おおみち礼治のてくてく日記
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2007年03月29日(木) 必然としての天下り

「天下り」ということは、上から下にくるわけだ。天というのは(キャリア)公務員で、下は民間ということになるが、みんなそういう意識なのかな。そうでないなら、まず、この言葉がおかしい。普通に「転職」といえばいいのに、なぜ、「天下り」なんだろう。

天下りする官僚ばかりが悪いといわれるけれど、需要と供給の関係で、就職先がなければ、そもそもこんな問題は発生しない。悪いというなら、受け入れる企業も悪い。なぜ、民間企業が、元官僚を受け入れるのかといえば、中央省庁に大きな影響力(コネ)があり、業績を伸ばせる、会社を発展させる可能性があるからだと思うのだけど、だとするなら、その企業に勤める何百か何千か、もしかしたら何万人もの従業員にとっても、悪いことではないのだから毛嫌いすることはない。

天下りが悪いと言われるのは、天下り先の会社で、ほとんど仕事もせずに数年で数千万円の退職金をもらったり、官僚が天下り先を自ら作って天下りし、仕事もせず退職金がっぽり、さらに別の関連団体に転職(?)して、同じことを繰り返すという点にあるのかもしれない。

では、天下りした元官僚が、仕事してくれれば問題ないのか、ということだが、迎え入れる企業としては、どうしても来て欲しい(同業他社に行かれると業績に関わる)から、好条件を示さざるを得ない。仕事しないでいいですよ、数年いてくれたら退職金は○千万出しますよ、たまに影響力を発揮してくれればいいですよ、ということになる。

50代で天下りしてきて、あと10年、骨身を削って働いてください、退職金は○百万です、といわれたら、たぶん誰もそんな企業に天下りしない。中央省庁への影響力がある以上、民間企業は欲しがるし、好条件での天下りはなくならないだろう。

天下りしてもらって、業績に良い影響があったなら目をつぶり、ダメなら退職金ゼロ…でもダメか。そんな条件では来てくれない。100万歩譲って、民間企業への天下りは認めるが、最低就業期間、たとえば10年とかを法律で定める。…だが、数年で次々と転職し続けられる理由もあるわけで、これは想像でしかないが、旬な時期、すなわち影響力を発揮できる時期に、民間企業で使い回ししたいのだとすれば、これも難しい。もう、そういう構造になってしまっていて、誰も新しい構図を描けないのだな。「新人材バンク」も同じであって、弊害というのが上記のようなことであるなら、何も変わらない。

もうひとつ、官僚が無駄な天下り先を作るのはやっぱり困る。税金の無駄遣いだしね。そこを監視する――新しく作るその法人(既存の)は、本当に必要なのか、第三者機関が判定する仕組みは欲しい。しかも、その代表は民間から来てもらって、元官僚をこき使っていただく(笑)。

天下り先の法人は数万あるといわれるが、ということはそれだけの元官僚がいるわけで、関連団体を渡り歩く仕組み以外に、現在、それだけの人数を抱えられるシステムは、たぶんない。

ハローワークを使っていただければいいのだが、官僚側に「普通の扱いじゃいや」「だって、偉いんだもん」(笑)という意識があるとすれば、下々と同じでは納得しないだろう。まあ、その意識が問題の根源であろうし、そのように扱われてきた歴史もあれば仕方ないかもしれない。だからこそ「天下り」といわれるのでしょうね。


2007年03月26日(月) 緊急地震速報

緊急地震速報があったときどうするか…というシミュレーションが、なにもできていない人に、突然「5秒前!」といっても、あたふたするだけだろうが、こういうシステムがあることを知って、平常時に考えて(備えて)おけば、とっさの行動ができるはず。

はずだが、たったの5秒、と思う人はできないかもしれない。だが、パッと動ける人には、命を左右する重要な情報になりうる。熟睡しているときなど、警報に気がつかないこともあるわけだけれども、だからいらないという話にはならない。

もうひとつは、必ずしも5秒前ではない、ということ。場合によっては10秒あるかもしれないし、3秒かもしれない。その数秒の間に何が出来るかは、自分次第であって、システムの責任ではない。もちろん、警報が早いに越したことはありません。

ちなみに、緊急地震速報と同じ原理で警報を鳴らすQuake Alarmというものがある。実際に置いてある名古屋の事務所では、今回の能登地震を感知して鳴ったそうだ。とっさに、使っていた火を止めて、机の下に隠れたら、ガタガタ揺れたという。

何をしていても、数秒の間に適切な行動ができる人もいればできない人もいる。名古屋の人はできたわけだが、できなかったとするなら、それはシステム云々以前に、まず「できなかった自分」があるのだ。仕方のないシチュエーションはあると思いますけどね。いざというとき、自分は動ける人なのかどうかが大事だと思います。


2007年03月25日(日) 著作権意識

■<日テレ>「行列のできる法律相談所」でHP無断使用
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070324-00000039-mai-soci

HPに掲載された写真を無断使用された、というニュースなのだけれど、とかく最近は、うるさくなりましたね。

3、4年前かな。知り合いの方が、某氏のファンサイトを作っていて、ご本人の写真をでかでかとトップページにはっていたことがあります。個人作成ではあったのですが、本人もご承知で、ほとんど公式サイトみたいなものだったので、それは問題ないのですが、某氏が亡くなったとき、トップページの写真を某女性週刊誌が無断で雑誌に転載したのです。

私も、少しそのサイトに関わっていたので、すぐに管理人さんから電話がかかってきて、どうしようか、と話をしましたが、結局、どうにもできず、納得したわけではないのですが、事後承諾になってしまいました。

いまなら問題になったでしょうね。

少々、ゆがんだ形(?)で著作権意識が浸透してきたといえるかもしれません。音楽や映像など著作権者に無断・無料で取得できるサイトがたくさんありますが、アップする方もダウンも匿名ですからね。利用者側の著作権の意識は「ばれたらやばい」というものであり、「著作権者に被害を及ぼすからやってはいけない」ではない。

本来、自分は無断使用された映像(Youtubeとか)を利用しながら、マスコミが同じことをしたら、批判するなんて変な話しだ。いや、個人が見るぶんなら大したことじゃない、という著作権に対する甘い意識が、この手の問題を引き起こす原因といえる。マスコミはそれでは困るが、自分はいいのだなんて、それはおかしい。

目くそ鼻くそを笑う、などということにならないためには、どのようなことでも自分を知るための現象、と見ないと意味をなさない。


2007年03月24日(土) 自然な営み

■<代理出産>向井亜紀さんの双子、最高裁が実子とは認めず
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070323-00000049-mai-soci
■<代理出産>向井さんブログに心情「気を抜くわけには…」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070323-00000094-mai-soci

 法律の話として限定するなら、プロの判断を素人がとやかくいえるものではない。裁判官より法律に詳しいのか、ということになる。

法律がおかしいというなら、その法律を決めたのは誰か、法律を決める人間を選んだのは誰か、といえば、我々国民である。

 よくテレビ番組で、様々な事例を紹介し、弁護士さんが有罪か無罪か、なんてやっているけれども、全員の判断が一致する方が珍しい。人によって結果の異なるものが、そんなに大事なのだろうか、こだわるものなんだろうか。地域や時代や、人によってコロコロ変わるものに、安心して任せられなどしない。

 法律なんて、宇宙の端っこ(かどうか知らないけど)にある小さな星の表面にはびこる、自らを人間と称する生き物のなかで、小さな島国に住んでいる生物が決めた、2007年3月時点でのルールに過ぎない。(笑)

 それ(法律)がなんだというんだろう、とすら思う。いや、もちろん、現時点で、人間の小さな社会に必要だろうし、絶対ではないから無視していいなどとは思いませんけどね。

 子どもは子どもだ。

 それが法的に実子であるか養子であるか、その判断によって扱いが変わるようでは考えものだが、

> 「特別養子縁組」が認められるなどすれば、日常生活に大きな支障はないとみられる

 そうだから、おとなしくしていればいいと思うのですけどねえ。まあ、ここまで騒がれると、引っ込みも付かないでしょうけれども。

 もうひとつは、なぜ賛否両論の、問題が含まれる代理母出産などという方法があるのかといえば、一言でいえば、お金が儲かるから、ですね。
 携わる医師も、お腹をかしただけ、という女性も、ビジネスでやっているわけだ。そこに生命倫理が…などといっても通用しない。だって、ビジネスなんだもん。

 代理出産などしなくとも、人間は存続してきた。アメーバの頃をいれれば、何億年とそうやって自然の法則が生かしてきた。

 それを、個人の都合や想い――まあ、エゴですね、エゴで生命をいじくって、あえていうなら不自然に産ます行為を見ていると、母子ともに、おもちゃじゃないんだから、という感じはする。エゴではいけないのか、という話はまた別の機会に。

 なぜ自分はそうなのか、産める身体ではないのか、それがどんなに不都合なことであっても、その人にとってはそれが自然であり必然なのだから、そこの理由が分からないまま、ただ現象を変えようとしても間違う。自然に反する、無理のあるものが、伸び続けられるものではない。



 そうそう、ご存じでしたか?
 現在では、体外受精で生まれた子どもは、65人に1人にのぼるそうな…。

■体外受精児、65人に1人 一般女性の正解11%
http://www.asahi.com/health/news/TKY200701180266.html


2007年03月23日(金) 公的料金滞納の原因、考えたことある?

考えたことがなかったので、考えてみた。

払えるのに払わない人、払えない人といるわけだけれども、後者は仕方がない。いや、いまは仕方がないが、無金利で貸し付けて、返してもらいたい気はする。ない、で済んでしまったら、その後も、何もしようとしないだろう。どうか頑張ってください。

払えるのに払わない人については、

■2ちゃんねる賠償金「死刑なら払う」…管理人・西村氏
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20070320nt08.htm

関係ないようだが、上の記事を思い出した。ひろゆき氏は、過去の訴訟で確定した賠償金について「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」といっており、これに似ている。

社会に生きる人として、マナーを守り、社会常識に沿って、責任を果たして生きている人と、マナーも何もあったものではない、罰則がなければ何をしてもいい、と勝手放埒に振るまう人間が同列に扱われたら、前者は納得いかない。

それでいいとなってしまったら、社会はメチャクチャになってしまうからだ。行政は法律を作って後者を制するしかないが、勝手な人が増えれば増えるほど、法律はどんどん増えることになる。勝手放埒というと、自由でいいんじゃないか、と思う人もいるかもしれないが、法律だらけでがんじがらめの社会に向かっているとしたら、それは勝手放埒な人間がそうしているのである。

マナーを守るのが当たり前で、生活がちゃんとできて、社会がうまくまわっていれば納得いく。そうであれば、わざわざ法律を作ることもない。

勝手放埒は、自由に見えて、かえって不自由を招く原因を自分が作っていることになる。不自由な現象が現れたとき、それに文句を言っても仕方がない。招いた原因は自分にあるからだ。

本当に自由に生きたければ、守ることだということが見えてくる。マナーであり、社会のルールであったり、もっというなら、人間の作り出した法律ではない、法則というものがある。それから外れた途端、結果的に不自由し、苦労しなくてはならないのは、他ならぬ自分だというわけだ。

ただルールだから、マナーだから、というのではなく、そこまで分かった上で守っていくのがよろしいんじゃないかと思ったわけであります。


2007年03月22日(木) 「mixi読み逃げ」ってダメなの?

■「mixi読み逃げ」ってダメなの?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070322-00000026-zdn_n-sci

mixiの記事を読んだら、必ずコメントをしなくては失礼だ、素通り禁止、などとコメントを強要するユーザがいるそうだ。

mixiは、2年前からやっているが、こんな話は始めてだ。大多数の人は、、「読み逃げを禁止する気持ちが理解できない。日記にコメントがもらえれば嬉しいが、強制するのはおかしいのでは」と言っているそうで、まったく同意見である。

まあ、どういう楽しみ方をしても、それぞれであって、どうこういうこともないのだけれど、mixiでは「足跡」があるから、見れば証拠が残る。「素通り禁止」なのかどうかは、見なければ分からない。「素通り禁止」の日記であるとあらかじめわかれば、そんなところに、わざわざ見に行ったりしない。

たかが日記だ。

なんのために書いているのか。相手の反応をうかがうために書いているのだとしたら、それは自分を偽りかねない。いちいち、他人のことに反応しなくてはいけない義務などない。反応したければする、なにもなければしないのが自然で無理のない姿だろうと思う。

コメントを強制する人は、自意識過剰なのか、分かりませんけどね。

別に他人に見せるための人生ではないのだから、他人の目など関係なしに、自分自身が快適なように、納得するように生きられればいい、と思う。

自分がそう生きられているかどうか、って話ね。


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