おおみち礼治のてくてく日記
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2015年07月17日(金) そもそも憲法違反

 そもそも憲法違反じゃないかと言うが、単なる事実として、学者全員が違憲だと言ってはいない。わずかながら、合憲とする学者もいることは指摘しておきたい。っていうか、実情を肌で感じているわけでも何でもない、学問をいじくり回しているだけの学者なんかに任せるべきではないと思うけどね(ひどい)。

 どうしても集団的自衛権を認めたいというなら、まず憲法を改正すべきだが、いきなり憲法改正、9条改正などと言い出したら、今回以上の混乱、反対運動が起きるのは目に見えている。改正せずに安保法案を強行採決したのは、憲法改正への布石だろうと。

 それと、安保法案を戦争法案と言って、日本というか安倍政権が戦争をしたがっているかのように印象づけている人たちがいるけど、安全保障関連法案なのであって、むしろ戦争をしないための法律整備だよね。建前は。相手がこうきたら、こうしますよと内外にアピールしたともいえ、それが抑止力になるのだけれど、万が一、実際にはじまってしまった場合、無関係ではいられませんから諸刃の剣のように思う。

 かといって法整備しなかったら、お前らどうせできないんだろうとなめられてそこをつかれる可能性もあるわけで――いや、なめられようがしなければそれでいいのかもしれないが、江戸時代じゃないんだから(国同士の結びつきで成り立っている現代)、私だけは無関係ですというわけにもいかないんじゃないかと思うのだけどね。

 国防費なんて無ければ、ずっと豊かな生活が出来るはずだ。そうするには世界中で同日に武器をすべて壊して、拳銃ひとつでも持っていたら処罰するくらいでなければ不可能だし、それこそ不可能だろうが、ということは必然として相も変わらず戦争を繰り返すわけだ、人類は。

 憲法や法律を決めたからといって100%守られるわけではない。それらはコロコロ変わる。絶対じゃない。憲法が、法律が、という以前に、人間が進歩しなかったら何も変わらない。

 毎日、あの野郎この野郎と心の中で、あるいは実際に様々なレベルで争っていながら、そして戦争反対と言って争いながら、毎日人が人を殺している現実があり、人間は“そう”であるのに、国家間の戦争はなくせると思う矛盾。

 人を指さしている暇があったら、自分も人間の一員である以上、人として向上すべく励むのがいちばん確実。個人として出来るのはそれしかない。誰かがいいようにしてくれるわけじゃない。体制が変わったら平和になるわけでもない。人間が、自分が変わらねば。


2015年07月16日(木) まず自分が戦地に行きなさい

美輪明宏が「安倍首相も自民党に投票した人もまず自分が戦地に行きなさい」と一喝!
ttp://blogs.yahoo.co.jp/honjyofag/65723205.html

 左側から見ると、「戦争を出来るようにした」という印象かもしれないが、右側から見ると「(他国の)武力行使に対応できるようにした」と見える。

 左側の人が無視するのは、攻撃されたときどうすんの? という点のような気がする。右側の人は、命が失われることになるけどいいの? というところかな。お互い、それ以上に大事なモノがあると思っているのかもしれない。

 「ご自分が殺し、殺されにいきたいんでしょ」って、そんなわけはなく、「殺さないと殺される、それは相手も同じだから殺されることもある」と言い直したい。

 逆に言うと「殺さない、殺されもしない」というなら――それは理想だが、相手が命がけで殺そうとしてきているときに「殺されない」ためにはどうしたらいいんだろうか? 何度も書くけど、「どうぞ殺してください」というのでない限り、戦わざるを得ないのではないか。

 「武器を持つことが抑止力になる」と言うが、相手がそれ以上の武器弾薬を持っていたら、負けてはいけないからさらにそれ以上のモノを持たなくてはということになる。極端な話し、どこかの国のように武器ばかり増えて国民は飢えるんじゃしょうがないし、そんなことがいつまでも続くはずがない。

 周辺事態が勃発しても、直接関係ないので知りませんという態度は、そのまま他国にもそうしてくださいと言っているに等しい。君らが困っても俺たちは何もしないけど、俺たちが困ったら助けてね、というのは虫が良すぎる。勝つ見込みが明らかなら参入して、後からお礼をがっぽりと考える国もあるかも知れないが。

 戦争放棄と言っていてそれで何ら問題のなかった昔と違い、武力行使される可能性が想定される情勢に変わったからこのような話が出てきたわけで、そうでなければこんな法案が提出されることもない。しかし、そのままでは困るから「もしやられたら協力してよね、君らがやられたら俺たちも協力するから」というように舵を切った。

 戦争をしないで物事が解決するならそれがいいに決まっている。戦争をしたいわけがない。だが、日本一国のことではなく、相手がいるんだから仕掛けられたときに対応できなかったらどうしようもない。
 国債云々の話もあったが、戦争になれば(そして勝てば)そんなものはリセットされてしまう。負ければ、それ以上にふっかけられるわけだけど。原発を狙われたら終わりというのはそうなんで、守らなくていけない。守るには守る力が必要だ。ないよりマシ程度であったとしても。

 あいつらけしからんからやられる前にやってしまえというなら、それこそ美輪さんがおっしゃるように、自ら前線に立ったらいい。自分はそれでいいとしても、そうでない人たちもたくさん巻き込むことになるが、その責任はとれるのかと。もちろん、とれはしないわけで、責任のとれないことを主張するモノではないと言うことになる。
 逆に先制攻撃されたときは、美輪さん前線に立ってね。

 で、どっちなんだということなんだが(^^;、どっちでもダメだ。

 反対側にいる人を馬鹿にするだけでは何の解決にもならないんで、ぜひ、戦争しないですむ最終的な解決方法を編み出していただきたい。
 左右どちらを押し進めても、スルー(冷遇)されて苦しむ人・ことがあるんで(――それを知ったことではないというなら人間じゃない)、オレは全面的に正しいなどと思わないようお願いしたい。


2015年07月15日(水) 安保法案採決

「戦争法案はんたーい! やめろー!」
「賛成の方は起立を」
 って、全員立ってるやんけw。
 っていうか、プラカード片付けろよ…。

 NHKが安保法案の採決の中継をしなかったというので批判している人がいる。わからなくもないけど、民放で見たらダメなの? 全局、中継しなかったというなら問題だけど。
 文句を言ってもいい(隙がある)ニュースだというので、因縁つけてるだけなんじゃないの? 自分だけは正しいとでも言いたげな、あるいは反対することそのものが正義だとでも思っているんじゃないの?
 権力に負けたとか言っている人もいるけど、その権力やらは民放には及ばないんだ。へー。

 Twitter 国会クソコラグランプリ
 http://bit.ly/1CG7ej3
 わろたw。

 デモをしている人が「こんなに反対している人がいるのに、強行採決なんて有り得ない」と言っていたけど、「こんなに反対している人がいる」ということは、その反対側に賛成している人もいるんだよ。だから、可決したんじゃないのかね。
 片方しか見ていないんじゃダメだ。デモ自体、争っているのだけれど、力めば力むほど相手も力んで、結局は力の強い方が勝つことになる。もっと違うやり方を探った方がいいんじゃないかね。

 いったん嫌いとなったら――感情を基盤として、偏った見方しか出来なくなる人もいる。どんな正論を言おうとも、気に食わんと憤ったり嘲笑したり、呆れて見せたりする。それは間違っている。左右どちらかではない。どちらか一方を優遇、あるいは非難するのでは争いは永遠に続くことになる。

 ハッキリモノを言わないスタンスに憤る人もいるけど、ハッキリさせようとするから争いが起きる。争ってもいいから――それこそ戦争をしてでもハッキリさせたいのだろうか? 大事なのはハッキリさせることではなく、争わないことだと思うんだけど。少なくとも通常の人間関係、ひいては国家間において。

 戦争などしたいわけがない。しかし、情勢が変わって、出来るようにしておかないとまずいと考える人もいる。蚊帳の外のことに手を出すべきではないという人もいるけど、直接関係なければ放っておけばいいと考えているのなら他国も同じように考えるだろう。

 戦争ありきの動勢は気にくわないけど、かの国の海洋進出は行きすぎで、話し合いで、などというレベルは超えているような気がする。火の粉は払わなくてはならない。その方向に舵を切ったわけで、反対というなら、他にどうすべきなのか示せなくてはならない。

 そもそも戦争はひとりでするものじゃない。必ず相手がいるわけで、自分はしないといっていても、相手はどう思っているかわからない。攻撃された場合――身内が殺され、家屋敷を燃やされて、それでもしないと言い切れるならいいんだけどさ。


2015年07月14日(火) 新国立「もう引き返せぬ」の記事より

(迫真)東京五輪 夢の重荷(1)新国立「もう引き返せぬ」
ttps://newspicks.com/news/1059977/

片方の意見としてはわかるけど。
そういう政治家を国政の場に送り出しているのは誰なのかと。

地元の名士というだけで、何も考えずに投票する人が多いのかもしれない。
その政治家をその場(オリンピック招致委員会会長)に据えているのは、他ならぬ国民でありましょう。オレは違う、オレはわかっていると? ならばグダグダ言ってないで立候補すればいいのに。

話は違うけど、安保法案にしても、マスコミの言説を真に受けているのか、自分で調べることもせず、印象でモノを言い、カフェスタの(安倍首相が出演した)番組を見たわけでもなく、自分の考えがあるわけでもなく、あるいは立場を堅持して聞く耳持たないスタンスで上から目線で批判、嘲笑、呆れて見せるような人ばっかなんだよね。もういちど言うけど、そんなに自分の方が正しいと思うのなら立候補すればいいのに。その人に任せたのは自分たちではないのか。

ちなみに「安倍首相 ネット番組」で検索しても批判する記事ばかりが出てきて、なかなか目的の番組にたどり着けないのは意図的なんでしょうか? ちなみに番組はこちら。
ttps://www.jimin.jp/activity/movie/0ch_cafe_sta/

別にわしは右ではないけども、一部の左側の意見が大きく取り上げられすぎているような気はする。それに、右というと、なにやら怪しいイメージがあるのか敬遠される感じもある。

どちらにも真実はない。
ないが、左右を知らないと真実は見えてこない。だから左右はあっていいのだが、どちらかに偏ってはいけない。

問題はその人ではなく、その人をそこに送り込んだ人たちにある。ときどき言うけど、選挙権資格制にしてはどうか。

それぞれ自分の役割があり、政治のことまで詳しく知っている暇はないし興味もないという人もいる。そんな無知な国民に選ばせるから、いてはいけない人がいてはいけないところにいるのであって、ある程度以上に国政や外交について知っている人に選んでもらった方がいいんじゃないのと。

ただ、人間の基盤は知識量や実行力、コミュニケーション力、経験、コネなどではなく、精神にある。何でも知っていてすごい実行力があっても狂っていたらしょうがない。または誰かみたく、自分の業を満足させるためにやっているような人では困る。

そういうところをつまびらかにできればいいんだけど、それもしかし見抜くのは国民ひとりひとりなのであって、教えてくれないと言っていても仕方がない。政治家のレベルではなく、国民のレベルの現れに過ぎない。個人で出来るのは、自分のことだけだ。世間はいろいろあるけど、それらは横目に見て自分を錬磨するのがだいいちかな。


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