2002年05月31日(金) |
乳牛テクノロマンス「ブラフメーン」 |
(いまんとこ)劇団Beans劇団員が脚本、演出のユニット、乳牛テクノロマンスの旗揚げ公演を七ツ寺共同スタジオに見に行く。
開場10分前に劇場の前を通りかかると、まだ受付の準備がされていなかった。 公演初日になりがちな「準備間に合わず状態」だと予想して近くの吉野屋で牛丼を堪能する。 開場時間に小屋の前に着く。 予想どおり開場が10分押し。 しかし、受付の丁寧な説明もあり特に混乱した様子はなし。
開場。 オイラは予約特典としてちょっとしたキャラクターグッズをもらう。 特に何と言うものではないが、何となく嬉しい。 劇場内に入ってひとつ驚いた。 客席が桟敷でなく全席椅子席になっていた。 この劇場で土足のままと言うのは初めての経験である。
パンフを読む。 「乳牛テクノロマンス」略して「乳テク」なんだか「ハイテク」みたいだ。
そして芝居が始まる。 演出、役者、スタッフワークの点で技術的な稚拙さの目立つ芝居ではあったが、これから自分達が劇団と言う集団でどんな姿勢で芝居をして行こうかと言う気持ちがびしびしと伝わって来る。 とても新鮮な気持ちにさせられたし、ものすごく刺激を受けた。 役者の何人かは高校演劇でガンバっていた頃を見ている役者である。 みんな見事に成長していて感心した。
芝居が終わったあと、とても清々しい気持ちになった。 上手いか下手かはおいといても、やっぱり芝居の醍醐味はこういったライブでしか味わえない気持ちの投げかけなんだ、と言うことを改めて思い知らされた感じの芝居だ。
この旗揚げ公演の初日に見たことが自慢出来る劇団になって欲しいものだ。
乳牛テクノロマンス
最近劇団員が走ることに夢中だ。 今日も稽古後、隣接する中学校の外周をジョギングしている。 一見劇団代表としては微笑ましい光景ではあるのだが、素直に喜んでいいのやら複雑な心境である。
何分実際にからだを動かす時間は22時を回っているわけで、そこで「疲労」するわけだ。 翌日に響かなければいいのだが、いや、響くくらい負荷をかけて行かないと意味がない。 基礎体力をつけるのであれば、30分以上ゆっくりゆっくり走り続け、要は身体と心肺機能を延々と動かし続けて鍛えるのである。 筋力をつけるのだったら、坂道でダッシュを10本くらいすれば良いわけである。 でもなあ、心配だよなあ。 と、過去に陸上競技をやっていたものとしては考えるわけだけど、まあ、やってる当人達が満足していればいいのかな、なんて思ったりもする。 動かさないよりは動かした方がいいに決まってるし。
普段走り慣れていないアスファルトの上。 怪我だけには十分気を付けて欲しいのである。 いずれ稽古は走る体力も残らない位のハードさになって来るので、今のうちに体力付けてもらってもいいのかな、なんて思ったりもする。
2002年05月29日(水) |
劇団TEN稽古場見学 |
名古屋に拠点を置く劇団TEN(敬称略)の稽古場を北区青年の家で見学させていただいた。
稽古開始時間は午後7時。 7時前には北青に着いていた。 ひとりうちの劇団員を待ち合い室で待ってたら、午後7時きっかしに大勢の発声練習の声が聞こえてきた。 暫く立ってから稽古場の扉をあけると、TENの劇団員が眼下で柔軟体操をやってる。 おおー、やわらかいぞ! 腹筋もやっているぞ! 稽古開始時間に沢山人がいるぞ!
次々とうちの稽古場では最近珍しくなった風景を拝ませていただいた。 単純にそれだけでものすごく刺激になった。
そして、抜き稽古に突入! ををを! 稽古に無駄がない。 みんな演出の一言一言に耳を傾けている。 自分には関係ない場面であっても、ちゃんと聞いているし見ている。
これも最近懐かしくなってきた稽古場の風景だ。 更に刺激を受けたオイラだった。
稽古場では「Be Here Now」見てくれたと言う劇団員に挨拶されて、何となく恐縮。 でも、彼女の目線はその時主役だったもう一人の劇団員の方へ・・・むむむ。 自分が裏方故のちょっぴりせつない思いをした瞬間でもあった。
稽古後、うちの劇団ではまずお目にかかれない状況が。 女性劇団員の何人かはジャージ姿から、普通の姿に着替えていた。 都会の劇団なんだなあと感じた。 さらに、稽古後の打ち合わせの中で、「稽古の残業」?「名城公園」?と言うことは稽古後もお外でやってるってことですか。 うちの劇団では近所が民家ばっかりで、稽古後の打ち合わせもひそひそ声でやらなければいけないのに。 考え様によっては幸せな環境である。 反対に稽古状況を想像するに、過酷を極めると思うのではあるが・・・
ますます刺激を受けたオイラだった。
そのご、劇団主宰のTurumiさんたちとガストに移動し語り合った。 普段、劇団の主宰同士や演出同士の会話はほとんど出来ない。 いろんな話をして行く中で、同じ立場に立ったもの同士だと、結構同じ悩みや喜びや葛藤を抱えているんだと感じで、何だか少し嬉しくなった。 同時に勇気が湧いてきたような気がした。 また、Turumiさん自身が劇作家でもあるので、劇作をして行く上での発想がいろいろと聞けてますます嬉しかった。
いろんな意味でとても刺激になる稽古場見学だった。
6月29,30日に名古屋市女性会館で公演があるので、プール掃除の仕事が早く終われたら駆け付けたいと思う。 劇団TENホームページ
本番まで残り3ヶ月を切った。
社会人劇団にとってこの時間は長いようでものすごく短い時間である。 今一盛り上がらない稽古場の打開策を役者の一人に相談した。
もう少しぜい肉をそぎ落とした形の芝居にしていく必要がありそうだ。
今日は曾ばあちゃんの手術の日だった。 曾ばあちゃんといっても、オイラから見てではなく、弥生や秀次から見ての話だが。 もう何年か前から癌を持っていて、その切開である。 場所が場所なので、内視鏡で行なうことができた。 ある意味やれやれである。 さすがにもうすぐ90になろうとしている人が開腹手術はちょっと辛い。 今回の手術でさらに長生き出来そうな感じである。 よかったよかった。
つい最近家にあるCDを数えたら1000枚を突破していた。 逆算するとMr.Children「It's a Wonderful World」が1000枚目だった。 記念すべきCDが自分にとって重要になりそうな1枚でなんだか嬉しかった。
でも、音楽好きを公言しながら「まだ」CDは1000枚足らずだ。 これからもっといろんなCDに出会って行きたいな。
2002年05月25日(土) |
CD/三浦鯉登「Ritography」 |
大学陸上部時代の先輩に当たる三浦鯉登から新作のCDが届いた。 届いたのは数週間前のことである。 「感想を書けよ」のメッセージも。
てなわけで、ちゃっちゃと聞いて感想を書きなぐろうと思って車の中で斜め聞きをしようと思って、乗り込んだ。 そしてCDが動き始める・・・あれ? その場から車を発進させることなく聞き入ってしまった。
このCDには新作と旧作が混在した状態でおさめられている。 セットリストを眺めると丁度大学時代にお世話になった曲達が並んでいる。
よく、昔の歌を聞くと当時の思い出が蘇って来る、というのだけど、あったこともない人の歌だったら 「この選曲ずるいよな、泣かせるぜ。」 という感じになる。 しかし、目の前にいてよく話をしていていろんなことを一緒に画策した人の歌と言うのは「ずるい」を通り越して「ひどい」のだ。 昔の歌を聞いて蘇って来る思い出と言うのは、一般的には美しいものだ。 思いでは美化されるのだ。 いらない記憶は彼方に消え去るのだ。 ところが、ここまで密接に付き合いのある人の曲は、思い出したくもないことまで思い出させてくれてしまうのだ。 自分の過去の芝居のビデオを見て、公演をしたと言う事実としての美しい思い出よりも、それ以前に反省点が泉のように湧き出て来る感覚に等しいのだ。 てなわけで、なかなか冷静には聞けなかったのだった。
1曲目におさめられている「未来への手紙」という曲がこのアルバムを集約していると言っても過言ではない。 過去の自分に対して、過去の自分の夢に対してのアンサーソングである。 歌の中の彼は消極的姿勢の振りをして夢を形にしていることを過去の自分に告げるのである。
きっと誰でも思ったことがあると思う。 若かりしころ「絶対こんな大人になんてなるか!」と。 それは、校舎の職員室あたりを睨み付けながら思ったかも知れない。 自分の親を見て思ったかも知れない。 テレビに写る政治家を見て思ったかも知れない。 そして年月が過ぎ、自分が絶対になりたくないと思っていた大人になってる自分にふと気付く。 はたして高校生だった頃のオイラがいまの自分を見たらなんて言うんだろうか。
このCDは自分にとって未だに位置付けの難しいCDだし、久しぶりに大きな命題を突き付けられたCDだ。 このCDを作った彼は自分の中で過去は過去として消化できたんだろうか。
ひとつ言えるのは、このCDは「成長」のCDだと思う。 一人の男がいろんな切なさや夢や希望を過去に刻みながら成長してきた姿のCDだと思う。 そして、かけがえのないたった一人のために作られたCDなんじゃないかと思った。
青い空が広がる爽やかな一日だ。
だけど、何となく気分はブルーだ。
昔、小田和正がソロアルバムのレコーディングでロサンゼルスにいた頃、「空が高すぎる」と言う曲を作った。 この曲は秋晴れの空をイメージして、季節の秋と気持ちの秋を引っかけて切なさを歌った日本人独特の情緒あふれる歌だ。
でも、現地のスタッフに
「空は高くて当たり前じゃねぇか」
と一蹴されたらしい。
ちょっと悔しい小田和正は、日本人の季節感も含めて説明してみたが、最後まで理解されなかったようだ。
ところが変わればルールが違う。 慣習も違う。 人の感覚すら違う。
ワールドカップで右往左往する自治体も、その慣習やルールの違い、はたまた感覚の違いにとまどっている。 小田和正のように個人レベルで頑張ってみても理解されない感覚もある。 当然自治体と国を代表する各国サッカー協会という組織同士のつきあいともなれば、そのすれ違い度合いもすさまじいものがあるであろう。
中国領事館での失態をこのワールドカップで取り戻すことが出きるのだろうか。 この国に生まれたものの一人として、憂慮せざるを得ない。
いろんな意味で、頑張れ!日本!!
2002年05月23日(木) |
トップページリニューアル |
なけなしの知識をつかってトップページをリニューアルしてみた。
・・・・知識不足からか、あろうことかジャイアンツカラーになってしまった。
これはまずい!←ちょっと小技も覚えた。
また、ちまちまと更新しなおそう。
毎月恒例の体育指導委員会。
昨年までは毎度毎度いろんな事で会議がストップしてきたが、今年は何とか上手くいけそうな雰囲気である。 細かいことを言い出せばいろんな問題点や検討事項はあるけれど、先ずは会議全体の流れが良くなった。 会議時間も昨年までだったら2時間くらいでやってた量の項目も1時間程度で済むようになった。
とりあえずやれやれと言ったところである。
うーむ、稽古が終わって、いつもの居酒屋で飲んで、家帰って演出プラン考えはじめたら、結局徹夜になってしまった。 最近なかなかこんなふうに時間がとれなかったので、実は結構嬉しかったりする。
しかし、プランができるまでは自分で言うのもなんだが家族が大変である。 相当神経質になるのである。 通称「仕事部屋」と呼んでいる部屋に引きこもり、プランが出来るまで出て来ない。 子ども達がこの部屋に入って来ると怒る怒る。 携帯電話やメールはうっとおしく感じる。 予定を狂わされる不確定要素は受け付けなくなる。 等々・・・
インチキ頑固職人に早変わりである。 自分でもいかんなあと思うけど、アイディアを絞り出す瞬間は思い切りとタイミングなので、そこを邪魔されると、また数日間イライラが続くのである。
こんな旦那を許してくれる嫁さん始め家族に感謝である。
実は許してなかったりして・・・(汗)
静岡県藤枝市の課長が自殺。 お祭りのはずのワールドカップで自殺だなんて・・・
何だか身につまされる話だ。 マスコミは「日本人はきっちりし過ぎて、責任感が強いから・・・」と言っていたが、オイラはそのことが直接の原因とは思わない。 多分公務員をやってる人ならピンと来たと思うが、組織やマスコミが課長を追いつめたのだと思う。 突然に日程変更や到着の遅れ等いろいろな不確定要素があるなか、上司やマスコミの重圧に耐えられなくなったんだと思う。 日本とはおおよそルールや習慣の違う国を招くわけだから、いろんな不確定よそがあって然るべきだと思うのだけど、そこのところに寛容に馴れなかった彼の周りの人間の責任だと思う。
マスコミが「日本人はきっちりし過ぎて、責任感が強いから・・・」なんていうバカみたいなコメントしないでもう少し自分達の責任を感じて欲しいと思う。
ついにドラゴンズAクラス入り!
首位も射程圏内に入ってきた!
5月に入って他の球団を寄せ付けない強さ!
こんな強いドラゴンズは本当に久しぶりだ。 今が奇跡的に強いのか、本当に強くなったのか、それはペナントレースが終わるまで分からないけど、できれば本当の強さであって欲しい。 そしてまた優勝が決まる試合はナゴヤドームで騒ぎながら見たいものだ。
友人の一人は、阪神が優勝したら道頓堀に飛び込むと公言していたが、果たしてどうなる事やら。
2002年05月18日(土) |
CHAGE&ASKA「CONCERT TOUR 01>02 NOT AT ALL」 |
7年ぶりにCHAGE&ASKAのライブ。 場所は名古屋市総合体育館レインボーホール。 その昔、米米クラブのツアーで石井竜也が 「レインボーホールって言ったって、どこにも虹なんてありゃしねぇ」 と言わしめたホールである。 ・・・確かに虹はない。 でも、一応申し訳程度に外に出ると夜間照明が七色になっている。
いやあ、よかったぁ〜。 たまらん。
久しぶりに見る密度の濃いライブ。 普通のアーティストだったら「これクライマックスじゃないの?」って言う感じで飛ばす飛ばす。 それが最後までどんどん行く行く。 あっと言う間の3時間!だった。 相変わらずアンコールなしのライブだった。
普段ヒット曲でしかお目にかかっていない人にとっては、この二人は別にASKA一人になってもいいじゃない、と思っている人もいるかも知れない。 でも、ライブを見るとCHAGEがとても必要だと言うことに気付かされるはず。 ライブは基本的に静のASKA、動のCHAGEという感じでバランスがとれている、いや、今日はCHAGEの日だったかな。 とにかく彼の歌う歌がいつになく(失礼!)たまらなくよかった。 いままでは、ライブのギャグ担当で、こんなに密の濃い歌を歌える人だとは思っていなかった。 そして、CHAGEの人間業とは思えないコーラスもたまらない魅力の一つであることを再認識した。 ちなみに、寒いギャグ担当ASKAが新たに追加された。 「いままでホールツアーがアリーナ(あった)」(ASKAのMC) その瞬間時間が止まるレインボーホール。
このライブで特筆すべきは、彼等の姿勢がものすごく変わったことである。 今回以前はどうしてもヒット曲「SAY YES」のイメージが付きまとい、また彼等もその幻影を突き破れずに観衆の前でもイメージを壊さないことを自分達に強いていたのだが、今回はそう言った肩の力が抜けて、最も基本である観衆とのコミュニケーションを重視したライブになっていたことだった。 とにかく見ていて気持ちがいいのである。 「好きな音楽をやっている彼等」と「彼等の音楽が好きな観衆」とのコミュニケーションがよくなっていた。 言い方をかえれば舞台の敷き居が一段低くなったライブになっていた。
舞台セットは、もともとがホールクラスのツアーのおまけの追加公演なので、サイズもセットも照明もそのまんまだったのが少々不満だったが、セットについてはちょっと美味しいヒントをもらった。
ちなみに彼等は通算80本近くのライブをセットリストをほとんど変えずにやってきたと言う。 自称「ガンコ職人」と言っていたが、それだけ今回のライブは完成度が高かったのだろう。
本当に久々に非のうちどころのないライブを見ることが出来て嬉しかった。
いやー、びっくりした。 ディフェンスに「秋田」。
今までノーマークだった彼がいきなり代表入り。 いろいろ見方はあるが、びっくりだ。
俊輔、名波等が選ばれなかったことについてはきっとこれからいろんなところでいろんなことをトルシエは言われるんだろうけど、そもそも枠が23人しかない。 心情的には辛い選択だったことは容易に想像出来る。 「誰かを選ぶ」と言うことは、「誰かを選ばない」と言うことだ。 しかも、今まで一緒に頑張って来た仲間である。 オイラはトルシエの判断を尊重したい。
勝手も負けてもいろいろ言われるんだろうなあ。
ちなみに今回選ばれなかった名波だけど、小学校の道徳の副読本に「傷だらけのストライカー」という題名でエピソードが載っている。 どんなに酷い怪我をしても、諦めずに頑張ってピッチに戻ってきた。 というお話である。 小学生の将来のことだけ考えれば、名波を代表入りさせると、とてもいいと思ったのはオイラだけだろうか・・・
ま、なんにしても、頑張れ!日本!!
2002年05月16日(木) |
CD/Mr. Children「It's a Wonderful World」 |
デビュー10周年を迎えるMr. Childrenの新作アルバム。
ジャケットは何だかクラシックのアルバムみたいなシンプルなジャケットだ。 ジャケット自体が小さな本のようになっていて、各々のページに歌詞が書いてある。
このアルバムは「蘇生」という曲に集約される。
全体を通して「叶わない夢」「捨ててしまった(捨てなければいけなかった)夢」への様々な切ない思いが描かれている。 それは例えば恋愛だったり、結婚だったり、戦争だったり、友情だったり、生と死だったり、様々である。
「蘇生」はそう行った叶わなかった夢、諦めざるをえなかった夢はたくさんあるし、夢は捕まえた瞬間夢でなくなってしまう。 だったら、このつまらない日常生活こそ夢みたいに塗り替えてしまえば、それは素敵な世界になるだろう。 そういったメッセージが込められている。 有り体の言葉でそして一番素直な言葉を使えば、世界を「みんなの愛」で塗りつぶしたいという思いが伝わって来るのである。 そしてそれが「Wonderful World」ということなんだと。
「Innocent World」からもうひとつ踏み込んだ考え方だ。
オイラはとてもこの姿勢が前向きに思えた。 そして、今自分自身の生活も見てみても、捨ててきた思いはあるし、それを諦めざるを得なかった絶望感や切なさはある。 だけど、日常が楽しくないと日々生きている意味はない。 たからこそ厳しい現実は自分を大きくして行く材料だと思って楽しんで行こうと思っている。 そしてその厳しい現実を彩る為に芝居をしているんじゃないかと思う。
余談だけど、「蘇生」というタイトルと曲の内容から、かつて大学時代に作った歌のことを思いだした。 ちなみにその歌のタイトルは「更生」。 Mr. Childrenの歌みたいにカッコよくないので、恐らくこの先一生人前で歌うことはないと思うのだけど、なんなく「蘇生」を聞きながら思い出していた。
今やっているジュニアスポーツ教室についての取材のため本庁に赴いた。
教育長とNHK報道部女性記者の方が見えた。 仕事をバリバリやってる人にありがちなハキハキとした物言いと、社会を俯瞰しているかのごとくの物の見方と話し方。 やはりメディアは権力なんだなあと感じる。
主題は、今度の教室にカメラを持ち込んで教室の様子を撮るということだ。 個人的には、「どうぞ、好きにしてちょうだい」という感じ。 基本的にテレビは信用していない。 何度かテレビの取材を受け、その結果を見てきたけど、真意が伝わったのは劇団の取材時の一回である。 他の仕事絡みの取材は、編集する人の主観や憶測で割とネジまがって報道されることが多い。 まあ、テレビの報道なんてそんなもんなんだろうな。
だけど、同時に報道を仕事にしている人たちから見て、今年やりはじめたこの教室がどんな見られ方をされるのか、どんな誤解をするのかさせているのか、あるいはされないのか、そこのところは非常に楽しみである。
いろんな人たちの手を介して報道番組は作られているわけだから、真意がねじ曲げられることのほうが普通なんだろうと思う。
同じような話で、教育長が言っていたのは昔に比べて中学校が荒れているのは誰のせいかと言う話。
実は今も昔も中学校の荒れ具合は変わらない。 でも、世間のイメージは中学校が昔に比べて荒れているとうイメージが蔓延っている。 それはなぜか? 報道の所為である。 簡単な話、平和な話題は影を潜め、事件性のあるものしか報道されないからである。 そしてそれはテレビの人たちもハッキリと認めている。 2年前扶桑町の中学校が一年間テレビに流れ続けたことがあった。 それは、荒れた中学校と言う間違ったイメージを払拭する為の取り組みであった。 そしてその時の校長が今の教育長である。
本当の姿を伝えるだけではつまらないから、インパクトがないから番組にならないと言う理屈は分かる。 でもそれは、そのとこを職業にしている人(芸能人)に任せてしまえばいい。 それ以外の人たちは、本当の姿を報道されることを臨んでいる。 同時に、報道されないことも臨んでいる。
秀次と嫁さんとお出かけをした。
以前、秀次と新幹線を見に行く約束をしていたので、今日はその日。 リフレッシュ工事で渋滞する名神をトロトロと走って羽島で降りる。 で、田んぼのど真ん中で車を止めて、新幹線が走って来るのを眺めていた。
新幹線が通り過ぎる度に 「しゅうくんもっとる」 「しゅうくんもっとらん」 と、自分がその新幹線のおもちゃをもっているか持っていないか確認していた。
30分くらい眺めていたが、いろんな新幹線があるもんだなあ。 前は望みでしか使ってなかった新幹線がこだまだもんなあ。 もう0系が走ってなかったのがちょっと心残り。
でも、楽しい一日。
最近稽古がなかなか進まない・・・
はじめから分かっていることだったんだけど、いざ現実を目の前にするとそれはそれで割り切れない思いがある。
一回の稽古で立ち位置の指定程度のことで一場面しか出来ないとは・・・
ウーム、本番まであと3ヶ月。
みんな早くセリフ覚えろよ。
2002年05月12日(日) |
DVD/Mr.Chirdlren「Concert Tour Q 2000-2001」 |
前回の「Discovery Tour」(レインボーホール)では、それまで約1年の活動停止期間を置いて、リスタートしたMr.Chirdlrenが、目指して行こうとする方向を見せてもらった。
そして今回、残念ながらDVDでの鑑賞であるが、それはそれでなかなか考えさせられた。 画質自体が液晶の画面を斜から見たようなかんじのエフェクトが加えられていてちょっぴり不満ではあったのだが。
前回のツアーの時から思っていたことだけど、本当に演奏がよくなった。 95年にナゴヤ球場でみた時は、正直まずい演奏だと思っていた。 でも、ここ数年で演奏に魂が入るようになってきた感じがするし、技術的にもものすごく上達していた。 そしてバンドサウンドも確立された。 相変わらずの桜井の生真面目な猫背な、そして癖のある歌いかたも好感が持てる。
このツアーでは、自らの夢について回答をだした、そしてお客さんも自分なりに何かつかんで帰れるような、そんなツアーだったのではないかと思った。 例えば、自分の夢について考えた時、自由に空を飛びたいと思う。 宇宙に行きたいと思う。 子どものようなそんな些細な夢が、結果としてICBMや爆撃機を産んでしまう。 でもそれも、全ては化学者の純粋な小さな夢から始まっている。
夢は時には希望であるけど、時には厄介である。 そして、抱いた夢がどんな風に形を変えて行くかは、今生きている自分達自身にかかってる、そんな問いかけをするツアーだった。
2002年05月11日(土) |
ジュニアスポーツ教室開講!! |
ついに今日からジュニアスポーツ教室の開講!!
さすがに50人の子ども達はパワフルである。 そして、子どもを家においときたくないお母さん軍団は更にパワフルである。 これについては多くは語らない方が平和だな・・・・
教室は教育長のあいさつの後、先ずは手始めにレクリエーションゲームからである。 ジャンケンゲーム、フルーツバスケット、体を使ったゲーム、と次々にメニューが繰り出される。 昨年オイラがやったのとはまるでレベルが違う。 上手い! 凄い! やはり資格を持ったプロは手際がよい。 パワフルな50人の子ども達が見事にゲームに集中していくのだ。 子どもを集中させる手法も上手い。 子ども達はヒイヒイ言いながら教室を楽しんでくれていた。
50人もいればいろんな子ども達がいる。 隣同士座っていた兄弟がたたき合いの喧嘩をしていて「おまえなんかあっちいけ! 」っていうかんじで小競り合いをしていた。 だったらと、兄弟の間に割って入ろうとすると弟が兄貴に抱きついて離れない。 そしてまた叩き合いの喧嘩を始めて弟はなく、で、「お前なんかあっちいけ!」と言う状態になる。 なんだか堂々巡りをしている。 不思議な光景だった。
今日は4つの小学校のうち、2つが開講した。 来週は残りの2つの小学校が開講だ。 どんな子ども達に会えるんだろうか、それを考えるだけでもわくわくするのだった。
今度大阪で行なわれる熱海殺人事件のチケットがやってきた。 つかこうへい事務所の先行予約でとったチケットなので、それなりの席だろうと思って見てみたら・・・・・
わおー!
最前列のど真ん中!
やばい・・・
この芝居、最前列のお客さんの誰かは阿部寛の餌食になってしまう・・・ 阿部寛はおかま役!
うーむ。
でもわくわくしてきた。 内田有紀よりも阿部寛が近くで見れることのほうがわくわく感が大きいぞ。
・・・何か間違ってるかなぁ。
2002年05月09日(木) |
ママと幼児の友だちつくり教室 |
昨日から毎週水曜日10回、総合体育館でママと幼児の友だちつくり教室を開講した。 2才以上の未就園児とその保護者が対象の教室である。 この教室は前半1時間が親と子のふれあいをして、後半1時間は親が子どもから手を放し、ダンスなどの運動をする教室である。
親の年齢層が20代後半から30代半ばまでと、2歳児の親としては割と年がいってるような気がしたのはオイラだけではないだろう。 でも、周りを眺めてみれば、例えば職場には30代になっても子どもを作ってない職員もいるし、劇団でも30代でも独身の方が多い。 だんだん晩婚になってきているといわれているが、まさにそんな感じである。 ちなみにオイラは25才で結婚しているが、周りからは早いなあと言われたし、当のオイラ自身も早いなあと思ったことがあった。
しかし、である。 今うちの子どもは2才と5才だが、この二人をもしも30代半ばで見ていたらと思うと、やばいと思う瞬間があったりするのである。 簡単な話、子どもの体力には敵いませんがな、と言うことだ。
(うーむ、こんなことを書きながら年を感じている俺・・・)
この教室に参加している母親達を見てみても、何にもしてなくてただ立っている姿だけ見てみれば、オイラが子どもの頃抱いていた30代のイメージよりも随分若い感じがするのだが、それはそれ。 いざ、体操が始まるとやはり若さはない。 教室が終わってから、疲労困憊で帰っていくさっきまで綺麗だった親を見ると、子どもを年いってから生むというのはなかなか大変なものだなあと感じるのだった。
と言いながらオイラの嫁さんも3◎才。 頑張っているなあと感じる今日この頃である。
母は強し!!
今日の稽古時間中に舞台案が決定した。
プランを考えてきた人が2人いていいとこ取りである。 なんだか他人の廻しで土俵に立つ気分で一瞬気が引けたのだが、ほんとに良いプランだったのですぐさま採用である。 今までの自分の演出スタイルの発想の中にはなかったプランであるが、これもまた挑戦である。
久しぶりに他人のプランに演出の血が燃えたぎった瞬間だ。 なんとかこの舞台を殺さずに使い切りたいものである。
2002年05月07日(火) |
Windows XP |
先日の決断のとおり遂にWindowsマシンを手に入れた。 予算が限られていたのでPentiumマシンにはならなかったけど、SHARP PC-GP1-C5Mという機種を購入した。 早い話がMebiusである。 CPUはAMD Duron900MHz。 画面はTFT15インチなので、ギリギリ標準クラスのマシンである。
早速動かしてみた。
?????
なんじゃこりゃ?
今まで職場で使っていたWindows98とは全く別物ではないかこれは! 使いやすいや少ない以前に、まずは馴れないとなんともならんなあこれは。 MacOS Xを始めてみた時以来の衝撃である。
パソコン初心者見たく「XPの基本」という本を買って勉強中である。 以前Macを買って、それから一生懸命OSの勉強をした自分がフラッシュバックしてきた。 国家資格で初級シスアドをもっているが、そんなことは関係ないなあと思った瞬間である。
子どもの日の翌日は嫁さんの誕生日。 正にゴールデンウイークだ。
今日も家族サービスで名古屋港にあるブルーボネットに行く。 ここは中部電力が地域貢献と緑化推進のために作った施設である。 そのためか入場料が安い。 大人で300円である。 子どもは6才までは無料である。 駐車場も無料。 中に食べ物を持ち込んではいけないという掟さえ守ればここでもワイルドフラワーを堪能しながら一日時間がつぶせそうなところである。
なかは一言でいえば巨大なガーデニング施設である。 施設内をぐるりと周遊すると様々な国の様々な設計者のガーデニングを楽しむことができる。 ガーデニング版リトルワールドみたいな感じである。 展示方法にも様々な工夫がこらされている。 施設全体も隣接する火力発電所の温排水を利用して土壌の温度を一定に保って生育させてみたり、夜間になるとレインボーブリッジや東京タワーの照明デザイナー石井幹子さんの夜間照明が堪能できたりと、これまた時間や季節によっても様々な顔を見せてくれそうである。
この日はゴールデンウイーク最終日でとにかくものすごい人だったので、なかなかじっくり堪能する時間はなかったのだけど、人の少ない時に来てじっくりと堪能したい施設である。
2002年05月05日(日) |
イベント「キティドーム/ミラクルワールド」 |
5月5日子どもの日は家族サービスデイ。 てなわけで職場の同僚家族と2家族でナゴヤドームで行なわれている「キティドーム」に行く。
開場時間前に現地に到着。 しかし既に人人人・・・・長い行列が出来ていた。 入場も何人か毎にしか入れない制限入場をとっていた。
入場して早々オイラ達男親二人はバックネット付近に設置されているステージ前で場所とり。 おかあちゃんと子ども達はグラウンドに下りて行ってイベントを楽しみに行った。 何にもすることがないオイラ達は早速朝の一杯目を・・・
ステージの時間になってキティちゃんたちが出演する「ミラクルワールド」というミュージカル風ステージのスタート。 朝の一杯目ですっかり御機嫌になっていたのもつかの間、このステージを見てすっかり素に戻ってしまった。 ステージ全体の構成自体はいろいろアトラクションがあって大人も子どももまあまあ楽しめる形にはなっていた。
しかし、しかしである。 ダンスがものすごくまずいのである。 あれは多分振付け師の問題なんだろう。 とにかく日本人の体型にあってない振付けなのである。 手足の動きを協調したアメリカミュージカル風の振付けは胴体の長い日本人には不向きなのである。 そしてまた、衣装がそれを強調するような衣装だし、しかもダンサーが下手。 動きが小さい。 当たり前のようにお客さんの反応もよくない。
延々とダンスを30分見せるには、もう少し工夫が欲しいなと思った。 それから、この時にやっていたピンも下手っぴな人がやっていてがっくりした。
でもそれよりも何よりも、こんなふうにダメだししながらステージを見ている自分が一番嫌になった。 あー、いかんいかん・・・
ステージが終わってからも主役はおかあちゃんと子ども達である。 イベント自体はどこの縁日でもやってそうなものばかりなんだけど、場所がナゴヤドームでキャラクタがサンリオということでいろんな付加価値がついて、おかあちゃんや子ども達には極上のイベントになった。 オイラも一塁ベンチがあいていたので、昨年まで星野監督が座ってたベンチに座ってみたり、ベンチ前の安田火災の看板の裏を見たりして楽しんだ。 ちなみにベンチ前の安田火災の看板の裏には何があるかというと、昨年まで試合がまずいと星野監督がここをけっ飛ばしていた傷があるのである。
それなりにナゴヤドームを堪能したのだった。
普通にとってはどうでもいい話だが、オイラにとってはものすごい決断である。
Windows系のパソコンを購入しなくてはいけなくなった。 Mac使いのオイラにとっては苦渋の決断である。 何故苦渋の決断か。 職場は当然の如くWindowsマシンの天下なわけでMacとの互換性も昔に比べればかなりましになったけど、それでも限界がある。 頑張ってMacをつかっていたわけだけども、ぶっ壊れてからどうするか悩んでいた。 しかし、書類の互換性に限界があっては仕事に差し支えるので、やむなくWindowsに決断せねばならなくなった。 そして、これで新しいMacが向こう何年間か遠のいた。 まさに苦渋の選択である。
しかし、これで両刀遣いになってしまう。 まあ、なかなかそんな幸せな人はいないので、これも良しとしておこう。
そして今カタログと格闘中である。
てなわけで彼は我が家にやってきた。 着替えも持たずに。 さすがである。
ちょびっと飲んで、芝居のビデオを子守歌代わりに彼は事切れた。
そして、朝を迎えた。 小鳥がさえずり、ほのかな日差しを浴びて、そして部屋の中には・・・むさ苦しい男が二人。 そして酒臭い・・・・
うーむ、爽やかな五月晴れの一日のスタートには、おおよそ相応しくない状況である。 しかし、これが現実である。 この、ふさわしくない状況を一変して和やかムードにしてくれたのは秀次と弥生である。 特に秀次は物怖じしないので、「ねえねえ、お兄ちゃんお兄ちゃん」(「おじちゃん」と言わないところがさすがだ)となついてくるのだった。 やっとこれでほのかな日差しの差し込む部屋が相応しい空間になった。
ひとしきり子ども達と遊んだ後、朝飯である。 朝飯はタケノコご飯とみそ汁だ。 イギリス帰りの彼には久々の家庭料理の味である。 感動しながら食べていた。
この日彼は京都に行かなければいけなかったので、本当は京都までドライブに行きたかったところを、嫁さんの顔色を見てぐっとこらえて岐阜羽島駅までで我慢して送っていった。(ってかくと、また怒られるんだろうなあ・・・)
送迎の帰りに車やさんによって保険の話やら5/20デビューの新車(スポーツセダン)のシートに載せてもらってエンジンかけたりなんかしたりした。 この新車はちょっとすごい車だ。 とても欲しくなった。 でもマニュアルの設定がなさそうである・・・残念。 ちなみにこの車、CMではもう流れている。 ロードスターとRX-7と一緒に走っている黄色い車である。 なかなかかっちょいいのだった。
2002年05月02日(木) |
最下位・・・・・あ、ちがった「再会」 |
立ち稽古の二回目である。 ゴールデンウイークなのに稽古である。 でも、オイラにはゴールデンウイークはないので、容赦なく稽古日を設定するのだ。
稽古場には見学者の女の子が1人やってきた。 これから声優を目指すという彼女。 声優のトレーニングの一つとして演劇を出きる場所を探していると言うことでうちの劇団の見学にやってきた。
声優志望というと思い出すのは、かつてうちの劇団には1人声優志望の女の子がいて、ある日一念発起で東京に旅立っていった。 そしてバイトをちまちましながら専門の学校で学ぶという生活を送っていた。 ある日インターネットでなにげに検索すると・・・おお!名前が出てきたではないか! どれどれ・・・?? あれ?劇団なんだ。 そして彼女は今年の6月に新劇系の劇団に「客演」(おー、かっこええ!)という形で愛知県に凱旋公演をする。 何となく将来までそのまま芝居してそうな予感である。
そして、今回の彼女である。 関西方面で声優の勉強や演技の勉強をレベルの高いところでしてきたようである。 その彼女にはうちの劇団の稽古はちょっとたるかったようである。 「指摘したいところが・・・」 ぐさっ!! だけど、時間が経ってからよくよく考えてみると、あーそういうことか。 と言うところに行き着くのである。 お互いに経験してきた集団のつくりが違うのだなと。 うちの劇団には教える教えられるという「先生と生徒」のような関係は存在しない。 芝居の方法論の正解があるとかないとかって言う話じゃなくて、ただ0からみんなで悩んで作ってきたっていう経緯から「先生と生徒」にはならないんだな。 そしておそらくは彼女はそういう場所を経験してきて、その場所が彼女にとってとてもかけがえのない経験だったんだろうことに気がついた。 最終的にうちの劇団で腰を据えてくれることを選んでくれれば、それはそれでいろんな経験をお互いに吸収できるし、刺激仕合ながら新しいものを作り上げていく喜びを感じられるわけだから嬉しいわけだけど、残念ながらうちの劇団を選ばなくてもこの先どこに行っても頑張って欲しいものである。
そして東京に行った彼女の痛い言葉がよみがえる。 「ここは(劇団Beans)は自分が目指したい位置を目指していないから・・・・」
この日の稽古が終わっていつもの居酒屋に。 そして、久しぶりの顔に出会った。 元劇団員でイギリスに転勤になった奴である。 身内の結婚式に出席するために日本に戻ってきたのである。 日本に戻ってきてから、寝泊まりを知り合いの家を転々としてきたようだが、この日は居酒屋の大きな鞄を持ってきていた。 彼は劇団の誰かが泊めてくれるだろうということで、当てもなくやってきたのだった。 大した奴である。 イギリスに行ったから少しは言葉も変わっただろうと、思っていたら大間違い。 相変わらずの似非関西弁である。 いろんな人と会話したが、あっという間につい昨日分かれたばかりと思わせるような、そんな時間が流れた。
あ、そうそう結局彼は我が家に泊まることになった。
何ヶ月かぶりに床屋さんにいって散髪。 正に散髪と行った感じである。 とにかくバッサリ。 すっきりである。
家に帰って子どもを風呂に入れながら、秀次にとあることを聞いてみた。 2歳くらいの子どもはお母さんのお腹の中のことを覚えているといわれている。 ちなみに弥生はこの時期ハッキリと答えていた。
「おかあさんのお腹の中にいたこと覚えてる?」 「おぼえとる」 「お腹から出てきた時うれしかった?」 「うん」 「お腹にいた時お父ちゃんやお母ちゃんの声は聞こえてた?」 「きこえとらん」
まあ、こんな感じである。 とても嬉しいやり取りである。 しかし言葉は既に名古屋弁である。 恐るべし方言!
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