★K's FieldDiary★
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2013年03月31日(日) 退任挨拶

休日出勤で、本年度最後の職員会議。
最後のあいさつを済ませて退席し、現職のすべてを終える。

明日からの事務屋の毎日は少々気が重いが、
山積みになっていた未処理案件を一つずつ片付けて行こうと覚悟を決める。


色々先行き不透明な新年度。唯一わかっているのは、


暇になることだけは無さそうだ・・・・・・


って現実である。


2013年03月28日(木) 奈落

午後、役場に呼びつけられて駆けつける。

次年度の事業の事でと言われていたので園舎建替の件かと思いきや、
法人運営に対して匿名者から町に出された苦情の件での呼び出しで、
全く具体的な苦情内容も聞かされず、このような状況では園舎建替どころの
話ではないと恫喝された。

わけもわからず詫びを入れたわけだが、何を改善すればよいのかわからない。

監督官庁は「県」で、園舎建替えの責務を持つのは「町」。
建替えたくないということか?


2013年03月27日(水)

朝から結構な勢いで雨が降っている。
咲き始めの職場のサクラはちょっと一休みかな?
今年は入園式が遅いので暫く冷え込んでくれるのを期待している。

雨の中、園舎をかすめるようにミサゴが1羽。


2013年03月26日(火) ひだりうちわ

・・・のはずだったのに、なんだかとっても忙しい年度末。
やっぱり自分でやった方が楽だった。


って言うのが私の本性だから、
今回の自分への辞令は「試練」だと思っている。




でも、なんだかとってもトホホ。。。。。。


2013年03月25日(月) 壊れた。。。

だましだまし何とかやってきたけど、ついに「歯」が全面的に壊れた。涙

右上、第三大臼歯の詰め物、欠落。(1か月経過)
右下、第二小臼歯、ブリッジの橋脚部分が激痛(あごの骨まで痛む)

左上、第三大臼歯の詰め物、欠落。(2年半経過)


水を飲んでも激痛。柔らかいものを噛んでも激痛。
当然歯ごたえのあるものなんか、噛む気もしない。。。。。

飲み込み続けてすでに1週間。もう限界だ。


2013年03月23日(土) 卒園式の空に舞うツバメ

10回目の卒園式を無事終える。

子ども達の涙。
幼いなりに分かれに寂しさを感じているようだ。
それを見て目頭を押さえる担任の姿をほほえましく眺める。

私には乾いた涙も無い。


終了後、職員会議を開催して私の退職を職員に告げる。
唖然とする職員に、そのまま継続して大説教。
実に珍妙な退職挨拶になってしまった。


肩の荷を下して園庭に出ると、上空を5羽のツバメが舞っていた。
高い飛び方から我が職場への帰着か否かは不明なれど、
お帰りなさいと独り言。私は多分帰らないと思う。


2013年03月11日(月) 役所

バタバタしながらも何か落ちているような気がして落ち着かない。

仕事のついでに役場・住民課を訪れ手続きの漏れについて確認。
年金関係を除けば急ぎは無い事を確認し、すぐ横の税務課へ。

大したものは無いものの結構な量の課税台帳を拝見。

自宅や家の周りの田んぼはともかく、
曾祖父が代表とされる共同所有の農業用ため池や入り合いの山林は、
いったいどうすればいいんだ。。。。


2013年03月10日(日) お話し会

暇で暇で仕方のない事務所当番さんに少しがんばっていただこうと、
3月から図書館開館時間に「お話し会」をセットした。

一応言いだしっぺの責任を取って、第一回は私が担当させていただき、
お題は「日本全国鳥話 石垣・西表編」とした。

来訪者は女性陣6名、男性陣2名の計8名。

全員、サクラ。汗


資料は何も用意できなかったので、口から出まかせでゆる〜〜く10年前のお0話を。
10分ももたない程度の内容であったが、
八重山固有種の話はそれなりに食い付きが良かったようで、
この8人の中から次の訪問者が出るかもしれない程度の雰囲気は作れた。

これで誰か飛んでくれれば、その話題で次のお話し会が開催できるかもしれない。



で、
このお話し会は、事務所・図書館利用者の増加を目指すものである。

年間大枚をはたき、「文化である」との言い訳で事務所に図書館を開設し、
お忙しい何人もの方に「当番」をお願いしてはいるが、
ほとんど利用者は無く、図書の貸し出しも実質数人という現実。


何かやらねば会員さんに申し訳ない。

何かやらねば「廃止しましょう」と言い出しにくい。。。。




2013年03月07日(木) 初七日

早くも初七日の法事を済ませ、身も心も「日常」へ。

今日これから夕食で「精進」を落とす予定。
何を食べようか・・・・・。

特に欲するものは浮かばない。

ついに枯れたか?


2013年03月06日(水) 遺言

朝から職場を抜け出し、葬儀会社へ出向いて請求書の受領。
その足まま自宅へ向かい、妹とともに荷物を預かっていただいている病院へ。

途中、ゆめタウンにてケーキを30個購入。看護婦さんへの御礼。
ついでに誕生日が葬儀の日になってしまった妹にいくつか購入。

病院で段ボール箱6個の荷物を受け取った帰路、妹と入院中の父の事について話す。

私には信じられぬが、父は非常に明るい人だったようで、
いつも看護婦さんたちとも楽しい会話を交わし、とても可愛がっていただいていたとのこと。

ユーモアにあふれる話し好きの明るい人だったとの妹の言葉に兄は言葉を失う。


更に、

妹が仕事に悩んでいる時に吐いたというまさに「遺言」を聞いて、
一粒もこぼれなかった涙が初めてこみ上げた。


「人生、深刻に考えちゃイカン。 出来ることをやりゃあエエ。




 出来んことは・・・・・・・・・・・・・・・・・、誰かがやる!」





唖然。

わたしゃいままで、いったい誰の圧力を感じながら生きてきたんだろう。
ひどく裏切られたような気がして、今非常に混乱しているのだ。。。。


2013年03月04日(月) memo

現在、12:30。

自宅に帰って久しぶりにPCに向かい、記憶にあるうちにとmemoを残した。
それでもかなり忘れているのだから、ダメなやつである。


書いてしまえば色々有るが、実はあまり大変ではなかった。
かなり冷静に動く事が出来たのではないかと自己評価。

今後の動きについては、少し落ち着いて考えたいものだが、
まだよくわからない。


2013年03月03日(日) memo

05:00 控室で起床。

   一緒に泊まってくれた親類がまだ寝ているので、
   ロビーに出て缶コーヒーをのみながら一人で進行の確認。


   館内は禁煙。外に出てタバコを吸っていると、鳥たちの声が姦しい。
   快晴の熊野町。
   
   スズメは交尾中。ムクドリもギュルギュルうるさい。
   モズが2羽つかず離れずでうろうろしている。

07:00 親戚の人が起きたので、室内で動きを始める。
   シャワー。礼服の下は姉にアイロンを頼んだので、平服でうろうろ。

08:00 控室に人が来始める。
    姉と母も到着。ズボンを受け取り、礼服着用。

   親戚の小学生にハンバーガーの差し入れをする馬鹿がいたので、
   黙って退室し、ロビーで確認作業。

09:00 帳場立ち上げ。
   弔問客多数。
09:15 遺体が会場に。
    さすがにお顔が。。。。長く置きすぎて御免と父に謝る。

09:30 弔問客への対応をしながら、担当者との打ち合わせ。
    友人来訪。気を使ってもらって申し訳ない。

   弔辞予定の人が来ないで周りが慌てる。私は無ければ無くて良いと指示(結局来なかった) 

   妹の学校の理事長・学長・学課長など続々と弔問。対応せざるを得ず。

10:00 葬儀開始。

    丁寧な弔辞。1本で十分だった。

    親族代表の挨拶。今日は簡単に。

   お棺に花を。昨日までの顔とは違うので気になる。

11:30 出棺。

   直前に母から遺族代表挨拶の不足を言われる。+弁当20個を仏教婦人会に渡せとの指示。
   逆らわず。

   出棺前の挨拶で、父の最後の言葉を皆様に伝える。

12:15 呉市焼山の火葬場に。

   弁当は奇跡的に不足無し。2個だけ余る。
   (実は貰わずに帰った人がいたので足りなかった)

13:30 お骨を拾う。

   さあバスに乗って帰ろう。。。とすると、残ったお骨はどうするんだとの声。
   全部拾えとの声が上がり、私だけ残って最後まで拾う。
   当然、骨壷をもう一つ急きょ出してもらった。

14:30 葬儀会場に帰着。
    忘れ物の処理や、お供え、献花の持ち帰りなど、残務処理。

    帰宅。
    親戚でごった返す。妹も姉もそろそろ限界。

15:00 葬儀会社担当来訪。お骨・遺影の台を設置。
15:30 還骨の法要でお寺へ。

16:00 還骨の法要。
   
    終了後帰宅。帰って行く親戚への挨拶・御礼であわただしい。

   まだ続く弔問客。縁がある人ばかりだからほっておけない。

   
  今後のスケジュールの調整。
  己の思いを主張し続ける母。ついに切れる姉。無用な助言でかき乱す伯父。

18:00 またまた集まる近隣の親戚。
    料理屋から届く大量の精進料理。

   もてなしに奔走する姉と妹。私も例服を脱いでもてなしに参戦。
   来客、15名。本日までの御礼とのこと。

21:00 おば一人を残して、すべての親戚を送り出し、姉も帰って、一応終了。


2013年03月02日(土) memo

朝から弔問客、遠方親類の到着。そろそろ記憶があやしい。

11:00 葬儀会社担当と打ち合わせ

その前後、どちらかでいったん帰宅し、礼服その他を持ち帰る。

まだまだ続く弔問客。

15:00 棺到着。
    白い衣装。ドライアイス。諸々。納棺。
15:30 ついに故人が自宅を離れ、葬儀会場へ移動。

16:00 葬儀会場控室に遺体を安置。
    ぞろぞろ近親者が集まる。父は放置されている。

会場の打ちあわせ。
献花の順番。お供えの順番。どうでもいいんだが色々有る。

打ち合わせ中にも弔問客の対応。知らない人も多いので訳が分からない。

17:00 帳場立ち上がる。

18:00 通夜開式

    しんぼっちゃん。義理の兄の読経。
    遺族代表挨拶。最初の赴任校。母の名前。爆!
    でも結構いい挨拶を出来たと思う。

19:00 終了

    控室にて宴会(?)。酒。帰る。。。。。。色々。。。。

    電報の順番。 料理の数。 火葬場他の動きの確認。 献花の順番。

    私がよく分からないこともあってチャチャ多数。とほほ。

24:00 就寝




   


2013年03月01日(金) memo

前日、11:50.
病院から帰り寝床に入ったところで、携帯に妹からTEL。

声の様子から緊迫感は無かったが、急いで身支度をして病院へ。

00:15 病室着。
母と妹に見守らられる父はすでに息をしていなかった。

  00:05ころ、苦しむことなく息をとめたとのこと。


00:30 医師による死亡宣告。
    叔母や姉も間に合わなかったが、誰一人とりみだすことなく、
    静かに父を見守って時間が過ぎていく。

01:00 近親者への連絡をと考えたが、深夜であることを考慮し伯父のみに。

01:30 看護師に遺体の帰宅について相談。
    急がれなくてもよいですよとのこと。
    10:00ぐらいまで置いていただけるかと尋ねると、
    看護師の多くがお見送りできるのでその方がうれしいと。

01:40 熊野セレモ館にTEL。
   電話して父の死を告げ、葬儀を依頼すると、何やら担当者が訳の分らぬことを言い出す。
  「モニョ・モニョ・・・・・」どうやら葬儀がすでに二つ入っていて受けられないと言いたいらしい。
   当方は、病院から一度父を家に戻して、2日通夜・3日葬儀を希望して   いたのだが、
   そんな話は聞いてくれない。
   我々の希望が常識を外れていたのかもしれないが、看病のために1か月家に帰っていない母や、
   仕事を抱えながら毎日泊り込んでくれていた妹や、
   なにより、家に帰りたくて仕方なかった父の為にも、即日の通夜は考えていなかった。

   少し語気を強めて「モニョモニョ」を止めさせ、こちらの希望を伝える。
   手のひらを返したように通常の受付が始まる。
 
 ・遺体搬出の時間設定。10:00
 ・病院の名前
   〜場所、電話番号を告げようすると、こちらで調べますからとの返答。
    対応に不安を残しながらも甘えることにする。
 ・通夜、葬儀の希望の日取り。ただし、時間設定に関しては、
  土日はお寺さんの稼ぎ時なので、朝になってお寺さんの都合を確認してから最終決定。
 ・私の携帯電話番号、住所など。
 
  対応が非常に不安だったので、最後にダメ押しで電話対応者の氏名を。

02:00 義理の兄が再度やってきたころから皆バタバタ動き始める。
   10カ月もの長きにわたる入院生活で、看護者の生活用品も相当な量がある。
   病院のご厚意で荷物を置く場所なども準備いただき、段ボール数個分の搬出が行われた。

   餅は餅屋と、朝になってのお寺への連絡は姉に依頼。

   近親者の電話番号を確認。不明な場所多数。故人の携帯電話を開き、電話番号を書きぬく。

06:00 近親者へのTEL開始。
    お悔やみよりもスケジュール。未定では話にならなかった。
   
    並行して姉がお寺へTEL。
    09:00になってからお寺に来てほしいとのこと。
    二名でって、誰と行けばいいんだ。
    お米と「法名」を持ってって、「法名」ってどこにあるんだ…。
   「お米」って?????  
  

06:30 母を車に乗せて先に帰宅。
07:00 熊野帰着。母は印鑑通帳などを急いで準備。
07:30 自分の職場にTEL。主任が出てくれたので欠勤を告げる。 

09:00 雨の降る中、お寺に母と二人で。お米・法名持参。
    寺に到着したが工事中で、どこを訪ねてよいのか分からない。
    あきらめて帰ろうと車に乗り込みエンジンをかけてから、本堂に電気がついているのに気付く。
    住職が本堂を暖めて待っていてくださった。アブナイ。

09:30 銀行に。3軒回り、なんとか対応。

10:00 父が病院から搬出される時間。迎えの霊柩車(?)の運転手から私の携帯へTEL
   「今、広島市中区の××●▼に居ますが、どこへ行けばよいでしょうか?}
   全然違う場所である。涙

10:30 銀行で出金中の母を待ちながら携帯から電話しまくる。
    お寺さんはこころよく時間の変更を受けてくださり安堵。
11:30 雨はどんどん強くなり、ぎりぎりの時間でやっと帰宅。

11:45 父帰宅。近くに住む親類縁者どんどん集まり、その対応に追われる。

12:30 お寺さんの来られる時間が近づいたので、傘を持って玄関の外で待つ。
   家の前に軽自動車が1台止まりお寺さんが入れないので動かしてほしいとお願いするも、
   誰も動かさない。

   仕方ないので雨の中に出てお寺さんを待っていると、家の中の様子がおかしい。

   中に入ってみたら。。。。
   枕経は始まっていた。どこから入ってきたんだ?

13:00 枕経終了
13:30 セレモ館の担当者来訪。母と私と三人で打ち合わせ。
    当然すんなり決まる訳が無い。

   姉が加わる。

   決定事項・・・・・

14:30 終了


弔問が続く。
近親者が居座る。

その接待が大変そうで、場面を展開するために「仕事に行く」と家を出る。
(その後、妹が上手に帰っていただいたらしい)

19:00 職員が帰った時間を見計らって職場入り。
    仕事の処理を始めたが進まず。
    残っていた新人職員に声をかけて帰宅。

まだまだ続く弔問客。
コタツで寝込んだのが何時か分からず。
  



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