おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
●幽霊?
夜中に突然、ぱっと目が覚めた。と、目の前に髪の毛がぼさぼさの男が、目をむいて、わしをじーっと見ているのである。いや、マジで。 しかも、それは一瞬で消えてしまった。午前3時であった。 寝ぼけていたからかもしれないけれども、別に恐いという感じではなかった。あの世とか霊とか、そういう話しには興味があるが、はっきり見たのは今回がはじめてだった。 恐くなかったからといって、ではいいものだったのかというと、そうではなく、どちらかといえば、あまりいいものではなかったと思う。たまたま波長が合って見えてしまったんだろう。 まあ、騒ぐことではない。そういうものもあるんですね、というだけのことだ。 見えない世界のことは、(大抵の人には)見えないだけに何でも言い放題である。だから、想像で書かれたもの――偽物が多い。しかし、本物を見分ける目もないので、あまりそういう世界に引き込まれるとオカシクなってしまう。前記したように「そういうものもあるんですね」で充分だろうと思う。 だが、あるとかないとか、こわーいとか、興味本位で騒ぐのは、あまりに低レベルである。しかし、あまり深く踏み込んでいくと、今度は宗教になってしまう。というか、宗教だと認識されてしまう。 霊とか神様とか、本来、宗教とは別のものだと思うんだが、いまいち理解されていないようだ。 ……って、エラソーに言っているけれども、わしは何か詳しく知っているわけでも、霊能力があるわけでもぜんぜんない。ただ、見えない世界に敬意を払っているのだ。見えない世界を語る人にではないよ。見えない世界とその働きに。 関わるのなら、より神聖なものに関わりたいです。
死んだら前世の記憶は戻るのだろうか?
戻らないとしたら、転生することで記憶が消されることになる。 戻るとしたら――死んでも子どものままというのは矛盾するような気がする。「成人するまで育てる」のだから、少なくともあの世では成人しているはずだ。となれば、その成人した個体が転生し、また子どもで死んだら、あの世では成人ではないだろうか? それとも、また子どもからやり直しなのか、あの世で成人する前に転生してしまうのだろうか? 魂と個体(神体、霊体、幽体、肉体)を別個に考えてみる。 魂には数種類あり、魂とは複数の個体の記憶、理解が刻まれたもので、霊の元だという。その個体独自の魂があるわけではない。いくつかある魂の「新たな現れ」が個体なのだ。つまり前世とは、魂の記憶――複数の個体(その魂の現れである、過去、生きた人間の記憶)の集まりのことだといえる。 前世の個体(霊)は自分とは別に存在している。 そう考えれば、子どもで死んだ個体が「成人するまで育てられる」のは矛盾しない。あの世で成人し、その記憶や理解は魂に刻まれる。その魂から「新たな個体が現れる」。その個体が、また子どものうちに亡くなったとしても、前の個体とは別の存在なのだから、また「成人するまで育てられる」のである。 転生は個体の意思に関わりなく(?)、法則に従って魂を元に新たに現世に現れ出でる。 また、たとえば、エドガー・ケイシーが遠く離れた場所にいながら、その人の病状や治療法を口に出来たのも、同じ魂で繋がっていたからと考えることが出来る。別の魂の人のことは分からない。ケイシー自身に医療の知識がなくても治療法が分かったのは、魂つながりの医師がいたからではないか。 ど、どーでしょうか? ただ、死んだらずっとあの世というのも面白くないような気がする。たまには生まれ変わってみたいじゃん。 ってゆーか、なに言ってるか分かってないでしょ(ホンジャマカ石塚©)。(爆)
●ポジティブな人々
ポジティブ、ポジティブ言う人は、明るくて積極的で逞しく、「うまくいっている」印象を受けるので、すごいなぁ、と思ったりするのだが、つき合いきれないところがある。 自分のような(ポジティブな)考えこそが優れているのだ、と自信たっぷりで、そのように出来ない人、賛同しない人、違う考えを持っている人を見下す傾向があるように思える。また、何を言うにも、相手のことを理解した上ではなく、自分の考えを押しつけるだけなので、言われる方は苦しくなってくる。 出来ない人もいるのだ。 ダメな人、と一刀両断するのではなく、そういう人もいるのだから、一緒に生きていきましょう、といえるくらいでなくては、本物とは言えないのではないか。 ポジティブでなくてはならぬ、なんてことは決してない。他人のやり方や、なんとかという考え方ではなく、事実と自分の感覚を信頼していくのが吉かと。
●編集と感覚について
限りなくプロに近い物書きさん(ってゆーか、プロだな)の原稿にダメ出しするときって緊張するね。(^^; わしは、頭が良いわけではないし教養もないから、頭を使ってどうにかしようとすると、つらくてかなわないし恐くてなにもできなくなってしまう。エリート相手に頭でかなうわけがない。編集方針もポリシーもあるけど、反論されたら、すぐに謝ってしまいそうだ。(笑) なので、頭ではなく、自分の感覚を信頼して感じたままを行うことにしている。面白い、つまらないという感覚を信頼できないと――頭が良くて、頭を使って何でも出来てしまう人は別として――編集としてはつとまらないと思う。 なかには、担当した作家の作品の何が面白いのかもよく分からず、入稿された原稿に対する感想も批評もそこそこ(というか、テキトー)に、ただ仕事として冷めた気持ちのまま右から左へ流して本にして、しゃあしゃあと「本づくりなんて夢がない」などという編集者もいる。しかし、自分の仕事に対して何の情熱も誇りももてないのなら、自分のためにも、作家にとっても、会社にとっても、やめてもらったほうがいいのではないかと思う。それは編集に限ったことではないだろうけどね。 感覚を信頼し、感覚に従い(沿って)行動するということ。 とかく、現代人は頭を使って答えを出さなくてはならない、と思いこんでいるから、言うのは簡単だが、実際にそのように行動するのは難しい。頭脳の限界を体験(理解)しないうちに、普段から感覚――「直感による感覚的な把握」を信頼して動けと言われても、まあ、出来ないけどね。
●どういうレベルでやるのか
金儲けしようと大衆を中心にすると、どんどんやることのレベルが下がっていく。かといって、あまりレベルが高くなると、(分かる人が少ないので)商売にならない。 気に入っていた喫茶店がまさにそれで、清潔感があり、落ち着いていて、コーヒーはもちろんデザートにも品位が感じられた。しかし、原材料が高いからどうしても値段が高くなる。それだけのお金を払っても、そこに行きたいという人がいなかったのだ。 いや、わしはそこがよかったんだけど、今年の初めに閉店になってしまった。 安いかもしれないが、店員に気持ちがこもっておらず、タバコの煙やホコリが舞い上がり、椅子もテーブルも安物で、あちこちで遠慮のない話し声と笑い声が聞こえてくる、どことは言わないけれども、そういう喫茶店の方が繁盛している。 金儲けではなく、それ(生業。趣味でもいい)を通して向上したい。 某文芸サイトなんだけど、投稿作品のほとんどが、それを書く理由が希薄であり、文章読本のひとつすら読んだことがないのは明かで、取材どころか資料も読んでいないのだ。他人様に読んでもらう文章だという意味も、怖さも分かっていない。中には、推敲すらしない者もいる。あまりに動機が薄く、お手軽である。 自己満足でやるのはいいんだけど、それならそれで、そういう場でやってもらったらいいのであって、わしのところに投稿してくるのは筋違いである。もっと、向上心のある、真剣みのある人が来て欲しいですね。
●【ラグナロクオンライン(RO)】シーフに転職
やっと、シーフに転職できました。(^^) しかし、ピラミッドの中の敵って強すぎません? ノービスではとても敵と戦えません。みんなの陰に隠れて(笑)やっと転職する場所までたどり着きました。って、たいした距離でもないんだけど。 ちょっと前にやり込んでいたラグハイムは飽きた。(笑) ROは、他のプレーヤーとコミュニケーションしやすい雰囲気がある。今日も、座って体力を回復していたら、話しかけられてそのまま知らない街まで話しながら一緒に歩いていったりとか。チャットルームでも作ってみようかしらん。 ●今月のオススメ本 「アホでマヌケなアメリカ白人」(笑) みんな気がついているわけだよ。テロはいけなくて戦争はいいといえる理由なんてないのだ。それだけじゃないけどね。 イラクに対するブッシュの発言を、そのままアメリカに当てはめていただきたい。大量破壊兵器がどうこう、テロ組織がどうこうって、自分のことじゃん。 ●戒め 知らなかったからやらなかったのは仕方がない。しかし、それがいいと知っていたのにやらなかったのでは、死んでから悔やみきれない。やらないのは、せっかくの教えを疑っているのか、ということにもなる。 考えるのはもういい。やればよいのだ。
●盗賊
ラグナロクオンラインの職業だけど、マジシャンはやめた。 やっぱりさ、タイマンで殴りあいたいじゃん。(笑) となると、剣士を選ぶところだが、盗賊にした。両手攻撃と回避率の高さ、毒攻撃が気に入ったのだ。 はじめからやり直して、初心者訓練所の適正テストで、すべての問題に思ったことの反対を選んだら、盗賊が向いていると言われた。(^^; そのままモロクの街へ。 ちなみに、キャラの名前は「礼治」。サーバーは「fenrir」です。一緒に潜ってくれる人募集中。
●ラグナロクオンライン
ラグナロクオンラインというMMORPGが面白そうなので、朝からDLを繰り返しているのだが、なかなかできない。正常にDLできないのだ。 おまけに無線LANの調子が悪くて、まともに繋がっている時間の方が少ないという始末。ほとんどキレかかっていたんだが、キレたって何か解決するわけではないので、ぐっと我慢の子なのだ。 でもね。 急ぐのはやめよう、ゆっくりやればいいのだと考えたら、すーっと気持ちが修まった。 ADSL12メガとか光ケーブルだとか、1200bpsのモデムでパソコン通信をしていた10年前と比べたら考えられないような速度になっている。 そういう流れはいいんだけど、ゆっくりと余裕を持って、じっくりといった気構えまで否定されるような風潮――いや、勝手にそう思っているだけかもしれないが、巧遅で当たるべき事柄にまで速度が要求され、馬車馬のごとくいちばんを目指して突進しているという印象がある。 極端なことを言うなら、早く終えたら早くこの世とおさらばしなくてはならない。一生のうちに使えるエネルギー量は個々によって違うが決まっている。早く使ってしまうか、小出しにして長生きするかは自由だ。 わしは、競争していちばんになりたいなんて、ぜーーーーんぜん思わないので(笑)、小出しにゆっくりいきたいです。 とか、思っていたらDLできた!(^^) 早速インストールし、プレイする。システムの説明が長々と続く。最後に、心理テスト(?)があって、オススメの職業(ゲーム内の)を提示してくれるのだが、これがスルドイのだ。私の場合は「人に愚かに見られないように、すべてを理解しようとする。一人で仕事をする独立的なタイプ。理性的な判断力が高い。内向的、分析的、洞察力を持っているタイプ。観察が好きなあなたはマジシャンの職業がいちばんあいます」と出た。 おお。 従うことにする。 ●悪い癖 考えに考え抜いて何もしない、という悪い癖がある。<わし 体は少しも動かさないのに、疲れてしまうんですよ。考えていると。 分かっているんだけど、不安なんだよね。ぱっと思い浮かんだこと感じたことを、何の検証も加えず――頭を使わず、行う。誰にも頼らず感じるままに、どんどん動いていく気持ちよさは知っている。しかし、ちゃんと考えて答えを出さなくてはいけない、計算してもっとも効率のよい価値のあることをすべきである、考えるものだ……という概念が「感じるまま」の邪魔をする。そんなことに時間を費やしていいのか、もっと大切なことがあるのではないか……と、概念がささやき、不安にする。 概念に従い、頭を使えば不安が払拭されるかというと、これは逆で、ますます不安になる。ならば、そんなものは蹴り飛ばして感じるままに行えばいいのだが、何十年かそうやって生きてきた癖、業というものは、なかなかとれない。 困りましたね。 でも、分かっているからね。頭を使えば使うほど不自由になっていくこと、どんどん動く方が気分がよい、と分かっているからね。時が来れば(概念を)捨てて、自由自在に一歩でも近づけるでしょう。
自分を(肉体的、精神的に)満たしているか?
自分を豊かにして生きているか? 世の中は自分の都合で出来ているわけではないから、気に入らないこと(くだらないこと、馬鹿げたこと、間違っていること、憤り感じることなど)に注視しだすと、それこそ数限りなくある。 そういうものをとらえて、自分の貴重な時間とエネルギーを費やしていく――いかにそれがくだらないのか(もしくは、おれの方が上だと)証明しようとする人生が良いのか、それとも、それはそれとして、より快適なものを取り入れていくことにエネルギーを使っていく人生がいいのか、どちらがいいかといえばそれはもういうまでもない。 自分を豊かに。
おおみち礼治
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