兼松孝行の日々つれづれ

2002年04月30日(火) VHS/劇団サラダ「KEY」

先日ある筋から劇団サラダの初リリースビデオを入手。

実際に現場で見た芝居なので、改めてビデオで見ると当時の空気が蘇って来る感じである。

ビデオというメディアに芝居をおさめたという点においては、再生や切売りの出来ない演劇を、可能な限り多くの人たちに見てもらうという普及の手段としては評価出来るところである。
このビデオを見ながら、ビデオは恐いなあ、と思わざるを得なかった。
現場はその「現場の空気」というフィルターを通しながら芝居を見ることができるし、その空気を伝えることが芝居作りの最も重要な部分であるわけである。
しかし、ビデオという機械の目では空気は伝わって来ない。
するとどうなるかといえば、見たまんまの芝居にしか見えなくなるのである。
殴り合うシーンが、現場であった迫力が伝わらず、ただの段取り芝居に見えたりしてしまうのである。

この「KEY」という芝居のビデオは現場の芝居が何とかなっている分、鑑賞にたえるものにはなっているのだけど、果してうちの劇団がビデオをちゃんととった場合どうなっちゃうんだろう、とちょっと背筋が寒くなった。
もちろん、芝居で見せたいことは現場でしかわからないことなんだけれども・・・

うーむ、感想というよりはぼやきになってしまった・・・



2002年04月29日(月) 立ち稽古開始!!

立ち稽古開始である。

オイラが演出の時はとにかく立つのは早い。
今回の場合読み稽古を一回りもせず立ち稽古に突入。
なぜか?
簡単な話声だけで表現出来ることが全体の割合いとして少ないからである。
人が人を見て何から情報を得るかといえば、言語の領域が3割、視覚的な部分が7割なのである。
そうすると3割に集中的に時間をかけるよりも、まずは7割を詰めてそれから残りの3割に時間をかけた方が、同じ時間をかけるならより完成度の高いものになるのではないかというあさはかな思い込みの下に稽古を進めているのだった。
今のところこの方法で間違ったと実感したことはないし、劇団員からもクレームがあったことはないので、まあ、間違った方法ではないのかなと思っていう次第である。

ゴールデンウイークなのでなかなか出席率もよろしくないけど、反対に仕事が忙しくて普段稽古に来てない役者が来ていたので、普段稽古できてないところが出来てちょっと嬉しかった。



2002年04月28日(日) 音選び終了!!

今度の公演の音選びが終了。

公演は8月なのに、何故?
と思われるかも知れないけど、オイラは音を作って行くと同時に演出プランが決まって行くタイプなのだ。
てなわけで、演出プランも同時に終わったわけだ。

いやぁ〜、今回は難産だった。
はじめに決めてたものはあったけど役者が決まってから大幅に修正をしなければいけなくなった。
役者の声質と音の関係だったり、場面全体の流れだったり、役者の動きだったりをイメージしながら作って行かなきゃいかんのだけど、今回は役者決めよりも先にやってしまったのが、まずは手間を一個増やしてしまった。

でも、今回決まったのは暫定版で、本番までにきっとどんどん変わって行くんだろうなぁ。
それもまた楽しみではある。



2002年04月27日(土) CD/小田和正「自己ベスト」

小田和正渾身のベストアルバム「自己ベスト」

普通はこういう企画ものってヒットした曲をそのまま並べてお終いなんだけど、今回は違う。
さすがにビックリした。
曲順を眺めて、ヒット曲ばかりでないことにビックリして、ほんと聞いてビックリした。
言ってみれば新曲と思うくらい歌い方もアレンジもそしてその歌の解釈も、いろいろな面で更新されていた。
また、その更新のされ方がたまらなくいいのである。

昔の曲は今の小田和正の年齢が歌う歌に見事に消化されているし、その奏でる音もも見事に立体的に映像的になっている。
それも、イメージが限定されるようなものではなく、聞く人それぞれにそれぞれのシーンがイメージできるように工夫されている。
いや、そうじゃないなあ、それはたぶん意図的にそうしたわけじゃなく結果論だなあ。
でも、それだけいろいろイメージの広がる歌になっている。

ますます虜になってしまいそうだ。



2002年04月26日(金) 日々つれづれ更新版

ある人の日記を読んでちょっと考えたことがあった。

オイラって演劇人?
それとも公務員?

もちろん両方の側面を持っている。
初めは仕事の合間をぬって芝居をしてるって感じだったけど、今では芝居の合間に仕事をしてるって感じ。
だけど、職場での周りの評価は芝居の合間に仕事をしてる感じになってからの方が、仕事をよくやるようになったと、感心されてしまう。

本業があるから芝居がやれる。
それは今の状況を考えれば絶対に間違えてはいけない事実。
だけど、最近仕事の方で肩の荷が下りたのかどうか分からないけど、何となく芝居にかける(かけていると思っている)時間が増えてきたような、そんな感じである。

しかし、何処かでオイラは音楽の人だと思っているのだった。
もともと音楽好きでバンドもやっていた。
音楽を通じて世界がいろいろと広がったし、演劇にも活かすことが出来ている。
劇団員にはオイラは音楽の人だから、と公言してはばからないのであった。

ちなみに劇団員からはインチキ公務員と呼ばれている。
・・・うっ!



2002年04月25日(木) 春日井公演打ち合わせ

来年の春、春日井市で公演をうたないかという依頼が舞い込んできた。
今回は稽古時間を使ってその打ち合わせである。

正直劇団としてはあまりいい条件とは言えないので、普段の公演をそのまま春日井で行なうことは残念ながら断念した。
でも、せっかく声もかけてもらったし普段お世話になっている人たちだし、無碍に断るわけにも行かないし、そして何よりも他の劇団に勝負を挑みたいという気持ちが強いので、精鋭部隊数人を送り込んで芝居を作ることにした。
具体的な話はまだこれからなので、なんとも不確定な部分が多いのだが、なんとかいい形で実現させて行く方向で動き始めた。

来年の話をすると鬼が笑うというが、来年の春頃オイラ達が笑っていたいなあ。



2002年04月24日(水) 「日本に帰れなかった男達」出版記念パーティー

今だプラン手つかず。
そんなオイラの事情とは裏腹に、予定は無情にやってくる。

「日本に帰れなかった男達」という絵本が出版されたので、出版記念パーティーに赴いた。
この「日本に帰れなかった男」というのは、愛知県南知多郡美浜町出身の山本音吉という男のことである。
昔々の江戸時代、音吉の乗った舟が嵐に遭い、そのまま1ヶ月以上も漂流して流れ着いたのがアメリカ大陸。
幸か不幸か日本人で初めて太平洋を横断したのである。
その後、開国を迫るペリーと友に日本に戻ってきたけど「黒船の襲来だ!」と騒ぎ立てた当時の幕府のおかげで攻撃に遭いやむなく本土上陸を断念したり、聖書の日本語訳を担当したり、いろんなことをして過ごしたそうな。
晩年はシンガポールで過ごし、その人生を終えた人だそうな。

で、なぜ出版記念パーティーかというと、この物語は数年前「にっぽん音吉物語」という芝居として、オイラが尊敬する演出家、松本喜臣氏率いる劇団シアターウイークエンドが上演したのだった。
松本氏とはもともと8年前扶桑文化会館のこけら落としの一環として、住民参加芝居をやっていらいのおつき合いである。
人前結婚式の仲介人もやってもらった。
そういうおつき合いの方なのだった。
ある日、劇団の事務所にスライダックを借りに行ったとき・・・
「兼松君、これがスライダックだ。使ってやってくれ。あ、そういえば今度本の出版記念パーティーがあるんだ。よかったら来てくれ。」
と、招待状のコピーを渡された。
人生の恩人のところにものを借りに来た手前、まさか断ることも出来ず
「わ、わかりました。おじゃまさせていただきます。」
そして、パーティー会場に行くことになった。

いや、もちろん行くのが決していやだったわけではなく、あまりにも素敵なタイミングでお話がやってきたので、この辺の話をさらりと行うあたりが、さすが勝負師、と言った感じだ。

パーティーはなかなかこれがすごい人。
立食パーティーなんだけど、誰がどこにいるのか全然分からない状態。
それに、名古屋のいろんな関係の重鎮みたいな人達ばかりで、松本氏の顔の広さに改めて驚くばかりである。
いろんなアトラクションが盛り込まれていて、「にっぽん音吉物語」の再現シーンも組み込まれていた。
パーティーが終わった後、名古屋に来ると「いつもの居酒屋」と呼んでいる店に行きウイークエンドの人達やその他大勢と飲んだのだった。

結局今日も帰りが遅いのだった。

果たして芝居のプランはいつ出きることか・・・・



2002年04月23日(火) ちくしょ〜!

今日も一日ゴロゴロしてしまった。
最近休みの日になるといつもそうである。
明らかに疲れてる。

仕事が一区切りしてほっとしてしまったせいかもしれない。
昨日の晩が遅かったせいかもしれない。
もっと前からの疲れかもしれない。

結局、音決めも演出プランも舞台案も何も手につかず。

やばい・・・これで芝居づくりが一日滞ってしまった。



2002年04月22日(月) 劇団Beans番外公演「ザ・シェルター」

久しぶりに客席で安心して自分とこの劇団の芝居を見た。

今回は副代表が新人も含めていろんな人に公演を経験させてあげたいという親心から、副代表自らも初の演出を試みたフレッシュな舞台。

全体的な感想でいえば、初めての割にはよく出来た公演だった。
演出初心者にありがちな勘違いや、照明のすごい色や、道具チョイスの統一感の無さ等いろいろ思うことはあったけど、取りあえず無事乗り越えることが出来てよかった舞台だった。

演出と役者4人がチームで芝居を作りましたという一体感もあったし、またそこに好感が持てた。
一番嬉しいのは今回の公演の姿勢や気持ちがお客さんに伝わったし、お客さんもそれを理解してくれたことだった。

最後の舞台挨拶で演出がぐっと来てたのが印象的だった。



2002年04月21日(日) 雨のばかぁぁぁぁぁぁぁ!!!

本日待ちに待った歩け歩け大会の本番日。


雨・・・


・・・・雨のばかぁぁぁぁぁ!!!
ばかばかばかぁぁぁぁぁ!!!
俺の青春を・・・・いや、今までの苦労を返しやがれ!!


ちなみに劇団の方は今日まで番外公演の本番。
久々にお客さん気分の本番である。
とはいってもなかなか完全にお客さん気分では見れないけど・・・・
その感想は明日じっくりと書こう。



2002年04月20日(土) 渡辺美里「じゃじゃ馬ならしツアー'02」

開演前名古屋市民会館裏の「ひろしま本店」でお好み焼きを食べた。
何度いっても美味!

4年ぶりの美里さんのツアー。
名古屋市民会館は舞台中を中心にリニューアルしたせいか見てくれにはあまり変わってない感じ。
客席内にある身障者スペースがゆとりを持った大きさになっていた。

ライブは3部構成だった。
第一部は舞踏会みたいな雰囲気のステージ。
第二部はギンギンのロックンロールなステージ。
第三部はこれから美里さんが歩んで行くであろう未来を予想させるステージだった。
とても楽しいライブだった。
さすがに4年ぶりのステージだけあってお客さんのテンションがまってましたとばかりにいきなり盛り上がっていた。

前回の4年前のライブにくらべると角がとれて丸くなった感じがした。
その時のステージで号泣しながら歌ってた曲もかたの力を抜いて完全に消化し切った感じで歌ってたのが印象的だった。
丸くなったといえばサウンドも丸い感じのサウンドだったし、何といっても美里さん自体が丸くなっていた。
だんだんアンルイス状態に近づきつつあった。
立ち方も後ろに重心があって脇が開いた立ち方で、どっしり構えた感じになっていた。
このままもっと丸くなって行くんだろうか・・・・

印象的だったのはデビュー当時の曲をたくさんやったんだけど、見事に30台半ばの解釈で歌われていたのが印象的だった。
「Teenage Walk」なんかは個人的には涙物だった。
青春時代の歌だけど、そこに止まらずちゃんと成長していたのがよかった。
そして自分自身が一緒に年をとってきたんだなあという感じがした。

ライブを見ながらいろんなことを考えていた。
お客さんとのコミュニケーションのとりかただったり、感情の解放の仕方だったり。
音楽と芝居の違いこそあれ学ぶところはたくさんある。
予定調和で進んで行くコンサートをどうやってスリリングに見せて行くかということや。

でも、一番心の中を過ったのはもしも尾崎豊が生きていたら、どんなステージを見せてくれてたんだろうかということだった。
年齢的にもキャリア的にもそしてそのカリスマ差度合いでいっても男なら尾崎、女なら美里といった感じの二人。
なぜか美里さんのライブを見ながら彼のステージもこんな感じで角をとって丸くなった感じで、そしてお客さんとのコミュニケーションを楽しみながら現代社会を達観してる感じの歌を歌ってるんだろうな、なんてことを思いながら見ていた。

そんなこんなで、いろんなインスピレーションをもらったライブだった。



2002年04月19日(金) 感動的な言葉

番外公演の仕込みのあと、いつもの居酒屋で飲んでいた。
トイレにたったその時、以前からいろんなところでお世話になっている画家さんにバッタリ出会った。
この画家さんとは公民館にいた時に子ども絵画教室をやった時に、将来の夢とか言う在り来たりの絵ではなく、ある音楽をかけてそれを聞きながらイメージした絵を描くと言う企画を画策したりした人だ。
その人が今度うちの町の50周年事業のNHKの収録で、画家さんだけど歌の審査員をまかされたそうな。
そんな話を聞きながら、こんな話をしてくれた。
「俺は画家として生きてきたけど、画家でもキャンバスを超えたところで芸術活動をしなければいけない」
「人間年をとっても、何に対しても感動出来る心を持っていなくてはいけない」
「そんな形にせよ声をかけてくれた人は大切にしないといけない」
この言葉が出て来るまでの文脈は省略なので、何がどう感動的なのか伝わりにくいけど、とにかく感動した。
そして、今まで思っていたもやもやとした思いが吹っ切れる気がした。



2002年04月18日(木) またか・・

家に帰ってテレビをつけたら、また映画のようなシーンが・・・
イタリアのミラノで高層ビルに飛行機が突っ込んだ。
またか・・・と思った。
現地は国民に動揺を与えないようにする配慮からかテロにしたくない方向で報道が進んでいた。
自殺の可能性もあると言うことだが、何の関係もない市民を巻き添えにしないで欲しい。
ああいうニュースは毎度毎度胸が痛む。
そして、毎回まさか・・・と思わせてしまうニューヨークでのテロに同時に怒りを覚える。



2002年04月17日(水) 日々つれづれ

ドラゴンズが豊橋で阪神に快勝した!
周りは因縁の対決とか、かって恩返しとかいろいろ言ってるけど、違うチーム同士になってしまったのだから、恩返ししたように見える方もされた側も、そんな意識はこれっぽっちもないはず。
逆に手の内をお互い知ってる同士の対決なので、そういう意味でいろんなプレッシャーがあったはずである。
そういうプレッシャーをはねのけて勝利したドラゴンズは偉いと単純に思う。
開幕してしばらく負けが込んでたけど、まだまだ開幕したばかり。
勝負はこれからまだ100試合以上も残っている。
調子がいいときもあれば悪いときもある。
今年の打線は幸い打てる打線である。
打率も悪くない。
かえって優勝候補の阪神の方が打線がいまいちである。
ちょっと前のドラゴンズを見ているようである。
さあ、勝負はこれから!
長い目でペナントレースを楽しんでいこう!



2002年04月16日(火) 休憩

昨日に引き続き体調がいまいちで、ほぼ一日寝倒した。
声は何とか復活しつつあるが夜中にせき込んで起きてしまう状態。
薬を飲んでやっとこせ落ち着く。



2002年04月15日(月) 読み稽古

先週からの風邪で声が出なくなった。
元気なつもりでいたが次々と睡魔が襲い、ついに夜までダウン。
ようやく起きて読み稽古二日目。
体調が悪いせいかどうにもテンションが上がらない。
稽古に時間どおり来たとはいえ誰も来ずさみしい思いをしてテンション上がらず。
目の前の読みもいまいち。
病気のときはどうしても弱気になってしまう。
いかんいかんと思いながらもいまいち調子のでない俺だった。



2002年04月14日(日) 事件?

前日の飲み会は泊まりだったので、そこから直接出勤である。
言い方変えると朝帰りである。
うーむ。

出勤途中次々とパトカーが現れた。
しかも何かを偵察するようにゆっくりゆっくり走っている。
オイラは早く職場に着きたいが、一生懸命走ろうとするとその瞬間お縄が待っているので、なかなかそうも行かずイライラする。
交差点でパトカーを回避するために曲がると、また目の前にパトカーがいるという状態。
信号待ちをしていると、反対側からバイクに乗ったお巡りさんが次々とやってくる。
いったい今日は何の日なんだろう、頭の中を「?」がぐるぐると駆けめぐる。

パトカーに先導されるような形でしばらく走っているとテレビでしか見たことのない光景に遭遇した。
コンビニに何台も赤色灯を回したパトカーがとまり、レジのところでは写真とったり諮問とったりしている鑑識の人がいて、立入禁止の黄色いテープが張り巡らされている。
事件か何かでパトカーで犯人を捜していたんだな。

職場についてテレビのニュースを見てみたけど特に何もなかった。

果たしてあれは事件だったんだろうか?
それとも事件の訓練だったんだろうか?



2002年04月13日(土) 長い一日

今朝体育館に7時30分頃着いたら玄関の前に30人くらいの行列が出来ていた。
町内4つの小学校でそれぞれニュースポーツの教室を年間通して行う「ジュニアスポーツ教室」の受付初日なのだ。
予想はしていたがこんなに早く行列が出来るとは思わなかった。
受付開始時間の午前8時30分には100人を超えた。
この教室は今年から学校が週5日制になり、休業日になった土曜日の午前中を利用する教室である。
この教室の申込みに熱心なのは子どもではなく保護者である。
要は家で子どもをみたくないのだ。
しかし、学校週5日制はそもそも親と子どものふれあいの時間を増やすためのものである。
そして地域と子どものふれあいを増やす時間である。
この教室を学校や塾の変わりにしようなんてのは本末転倒なのである。
「ジュニアスポーツ教室」は最終的に親も取り込んで地域ぐるみで運営してもらう教室を目指しているのである。
週5日制の子どもの受け皿ではないのである。
それを知ってか知らずか、こうやって必死になって申込みに来る保護者をみていると、とっても切ない気持ちになるのである。
そして親としての自分がどうなのかを考えるのである。
受付が始まり、30分もしないうちにあっという間に定員いっぱいになった。
まるで、人気アーティストのコンサートチケット発売日のようである。
人気があるのは嬉しいけど、一年は長いし親の協力がないとこの教室は成り立たないし・・・協力してくれる人達が一人でもふえると良いなあ。

受付が終わってからその後まる一日申込みに来た人に事情を説明するのに追われる。
断るという仕事は、お願いする仕事よりもつらいものである。
同じ頭を下げる作業だが、気持ちがまるで違う。
申し訳ない気持ちでいっぱいである。

夜はソフトボールルール講習会。

そして、それが終わって熱海に出演した劇団員の家で久しぶりに熱海組の飲み会である。
そして同時に「みそぎ」と呼ばれている儀式を行うのである。
「みそぎ」とは本番のビデオを見ることである。
しかし、幸いなことに幸せにビデオを見ることが出来た。
お互いの健闘をたたえ合い、お互いのことを認め合う光景が見られた。
とても幸せな瞬間である。
この瞬間が何時までも続けばいいのにと思った。
ほんとにやって良かったと思った。



2002年04月12日(金) 大ニュース!!

遂に妹が結婚することになった。
今年で30。
遅いといえば遅いかも。
二人は高校時代からの付き合いで、オイラと嫁さんが付き合いはじめる前から付き合っていた。
旦那さんになる相手の人とは妹がやっていた高校演劇を通じて知り合った。
当時から「お兄さんお兄さん」といわれて、更に丁寧語で話し掛けてくれる人である。
実は、妹の旦那さんのほうがオイラより年上なんだけど・・・
妹は今まで家にいて子守りをしてくれたりいろいろとしてくれて感謝感謝なのである。
これから、何か出来ないかと嫁さんとともに思案のしどころである。



2002年04月11日(木) 祝!!3000!!

この日記も閲覧者3000人を超えた。
ありがたいかぎりだ。
もっとすごいのはたくさんあるけど、それでもなかなかこんな数字はお目にかかれない。
劇団の公演でも一回で500人に届かないのである。
積み重ねというのはすごいと思う。



2002年04月10日(水) バタバタバタバタ・・・

最近たくさん羽ばたく


バタバタバタバタ・・・・


よく職場で羽ばたく


バタバタバタバタ・・・・


職場のいろんなところで羽ばたく


バタバタバタバタ・・・・


電話から羽ばたく


バタバタバタバタ・・・・


窓口から羽ばたく


バタバタバタバタ・・・・


俺からも羽ばたく


バタバタバタバタ・・・・






「最近忙しくてバタバタしとる・・・・」






・・・・・お粗末。



2002年04月09日(火) 生涯学習課歓送迎会

てなわけで、今日もへべれけである。

やっと口内炎が治ったのだが、前日に比べて気温が下がって寒かった。
おかげで、日記を書いている今もう一つのどの調子が良くない。
いわゆる風邪か・・・

本番前の役者には風邪が治るまではできる限り近づかないようにしよう。



2002年04月08日(月) 配役発表&読み稽古!!

オーディションの結果を受けた配役が決定&発表した。

今回は役者3人も含めた4人で配役の検討をしていった。
いろんな考え方があるが今回はこういう方法が初めてだし、もう一つ鬼に成りきれなかったかなあと反省。
まあ、人数がたくさん集まってディープな話をするわけだから、1人で考えるよりも中庸な意見になってくるのかなあと思った。
もちろん妥協した上での折衷案というわけではないので、それなりに思い入れのある配役なのである。
もちろんオイラが1人で思い描いていたキャスティングとも微妙にずれていたりする。
そういう意味でこれから演出プランの修正をして行かなくてはいけないが、それ自体はそう大した問題ではない。
かえって今回のキャストの方が上手くいくかも、と期待している。

そして初めてキャストが決まっての読み稽古だったが、欠席者が多いのでもう一つ盛り上がってこない。
早くフルメンバーでやりたいものである。

稽古後は劇団サラダのたまり場がリニューアルしたのでそこにのみに行く。
そこで、「キャー、兼松さんだ!奥村さんだ!!」と黄色い声を聞く。
オイラの人生史上この先変態にでも間違われない限り絶対に聞くことがないと思っていた歓声だ。
声の主はサラダの劇団員の1人だが、オイラと奥村さんのファンと公言してはばからない。
奥村さんは芝居全体のファンのようである。
対して俺は「声が好き」と言われた。
うーむ、実感がなかった。
でもここまで来た甲斐があったと思った瞬間だった。



2002年04月07日(日) NHK-BS2第三舞台「朝日のような夕日をつれて'91」

珍しく衛星放送で第三舞台の芝居が放映された。
しかも伝説の「朝日のような夕日をつれて91」である。
そしてさらに驚いたことに、全て劇場での音のままである。

といわれて、はて?
と思うかも知れないけど、市販のビデオは著作権の関係から劇場で流した音楽を似たようなものにつくリ直して吹き替えて、時にはセリフまで上からかぶせたり、セリフの大きさを意図的に上げたり下げたりしているのである。
だから、お茶の間でみる放送で音が劇場で流れたそのまんまなのに驚いているのである。
映像も差し換えたりしている。
そして音が違うだけで、全く違う芝居に見えてくるから面白い。
まあ10年以上前の芝居だから今さらこれを見ていろんな評価されて云々ということではないと思うけど。

しかし、さすがに市販されてるビデオのほうが断然印象がいいのだ。
セリフもちゃんと聞こえすぎる。
音楽も素敵なボリュームである。
映像もかっこいい。
編集という作業はおそろしや〜

また暇が出来たら、市販されているビデオと見比べて、各々の違いや曲の印象で何がどう変わったんだろうかということを堪能して見ようと思う。



2002年04月06日(土) 番外公演稽古!

今月の20,21に行なわれる番外公演の稽古に足を運ぶ。

劇団としては新人公演のような性格の芝居だ。
初めて演出をやる劇団Beansの副代表ができる限りいろんな人に舞台を経験して欲しいという願いから企画した公演だ。
稽古の雰囲気はほのぼのとしていて、演出も信頼されていてなかなかいい感じだった。
かえってオイラが行ったのが邪魔かな?
と思う瞬間もあった。

もちろんみんな初めてのことばかりなので、技術的に未熟なところは多々あるけど、そんなことは気にせずにこの仲間で芝居を作っているという嬉しさを思いっきり表現して欲しいと思う。
きっとお客さんも楽しんで見てくれると思う。

芝居ってやっぱり素敵だなと思った。



2002年04月05日(金) 山火事

空を見上げあたらいつもと違う雲がモクモクと風になって流されていた。
でも、雲にしてはなんだか様子が違う。
それも川向こうの山の奥からその雲は流れてくる。
おいおい、これはひょっとして山火事かい!?

職場でニュースを見る。

おー、燃えてる燃えてる!
避難勧告まで出てるぞ。
しかも、元劇団員の家の近くじゃないかい!
山火事を生で見るのは初めてだけど、こんなにすごいものだとは思わなかった。

まだまだ、鎮火の気配がない。
明日にはきれいな空が見えるといいな。



2002年04月04日(木) オーディション二日目

相変わらず口内炎が痛い。
オーディションの二日目。前回稽古を休んだ人と体調不良だった3人の役者が挑んだ。

その後オイラとすでに役の決まっている役者3人で配役会議である。
まずはオーディションの総括をして、その後いろんな議論をしてそれぞれの配役を決めていった。
演出の感じることと役者の感じることは同じようで微妙に違ったりする。
でも、お互い思っていたことは同じことを思っていて、配役もほぼすんなり決まっていった。

誰かを選ぶという作業というのは誰かを選ばないと言う作業である。
毎回実に痛々しいのである。



2002年04月03日(水) 口内炎!!

芝居の疲れがでたのか、口内炎が大量発生!
おかげで飯も満足に味わって食べられない。

ちょっと前に手足口病というのをやったことがあるが、それ以来の大惨事である。
とにかく痛い。
しゃべれない、食べれない。
せっかく体育館の駐車場はものすごい桜吹雪なのにそれを堪能する一時も与えてくれない。

明日の回復をまつ。



2002年04月02日(火) ナゴヤドーム「中日×巨人」

久しぶりのナゴヤドーム。
未だ勝利していない両チームの戦いである。

今回はいつになく(値段も場所も)高い位置からの観戦だ。
ちょうどバックネット裏からダイヤモンドを見下ろす形の席である。
ナゴヤドームは人工芝を張り替えたばかりだが、上から見ると体の良い野球盤みたいである。
それでも普段は外野席からしか見たことがなかったから、それはそれは選手が大きく見えて迫力満点である。

試合が始まってまず驚いたのは審判の声の大きさである。
ストライクのコールはどれだけじゃんじゃん応援していてもはっきりと聞こえてくるのである。
そして、ボールを受けたり打ったりする音の大きさがこれまた迫力満点なのである。
選手の気迫もつたわって来る。

で、野球の方だが、この日のヒーローは何と言ってもバンチだ。
この人の投球は見ていてとてもおもしろい。
テンションが上がってくると、とにかくそわそわし始める。
投げたあとにマウンドを降りたり登ったり、周りをうろちょろしてみたり、ロージンを毎回のように地面にたたきつけたりと、とにかく落ち着きがない。
しかしいざ投球モーションにはいると別人である。
とにかく球が速いという印象だった。
150辧殖茲鯆兇┐襯棔璽襪どんどんストライクゾーンにおさまっていく。
谷繁のリードも上手い。
申し訳ないが昨年までの中村はあっという間にかすんでしまった。
とにかく打者を惑わすのである。

もう1人ヒーローを上げるとするならば清原である。
この人が打席に立つだけであっという間に世界が変わるのだ。
まさに役者だ。
そしてこの人のホームランはさすがに驚いた。
ギャラードの150辧殖茲鯆兇┐襯棔璽襪鬟轡丱上げるようにして打った球が、どんどん加速しながらレフトスタンドに吸い込まれていった。
かつてナゴヤ球場で中日×西武の日本シリーズの時に清原がレフトスタンドで見ていたオイラの頭上を遙かに越えて新幹線の高架に当たったホームランを彷彿とさせる一発だった。
そして、おまけでドームの天井に当たる大ファールもあった。
この男からは目が離せないと思った。

この日一番嬉しかったのは、ドラゴンズが勝ったこともさることながら、野球を盛り上げていこうという演出がたくさんあったことだ。
選手の打順やリリーフの際にテーマ曲が流れたり、応援歌に「燃えよ!ドラゴンズ」が大合唱版として復活していたり。
お客さんを飽きさせない努力を頑張ってしているなあと思った。

今ナゴヤドームは5周年を迎えて生まれ変わろうとしている。
そしてドラゴンズも!!



2002年04月01日(月) 新しい季節

3月31日と4月1日の間に様々な出会いと別れがあった。
職員の異動だったり、熱海の千秋楽で役者との別れだったり、お客さんとの出会いと別れだったり・・・・

誰かは別れの後には必ず出会いがあるといっていたが、それは現実見れば違う思う。
出会いは偶然であって、別れは必然なのだ。

熱海が終わって息つくまもなく新しい芝居のスタートである。
この日は役者オーディションの初日だ。
女性陣の配役希望がヒロイン役に集中した。
男性陣は、まあバランスがいいと言えばバランスがいい希望である。

オーディションは読みを見ていった。
どれくらい役作りしているんだろうか、どんな台本の読み方をしてきたんだろうか等々・・・
感想はまだオーディションを控えている人がいるの書かないとして、でも、いろんな事を考えながら見ていった。

この新しい季節、誰が自分の役に巡り会うことができるんだろう・・・


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