ヤグネットの毎日
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2002年12月31日(火) ゆったりと時間が

朝、九時前に息子の「おしっこ」の声でおこされる。妻がおきてきたのは、それからだいぶたってから。結局、この日は息子にビデオをつきあわされたり、テレビをみたり、ゆったりと時間がすぎた。掲示板に友人から書き込みがあった。来年はコミュニケーションのツールとして、掲示板を利用するようにしたい。


2002年12月30日(月) 岐阜へ帰省

帰省の準備がほとんどできておらず、朝から年賀状の印刷、メルマガ100号の発行に慌ただしく取り組む。結局出発したのは午後4時すぎ。妻と運転を交代しながら、と思っていたが途中から後ろの座席で眠りこけてしまった。9時前に着いて、ふと空を見上げるとオリオン座。星が降ってくるようだ。


2002年12月29日(日) 家の仕事も…

 12月5日に府議会議員選挙への挑戦を表明してから、生活が一変してしまった。
 時間におわれ、いろんなところでお話をさせていただく機会が飛躍的に増えてきた。一方で、家の仕事や息子と向きあう時間がうんと少なくなってしまった。「お父ちゃん、もっと遊んでよ」とせがむ息子に、「ごめんね」といいながら、家を飛び出す。
 この日も、ずっと作業ができずにいた年賀状の準備でうまくセットができず、イライラしているところに息子が「遊べ」とせがんできたことで、「ブチ切れ」てしまい、思いきり息子を怒鳴ってしまった。
 いつもながら、すぐに後悔。ごめんね、とぎゅっと抱きしめてあげたが、息子は泣きじゃくったままだった。

 29日から1日まで岐阜の妻の実家へ帰る。元旦は夕方から活動開始。
 年末年始の段取りでバタバタしながらこの日記も書いている。最後、メルマガ100号を発行してから出発しようと考えている。
 
 いろいろ一年をふりかえると書きたいことがあるけれど、あとでまとめて書かせていただきたい。


2002年12月28日(土) 不況打開のためにも政治の転換こそ

 
 27日は、朝から分刻みの動き。早朝は、JR城陽駅で通勤する市民のみなさんにハンドマイクで訴え。
 とくに政党助成金と政権へのすり寄りだけを目的とした保守新党の動きなどを批判し、野党第一党の幹部が選挙で有権者の審判もうけずに、連立与党入りするとは、何ごとか!こんなことが続くから国民の政治ばなりがますます助長されることともに、80年ひとすじに同じ党名でブレずに国民とともに歩んできた日本共産党が伸びてこそ、政治は変えられることを訴えた。雪まじりで手がかじかむ。
 午前中は、地元に住んでおられる方で、長く教育分野に携わられてきた方と教育問題などで意見を聞かせていただく。午後からは、京都府の宇治振興局と宇治、久御山の各議員団とともに交渉。細かいはなしははぶくが、城陽の山砂利問題で、無許可で採取をしていた業者に対して、法にもとづいて厳正な処分を行うことが表明された。そのあと、地区常任委員会。
 夜は、建築労働者のみなさんのお宅をあいさつ回り。その中で、新しく「しんぶん赤旗」の読者も増えた。
 「仕事がない」が共通の言葉。僕は、京田辺市などで抜群の効果を発揮している、「住宅改修助成制度」を京都府として実施するよう、先頭にたってがんばる決意を述べて、そのためにも「政治を変えよう」と心をこめて訴えさせていただいた。


2002年12月27日(金) 写真撮影と「たてこもり」事件

 
 26日は、午前中に京都府府政記者クラブの求めに応じて、記事やニュース用の写真撮影のため京都府庁へ。時間を読み間違えて、11時を過ぎてしまった。ところが、現地にいってはじめて知ったのだが、京都市内の信用金庫本店に、拳銃を持った男が立てこもり、カメラマンや記者が大挙してそちらに向かったため、何社かは撮影ができなくなってしまった。
 事件は、信用金庫と取り引きがあったものの犯行のようだが、人質までとり暴力に訴えて事の解決をはかろうとするのは、言語道断だ。
 同時に、この不況のもとで京都経済を支えている中小零細企業は、金融機関からの「貸し渋り、貸しはがし」によってとたんの苦しみを味わされていることも事実である。そんな深刻な不況の影響が犯行の背景にあることだけは、抑えておかなければならないだろう。

 午後は、乳幼児医療城陽ネットのみなさんが、城陽市長あてに「来年度予算で乳幼児医療費助成制度の拡充を盛り込んでください」という趣旨の要望書を提出されたあと、市内一円を宣伝される計画だったので、ご一緒させていただいた。
 イズミヤ、生協、アルプラザ前、そして地域に署名にはいったところでもそれぞれマイクで訴えた。途中からみぞれまじり。無茶さむかった。
 住民の声が議会と行政を動かした、画期的な到達である。大いに確信を持って今後も運動を続けていくことを事務局のみなさんは、口々に語ってくれていた。
 今年もあますところ、わずか。年賀状やら大掃除やらまったくといっていいほど手をつけられていない。
 明日も一日びっしりとスケジュールがはいっており、どうしたものか?と思案中。


2002年12月26日(木) 12月議会終わる


 12月議会がすべての議案の審議をおえ閉会した。最終日のこの日のポイントは、議員定数削減案の審議と意見書審査。もちろん、すでに委員会審査を終えている3つの請願の本会議での採決も重要だ。以下、簡潔に報告したい。
 まず、議員定数削減をめぐっては2つの条例改正案が上程された。一つは城志会(中立会派)提出の「現行26人を23人に削減」する改正案。もう一つは、橋本与党議員12名の共同提案による「現行26人を24人に削減」する改正案だ。
 3人削減の議案への質疑では、安村議員(自民・市民クラブ)が「請願に反対しておきながら、削減案を提出するとは心変わりされたのか?」と質問。これに提出者の大西吉文議員(城志会)が「もともと我々は、削減に反対ではない。行政が特別職の給与を平均10%カットする姿勢をみせたので、議会も10%程度、つまり2、6人繰り上げて3人を減らすことを提案させてもらった」と答弁。請願に反対したのは、「もっと大胆な削減が必要なのに、若干名という数字も曖昧であったため」などとした。
 3人削減の議案は、採決の結果、提出者の城志会3人のみの賛成で、否決された。
 続いて議題となった、2人削減の議案では日本共産党からごどう議員が、「議員削減は行政のチェック機能の低下につながる」という角度から質問。無会派の本城議員も「一般に議員削減には賛成だが、市町合併問題を議論する今、削減すべきではない」と反対の意見を述べた。
 討論では、飯田かおる議員が日本共産党の見解も述べながら、反対討論。
 採決の結果、与党の賛成多数で、2人削減の条例改正案が可決。これで、来年の統一地方選挙の市会議員選挙は、議会定数24人をめぐっての議席を争うことが確定した。
 
 次に意見書の審査。今回、提出されたのは3つの意見書案。もともと日本共産党が発議した意見書案がすべて可決される、という画期的な結果となった。
 ●「社会保障分野での三兆円負担増の中止を求める意見書」
  この意見書案は、僕が提案趣旨の説明をさせてもらった。質疑で意見が出た場合に備えて、前日資料を読み込み勉強したが、質疑なし。採決の結果、共産、緑の会、市民クラブ、ひびきの会、城志会の議員18人が賛成し可決された。自民・市民クラブ、公明、本城議員は反対した。
 ●「配偶者特別控除の廃止及び増税に関する意見書」
  飯田議員が提案趣旨の説明を行い、質疑はなく、緑の会から反対討論。八島議員は、配偶者特別控除の問題をとりあげ、「専業主婦の二重控除は、女性の社会進出を阻害する。少子化対策に力を注ぐべき」と反対の理由を述べた。また妹尾議員も「タバコ税には賛成だ。税収が増えるし、増税でタバコをやめる人が増えれば国民の健康増進につながる」との持論を展開された。さらに、公明党の西村議員も「税の公平、簡素化のための税制改革の見直しの一環」との立場から反対討論をした。
 採決の結果、共産、自民・市民クラブ、市民クラブ、ひびきの会、城志会の17人が賛成し可決された。緑の会、公明、本城議員は反対した。
 圧巻だったのは、この意見書案に政府与党の立場の「自民市民クラブ」のみなさんが、賛成にまわり、国政では厳しく与党と対決するはずの民主党(系)会派が反対したことだ。
 ●「コメ政策の見直しに関する意見書」
  市民クラブの山崎稔議員が提案趣旨の説明を行い、これは全会一致で可決された。

 また3つの請願も本会議で採決がとられ、乳幼児医療制度の拡充を求める請願は、委員会の結果と同様に全会一致で採択された。一方、保育の充実を求める請願と教育の充実を求める請願(すべての子どもたちにゆきとどいた教育をすすめ、心の通いあう学校をつくるための請願)は、日本共産党のみの賛成で否決された。
 僕は、保育の充実を求める請願について賛成の討論を行った。その要旨はホームページで紹介したい。
 
 12月議会終了後は、合併問題と市緊急財政健全化計画案の問題で全員協議会が開催された。この内容はまたあとで書くようにしたい。


2002年12月25日(水) メリークリスマス

 朝はJR城陽駅の西側で、ごどう、若山両市議、そして地元党支部のみなさんと駅頭宣伝。出馬表明後、はじめの城陽駅での宣伝となった。
 かつて寺田市の久保に住んでいた関係で、何人か知り合いの人が前を通って行った。前日のもちつきの「疲れ」(そんなについていないのに)があって、体の節々がいたかった。
 
 あとは終日、宣伝用ちらしの原稿作成にあてた。子育て世代を全面にだすのか、それとも不況にあえぐ市民の怒りの声を全面かーー大いに構成等で頭や悩ませた。
 
 夕方は、息子にクリスマスプレゼントを買いにでた。昨日の日記にも書いた「ウルトラマン80とツインテール」をようやく発見した。(やった!)
 息子は見つけられたのがうれしくて、その場で二人で万歳をしたが、そのあとのフォローが大変だった。
 「じゃあ、これからお父ちゃんはサンタさんに頼んでくるから」といって、二つのオモチャを後ろ手に隠し、レジへ走った。ところが、ラッピングのサービスをしていないお店だったので、妻にラッピングセットを買ってもらい、ようやく家路へ。

 25日は12月議会の最終日。議員削減の条例改正案のほか意見書審議もあり、緊張感のつづく議事日程となる。結果はまたお知らせすることにする。


2002年12月24日(火) 恒例もちつき大会に参加

 
 朝一番に、後援会が取り組んでいる「有田みかん」の販売でたくさんのみかん箱を車で運ぶ。12月1日もみかん狩りにいったみかん農園から直送されてくるみかんである。ごどう市会議員の地元の後援会からはじまったこの取り組みもいまや全市的に注文がくるようになり、大盛況。

 10時からは、ごどう市会議員の地元後援会(寺田東・深谷後援会)主催の「もちつき大会」に参加。冒頭に府議予定候補としてあいさつをさせていただいた。
 僕はあいさつのなかで、地域で近所の人たちが世代をこえて餅をつく習慣などが失われつつある今、意識的な取り組みとして異世代交流を目的に「もちつき大会」が盛大に取り組まれることにとても重要な意義があること、市町合併などが取りざたされているいま、もっともやるべきはできるだけ小さな単位での「まちのコミュニティ」の再生であること、そのためにも財政効率優先の「大きいことはいいことだ」式の合併の動きを食い止めるためにも、来春のいっせい地方選挙で政治の流れを変えよう、と訴えさせていただいた。
 わが息子も参加して、はじめてもちつきを体験し、つきたてのおもちをほうばった。

 午後は、「しんぶん赤旗」をおすすめする活動で地域をまわる。いままで足を運んだところがないところにびっしりと住宅がはりついていることなどを発見する。やはり城陽は住宅のまちなのである。
 夜は、地元の党支部の会議にあいさつを兼ねて参加。いろんな話しに花が咲いた。

 明日はクリスマス・イブ。去年の日記をふりかえると、息子がサンタさんにお願いしたプレゼントが見当たらず必死になって探しまわり、結局京都市内のおもちゃ屋さんまで走ったものだった。
 今年も実は、「ウルトラマン80とツインテールのおもちゃ」がほしい、とお願いしているのだが、なんと現時点で二つともみつかっていないのだ。なんでいつも希少なおもちゃばかりをほしがるのだろうか?
 


2002年12月23日(月) 後援会集会に180人

 午前中は、地元の久世地域で「しんぶん赤旗」の集金を兼ねて、夜に予定されている「党と後援会の総決起集会」(固いなあ〜)の案内に回る。昨日までの雨がウソのような青空。何度も空を見上げては、清清しい気持ちをかみしめた。
 午後も、地域を歩く。あるお宅でのお話だ。今朝の日曜討論で自民党の麻生太郎政調会長が、「国民の消費はそれほど落ち込んでいない」と発言したことを僕が紹介すると、仕事の手をとめずに、こう語ってくれた。「何をいってる。国民は毎日のくらしに必要なものを買わないきていけへんさかいに、『消費』しているんやないか。その消費の質を落してでも、この不況を懸命に耐えていることを政治家はまったくわかってへん。国は国債の発行いうて、すぐに借金できかもわからんが、国民は借金したら生きていけへん。そのことをわかってるんかいな?」
 ほんとにその通りだ。職人であるこの方は、ものづくりを大切にしなくりつつあるいまの日本の社会、文化の状況についても厳しい見方をしておられた。
 歩けばあるくほど、いまの社会と政治の歪みがみえてくる。もっとそのことを体一杯に受け止めて、自分の中で熟成させ、生きた言葉で政策化し語り広げたい。

 夜は、「党と後援会の総決起集会」が文化パルクのふれあいホールで開かれた。180人を超す参加。暮れのおしせまったこの時期にこれだけの人たちが集まってくれたのだ。ありがたいことで、あらためて身がひきしまる思いがした。新井進府会議員も駆け付けてくれて、いま京都府議会が住民の運動と日本共産党の論戦でとても面白い流れとなっていることをわかりやすく話してくれた。
 直筆の墨絵やくまのぷーさんのぬいぐるみ、寄せ書きやカッターシャツ、ネクタイなどいろんな贈り物をいただいた。期待の大きさをひしひしと感じている。この日の演説は、ホームページで紹介したい。

 集会の様子をデジカメにおさめたかったが、12日に府議会の傍聴にいったとき、どこかに忘れたか落してしまったようで見当たらない。この間の活動の様子には必須アイテムなのに、妻からはあきれられし、怒られるしで落ち込んでいる。


2002年12月22日(日) 若々しい未来に感動

 午前中は降りしきる雨の中、地元の党支部のみなさんがポスターの裏ばりの作業。私も一緒にやらせていただき、一時間ちょっとの間に見事に準備が完了した。本当にごくろうさまでした。
 午後からは、以前から予定していた「関西京都今村組」の代表、今村克彦さんプロデュースのコンサートを聴きにいくため、奈良100年会館までいってきた。妻も息子も一緒だ。このコンサートのタイトルは「華炎」(はなび)。そのタイトルにふさわしく、エネルギッシュでパワーをもらうことができた。
 今村克彦さん率いる「関西京都今村組」のダンスは、「よさこいソーラン祭り」に代表されるような、ロック調のダンスに「和風」の要素を加味したパフォーマンスをベースにしていると思い込んでいた。
 ところが、今回のステージでは、男性グループだけのダンスやおもいおもいの衣装を身にまとった、艶やかでパワフルな女性グループのダンスなど、「大化け」していることに何より驚いた。
 2、3年前に城陽で踊ってくれた若い子たちが、すっかり大人びて踊りも数段うまくなっていることに、「今村組」が常に成長しつづけていく集団であることを実感できた。
 そして、何がいちばん僕を勇気づけたかというと、彼、彼女たちがダンスを通じて「自由な自己表現」に徹していることだ。踊るみんなの姿は、同じ振り付けでもどれ一つ同じものがない。それはポーズをとるタイミングやリズムが同じでも、その表情やダンスがひとりひとり「主張」をもっているように、見る側に伝わってくるのだ。音楽やダンスを通じて自分を表現し、感動を共有し、エネルギーを拡げていく。
 ここに、新しい時代を構成しつくりあげていく若々しい未来がある。
 
 コンサートは残念ながら途中で失礼せざるを得なかった。明日の後援会決起集会の案内が十分にできておらず、「このコンサートでもらったパワーを生かすには、自分がいま立ち上がることだ」といてもたってもいられず、参加の案内をするために城陽へと向かった。今村さんや「今村組」のみんなには申し訳ないと思ったが、みんなのパワーに触発された僕の気持ちや決意は、必ずわかってもらえると思う。


2002年12月21日(土) 総務常任委員会を傍聴

 朝、近鉄寺田駅で宣伝。議員になる前、党府委員会に勤務していた頃は、この駅を毎日利用していた。懐かしい。飯田かおる議員と若山のり子議員と一緒に、ビラをまき7時半すぎからはハンドマイクで訴える。
 午前中は、党地区の会議。午後は、総務常任委員会を傍聴したあと、議員団会議。
 総務常任委員会では、市長以下特別職の給料カットの条例改正案を審議。今回の給料カットによる財政効果は、年間約1000万円。大西前市政では助役をおかずに頑張ってきたが、橋本市長になって二人の助役が就任しているが、助役一人当りの人件費は約1500万円。厳しい財政をいうならば、助役二人体制そのものの是非が問われなければいけないのに、そこは不問にふしている。この日説明があった「城陽市財政健全化計画案」についても、なぜ城陽市が「赤字財政再建団体」になりかねないほど、10年後に200億円もの赤字財政となるのか、などについてのまともな説明がない。審査の中では、議員から「これほど重大な問題を総務委員会の審査だけで終わらせてはいけない」という指摘があり、特別委員会を設置するなどして、議会としても十分な審議を行うべきだとの指摘があった。結果、25日に開催が予定されている全員協議会でも報告されることになった。日本共産党の奥村議員は、計画案策定の根拠となった資料をすべて提出すべきこと、を要望した。
 また、総務常任委員会では、市の組織を改正する条例案も論議に。日本共産党は、1)山砂利採取にかかわる対策は、一つの係ですむ問題ではない。かつては山砂利対策課が設けられていたのに今度の機構改革でも引き続き「山砂利対策係」にとどまっていること。2)商工観光課、農政課が廃止され、『産業活性課』に統合されることは、本市としての地域経済の活性化に向けてのきめ細かな対策を講じることや、新市街地形成の名のもとに農地が奪われようとしているなか、農業振興を独自の課題として追求する体制的保障がなくなること、など懸念材料を示し、対策を強化することを意見を強く述べて賛成した。

 夜は、乳幼児医療ネットの会議があったので顔を出させていただき、城陽市議会での請願審査の様子、府議会での請願審査の模様を報告し、「みなさんが暑い日も雨の日も地域で署名を集められ、声をあげ続けた成果です。心から敬意を表します」とごあいさつさせていただいた。
府議会の動きで、奇々怪々な話を一つ書いておこう。先日の府議会厚生労働委員会で「乳幼児医療費助成制度の拡充を求める請願」審査で、僕たち「乳幼児医療ネット」が提出した請願を自民、公明、民主などの「オール与党」で不採択にした経過を詳しく書いた。あのとき、オール与党の反対理由は、「昨年12月議会ですでに国に対しての意見書をあげており、屋上おくを重ねるのはよくないし、その必要はない」というものだった。「なんという国いいなり、卑屈な態度!」と書いたが、なんとその「オール与党」が、本会議には「乳幼児医療費の就学前までの助成制度を」国に求める意見書を提案するという混乱ぶりを示した。支離滅裂とは、このことをいう。
 結局、府民をイデオロギーや政治的思惑だけから色分けして対応するという、旧い20世紀型の政治の破綻を示すものだ。こんな府議会を変えるためにも、なんとしても府議選で勝利したい!


2002年12月20日(金) アイラブ城陽

 19日の一般質問で保守系・無会派の本城議員さんが、怒りを込めて宇治市長発言への感想を求めたところ、橋本市長は「まだ合併するかどうかも決まっていないうちから、あのような(市の名前は変えないなど)発言をするのは、「あってはならないこと」と事実上批判する答弁をした。
 質問した本城議員は、「城陽の名前をふるさとをなくしたいくない。私は、『アイ・ラブ・城陽』の原点を忘れずにいきたい」と合併には反対する立場を表明され、住民の意思を確認する住民投票まで提案された。
 国や府の押しつけによって進められる合併論儀には未来がないこと、立場の違いをこえて、この問題で共同を広げる条件が大きく広がっていることに確信を持った。
 保守や革新を問わず、まじめにいまの政治と地域社会の未来を考える人たちと力をあわせる条件はいま広がっている。問題は、その懐深くにどんどんと入っていく、僕自身の気概と勇気だ。

 メルマガ99号を発行した。次号で100号となる。それを記念して、読者からの声で100号は編集しようと考えている。この日記をお読みの方もぜひ、一言メッセージをいただけたら、幸いである。


2002年12月19日(木) 議員定数削減の条例案が提出

 城陽市議会は一般質問が続いている。日本共産党からは、若山のり子議員が登壇した。「経済不況から市民の暮らしを守るために」をテーマに、国保料の問題、市内の事業所実態調査の実施、商店街の振興支援策等を質問。いつもながら行政からは前向き答弁はなかったが、若山議員は城陽市内にある数少ない商店街が「地域のかけがえのない文化だ」と指摘した。だからこそ支援を強めることで、地域の顔にもなり活性化もすすむものだ、と力を込めて訴えた。大切な視点である。
 それから、別の議員さんが河川管理の問題で、「今後、公共下水道の整備がすすむなかで、本市を流れる準用河川などの水量確保にどう努めるかは行政の大切な仕事」という角度から、対策を問うた。これ対して市長は「今池川などの上流部分に地下水を汲み上げての親水公園などをつくれば、下流に水も流れて行くのではないか。今後、そういうものも含めて検討を進めていく」と答弁した。
 さらに、この議員さんは、知的障害者(児)の放課後対策について質問。学校五日制の完全実施にともなって、障害を持つ児童・生徒の居場所づくりをどうするのか、教育委員会ならびに福祉事務所に質した。
 端的にいえば、障害児(者)を対象にした「学童」やサポートセンター、親と子がともに参加できる事業などの実施の必要性を提案された。とても、大切な問題であり質問を通じて勉強をさせていただいた。
 質問の中では、障害児(者)をもつ保護者の方から手紙を引用されていたが、この保護者の方が教育委員会に要望の手紙をもっていったところ、職員から「これは要望ではないね。預かっておく」という冷たい対応をされた、そうだ。それを取り上げてこの議員さんは、「高熱で寝込んでいる子どもの掛毛布を一枚はぐような冷たい対応はすべきではない」と厳しく指摘された。迫力のある具体的な質問で勉強させていただいた。

 本会議終了後、議会運営委員会が開催され追加議案が提案された。この中には、市長以下特別職の給料をかカットする条例改正案も含まれている。市長が15%、助役以下特別職が10%というものだ。この不況下、市民がおかれている厳しい現実を直視すれば、この議案に反対することはできないだろう。
 だが、これで財政の健全化がすすむのか?市民に対する責任を果たすことになるのか?は甚だ疑問、といわなければならない。給料カット分と助役二人体制の年間の給料分を比較すれば明らかなように、大西前市政時代、助役をおかずに切り盛りしてきた。それに対して橋本市政の二人助役体制は、はっきり言って効果を発揮していない。昨日の奥村議員への答弁も、官僚メモの棒読み。本来自分が所管する部署の問題ももう一人の助役が答弁する機会が多い。つねに議会傍聴をしている人なら、「税金返せ!」と叫びたくなるはずだ。
 また、第一、木津川右岸のスタジアムも、長池駅スタジアム公園線も見直しすらせず、人件費さえ削ればよし、などというのでは真の財政再建などできるはずがない。ムダ遣いにこそメスを入れる、ここにこそ足を踏み出すべきではないのか。

 さらに、議会運営委員会では、議員定数を現行の26から24人に減数する条例改正案が「議員提案」で提出された。賛同者には、なんと26人中12人が名を連ねている。議長を除くと過半数は13名。副議長は通常、賛同者に名を連ねることはないだけで賛成するのは確実。よって、すでにこの時点でこの減数条例は可決されることが確実となった。
 議員を減らしても、行財政改革の効果はほとんどない。むしろ、行政へのチェック機能を低下させるだけで市民にとって百害あって一利なし。もちろん僕たちは反対するが、同時に議会と議員のあり方、役割もこの機会に市民に広く問うような働きかけをつよめていきたい。
 
 夜は京都建築労働組合洛南支部の忘年会をかねた役員会であいさつをさせていただく。建築労働者のみなさんの運動の結果、京都府議会では住宅改修助成制度について、雇用対策、景気対策として効果があることを知事が認めざるをなくなるところまで変化をつくりだしていること、さらに力を合わせて、住宅改修助成制度の実現にむけて力をあわせよう、と訴えさせていただいた。
 その後は、地元の党支部の会議へ。帰宅は10時をとうにすぎていた。息子はこの間、風邪ぎみでゴロゴロ。ギュ−ッと抱きしめてあげると、喜んでいた。きょうは、保育園にサンタさんがやってきてプレゼントをくれたことなどを、楽しそうに報告してくれた。
 


2002年12月18日(水) 大型事業について、あきれた答弁

 城陽市議会は一般質問二日目。四人のうち、日本共産党からは、奥村、飯田、松永の三名が登壇した。今議会は、七人全員が質問にたつ。
 昨日も書いたが、行政側は野党である日本共産党には、前向き答弁を極力しない、という悪しき「慣例」がある。以前など、わざわざトップが答弁書を書き直させて、実施を予定している施策でも、日本共産党の質問では答えず、与党議員に質問させてそこで答弁する、ことまであったそうだ。
 議会が、政治的力関係がもっとも凝縮された場でありそこに一定の駆け引きが生じることはありうることだが、行政には説明責任があるのだ。「日本共産党シフト」で市民が聞きたいことまで、口を塞ぐということは結局、情報公開の精神にも反するし、市民の常識からかけ離れた行政運営や議会運営とならざるをえない。そのことに気づかいことが、いまの行政側が「新しい政治の流れ」に鈍感な政治センスしかもちあわせていないことを証明している。

 一般質問の中で、奥村議員は深刻な不況が市民生活を圧迫しており、増税計画や年金、介護、医療改悪など国民いじめの政策では景気回復はのぞめない。橋本市長は、国に対してハッキリとものを言うべきではないか、と問いかけた。橋本市長は、景気の低迷が市税収入の落ち込み等、財政に大きな影響を与えていることを認め、「国に対しては、全国市長会を通じて強力な景気対策を求めていきたい」と述べながらも、「何が景気の低迷をつくりだしているのか?」「どういう景気対策が必要なのか?」の具体論には、絶対に踏み込もうとしなかった。市民が聞きたかったのは、橋本市長自身の経済情勢への認識、どういう処方箋が有効なのか?という政策論での基本的な姿勢だろう。

 また、奥村議員が第二名神道路の建設の問題で、「採算がとれない新規道路でも国や地方の税金を投入して
でも建設できる」しくみがつくられそうだが、従来の答弁では城陽市が高速道路建設で税金を使うことは絶対にありえない、と言っていた。情勢が変わり、税金を投入してでも、建設すべきという立場か?」とたたみかけたが、助役は「高速道路は国が責任をもって建設すべきもの。引き続き要望して参りたい」と答弁書を棒読みという情けない答弁。採算性のない道路建設に、市民の税金を投入するのか?という核心にはふれようとしない。

 さらに、木津川右岸運動公園の整備にかかわって、実施主体である京都府が北側部分に建設予定の「スタジアム」そのものの是非も含めての「検討委員会」が設置される運びとなったが、集客力や維持管理費などの面から、球技場などのハコモノをつくるのをやめて、自然を残した緑地公園として整備すべき、との奥村議員の提案にも、「集客力のある球技場の建設を求めていきたい」という判で押したような官僚答弁。
 京都府が、建設の是非も含めて見直しの検討を加えようとしている矢先、しかも、「市財政健全化計画」などといって、費用対効果の面から効果のないものについては、事業の見直しも検討するなどと表明しながら、地元自治体である城陽市はこともあろうに、莫大な税金投入につながる「集客力のある球技場の建設」を要望する。このちぐはくで滑稽な対応とは一体なんだろう?
 自治体としての自主性や独自性、魅力ある施策を住民参加でつくり実施していこうという、創意性の欠如があるのではないか?


2002年12月17日(火) 市長に「乳幼児医療費助成制度の拡充」を表明させる


 議会で一般質問を行った。慌ただしい中での質問準備だったので不十分さは否めなかったが、結果として重要な答弁をひき出すことができた。

 一つは、乳幼児医療費無料制度の問題。「京都府も制度拡充の検討を表明しているが、仮に京都府が実施しなくても城陽市独自で制度拡充にふみきるべきだ」と迫った僕の質問に対し橋本市長は、来年度予算で、「制度拡充をすすめる」ことを表明した。
 その他の子育て支援計画の充実策では、木で鼻をくくったような冷たい答弁。乳幼児医療費問題では、前向き答弁をすることからバランスをとったものだと推察するが、誰に気兼ねしているのだろうか?
 市民にとってプラスになることは、与党であれ野党であれしっかりと答弁し、できないことは「なぜそれができないのか?」を誰が聞いてもわかるような論理で説明することがこれからの政治では大切なのではないか。そして、子育て支援の充実策は、大局的には結果として城陽市の税収入を増やす20〜40代の子育て世代を増やすことにもつながり、経済政策的にも意義があるのだ。
 お金がないをくり返すばかりではなく、こうした骨太の方針こそ市民にわかりやすく示すべきだ。

 もう一つは、市町合併問題。橋本市長自身が、市町合併に賛成なのか反対なのか態度表明を迫ったが、「来年一月に将来構想案が提案される。それを受けて議会と市民に表明したい」とかわされた。
 ただ、宇治市長がまだ、将来構想案も示される前から、「宇治市の名前も庁舎の位置も変えるつもりはない」と表明し、久御山町や京田辺市の首長が否定的見解を示しているいま、この将来構想案そのものが破綻をしているのに、そのことを認めようとしてない。
 住民のわきあがるような議論の末ではなく、国や府の押しつけによって進められる合併論儀には未来がないことが現実の政治の動きが如実に示している。
 


2002年12月16日(月) 木津川の堤防から街頭宣伝


15日は、今池地域を宣伝カーで街頭演説。木津川の堤防からマイクで訴えた。ちょうど近鉄電車が気持ちよさそうに橋を渡っていく。堤防を二人の子どもを連れた若いお母さんが降りて行ったので、「子育て世代として小さな命がのびのびと育っていくように、子育て支援に全力をあげます」と訴えた。すると、三人で手を大きくふってくれた。うれしい。今池支部では、この日終日の行動で「しんぶん赤旗」の読者が大きく増えた。
 午後は、古川の地域であいさつ回りを兼ねて「しんぶん赤旗」をすすめる活動。
 一般質問の準備が十分にできていなかったので、夜はその時間にあてよう、と思ったが一度寝てからのほうが効率がいいと思い、夜中の12時すぎにおきだし、朝まで徹夜。睡眠時間は2時間ちょっと。
 だんだん、無理がきかなくなってくる。頑張れるときにがんばっておこう!


2002年12月15日(日) 悪政に一矢を報いたい


 この間の冷え込みで妻と息子は風邪ぎみ。「コホン、コホン」と咳き込んでいた。
 午後から、元市会議員の西やすひろさんとあいさつを兼ねて「しんぶん赤旗」の購読をすすめに回る。
 ある福祉施設の園長さんは、毎日出勤すると、施設内をまわり入所されている方に声をかけ対話を大切にしているという。また園長さんは、交流会で幼稚園児のうたごえにお年よりが涙を流し、それを見た子どもたちが歌いながら涙を流したというエピソードを紹介しながら、そこにはやさしい心、気持ちが歌を通じて伝えあった結果であり、「福祉は心と心の通いあい」「短い出会いでも、心にしみ入るような言葉を発すること」の大切さを教えていただいた。
 施設の充実はそれ自体大切なことだ。同時に、福祉の原点はボランティアの精神にあることをあらためて学ぶことができた訪問だった。

 薬局を営む方との対話では、不況の深刻さをまた一つ実感することとなった。
 「店が倒産するかもしれない。本当にまいっている。」と切り出した店主は、最近、ドラッグストアーがたて続けに2店進出してきたことで、そのあおりをまともにくらっている、という。薬の単価が400〜500円も違うものもあるそうだ。
 「行政は、強いものにはどんどん規制を緩和するが弱いものには冷たい態度。なんとか『一矢を報いてほしい』」と訴えられた。ストレスで体調もすぐれないようで、「お体を大切にして下さい。いまの言葉をかみしめてがんばらせていただきます。」と応えるのが精一杯で、思わず涙してしまった。
 「一矢を報いる」ーー「いっし」とは「一本の矢」と書く。偶然だが、矢口の「矢」と同じだ。いじめの悪政にいためつけられている庶民の声を代弁し、国民的な反撃ののろしをあげる意味で、ことあるごとにこのフレーズを使っていきたい。
 
 夜は、僕が所属する男声合唱団「ジョイナスグリー」の忘年会に最初だけ顔を出させていただき、すぐに寺田中の党と後援会が主催する「議会報告会」であいさつをさせていただいた。その後、別の会合へ。
 


2002年12月14日(土) 育児支援策充実の意義


 午前中は、党の会議。午後は、16日の一般質問の準備。夕方、近鉄大久保駅前でやましろ医療生協のみなさんと医療改悪に反対する宣伝。夜は、内田茂議員の議員在職35年を記念し、総務大臣から感謝状が授与されたことを祝う会合に参加。80人を超す参加者ですごい熱気。当然、来年の選挙のことなども話題になり、僕もあいさつを兼ねてお酌をして回ると、どこでも「びっくりした」「頑張って」などの激励を受けた。

 16日の一般質問で「育児支援策充実の意義」を強調したいと考えている。結論から先に言うと、「小さい子どもを抱える働く母親がもたらす公的な収入と、育児支援策にかかる公的なコストを比較した場合、育児支援策への公的なコストがほぼ釣り合う」ことが実証されている。
 さらには、働く母親は就労を通じて、税金と社会保険料を上回る付加価値を生み出しており、育児期の女性が働くことを育児支援策で後押しすることは、社会的に大いにプラスになるのだ。

 僕は、育児にかかるコストは社会的に必要なコストであり、「効率性」という視点のみではかることに全面的に賛意を示すものではないが、コスト論を盾にして子育て支援策への躊躇を示す行政の姿勢にたいしては、説得力をもった議論ではないか、と考える。
 本当は、城陽市にあてはめた試算をやってみたいのだが、今回は時間がないので、一般論で提起してみようと考えている。


2002年12月13日(金) 府議会厚生労働委員会をモニター傍聴

 12日午後から、京都府議会の厚生労働委員会で「乳幼児医療費助成制度の拡充」についての請願審査が行われたので、城陽乳幼児ネット事務局の方と一緒に傍聴にいってきた。
 まず驚いたのは、委員会の傍聴がモニターテレビでしかできないこと。「委員会室が狭い」ことが理由のようだが、答弁席にはものすごい人数の職員が並んでいる。それを半分にすれば十分に傍聴者のスペースが確保できるではないか。城陽市議会では、すでに委員会も完全に市民にオープンにされている。主権者である国民や府民にひらかれた議会になっていない。冷たい感じがする。このあたりから改革する必要がありそうだ。

 「乳幼児医療費助成制度の拡充」に関する請願審査は、いかに今の知事「オール与党」の議員が府民の気分感情から懸け離れた存在、はっきりいえば住民の願い実現を妨害する勢力になりさがっているとかをまざまざと見せつける結果となった。
 乳幼児医療では今回、3つの請願が提出されていた。ひとつは京都府医師会が提出したもの。これは、「府内市町村の動向もふまえ、新たな視点から(乳幼児医療費助成制度の)充実を図ることを請願したものだ。
 制度拡充を目的にしたものであり、日本共産党の三人の委員(三双、前窪、光永)も賛成。
 問題は、残りの二つである。
 一つは、乳幼児ネットがち33005筆の署名とともに提出した請願。ちなみに僕たち城陽乳幼児ネットが取り組んだ署名は約9000筆。今回府議会に提出された請願署名は33005筆だから約三分の一は城陽のみなさんの気持ちが込められたものだ。
 もう一つは、福知山の市民団体から提出されたもの。これらはいずれも、「乳幼児医療費について国の無料制度の創設を求めるとともに、京都府での制度拡充を求めること」を求めたものだ。
 さきに全会一致で採択された、医師会提出の請願と同趣旨であることから当然、採択されるものと信じていたのに、その後の質疑は耳を疑うものだった。

 まず、自民党の植田よしひろ議員(中京区選出)が「国で制度を求めることは、すでに昨年1 2月に意見書あげたから必要ない。また請願趣旨のなかに、「京都府内の自治体における乳幼児医療費助成制度の制度充実を求める」とあるが、市町村に制度の拡充を求めるのは地方分権の流れに反する」などと言いがかり。
 これには、光永議員が「京都府の制度拡充によって、各市町村の制度も充実することになる、ということだ。まったく問題ない」とたしなめるように反論。
 また、医師会の請願の紹介議員にもなっている自民党清水議員に対し、前窪議員が「さきほどの請願と同趣旨なのに、なぜ賛成できないのか?」と詰め寄ると自民党などオール与党は、国では医療制度の改革のなかで、3歳未満の子どもの一部負担金が3割から2割に引き下げられるなど努力をされている。そのときにあらためて議会として制度創設を求めるのはだめだ、などとあたかも「国に楯つくなどもってのほか」という態度で反対の理由にあげた。
 さらに、こんな発言までとびだした。議事録がないので、自民、公明など「オール与党」のどの議員がいったのかは現時点で明らかではないが、こうである。請願375号(「福知山から出ている請願)には、「請願のタイトルでは、乳幼児医療費・国の無料制度『創設』を求めておきながら、請願項目では国に対して、制度の『拡充』を求めている。現在ない制度をどうやって拡充できるのか?こんないいかげんな内容の請願は反対だ!」
 
 「昨年12月にすでに国に対して無料制度創設を求める意見書をあげているから、あらためてする必要はない」という珍論を府民が聞いたらどう思うだろうか?すでに創設されているのならまだしも、一年が経過してまだ国において無料制度創設が実現していないから、議会としての意思を国に対して示してほしいと府民が願っているのではないか。実現していないなら、実現するまで声をあげるのは当然ではないか。

 なんという卑屈!、なんという国への追随ぶり!

 しかも、請願の文章に難くせをつけて反対するというのは、内容そのものに反対できないから、その理由をみつけだすための見苦しい方便である。
 これらの請願を署名を、住民がどんな思いで集めたのか、少しでも思いを馳せたことがあるのだろうか?

 議会とは、議員とは行政をチェックし、住民の声を議会の場を通じて行政に届け実現することだ。
 このあたりまえの姿がいまの京都府議会の「オール与党」の議員にはまったく欠落している。
 住民にもっとも身近な市議会などでは、もっと柔軟な対応が生まれている。実際、わが城陽市議会では、乳幼児ネットの請願を全会派が紹介議員となり、委員会でも全会一致で採択されている。
 僕は、住民不在の閉ざされた府議会を府民の声が届く、あたりまえの議会に変えるためにも、なんとしても府議会議員選挙で勝利したい、と強くつよくあらためて決意した。
 
写真は、傍聴後、府議団の部屋で西山秀尚団長に必勝を誓って、握手をしてもらったところ。
 


2002年12月12日(木) 心が通う瞬間


 午前中は、一般質問の準備に加えホームページの更新。一般質問の原稿の事前公開、メルマガのバックナンバーをアップ。ある方からのアドバイスを取り入れ自宅の住所と連絡先をトップページに入れた。
 午後からは、地元支部の支部長さんと打ち合わせのあとあいさつ回り。古川地域から元市会議員の西やすひろさんが八年ぶりの返り咲きをねらう。前回、前々回の府会議員選挙に候補者として挑戦された方だ。地元での信頼も抜群で、あいさつに伺ったところでは、どこも大歓迎だった。
 とくに、玄関先にベビーカーや子ども用自転車があるお家では、「子育て世代の声を京都府政に届けます。政治がごちゃごちゃしている時代だからこそ、若い力でまっすぐにみなさんのお声を届けたい」と訴えるようにしている。すると、相手から「同じ子育て世代なので親近感がわきます。がんばって!」と声をかけていただける。一瞬の出会いと言葉の交わしあいだけれど、心が通ったような思いになる。この瞬間がうれしい。
 外は冷たくて強い風。パーマをあてた頭もくしゃくしゃになってしまったけれど、心のなかはあったかい。
 夕方は、保連協の会長さんとともに市役所児童課に毎年恒例の要望書の提出。
 夜は、地元の支部会議へ出席させていただいた。



2002年12月11日(水) 冷たい涙



 朝は、来年度の保育所入所の申請受付が保育園であったので、門前でのアンケート活動。希望する園に入所できるように、保護者会としてもバックアップするために毎年行っているものだ。
 めちゃ寒い。息子が行くのをぐずっていたので、9時半ギリギリに。
 僕は、乳幼児医療と保育の請願審査の傍聴があったので、途中で失礼させていただいたが、アンケートの対話の中で、いまの深刻な不況を反映した心がいたむお話をきいた。
 保育園の近所に住んでいらっしゃる方で、お子さんは二人。上の子は保育園に入れてもらえずやむなく幼稚園に。その間に、お父さんが二回失業してしまい、もう働かなくては生活していけない。どうしても保育園に入れてほしいのです。涙を目に浮かべてお話をされていた。冷たい風が保育園の門前を吹いている。さぞかし、冷たい涙だったろう。こういう苦しい立場にある人を助けることこそ、福祉行政の役割であり政治のつとめではないのか?あらためて政治を人間にやさしい当たり前の方向に転換させる必要性を痛感した。

 乳幼児医療費も無料制度の拡充を求める請願は、福祉経済常任委員会で全会一致で採択された。助役からも、「全会派の議員さんが紹介議員に名を連ねている事実を重く受け止めている。」「子育て支援として重要な施策だと認識しており、1億円を投入するに十分値する効果のある施策」などの答弁がなされた。
 京都府も府議会での答弁で、「市町村と連携をとりながら、なんらかの制度拡充を検討する」としている。
来年度予算にぜひとも反映させるべきだし、仮に京都府が就学前までの拡充にふみ切らない場合には、城陽市独自でもやるべきだ。16日の一般質問では、そのことを強調したい。
 もう一つの「保育の充実を求める請願」は、残念ながら共産党の二人の委員のみの賛成で不採択となった。
「城陽市の保育行政は、厳しい財政状況の中、全体としては改善させてきており評価できるものであり、採択するまでもない」というのがその主な理由。
 行政が保育の充実にむけて力を尽くすのは当然のことだ。問題は、いまの保育ニーズに応える十分な施策となっているかどうか、ここが大事な点だ。議会は行政とは立場が違うのだから、不十分な点は率直に指摘をし改善を迫ってこそ存在意義がある。もっと、現場のリアルな現状を知ってもらう活動を強める必要がありそうだ。夜は、保育運動連絡会の役員会。妻が仕事で遅くなるので、息子を会議に連れて行った。 
 


2002年12月10日(火) 一般質問の原稿づくり

 市議会の一般質問が16日に控えている。午前中から午後にかけてその質問項目の整理と原稿づくりに追われた。僕の場合、壇上での第一質問の原稿はわりと早く出来あがる。問題は、第二質問以降の展開で、そこでいつも苦労する。
 今回は、子育て支援について二項目。一つは、乳幼児医療費無料制度の拡充について。京都府で来年度予算で拡充を検討する旨の答弁がされているが、城陽市としても京都府の動きに対応するにとどまらず、入院、通院とも就学前までの無料化にふみきるよう橋本市長に決断を迫りたい。もう一つは、子育て支援計画の進ちょくと課題について。昨年の6月にもこの問題で質問をしており二回目の質問となる。
 僕の問題意識は、城陽市において子どもに関する総合政策が必要ということだ。家庭、地域、行政が一つになって子どもの豊かな成長を、の願いをまん中においてネットワークを広げていく。そのためには、どんな方策が必要かを、問いたい。具体的には、?公立保育所の子育て支援の公共機関としての充実、?ケースワーカーの配置と育成、?児童虐待への対応、?生涯学習の角度から「親育ち」のための啓発、学習に行政としても支援を、などが主な柱である。
 もう一つの大きな柱が市町合併問題。城陽市を含めた近隣7市町の合併論議が突如スタートし、10月末から11月にかけて住民アンケートが取り組まれた。その結果がこのほど出たが、宇治市長は、この結果をうけて合併そのものに否定的ともとれるコメントを発表した。まとめ役が「まとまらないよ」と匙を投げようとしているのだから、この話はまとまるはずがない。城陽市長として、あらためて今般の合併論儀への基本的認識をもっているのか、などを具体的に問うつもりだ。
 
 夜は、洛南地域全体の党の活動者会議。そこでも、予定候補を代表してあいさつをさせていただいた。その後、演説会の案内ポスターの色校正があがってきたので関係者と打ち合わせ。なかなか迫力のあるポスターが仕上がった。これで、民主と自民のまちかどのポスター独占を崩せる。一気に貼り出しだ!
 完成品は、サイトでも画像付きで紹介するので、わが家に貼り出してもいいよ、という方はぜひご一報を。(ごあいさつを兼ねてお邪魔させていただきます。)

 夜おそくに帰宅すると、息子はまだ起きていた。「たたかいごっこしようよ」といって、足にしがみつく力がいつもより少し強め。僕がバタバタしはじめたので気がついているようだ。「もっと遊んでよ」ーーしがみつく力が無言で訴えている。ごめんね。


2002年12月09日(月) お披露目宣伝



 午前中は、地域を回る。城陽のまちは市面積は狭いが、やはり住宅のまちである。「こんなところにも家があったのか?」と驚くくらい、家が密集している。
 一つひとつのお家に家庭があり、政治に痛めつけられている人々のくらしがある。ともに政治を変える声を日本共産党とともにあげていきましょう、心を込めて訴えたい。
 午後は、短い会議のあとお披露目宣伝で、アルプラザ城陽前へ。西山とき子参院議員、6人の市会予定候補とともに来春のいっせい地方選挙にむけての支援を訴えた。
 その後、京都民報からの取材。記者の平山伸一さんは、大学の先輩。いま民報社の学芸部長である。
 僕の話を聞きながら涙を流していた。報道だけではなく、京都に住み、働く人びとの息づかい、熱い思い、怒りなどを紙面で見事に表現しているのが、京都民報の魅力だ。

 お披露目宣伝での演説原稿を紹介するので、ぜひ積極的にご意見をお寄せいただきたい。

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 来年4月の京都府会議員選挙に日本共産党の議席獲得へ挑戦する、矢口まさあきでございます。35才の若い力で必ず政治を変える新しいうねりをつくりだします。前半の府会議員選挙では、矢口まさあき、続く市会議員選挙では、○○さんをはじめ七名の全員当選で、市政をチェックし市政を動かすお仕事をさせてくだいますよう、まずはじめに心から大きな御支援をお願いいたします。
 私は、この4年間、市会議員をつとめる一方で、子育てや保育運動にかかわるなかで、いまの日本社会、日本経済の歪み、ひずみを痛感してきました。
 あるお父さんは、小さな子どもを抱えながらつとめていた会社が倒産。なんとか、新しい仕事がみつかりましたが、職が見つからない、生きる糧を絶たれているときの不安は、想像するに余りあります。「豊かな社会」といわれながら、あまりにも人間がないがしろにされすぎているーーこのことに強い憤りを感じて市会議員としての仕事をしてきました。。
 先日訪問したのは、運送業を営む社長さんです。 「日本経済は、2005年には破たんするで。製造業の落ち込みが異常だ。どんどん海外からモノが入ってきて、肝心の日本が地盤沈下やないか。」とまず切り出したこの方は、「関東地方まで走った場合、いちばん景気がいいときは12万円前後の運送料だった。ところが、いまは78000円。来年1月からは75000円に切り下げたい、と取引先の企業が一方的に通知してきおった。最盛期の半分、半分やで。これで、車の維持や人件費がどうしてねん出できるんや。」と怒りをぶちまけられ、最後に、こうおっしゃられました。
 「立派な公園や道路ができて、庶民は今日食べるものに困り果てるーーこんなニッポンでよいのか?」まったくその通りです。だからこそ、政治の転換が必要ではないでしょうか
 熊本市や尼崎市では30代、40代の無党派市長と日本共産党が力をあわせて新しい政治をおこしはじめています。長野県の田中知事のもとでも日本共産党は、田中知事に建設的提案で支え応援する役割を果たしています。ムダな大型公共事業を見直して、くらし充実の予算に転換するーーこれこそ全国に広がる新しい政治の流れです。私は、緑や環境を破壊する第二名神道路や木津川右岸運動公園などの大型公共事業はいったん凍結、見直しをして、くらしと福祉を応援するあたたかい府政に転換するために全力をあげます。
 すでに私たちの住む城陽では、大西前市長の誕生で、新しい政治の流れを全国に発信しました。大西前市政は、富野幼稚園の存続を決め、学童保育所の全土曜日開所を実施するなど子育て支援に力をいれながら、国保料の3年連続引き下げ、中小企業むけの融資限度額を750万円から1500万円まで引き上げるなど、予算の使いみちをくらしや福祉最優先に切りかえてきました。そして、厳しい財政状況のもとでも、市の借金を、四年間で約二十五億円も減らすなど財政の立て直しに全力をあげてきました。
 今度は、府会での私の当選で、ふたたび全国に市民のくらしと福祉、教育に思いきって力を入れる新しい流れを発信しようではありませんか。
 私は、自分の幸せだけではなく、まわりの人たちとともに幸せをつかみたい。その思いで日本共産党に入党し、市会議員にもなり、このたび、府会候補になることも決意いたしました。
 みなさんは、シャボン玉という童謡を御存じだと思います。これは、童謡作詞家の野口雨情さんが初めての子どもが生まれて数日で死んでしまった悲しみをうたったもので、「かぜかぜ ふくな しゃんだま とばそ」には、餓えや貧困、戦争で小さな命が奪われる社会を批判し、未来ある子どもたちが傷つけられることない平和な社会を、という野口雨情の思いが込められている、といいます。
 小さくかわいい命を、天皇の子ども、すなわち「赤子」とよばされた時代、子供が生まれても育てるお金がお家に無かったりしたら、その子供を口減らしの為に、餓えをしのぐために、ときには「間引き」といって、細く小さな首に手をかけなければならなかったあの暗黒の時代。そのときに、人間の命はなにものにも代えがたいもの、人間の命を守り育てよう、戦争に反対し平和な世の中をつくろうと、命をかけてたたかいぬいた人間集団、それが日本共産党です。
 私は、この日本共産党のやさしさと強さのためされずみの歴史に誇りと確信を持って、今日の時代の小さな命を守るために、訴え抜きます。
 国民いじめの最悪の政治が続く中で、日本共産党と心ある無党派の皆さんが力をあわせれば政治は変わるという新しい地方政治の流れを、さらに確実に進めるためには、日本共産党の議席を増やすことが、その確かな力だと確信しています。 歳の若い力で私は挑戦します。みなさんのご支援を心よりお願いいたします。


2002年12月08日(日) このままではニッポン沈没との悲痛な叫び

 あいにくの雨。気温も下がっており、雪まじりになるか?と空をみあげる。午後から、出馬にあたってのあいさつまわり。中小業者の経営者の方など、いまの日本経済の異常さを実感する衝撃的な話をお聞きした。

 僕たちは、「長引く不況でくらしも営業も大変」とよく演説で使う。その大変さをどれほど、「わがこと」と受け止め、自分の言葉で表現できるか。そして、解決の政策的道筋を示し、ともに行動するのが議員の仕事だ。今日、訪問したのは、運送業を営む社長さん。
 「日本経済は、2005年には破たんするで。製造業の落ち込みが異常だ。どんどん海外からモノが入ってきて、肝心の日本が地盤沈下やないか。」とまず切り出したこの方は、「関東地方まで走った場合、いちばん景気がいいときは12万円前後の運送料だった。ところが、いまは78000円。来年1月からは75000円に切り下げたい、と取引先の企業が一方的に通知してきおった。最盛期の半分、半分やで。これで、車の維持や人件費がどうしてねん出できるんや。」と怒りをぶちまける。そして、続けてこう話してくれた。
 
 「立派な公園や道路ができて、庶民は今日食べるものに困り果てるーーこんなニッポンでよいのか?そのことをもっとお上や議員は、自分の目でみて確かめてものを言ってくれ」
 
 まったくその通りだ。だからこそ、政治の転換が必要だ。僕にできることは、みなさんのその声を、怒りを声にして広げ、そして政治を変えること。その仕事をぜひやらせてください」と訴えて、その場をあとにした。
 NHKで、「トラック運転手はなぜ過労死をしたのか?」という特集をやっていたそうだ。話のなかで、「議員さんなら見てたやろう?」といわれた。見ていなかった自分が恥ずかしい。どなたかビデオで録画されている方はいないだろうか?ぜひ、勉強したいのでお知らせいただきたい。
 yaunet@fm2.seikyou.ne.jp
 


2002年12月07日(土) 期待の声に身がひきしまる

 来春の府議選出馬の記者発表を行った5日、自分のホームページと日記、メルマガで出馬にあたっての自分の思いを紹介したところ、各方面から思わぬ反応が寄せられた。いずれも期待を寄せる熱いメッセージばかりで身が引きしまる思いだ。
 いま、そのすべてをホームページで紹介していこうと準備中である。ネットの力を使って、ナマの声を演説や政策づくりに生かせるようにしたい。

 6日は、城陽市議会の文教常任委員会が開かれた。「教育請願」が審査された。毎年5000筆を超す署名とともに提出されるものだ。
 今回の請願の趣旨は、次のとおり。
 
 1、一人ひとりにゆきとどいた教育ができるよう、30人学級の早期実現を、国・府に働きかけて下さい。
 ○小学校1年生への指導補助配置を、3学期まで延長するよう働きかけてください。
 ○小学校2年生への学級編成の激変緩和措置を、他の学年にも広げるように働きかけてください。
 2、いじめや不登校、教室に入りにくい児童生徒に対応するための支援員を、各学校に配置してください。
 3、教育予算を大幅に増やし、保護者負担の軽減と学校の施設・設備の充実を行ってください。
 ○小中学校の修学旅行費への補助を行ってください。
 ○学校のトイレを、子どもたちが気持ちよく使えるように改修してください。
 ○普通教室の夏場の暑さ対策として早急にクーラーを設置してください。
 ○各校に必要なバリアフリーの対策を施してください。
4、学校給食の直営を堅持し、地元の産物の活用等安全でおいしい給食の充実を図ってください。

 これらは、いずれも今日の子どもたちが置かれた現状を考えれば当然のことであり、僕と飯田かおる議員は採択にむけて積極的に質疑を行った。
 あきれたのは、市教委の答弁である。いわく、「国や府に働きかける」というが、その意味がわからない。私どもは、府から示された予算や制度の枠内で、精一杯やっている。あるものを活用する、という立場だ。
 もちろん、不登校対策などで市独自の施策などを実施している実績を僕は知っている。
 しかし、たとえば、小学校1年生への指導補助配置は、幼児期から学童期への移行期に必要な生活習慣などを身につけさせる目的で、31人を超えるクラスに指導補助を行うことが、なぜ2学期で切られるのか?子どもは生身の人間であり、行政の都合で紋きり型の対応をされたのでは、たまったものではない。
 これらの指導補助を、せめて3学期まで延長してほしい、というのは控えめな要望である。それを、「府の示す枠組みであるものを活用する」ものであり、上に働きかけることはしない、とは何ごとだろうか?
 子どもを机上の論理で管理することが優先されることからは、心の通いあう学校づくりは生まれない。

 この請願は、結局、僕と飯田議員だけが質問をし他の議員さんからは、いっさい質疑がなかった。
 そして、僕と飯田議員のみの賛成で、不採択となった。きわめて残念だ。

 


2002年12月06日(金) 35才の若さで城陽から府会に挑戦


京都府議会議員選挙に出馬を表明するにあたって
2002年12月5日 矢口雅章

 みなさん。急なお話でびっくりされるかもしれません。来年4月13日投票のいっせい地方選挙前半戦、京都府議会議員選挙に出馬することを決意いたしました。必ず勝利します。どうぞ、よろしくお願いいたします。以下、昨晩、ある場所で発言した私の決意を紹介いたします。

■私は挑戦します!
 はじめて市議会議員選挙に立候補したときは、新婚ほやほや。初当選したときには、父親になりたてでした。この4年間は、市会議員をつとめる一方で、子育てや保育運動にかかわってきた。そのなかで、いまの日本社会、日本経済の歪み、ひずみを痛感してきました。
 あるお父さんは、小さな子どもを抱えながらつとめていた会社が倒産。なんとか、新しい仕事がみつかりましたが、職が見つからない、生きる糧を絶たれているときの不安は、想像するに余りあります。また、あるお母さんは、京都市内の夫の卸会社が不況のあおりで倒産。やむなく離婚し、二人の子どもとともに城陽に引っ越してきました。いま、別れた夫のお店の再建にむけてともに汗を流しています。本当に身につまされます。
 不況に苦しむ業者さん、リストラの不安と背中あわせのサラリーマン、子育てに悩む若い親たち、お年寄りがお年寄りを介護する現実。「豊かな社会」といわれながら、あまりにも人間がないがしろにされすぎているーーこのことに強い憤りを感じて市会議員としての仕事をしてきました。
 そのなかで、政治のあり方、税金の使い方を、自然を壊して道路をつくったり、利用客が未知数のハコモノをつくるなどの大型公共事業を起こして一部の企業、業者だけがもうかるしくみから、この城陽に住み働く圧倒的多数の人たちのくらしの現実、福祉の充実をのぞむ声にしっかりと寄り添った政治、税金の使い方に転換する必要性を痛感してきました。
 熊本市や尼崎市では30代、40代の無党派市長と日本共産党が力をあわせて新しい政治をおこしはじめているし、長野県の田中知事のもとでも日本共産党は、田中知事に建設的提案で支え応援する役割を果たしてる。新しい政治をおこしているところで共通しているのは、ムダな大型公共事業を見直して、くらし充実の予算に転換することです。
 私は、緑や環境を破壊する第二名神道路や木津川右岸運動公園などの大型公共事業はいったん凍結、見直しをして、くらしと福祉を応援するあたたかい府政に転換するために全力をあげます。
 すでに私たちの住む城陽では、大西前市長の誕生で、新しい政治の流れを全国に発信しました。今度は、府会での私の当選で、ふたたび全国に新しい流れ、息吹きを発信しようではありませんか。

 私は、青春時代、父親の借金が原因で家族がバラバラになり、いまも実の母親は千葉でひとりぐらしをしています。お人好しでお金にルーズな父親を憎みましたが、人の弱味につけこみ儲けを働くもの、弱いものを食い物にするしくみのほうがもっと巨悪だと思って、政治を変える生き方を選びました。
 ギリギリの生活に怒りの声さえあげる気持ちや力を失いかけている庶民が「なんとかしてほしい」と声なき声をあげているときに、その声に正面からこたえることこそ、政治のつとめだと思います。
 自分の幸せだけではなく、まわりの人たちとともに幸せをつかみたい。その思いで党の勤務員にもなりましたし、市会議員にもなり、このたび、府会候補になるにあたって、あらためてこの初心にたちかえり決意をあらたにしたところです。
 妻もともにたたかう決意をしてくれました。幼い息子には、お父ちゃんは悔いのない決断をしたことを、もう少し大きくなってから話してあげたいと思います。

 私は、いま子どもを守り育てる保育運動と、感動をより多くの人たちとわかちあう音楽活動にかかわっています。
 みなさんは、シャボン玉という童謡を御存じだと思います。これは、童謡作詞家の野口雨情さんが初めての子どもが生まれて数日で死んでしまった悲しみをうたったもので、「かぜかぜ ふくな しゃんだま とばそ」には、餓えや貧困、戦争で小さな命が奪われる社会を批判し、未来ある子どもたちが傷つけられることない平和な社会を、という野口雨情の思いが込められている、といいます。
 小さくかわいい命を、天皇の子ども、すなわち「赤子」とよばされた時代、子供が生まれても育てるお金がお家に無かったりしたら、その子供を口減らしの為に、餓えをしのぐために、ときには「間引き」といって、細く小さな首に手をかけなければならなかったあの暗黒の時代。そのときに、人間の命はなにものにも代えがたいもの、人間の命を守り育てよう、戦争に反対し平和な世の中をつくろうと、命をかけてたたかいぬいた集団、それが日本共産党です。
 私は、この日本共産党のやさしさと強さのためされずみの歴史に誇りと確信を持って、今日の時代の小さな命を守るために、訴え抜きたいと思います。
 保守や無党派の方をはじめ政治を変えたいと願う幅広いみなさんと力をあわせれば、政治は変えられるーー私は、市会議員としての四年間でこのことを学びました。府政を変える新しい政治の流れをつくりだすために、35歳の若い力で私は挑戦します。みなさんのご支援を心よりお願いいたします。


2002年12月03日(火) 写真撮影


 午前中は、党議員団会議。開会目前の12月議会への対応などを協議。午後からは、来年のいっせい地方選挙にむけての候補者の写真撮影。先日も書いたとおり、生まれてはじめてパーマをあてた。
 「若々しく見えるよ」など評判はまずまず。撮影のまえに、行きつけの「UNO」さんでシャンプーとセットをしてもらい、いざ撮影へ。
 グリーンと紫(!)のスーツをもっていったが、撮影はグリーンのスーツで。お化粧を少しだけした。これも生まれてはじめのこと。完成品の紹介はもう少しあとになるが、ためしどりでポラロイドの写真を何枚かもらったきた。そのうちの一枚を「ヤグネットの日記」の読者のみなさんにだけ、一日限定でご紹介しておきたいと思う。明日には、もうアップしていないので、よろしく!(笑)
 


2002年12月02日(月) 後援会バスツアーに100人の参加


 城陽市日本共産党後援会が企画した「有田みかん狩り、温泉、黒潮市場へのバスツアー」に妻と息子とともに参加してきた。じつはこの日、保育大学という保育関係の行事があったのだが、急きょ予定を変更した。
 当日は、あいにくの雨模様。朝の8時すぎに城陽を出発し、途中岸和田で休憩。みかん狩りの会場となる「松坂農園」についたのは午前10半をすぎたころだった。お昼前には雨はあがると思っていたが、逆にこの頃から雨が強く降り出した。ちょっとだけ、みかん狩りを楽しみ早々にバスに引き上げることに。
このみかん農園では、農薬などをほとんど使っておらず、おいしさも抜群。もぎたてのみかんがこんなにも味が違うものか、と驚いた。







その後、有田川温泉で昼食と温泉に。大広間で昼食。太刀魚のお刺身等も振る舞われ、思わず舌皷み。
 息子は、食事中から温泉が気になってしかたなく、ようやくのれんをくぐったのだが息子はふだんからぬるめのお風呂に入ってるので、温泉のお湯は熱すぎて結局湯舟にすら入ることができなかった。残念!





 帰りは、黒潮市場によって、みなさんお土産などを買い込んでいた。僕たち家族は、お魚やカニを見物だけして、あまり昼食のときに御飯をたべなかった息子がお寿司とおうどんを食べた。黒潮市場の外では、旬の魚のセリがはじまっていた。観光客も気軽に参加できるもののようで、盛り上がっていた。
 
 結構ハードなスケジュールだったが新しい出会いも生まれ、楽しい一日だった。バスの車内では「大きな古時計」をみんなで歌ったりして盛り上がった。僕の隣に座られた方は、普段親の介護であまり外出ができないので楽しみにしてこられた、ということだった。
 一つの自治体でこれほどまとまった後援会活動を展開しているところは、貴重である。事務局のみなさん、本当にごくろうさまでした。


2002年12月01日(日) 「コメント力」を鍛えるを読む

 午前中は、自治体関係者の方、山本よし子議員とともに「しんぶん赤旗」を増やす活動。新しく4人の方に読者になっていただいた。一般紙がスポンサーや政治家を意識しすぎて書けないことを「赤旗」はズバリを書く。国民の立場から「いま」という時代に切り込む新聞だ。もっともっとたくさんの方に読んでいただきたいと思っている。一緒に回っていただいた自治体関係者の方は、いろんな文献や資料を紹介してくれるなど「自治体を住民の立場から変革する」ための僕たちのブレーンのようなたのもしい存在。
 午後は、家族と約束していた買い物や12月議会をお知らせする議員団ニュースの作成などにあてた。

 有田芳生さんの「『コメント力』を鍛える」(NHK出版 生活人新書)を読み終えた。
 「あなたの言葉(こころ)は本当に伝わっているのだろうか」という帯に書かれたキャッチコピーが読んでいる間も、また読み終えてからも頭を離れなかった。
 有田さんは、ジャーナリスト。そして、日本テレビ系でお昼の2時から放送している「ザ・ワイド」のコメンテーターを長らくつとめている。その自らの体験から、他人に自分の気持ちを正確につたえるためには、どうしたらよいのかを実践的に解きあかしているのが本書である。

 議員活動も、「コメント力」が日々問われる仕事である。演説では5〜10分の短い時間で政策と自分の思いを聴衆に伝えなくてはならない。耳を傾けている聴衆が目の前にいないとき(住宅街などでの演説)は、家から出てきてもらえるような演説をしなければならないので余計に発する言葉に気を使う。
 また、家々を訪問しての挨拶や「しんぶん赤旗」の購読をすすめるさいにも、玄関でのわずかな時間で簡潔に相手と言葉のキャッチボールをする必要がある。さらに、議会での質問というのも「コメント力」がためされる。こちらの質問に対して当局の答弁はおおよそ見当がつくものとはいえ、どういうコメントをつけてその答弁を返すのか、瞬時に判断と構成が求められる。
 
 その点で、テレビでせいぜい30秒から1分の間で、問われたことに自分の意見をつけてコメントすることの苦労と共通するものがあるのでは、と感じていた。本書を読みおえて、コメント力というものの本質、そしてそれを実践に生かす方法論が平易な言葉で綴られていて、とても勉強になった。

 著者は、コメント力とは何か?の結論部分で、こう述べる。

 関心と愛情は認識の基本である。ここでも言葉の根底に人間がある。真剣であればこそ、手垢にまみれた言葉ではなく、共感を生む自分なりの言葉を選び、効果的に伝える方法を考えるはずである。魂の根底から浮かび上がってきた言葉であれば、それがどんなに拙く、洗練されていない者であっても、相手に伝わるはずである。コメント力とは、人格と一体化した生活の技術なのである。(70p)

 技術的な問題でもいくつも学ぶべき点があったが、とくに印象に残ったのが「書くこと」について。

 私たちは言葉に囲まれて暮らしている。そこからきらめくような言葉の結晶を発見できるかどうか。それはそれぞれの人間のアンテナの感度にかかっている。“自分の言葉”をで対象に的確に認識するためには、どのような訓練をしたらおいのだろうか。それは実際に書いてみることだ。何も難しいことではない。自分の生活のなかでふと感じた疑問や発見を一度言葉で表現してみることだ。それはメモでもいい。「書く」ことは身体で確認すること。ただ漫然と感じたり思ったことでも、文字に記すことで形となる。思考の整理となる。

 その意味で、この「ヤグネットの日記」も「コメント力」を鍛える一助になっているかもしれないな、と自分で納得することができた本だった。


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