Mother (介護日記)
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2003年08月31日(日) 遺品の寄付

もう1ヶ月以上も前、老人会の踊りの先生から電話があって、
「老人会でおそろいで作った浴衣と着物を、寄付して欲しい」と言われていた。

それを聞いていた絹江が、「嫌だ」 と言ったのには驚いた。
絹江に言われてみれば、二つ返事をした私も軽率だった。

その後、その浴衣と着物を探すこともせずに日が過ぎていったが、
昨日の朝、とうとう催促の電話が来てしまった。
10月に発表会が迫って来たからだ。

「娘が嫌だと言うものですから、お貸しするということでも良いでしょうか?」

踊りの先生は意外な言葉に驚いたようで、
「はぁ・・・これまでみなさん寄付していただいてたものですから・・・
 でも娘さんがそういうことでしたら結構ですよ。
 発表会が終わったらお返しいたしますので・・・」



電話を切った後、絹江に意志の確認をしてみると、
今回はあっさり「いいよ」と寄付に同意した。

私も絹江の言葉によって自分の気持ちも割り切れ、寄付することにした。


ところが、当の浴衣と着物がどこにあるやら・・・


一昨年の8月、母のアパートを引き上げた時には大量の衣服を処分したが、
老人会で使った着物については、母が『たとう紙』にメモをしていたので、
処分せずに持って来たはずだった。


昨日は叔母が来ていたこともあって、探すのを一旦中断したが、
夕方になって、押入れの天袋の衣装ケースの中から無事に見つかった。


発表会の様子をビデオを誰かにダビングしてもらって、
いつぞや、母がうちに見せに持って来たと思う。
鮮やかな水色の無地の着物は印象的だった。
確か、そのビデオも保管してあるはずだ。 探してみよう。


以前、その踊りの発表会を前に、母のアパートにお友達が集まり練習をしようとしたが、
「カセットテープの音が鳴らない」ということで、私は電話で呼び出された。

電話で説明しても理解できるはずもなく、仕方なくアパートへ出向くと、
なんのことはない、一時停止ボタンを押したままだったとか、
電池の向きが逆だったとか、コンセントが抜けていたとかで、
まだ若かった私は、ずいぶんイライラしたものだったが、
お年寄りたちは大笑いをしてから私にお礼を言った。
みんなおおらかだったな。



衣装ケースごと、踊りの先生のところに持ち込んで引き渡した。


2003年08月30日(土) 新盆も終わり

この地域の新盆も、今日が最後。

市内の叔母は葬儀後、まだうちに来ていなかったので、
今日のレフティーの休みに送り迎えをすることになった。

散らかった部屋を、とりあえずお体裁整えて、お昼前に到着。

しばらくは、母のアルバムを見て。

近所の定食屋でお昼を一緒に食べて。

また送って行って。



今夜は、
市の施設で“新盆用戒名等のお炊き上げ=精霊送り”の行事が行われることになっていたので
夕方行ってはみたものの、まだ時間が早いらしくて誰も居ないので、
短気で眠いレフティーの即決で帰宅した。

市役所に電話してみると、行事は「市の仏教会」の主催であり、
檀家には、各菩提寺から連絡が行くことであって、一般の人についてはわからない、と。
だから市の広報や地元新聞には詳細は載せていないと言う。

この度の、新盆用戒名については、
葬儀でお世話になったお寺にお願いをして書いていただいたのだけれど、
市の施設に来るのは、市の職員の話では他の宗派の住職であるらしく、
檀家でもなく宗派も違ううちが、果たしてお炊き上げをお願いできるものかどうか・・・

叔母の話しでは、2,3千円を包んで持参するとのことだったが、
私は、玄関の水棚からはずした母の新盆用戒名をどうすれば良いのかと迷っていた。

結局、義姉に電話をして事情を話し、
自宅の玄関先で送り火しながら、戒名とワラの馬と牛をお炊き上げすることになった。

葬儀屋が言うように、今後3年間、玄関に水棚を造って1ヶ月間もおまつりするのは、
他の地域と比較しても負担になるであろうとの判断だった。
正式な檀家でない我が家が、毎年、お寺に水棚用戒名を書いていただくことも、
はたまた、それをお炊き上げしていただくことも気を使うことである。

そこで、玄関先で送り火をした時のように、馬と牛と戒名を燃やすことになった。

線香で火をつけようと思ったものの、戒名の和紙も牛馬のワラも、なかなか燃えてはくれない。
ジリジリと、ゆっくりと、煙だけが勢い良く出て、くすぶるように燃えていた。

その傍らでは線香を焚き、茶香炉では緑茶を焚いた。

母には、結局、会えず仕舞いだった。



実は、先日、母が夢に出て来た。

母は、何もしゃべらなかった。

私は、久し振りに母の施設?を訪れた設定であり、
私は、道で母にすれ違うのだが(痴呆で)気付いてもらえず、
泣きながら施設に向かって歩いている、という夢だった。

実際には、母は亡くなる直前まで私のことを娘として認識しており、
そのような哀しみを味わうことはなかったのだが、この夢はどうしたことか。

この夢については、当初は書く気になれなかった。
やっと見た夢が、こんな切ないものでは・・・と戸惑いがあった。


2003年08月21日(木) 仏壇、どうしよう

最近は『現代仏壇』と呼ばれる家具調の物が出ており、
洋間にも違和感のないシャレたデザインとなっている。

仏壇と言うのは数代にも渡って何十年も引き継ぐものだから、
しっかりした造りで高品質な素材を使用しているため、非常に高価。

長男の嫁としては『質素に』仏壇のことは特別考えていなかったのだが、
先日、レフティーと仏具屋さんにお線香と洗える香炉灰を買いに言った時に見た物は、
今までのものとはまったく異なり、私の興味を誘った。
積み重ねの据置式で、下は収納庫になっている。

「これなら欲しいな」 と思って値段を聞けば・・・50万円だって(-_-;)

位牌だけを入れるミニミニ仏壇もあったけれど、それでは・・・
花瓶と香炉と写真立てと果物をと思うと、それなりのスペースが欲しい。

まずは母の親兄弟の墓の永代供養が終わらないことには。

まごまごしていると一周忌がやってくるし、
同時に父の三十三回忌を行う予定なので、仏壇購入はしばらくは保留。


2003年08月13日(水) 盆の入りと通夜

このあたりの新盆は1ヶ月間なのだが、一般的には今日が『盆の入り』である。

義兄夫婦が来てくれることになっていた。

11時頃、「近所のスーパーにいるから」と電話が来て、
私が何も用意していないだろうお昼を見込んで、何か買って来てくれると言う。
情けないな、私も(笑)

仏前に供える果物もたくさんいただいた。

義兄夫婦が前回うちに来た時にはまだ四十九日前の祭壇だったので、
仏壇代わりのコーナーを見るのは、今日が初めてだった。

香炉代わりの急須と茶香炉、試験管の一輪挿し、
お猪口(ちょこ)の飯器と茶器、徳利(とっくり)の線香立て。(画像参照)

義姉には、先月末、提灯を買っていただいた時に概ね話してあったのだが、
2人とも特に形式にこだわる人ではなく、これで良いと言ってくれた。
ただ、「曼荼羅(巻物)だけはあった方が良いかも知れない」とのこだったので
また考えてみようと思う。
義姉は「私も茶香炉を買おうかな?」と言っていた。

また、玄関の水棚と、買っていただいた提灯も見てもらった。
義姉にかかってきた叔母からの電話では、
『葬儀屋に言われるまま、すべてをしなくても良いのでは』とのことだったらしい。
私自身も“できる範囲”で良いと思っている。

朝はご飯を炊かないので、お水とお茶と花瓶の水を交換して、お線香を上げて出勤。

夕方は、玄関外の提灯にろうそくを灯すのだが、普通のろうそくではなく、
セーフティーキャンドルという、アルミカップに入ったものに替えて使っている。
これだと倒れる心配がないし、4時間使える。

夜、ご飯を炊いたら最初によそって水棚と仏壇にあげる。
主食がご飯じゃない時には、焼きそばやうどんが乗っていたりする。
おかずも野菜が良いらしいが、たまに肉や魚もあげている。



  *  *  *  *  *



今日の地元紙に近所のおじいさんの訃報が載っていた。
今夜がお通夜だった。

私はかつて、子供を通してそこのお嫁さんと親しくしていた。


 * * *

母の葬儀は、GWの初日と言うこともあって新聞広告を出さなかった(出せなかった)が、
そのために「知らなかった」と会葬に来なかった(来れなかった)一部の人と
後に行き会った時に気まずい思いをしてしまった。
後から慌てて自宅に駆けつけてくれた人もあったし、
失礼な言い方かも知れないが、このようなご時世であるから、
『新聞に出なかったから知らなかった』で済ませたいだろう人もいるだろう。
葬儀は自分から連絡しにくいこと故、紙上での連絡は気がラクである。

そんなこともあったので私は、近隣や付き合いの程度を考慮して、
母の時に来なかった人であっても行くべきだと考えていたところだった。

 * * *


母と同じ斎場での通夜に私は緊張したが、
住職のお経を読む声があまりにも明るくかわいかった(としか表現しようがない)ので、
フラッシュバックもなく、記帳と焼香を済ますことができた。

うちがお世話になったご住職のお経の声は、とても低く厳かだったので、
あまりのギャップに不謹慎ながら驚いてしまった。


2003年08月09日(土) 入魂

通常は四十九日までに本位牌を作り、
白木の位牌から御霊を移す“入魂”を行うところであるが、
四十九日の法要を梅雨入り前に、と急いだこともあって、
本位牌の完成が法要に間に合わなかった。

その後、ご住職の「お盆の頃までに」とのお言葉があって、
今日まで白木の位牌と本位牌とをまつっていた。

いよいよお盆を迎えるにあたり、レフティーの休みに合わせ、
台風のさなか本日11時より“入魂”をしていただくことになった。
絹江はお寺に入るのは初めてだった。

20分ほどのお経と焼香のあと、
お茶をいただきながら、持参した母のアルバムを見ていただいた。


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