東行庵の軒下で

1997年08月11日(月) 嵐の東行記(3)

いままでひとことも、何のために旅行しているのか書いてなかった。
日本の人気男性歌手トリオ(@毎日新聞サン)ご長寿バンド、アルフィーの夏のイベントに参加せんが為の「いざ稲毛海岸」旅行であったの。

11日、空港でお土産を買い、「いろいろあったけど、もうこれで旅も終わりだ、お疲れさん」と、自分に言い聞かせ、安堵のため息をもらしていた・・

だが、ここでもイベントは私たちに牙をむいた!!(そんなおおげさな)

飛行機の出発時刻10分前になっても、連れの旅団員3と4が姿を見せないのである!!

おーまいがっ。

この飛行機のチケットでは、後続の便に乗ることはできないのだ。
アナウンスをかけると、向こうも私たちを探すアナウンスをかけていではないか!しかも違う航空会社の待合にいるらしい・・・そう、彼女たちは航空会社を勘違いしていたのだ。

JASとANA。

羽田の出発ロビーで、この間違いは命取りでしょ。
彼女たちを迎えに端から端まで走ったNちゃんは、半べそ状態だった。

ゲートをぬけると、空港関係者の方々も一緒に走ってマラソン大会のよう。

「もう、この車で機体まで輸送しますから、乗ってください!!」と一台の車に乗せられた。
専用のバスではなく、荷物を載せるような車だった。貨物室に乗せられるのか??


「ただいま、最終のお客様が搭乗なされました、当機は10分ほど遅れて・・」
という、アナウンスの中、客室に入るより、案外、荷物と一緒の方がよかったかも・・



1997年08月09日(土) 嵐の東行記(2)

代わりの座席を取ってもらい、アホ笑いの悪徳旅団長の汚名を,返上したかのように見えた私だが、朝の天気予報で、台風が大幅に針路変更をした事を知った。

意気地なし台風!最後までスジを通してくれよ〜。なんのために、昨日出発したと思ってるんだ!!!

私はまたまた「悪徳えせ旅団長」に、嬉しくない返り咲きを果たしたのであった。

足かせをはめられた、囚人のような重い足取りで、京葉線にのり、無言のうちに幕張プリンスホテルのある海浜幕張駅に降りたとたん、台風か!!と思われるような強風。
風速15メートル。
前に進めない。
おのれ、わたしたちの来訪をこばんでいるのかぁ〜〜〜!!

さらに!稲毛海岸で泳ごうと水着まで用意してきたのに、(この、水着を手に入れるまでも、かなりのカンナンシンクがあったのだが、今それを説明するスペースは無い)浜についたらアータ、「禁止」という旗が、風にちぎれんばかりに、はためいているではないか!さすがに倒れそうになった。(つづく)



1997年08月08日(金) 嵐の東行(とうぎょう)記(1)

折りしも、九州地方には台風11号が接近していた。

9日の朝、飛行機で出発の予定だったのだけど、朝、窓を開けたら「絵に描いたような台風風景」だったら、陸も空も海も、どげもこげもしようのなかばい、と、2万8千円の手出しを渋る東行旅団員の固いサイフを言葉巧みにこじ開け、東京へ向かうブルートレインの先頭車両に飛び乗った。そして、JRの発行してくれた切符を読み返した。

14号車。

なんど読み返しても、14号車。
本来なら先頭車両のはずである。しかし、飛び乗った先頭車は13号車、その前は機関車。これに乗れというのか?!?

パニック込み上げ一歩前の旅団員その1、その2、その3。
そんな大げさな〜と思った友よ、兄弟よ、それは違うぞ。先頭車両マークの所で荷物を持って待っていたところに、機関車が止まるなんて「コント?」と思うくらいの衝撃が走ったのだよ。

とにかく、車掌のところへ行こう。乗ってしまったんだ、今更降りてくれとは言わないだろう・・等と考えながら、車内をどんどん歩いていく。ガラッ、ぴしゃ、と重たいドアを開けて。ガラッ、ぴしゃ。ガラッ、ぴしゃ。

がらぴしゃがらぴしゃX14!!

私は将軍様に会いに行く家臣か!?!

やっとの思いで車掌室のドアにたどり着いた。
「14号車は、ブレーキが故障して、そのままだと火を噴くかもしれんけ、置いてきたとですたい」と、わかりやすい説明をする車掌。
う〜む、火を噴く列車!なんだかオモシロイね!!と、私は疲労の色を浮かべた団員に笑いかけたが、アホな笑顔が宙に浮いてしまった事は言うまでも無い・・(つづく)


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