おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
ウルティマオンライン。 イズモシャードのスカラでジュカ襲撃イベントやってるよ、と師匠からQがある。 なんやそれ? とおもいつつオンしたらこの有様。(笑) 自分がどこにいるのか分かりません。ボスキャラに魔法攻撃しているところ。 イベントが終わってから、師匠はどこにいるんだーって、探したんだけど……どうやらずっと目の前にいたらしい。(爆) だって、人が多すぎてわかんないんだもーん。(^^;; ウルティマオンライン。 初顔合わせ(笑)の骨ドラ。扇動が効かないので、どーすることもできません。ブレスで一気にダメージを80くらいました。 とりあえずショットだけでも、と思って走り抜けるときにパチリ。
官僚の収入が多すぎるから――何々手当だとか、基本給以外の収入がやたらと多いとか、退職金をもらって官庁を辞めた後に、天下り先でまた給料をもらい、そこを辞めるときにもまた膨大な退職金をもらってとか――この不況を打開するために、それを削って対策に投じればいいという議論がある。
だが、官僚たちは、どのように批判、非難されても「それは庶民のやっかみである」として聞く耳を持たないという。 批判を受け入れたら負け(間違っていたことを認めたということ)だし、自分の仕事を否定されたようで、その上、給与まで減らされたりしたらたまらない。おいしい体制の中、自分の収入を減らすことをまともに議論するとは考えにくい。彼らには耳をふさぐ以外方法がないのかも知れない。 ……というのもひとつの見方だが、それはともかくとして、官僚にはもっと頑張っていい仕事をしてもらいたい。しかし、給料を減らされたら誰だってやる気をなくしてしまう。 他人の給料を減らしてやろう、などと中心のずれた、人の足を引っ張るようなことをしなくても、自分がいい仕事をしているのかどうかの方が大切なよーな気がする。 自分はどうかだ。真に自分に目が向けば、余計なことをしなくて済むようになる。 ※ 夕方くらいから、地方の情報をローカルで放送している番組ってどこでもあるよね。それでちと小耳にはさんだのだけれど、イノシシをペットとして飼っている人がいて、散歩に連れ出したりしているという。 大きくなったらどうするんでしょうねー、とアナウンサーが聞いたら、その時は山に返します、という返事だった。 普通は、イノシシなんて飼って変わってる、でお終いなんだが……山に返すといえば聞こえはいいが、要するに捨ててきますってことだよね。それまで、かわいいかわいいでエサをくれて、ご近所に注目され、テレビにも出ていい気持ちになっているのだとしたらそれはエゴじゃないだろうか。 最後まで責任を持って飼うことが出来ないのならしないほうがいい。たとえば、大きくなってから動物園に引き取ってもらうにしても、元飼い主が世話をしたりエサ代を出すわけではないのだから、他人に放り投げてしまうのと同じだし、イノシシが芸をするようなテーマパークもあるけど、あれはまだ小さいうちから仕込まないとダメなのだから無理だろう。 人に育てられ、大きくなってから山に捨てられたイノシシが自分で餌をとって生きていくことが出来るかどうか疑わしい。人里に現れて世間を騒がし、撃ち殺されてしまう可能性だってある。 そこまで考えて飼っているのかというと……いないだろうなぁ。いつだって、「分からない人」が悲劇を招くのだ。だから、分かっていかなくてはいけない。そうしたらどうなるのか分かろうともせず、また、いざとなったら人任せにして思うように行かないと文句を垂れるのではあまりに情けない。 自分はどうなのか。自分のしていることがどういう事なのか分かっているかどうか。また、分かろうとしているのかどうか。 ※ 「ねぇねぇ、おおみちくん、そろそろどう?」 「なにがです?」 「結婚」 「ぶ」 「どうなのよ?」 「い、いや相手いないし」 「この前だって、オフ会に東京まで行って来たって言ったじゃん。いい人いないの?」 「知り合いは結構いるんですが、この歳になるとみんな結婚してますし。……バツイチの人はいるけど」 「バツイチじゃダメ?」 「別に気にしませんが」 「あら、子どもがいてもいいの?」 「うーん、でも想像できませんね」 「いろいろ考えなきゃ。ずっとこのまま独身でいいと思っているわけじゃないんでしょ?」 「まあねえ、縁があればとは思いますよ」 「相手が積極的な人で、向こうから来ればいいけどねぇ。この人、って人がいたら勇気を出して声かけないと」 などと、バツイチの看護婦にからかわれた。 年齢的には潮時かもとは思うんだけどさぁ。(笑) なんか、そーいうことを意識させられることが多い。
「ほんと、おおみちくんは色が白いままだねぇ。あたしなんか、すぐに黒くなっちゃうんだけど」
「散歩はしてますよ」 「筋力ついた? 犬連れてきゃいいんじゃん。きらい? そんなことない? そういえば先生んちの犬、散歩連れてってやってやぁ。ぜんぜん歩かせないもんで、足曲がっちゃって、うん。そういえば、日に当たってビタミンDを活性化しなさいというのは、昔のことで――昔は食べ物の種類が少なかったから充分にビタミンDをとれなかったんだけど、いまはいろいろあって食事からとれるからいいんだって。それより紫外線の方が危ないらしいわよ」 「ふーん」 「……このひとさぁ、前に家まで起こしに行ったことがあるよ。透析、来やへんだもん。ピンポン押しても出てこんもんで、部屋まで上がり込んで起こしただに。おほほほほほほほほほほほ」 「うん、忘れて寝てて」 「うふふふふふ」 「ねえねえ、この子いくつだと思う?」 「えー、20代の……真ん中くらい?」 「おお」 「おほほほほほほほ、いいじゃん。ねぇ、女の子だもんね。少しはサバよんで言ってあげないとねぇ。おおみちくんは……43年生まれ? さるだっけ? そうだね、Mくんとおんなじね。この人は、53年まではいかない」 「じゃーだいぶお兄さんですね」 「だいぶ……」 「あ、あなた、おおみちくんち知ってる? って、知らないわよね。ここの道をまっすぐ行って、曲がり角の左っか。大きな家の。お坊ちゃんだもんねー」 「そんなことは……」 「そうじゃーん。でも、おおみちくん、この子に近づかない方がいいわよ、元気いいから。のほほほほほほほ」 「かみついちゃう」 「かみついて〜」 とはさすがに言えなかった。(爆) どれが誰のセリフなんだかよく分からないが、登場人物は、婦長とわしと今年入った技師の女性である。 「かみついちゃう」なんて言われたら、どきっとするよね。なんかさー、こういう会話があると、技師の女性はわしに気があるんじゃないかと思っちゃうよね。え、思わない? ま、まあそれは別にいいんだけどさ。(^^; 透析病院で、ときどき、こうやってからかわれるのですよ。 追記:そういえば、タメのMさんに「今度一緒に胃カメラしに行きませんか?」と誘われてしまった。なんだそりゃー。(涙)
巨人がBクラスで折り返しとなり、渡辺オーナーは他球団の主力選手を「強奪」すると息巻いているらしい。
野球に関しては、今年は星野監督の阪神は面白いことになるかもしれんなぁ、という程度にしか思っていなかったが、巨人のこの体質――金にものをいわせて「強奪」とは、さすがにあきれてしまう。まあ、強奪という言葉はマスコミが勝手にいっているだけのことかも知れないけれども。 だが、いくらいい選手ばかりを集めてもダメで――それは現在の選手を見れば分かることで、すでにいい選手はそろっているんだよね。では、なぜ弱っちいのかというと、上層部が8割2割の法則というものを分かっていないのだ。 少しだけ物事を注意して見ていれば分かることである。たとえば、学校で各クラスで成績のいい生徒ばかりを集めてひとクラスにしても、結局その中の2割程度の人しか本当にいい成績は取らない。もちろん、他の有象無象しか残っていないクラス(^^;より平均点は上だろうが、全員が素晴らしくいい点数にはならない。 なぜかというと、意識の上で認識はしなくても、出来る人ばかりを一カ所に集めてしまうと、あいつが頑張るならオレはいいや……と感じてしまうらしい。周りが出来るヤツばかりでは疲れてしまう人も出てくるのだ。結局、頑張る人が2割、サボるのが8割になる。逆にアホばかり集めると、さすがにオレがやらなくては、と頑張る人が出てきて人数的に2割くらいは成績が伸びる。ただし、頑張らないのが普通、という集団ではダメかもしれないけれども……。 だから、強くしたければ、ポイントとなる選手だけを残して中堅どころは排出してしまい、代わりにアホを採用すればいいのだ。(爆) 一時的には弱体化するだろうが、すぐにもともと才能のある選手が奮起してチームをもり立てるだろう。いい選手を集めるばかりが能ではない。 ※ 何をしても叱られない――という環境で育ってくると、多分、自分がもしかすると悪かったかも知れない、いけないことをしていたかもしれない、という観念が育たないので、都合の悪いことは、とにかく全面的に相手が悪いのだ、と考える。 だから、非常識なことをしていても(叱られないから)気が付かないし、注意されると「自分は100%正しい」(と思い込んでいる)ので、相手が悪い、オカシイということになり、結果「うざい」という答えしか出てこない。 とにかく相手が悪いのだから、悪い奴は徹底的に懲罰(?)を受けて当然であるとして、ひどく罵ったり、時に暴力におよぶ。 謝ったら負け、という風潮が蔓延している。自分の悪い点をわびるのは当たり前であって、勝ち負けではないのだが、自分が悪いとは思ってもないとしたら始末に負えない。 自分が間違っていたことを認めるには痛みがともなうからね。その痛みを受け入れ、自分を正すことができる強さがないうちはガキである。 他人がどうのこうのではない。善悪ではない。運ではない。それを招いた自分の原因は何なのか? 自分が悪いというのではない。原因。そこを理解できない以上、なんら進歩はない。自分の人生の責任は自分にある。そして、世の中、いつだって必然しか起こらないのだ。
<タカラ>猫語翻訳機「ミャウリンガル」発売へ
ちょっと欲しいかも……。ってゆーか、買う。(爆) 外で仕事をバリバリこなして偉くなり、給料も人より多く、家に帰ってくれば妻にも子どもにも優しくて面倒見がいい満点パパ。 いません。 というか、エネルギーの使いどころが仕事なら、前者は可能であろうが、後者がどうしても犠牲になる。前者を実現したければ、後者を犠牲にせざるを得ない。この逆も然り。これは当たり前のことだが、それを理解せず両方求めるとおかしいことになる。どちらか一方をとるか、それともバランスよく(ほどほどに)望むかは自由だ。 陰陽のマークは調和――というか物事の自然なあり方を現している。陽の中にも少しの陰があり、陰の中にも少しの陽がある。夫婦で言うなら、男性を陽とするならば、男は外で働けばいいだけでなく、内側にも少しだけエネルギーを持っていくことで調和できる――それが自然な姿であるから安定すると分かる。 不自然なもの、バランスの悪いものは長続きできない。 女性も外に出て働くのはいいんだが、夫婦とも外(陽)にエネルギーを注ぐばかりで、内(陰)をほうっておいたら、それは不自然な姿であるので――すなわち調和融合できないからそのうち破綻する。仮面夫婦のなんと多いことか。 ある女性タレントが、「わたしは男っぽいから、相手(彼氏)は、もっと男性的な人じゃないとダメ」なんていっていたけれども、それではうまくいかないのは目に見えている。陰陽のバランスがとれてこそ、男女間に調和が生まれるのだから、男っぽい女性なら女っぽい男性を選べばいいのだ。 陰陽あって、ひとつ(完全)なのである。陰陽はその特性を現しているだけであって、善悪や優劣ではない。男の本分は陽であり女は陰である。そういうと、世間には陽は善で陰は悪であるという偏見があるから、特に女性からの反発があるかもしれないが、何度も言うように陰陽は善悪ではない。左右の違いと言えるかもしれない。左手に出来ないことは右手が出来る。右手に出来ないことは左手が出来るのである。 性は、その特性に調和した、本来的な使い方をしてこそ本領が発揮されるのは言うまでもない。本来であれば快適であり、快適であれば本来なのだ。自分の本分を忘れ、つまらぬ既成概念に縛られて無理をすることはない。 重要なのは、他人の目ではなく、一人の人間として自分が快適かどうかだ。男性は硬くて女性は柔らかい。それでいいのだ。両方硬かったらイヤである。
真面目な仕事ぶりを評価されていた彼女らではないのだから(^^;、ドタキャンは予想の範囲ではなかったのかな。それをまったく分かっていないで呼んだのなら、怒って当然かも知れない。が、ちと間が抜けているように思える。<テレ○
勝手に日本にやって来て、番組やライブを彼女ら自身で企画したわけではない。プロデューサーやなんやらたくさんの大人たちがいてのことなんだけど、それは目に見えないので、批判は目に見える彼女らに向けられる。 若い女の子で、ちやほやされるのが当たり前であれば、彼女らの行動や言動は、それほど驚くようなことではない。裏で直接こう言えとか、謝ることなんてない、と言うよう仕向けられていた可能性だってある。 普通であれば、だんだんと社会は自分の我が儘が通用する世界ではないことを学んで、適応すべく自己努力していくものだけれども、自分のことを商品として見る大人に利用され、注目されるために、過激な発言や衣装、下品さといった通常、社会的に忌避される要素ばかりが助長され、それでいいとそのまま行ってしまいかねない彼女らは、かわいそうかもしれない。本当は自分のやっていることが分かっていて、演出としてやっているだけならいいんだけどね。 商品価値が下がれば、当人の意志に関係なく辞めざるを得なくなる。というか捨てられる。商品でなくなったとき、自分で生きていかなくてはならなくなったとき、どうなるだろう。いや、下品な世界はいくらでもあるから、元t.A.T.uということで「その世界」では目立つだろうし、拾ってくれる人もいるかもしれないが、「その世界」以外を望んだとしても難関だろう。 アーティストとして本物ならば、いまのまま、うまくやっていけるかもしれないけれども。
おおみち礼治
|MAIL
|