画面の左端に、「お気に入り」の項目が出るんだけど、いや〜。実にマニアックでよいなぁ。最近の「お気に入り」
音楽関連のホームページが、上のほうを占めているんだけど、アロマセラピー辺りから、だんだんと・・・。マイブームの変遷が一目でわかる。飽きっぽいなぁ〜。
なんかねぇ〜。日記見られるより恥ずかしいね。
心の機微が反映されてる(そんな大げさな・・・)
今、最新のお気に入りはね・・・そこのファンクラブに復帰入会したら、会報が「某Yしもと興業」の封筒に入って送られてきて戸惑ったという・・昔はCびーえすそにーだったんだけど。
その辺りの「お気に入り」は、とってもマニアックなの。だから「お気に入り」なんだけどね。へへへ。
のぞかないでね^^
ホグワーツ(ワーナーブラザーズのサイトの)に、入学。 もう一度、義務教育をうけるなんて・・・結構楽しいね。
寮を決める組み分け帽子に、いろいろ質問されて「・・・もしかしてスリザリン?」とかドキドキしてたら「グリフィンドール」に決定!キャー嬉しい!! みんなグリフィンドールなのかしら?と思ったら、そうでもないらしいので、またまた嬉しさ倍増!!なんて「企業の思うツボ子」サンなのかしら。
魔法の杖も決まってさ〜
マジで嬉しいくさ。
日本に魔法使いはいない・・なんて思ったそこのアナタ。ちょっとこっちへ来なさい。
じっくりと、お話を聞かせちゃるけん!!!
もう、ちょっとぉ〜 型紙おこすのって何年ぶりかしら??? 友達と、徒党を組んでコスプレやって、ライブとか行ってたのよ〜それが、アクシデントにより封印されてしまって、何年かしら・・・ひさっびさで、ハサミをカシャカシャ手拍子、足拍子〜〜〜
しか〜し!
すっごく単純な形だのに、進まないのよ作業が。 (だいたい裁縫道具を一式、持って降りるのがめんどうで、必要な道具だけ1階の作業場に持って降りているのが、そもそもの間違い。)
やっと型紙起こして、布に印をつけるのに、チャコペーパーだけだして、 「おっといけねぇ」 ヘラがない。二階に取りに行く。
型紙を布の上に置いて、 「おっといけねぇ」待ち針がない。二階へ取りに行く。 「おっといけねぇ」裁ちばさみがない。2階へ、以下同文・・・・。
布にはさみを入れるだけのために、私は6回分の階段昇降運動をしたのだ!
これは、牛の異常プリオンのせいか?? それとも、段取りの悪さのせいか???
裁縫に関するエピソードを語らせたら、被服科以外のニンゲンでは5本の指に入るぜ。アンネの日記36冊分ぐらい軽く超えるぜ! デカイ字で、行間空けて話しちゃうぜ、おいら。
でも、今日、話すのは止めておこう。 いずれ、その話が載り始めたときは、日付よりも先に書き貯めしてるな!?と、勘ぐって下さい。
無事に出来上がりますように・・・・
デンデン湯沢殿下 様へ。
魂に刻まれている
大脳中枢に侵食している
爪先から、髪の先までが
求めてやまない
意識、無意識、その
認識すらない ところで
生き延びていた
思い
束縛の
呪いにも似た
思いに
身をゆだねる
自分で調べもせずに、「ルーク様、最近どうしてるんだろう・・」などと軽軽しく書き込みしてしまいました。ゴメンナサイです。
そう。こういうときこそ巨大なメディア、インターネットの情報を活用するんだよね。世界中とつながってる道具なんだから。
「聖飢魔ー�供廚箸いΕ丱鵐匹任粒萋阿禄�了したけれど、各構成員の方々は、まだまだ、というか「これからもずっと元気だぜ!」と表現者、アーティストとして精力的な活動を続けてます。
もちろん、ルーク様も。 オフィシャル・ページがあるなんて、おいら・・おいら・・ イキテテヨカッタっちゃ〜〜〜びえええええええん。と、嬉泣き。
今度、ルーク様のライブがあるときは、ここまで来てくれなくても、こちらから伺わせていただきます。
閣下とともに、オールナイトニッポン(月曜日担当)に出てらしたときから(因みに第二部はエコーズ・辻 仁成氏だった)すれば、本当に長うございました。(←何がだ?)
その頃(基督歴の‘80年代後半でしたよね)メディアといえば、テレビ・新聞・雑誌・ラジオ・・ なかでも、ラジオはオーディエンスからのハガキで進められていた気がします。
ハガキの内容までといかなくても、名前、ペンネーム(四股名)が読まれるだけで、とても嬉しかった。それが一番近いコミュニケーション手段だったです。
時代は変わって、このようなインターネットをつかった通信手段は、新しい情報がいち早く流れ、遠く離れたヒトとヒトをつなぎ、しかも時間が合えば「チャット」という文字の会話ができてしまう・・ 月曜日深夜という1/7の時間のために、友達と授業中にせっせとハガキを書いていた頃からすれば、夢のような時代に居るのですね。私にとっても、ルーク様にとっても。
ただ、忘れてはならないのは、メディアの一部分に成るときもアル、ということ。 受け手だけでなく、情報の送り手となる場合もあって、それが誰のチェックも受けずに、凄く広い世界に「情報」として流れてしまうこと。
それはとっても「怖いこと」だと肝に銘じているつもりです・・・
| 2002年02月20日(水) |
引き続き、ビデオ見た日 |
今度は、ななな〜んと、われらがデーモン閣下の、布教活動絵巻。 そう、布教活動なんだから、閣下では無く「げいか」なんだけど、漢字変換が出来ません。「閣下」で許してください。
「1986年・大黒ミサツアー(だいこくミサツアー、と読むんじゃないぞ!)」 骨折したあとの、デーモンカーに座ってのミサなんだけど、良くあんな声出せるよなぁ〜。だって、「座って」んだぜ。歌いにくいし、腹にチカラが入るんかね?などと、もう随分前のことなのに、しかも活動絵巻@中古ビデオなのに、心配してしまうなんざ、わたしってアクマに心を押し売りしてたのね〜買ってくれなかったけどさ・・・。
そうそう、ギターがジェイル大橋様と、エース清水様。 高校の頃、友達はエース様が好きでね、私は、大橋様が抜けた後に加入した、ルークTakamura(またも変換できません・・)様が好きで。だって、長髪が似合うアクマだったからね。背も高かったしさ。しかも、ギターの早弾き系が得意で、「おすぎ」と「ピーコ」の物まねも得意で。 ソロツアーとかあったけど、この辺りには来ていただけなくって。信者の集いに、エース宗の友達と参加したときに、最後の握手会で(む〜、いったい何人と彼らは握手していたのだろう・・今思えば、凄く小回りのきくバンド・・宗教団体だったんだなぁ)「今度は、ここでソロライブ演ってください」ってルークさんに言ったら「ぜひやりたいね!!」って、お言葉をもらいました。ああ。今思い出しても、泣けてくるよ。なにがって、コトバって、ぬくもりがこめられてるときって、いつまでたっても、消えないものなんだってば。・・・・
うわ〜〜〜ぜんっぜん関係ないし、しかもこのビデオにルークさん出てないのに、もう語りまくってますね、私。もう、ちかっぱい好いとーって感じだったからね。 聖飢魔−�恐鮖兇靴晋紂△匹Δ覆気辰討襪鵑任靴腓Δ�。
| 2002年02月19日(火) |
Revoution2&Smile |
わけあって、アルフィーの昔のビデオをひっぱりだして、さっきまで見ていたら、日付が変わってしまっていた。
Revolution〜Revolution2 tourは、1990年。 砂漠、アルカディアをコンセプトにツアーしてたら、中東で戦争がはじまって、世界のニュースとシンクロしてた年。(前年、ベルリンの壁=心の壁というコンセプトでツアーしてたら、途中でベルリンの壁が崩壊。そのためステージセットの壁を取り壊し、ブランデンブルグ門を新しく作ったという逸話がある。二年越しで世界とシンクロしていた。)
つうことは、12年も前なのか?12年って言ったら、赤ちゃんが中学生になってるんだよ。すごいよね。しかも、アルフィーも変わらず全国ツアーやってるし。
なんだかね。もう許しちゃうね。音がどうとか、歌がどうとか、衣装とか、29年やって、まだ健在だってことだけで、あの3人許せるよ、おいら。
なんの目的で、ビデオを見たのか忘れちまったよ。
そうそう、このツアーは、長谷川 浩二氏と、そうる透氏の、ツインドラムだった。今夜も二人〜で〜アルカディア〜。
コンセプトも、衣装も、ステージセットも、曲も、一番好きなツアーだったなぁ。
祖母と二人きりの、夕食でのこと。
祖母はスーパーの寿司セットを食していた。 私は「マグロの血合い」部分の切り落とし@半額処分を、塩コショウ、醤油とバジルで風味付けし、フライパンでサッと焼いたものをむさぼり・・・食していた。
「寿司食べんねっちゃぁ!!」 突然、祖母が怒り出したのである。 訳のわからない私に 「みんなが帰ってきたら、ヤカマシ言われるけん、寿司食べんねっちゃ!」 と、自分の食す筈だった寿司セットを私によこした。 「いいよ、みんなが帰ってきても、良いっちゃろうもん。オバン、食べ」
祖母からすれば、そんなゲテモノ食いはやめて、美味しいもの食べなさいっていう、祖母なりの優しさ(?)なんだろうなぁ。
でもなぁ。 血合いって、結構うまいんだよ〜。 鳥のレバーがダメな私は、魚のレバー=血合い、でバランスを取ってるんだよ。
マグロぐらいの大きさの血合いは、焼くと牛肉のように見えて、これがまた食欲をそそるんだ。うほっ、今ヨダレが。舌まで飲み込んじゃいそうだぜ。
しかし、祖母が強引に残した寿司を平らげると、お腹が満腹チン。
血合いは見るも無残な物体となって、皿に残ってしまった。 牛肉のようだったものが、穴のあいた雑巾のようになってしまった。
泣く泣く、犬にあげることとなって、私は血合いに「アデュ〜」と別れを告げた。
さっき、見てみたら、犬の食器の周りに、血合いだけが寄り捨てられていた。 犬も食べないのか???? だいたいね、食べないなら、鼻をくっつけるんじゃないよ!食べれなくなるじゃんか!このおぉ〜!!ワンワンワンワン!!! これ以上書くと理性がなくなりそうだあぁああああぁあああ!!
続いて、長府・功山寺へ。
元治元年12月15日。功山寺決起。幕府の言うことをおとなしく聞いておこうといった「俗論派」2000人を倒そうと、晋作が80人足らずの兵を挙げたところ。 功山寺に潜伏していた公家・三条実美卿に「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけます!」と、それだけを言った。すると、実美は大きくうなずき、酒を振舞った。晋作の率いた兵は私兵ではなく、義兵となったのである。
功山寺の山門までの急な坂道を、馬に乗ったまま一気に駆け上がったという話があるが、その坂道に差し掛かる前に、刀傷が幾つも残っている小さい門がある。そこで頭をぶつけなかったのか?
そんなことを気にしてたら、「馬上の晋作」像に、またまた睨まれちゃうよな。
長府では、城下町歩きツアーというのがあって、観光地としてしっかり整備されている。長府観光お土産センターなるものまでしっかりあるのだ。 しっかり探検。しっかり試食。
ふくシリーズ、乃木希典(乃木将軍)シリーズ、忌宮神社、明治維新・・
ここでも、ウメ味は根強く、梅ウイロウなどを試食。
なんだかんだいっても、梅って美味しいじゃん!などと、ちょっとだけ晋作サマに近づけた、そんなオメデタイ気持ちと、口に残る梅の香りをを抱えて帰宅した。
夕飯のおかずは、冷凍モノの「ウナギの蒲焼」だった・・・・・。 母上。あなた、もしかして新撰組???
天気が良いので、またまた行って来ました、東行庵。
西行法師を慕い、自分はその様に生きれない事を悟り、また恩師・吉田松陰の終焉の地、東(江戸幕府)へ思いをはせ 「西へ行く 人を慕うて 東行く 我が心をば 神や知るらむ」 と歌い、東行(とうぎょう)と号した高杉 晋作サマの眠る場所。
庵の周りには梅林がある。東行が、梅の花が好きだったからだ。
前に来たときは、確か八月。 日差しが痛いほどの暑い日に、日陰を求めるトカゲのように、フラフラになりながらたどり着き、何より先に「小月駅行き」のバス停を確認した、あの時とは違い、だんぜん余裕のあった私は、道を隔ててたっている土産物屋&お食事処を探索することにした。
晋作もち・晋作ビール・晋作うどんに、奇兵隊うどん!?なんじゃそりゃ?! 奇兵隊うどんにも、メチャクチャそそられたのだが、ここはオーソドックスな(?)「晋作うどん」をたのんだ。山菜うどんに小餅二つが入っていて、その餅の上に「練り梅」がトッピングしてあった。 梅が入ってるのが、晋作たる所以なのね・・
自分を納得させて、こんどは隣の店へ。 看板にはこう書いてあった。 「晋作も愛した梅ソフトクリーム」 多分、「晋作も愛した梅、ソフトクリーム」と逃げ道ありのキャッチコピーの筈。
だって、梅ソフトクリームなんて、晋作サマの時代には無かった筈だし、だいたい、「晋作は梅の花が、たいそう好きであった」という記述はあるけど、「梅干し味が好きであった」なんて一言も書いて無いじゃんかよ〜〜。
と思いながらも梅ソフトを味わいながら、庵を後にした。(つづく)
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