おおみち礼治のてくてく日記
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2012年09月25日(火) 原発

 もちろん、そんな危険なものを稼動させることには反対だ。しかし、危険でなければ、それが原発であろうと無かろうと、次のレベル――コストの問題がクリアすれば、使えばいいと思う。

 原発だから反対なのではなく、原発は危険だ(現在のところ人類の手に負えない)から反対。
 脱原発して、高いエネルギーを買って、それでいいならいいんだけど、日本が原発を排除(原発市場から撤退)している間に、どこかの国が「安全な原発」を開発して、安いコストで電気が使えるようになったとき、日本の消費者は高いエネルギーを買い続けて納得するのかな。やはり安いほうがいいとなったら、エネルギーは外国任せということになる。単純に脱原発すればいいのだろうか、という話し。むろん、安い再生可能エネルギーが出来ないとも限らないわけだが。

 3.11以前の官公庁や電力会社、あるいは専門家がいう「原発は安全」というのはウソだったわけだけど、本当に「安全な原発」――というのは、具体的に明示できるわけではないけれども、たとえば、瞬間的に放射性物質を無害な物質にしてしまう技術とか、瞬間的に燃料棒の温度を常温まで下げる技術だとかが出来て、安全性について専門家の100人中100人が文句の付けようのないものなら問題ないはずだ。

 問題は、現在の技術力では、原発を安全に扱えないという点だ。それを営業運転させるのは間違いだと思う。しかし、科学技術というのは進歩していくのだから、今後、原発を本当に安全に扱えるようになるかもしれない。
 現時点での脱原発(再稼動の反対)には賛成だが、原発、あるいは原子力のエネルギー利用の研究開発まで排除するのは反対。むしろ、どんどん進める(予算をつける)べきではないかと。


2012年09月18日(火) 反日デモ

反日デモ暴動に「あまりに愚かで悲しい」「義和団や文革のようだ」──中国のネット「理性愛国」の声
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1209/18/news079.html

 テレビや新聞を見ると、中国全土で反日デモが行われ、日系企業が焼き討ちにあうなど、いまにも戦争が始まるのではないかと不安になるが、上記のような声もある。
 冷静に、冷静に。

 中国には黒子(ヘイツ)とよばれる、戸籍の無い人が数千万人から数億人いるという。一人っ子政策によって、戸籍を登録できない人がいるのだ。戸籍が無い人は教育も行政サービスも受けることができない。もちろん、就職もできない。
 日本の人口と同じかもしかしたらそれ以上の戸籍の無い人がいるわけだけれど、政府がそういう人を抱きこむのは簡単だ。戸籍をあげよう、といわれたら何でもするだろう。

 以下、2chより転載。

--->
8: 名無しさん@13周年 [] 2012/09/17(月) 23:18:49.20 ID:VRzT7Wo60
934 :名無しさん:2012/09/16(日) 14:41:27.40 ID:t6tBnI+C
昨日放火されたパナソニックやミツミがある青島市開発区住みの者です。
昨日から、会社指令で自宅軟禁状態でしたが、今日になって緊急に帰国
するよう会社から指令があり、明日の飛行機で青島空港から
帰国することになりました。

青島空港付近、?州付近など、普通に車で通れる状態でしょうか?
ご存知の方、いらっしゃいましたらご教示、お願いします!

反日デモについての根拠のない私見なのですが、
デモ開催前日辺りから、土地の人じゃない人たちがここに集結していた気が
します。プロ?の反日暴動野郎っているもんなんですかね。
顔つきも目つきも発音もここらとはどこか異なる人たちを
街でよく見掛けていたもので。
普段はほとんどお目にかかれないタイプの人たち。

昨日、暴動で破壊された黄島ジャスコの向かいに、
高級すぎて普段ほとんど客がいないゴージャスなマイカルが
建っているのですが、
暴動は本物の日系企業経営のマイカルは完全スルーで、
実は中国企業が経営してる黄島ジャスコだけ破壊、です。
破壊して商品強奪するんだったら、マイカルの商品の方が欲しいに違いないのに。
理由はマイカル相手だと後々面倒だから?なのかどうか、わかりませんが、
なんとなく「暴動」にしてはコース取りに冷静すぎる印象がありました。

デモ前日に、明日はここでデモをやるらしい、と聞こえてきた時も、
「市政府の依頼で」、と笑いながらの付け足しがあったり。
軟禁でヒマだったもので、妄想のしすぎかもしれませんが、
裏がけっこうありそうな気がしました。
<---

 これが本当かどうかはわからないが、テレビニュースで見聞きするデモの情報(中国人は皆、憎い日本人は死んでしまえと思っているというような印象)を鵜呑みにはできないような気がする。最近は少し冷静な報道もありますけどね。
 中国全土でデモというが、1万人程度なのは少なすぎる。なんせ、日本人の10倍の人間がいるのだ。日本で脱原発のデモに参加した人数は、主催者と警察では異なっていたが、少ない方でも2万人だった。

 すべてがそうだと言い切れないが、官製デモ(黒子を動員)もあったのではなかろうか。暴徒化するようなデモが中国人の総意とはいえないと思う。誰だって戦争なんてしたくない。
 よく言われるように「貧富の格差による不満の捌け口」もあったろう。今日は柳条湖事件のあった日らしいが、デモ参加者のどれくらいが正確に知っているのか疑わしい。また、自分がしていることがどのような影響をもたらすのかわかっているのかも不明だ。火を放ったり、略奪したりすれば、普通、逮捕されるが、反日を掲げたデモなら追求されないとするなら、自分の生活に満足していないものが責任転嫁して暴れているだけだと見ることもできる。

 しかし、事実はどうあれ、危ないのは、過激なデモ、暴徒を見て、真に受け、中国人を不信し、何を見てもネガティブにとらえてしまうことだ。真に受けると、その対象と思考、言動、行動が同レベルになってしまう。親日とまでは言わなくても、普通に、人間として良心的な行動をする人だってたくさんいるわけで、そういう人まで十把ひとからげにけなしたら、反日勢力を増やすようなものだ。

 当局の思惑はともかく、戦争など誰も望んでいない。望んでいるとしたらそれは異常者だから放っておくのがよい。ではどうすればいいのか、ということだが、これはもう共通点を見出すしかない。オレはこうだと互いに違うことを言っていたら永久に解決しない。ずっと主張していたら相手が折れて、「私が間違っていました。あなたの言うとおりです」と言うだろうか? 力で押さえつければ、そういうことはあるかもしれないが、本当に納得はしないだろう。

 尖閣諸島は、そもそも誰のものだろう。国家が存在しなかった10万年前は誰のものだったといえるのか。国家という枠組みに囚われた人間が、勝手に、これはオレのものだといっているに過ぎない。そもそも、誰のものだといえるのか?

 地球のものである。

 主権国家体制から離れてみる必要がある。大きな話になったが、小手先のことで領土問題が真に解決する(誰もが納得する。想いが出ない)ことはないと感じるのは私だけではないと思う。確かに、日本という国で生まれ育って、国籍も日本で日本人なのだが、国というのは、人間が作り出したシステムだ。宇宙開闢時からあったわけではなく、未来永劫存在しているわけでもない。
 といっても、地域の名前が無かったら不便だから、関東地方、関西地方というのと同じように、地球からみて日本地方、中国地方、あるいは朝鮮地方、ロシア地方などと呼んで、どこへでも自由に好きなところに行け(るようにすれ)ばいい。人類として国家体制を見直すこと。みんな地球人なんだし。そろそろ進歩しようぜ。


2012年09月14日(金) 輪廻転生

 3年前かな、ばあちゃんが亡くなったとき、僧侶は「死んだら誰でもこの世の穢れ一切が祓われて仏になる(と教えられています)」とのたまった。自分の信心ではなく、誰かがそういっていますというのが汚い。耳障りよく聞こえるかもしれないが、そこにはいっぺんの真理も存在しない。

 現在の人間の数は、過去に生まれた人間の数と同じくらいだと聞いたことがある。そんなにたくさんの仏がいるなら、少しは救ってくれたっていいじゃないかと思うのだけどね。あるいはその力がないのか。全員、生まれ変わってそれどころではないのか。
 それに、どのような人生を歩んできたかに関わらず、誰でも死んだら清らかな仏になるというなら、この世の人生は無意味ですといっているに等しい。

 そんな馬鹿な。

 意味はある。あるからこその人生のはずだ。
 もし、来世があるなら、死んだその時点の自分から(新しい体で)リスタートでなくてはおかしい。仏が一人でも生まれてきたか? 生まれたばかりの子は仏のようかもしれないが、それはその魂がその体にまだ浸透していないからだといえる。もし、仏ならどうして途中で薄汚れてしまうのか。仏とはその程度のものなのかということになる。
 輪廻転生。薄汚れてぼろぼろになって死んで仏となり、また生まれてきて薄汚れて死んでいく繰り返しを何故しているのか、仏になるというだけでは何も見えてこない。

 生まれ変わりはリセットではない。それこそ無意味だということになってしまう。むろん、前世のことは覚えていないが(なかには覚えている人もいるらしいけども)、その親、その体、個性、得て不得手、好き嫌いなど、その人とその人を取り巻く環境すべてに、「続き」と刻まれているのだ。
 覚えていないということは覚えていなくてもいいから覚えていないのである。いや、覚えていては困る。何十回、何百回と生まれ変わってきて、ちくいち覚えていたら発狂してしまう。ただ、過去生のエキスだけは魂に刻み込まれていて、それが今世に展開するのだ。

 戒名も読経も、あるいは施餓鬼も、神――あるいは仏、宇宙といっていいかもしれないが、そういうレベルで見たとき意味などない。だいたい、死んだもの――この世を去ったものをいつまで大事に拝んだらいいというのか。
 あの世があり、そちらへ逝くというなら、いつまでもこちらで哀しまれたら後ろ髪を引かれて逝けないではないか。墓など立てて、手を合わせられても困る。困りません?(笑) 早く忘れて(むろん、思い出すことはあるにせよ)、こちらはこちら、あちらはあちらでそれぞれいいようにするのが自然だと思う。寂しいかもしれないが、いつかは自分もそちらに逝くのだし、それまでは、こちら側の生きている人間同士のほうが大事かと。


2012年09月04日(火) 信ずる

 そうでなくてはならぬ、などと誰が言ったのだ。
 いや、たとえ誰が言おうと関係ない。
 世界はそんなに狭くない。自らの内奥から湧き出る、かすかに感ずる衝動、あるいは感覚を、そのままを現さなくてはならぬ。世界は何事もないかのように受け入れるだろう。

 頭のよい他人がのたまう言論に騙されてはならない。それはウソだ。己を無視し、そのようにしたところで誰も責任はとらない。ふらふらと、わけもわからずついていってしまった結果が現在なのだ。それいいならよろしかろう。

 自分自身を信じなくて、何かを成しても意味はない。一歩も進んでいない。あらぬ方角を向いて足踏みをしていただけだ。外側のものは理解するだけでよい。テレビを止め、夜、静かに、己に潜む内奥の存在を感ずるのだ。


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