Mother (介護日記)
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今日は仕事の終わった後で、お寺に新盆用の法名をいただきに行って来た。
お寺は、勤務先の銀行から徒歩10分のところにあるのだが、 朝の通勤に始まり、5時間の勤務中ずっと歩きっ放しの私にとっては、 帰る方向とは逆に10分歩くことは、かなりキツイ。
今日は雨だったので革のスニーカーにしたのだけれど、これが失敗だった。 靴下をはかずにストッキングだけでスニーカーを履いたら、靴ずれができてしまったのだ。
カットバンを貼ったら、仕事用のパンプスを履く分には痛くなかったが、 やっぱり革のスニーカーはダメだった。 痛い足を引きづりながら、お寺へと向かった。
本堂へ上がろうとしてスニーカーを脱いだところ、 戸に鍵がかかっていたので住宅用の玄関にまわらなくてはならなかった。 今日に限ってヒモ靴・・・
そこへ、気配を感じた住職の奥さんが法名を持って出て来たので、 私は片足だけスニーカーに突っ込んだまま、それをいただくことになってしまった。
お布施について葬儀屋さんに聞いたところ、 通常は新盆用の戒名(法名)は無料なのだが、 うちは檀家ではないので、3千円ぐらい包めば良いだろうとのアドバイスだったので、 言われた通り、封筒に「上 ○○家」と書いて持参した。 奥さんは「いただかなくて良いと思います」と戸惑っていたが、 まさか持ち帰るわけにもいかずに預けてきた。
今日は降ったりやんだりのお天気だったが、 帰り道、信号待ちをしていて、空の明るさにふと振り返って見ると、 大きな虹がかかっていた。 とてもキレイだった。 しかも、良く見ると、その上にもうっすらともうひとつの虹がかかっていた。 2重の虹は、初めて見た。 なんだか、良いことがありそうだ。
思わず、子供のように傘をクルクルッと回してみた。 携帯で写真を撮ってみた。
今日は姉と会う約束になっていた。 たまにはランチでもしながら近況報告を、と。
それに、新盆の提灯を買ってもらうことになっていた。
しかし、昨日葬儀屋さんが来なければ、 提灯は13日にまでに準備しようと考えていたので、あやうく間に合わなくなるところだった。
義姉の住む街まで電車で行き、駅から徒歩で10分ぐらいの仏具屋さんに入った。
お盆の直前とあって、入り口近くにたくさんの提灯がつる下がっていた。
地域によっては、 新盆には白無地の提灯を使い、お寺に納めるというところもあるらしいが、 うちは3年間使うことを考えて、白地に柄入りのものを選んだ。
いっしょに、ワラで作った牛馬も買った。 これは仏壇に飾る。 母がなすとキュウリに割り箸を刺して作っていたが、すぐにしおれてしまうので、 ワラのものがあるらしい。
店内を一回りし、仏壇や仏具も見てみた。
うちには今、仏壇がなく、 母が使っていたベッド用テーブルに布を掛けてコーナーを設け、 仏具は趣味で集めた雑貨で代用しているのだが、買った方が良いだろうかと迷っている。
小さいものは3万円からあるのだけど、 逆にこれではご本尊と位牌を置いたらいっぱいという感じがする。
今は、45×100の広さがあるので、 頂き物の缶詰やぬいぐるみ、茶香炉、2枚入りの写真立て等が並んでいるのだが。
仏壇を買うと、これまた開眼供養なるお経が必要となる。
それなら、ご本尊だけ買って仏壇を買わないと言うのはどうだろうか。
仏壇と言うのは、あのような箱でなくてはいけないのだろうか。
仏具屋さんは『私たちに家があるように、仏壇は仏様の家だから』と言っていたが。
結局は「肝心なのは気持ちだから」ということになり、 当分は今のまま、母のテーブルを使うことにした。
2003年07月28日(月) |
水棚と書いて「こしかけ」と読む |
散らかった机周りの整理をしていたら、 葬儀屋から郵送されてきた新盆用のパンフレットも混じっていた。 良く読まずにしまい込んでしまったのだ・・・
それには「水棚」を「こしかけ」と読むことや、8月1日から1ヶ月飾ることなど、 昨日説明を受けたことが書かれていた。
明日は、義姉に会うことになっている。
電話で待ち合わせの時間を決めるついでに、水棚を1ヶ月飾ることを話すと驚いていた。 冠婚葬祭は、地域によってかなり違うことが良くわかる。
夜、お寺から電話があって、水棚用のお札(法名)ができたので、明日以降、 電話をしてから取りに来るようにとのことだった。
また、位牌の入魂については、改めて日取りを決めて連絡することになった。 こちらのお布施は3万円だそうだ。
さらに、新盆のお経をあげに来ていただくと・・・
今朝は母の夢を見た。
ベッドに寝ている母の耳元で私は「退院するからね」と言っていた。
他に誰か男の人らしきがいて会話があったようだったけど、 ケータイの目覚ましの音に目覚めた瞬間に忘れてしまった。
葬儀屋さんから電話があって、 新盆にあたり、8月1日から1ヶ月間、玄関先に作る水棚について説明に来ると言う。 私が洗濯に追われている時だった。
“説明”と聞いていたのに、結局説明の後、その場で水棚を設置することになった。 これは葬儀屋さんの“営業”なのだろうか・・・ 車にはたくさんの道具が積まれていた。
義姉からは 『仏前にもう1つのお膳を作ってお供え物をする』 とは聞いていたが、 玄関の軒先にそういったものを設置することは聞いていなかったような気がする。 それも、1ヶ月間。 もっとも、地域によっても違うらしいので一概には言えないが。
散らかった玄関先に、元々あったブロックと葬儀屋さんが用意した木材を使って、 わずか10分ほどでできあがった。
これに、お寺で法名(戒名)を書いてもらった紙を貼り、 お花・水・お茶・ご飯・果物などをお供えし、線香もここで焚くものらしい。
水棚 6000円。 茶器セット 1600円なり。 飾り方の説明書き付き。 現金持っていて良かった(^_^;)
法名を書いていただくように、お寺に電話をした。 29日以降に電話をしてから取りに来るようにとのことだった。
うちは檀家ではないので、このお札をいただくのに 3000円。
いろいろとお金がかかるものだ。
義祖母が入院したとの連絡があった。
私の祖父の後妻であり、血縁関係にはないが、数年に1度会うとお小遣いをもらっていた。
痴呆のため、徘徊や不潔行為などで同居困難となり、老人ホームに入ったと聞いていた。
以前、白内障の手術をしたが、それ以外に特別病気などはなかったが、 今回はどうしたことだろう。 長い梅雨が体に障ったのだろうか? 90近くなれば、老衰という表現も当てはまるかも知れない。
母の死から3ヶ月。 はるかな昔のような出来事にも思える。
そんな中で、私は未だに介護を続けている人たちのことを忘れかけていた。 “私はもう終わったのだ” と。 だから最近は、介護のページをあまりめくらなくなった。 いや、本当のところは、 切々とつづられた介護者の文章を読んでフラッシュバックするのがこわいのかも知れない。
“私は親孝行をしたので悔いはありません” と思っていたいのだ。
しかし実際には、いろんな苦悩や葛藤があったわけで、 自分の日記にしても、誰かの文章を読むことによっても、 それを思い出したり、してあげれば良かったことを思い付いたりするのがこわいのだ。
その点、アルバムは良い。 “母のために”楽しい思い出だけを残してあげるつもりで作ったアルバムは、 今は、私の一番の自己満足となっている。
そこには、母を怒鳴っている私の姿はない。 母は、どの写真でも楽しそうに笑っているのだ。
義祖母の体調はあまりよろしくない様子で、“いつ何があっても” との話しであった。 万一の時には、もちろん葬儀に参加しなくてはならないのだが、 不謹慎と知りつつ言うならば、葬儀のリプレイは私にはまだ早過ぎる・・・
今日は義姉から電話があった。
新盆を迎えるので、その準備について等、30分くらい話した。
お盆の入りには、玄関で『お迎え火』を焚くしきたりがある。 仏様が “道に迷わないように” “うちはここですよ” と言う意味があるのだそうだ。
私も父の死後、母に教えられて割り箸を燃やしたものだった。
そして仏前にはちょうちんを飾り、 キュウリやナスに割り箸を刺して作った馬や、果物などをお供えしていた。
来月、母の新盆がやって来る。
今時は、キュウリやナスに割り箸を刺さなくても、 その時期になると、ワラで作った馬が、お供えとセットで売っているらしい。
義姉から意外な話しが聞けた。
「お盆には、よく “仏様が帰って来る” と言うけど、本当なのよ。 うちのお父さんの新盆の時にね、お父さんを見たもの。
玄関のチャイムが 「ピンポン」 って鳴ったからね、玄関に行ってみたら、 そこにちゃんと、お父さんが背広を着てね、上着を手に持って立っていたの。
脚がどうだったかは見てないんだけど。
『あら、お父さん、入って』 って言ったらね、 どういう風にだったか、いつの間にか茶の間に座っててね。
で、いつのまにか、いなくなっちゃったんだけどね。
その話をしたら、弟も見たって言うの。 『うちにも来たよ、テーブルの前に座ってた』 って。
私がお父さんを見たのは、それっきりで、その後はないんだけど。
でも、ホントに帰って来たの。『帰って来た』 って言うのも変なんだけどね。
だから、お迎え火は必ず焚かなきゃダメよ、目印になるんだから。」
もしかしたら、母に会えるチャンス。
父も一緒に来れたらいいのに。
母はその時、笑っているだろうか・・・
月遅れのお盆の入り(迎え火)は、8月13日。
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