おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
●UO
ついにウルティマオンラインに手を出してしまった。(^^; 今日は、お世話になっている人の家に招待されて、馬ごと家に入ってくつろいでました。 ひとりでやっていると、なかなか分からないことが分かるので、いいですね。アイテムもいっぱいもらいました。ふふ。 他のMMORPGと違って、最初はよく分からないけど、その分深いですにゃ。
●言葉
しゃべり場という番組で、「身体障害者」という言葉はやめようぜ、という議論(?)が行われていた。 こころがチクチク痛みますな。 だから、ちらっと見ただけで内容は分からない。が、たまに感じることと一致することがあった。問題というか、当事者――身体障害者本人が「身体障害者」と呼ばれることに苦痛を感じるのならば、おそらくはその言葉に潜む悪意を感じ取っているからであって、言葉そのものに罪はないと思うのだよね。 アメリカあたりでは、身体障害者を指して「チャレンジド」というそうだ。チャレンジする人、ですね。 しかし、そのような言葉に切り替えても、人の意識に悪意や蔑視が混ざるなら意味がない。チャレンジドとするならそれはそれでいいが、そうなったらなったで、今度は「身体障害者」という言葉が差別語となりうる。 言葉に縛られすぎなのだ。 それと、もうひとつは、世の中には本当にいろいろな人がいるから、せせら笑うように指さす人はなくならない。それをいちいちとらえて怒っていてもしょうがない。そういうその人がそういう人なんだな、というだけのことだ。 不愉快なのはそうだが、世の中というか、人生に不愉快は「よくあること」である。不愉快をなくすのではなく、不愉快にどう対応していくのかを覚えたほうが実際的だ。不愉快があるから愉快もあるのだしね。 ただ、そう達観しているばかりもいられない。たまには、瞋恚の炎を燃やして声を上げなくては、悪意だけでなく、たとえば冷たい無関心さでもって人を排除していくような――それの何がいけないのか、自分が何をしているのかも分からない馬鹿者をはねのけられず、理解も広がらず、つぶされてしまいかねない。 まあ、そういうことになる前に、すーっと理解していってもらうのがベストだけどね。
●地震が来たら
透析中、テレビを見ていたら阪神大震災と同じ規模の地震を体験するという番組がやっていた。もー、ガッツンガッツン左右に揺れる、というより、大地がずれるんですね。以前、なにかで聞いた話なんだけど、震災のとき、揺れで25インチのテレビが「飛んできた」といいます。 もし、透析中にそのような地震が来たらどうなるか……と周りを見て、いちばん危ないと思ったのは、透析の機械ですね。これって、ステンレス製の台の上に乗っかっているだけなんだよね。 何十キロあるのか分からないけれども、これが「飛んできて」頭の上に落ちたら死にますな。スタッフは「もし(透析中に)地震が来たら、回路を握って絶対に離さないように」といいます。しかし、機械が飛んでいってしまったら何かする暇などなく針が抜けてしまうでしょう。 そーいうことをスタッフに言ってみたんだけど、技師は「もし(地震が)来たら、台ごと倒れちゃいますよー。はっはー」というのです。 あのな〜。 強く言って、お互いに気分を悪くしても仕方がないので、何気ない風に、これは危ないのではないかと繰り返し言ったら、「固定はしておきますよ」とまでは言わせることができた。 東海大地震が来ると言われ続けて20年。地震に対する意識(対策)が進んでいるはずの静岡県でこれなのだ。スタッフがどうのというより、肝心の透析を受けている人が、気が付かないというのは――って、自分もいままでそうだったんだけど、本当に誰も真剣に、リアルに考えていないのですね。 せっかく気が付いたのだから、うるさがられようが、きちんとしてもらうようにしよう。 ●困ったな ヤフーオークションで落札した商品が届かない。しばらくやってなかったんだけど、欲しい物があったので入札し、けっこう安く落札できたので喜んでいたのだが……。 評価を見て、ちょっとやばいかなぁ、とは思ったんだよね。といっても、荒らしなどではぜんぜんなく、マイナス評価もひとつだけだったんだけど、そのひとつが「途中で連絡が取れなくなった」というものだったのだ。 まったく同じ状況である。 最初はメールがあった。丁寧でわかりやすい文面だったから安心したんだけどね。明日、送りますというメールを最後に1週間連絡が取れない。 電話した方がいいかなぁ。電話、嫌いなんだけど。(^^; 最悪、詐欺ということになれば――5千円以上の取引は、自動的に補償の対象になるそうで、今回7千円だったから申請すれば返ってくる可能性がある。 だが、そんな面倒なことはしたくない。多少遅くなってもいいから、ちゃんと商品を送っていただきたい。頼むよ〜。
●食べません
唇の裏側に口内炎ができた。別にいたくもかゆくもないのだが――いや、熱いお茶を飲むときにちょっとしみるかな。 疲れているらしいから、ゆっくり寝よう、と思い早めに布団にもぐりこみ寝たいだけ寝ていて――昼食の香りが漂ってきたころ、母親が起こしに来たのだが、開口一番、何をいうかと思ったら、 「お風呂、食べる〜?」 食べません。(爆) いつも自分が風呂に入ったあと、一言いっていくので、そのことと、食事の準備が出来たことが頭の中でごっちゃになったらしい。自分でうけて、ケラケラ笑いながら、食堂へ戻っていきました。 意外な発言に、目が覚めました。(笑)
●RO・みんな一列
どういう具合なのか、MMORPGをしていると、みんなで地べたに座ったり、踊ったりして大量のキャラが一カ所に集まることがある。 ラグナロクオンラインで、街から外に出てみたらこんな(←)感じ。(笑) みんな一列に並んでいました。 ●拉致 自分が力を入れれば入れるほど相手も力で押し返してきて、収拾がつかなくなる典型をやってますね。 家族は、帰さない、と言ったことで、子どもを自分と同じ状態にしてしまった(残した子どもが帰って(?)こられるのは何年後だろう……)。また、あちらの国ではVIP扱いだった人が、いまになって日本で暮らしたって、まともに社会生活できないだろう。 日テレあたりは、餓死者が何人とか苦しい実情を強調して報道するけれども、ちゃんと普通に暮らしているのだ。向こうにいた方が楽だったのだ。彼らは、毎日カメラに追われ、日本の社会にも不慣れで――子どもにいたっては日本は「知らない国」に過ぎない。 かの国に怒るのは当然だし、被害者に同情するのも分かる。でも、みんな口先だけで何もしないでしょ? 何かしましたか? それに、相手がデタラメだから自分もデタラメでいいというわけではない。 この事件が、自分にとって意味を持つものとするためには、ただ、理解すること。関係ないとか、自分じゃなくてよかったとか、単純に誰が悪いとかで済ましていたら、被害者の方に申し訳がない。 表に現れないことのシミュレーションが大事でしょう。 ●ディベート 真実ではないものを強弁して正義として認めさせたり、煙にまいてしまうのが得意な人がいる。それは違う、と思う。ディベートで勝った負けたなんて、どうでもいいことだ。 いくら口先を鍛えても、人格は磨かれない。 議論が得意なのはいいけど、左右の違いと上下の差を理解して調和共存していける人物が育って欲しい。 ●神様について そんなものあるわけないじゃないか、と傲然と胸を反らし、揶揄する人を見ると哀しくなる。わしは信仰は持っていないけれども、神様は信じている。というか、自分が生きていること自体、神様の存在を示している、と理解している。 神様といっても、人間が頭で考え出した矮小な神様ではないよ。神様というのは、人間などより、ずーっとずーーーーーっと上の存在であるから、蟻に人間のことが分からないように、人間も神様のことが(すべて)分かることはない。分かってしまったら、神様とは人間以下なのかということになる。 信じない、という人に、いやあるのだと主張する気はない。善悪ではなく、ただ、わたしは、あるものとして生活していますということです。
●話題づくり
「電波少年」にしろ、この前の「キム・ヘギョンさんの単独インタビュー」にせよ、大抵の人が憤りを感じる放送をして、ひどく批判されても、仕掛けた側はしめしめと思っていることが多いようだ。内容の是非は関係なく、話題を作ったという点で、彼らにしてみれば「してやった」のである。 こういう精神性は編集者にも見受けられる。売れてなんぼであるから、注目される記事を書くのは当たり前かもしれない。が、おれはいやだ。 人に誠実であり続けたい。 だから売れないんだろうけど(^^;、人を傷つけたり怒らせて、してやった、などと喜ぶ人間にはなりたくない。 まあ、ほうっておけばよろしい。気に入らないものを相手にしていく人生と、気に入ったものをやっていく人生とどっちがいいかといえば、言うまでもない。 でも、気に入らない人でも生きているからね。思い知らせてやろうなんて考えず、そういうものに出会ったら、自分が安全なように捌いて(理解して)、あとは忘れることだ。いちいち想念を出さない。 ●それでよか この前、家の塀にぶつかった車のことで、急ぎすぎていないか、とか、もっと腰を据えてなんて書いたけど、何か違和感があったんだよね。 気が付いたのは、「ぶつかった人は、ぶつかることで助けられた。そうやって止められるような、中心がずれたことをやっていた。もし、ぶつからずにそのまま行っていたら死んでいた」のですな。 自分のことに置き換えると、例えば透析をしているのは「病気をすることで助けられた。そうやって止められる(動けなくなる)ような、中心がずれたことをやっていた。もし、病気をしなかったら、死んでいた」のだ。 つまり、病気をせずに、それまでのやり方を続けていたら命が危なかったのですよ。病気になり「それまでのやり方」が出来ない状況になったことで「命が保たれている」という理解。 短いスパンで見たら都合の悪いことでも、長いスパンで見ると――というか、なぜそれでいいのか理解できると、人生悪いことなど起こらないのだな、と分かる。 先のことは分からないので、つい不安になったり愚痴ったりすることもあるけれども、いま「そう」なのは、実はそれで良いから「そう」なのだ。ただ、別に話として、このまま行ったらまずい、というときには、強引にでも変えないといけない。 人生をマラソンに例えるなら――いままで調子よく走れていたのが、急におなかが痛くなり走れなくなってしまった、とする。多くの人は、痛みを抑える薬を飲んで、また走り出してしまう。すると目の前に泥沼が現れ、(勢いよく走っているから)足を取られてぶっ倒れるのである。 細胞は、もうすぐ泥沼だと分かっているので(この勢いで行ったら危ないから)、おなかを痛くするなどの現象を起こし、ブレーキをかける。 そういうことが分かっている人は、(先のことは分からないけれども)いまはこれで良いのだとしてゆっくり歩く。そして泥沼が現れても、そのままゆっくりわたっていけるのですね。 病気ひとつしない元気な人がいきなり亡くなることってあるよね。これは、逆に言えば、病気ひとつできなかった、のだ。病気をした方がいいということもある。 いちばんいいのは、おなかが痛くなる前に、このまま行ったらまずいぞ、と分かることなんだけど――まだまだそこまで達しません。
●寒い寒い
おとつい目が覚めたら、風邪をひいていた。鼻風邪だけど、すっきり治らない。 昨年から狙っていた、ヒーターを思い切って買うことにした。わたくし的には大変な出費なんだけど、欲しかった。 冷え性なので――夏でも上半身は汗をかいているのに、足先は冷えたまま、なんてこともある。期待通りだといいんだけどな。<ヒーター 注文したところなのだ。 マフラーを出そうと探したのだが見つからない。おかしいなぁ、とそこら中を荒けていたら、着ない服が次から次に出てくるので本格的に片づけることにした。 もう色が変わってしまったようなシャツやゴムがゆるんでしまった靴下など、どんどん捨てる。これは欲しい、これはいらない、と仕分けしていたら、半分くらいはいらないものになった。 わしはSサイズでちょうどいいのだが、昔はどこに行ってもMサイズしかなかった。で、仕方がなくMを買うのだが、やっぱりでかいので着ないままになってしまった、という服が多い。 いまではユニクロがユニセックスのSサイズを用意してあるので、とっても助かる。 安くて丈夫でデザインもなかなか……というユニクロを嫌う人もいる。とてもこだわりがあり、ブランドの一着何万円もするトレーナーを買って、おれは違うのだ、と鼻高だかとしているタイプだ。それはそれでいいんだけど、わしは明かに庶民だし、お金もないので――着るものが何でもいいとは思わないが、普段着る服にはユニクロは理想的なのだ。 でも、赤字決算だっけ?<ユニクロ 頑張って欲しいなぁ。
●どぐしゃっ!
昨日、23時30分ごろ。 激しいスリップ音の後、「どぐしゃっ」と音がした。 家の塀に車がぶつかったのだ。(^^; たまーにあるんだよね。左カーブの上り坂のてっぺん。ゆるやかに見えて、けっこうきついカーブなのだ。曲がりきれなくて家にぶつかるのである。 見に行ったら、よくまあ怪我しなかったな、と思うくらい車のフロントがめちゃめちゃに壊れ、ガラスが散乱していた。運転していたのは普通の兄ちゃんだ。 かなりスピードを出していたらしい。誰も怪我をしなかったからよかったが、塀の一部に大穴が空いてしまった。当然ながら、塀はぶつかった人の責任でなおしていただく。車もめちゃくちゃだし、ふんだりけったりだろうけど、仕方がない。0時過ぎに警察が来て家の住所と電話番号を聞いていった。 あらまあ、で終わっては意味がない。これも自分が招いたのだ。理解したことをいくつか……。 まず、他人にぶつかってはいないだろうか? ということ。 いるんだよねぇ。(^^; さっきも寒い部屋の中で、テレビの前に座りニュースを聞きながら、なんて馬鹿なことをしているんだこいつらは……などといっしょうけんめい考えていた。マスコミの煽りに載ることなく、何の偏見も持たず、物事を正しく見つめることができるならいいんだけど、ただの批判に終始していることが多々ある。 自分を大切に、ということで言えば、部屋が寒ければとっとと暖房をつけるとか、一枚多く着るとか、すぐ風呂に入って、「あ〜ん」なんて歓喜のため息(爆)を発していた方が100万倍も有益だ。他人のことはいい。自分がいま快適なのかどうか? 10年前は、何もかもが気に入らなくて、なんて酷い世界なんだろう、と思っていた。そのころよりはずっとマシだが、まだ外側のことをとやかくいって、自分のことを蔑ろにしていることがある。 徹底して自分のことに集中するとしよう。 もうひとつ。 ドライバーはかなり急いでいた様子である。ぶつからずに行ければ、急いでいた目的を果たすことができたかもしれない。それが無闇に(?)スピードを出したせいで人の家に突っ込んでしまい、当然、目的は達せらず、車は廃車になるし、壊した塀を弁償しなくてはならないなど、余計なエネルギーをとられることになってしまった。 何をしようとしていたのか分からないけれども、ブレーキをかけられた格好になる。 急ぎすぎてはいないだろうか? 環境が整っておらず、まだ時期が来ていない場合――もう少し後の方がいい場合、いくら焦って事を進めようとしてもそうはいかないことがある。たとえば、事故るとか。病気になるとか。 そうやって時期を調整されることがあるが、もちろん、事故も病気もしない方がいいに決まっている。ゆっくりいけば、突っ込まなかっただろう。 ひるがえって自分のことを考えると……焦って、仕事が雑になることがある。既存のものを使用したり、この程度で良いだろう、と妥協してしまったり……。仕事のことだけではないな。 早く結果を出そうとするのではなく、もっと腰を据えて取り組むこととしよう。
おおみち礼治
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