おおみち礼治のてくてく日記
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2002年06月29日(土) 犯罪。ボランティア。お子さま。

 犯罪の手口を紹介する番組がやっていた。
 善人がいれば必ず反対側に悪人がいるので……悪人を撲滅しようとしても無理なので、いかに悪を知り、身を守り、染まらないか、ということだと思った。
 善人は、良いことはよく知っていて、そのように生活しているのだけれども、悪を知らないと――人を騙すだとか、陥れるなど考えつかないので、ころっとやられてしまう。
 番組を見ていて思い出したが、昔、人の良さそうなおばはん二人組が、ボランティアの者ですが募金をお願いします、といってコーヒー豆……ではなく、タオルを置いていった。たしか、千円だか二千円を寄付して、うーん、いいことした、と思っていたんだけど、あれって詐欺だったんだね。いまごろ気がついた。(爆)

 話は変わるが、ボランティアについて、偽善だの自己満足だのと余計なことをいう人がいるが、大きなお世話ですね。わしは取り立ててボランティアしたいという気持ちはないけれども、している人をとやかくいうことはない。それがたとえ学生の内申書目当てだったりしてもね。
 そんな一時的な活動で内申書が良くなったとしても、どうせ一時的なものでしかない。結果のために嫌々やっただけの、そういう人なのだな、と見る人が見れば分かってしまう。
 ボランティアでさえ自分のためにやるものだろう、と思う。ここでいう自分のためとは、たとえば、通学路にゴミがたくさん落ちていて気持ちが悪いから自分で拾って、自分で自分が気持ちの良いように周りの環境を整える。自分が気持ちいいと、他人も気持ちがいい。そういう考えや行為が中心というものであって、利己主義や未熟なだけのジコチューでは、うまくいかなくて当然でありましょう。
 いまのお子さまは、頭が良くて言葉も巧み――悪くいえば頭でっかちで屁理屈はうまいんだけど(^^;、やることをやらない。わしはフリーで仕事をしているから特に感じないが、同世代の勤め人の知り合いが、よくそう愚痴る。
 また、奴らは他人のことはよく分かるが自分のことが分からない――世代に関係なく、誰しもそうかもしれないが、自分が何をしているのかよくわからないまま生きているような気がする。やりたい放題で、他人に迷惑をかけていないといいつつ、実はかけまくっていることに気がつかないだけだったりする。自分が何をしているのか分からない。
 他人のことをとやかく言うのをやめて、自分に注視していただきたい。それが出来ないと、千年生きても進歩しません。
 おお、えらそうだ。(爆)<自分


2002年06月22日(土) バイタルチェック。

 バイタルチェック(http://www.jher.co.jp/)というものをやってもらった。
 血液を目で見て、その人の健康状態がわかるというものだ。
 指の先に細い針を刺して――筒状の、中に針がセットされたものを指先に当て、ボタンを押すとパチッとバネで針が飛び出る。それで皮下血管が破れて血がにじみ出てくるのをガラスに取り、顕微鏡で見るのだ。
 一瞬、ちくっとするけれども、痛いというほどのものではない。
 10人くらい集まった中で、全員の血液をテレビで見たのだが――電子顕微鏡からテレビにつなげられるようになっている――意外と優秀だった。<わし
 ちゃんと丸い赤血球が流れている。ただ、少しスパイク状になった赤血球が混じっていた。これは、毒素による変化なのだそうだ。最初、絵で、問題があるとこんなふうに赤血球が変化しますよ、という例を見たのだけれど、いぶかしんだ。でも、本当に変わっているのだね。わしの場合は、トゲが生えた赤血球が混じっているのである。
 自分を含めて3人が、ちゃんと赤血球の丸い形が出ていたのだが、他の人は赤血球がつながって連鎖状になっていた。もっと野菜をとった方がいいですよ、と説明されていたが、自分ではないのでちゃんと聞いていなかった。(笑) なかには、赤血球が隙間なく固まってまったく流れのない、なんじゃこりゃな人もいた。どろどろ血である。
 わしのスパイク状になった赤血球はアキャンソエイト(だと思った)というらしい。エヘン虫かもしれないという話しもある。(爆)(嘘) 毒素による変化というが、具体的に毒素というのは何のことなのかまでは聞けなかった。もし、クレアチニンや尿素窒素だとしたら透析患者的には仕方がない。血液というのは、その人の食生活はもちろん、意識の持ち方で一瞬で変わってしまうらしい。たとえば、怒るとパッと酸性になるとかね。
 自分の解釈だが、ストレスなんだろうと思う。<アキャンソエイト ストレスを起こさせる外側の原因がどうのこうのではなく――同じ状態にあってもそれをストレスと感じる人と感じない人といる。敏感なのか鈍感なのかではなく、外側のことを自分自身がどのようにとらえているのか、が問題だ。
 コーヒーやお酒の飲み過ぎだとか、肝臓が弱ってますね、とか、便秘ぎみですね、とかいろいろ分かるという。普通の血液検査と違う見方が出来て面白いので、機会があればやってみてはいかがでしょうか。


2002年06月18日(火) W杯。負けと勝ち。

 日本が負けて、韓国が強豪イタリアにまさかの勝利。
 感想はふたつに分かれるようで――ひとつは、日本は頑張った、決勝トーナメントまで行ったのだからそれで善し、韓国はすごい、というものと、なんでトルシエはあんな布陣をひいたのか、あんな選手交代をしたのかという不満、それに韓国(サポーター)うざい、という人だ。
 のめり込んでいると――まさにのめり込んでいるのでバランスが悪い。片方の足に全体重をかけているのと同じで、失った(負けた)瞬間に力んでいた方の足元が崩れてぶっ倒れる。そういう危ないことはしないけれども、やっぱり負けたのは残念です。
 感想としては前者の方が健康的でありましょう。後者の気持ちも分かるけどね。ま、別に他人は関係ありません。明日からも、何事もなかったかのように何も想わず、普通に生活していけるのがいちばんかな。


2002年06月17日(月) 洒落にならんぞ……。

 今年、それまで保険が適用されていた透析中の食事が、保険適用外になり、患者は実費で支払うことになった。透析をしているものにとっては、食事管理は重要な医療である――という趣旨で腎友会は反対しているが、月数千円程度の負担増など吹っ飛んでしまう情報があった。
 来年から医療費の3割負担という話しがあるという。本当なら大変なことだ。週三回透析をしているとすると、月約12万円の負担になる。支払える人もいるかもしれないが、おれには無理だ。透析が出来なかったら命に関わる。昔――透析に保険が適用されなかった頃は、費用を全額患者が負担していた。月に40万円程度、年間500万円弱。
 当然、透析が出来ないものが出てくる。金の切れ目が命の切れ目と言われた時代もあった。そういう時代に逆行しようとしている。
 これは洒落にならない。
 医療費が支払えなければ、透析が出来ず――ということは死ぬことになる。大げさでも何でもなく、腎機能がゼロから数パーセントしかない透析患者が透析抜きに生き続けるのは無理なのだ。腎移植という手もあるが、移植の希望を出しても10年待ってやっと受けられるかどうかという確率では実際性はないに等しい。
 厚生労働省は何を考えているのだろう? 透析患者は全国で20万人いるという。財政が逼迫しているのは分かるが、命に関わる施策の見直し――改悪は困る。もしかすると、なにひとつ透析の実情を知らずに机の上で計算して、じゃあやりましょうなんて簡単に決めようとしているのかもしれないし……もっとうがってみるなら、3割負担にすることで何人死に、どれくらい医療費を節約できるのか計算した上で施行しようと画策しているのかもしれない。
 そのような疑念を抱かざるを得ないようなことをしているからね、やつらは。もし、前者ならただの馬鹿だしなぁ。大丈夫なのか、厚生労働省。ってゆーか、日本。
 来年の今頃、おれは生きているだろうか?


2002年06月16日(日) 総会って……。

 腎友会の定期総会。地元開催なので、役をもらったんだけどさぼった。(爆)
 いや、さぼる気はなかったのですよ。
 集合が8時半だったのですが、目が覚めたら9時を過ぎていたんですね。すぐに出かけましたよ。会場に着いたら10時半でして。遅れまして申し訳ありません……とか、幹部に言えば良かったんですが、寝不足で頭が痛くて……。
 いや、いいわけなんですけどね。(^^;;

 でもねえ、定期総会。休みに朝も早くから病人を県全土から集めて、渡された資料を端から端まで読むだけってなんなんでしょーか。結局、座っていただけなんですが――帰ってから、いままでにないような異様な疲れ方をしたのは何故なんだろう。午後の部は、もー耐えられなかったので会場の外のソファーで寝そべってましたけどね。みんな、よく我慢して座ってられるな。
 議員に対するアピールという意味は分かる。招待された市、県、国会議員の――ほとんど代理でしたが、彼らに透析をすることの意味を理解してもらうには絶好の機会でありましょう。
 しかし、彼らは紹介されて言いたいことをいった後は、とっとと帰ってしまいました。昼食、休憩の時は、食事のためにとってあるはずだった会議室が取れていなかったという不手際もありました。おそらくは、以前から年一回そのような場を設けているから、という理由だけで同じことを繰り返しているのでしょうけどね。
 大きな組織にはありがちなのかもしれませんが、はっきりいって、もう腐ってますね。やるならやるで、やり方を変えなくては。総会の意義を頭で理解できても、こんなやり方では会員が参加したがらなくて当然ですね。来年は、別の市でやるらしいけれども、今回のような会なら参加しない。

 もうひとつ分かったのは、議員というのは、ああしてくれこうしてくれという当事者のことを理解しているわけでは決してなく、ただ、自分に票を入れてくれる人が何か言っているから、そのように動いてみましょう、というだけなんだな、と。
 おそらく、あらゆるところから誓願が届くのでしょう。それらについて、すべての意味を把握することは難しいかもしれない。しかし、意味を理解せずに、必死に県なり国の議会で意見を主張していけるかというのは……かなり、あやしい。


2002年06月12日(水) ちょっと水差し。

 野球やその他のスポーツは、たいてい国内でのことだし、そうでなくても――たとえばオリンピックの場合は、各種その他競技のなかのひとつなので、ある競技で負けても他で勝てばいいのでサッカーほど騒がれない。
 ワールドカップはサッカーだけ(当たり前だけど)だから、他に目の移りようがないし、国の代表が勝ち負けを争うのだから、ナショナリズムに火がついてもおかしくない。
 日本がロシアに勝ったのはいいが、負けた方は暴動が起きて死者まで出る始末だ。「死者」が出ているのである。
 そんなことはどうでもいい?
 日本でも、一部のファンが夜中どころか朝方まで騒ぎまくった。どれほどの人に迷惑をかけたろう。仕事を休んで応援に行った人たちもいるらしいが……まあ、その程度の仕事しかしていないのだね。仕事より、応援の方が大事なんだから。
 勝ってそんなに嬉しいのなら、負けたらどんなに悔しいのか、ということもある。サッカーに限らず、プロ野球のどこそこのチームのファンで、勝った日は気分が良くて、負けた日はへこんでいるのだとしたら、いったい自分はどこにあるのだろう。自分の人生に何の責任も持ってくれない他人の頑張り――というか、結果次第で元気になったり落ち込んだりするのは馬鹿げている。
 熱中して、いまはいいけれども、終わったらどうするのだろう? 何かにはまらなければ生きてゆけないのだとしたら、サッカーが終われば、次を探し回ることになる。それはマスコミが与えてくれるかもしれないが、いちいち食いついて、お金を使い、時間を使い、エネルギーを使い……そういう人生でいいんでしょうか。
 なんだかよく分からないままに、他者に焚きつけられて右へ左へ動き回っているだけではないのでしょうか。それで「自分を生きた」といえるのでしょうか。そのような一生を送ったとして、その人に根元的にどのような進歩があったのでしょうか。他者を中心として自分を成そうとしても、不自由なだけではないでしょうか。
 本当にサッカーが好きならいいし、開催中楽しめばいいんだけどね。ほどほどにしておきたい。
 大切なことは派手でも格好良いわけでも衝撃的に突如やってくるものでもなく、目の前の珍しくも何ともない地味な繰り返し――だからこそ、こんなものと無視してしまいがちな当たり前のことにあるのではないか。ただ楽しければいいのだ、という人はそれでいいけどさ。その人の人生なんだから。


2002年06月08日(土) 最近気になること

ベッカムのとさか。(爆)


2002年06月06日(木) ドメイン。恋愛2。

 なんとなーく、ホームページを見ていて、反射的に自分の名前(本名の方)のドメイン(.org)をとってしまった。うおー散財散財。(爆)
 サーバは決めてないけど、さて、何をしようかな。

「恋愛してないの? かわいそー」
 だって。あのにゃー、それはしていない人がどうのこうのではなく、かわいそうという人の中に、そういうこだわりがあるのだよ。だから、自分が恋愛できないと、何か劣っているかのように思ってへこむのだね。そして他人をも恋愛という視点で裁き、とやかく言い出す。
 勝手にしてちょ。(^^;
 ドラマもバラエティも雑誌も小説もインターネットも、エンターテイメントは恋愛漬けだ。世の中にはもっと大事なことが山ほどあるだろうに、簡単にマスメディアの煽りに乗って恋愛に奔走しているかのようだ。
 そんなもん、ほおっておけよ。別にたいしたことじゃあない。世間も他人も関係なく、自分を中真にしたとき――世界に人間は自分ただひとりで、あとはロボットだと思ってみたとき、さて、なにをしたいんだ?
 もちろん、恋愛したっていいんだけどさ。要は、周りに乗せられて不本意なことをしていないか、ホントにそれって自分の本心でやっていることなのか、ということだと思う。どーも、出会い系は、本心ではないと気が付いたのでやめた。自分ではなくお金が中心になっていた。


2002年06月03日(月) 我慢と耐える?

 我慢と耐えることは違う、ってゆーか、ストレスなのか痛みなのか、ってことだよね。
 ごっちゃにしてはいかん。
 ストレスなどいらないが、成長するのに痛みは伴うのだ。


2002年06月02日(日) 会合。既成概念。

 12時、腎友会の会合へ。長くても2時間くらいで終わるかな、と思っていたがとんでもない。終わったのは4時半だった。たまらん。もうゆるして、って感じ。しかも、定期総会で設営や案内という役を仰せつかってしまった。8時半に集合、というのが一番つらいかもしれない。みんな、どこが痛いあそこが痛いといって拒否するんだもんなぁ。おっさんばっかの中で、唯一若いと言える幹事なのだから、役は仕方がない。
 しかし、そういうことをしたくないばかりに、体が調子が悪い方がいいと無意識のうちに思ってしまうのは危ないね。面倒だし冗談じゃないとも思うが、そう思っていたらよけいに辛いので、やることはやるさ、というように切り替えていくしかない。

 既成概念。そういうもの、そうであるのがいいという概念は、本当に強固であり、理解とか自由とかシミュレーションと言っても、「そうはいっても……だってねぇ?」としか返ってこないのはうんざりする。
 既成概念に染まっていて、そうではないもの(道)について理解しようなんて気はさらさらないのだな。その道は不自由なのだと分かっていても、その不自由の中から、いかに自分だけ良いものを勝ち取るか、もしくはかすめとれるか、ということに全力を費やしている姿が見える。なにしてんだか。


2002年06月01日(土) 心霊現象!?

 深夜2時、突然部屋の引き戸がガタガタ言いだした。
 し、ししししししし心霊現象!? と思って固まったのだけれど、扉が10センチほどあいたところで、下からにゃんこが顔を出して、にゃあと鳴くのである。
 ……にゃんこ、くすぐりの刑。

 おかまほられた。
 軽自動車からカップルが出てきて、すみませんすみません謝り続ける。ちょびっと傷になっていたけれども、まあいいかと思って、名前も聞かずに帰した。お話に夢中になっていたのかね。

 どういう具合か、ここ数ヶ月止まっていた話しが一気に動き出して、忙しいったらありゃしない。ふたり欲しいなっ、おれ。(笑)


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