ヤグネットの毎日
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2003年01月31日(金) 消費税と涙

 朝の駅宣はJR長池駅。昔ながらの郵便ポストがあるような小さな駅。これが、逆に情緒豊かなのどかな雰囲気をかもしだしている。ここから22、5メートルの道路が姿形もないスタジアムにむけて建設されようとしている。1時間の乗降客が1万人を超すので、それに対応できる道路をつくるというのだ。
 しかし、スタジアム自身は事実上の建設中止。長池駅舎の改築計画も複線化のスケジュールもまったく白紙。それでも立派な道路だけがつくられようとしている。こんな無駄遣いを許しておいてよいのか?当面ただちに建設計画を凍結すべきだ。そして、長池駅周辺のまちづくりのあり方を住民参加で考え、そのなかで今後の進むべき道を住民合意で考えていくべきだろう。
 今朝もとびきりの寒さ。心無い人によって前夜にまかれた水が凍りつき、ステンと転ぶ人がおり、奥村議員と宣伝しながら、「そこ!あぶないで〜〜」と誘導役までやってしまった。

 午前中は、議員団会議。予算議会の開会が目前で議会対応などを中心に論議を深めた。
 午後からは、飯田かおる市議とともに挨拶まわり。飯田議員の地域は、碁盤の目のようなところに家が密集している。そこで、自転車で移動することに。刺すような冷たい風がふきつけるが、妙にすがすがしく気持ちよい。ふだん、自動車で移動しているから余計にそんな感覚を覚えたのかもしれない。ダイエットを兼ねて自転車を日常使うようにするのもよいかもしれない。

 訪問のなかで、工務店を経営されている方の奥さんから、心が痛むお話をお聞きした。
 消費税をなんとかしてほしいーーー新築の家をたてる場合、不動産業者はお客さんからちゃんと消費税分をとっているのに、工務店は必ず小さく赤い文字で「消費税込み」と書かれてある。最近では、お客さんの目も肥えてきているから、建築材料の質を落すことはできず、結局高い材料費などを使っている。ぜんぶ、消費税は身銭をきっている状態ですよ。家をたてても赤字覚悟で仕事しなあかん。このしくみをなんとかしてほしい。上のほうの人たち=ゼネコン、官僚、一部政治家にはがっぽりお金が入るのに、一番底辺で歯を食いしばっている工務店は、なぜ消費税まで身銭をきって負担しなあかんのか?絶対に応援するので、この不公平なしくみを変えてほしい。涙をうかべながらの訴えだった。
 ここにも悪政によって心をいためつけられている人がいる。僕は、「たいへん貴重なお話を聞かせていただきました。私は今日聞かせていただいたお話を心に刻んで○○さんの声を代弁して府議会でがんばります。」と力を込めて訴えさせていただいた。

 夕方は、若山市議と松永市議と宣伝カーにのり、街頭宣伝。昨日の夕方よりはだいぶましだけれど、寒さが身にしみる。でも、あの工務店の奥さんの涙が忘れられない。「不況を打開し、くらし応援する政治を」と同じフレーズでも、心をしっかりとこめて訴えた。
 
 
 


2003年01月30日(木) 寒風をついて


 予定候補者としての活動が本格的にはじまってから、毎日がめまぐるしく過ぎてゆき、きちんと日記をつけるのが中断してしまった。一生懸命穴をうめていこうとしていたが、それも大変なので、今日からたてなおして毎日つけていくことにしたい。

 28日朝は、JR城陽駅で7時からごどう辰文市議、若山のり子市議と後援会のみなさんとご一緒に宣伝。
この冬いちばんの寒さで、体の芯から冷え込む感じだ。京都市内からホームに入ってくる電車は屋根にこんもりと雪がつもっていたから、市内はふったようだ。2〜3人の方から握手を求められた。

 ついに息子が風邪でダウンした。その前は妻がインフルエンザ。妻がいったん学校にいって授業の段取りをつけて、戻ってくる間息子を僕が看て、11時前にバトンタッチ。お昼すぎまでごどう市議とともに宣伝。
 
午後は、結局、息子を看ていることになり、午後5時から6時30分まで、飯田市議と宣伝した。
 とくに、夕方は気温が冷え込み、強風がふきつけてきた。しゃべっているうちに唇が凍る感じ。
 寺田西地域で宣伝をしていたら、防寒具に身を包んだ夫婦がでてきて僕の演説をじっと聞いてくれていた。
 誰?と思ったら、大西前市長夫妻だった。さいごまで僕の演説を聞いてくれていた。最後に握手をさせていただいたら、本当にあったかい手であった。心まであたたかくなった。
家に帰ると、息子がすやすや寝ていた。知り合いのお父さんは、小さな子どもがいるのに、リストラにあって仕事がなく苦しんだ。そのときにどんな思いで子どもの寝顔をみたことだろう。その悔しさ、不安をわが心として僕はがんばりたい。
 
 


2003年01月18日(土) 労働者トランぺッタ−松平晃さんの応援うける

  
 18日は、午前中からお昼にかけて市内二箇所で街頭宣伝。先日も紹介した通り、ネットを通じて知り合った友人の紹介で、労働者トランぺッタ−の松平晃さんが、わざわざ神戸のメモリアルデーの演奏のあと、かけつけてくださった。
 宣伝カーの上から、いきなり演奏をはじめる松平さん。曲は、「北の国から」のテーマ。甘くてやわらかいメロディが駅前のマンションが林立する界隈に響き渡る。思わず僕は、涙あふれてしまった。
 なんというやさしい音色なんだろう。マンションから、窓を開けて聞き入る人。買い物帰りの足をとめて聞き入る人。100の言葉よりも人々の心をうち、とらえる。ーーー音楽のすばらしいところだ。
 二カ所目のスポットでは、また曲を変えて演奏を披露。車から手をふってくれるひとなど、反応は抜群だった。
 「私には投票権がありませんので、こういう形でしか応援できませんが、どうか矢口さんを押し上げて下さい」とやさしい語り口で訴えくださった松平さん、本当にありがとうございました。

 


2003年01月17日(金) 8年目の鎮魂

   この日から、先に発表した「深刻な不況から市民のくらしを守る3つの緊急要求」にもとづく対話と訪問活動をスタート。ある新興団地の入り口にある商店街は、そのほとんどがシャッターをおろしたまま。あるお店では、店主が長年の無理がたたり病気にかかり回復のきざしが見えないので、閉店するというはり紙がはってあった。沈うつな気持になる。今日は、阪神淡路大震災から8年目。愛する人を一瞬にして失ったたくさんの人々。生き延びた人の多くが、復興とはほどとおい現実のもとでもがき苦しんでいる。いまの僕にできることといえば、亡くなった人たちを鎮魂し、復興にむけて懸命に生きている人たちを応援し、冷たい復興対策しかとれていないこの国の政治の貧困さをただすことだろう。


2003年01月16日(木) 息子とのたわむれ

 最近、すっかり余裕がなくなってきて、息子とゆっくり遊ぶことができなくなっている。自分の気持の中でも焦りがあって、息子を保育園に迎えにいっても、早く家に帰らなくッちゃと、保育園で遊んであげることもできずにいた。昨日は、ひさしぶりにゆっくりとお風呂に入って、水鉄砲で遊んだりした。お風呂からあがってくると、スト−プの前にたって、髪の毛をたらして乾かしはじめた。いつも妻がやっているのを真似をしているのだ。
 いっぱい昨日は、だっこをしてあげた。夜布団の中で、僕の方にもぐりこんできて、首に手を回した。かわいらしさと申し訳ない気持で、ギュ−ッと抱きしめてあげた。

 いくら闘いをしていても、子どもには何の関係もないこと。平常心で向かいあえるようにしたい。


2003年01月15日(水) 熱き思いは時空をこえて

 朝は、近鉄富野荘駅で山本よし子市議とともに宣伝。山本市議が定期的にたって、粘り強く宣伝を続けているので、ビラの受け取りが格段によい。僕は、挨拶をする時にできるだけ相手の目を見て、短く声をかけるようにしている。少しでも印象に残ってもらえれば、との思いからだ。
 日中は、新しい演説原稿の作成などデスクワークにあてる。夜は地区党の会議。帰るとき、上大谷から東部のまちなみを見下ろす。素敵な夜景だ。城陽のまちの素敵なところを写真におさめて、サイトで紹介していきたいな、そんな思いにかられた。

 トランぺッタ−の松平晃さんが、神戸での阪神大震災の鎮魂イベントに17日参加する帰りにわざわざ18日、私の応援に宣伝カーから演奏と演説をしていただけることになった。
 松平さんは、NHKラジオのトーク番組にも三回にわたり出演するなど、いまやメジャーなアーティスト。
 共通の友人が紹介してくれたものだ。これも、インターネットの効果である。以下、松平さんご本人に送ってもらった、プロフィールを紹介しておく。


トランペット :松平 晃(まつだいら あきら)
  東京・品川生まれ。血液型O型、牡羊座。NEC・日本電気に働くかたわら、ラッパ片手に全国各地を吹き
歩いてきた “労働者トランペッター”。年間130〜180回の“人前演奏”をくり拡げている。
1987年、“川崎音楽賞コンクール”に“87新星”として出場、“聴衆賞” を受賞。
トランペットリサイタル5回開催。ライブLP、テープ、CD制作。
ニューヨーク(1988年)、スイス、パリメーデー(1990年)、ハンガリー(1994年)、ソウル・光州(2000年)各地でも演奏。
1996年、初のエッセイ集『ラッパ一丁吹きある記』(ルック)を出版。
2002年、音楽センターよりCD『松平晃トランペットリサイタルVol5』をリリース。
同年、NHKラジオのトーク番組へ3回にわたり出演。その話しぶりから伝わる人柄に新しいファンも増えている。昨年2.002年は221回の人前演奏を記録した。

 


 選挙本番はもちろん、事前も含めて、僕のサイトをみて応援してくれる人に率直に協力をよびかけようと考えている。茨城の知りあいが、いろいろと貴重なアドバイスをしてくれている。本当にありがたいことで、画面をみつめて涙ぐんでしまう。熱い思いは、何ごとであれ時空を超えるのだ。
 いま、ネット作戦を検討中だ。たとえば、京都に観光にくることを兼ねて現地にきてもらって、チラシのポストインをお願いする。僕のサイトをひんぱんに訪ねてもらって、応援のカキコをする、などなど。
 
 





2003年01月14日(火) 成人式と前進座観劇

 午後から、文化パルクで行われた成人式に出席。それに先立って会場入り口で「日本共産党とともに日本をかえるネットワーク」のみなさんとともに、宣伝とアンケートに取り組んだ。
 ぼくは、「一度きりしかない人生を、自らの可能性を信じて大きく花開かせるためにも、仲間を大切に、若い人たちにつめたい政治のしくみや社会のありかたをともに考え、変えていきましょう。若いみなさんを応援する政治をつくるために、全力を尽くします」と訴えさせていただいた。

 成人式がおわりしだい、京都市南座で開かれた党府後援会主催の「前進座新春公演」に参加。冒頭にいっせい地方選挙の予定候補者が花道にずらりと並んで紹介された。城陽からも何人も後援会の方が参加していた。
 
 前進座は今回、現代劇を見みせてくれた。五木寛之さん原作、プロデュースの「旅の終わりに」。70年代のなつかしいヒット曲にあわせて、笑いと涙を感動的にかたりつくす日本人の大衆歌謡劇だ。五木さん自身も書いている通り、文字どおり「お涙頂戴」の劇である。
いいではないか。人との出会い、別れ、愛と死に涙を流すことがめっきりすくなくなりつつあるいまの時代だ。ぼくも思いきり泣いた。人の心のひだをわかることができる人間でありたいと思うから。

 異郷の地で、ひとりくらす母親に電話一本かけられず、仕送りも不定期な親不孝をわびながら、次々とうつる舞台にひきこまれていった。銀行員を途中でリタイヤし、借金返しがままならず、職を転々とし、いまでもなんとかコンサルタントの代表の肩書きで一獲千金を夢みている、馬鹿な親父の姿。許せないとおもいながら、涙でくしゃくしゃになりながら劇中の曲に心がかきむしられた。
 演歌は援歌であり、艶歌なのだ。自分が日本人だということを実感した。
 


2003年01月13日(月) 左義長と後援会のつどい

 午前中は、地元久世小学校校区の「左義長」(どんど焼き)があって、息子をつれていってきた。地元自治会や子ども会、PTAや学校も協力して、盛大に行われた。小学校のグランドでは、正月の書き初めなどが、竹組の間から風にゆられる。点火されるといっせいに大きな炎が。こんなに大きく炎があがるとは思わなかった、僕自身はじめてみたのだ。息子も大興奮だった。
午後からは、城陽市の日本共産党後援会の新春のつどい。160人を超す方がたが参加して盛大に行われた。第1部は、今春のいっせい地方選挙にむけての政治プログラム。栄後援会長のあいさつに始まり、桑原地区委員長の情勢報告。続いて、府会予定候補としての僕の紹介と後半戦の6人(第一次分)の紹介と奥村団長の決意表明。僕は、10日に発表した「不況からくらしと福祉を守る3つの緊急要求」の中身にそって、不況対策に全力をつくす決意を述べた。
 この日、大西前市長が応援にかけつけ演説をしてくれたことが、心からうれしかった。ご自分でパソコンを打って原稿も準備されてきており、期待の大きさを痛感。日本の経済や財政のあり方から地方自治体の今後など、大きな視点からのお話であり確信を深める内容だった。

 さいごは、西山とき子参院議員の演説。西山参議院議員がとくに力を入れて実現させた、「資金繰り支援保証制度」の紹介などは、当事者だけに説得力抜群。福祉分野だけではなく、経済問題で実績をあげる西山さん。頼もしい。僕の政治的な母親みたいな存在なので、かけつけてくれたことが本当にありがたかった。

 第2部は、後援会のだしもの。ぼくは、前日にも書いたように、「大きな古時計」と「千羽鶴」を歌わせてもらった。伴奏で参加してくれたKさんがいなかったら、たぶんうまく歌えなかったに違いない。ありがとうございました。Kさん。僕はそのあとの今池講演会の寸劇「水戸納豆」にも参加させてもらった。みんな迫真の演技で、拍手喝采だった。

 新春のつどいの成功を力に、選挙勝利にむけて猛ダッシュだ!


 


2003年01月12日(日) 情感を込めて歌い上げたい

 12日は城陽市の日本共産党後援会の新春のつどい。僕は、その第二部でギターの弾き語りをやらせてもらうことになっている。午前中は、その練習のためKさんの家で練習。曲目は、「大きな古時計」。それまでにあまり練習が出来ていなかったから、Kさんの足ひっぱりばかり。
 「大きな古時計」に加えて、野田淳子さんの「千羽鶴」も歌うことにした。

 練習がおわったあと、新婦人内後援会のみなさんにごあいさつ。そこで、「千羽鶴」を歌わせていただいた。新婦人のみなさんにとっては、一九七七年に横浜で起きた米軍機墜落事件は忘れることができない出来事。子を思う母親の気持ちをうたった、「千羽鶴」に涙を流す人も。
 明日も、情感を込めて歌い上げたい。


2003年01月11日(土) くらしを守る緊急要求を発表

 午前中は打ち合わせ会議。お昼は、いつもお世話になっている「八よし」さんで。先日、マスターのお母さんが亡くなられた。突然の話しでびっくりした。お母さまとお話ができなかったのが心残りだ。まだ葬儀から数日しかたっていないのに、お店を開いている。お商売人さんはお客さん相手の仕事は、本当にギリギリのところで歯を食いしばっているんだ。頭が下がる。

 午後からは、「長引く不況から市民のくらし・福祉を応援するための3つの緊急要求」を記者発表した。
12月5日の出馬表明いらい、業者さんをはじめ地域を歩いて思うことは、いまの不況が「度を超えている」ということだ。名の通った業者、会社が情け容赦なく倒産していく。おそらく、3月期決算にむけてこの事態はさらに広がっていくだろう。
 いま、政治がやるべきことは、不況で苦しむ市民や業者を全力で支援することである。その立場から、京都府や城陽市に対してただちに取り組むべき課題を3つの柱で示したものである。

 1、市民のくらしを守るため、医療や介護保険制度など住民負担の軽減を 

●医療制度の改悪に反対し3割負担導入を凍結することを国や京都府に働強力に働きかけるとともに、医療費の窓口負担の軽減へ、医療費の委任払い制度の確立を。
●国民健康保険料の値下げを。
●介護保険の見直しにあたっては、現行のまま保険料を据え置き、低所得者に対する保険料・利用料の減免制度を求めます。

 2、子どもの医療費無料化を小学校にあがるまで拡充を

●市民の願いにこたえて、現行の制度を所得制限などを設けずに、入院も通院も小学校にあがるまで無料に。

 3、中小企業つぶしの「不良債権早期処理」に反対し、中小企業こそ支援を

●城陽市内の中小零細業者の実態をよく調査し、金融機関等への申し入れを行うとともに、地域経済の担い手である中小企業の経営・くらしを守ること。
●地域経済の活性化をめざす「中小企業振興条例」の制定を。
●高齢者や障害者のバリアフリーの促進や中小建設業者の仕事確保にもつながる「住宅改修助成制度」の創設を。
●現行10万円のくらしの資金を20万円に増額を。

 僕は、市議団とも協力しながらこの緊急提案をもって、業者や金融機関、市民との対話を積極的にすすめ、「ともに声をあげていきましょう」とよびかけながら、そこでお聞きした声をもとに、政策化をはかっていくつもりだ。
 記者発表では、同時に、ホームページの紹介もさせていただいた。「パブリックコメント」を自分の活動のなかでも生かすように、緊急提案自身をホームページにアップして、具体的な声を寄せていただきながら、政策を練り上げていきたいと考えている。

 夜は、民主商工会の久津川地域の役員会であいさつ。その後、地元の党支部の会議へ参加させていただいた。
 
 くりかえしになるが、地域を歩くと「お題目」や決意だけでは、有権者の心に響いていかない。実現にむけての具体的なプランと「あなたと一緒に実現したい」とともに行動するよびかけこそが、いま必要になっていることを痛感している。


2003年01月10日(金) 市内へ会議。そしてギターの練習

 午前中は京都市内へ会議へ。普段よりずいぶんと暖かい日だった。車の暖房が鬱陶しいくらいだった。
 午後からは、翌日発表を予定している、不況打開の「3つの緊急要求」の文書の仕上げ作業。そして、12日の「新春のつどい」で演奏を予定している、「大きな古時計」のギターの弾き語りの練習。バンジョーと一緒に演奏するのだけれど、この間あまりギターを触っていなかったものだから、指が痛くていたくて。
 夜は、妻が会議のために、息子と留守番。


2003年01月09日(木) 民主商工会の役員会を訪ねる

 8日は、午前中から団会議。いっせい地方選挙に向けての政策や方針を論議。12日から、僕の押し出しを前面にした宣伝チラシの全戸配布が始まる。午後からは、その最終校正などにも力を入れた。
 夜は、民主商工会の新年の役員会が地域単位で開かれるので、御挨拶をかねて3つの会合を訪問させていただいた。

 僕は、今年が未年で、年男であることにちなんで、こくた恵二衆議院議員の今年のテーマとする言葉として、元日の「朝まで生テレビ」で示した「群翔」を紙に書いて示しながら、

 「汝は、弱き者たちなり。群れをなして、狼に立ち向かいないさい」という言葉のとおり、小泉政治のもとで痛めつけられている業者、国民の立場にたって、ともに政治を変えるためにスクラムをくんでたたかう年にしたい。
と訴えた。

 交流のなかでは、「巨大スタジアム」や「長池駅アクセス道路」についての党議員団の見解や、山砂利対策などで、具体的で厳しい意見が寄せられ、僕自身とても勉強になった。

 


2003年01月08日(水) 新春名刺交換会

 7日は恒例の城陽市新春名刺交換会。
 昨年と同規模か少し多めの参加。僕は、西さんと松永さん、ごどうさんに連れられて会場をぐるぐると回り、挨拶回り。昨年までやったことがなかったこと。暖房がききすぎて、汗だくになって歩き回った。狭い会場なので対立候補の他の二人とあちこちでぶつかった。

 夕方はひさしぶりに息子を保育園に迎え。
 お正月におじいちゃんのところに帰ってからというものの、心も体もひと回り大きくなったような感じ。たのもしい!


2003年01月07日(火) アームウォーマー

 6日は朝9時30分に議員団室に集まって、庁内の挨拶回り。その後、西、ごどう、若山各市会予定候補と宣伝カーにのって、市内一円を宣伝。この日も朝が冷え込み、宣伝カーで窓から手を出しているのがつらい。
 テレビで箱根駅伝の選手が「アームウォーマー」というひじを冷やさないアイテムを好んで使っていたことを放送していた。ああいうグッズが必須だね。
 青谷地域をまわっているとき、田園風景と遠くの山並みがあまりにきれいだったので、思わずパチリ。流れる雲が広がる世界を象徴するかのようで、すがすがしい。

 午後からは、選対の打ち合わせ。夜は、地区活動者会議。


2003年01月06日(月) 大雪のなかを城陽へ

 前日の気象予報が的中し、5日の朝は一面が雪景色だった。妻の実家の前を国道41号線が通っているが、雪が降り固まり、アイスバーン。このなかを走り抜けていくのには、相当勇気がいる。
 午前中に義父とともにチェーンをつけはじめたがうまく装着できず、あれこれとしているうちに出発が午後になってしまった。雪道の運転は妻のほうが慣れている(運転免許歴は僕の2倍以上)。中央道に入るまでずっと妻の運転で走る。なんと時速40キロの超ノロノロ運転。
 やっと中央道に入った頃は、とっぷりと暮れてしまっていた。内津峠でようやくチェーンを脱いだが、このときがまた一苦労だった。気温はマイナス。おまけに風もきつく雪が顔といい体といいはりついてくる感じ。
 僕と息子がトイレにいっている間に、妻が車をわずかに動かしてしまったものだから、チェーンが車輪にからむように挟まってしまい、さあ大変。ジャッキをつかって車体を上げて、車の下にまわってようやくはずす。思わず三人でガッツポーズ。まわりの人たちは、不思議な家族だと思ったに違いない。
 結局、家路についたのは午後九時前。新年会へのあいさつを欠席せざるを得なった。

 さあ、また明日からたたかいの毎日がはじまる。がんばるぞ!


2003年01月05日(日) 情勢の深いところでの変化

午前中、党地区委員会で中央旗びらきの様子を衛星中継で視聴。
何より確信を深めたのが、情勢の深いところでの変化を大きくつかむことだ。
 たとえば、平和をめぐる問題。アメリカのイラク攻撃への危険性は予断を許さないが、一昨年のアメリカのアフガン攻撃のときには心ならずも反対の声をあげられなかった中東、南アジアなどの国々を中心に、「武力攻撃反対」の声を次つぎとあげはじめていること。世界の流れは、決して日本のように「アメリカ一辺倒」では動いていない。日本政府の時代遅れで卑屈なアメリカへの従属意識の変革こそ必要であり、それは世界の大きな歴史の流れに合致したものであることに確信をもつ。

 もう一つは、国内の情勢だ。もはや自民党政治の枠内では、国民との間でいかんともしがたい、矛盾を広げるだけであること、日本共産党の改革路線が光り輝く時代になろうとしていることに確信をもった。
 小泉内閣が構造改革の名のもとに、日本の経済も国民の生活も壊滅的な打撃を与えることは、いまや多くの国民の目に明らかになりつつある。小泉流の構造改革とは、一言で言えば「弱肉強食の論理を徹頭徹尾おしすすめる」路線だ。この貫徹は、従来の自民党の支持基盤を掘り崩している。日本医師会など「4師会」による、医療改悪反対の緊急アピールや、全国町長会、町議長会が合同で「合併押しつけに反対」の決起集会を開こうとしている問題などがその典型だ。
 では、小泉流の構造改革の中身と言えば、従来の「ばらまき」型公共事業と企業ぐるみ、という保守基盤をおさえつつ、新しい多国籍業企業型の大企業体制へのてこ入れに躍起になっている。(1/3付「しんぶん赤旗」八面の二宮論文による)
 しかし、この多国籍企業型の大企業への支援を強める政治をすすめればすすめるほど、従来の保守基盤からの反発をくらい、従来の基盤そのものをいっそう掘り崩していく。どうしようもない悪循環に陥っていかざるをえない。いま、広がっている無党派層は、こうした保守勢力のなかでの「食い合い、潰しあい」に嫌気をさしている人がおおいに違いない。
 こうした人たちが、平和や福祉、環境、憲法守れの声を誰に遠慮もなく堂々と声をあげる日本共産党と共同できる、土壌、条件がおおいに広がってきている。
 問題は、こうした人たちに日本共産党の値うちや政策をどれだけ知ってもらえるかどうか、だ。
 この役割を担っているのが、僕たち議員、予定候補である。
 情勢の奥深いところでおきている変化を前向きに生かしていけるように、政治を党の値うちを大いに語っていきたい。

 旗びらきのあいさつを視聴後は、岐阜に妻と息子を迎えに出発。飛騨は雪が降って、雪化粧。明日はこの冬一番の寒波が押し寄せるとのこと。雪が心配だ。


2003年01月04日(土) ありがたいコーヒーの差し入れ

 3日は朝からどんよりとした曇り空。また雪が舞うかもしれない。
 7時から近鉄久津川駅で若山市会議員と新年初駅宣。さすがに人通りは少なかったが、駅前を通りかかった顔見知りの方が声をかけてくれた。
 その後、もういちど通りかかると車をとめて、コーヒーを差し入れしてくれた。あったかい缶コーヒー。かじかんだ手がすぐにあたたまった。本当にありがたい。

 10時からは、支持者や「しんぶん赤旗」読者のお宅を挨拶まわり。昨日に続いて、自治体後援会のお二人が同行してくれた。
 城陽団地は、坂が多く階段の昇り降りも激しい。とたんに息がきれた。
 途中からみぞれが降り出した。足をはやめる。結局、予定の半分も回れなかった。
 昼食を自治体後援会のみなさんととる。意見交換のなかでおもしろいアイディアもわいてきた。夕方は、宣伝カーで街頭演説。さっきまでみぞれだったのに、雨がザ−ッと落ちてきた。スーツがずぶぬれ。傘なんて役立たなかった。傘が小さいのか、体が大きすぎるのか。

 明日は、岐阜に妻と息子を迎えに帰る。城陽にもどるのは5日の夕方。


2003年01月03日(金) 寒風をついて、新春初宣伝


 2日は午前10時から、奥村議員団長とともに市内一円を新春初宣伝。奥村議員の地元支部の方が運転手を引き受け、記録係として自治体後援会のみなさんがお正月を返上で宣伝に同行してくれた。
 写真は、その自治体後援会の方から提供していただいたものだ。
 この日は、特別に寒い日だった。マイクを持つ手がかじかみ、強い寒風が肌をさす。市内八ケ所で宣伝。
 梅川酒店前では、わざわざ車を止めて聞いてくれた方、犬の散歩の足をとめて聞いてくれた人などもおり、激励をうけた。「こんなに冷たい手をして訴えていたのね」といって、ギュッと手を握りしめてくれた女性の方の手の温もりがありがたかった。
 午後からは、山本市会議員とともに宣伝。午前中に比べたら寒さはだいぶまし。それでも、夕方の風は冷たかった。たくさんの激励をうけた。そのお一人お一人の気持ちを胸に刻み、演説にしみこませたい。


2003年01月02日(木) 明るく、厳しく、夢をもって

新しい年に日付けが変わった時は、ちょうど息子におしっこをさせているときだった。息子ときたらおじいちゃんたちの家に戻るといろんなことに挑戦する。家では決してやらないのに、写真のとおり洗いものを手伝ったり。「ずっとおじいちゃんのところにいたい」と初日から言い出す始末だった。







 ついに新しい年の幕開けだ。激動の2003年。人生の勝負をかけた一年となる。

 
午後1時すぎに飛騨小坂の駅を出発。妻が駅まで車で送り、見送ってくれた。妻がいなければ、間違いなくいまの僕はいない。 いくら感謝しても足りないほどの協力してもらっている。
 電車は元日だというのに、満席で名古屋まで立ち通し。内田康夫の「中央構造帯」を読みはじめるが、電車にゆられっぱなしであまりページが進まなかった。
 京都は曇り空。これは、明日は雪が降るかもしれない。寒さと闘いながらの正月宣伝になるかもしれない。
 メールをひらくとたくさんのお便りをいただいていた。
 名前をここで書くわけにはいかないが、ある方から激励のメールも入っていた。
「明るく、厳しく、夢もって」と書かれてあった。本当にありがたい言葉も書き綴られていて、決意を新たにしたしだいだ。

 


2003年01月01日(水) 1年のしめくくりに思うこと

昨日と同じく時間がゆっくりと流れる。朝窓から差し込む日ざしのまぶしさと暖かさにえもいわれぬやすらぎをおぼえた。 一年をしめくくるには何とも穏やかすぎると思いながらも、明日から始まる激烈なたたかいの毎日を思えば、こんな日が続いてもいいなと思う。来年のキーワードは文字どおり、「闘い」である。苦しみ、希望ある明日を願う人達とともに、僕は闘う。


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