おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
1年近くやってきた某サイトの作成と管理なんだけど……。
本当は3ヶ月で作成完了するはずが、いつまでたっても資料を出してこないので、ちんたらやっていたら半年もかかってしまった。やっと公開して、さあ更新という段階になって、何もいってこない。何度メールしてもなしのつぶてで、昨日、いきなり電話があったと思ったら、別の業者に頼みます、ときた。 なんだそれ。(怒) 別の仕事も断って集中してやってきて、これからの更新のアイデアをいろいろ考え、修正案なども出していたのに、それにはなにもいってこず、いきなり首を切られてしまった。おれはいったい、1年なにをしてきたんだろうね。 地方で、電話とメールとFAXとで、顔も合わせずに仕事をする難しさ、個人という立場の弱さだろうか。 サイトの作成、管理は、そのクライアントの関連会社のページを作ったWeb制作会社が引き継ぐという。関連会社のページが好評で、かなり問い合わせがあるらしく、一元的にそこにやってもらおうという話しになったらしい。 スタッフに好評です、なんて言って来たこともあったから、決してクライアントの希望に添えなかったということはないと思うのだけれども……。 契約書を盾にとってもいいが、めんどくさいので――というより、あんなにはりきってやってきたことが突然、あんたはいらん、と言われてショックでどーでもよくなってしまった。 しばらく、なにも手につきそうにありません。(--)
母校が優勝した。<県高校野球 準々決勝に来たときに、今年もけっこう頑張っているんじゃん、とはじめて関心を持ち、準決勝で、決勝にいけたらいいねぇ、なんてお気楽に思っていたんだけど優勝しちまったい。
たしか5年前にも決勝に進んだんだけど、だめだったんだよね。 同い年の親戚が、同じ高校で、3年生の時に応援団長をやっていたんだけど、今日、彼は大騒ぎしていたらしい。(笑) 仕事を休んで甲子園まで応援に行きそうな雰囲気だ。 でも、高校卒業したのって、もう15年も前なんだよねぇ。 ところで、昨日書いた新人看護婦さん、21歳なんだけど、そんなにひどく年が違うということもないよね。……よね!? とか思ったけど(笑)、よく考えたらひとまわり違うのだよ。 高校を卒業したのが18歳だから、そのとき彼女は6歳。 ……。 だぁ。(爆) ほんとにもう、いつのまにやらですよ。いつのまにやら、生まれてきて、いつのまにやら歳をとっていくのですな。
透析の時の食事(弁当)だけど、看護婦さんが持ってきてくれるのはいいんだが、ちょっと首を傾げてしまった。正確には弁当ではなくて、お茶なんですけどね。
おぼんに湯飲み茶碗を乗せてきて、ベットに備え付けの机に置くときに、「あちっ」というのですね。茶碗一杯にお茶を入れてくるので、熱くて持つところがないのです。 これ、一回や二回なら分かるんですが、いっこうにやり方を変えない。 そうやって持ってきた、お茶を飲むわしは、いったいどこを持って飲んだらいいんでしょうか。(^^; それとも、さめるまで待っていなさい、ということでしょうか。 4月に入った、新しい看護婦さん――なんか、舌足らずな、ゆっくりとしたしゃべり方をする血圧の計り方が下手(^^;な女の子なんですけどね。前の年に入った看護婦さんは、仕事を覚えるのも早くて、すでに何度も穿刺してもらっているし、明るくて、変に力むことがない自然な態度と丁寧さを兼ね備えた――透析が終わってベットから降りるときに、スリッパをそろえてくれるのは、この看護婦さんだけなのだ。 先輩看護婦がそんなことをしてくれたことはないから、これまでの生活の中で身につけてきたものだろう。個性が殺されることなく、まっすぐに正しく育ってきたんだなぁ、と思う。かわいいし。これで結婚さえしていなかったらもー。(爆) 話がそれてますね。 ともかく、誰かに言われたからではなく、自分で仕事をしていくというスタンスが少しはあってもいいんじゃないかと感じたわけですよ。<新人看護婦 この子がこのままなら、何年経験を積んだ後でも、正直、担当して欲しくないね。 次も同じことをしていたら、お茶のことは言おう。そういう細やかな気づかいというのは、女性のよいところだと思うのですが。 それと血圧。腕を巻いた後、空気を入れますよね。その人の血圧が普段どれくらいなのか把握して、その付近まで一気にあげ、それから少しづつ空気をすーっと抜いていって欲しい。それを、ぷしゅ、ぷしゅ……ぷしゅ。……ぷしゅ。なんて、終わりかと思ったら、また空気を入れ……もー終わりだろう! と油断していると、またぷしゅ、っと来る。そのうち腕がしびれてくるのだが、まだ空気を抜かない。やっと抜き始めたと思ったら、やり直し始めたりする。 不器用なんですかね。ちゃんと穿刺できるようになるんでしょうか……。 心配だ。 別の話し。 病院のスタッフは、そいつ(患者)が何をほざこうが、全力で――そのときに出来る限りのことをして、命を助けるべきだと思うよ。 どんなにいい薬を飲んでも、注射をしても、手術をしても、死ぬヤツは死ぬ。人が人の死をコントロールしようなんて傲慢ではなかろうか、と。 ただやるべきことをやって、生き残ったのならそれはそれでいいし、死んでしまったのなら、それはそれでいい。こういうところで迷いを持つと小道にはまってわけがわからなくなるのではないか。 どうして心臓が動いているのか、生きているのかといえば、それでいいからだ。どうして死んでしまったのかというと、それでいいからだ。人智の及ぶところではないと思うのですよ。
自分には、そいつと出会わなくてはならない因子があったのだ。
世界は必然で出来ている。偶然で出来ているとしたら、運がいいからそうなり運が悪いからそうなったという――つまり、自分には何の原因もなく、ただ運なるものに振り回される人生ということになる。 そんな馬鹿な。 そうではない。ちゃんと自分に(その現象に出会う)原因があったのだ。その原因を見極めることこそ急務であり――前に「明らかにする」と書いたけれども、このことだね。自分が原因(中心)で――じぶんが「そう」だから、「そう」なったという必然があるだけだ。 原因が分かれば、自分の現在の状態にも納得いくものだ。これからどうやって生きていけばいいかも見えてくる。 ただ、今生だけで数十年、いままで「そうやって」生きてきた自分を即座に変えることは出来ない。簡単に変えられるのだとしたら、では、それまでの人生は何だったのかということになる。 だから、簡単ではない。簡単ではないが、わけもわからず運や他者のせいにして振り回さるのと、原因は自分自身にあるとして業(原因)を磨き落としていく人生とでは全然違う。 自分の原因が分かるのがベストだけれども、どうしても解けないこともある。そういうときは、無理に分かろうとしない――考えない方がいいね。片方の真理として「考えても答えはでない」のだ。 では、どうするかというと、ただ流す。流してしまう。そのことについて考えない。頭ばかり使ってきた人は、それでいいのかと不安になってしまうようだがそれでいいのだ。それでいいといえる背景には、絡まっていた因縁(原因)が無意識に解かれようとしているときに、そのことがぶりかえしてくる、という理解がある。せっかく解かれようとしているのに、頭で考えてしまうことで阻害(捕らえて離さなく)してしまうのだ。 だから考えない。流してしまう。 それでいいのだ。というより、そうするものである。 嫌なヤツが脳裏に浮かんできたらとらえず、ただ流す。頭に浮かんでくるにまかす。それでいつか消えていく。
特定の、なんとかという食品が悪いというレベルでどうこうしても、問題の本質は変わらないので、別の食品を探し回るだけで何の進歩もない。
ただ痩せていればいいという観念(を持った他人)を中心として、健康や体(細胞)を無視し、ダイエットに東奔西走するのだとしたら、それはおかしい。 痩せてもてたいとかさ、いいんだけど。痩せたらもてるのかというと必ずしもそうではないとも思うけれども。自分を大切にしている結果――面倒でも時間をかけて体にいいものを食べて、体にいいものを飲んで、早寝早起きして、ストレスを溜めないなど、自分をいたわった生活を送っている結果、痩せてきれいに見えるのはいい。そうしていれば、太りすぎるなんて考えられない。 そうではなく、暴飲暴食、どーでもいいものを食べ、飲み、睡眠もそこそこに夜中まで遊びまくっているくせに、ただ薬を飲んで(不自然に)痩せました、なんてのは嫌だねぇ。 いかに楽に痩せるか、なんて考えること自体が邪道なのだ。今回の事故は、邪道の結果なのだ。 太ってきたということは、怠惰な、どーでもいい生活をしていやしないか、もっと自分を大事にしてよ、という体のメッセージなんだよ。上記のように、自分を大切にすることが本来であって、ただ痩せればいいなんてのは本末転倒ではないか。 自分のちょうどいい体重というものはあるから――といっても計算して出た標準体重ではない。大事なのは、体が軽いと感じられるかどうかだね。多少、太ってみられようが、それで体調が良いなら他は関係ありません。 そうはいっても、それでいいのだ、と納得できる自分があってこそであって、他人が中心の人は、何が何でも痩せるしか道がないのかもしれないけれども。
ノラとケンカしてできた傷が化膿して、膿の固まりが前腕部にあったらしい。元気がなかったので、動物病院へ連れて行ったら即入院。 2日後、こんな感じ。手術して膿を出したので、傷口をなめないようにエリマキネコになったのでした。 人と会ったり、バラエティー番組なんかを見ていると、誰も彼もが元気に笑っているように見える。でも、多分、自分のそういう部分を見せているだけで、それだけではないのだよね。 みんな、いろいろなものを抱えていて――ひどく苦しくてどうしようもない部分は持っているのだ。自分だけではない。突然、自殺してしまうような人もいる。 だが、それだけの自分ではないし、ずっとそのままというわけでもない。 それは分かっておきたい。
豪華な大使館。いいんじゃないのーと思うけど。
外国の貴賓を貧乏屋敷に招いてそれでいいのかね。日本人として。 大使館員は、VIPを招いてパーティをするのが仕事なんだから、日本を表すためにも豪華にすればいいのだ。 目立ちたい人って多いようで――わしにはちょっとわからないんだけどね。 意識していることは実現する。 だが、思ってもみないようなことで実現することがあるから気をつけたい。 たとえば、何かの事件や事故にまきこまれて命を失い、全国ニュースで自分の名前が読み上げられて目立つとかね。 いや、ホントに。 だから、身の伴わない皮相的な希望なんて持たない方がいい。希望というか、目標は持ってもいいと思うけれども、漠然と思っているだけなのか、目標に向けて行動しているのとでは全く違うからね。行動できない希望などスッパリ捨てて、目の前のことをこなす方がどれだけ有用か。 ……で、自分がどれだけ出来ているのかということなんだけど。(^^;;
おしゃべりな人を指して、「口から生まれてきたんじゃない?」なんていうことがある。いままで、これは母親の口から出てきたことだと思っていたんだけど、違うんだね。(爆)
出てくるべきところ(^^;から、本来頭から出てくるところを、冗談で、口から出てきたと言っているということなのですね。 小学生の時、頭がいい人を「頭から出てきたから頭がいい」と噂しているのを聞いて、なるほどぉ、と思っていたんだけど……母親の頭がパカッと割れて、もこもこ出てきたわけではないのだね。(爆死) 33歳にして、はじめて悟りました。(核爆)
それはもう、(自分の)命ですね。
川に流された缶ビールを取りに川に入って、おぼれてしまった人がいます。缶ビールより命の方が大事だよねぇ。 別に揶揄しているわけではありませんよ。 いちばん大事なものは? と聞かれて、車! とか彼女かな、とか、健康とか……もちろんそれも大事だろうけれども、いちばんは命だ。 それを常日頃よくよくわかって、命をベースにものを考え、行動しないとおかしいことになってくる。 その大事な命のあるうちに、なにをするのか。何のための命なのか。 この問いを発しないうちは人ではないし、この問いを発するのをやめてしまった時から、人はおじさんになり、おばさんになってゆくのだと思う。 つまり、諦めてしまった。もー、どーでもよくなってしまったのが、軽蔑の意が込められたオヤジであり、オバサンなんだよ。 で、その命は仕事――金儲けの為にあるのかというと、そうではないような気がするし、目立つためなどではもちろんなく、偉くなるためでも、子どものためでもないような気がする。 答えはない、というのが答えかもしれない。 まあ、わし的には「明らかにしていく」というのが、いまのところいちばんしっくりくるけどね。
しかしまあ、本当に肩書きで結婚相手を選ぶ人っているのだね。
いや、テレビでやっていたんだけど。 なんてしょーもない女なのか……とかなんとかいうより、なんて孤独なんだろう、って思うけどね。 人ではなく、肩書きと結婚したいというのだから。 結婚っちゅーのは、男と女という両端の(別の役割を持った)もの――たとえば白と黒、たとえば硬と柔といったものが一緒というか一体になることで、完全形となる意味がある。(と思うのだ) 右半身と左半身の両方があって人間は完全形である。右半身だけあれば事足りるというものではない。完全形であるためには両端(左右)が必要だ。瓶と蓋の関係とかね。もともとひとつだったものが2つ(男女)に分かれているとも言える。 その2つがそろい生きるのは、本来的(自然)でありましょう。
40歳代半ばあたりの知り合いの中に、東京大学を卒業し、若い頃は某大企業に勤め、有名タレントと一緒に一度は聞いたことのある演劇グループを立ち上げ、自分のヨット(けっこうでかい)を持っており、超がつくくらいの高級マンションに奥さんと二人暮らしで、現在は作家という――自然体で普通の人なんだけど、いろいろ話を聞くと、それはもうあらゆることをやっているエネルギッシュな人もいるし、2畳だか3畳のアパート(!)に一人暮らしで、会社に勤めてはいるものの、モットーは「いかに仕事をしないで給料をもらうか」であり、結婚する気もなく、やりたいことがない人が会社に入るのだ、と公然と言う、やはり40歳代半ばの人もいる。
わしはそのどちらにもなれないけれども、ちょっと考えてしまうね。他人と比べることはないが、前者の人を見た後だと、わしはぼんやりしすぎていると思う。(^^; 面倒くさがり屋だからだと自分を責めていたこともあるが、そうではなくて、どうやら健康な人にはない体調不良が自分にはあるようだと分かったので、その点は諦めた。もちろん、良くする努力はずっと続ける。 自分以外の人間を体験することは出来ないから、そういうもの、と思っていたことが、まったく違う面もあると分かるには時間がかかる。自分の周りには自分と同じようなレベル(社会的、精神的...)の人しかいないので――世間とはこんなものという自分の意識の程度の世間しか、見ることも、知ることも、理解をも得られない。だが、ひょんなことでレベルの違う(高い)人が現れると、今までとは別の世界が見られて刺激になる。自分の知っている世界が世界のすべてではないのだと分かる。 だから、絶望することはない。ポジティブな――落ち着いた、それでいいと心から納得して生きられる世界は確かにあるのだ。自分の中になかっただけである。 後者の人は、自ら望んで――というか、選んで、そのように生きているのであって、本人は納得しているのだよね。わしは、同じように生活したいとは思わないが、望まないのにそうなってしまう可能性はある。(笑) どのように生きていきたいのか、どうなりたいのか、きちんと見定めて、無理なく自分の出来る範囲で動いていきたいと思った。
以前作ったホームページをWeb作成を専門にやっている会社の人に見てもらったら、いろいろダメだしされた。ユーザビリティと言うことが盛んに言われているんだけど、そういう意味で分かりにくいという。
ということで、作り直し。 いい勉強になります。リニューアルということで、修正費用も出るし。 HTMLのレイヤーはブラウザによるので、こんなもん、と思っていたんだけど、面白い機能ではあるので、うまいことつかえないかなぁ、と思って検索サイトで「レイヤー」で調べたら「コスプレイヤー」がいっぱい出てきた。(爆) そ、そうじゃないんですけどね……。(^^;;
←やっと魔法使いらしくなったReijiくん。以前、ヒューマンでキャラを作ったんだけど、すぐに飽きたのでカイリプトンにしてみました。レベル51です。あ、これはラグハイムという無料で遊べるネットゲームであります。たいてい、このReijiで潜っているので、声かけてねん。 甘えてさぼっているのか、それとも本当にそれ以上できないから休んでいるのか、判断がつかずに迷うことがよくあった。透析はしているけれども、自分では元気なつもりだし、健康な人とも大して変わりないと思っていた。でも、やっぱりわしは普通とは少し違うんだね。 さぼっているわけではなく、限界というか、やれる範囲、エネルギーを注げる量は普通の人より低いと認めざるを得ない。普通と同じには出来ない。 だが、誰がなんと言おうと、諦めることなく坦々とその日を生きていこうと思う。 ま、いろいろあってさ。(^^)
もう7月たー信じられません。(^^;
時間が過ぎるのが早くって。 夜、外でマツムシが鳴いていました。暴走が幹線道路を走っているのが聞こえます。マツムシは何事もなく、相変わらず鳴き続けていました。 そういう気持ちでありたいですにゃ。
おおみち礼治
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