カラジ風味

2003年11月30日(日) 信頼

きっと大丈夫。
五年たとうが十年であろうが
人の気持は移ろい易い
変わらぬ君に涙する



2003年11月28日(金) アイアムアキャット

コーチ
人は文化の葛藤から無縁ではない
無国籍な世界人を任じればその葛藤はより大きいのである
ところが時代を経るに従って「和魂」への忠誠はまるで塵の如く捨て去られ
東西二つの文化の狭間で引き裂かれた夏目の苦悩を追体験する者は
居なくなった。
我々は二分法の特徴その長所を認めながらもそこから脱し全体を
丸飲みに出来る包容力と大きな視野を持たねばならない
与えられた才能を二つに分けることなく一つの大きなもの
不可分な全体として捉える能力を磨く事こそ課題である。
ゲーテの言葉
世界は粥で造られてはいない 君らはなまけてぐづぐづするな
硬いものは噛まねばならない 喉がつまるか消化するか
二つに一つだ。
人を愉しませる文化
現在、作家音楽家俳優画家学者スポーツ選手らが一堂に会して座談に
花を咲かせても誰も怪しむものは居ない それはこれらが等しく文化で
ある と認められているからである 若し今日只今 サッカーは文化で
あるが卓球はどうだとか 作家は好いが俳優はどうだとか言う人物が
居れば二度と再び公の席にはつけなくなるだろう それはよく言われて
いる様な単純な「差別意識」などではなく我々人類が営々と築いてきた
文化そのものに対する侮蔑であり無理解から生じた許しがたい態度と
受け取られるからである。

雛のような彼女
http://www.nikon.co.jp/main/jpn/society/birds99_00/199907/
繁殖期が近づいた事を知る代表的な行為は さえずり です
さえずりは雄が縄張りを宣言し雌を呼び寄せる役目を持っています
鳥の気持は解からないが雛のように餌を貰う辺りしたたかに賢い
大きな餌を貰ったぐらいではOKはでないだろう
さえずりは美しいか立派か 姿かたちはどうか 体は強いか 
巣は快適か周りは安全か 餌は豊富か 優しいか 威張ってないか
等など。
人の世も 私が養っているんだ そんな男が多いが為 女たちも
自分を護る為に強くならざるを得ない 強くなり幸せになればいい
彼女のように可憐に振る舞い男を見極めるのも悪くは無い。



2003年11月26日(水) 歌っている

「あいぎぶはーまいはーとばっとしーうおんてぃどまいそーる・・・・」。
「でぃあんさー(まいふれんど)いずぶろーいんいんでぃういんど
でぃあんさ ーいず・・・・」。
彼は隠れ大フアンのようだ レコード聴かしてもらった。
http://homepage2.nifty.com/4453/code/don't%20think%20twice.htm
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/blowinginthewind.htm

彼はイイというのですが僕は少し乱暴に歌っているよう聴こえます
おおかたラブソングだそうです
僕は音楽のセンス かなしいほどありません
ギター 楽器などからっきし駄目です
同じようにやれる事が不思議に思うほどです

ディラン ギター上手なの!
いや そうでもないよ
彼が掻き鳴らして歌っていたらスタッフが音絞った そんな話だよ
彼は詩人だから問題ないんだ はははっ ハモニカが好きなんだ
ハモニカ(スナフキン)ふうんハモニカ!
ハモニカかっこいいんだ 僕も好きになってみるか。

空気のような人
今度こんな風に言われたら優しく笑っていよう

蜘蛛の糸
やはり切れる しがみついているしかない



2003年11月23日(日) すなふきん


釣れない いないのか?  (ヘタ?)。

読書の意味
文は人なり 立派なものも有りそうでないものもあるだろう
コーチ
カラジに解かりやすく話された
過去の文化に簡単に触れる方法は本を読む事である
これはまた歴史上の偉人と友人になる為の唯一の方法でもある
然し本を読むとはそれほど簡単な行為ではない 少し考えて
みれば当たり前の事であるが読書にもそれ相応の訓練が必要である

読書とは針の穴から隣人を覗き見てその全人格を了解するが如き
ものである 文は人なりとは作品に表れた著者の人となりを汲み取る
技術を持った者 即ち与えられた針の穴を等身大にまで拡大しそれを
飲み干せる技術を持った者のみが実感し得るのである
当世風に言えばその人となりを一旦言葉と言う名の細胞に分解して
通信回線を用いて送信し受信側にて再構成する
この回線に当たるものが書物であり再構成する技術が即ち読書術である

人類史上初の活版印刷の開発者「クーテンベルグ」の昔からインター
ネットで喧しい現代まで出版及びその他の情報伝達手段の最高速の
更新には確かに目を見張るものがある 然しながらそれを受け取る側の
我々の受信速度 即ち読解の速度は全く向上していない それどころか
寧ろ大きく減退している と言えるのではないか
何故なら 嘗ての日本人が愛した俳句短歌などの「言わずもがな」の
文化を味わう能力が衰退しきって何事に対しても無闇と多量の説明を
求めその量の多さをもって「わかりやすい」とか「親切丁寧」である
とかの評価を下しているからである 一つの事柄を自分の問題として
理解するのに多くの文を要するなら それ即ち読解速度の低下を意味
するのでなくて何だろう
結局 
読書とは言葉を仲介として他人を了解しそれを自らの鏡として用いて
自身を知る作業に他ならない そうした機会を手軽に与えてくれる
それが人類共通の財産たる書物なのである 従って「読書が出来ない」
と自分を見つめ発見する機会を失う恐れすらある 
未来は決して学べない 我々が学べるのは「過去」だけである
よく言われる事であるが 我々は過去という名の馬に跨って誰も
知らない未来に乗り出すのである その際も簡便にして祭も効果的な
方法が「読書」なのである
 勿論 必要以上に遺産にしがみついて受動的に生きて行く人生など
青年の欲するものではないから受け取りを拒否するのは全くの自由で
ある 然し譬え空っぽでも財布ぐらいは持って歩かなければ貰った
お金を入れる場所もない 非情の時には打つ手がなくなる 
正しい言葉の感覚は若いうちに養わなければ手遅れになる
如何なる天才も先人の肩に乗らなければ見渡せる範囲など高々
知れたものである 況してや 凡人の言わんをや。

プロジェクトX に於いて
「湯布院」を取り上げていた。
 



2003年11月18日(火) 雨音

昨夜から雨
友人と二人で音を愉しむ

鈴もいいが雨音に勝るものはない
近くの星でこれが聞けるのはここだけだ
奇跡の音だ 友の言葉
近くの星(惑星)
http://www2.crl.go.jp/ka/TNPJP/nineplanets/venus.html

吊るすのは「渋柿」
有り難い教えを頂きました
有難うございます

糖度の高い西条柿 
渋柿を吊るすと糖度日本一の干し柿になります
http://www.home-tv.co.jp/entame/gimon/10122/index1.htm
大変勉強になりました
有難うございます

「文が滅茶苦茶」に関しては
コーチを持つ身 毎日が勉強と心得ています
これからも磨きをかけるべく努力したいと思います

私は宗教にはトンと疎いのですが
市のホームページ昔ばなしのような柿の話をを聞くと
柿心と秋の空 しみじみとした気持になってしまいます
http://www.city.beppu.oita.jp/03gyosei/02egyosei/01general/general.html



2003年11月16日(日) 干し柿の里

土曜日の朝のテレビで「出雲・干し柿の里」の紹介をしていた
干し柿は戦いの時に作られた保存食だったようだ。
http://www.izumoji.jp/drive/d11/(参考)
甘い柿を皮をむいて軒に吊るしてある
村総出の作業なんですよ 後はお天道様しだい
静かに手を合わすご主人。
村の写真屋さん いろいろ紹介する
好きな写真
3人の兄弟の顔が縦に並んでいる 
バックは広い窓から青い空に干し柿である。

吊るすに拘るカラジ
今年は去る国で多くの像が吊るされた
主人の思いは届くであろうか

干し柿仙人なる存在を知る
http://www.asahi-net.or.jp/~zj7t-fji/

デスクトップの絵をスナフキンにする
二本のヤシにハンモック お昼寝中です
少女がバレーを踊っていると思われる小さな絵を拡大
モザイクバージョンの絵を愉しんでいました
その前は人のいない小さな砂浜です
コンタクトで父さんに会う処に似ていたんだ
スナフキンというよりフウテンの猫ですが
随分洒落てきたものだ 苦笑いの今日この頃です。



2003年11月13日(木)

デザートはワクワクするが釣り針の気配がするような
柿にはなにもないな
二人で食べても林檎のようにはならない
唯柿なのがいい

コーチといえば
誕生日は から始まり宇宙に到る
文化は言葉 科学と技術 数学は宇宙の言葉等など
面食らっている僕に映画「コンタクト」を薦める
数学は過去五千年間その地位を他に譲った事がない国際公用語である
そして若し他の銀河に知的生命 我々を遥かに凌ぐ生命が存在した場合
彼等との共通言語は数学しか有りえない
数学は「万古不変の宇宙語」である
映画にもなったカール・セーガンの小説「コンタクト」に於いて
極めて高度な知性を有する地球外生命体は
我々に時空移動機の設計図を送ってくる 
そこでは「素数」が通信の鍵として用いられている 
また映画では全く省略されてしまったが「円周率π」もこの物語を
より印象深いものにする事に大きく貢献している。との事

検索の中から
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/la-mer/pro-con.html
ホントにいろんな見方があるものだと感心する
「コンタクト」しっかり鑑賞!
時空の旅
鈴の音が消える 
私と宇宙が同じになり
壁を通り抜け遥か彼方の宇宙にまで位置する
そんな旅になるのだろうか



2003年11月09日(日) ブチ

消えた子ウサギ
ミ二耳ウサギですが毛色が茶に白 灰に白です 今度黒に白が生まれる
生まれては死んでいった十五余りの個体の中で初めての色でした
月の輪ウサギといった感じで前足から肩にかけて尻尾の辺りと眉間に
白で全体が黒の愛くるしい存在でした 餌の時など一番後で巣穴の入り
口で回りを覗うようすは早くおいでと声をかけずにいられないカラジでした
群れで1つですので目だってしょうがないのですが 暗い危険な時に
お前だけは生き延びろそんな願いが込められているように思いました
窓は開け放してありました
ある朝気が付いたのです
あの子がいないのです
他の皆はいつもより少し神経質に草を食べています
信じられない思いで探したのですが何処にもいません
片手に乗るほどなっていましたのでもう大丈夫と思っていました
しばらくしてブチの猫を見るようになりました
犬がいますので余程訳有りです
あるときウサギ小屋の屋根にブチがいたのです
屋根を走り去る音も聞くようになりました
間違いないと思うようになりました 
お母さんですよ と云って連れ去ったのだろうか
用心深いあの子だけがどうして!
ウサギ小屋は何事もなかったように平和です
今九匹です。 
追伸
画像表示難口惜しい。



2003年11月07日(金) 我さ語そ我さ語そ

愛用のキーホルダーに小鈴が付いていました
この頃ウルサク感じられたので机の番とナッていました
日記を書きながら遊んでやっていたのですよ
「リンリン・リンリン」いたずら心を起したカラジは
テープで彼女の細い口を塞いだのですよ・・・
耳元で振ってみると「がさごそがさごそ」云っているのです。
小さな奴ですが何と云う存在感 カラジは思うのですが
殻は硬く小さいほど 粒も硬く小さいほど澄んだ音を発する
粒は宇宙のリズムを舞って殻を蹴り上げる
殻は優しく激しく揺れて見事に対する

鈴を想い独り悦になっておりました
「鈴」を検索してこのページを見たときは驚きました
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/suzu1.html
コーチの話に出てくる偉い人だったのでビックリしました
ページの一幕
ら ん
ところで、どうして鈴なのだろう。
和歌子
さっき引いた宣長の歌に、「物むつかしき をりをり引なしてそれが音をきけばここちも すがすがしくおもほゆ」 とあります。勉強に 疲れた時の気分転換、集中力を高めるの かしら。
コーチは「漢心」について話している
鈴の事は御存知かどうか解からないが(知らないはずないな)
テープを使った事はきっと怒るだろうな 黙っておこう。

猫に鈴 チルダのアンテナではないがシンプルにしてGPSの元祖と
思うのはカラジだけではないだろう
本来の意味で
http://www.kobayashiosamu.com/vis/vis05.html
真に鈴の音は奥が深い

反省しきりのカラジです



2003年11月05日(水) 頼もしい奴

楽しみにしている掲示板に
円周率が3.05より大きい事を証明とありました
カラジにはとてもできそうになかった(少しは考えた)ので
一人の友人に電話してみた
うんそうか 後で電話するな
10分もしないうちに それはなカラジ
円に内接する正六角形 点を結ぶ線の総和は直径の三倍になる 
解かるな 同じように考えると
円に内接する正十二角形 点を結ぶ線の総和は直径の3.10倍になる
円周の長さは正十二角形の周囲の長さより長いので直径との比は
3.10より大きい事になる 依って
円周と直径の比は3.05より大きいんだよ
実際図を書いて確かめてみな どこかの公務員採用試験の問題か
うん、そんなところだよ ありがとう!
彼は日頃から 
シンプルが一番 と言っているがほんとだと感心する。
掲示板の管理人は「妥当性のチェック」についても述べている。
上記の答えが正解かどうかはさておいてカラジを納得させるには
充分である 物分かりのいいカラジの性格を差し引いても
余りあるように思う。



2003年11月02日(日) 文化は≪接ぎ木≫不可

子供とは如何なる存在か 長々語ってきたが
今日は 文化は接ぎ木出来ない ことを話しておこう
「文化」は接ぎ木出来ない「文明」は部分部分でその便利に応じて
導入する事も出来ようが「文化」はそうはいかない 
良い所だけを輸入しょう などという小賢しい試みは決して巧く
いかないのである
民主主義なる冷酷非情な仕組みを本気で子供に移植しょうと試み
たければその周辺環境も含めて導入する必要がある 
若し それが可能であり実際成功したとすれば 
そこには「日本の子供らしさ」と言った
不定形の壊れ易いもの 
即ち 日本の文化 そのものは一切消え失せているに違いない 
我々の先祖が営々と築いてきた日本文化の美しさは未来永劫に
渡って失われすべてに「目新しさ」と「便利さ」が優先され
それ以外何ら誇る所の無い「コンビニ国家」に落ちぶれるだろう
言うまでもなく欧米で成功した手法がそのまま我が国で通用する
場合もあればそうでない場合もある 
世界の国のそれぞれに得意とする
考え方 生き方 暮し方が存在するのである 
如何なる外圧があろうが文化の独自性だけは護らねばならない
況してや それを自ら塵屑の如く捨て去って
無定形に追随すれば二番煎じの不出来な「コピー国家」として
世界の物笑いの種になるだけだろう 
他国に「世界標準」とやらを強制する存在がその逆にどれほど神経質で
あるか 我々はこの点に静かに注目しなくてはならない
協調と迎合は違う 
個人に於いても民族に於いても迎合者は常に軽蔑されるものである

いい機会だから 
文化についても語ってみるか カラジ
そうですね コーチ
文化薫る国 生き方とはどんなんでしょうね



2003年11月01日(土) 起源

子供であろうが大人であろうが言葉を用いる以外に
相互理解の方法はない
だからこそ一刻も早く指導するべきである などという考え方
には賛成しかねる そもそも その意味 特に隠された残虐性を
理解も想像も出来ない子供が徒に「民主主義」なる言葉を弄んで
討論に及べは殆どの場合声の大きな子供が声の小さな子供を圧するに
留まるであろう弱者救済とばかりに意気込んで議論を進めても結局
早熟な強者に新たな武器を与えるだけで終わってしまうであろう
そして両者の溝は一段と深まるのである
言葉そのものの生い立ちに戻って少し考えて見よう
民主主義は広く知られているように英語「デモクラシイ」の訳語である
この英語の元はラテン語であり更にその起源を遡れば古代ギリシャ語の
「民衆の支配」を意味する言葉「デモクラテァ」に辿り着く
ところで我が国では鎌倉時代以降「下克上」なる言葉が使われだした
これは字義通りに「下の者が上の者に克つ」と解釈されるのが
一般的である 従ってこの言葉は公の場ではうっかり使えない強さを
持っている
ところが件の辞書にはこの説明に先立って「でもくらしいトモ解スベシ」
と書かれている 下克上が≪でもくらしい≫であり民主主義も≪デモ
クラシイ≫であれば「民主主義とは下克上の事なり」となる
実際下克上を実力が虚名を廃する事と読めば現在我々が民主主義なる
言葉に抱く感情とそれほど変わらなくなる逆に民主主義という言葉の
中に本来の下克上の語感に相当する強さを見出す事も出来るだろうし
案外それが民主主義の本当の姿かも知れないのである
若し家庭内に下克上を持ち込むなどと言えば誰しも大いに腰が
引けてしまうだろうが「家庭内も民主主義で行こう」と言えば
何か麗しき事でも起こりそうに思ってしまうのではないか
ここにも言葉遣いの難しさが見て取れる
人は言葉を用いる以外相互理解の方法は無い 従って討論もその方法
技術など基本的な要領を学ばねばならない だからこそ「民主主義」
なる空語を用いずにただ素直に「話し合え」と言えば好いのである
子供にとって重要な事は平時に於いては知力が腕力に勝り互いに他を
尊重し議論を以って事を決していく態度が多くの他人と暮して云う為の
必須の要件である と体感できれば充分なのである
火を囲んでお互いを知る 贅沢な事だなカラジ
僕もそう思います コーチ


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