東行庵の軒下で

2002年02月28日(木) お気に入りの項目

画面の左端に、「お気に入り」の項目が出るんだけど、いや〜。実にマニアックでよいなぁ。最近の「お気に入り」

音楽関連のホームページが、上のほうを占めているんだけど、アロマセラピー辺りから、だんだんと・・・。マイブームの変遷が一目でわかる。飽きっぽいなぁ〜。

なんかねぇ〜。日記見られるより恥ずかしいね。

心の機微が反映されてる(そんな大げさな・・・)

今、最新のお気に入りはね・・・そこのファンクラブに復帰入会したら、会報が「某Yしもと興業」の封筒に入って送られてきて戸惑ったという・・昔はCびーえすそにーだったんだけど。

その辺りの「お気に入り」は、とってもマニアックなの。だから「お気に入り」なんだけどね。へへへ。


のぞかないでね^^



2002年02月26日(火) 入学したと

ホグワーツ(ワーナーブラザーズのサイトの)に、入学。
もう一度、義務教育をうけるなんて・・・結構楽しいね。

寮を決める組み分け帽子に、いろいろ質問されて「・・・もしかしてスリザリン?」とかドキドキしてたら「グリフィンドール」に決定!キャー嬉しい!!
みんなグリフィンドールなのかしら?と思ったら、そうでもないらしいので、またまた嬉しさ倍増!!なんて「企業の思うツボ子」サンなのかしら。

魔法の杖も決まってさ〜

マジで嬉しいくさ。

日本に魔法使いはいない・・なんて思ったそこのアナタ。ちょっとこっちへ来なさい。

じっくりと、お話を聞かせちゃるけん!!!



2002年02月25日(月) 久々なのよ

もう、ちょっとぉ〜
型紙おこすのって何年ぶりかしら???
友達と、徒党を組んでコスプレやって、ライブとか行ってたのよ〜それが、アクシデントにより封印されてしまって、何年かしら・・・ひさっびさで、ハサミをカシャカシャ手拍子、足拍子〜〜〜

しか〜し!

すっごく単純な形だのに、進まないのよ作業が。
(だいたい裁縫道具を一式、持って降りるのがめんどうで、必要な道具だけ1階の作業場に持って降りているのが、そもそもの間違い。)

やっと型紙起こして、布に印をつけるのに、チャコペーパーだけだして、
「おっといけねぇ」
ヘラがない。二階に取りに行く。

型紙を布の上に置いて、
「おっといけねぇ」待ち針がない。二階へ取りに行く。
「おっといけねぇ」裁ちばさみがない。2階へ、以下同文・・・・。

布にはさみを入れるだけのために、私は6回分の階段昇降運動をしたのだ!

これは、牛の異常プリオンのせいか??
それとも、段取りの悪さのせいか???

裁縫に関するエピソードを語らせたら、被服科以外のニンゲンでは5本の指に入るぜ。アンネの日記36冊分ぐらい軽く超えるぜ!
デカイ字で、行間空けて話しちゃうぜ、おいら。


でも、今日、話すのは止めておこう。
いずれ、その話が載り始めたときは、日付よりも先に書き貯めしてるな!?と、勘ぐって下さい。

無事に出来上がりますように・・・・


デンデン湯沢殿下 様へ。



2002年02月24日(日) 契約

魂に刻まれている






大脳中枢に侵食している







爪先から、髪の先までが





求めてやまない






意識、無意識、その







認識すらない ところで










生き延びていた










思い










束縛の










呪いにも似た










思いに












身をゆだねる



2002年02月21日(木) 無責任な発言・・・

自分で調べもせずに、「ルーク様、最近どうしてるんだろう・・」などと軽軽しく書き込みしてしまいました。ゴメンナサイです。

そう。こういうときこそ巨大なメディア、インターネットの情報を活用するんだよね。世界中とつながってる道具なんだから。

「聖飢魔ー�供廚箸いΕ丱鵐匹任粒萋阿禄�了したけれど、各構成員の方々は、まだまだ、というか「これからもずっと元気だぜ!」と表現者、アーティストとして精力的な活動を続けてます。

もちろん、ルーク様も。
オフィシャル・ページがあるなんて、おいら・・おいら・・
イキテテヨカッタっちゃ〜〜〜びえええええええん。と、嬉泣き。

今度、ルーク様のライブがあるときは、ここまで来てくれなくても、こちらから伺わせていただきます。

閣下とともに、オールナイトニッポン(月曜日担当)に出てらしたときから(因みに第二部はエコーズ・辻 仁成氏だった)すれば、本当に長うございました。(←何がだ?)

その頃(基督歴の‘80年代後半でしたよね)メディアといえば、テレビ・新聞・雑誌・ラジオ・・
なかでも、ラジオはオーディエンスからのハガキで進められていた気がします。

ハガキの内容までといかなくても、名前、ペンネーム(四股名)が読まれるだけで、とても嬉しかった。それが一番近いコミュニケーション手段だったです。

時代は変わって、このようなインターネットをつかった通信手段は、新しい情報がいち早く流れ、遠く離れたヒトとヒトをつなぎ、しかも時間が合えば「チャット」という文字の会話ができてしまう・・
月曜日深夜という1/7の時間のために、友達と授業中にせっせとハガキを書いていた頃からすれば、夢のような時代に居るのですね。私にとっても、ルーク様にとっても。

ただ、忘れてはならないのは、メディアの一部分に成るときもアル、ということ。
受け手だけでなく、情報の送り手となる場合もあって、それが誰のチェックも受けずに、凄く広い世界に「情報」として流れてしまうこと。

それはとっても「怖いこと」だと肝に銘じているつもりです・・・





2002年02月20日(水) 引き続き、ビデオ見た日

今度は、ななな〜んと、われらがデーモン閣下の、布教活動絵巻。
そう、布教活動なんだから、閣下では無く「げいか」なんだけど、漢字変換が出来ません。「閣下」で許してください。

「1986年・大黒ミサツアー(だいこくミサツアー、と読むんじゃないぞ!)」
骨折したあとの、デーモンカーに座ってのミサなんだけど、良くあんな声出せるよなぁ〜。だって、「座って」んだぜ。歌いにくいし、腹にチカラが入るんかね?などと、もう随分前のことなのに、しかも活動絵巻@中古ビデオなのに、心配してしまうなんざ、わたしってアクマに心を押し売りしてたのね〜買ってくれなかったけどさ・・・。

そうそう、ギターがジェイル大橋様と、エース清水様。
高校の頃、友達はエース様が好きでね、私は、大橋様が抜けた後に加入した、ルークTakamura(またも変換できません・・)様が好きで。だって、長髪が似合うアクマだったからね。背も高かったしさ。しかも、ギターの早弾き系が得意で、「おすぎ」と「ピーコ」の物まねも得意で。
ソロツアーとかあったけど、この辺りには来ていただけなくって。信者の集いに、エース宗の友達と参加したときに、最後の握手会で(む〜、いったい何人と彼らは握手していたのだろう・・今思えば、凄く小回りのきくバンド・・宗教団体だったんだなぁ)「今度は、ここでソロライブ演ってください」ってルークさんに言ったら「ぜひやりたいね!!」って、お言葉をもらいました。ああ。今思い出しても、泣けてくるよ。なにがって、コトバって、ぬくもりがこめられてるときって、いつまでたっても、消えないものなんだってば。・・・・


うわ〜〜〜ぜんっぜん関係ないし、しかもこのビデオにルークさん出てないのに、もう語りまくってますね、私。もう、ちかっぱい好いとーって感じだったからね。
聖飢魔−�恐鮖兇靴晋紂△匹Δ覆気辰討襪鵑任靴腓Δ�。



2002年02月19日(火) Revoution2&Smile

わけあって、アルフィーの昔のビデオをひっぱりだして、さっきまで見ていたら、日付が変わってしまっていた。

Revolution〜Revolution2 tourは、1990年。
砂漠、アルカディアをコンセプトにツアーしてたら、中東で戦争がはじまって、世界のニュースとシンクロしてた年。(前年、ベルリンの壁=心の壁というコンセプトでツアーしてたら、途中でベルリンの壁が崩壊。そのためステージセットの壁を取り壊し、ブランデンブルグ門を新しく作ったという逸話がある。二年越しで世界とシンクロしていた。)

つうことは、12年も前なのか?12年って言ったら、赤ちゃんが中学生になってるんだよ。すごいよね。しかも、アルフィーも変わらず全国ツアーやってるし。

なんだかね。もう許しちゃうね。音がどうとか、歌がどうとか、衣装とか、29年やって、まだ健在だってことだけで、あの3人許せるよ、おいら。

なんの目的で、ビデオを見たのか忘れちまったよ。

そうそう、このツアーは、長谷川 浩二氏と、そうる透氏の、ツインドラムだった。今夜も二人〜で〜アルカディア〜。



コンセプトも、衣装も、ステージセットも、曲も、一番好きなツアーだったなぁ。



2002年02月09日(土) 好みの問題でしょ〜

祖母と二人きりの、夕食でのこと。

祖母はスーパーの寿司セットを食していた。
私は「マグロの血合い」部分の切り落とし@半額処分を、塩コショウ、醤油とバジルで風味付けし、フライパンでサッと焼いたものをむさぼり・・・食していた。

「寿司食べんねっちゃぁ!!」
突然、祖母が怒り出したのである。
訳のわからない私に
「みんなが帰ってきたら、ヤカマシ言われるけん、寿司食べんねっちゃ!」
と、自分の食す筈だった寿司セットを私によこした。
「いいよ、みんなが帰ってきても、良いっちゃろうもん。オバン、食べ」

祖母からすれば、そんなゲテモノ食いはやめて、美味しいもの食べなさいっていう、祖母なりの優しさ(?)なんだろうなぁ。

でもなぁ。
血合いって、結構うまいんだよ〜。
鳥のレバーがダメな私は、魚のレバー=血合い、でバランスを取ってるんだよ。

マグロぐらいの大きさの血合いは、焼くと牛肉のように見えて、これがまた食欲をそそるんだ。うほっ、今ヨダレが。舌まで飲み込んじゃいそうだぜ。

しかし、祖母が強引に残した寿司を平らげると、お腹が満腹チン。

血合いは見るも無残な物体となって、皿に残ってしまった。
牛肉のようだったものが、穴のあいた雑巾のようになってしまった。

泣く泣く、犬にあげることとなって、私は血合いに「アデュ〜」と別れを告げた。









さっき、見てみたら、犬の食器の周りに、血合いだけが寄り捨てられていた。
犬も食べないのか????
だいたいね、食べないなら、鼻をくっつけるんじゃないよ!食べれなくなるじゃんか!このおぉ〜!!ワンワンワンワン!!!
これ以上書くと理性がなくなりそうだあぁああああぁあああ!!








2002年02月03日(日) (続き)

続いて、長府・功山寺へ。

元治元年12月15日。功山寺決起。幕府の言うことをおとなしく聞いておこうといった「俗論派」2000人を倒そうと、晋作が80人足らずの兵を挙げたところ。
功山寺に潜伏していた公家・三条実美卿に「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけます!」と、それだけを言った。すると、実美は大きくうなずき、酒を振舞った。晋作の率いた兵は私兵ではなく、義兵となったのである。

功山寺の山門までの急な坂道を、馬に乗ったまま一気に駆け上がったという話があるが、その坂道に差し掛かる前に、刀傷が幾つも残っている小さい門がある。そこで頭をぶつけなかったのか?

そんなことを気にしてたら、「馬上の晋作」像に、またまた睨まれちゃうよな。

長府では、城下町歩きツアーというのがあって、観光地としてしっかり整備されている。長府観光お土産センターなるものまでしっかりあるのだ。
しっかり探検。しっかり試食。

ふくシリーズ、乃木希典(乃木将軍)シリーズ、忌宮神社、明治維新・・

ここでも、ウメ味は根強く、梅ウイロウなどを試食。

なんだかんだいっても、梅って美味しいじゃん!などと、ちょっとだけ晋作サマに近づけた、そんなオメデタイ気持ちと、口に残る梅の香りをを抱えて帰宅した。







夕飯のおかずは、冷凍モノの「ウナギの蒲焼」だった・・・・・。
母上。あなた、もしかして新撰組???



2002年02月02日(土) 再び東行庵へ。

天気が良いので、またまた行って来ました、東行庵。

西行法師を慕い、自分はその様に生きれない事を悟り、また恩師・吉田松陰の終焉の地、東(江戸幕府)へ思いをはせ
「西へ行く 人を慕うて 東行く 我が心をば 神や知るらむ」
と歌い、東行(とうぎょう)と号した高杉 晋作サマの眠る場所。

庵の周りには梅林がある。東行が、梅の花が好きだったからだ。

前に来たときは、確か八月。
日差しが痛いほどの暑い日に、日陰を求めるトカゲのように、フラフラになりながらたどり着き、何より先に「小月駅行き」のバス停を確認した、あの時とは違い、だんぜん余裕のあった私は、道を隔ててたっている土産物屋&お食事処を探索することにした。

晋作もち・晋作ビール・晋作うどんに、奇兵隊うどん!?なんじゃそりゃ?!
奇兵隊うどんにも、メチャクチャそそられたのだが、ここはオーソドックスな(?)「晋作うどん」をたのんだ。山菜うどんに小餅二つが入っていて、その餅の上に「練り梅」がトッピングしてあった。
梅が入ってるのが、晋作たる所以なのね・・

自分を納得させて、こんどは隣の店へ。
看板にはこう書いてあった。
「晋作も愛した梅ソフトクリーム」
多分、「晋作も愛した梅、ソフトクリーム」と逃げ道ありのキャッチコピーの筈。

だって、梅ソフトクリームなんて、晋作サマの時代には無かった筈だし、だいたい、「晋作は梅の花が、たいそう好きであった」という記述はあるけど、「梅干し味が好きであった」なんて一言も書いて無いじゃんかよ〜〜。

と思いながらも梅ソフトを味わいながら、庵を後にした。(つづく)


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