おおみち礼治のてくてく日記
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2008年10月28日(火) 食べ過ぎは遺伝子のせい

■食べ過ぎは遺伝子のせい
http://health.yahoo.co.jp/news/detail/?idx0=w20810282


ワタクシ的な理解としては、そうなりたかった(食いまくりたかった)から、遺伝子がそうなったんであって、遺伝子は原因ではなく結果なのだ。

食って食って食いまくり――そうなりたかったわけだからいいんだけど、そうしたらどうなるかといえば、肥満になりますわなあ。太るだけで何ら支障がないのなら万々歳だが、そうはいかない。

極端な人は、太りすぎて自分で歩けなくなったりする。そこまでいかなくとも各種疾患リスクは増し、好きな服も着られないとか、人にバカにされるとか、余計なことを抱え込んでしまう。

ただ食べたいと思う人はそうだが、食べたいけど太りたくないと思えば、ギャル○根みたく、ほとんど消化せずに食ったら出てしまう体質になる。まさに、自分の思った通りになるのである。

そうしたらそうなるという厳然たる法則があり、そこは無視できないので、いくら食いまくれる環境でも、法則を理解していなければ、こんなはずでは…という結果になりかねない。いくら思いがままになるといっても、それはそれ。

にゃー。


2008年10月17日(金) 死刑制度

■死刑制度に不満相次ぐ=国連委の対日人権審査で
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%bb%e0%b7%ba&k=200810/2008101700119

 mixhi内で、このニュースにコメントした方のほとんどが「死刑賛成」だったので驚いた。感情的な判断は道を誤る。むろん、感情がどうでもいいわけではありません。

 難しく考えることはない。
 大前提として、

 人間は人間を殺してはいけない。

 違いますか?
 殺してしまった人もいます。毎日、人間は殺し、殺されています。だから殺せばいいのでしょうか?
 それでは、殺人者と同レベルではありませんか。場合によっては自分も殺る、といっているに等しいのですからね。そんな恐い人ばかりでは、殺人事件も減らないわけです。
 大前提に還るなら、そんなヤツ死刑にしたらいいのだ、などということにはなりません。

> 人権問題である(死刑)制度の存廃を世論調査で決めるべきではない

 これはなんか変だとは思いますけどねえ。
 日本人の大多数が「死刑賛成」なんですから、よその価値観を押しつけられるものではないと思いますけども。

 私は死刑反対ではありません。賛成でもありません。
 日本人が死刑賛成なら、日本ではすればいい。賛成も反対も左右に過ぎぬ。どちらも重要ではない。右と左を見て、さて、本当のところはどうなのかといえば、人間は人間を殺してはいけない、というところにあると思う。
 …反対ではありません。ただ、殺してはいけないとわかっているだけです。


2008年10月15日(水) 病気に関する複雑な思い

 ガンを患っているとある作家の小説の後書きに、「お元気そうですね」といわれると、意外と大したことがないんじゃないの、といわれているようで複雑な気持ちになる、とあった。

 わからないではないけれど、これはご自身の中にそういうものがあるのであって、言った人がどうのではない。わかってもらいたいという、無理難題を相手に押しつけているように思われた。

 私はとうに諦めた。
 わかってもらえることはない。全く期待などしておらぬ。透析を導入して15年になるが、わかってくれる人に出会ったことなど一度もない。30年も透析患者を見続けてきた看護師さんがいるけれども、そういう人でもわからないのだから、元気はつらつで他人事な人間に、わかるわけがない。

 唯一、同じ経験をした人が想像できるだけである。
 わかるのではない。

 私の場合は、だから、かどうかわからないが、「お元気そうですね」といわれれば、わかるはずもないというベースの上で、素直に嬉しく思う。この人(というのはすべての人という意味だが)は、わからないが、実際の体調はどうあれ、元気そうに見えるのなら、意外とオレは元気なのかもしれない、とポジティブに思える。

 わかってもらおうとしてもつらいだけだ。
 そんなことはあり得ないのだから。

 わかってもらおうとするのではなく、どうしてそうなったのか、自分の原因をわかることこそが、次につながる重要な事柄でありましょう。


2008年10月11日(土) 勝ち組・負け組

■東京・秋葉原殺傷:社会のせいにするな… 刺され重傷の男性、来月やっと仕事に
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081011ddm041040114000c.html

 内容とは異なるのだけれど。

 勝ち組・負け組とは、人間の勝手な概念に過ぎない。
 本来、真っさらで自由自在な人生に余計なものを持ち込んで狭めている。そんなものにとらわれていても仕方がない。
 勝ち組(と思っている人)は、鼻高々かもしれないが、その条件から外れたとき、外れそうになったとき苦しむことになる。
 負け組は、負け組だということでやっぱり苦しむ。苦しむというのが言い過ぎなら、その概念は澱となって人生に影を落とす。その概念を大事なものと勘違いして背負っているからである。なんとつまらぬことであろうか。

 誰かと比べての人生ではなかろう。ひとりひとり異なる「その条件」で、それぞれ理解しなくてはいけないことがある。自分の条件(状況・状態)についてどう思うかは勝手だが、誰でもそれでベストなのが真理である。


2008年10月08日(水) 西川キャラ

西川史子の「子どもは嫌い、夫は年収4千万円以上」に子連れママが猛反発!
http://cinematoday.jp/page/N0015466

 キャラなんだから、マジになって食いつくことはない、という反応が大勢。あとは、本気で嫌い(笑)という人と、このキャラ嫌いじゃない、という人が、それぞれ1割から2割くらいでしょうか。

 お金は、いわば日本銀行(株)が発行する金券に過ぎぬ。
 別に絶対ではない。絶対でないものを信仰し、血道を上げるというか、依存するのはどうかと思う。お金が使い物にならなくなったとき、「大したものではなかった」と気付くのでは遅い。あればあったで便利だけれど、なくても別に困りません、という生活力のある人でいたいですねえ。

 ちなみに西川さん、私も大勢のひとりではあるけれど、やっぱり不愉快かな。一連の発言に、変わった人だなあとケラケラ笑っても、そうではないだろうと心の奥に引っかかるものがある。
 思いは叶うというが、これはネガティブな想念にも当てはまる。あの野郎、この野郎、バカ、アホ、死ね、ボケとか、みんな毎日思ってますよね。想念の力を知っていたら、あのようなキャラで有名になるのは良くないとわかる。テレビを見ている不特定多数に、そのような想いを出されたら、いつかは現象化するのである。本気で嫌いな人は、ざまあみろと思うかもしれないが、発したものは返ってくるのであるから、それもやはりやめた方がいいということになる。


2008年10月02日(木) ぐずる子ども

 スーパーで3歳か4歳くらいの男の子が、周囲の人を完全に無視してぐずっている。床に寝そべり、ぎゃあぎゃあ泣きわめいてお母さんを困らせていた。
 ガキってのがこんなものなら、嫌になることもあるだろうと思う。親だって神様じゃないんだから。子どもをDVで死なせたというニュースで流れることがあるが、必ずしも馬鹿な親というだけのことではないと思ったりした。もちろん、いけないことはいけません。

 かと思うと、仲良さそうにお母さんと手をつなぎ、たまに幼児らしく声を上げることもあるが、かわいいですね、というレベルで基本的にはおとなしく、ちゃんと周りを見ている子どももいる。この違いはやはり親にあるのだろう。

 問題があるとするなら、ぐずる子どもではなく、その子をそうさせている親にある。子どもとどう向き合ってきたのか。そういわれると、たいていの人(親)は不愉快に思うらしい。自分自身を真摯に見つめてこなかった証拠だが、それを気に入らんといわれてもどうにもならない。

 目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻や舌や触れるものすべて五感に感じられるものは、外側にあるものではなく、自分の内側の反映なのだとわかる。子どもがそうなのも自分の反映。

 同じものを見ているようでも、その人の内側の反映であるから、みな違って見える。内側の反映であると理解すれば、わたしはこうなんだな、とわかり、(外側のせいにしないので)ケンカ(戦争)に至らず済むのだが、まあ、そこまでの理解力を求めても無理だろうね。
 んなことより、金金金。いろんなものを身にまとって、どーだ、と言いたいんだからしょうがない。むろん、そうしたいのなら、そうやって生きてもらえればいいのですけどね。


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