんだ。
友人のパソコンは主なソフトが全てクラシック(OS9)環境で動作する。
ということは・・・・

おー、ということは、起動ディスク自体OS9にして、それで動くパソコンにすれば全て解決するではないか!!
というわけで、マック使いの風上にも置けない手段を実行することにした。

そして、プリンタソフトのインストールが終わり、動作確認も済み、晴れて友人のiMacはOS9で動作するパソコンへと生まれ変わったのだった。






・・・・ん〜、ちょっと敗北感。



2002年10月18日(金) うむむ、

やはりそうかと言えばそうなんだけど、拉致被害者が戻って来てからというものマスコミは連日彼等をおい続けている。
せっかく久しぶりに戻って来たのだから、静かにしておいてあげればいいものを如何せん視聴率がとれてしまうものだから、とにかくおい続けてしまっている。
これじゃぁ彼等のプライベートな時間も何もあったもんじゃない。

彼等が日本に戻って来れた事は重要な事実なのだが、その後の誰とあってどんな話をして何を食べたかなんてことは、外交の話と別のことだと思うし、最終日くらいに記者会見かなんかで総括すればいいことだと思う。
こっそり話したいことも話が出来なくなってしまう。
まあ、もちろん拉致被害者自身がこっそり何かの話をしたら、それはそれで本の国に戻ってから大変なことになるかも知れないから絶対に話さないとは思うけど、でも、家族との別のひそひそ話しくらいはちゃんとさせてあげなきゃなあと思う。
もちろんいろんな配慮はしていると思うが、それでもやりすぎだと思う。

それに、他にも大事なことがこの間にもたくさん起こっている。
感情論でキャンペーンをはるマスコミはどうかしている。
外交の問題もそうだけど、自分達の国自身も今は危うい状況なのに。

そして今日もまた自爆テロや大量殺戮が人々を苦しめていく。
不幸の連鎖はどうやって断ち切ることができるんだろう・・・



2002年10月17日(木) 四半世紀ぶり

四半世紀ぶりの対面。
様々な感動がそこにはあった。

でも何故かせつない。
彼等の行動に本当と作意が混じる。
彼等の笑顔や涙の向こうに北の影を探そうとする。
意識的にそして無意識的に。

本当の涙は流されている。
本当の意味での涙ではなく。

それがせつない。



2002年10月16日(水) 稽古!

遂に本キャストによる稽古が始まった。
まずは、読み稽古からスタート。
公演は何ヶ月も先の話だけど、公演にかかる実動時間はそんなに多くない。
一回一回の稽古を大切にしていきたいなあ。



2002年10月15日(火) 燃え尽き中

一日へろへろ。

メジャーリーグで新庄の出番はなかったけどジャイアンツが優勝した。
おめでとうだ。



2002年10月14日(月) 第53回扶桑町民体育祭

遂にこの日がやって来た!!

今まで自分が準備して来たイベントなわけだけど、この日ばかりは自分の物ではなくなるのだ。
何だか、今まで育てて来た子どもが一人立ちする瞬間のような、そんな感じだ。
言い方を変えてしまえば、そこに自分がいようがいまいが物事は進んでいく分、自分自身の力は無力になり、集団の力が大きく作用する感じだ。
これは、演出と本番中の目の前の芝居との関係と同じだ。

秋晴れの空の中、多くの人たちの笑顔と歓声と、そしてほんのちょっとの反省点の中体育祭は終わった。

その後の打ち上げはすっかりうち上がったのは言うまでもない。



2002年10月13日(日) 体育祭前日

やることはやった!

後は寝て身体を休めて、明日に備えるだけだ!



2002年10月12日(土) 体育祭準備3

例によって体育祭一色の職場。
そして、体育祭の話題がチラホラの巷。

リレーの組み合わせでチーム数が増えて、ルール上あわなくあってしまったところが出来た。
こりゃマズイと思いながら、上司や体育指導委員の方々に相談をする。
本来8コースのトラックを、9コースで使うというやや強引な案に落ち着いたが、基本的にアバウトなルールで行なっている体育祭なので、怪我の心配さえなければこれでよしかと納得してみる。

ずーっと一日身体を動かしていた所為もあるが、やっぱり子どもと一緒に寝てしまった。
つかれてるな〜。

芝居のことも考えないとけないのになあ〜。



2002年10月11日(金) 体育祭準備2

体育祭もあと2日後に迫って来た。
やっと世間も体育祭のことで盛り上がり始めている。
週間天気予報も曇りマークから晴れマークに変わった。

しかし不思議なもので、この体育祭の天気の話題になると何故か「雨降った方がイイと思ってるだろ?」と聞かれる。
オイラにはその気持ちが分からない。
っていうか、どんなに不真面目に仕事をしていたとしても、これだけの量と時間をかけて準備して来たイベントが、空からほんのちょっと水が降った程度で中止になることを容認出来る程の心の余裕はない。
要はそれだけ準備は大変なのだ。

そういえば最近稽古のない日は、子どもと一緒に寝て子どもよりも遅く起きる生活だ。
認めたくないけど疲れてるんだなあ・・・



2002年10月10日(木) 体育祭準備

10月10日は晴の確立が365日の中で一番高い日だ。
だから東京オリンピックの開会式の日に選ばれ、そして「体育の日」となった。

そんな秋晴れの快晴の空を恨めしいと感じながら、4日後の体育祭の準備で一日中グラウンドで汗を流す。
体育の日がハッピーマンデーとなり、家族とのふれあいに利用するために毎年10月の第2月曜日となった。
晴の確立が10月10日よりは低い日となった。
日程が移動した最初の年、雨天中止になった。
今年はどうなんだろう?
今のところ予想は「曇り」。

今日この日に体育祭が出来ればいいのにと強く思った。



2002年10月09日(水) 稽古!

配役が決まって初めての稽古。

あれれれぇ〜?
なんと人が少ないことか。
しかも、本役の人が少なすぎる。
前途多難か?

そして、発声の稽古。
母音と子音の稽古。
通常なら5分足らずでひとまわり出来るところを、1時間半程かけて行なう。
みんななかなか口が回らない。
そして、イントネーションがなかなか上手く行かない。

う〜む、前途多難そうだなあ〜。



2002年10月08日(火) 配役決定!!

悩みに悩んだ挙げ句、やっとのことで配役を決定した。
オーディションを行なった結果を受けて配役を考えていったのだが、これがまた(演出のオイラの中で)大激戦だった。
上手い下手のレベルではなく、しっかりとその人の人となりや観てくれ声質等を検討していった結果だ。
時々モチベーションの維持のために劇団員の感情に配慮した形で配役を考えていくこともあったが(それをしなければいけない時もある)、今回は全く考えていない。

配役を何通りか紙の上に並べて、ある一つの配役表が勝手に動き出すまでじーっと考える。
これは理屈では説明が出来ないところがなんだけど、結局のところ自分の中で腑に落ちた配役だと言うことで理解してもらいたいと思うし、それを採用とした。

最終的にはそれでも不安な部分があったので、稽古の時にもう一回読んでもらって、若干の修正を加えた。
今改めて眺めてみても、これならいけると思える配役になった。

オーディションの希望が叶った役者はほんのわずかだけど、オーディションの結果だけがそうさせたわけではない。
やはり全体のバランスを考えるので、役者をある位置においた時の他の人達がハマっていけるかどうかを考えるのだ。
オーディションを受けた役者達は役がとれたとれないと一喜一憂しているかも知れないが、本当の勝負はこれからである。
演出のオイラがよほど間違ってない限りキャスティングミスはないとおもうが、役者も時が立てば考え方や体力や様々なものが変化していく。
また、サボったり反対にやり過ぎたりと、いろんなことが起こって来る。
そこをどうやって汲み取っていいものにしていくか、それが重要だ。
そして演出のオイラも然りだ。

あ!
気がついたら配役にオイラの名前がない・・・・周りに次は、さんざんやるやると宣言していたが、また役者はお預けだなあ(泣)



2002年10月07日(月) うーむ、悩み中

耳鼻科に言ったら「あんた風邪ね」とにこやかに告げられた。
朝起きたら手が血まみれに。
何だ何だと慌ててみたら、鼻血だった・・・・
で、急いで耳鼻科に言った次第。
いつも季節の変わり目は辛いのです。

そして昨日に引き続き配役検討中。
う〜む。
やはり悩み中だ。
目下のところ、芝居は10人のキャストで行なうが、11人目の出演者である音響オペをどうするかで悩み中である。
これは舞台上にいる役者と同じ呼吸が出来て、それなりにかんが良くないと出来ない役割なのだ。
言い方を返れば、いまいちの役者には出来ない役割と言うことだ。
だから余計に悩んでしまうのだった。

さすがに15回の経験を積んでると、昔割切っていたところにこだわりが出て来てしまう。

果たして今晩の稽古までに結論が出せるんだろうか?
乞う御期待!!



2002年10月06日(日) 第15回公演オーディション

遂に第15回公演のオーディションがやって来た。

前回のオーディションは全体的な出来がいまいちだったが、さて今回は・・・・

これが蓋を空けてみてビックリだ。
みんな出来が前回に比べて格段に良くなっている。
このオーディションを受けて配役を決定していくわけだけど、もともと演出のオイラは真っ白な状態でこのオーディションに臨んだわけではなく、イイ意味で期待を裏切られた格好になった。
ものすごく事務的な言い方をすれば、計算が狂ったと言う感じだ。
これを何とか嬉しい誤算に変えていかなくてはいけない。

これからのほんのちょっとの時間が勝負だ。

誰もが納得する結果にはならないと思うけど、公演が終わった頃には誰もが納得出来る結果を残すために、これから配役やらいろんなことを考えていかなくてはいけない。
しかし、演出とは因果なものだ。
役の枠は決まっていて、でもみんな一様に努力して来てるわけで、そんな仲間の中から誰かを選んでいく。
誰かを選ぶって事は誰かを選ばないことだ。
分かっていることだけど、配役決定後の最初の稽古が一番辛かったりする。

他人の顔色ばかり伺っていてもいいものは出来ない。
何処かで割切ることも必要だ。
でも、歳を重ねて幾たびにだんだん割切る勇気がなくなっていくのも事実。
老けたなあ〜俺。



2002年10月05日(土) 怒濤の日々!

ここんとこ仕事が珍しく忙しい。
体育祭が近い所為もあるし、新しい教室が始まる週でもあるし、そして一番うっとおしい定期監査の書類を作らなければ行けない週でもある。
さすがにこの3っつの大きなお題目が重なると泣きそうだ。
ほとんど自分の席に座ってないし、かといってそこではないどこかにとどまっているわけでもない。
そんでもって、昼飯もままならずタバコの一本もゆっくり吸えない状態。
忙しいことはとってもいいことなんだけど、まさにその時のとおり心がどっかにいてしまう。
ほんの少し気を遣えれば、相手ももう少し気分が良くなるんだろうけど、なかなかそうはいかない状態だ。
これではいかんいかんと思いながら、時間に追われるのだった。

そういえば、明日がオーディションだ。
台本読まなきゃ・・・



2002年10月04日(金) 体育祭運営委員会

そろそろ体育祭ムードも盛り上がって来た。(一部扶桑町総合体育館界隈)
そして、体育祭の裏方さん200人が集まっての会議となった。

昨年の会議ではいろんな事があったけど、今年は何なく進んだ。
いやあ、よかったよかった。
と胸をなで下ろすオイラだったが、その後が長かった。
体育指導委員ばかり集まって、あーでもないこーでもないと延々話始めてしまった。

おかげで体育館をでたのは普通人のいない時間になってしまった。



2002年10月03日(木) ゴミ投棄!

体育館に隣接するテニスコートの駐車場にゴミが投棄されていた。
近くを見渡してみると、幹線道路沿いの空き地がきれいに除草してあった。

ということは、どうもこの空き地に不法投棄されていたものが除草と共にあらわになり、仕方がないからテニスコートにおいたようだ(近くの工場の人談)。
内容は
生ゴミ 2袋(ものすごい悪臭のおまけ付き)
長持ち 1個(中で炭をおこした形跡あり)
空き缶 2袋(ジュースからビールまで様々)
植木鉢 多数
虫   たくさん(ナメクジからまる虫まで)
靴   2足
看板の土台   2個
コンクリート柱 2本
トヨタ車のホイールカバー 1個
だ。
なかなか盛りだくさんで、しかも凄まじい悪臭付だ。

中日スポーツで最近のドラゴンズの快進撃を喜んでいた矢先の惨事!
悪臭付で家に帰らなければならない・・・・

ちくしょおぉぉぉ!!!
ゴミ捨てるなぁぁぁ!!!



2002年10月02日(水) 稽古!・・・・そして、

第15回公演のオーディションが今週の日曜日に迫っている。
そんな中での何とも言えない緊張感の中の稽古だ。

と、思っているのはオイラだけだったらしい(泣)
みんな割とリラックスムード。
稽古は、劇団が出来た頃に使っていた発声のテキストを久々に引っ張り出しての稽古だ。
はじめてこのテキストを見る人も多い。
と言うわけで、母音、子音の稽古・・・・・になるはずだった。
しかし!
何とそれ以前のところで稽古は止まってしまう。
何がいけないかというと、方言が酷いのだ。
先ずは、この克服からスタートである。

最終的にはこのテキストくらいはすらすら読めないと、いくら台詞を言ってもお客さんに分からない。
このテキストの稽古を通して、しっかりと発声の基本を覚えて欲しいと思う。
このテキストが上手く読めるようになるんじゃなくて、発声の基本を覚えて欲しいのだ。
稽古中ちょっと気になることがあって、普段の台詞は方言丸出しなのに、このテキストはしっかり読める役者が何人かいた。
ある意味これは問題だったりする。
テキストは読めるわけだけど、単なる慣れで読めているに過ぎないのだ。
これではせっかく覚えたことも、他に応用が効かない。
というわけで、時々いつもの読みとは違うやり方をして、苦しんでもらって、慣れの自覚をしてもらったりした。

オーディションを挟んで、次回は怒濤の子音の稽古だ。
ある意味大爆笑間違い無しだ・・・・・でもそれでは困るんだけどなあ〜・・・・

稽古後、さっそく劇団員によるモビリオの試乗会となった。
乗車定員いっぱい大人が乗って、さてどんなもんかな?
シートは3列目まで評判は悪くない。
さて発進!
お。
意外と軽く走る。
さすが低回転のトルクを厚くしただけのことはある。
60キロまでなら、一人だろうが人数いっぱいだろうが特に問題はなさそうだ。
さすがに坂道と60キロを超えてからの走りは、伸びがなくてちょっとつらそうだが、エンジンにちょっと頑張ってもらえれば、なんとかストレスなく走行できそうな感じだった。
せっかくだから、モビリオに◎をあげよう。

話は変わるが、お昼に北朝鮮に拉致された情報を総理官邸で読み上げている中継を見た。
素直に、良くできた作り話だと思って不謹慎だと思いつつも笑ってしまった。
でも、その後の家族の対応を見てると、不謹慎じゃなくて良かったと、ちょっとホッとしてみたりもした。
さてさて、真実は如何に!



2002年10月01日(火) 再び飯田へ

仕事の打ち合わせに、モビリオのならし運転も兼ねて飯田市へ。

台風が近づいている所為で、雨がひどく水しぶきで視界は不良だった。
前日に液体ワイパーを簡単に塗っておいたおかげで、なんとか視界も確保出来、特に危険も感じることなく飯田市まで行くことが出来た。

しかし、飯田までわずか100キロ程度の距離で、何件か雨が原因と思われる事故を見かけた。
どれも、人の命に関わるような大事故ではなかったが、スリップして中央分離帯に激突していたり、進入レーンで接触事故をやっていたりと、ちょっとした不注意と思われる事故ばかりだ。

雨の日の運転は、晴れのに比べて事故の可能性が数倍に跳ね上がると聞いたことがあるが、まさにそんな感じだった。

雨の日は特に気をつけなければと、新車になったばかりのオイラは思うのだった。


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