ヤグネットの毎日
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2003年02月28日(金) 一般質問の準備(福祉関係のみアップ)

 午前中は青谷地域を宣伝。午後からは地元久世で宣伝。その後、一般質問の原稿準備などにかかる。取り急ぎ、福祉関係の質問の大要だけアップしようと思う。第1項目の不況打開の取り組みなどは、明日アップする。ぜひ、ご意見をお聞かせいただきたい。

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(1)精神障害者福祉について

 私は、この4年間、精神障害者福祉の諸課題について、くり返しこの場からも質問し、要望をさせていただいてきた。時の流れとともに、揺れ動く若者のこころ、教育現場をはじめ多くの職場で心の健康問題が重視されてはじめている。いまや心の健康は、現代に生きるすべての人々の共通の問題であり、精神障害者が地域で安心して暮らせる社会は、すべての人にやさしい社会であり、そういうまちづくりを本市こそが率先してすすめるべきだ、という強い思いからくりかえし質問をしてきた。
 来年度予算でも、精神保健福祉の分野で、精神障害者ボランティア団体活動支援事業として、日常生活に関する相談、援助等を行う「サロン」を設けるなど、この分野を意識した施策がはじめて具体的に盛り込まれた事は、率直に評価しておきたい。そのうえで、当事者や家族、ボランティア団体から要望が出されている問題で、早急な実施が必要な問題について、このさい、いくつかお尋ねをしておきたい。

?市内在住の精神障害者の実態を正しく把握しその情報を開示すること。
 相手を待つのではなく、こちらから出向いて行くことが大事。ぜひ、訪問調査などを本格的に実施すべき。
?精神障害者とその家族の質の向上について
 本市の福祉や医療施設との連携が不可欠であり、そのなかでのケアシステムの構築が求められるが、今年度この問題で、どういう到達目標をもって取り組みをすすめるのか?具体的にお聞きしたい。
?同一福祉圏域内における施設利用(入場)の減免措置について
 宇治市、城陽市、久御山町の同一福祉圏域にありながら、たとえば宇治市植物園などの利用について、城陽市在住の精神障害者は有料となるのは、福祉の平等制においても不自然。近隣市町と協議のうえ、社会資源の共有の促進をはかるべき。

(2)乳幼児医療費無料制度について

 私は、12月議会の一般質問で、乳幼児医療費の無料制度について質問をし、「府が仮に就学前までの拡充にふみきららなかった場合、本市独自として制度拡充を行うべき」と市長に迫った。
 ところが、御承知のとおり、今回、本市から提出された議案は、京都府の制度に横ならびである。
 もちろん、これ自身は前進なので、喜ばしいことであるが、私が質問で迫ったのは、「本市としてどういう独自の施策ができるのか?その決意はあるのか?」ということだった。
 その点では、本市としての努力の形跡はみられない。委員会において修正案が可決されたことは、市民の願いに答える立場から当然の結果である。
 あらたえめて、市長にお尋ねしたい。橋本市長の、乳幼児医療費無料制度の拡充に関する基本的に考え方、自らの思い、今後、ここから段階的にであれ、一度にであれ、制度拡充へさらに踏みきる考えはあるのかどうか、明確にご答弁いただきたい。

(3)保育の充実について

?保育所入所に関する広報活動について→市長答弁を求める。
 措置から契約への法改正を盾にしての入所を促す広報活動の怠慢は許されない。
 →現に、青谷地域の市民の声として、「0歳児保育を実施できる施設があることや3人いれば開設できること」を知らなかったという声が多い。休廃園基準云々をいうまえに、市としての広報活動を強めるべきである。見解を問う。

?久世保育園の建て替えについて
 *平成14年中に改修計画をたてることが議会での答弁と理解している。
  久世保については、築30年以上が経過している。現時点で、行政としては建て替え問題について、どういう方針をもっているのか?

 *深谷幼稚園に保育園を併設する計画が白紙にもどった経緯は?
  東部地域での人口増の傾向に対応するために、久世のマンモス化の解消が目的ではなかったか?白紙化は、それ自体いま云々いうわけではないが、マンモス化解消の手立てはどうするのか?
 
 *保育園舎の設計段階から保護者や市民の声を取り入れた手法を採用すべきだが見解を問う。
 *来年度、久世保については、どこまで具体化をはかるのか?明確に答弁を。

?0才児保育の実施について
 *子育て支援の重要な柱として、ゼロ歳児保育の全園での実施を求める。年度当初3人いれば、開設するという本市の基本方針は、一歩前進。しかし、不況の深刻さと女性の自立を促す立場をふまえれば、たとえ3人に満たなくても希望者があれば、開くというさらに一歩踏み込んだ対応をすべきである。


2003年02月27日(木) 青谷保育園で0歳児保育希望者新たにみつかる!

 朝は、富野荘駅で宣伝。その後、鴻ノ巣保育園前で3/1の子育てシンポジウムの案内ちらしを配る。午前中は、西元市会議員と宣伝。運転手をしていただいた方が、現役の運送用のトラックの運転手さん。やっぱりプロは運転が違う。
 
 この日記でも、青谷保育園というところで、0歳児保育を希望される方が2人いるのに、行政側が「3人いないと開かない」と冷たい態度をずっととっていたことは書いた。でも、希望されているお母さんは、その青谷保育園じゃないと仕事場に間に合わないので、どうしても預けたいとお願いをしていた。それで、雨の日とかにも、地域を一軒ずつまわって、「お宅に赤ちゃんはいませんか?」とちらしをもって、訪問。 そのがんばりには、本当に頭が下がる思いだった。〆きりが28日だから、ギリギリ。
 26日の昼休み、保健センターの「三ヶ月検診」の入り口で訴え。保健センターの前で、ベビーカーの前に座り赤ちゃんをあやす、がんばり屋のMさんの姿。右手には何百枚とくばったチラシが…。僕は、思わず涙してしまって、一緒に訴えました。
 何人かに声をかけていると、「私、この子を預けたいんですけど。。。」といってくれた人があらわれた!! 「なんでうちに0歳がいることがわかったんですか?」と最初、怪訝そうにたずねたその方に、僕はこう説明した。
 「どうしても、青谷保育園で0歳児保育を開いてほしい、その一心から、ビラを自分でつくり、地域ごとに赤ちゃんの洗濯物やオモチャが外にでているお家を探して訪問し知り合いで0歳の子をもつ家庭はないかを教えてもらい、その近辺にちらしを配ったりして広げいったんですよ。」その方も、すぐに納得してくれた様子だった。

 一生懸命、がんばってきたMさんと小躍りして喜んだ。 本当によかった!

 午後からは挨拶まわりと会議。夜は、民主商工会の会合であいさつ。「将来への不安を取り除くような手立てをとってもらえれば、消費は上向く。ほんまにたのむで」と激励をうける。


2003年02月26日(水) 学生さん

 朝は近鉄寺田駅(西口)で宣伝。男声合唱をいっしょにやっている方から、「風邪ひかんように」とのあたたかい言葉をかけてもらう。午前中は、宣伝カーで街頭宣伝。アナウンサーもついていただいて、本番なみ。
 今池校区だったが、ぽかぽかとあたたかな陽気だったので、買い物や洗濯物を干している人、庭仕事をしている人などが外にでており、山本市議の顔の広さ、日常的な結びつきの強さもあり、たくさんの人から手をふっての激励をもらった。この瞬間だけをマスコミがみていたら、「矢口、猛追(爆)」と書くかもしれない。
 午後からは、飯田市議と挨拶まわり。飯田議員とは、たいがい、自転車でまわる。そのほうが時間も効率的だ。蒼い空と白い雲。風もおだやかであたたかい。自転車のペダルを少しだけふむとその分、風もやさしく顔をたたいていく。その風のあたたかさに、もうすぐ春がくることを感じた。
 挨拶まわりでは、お留守のところもあったが、対話できたお宅もあり、有意義だった。
 とくに、外で車をいじっていた学生さんとのお話がおもしろかった。「いまの政治や社会で思うことはありませんか?」と聞くと、「不況をなんとかしなあきませんね」と切り出した彼は、「一番問題なのは、将来への不安が大きすぎることなんです。それが、消費を低迷されている原因ですよ。そこを取り除く工夫をしなければ、いけないと思います」と一気にはなす。「うんうん」とうなずいていると、さらに「イフレターゲットなんていわれていますけど、人為的にサラリーマンの月給を高くするにしても、将来への不安や懸念というのは解消されませんよ。結局、そこをぬぐう政策をとらなければ、インフレターゲットなんて害があるだけ」ときっぱり。よく本質をついた見方をしている、勉強しているなと感服した。いや〜、最近学生と話す機会が少なくなったから、よけいに刺激的だった。僕は、大学を卒業してすぐに、日本共産党の京都府委員会で青年学生を対象にした仕事に携わっていた。夜中遅くまで、学生たちとわいわいがやがやする毎日だった。当時の事を懐かしく思い出した。
 また、挨拶まわりでは小学生のお子さんをもつ若いお母さんとも対話ができ、「子どもたちに文化に親しむ活動に力を入れてほしい」「学校のトイレをもっときれいに」「子どもたちのためにがんばって」などなど、たくさんのナマの声を聞く事が出来た。ただ、こうした若いお母さん方のなかには、4月に選挙にあることもまだ知らなかった方もおり、ご自分の要求と選挙をむすびつける努力をもっとつよめなくてはならないことも痛感した。

 夕方からは、また街頭宣伝。なぜ、自分が政治家を志したのか、いまの政治のどこに自分が怒っているのかを詳しく訴える工夫をしてみる。夜は、民主商工会の2つの班会に参加し挨拶をさせていただく。

 矢口事務所は、すでに本番なみの体制で毎日フル稼動だ。差し入れなども増えている。写真は、事務所に総務スタッフとして常駐していただいているTさんからのもの。写真におさめたが、僕のお腹におさめるのを忘れていた。まだ、残っているかな?少し風邪ぎみ。鼻水がじゅるじゅるいってる。注意しないといけないな。


2003年02月25日(火) しんぶん取材



 朝は、山城青谷駅で駅宣。雨がぱらぱらとふっているなかでの宣伝で、少し鼻水がでてきた。ここで風邪を引くと勝敗に響く。用心しなければ。。。
 午前中は宣伝。心を伝える演説に心がけているが、もっと自分の体験にもとづく話をしなければ、と思うのだが、話が上滑りをしてしまう。実感のこもった話し、体験に基づく政策。これこそ、人の心をつかむはずだから、つまりは毎日をどれだけ一生懸命に生きているかに、かかってくる。プレッシャーだけど、がんばろうっと。

 お昼御飯をたべながら、「しんぶん赤旗」のF記者から取材をうける。僕が党京都府委員会の政策宣伝部にいるころ、僕は地方の選挙の政策やビラづくり、F記者は選挙戦の取材で、寝食を共にした仲(っていうか、信頼できる先輩。敏腕記者なのだ)。激戦の選挙区の模様、候補者としての決意などなどを楽しく取材してもらう。
 昼からは挨拶まわり。旧村の地域をまわったが、最初に訪れたお家では、息子夫婦の若奥さんが対応。話をするうちに、「来月引っ越しなんです、福井に」と若奥さん。「でも、となりに新築の家をたてたばかりやないですか?」と奥村議員。「そうなんですよ、持ち家をもっているものが転勤になるなんて、考えてもみませんでした。ひどいですよ。でも、そうしなければ生活していけませんから。。。」と若奥さん。
 民間企業の大変さが、よくわかる話だ。となりに新築したばかりで、一度も人はもちろん家具も並んだことがない家が悲しそうにたたずんでいた。

 夕方からも街頭宣伝。昼間はぽかぽかと暖かくて、宣伝に出発する頃もまだそんなに寒くなかったけれど、放射冷却のためか、急激に寒くなった。立っているだけでガタガタと震えだす。でも、空気が澄んでいる分、空がきれい。オレンジの夕焼けと星空がいっぺんに見える、なんとも贅沢なひととき。木星の姿も確認できた。
 上を向いて歩こう。僕が、上をむいて歩かなければ、いまの政治や社会のもとで悩み苦しんでいる人たちはどうなるんだ。僕が輝くこと。そしてその光で苦しんでいる人を照らし、ともに歩んで行けたら。。。
 そんなことを考えながら、マイクをもつ手に力をこめた。
 

 


2003年02月24日(月) 女性宣伝

 23日は、女性後援会のみなさんが、大型宣伝カーをつかって市内全域をまわって宣伝。僕も弁士として参加。4ケ所で訴えをさせていただいた。この間、対話をさせていただくなかで、切実な声をよせていただく方の多くが女性のみなさん。それだけ、女性がいまの不況のもとで苦しめられている証拠だ。
 僕は、女性の権利が守られ、大切にされているかどうかは、その社会の成熟度をはかるバロメータであることを強調し、一人ひとりの命を輝かせ、個性をのばし、真の意味での自立を促すこと、そのためにもライフサイクルにあわせてきめ細かい支援策がこれからの行政に必要であり、それは大型開発優先の思想からは絶対に生まれてこないことを強調し、税金のつかいみちの転換を訴える僕への支援をよびかけた。
 お昼は、新日本婦人の会のある班が「うどんすき」を囲んで楽しく懇談をしていらっしゃるところで挨拶。すぐに失礼して、御飯をたべ、午後は地元の団地で挨拶まわり。普段あまりお話ができていない方と親しくお話をさせていただき、新しい出会いもあった。その後、「平和、くらし、民主主義を考える城陽懇話会」の総会に出席し、短時間であいさつをさせていただいた。僕も会員であり、ほんとうは記念講演も聞きたかったけれど、残念。
 夕方からは、ひさしぶりに家族で買い物に。息子はお昼寝が中途半端だったのと、ひさしぶりの家族三人での買い物で甘えたかったのか、「あれ欲しい、これ欲しい」の連発。怒ってばかりの父親だった。
 家にかえってから、「チュ−するか?」としむけると、顔中にチュチュとしてきた。さみしかったのかな?


2003年02月21日(金) 3月議会開会

 20日から3月議会がスタートした。
 僕は、最後の一般質問にたつ。テーマは2つだ。

 1、不況対策と産業の活性化対策について
  (1)市長の基本姿勢について
  (2)事業所実態調査の実施について
  (3)住宅改修助成制度の実施について
  (4)若年層の雇用確保と市内への定着のために
 2、福祉の充実について
  (1)保育の充実 
  (2)乳幼児医療制度の無料化拡大
  (3)精神障害者福祉について 到達と課題 
 
 会議の日程は、下記のとおり。

 2/20 開会日 本会議
 2/21 文教常任委員会
 2/25 建設常任委員会
 2/27 総務常任委員会
 2/28 福祉経済常任委員会
 3/3 東部丘陵地整備対策特別委員会
3/4 本会議(一般質問)
 3/6 本会議(一般質問)←この日僕の最後の一般質問です。
3/7 本会議(一般質問)
3/10 本会議 (一般質問)
 3/11 予算特別委員会 
3/13 予算特別委員会
 3/17 予算特別委員会
 3/18 予算特別委員会
 3/19 予算特別委員会
 3/20 議会運営委員会
3/24 予算特別委員会
3/24 議会運営委員会 本会議
3/28 会期末
 

 


2003年02月20日(木) 大きな夕日とお月さん


 朝は近鉄久津川駅で宣伝。その後、里の西保育園前で3/1の子育てシンポの宣伝。
 午前中は、若山市議と宣伝。昼間は、お年寄りの方が家のなかにいることが多いので、介護保険の改善の訴えをした。
 「病院の検査に1万円札を握りしめていったら、帰りは2000円しか残らなかった。こんなに医療費がかさむなら、もう病院にはいけません。そういって、私の手を握りしめ、『なんとかしてください』と訴えられたお年寄りの方の細い手のぬくもりを忘れることができません。昨年10月の医療改悪でお年寄りのみなさんの医療費負担がふえ、こんどは介護保険料が引き上げられたら、お年よりのみなさんのくらしはどうなるのでしょうか?私は絶対に許すことができません。介護保険料の引き上げを中止をし、保険料と利用料の負担の軽減を強力に働きかけて参ります。」ーーこう訴えながら、ひとりぐらしの母親のことが頭をよぎった。仕送りもたまってしまっている。。。元気にしてるかな?

 午後からは、挨拶まわり。明るいのに霧雨のようなものが断続的にふってくる。敷地の広い団地なので、家から家に移動するのに「ふーふー」いいながら歩く。あ〜情けない。
 夕方も宣伝。西の空をみると、オレンジの夕日がだだっぴろい田園風景の向こうに沈もうとしている。
 「よ〜し、がんばるぞ」とおもいながら、少しだけ声のトーンをあげた。
 夜は、民主商工会の班会2つにご挨拶でまわらせていただき、そのあと、3/1の子育てシンポの実行委員会に参加。帰りは、10時前だった。月がでていた。大きな月だった。満月かな?ちょっと疲れて目がかすみはじめていたので、よくわからなかった。でも、気分が落着いた。
 


2003年02月19日(水) 犬がこわい

 朝は近鉄寺田駅で宣伝。ハンドマイクで訴えていたら、近所の方から苦情あり。すぐにやめた。午前中は、保育園の生活発表会。僕は、ビデオカメラを抱えた「親ばか」に変身して、必死にわが息子の様子を撮り続けた。
 その後は、宣伝行動。午後は、西元市会議員と挨拶まわり。あるお宅では、歩いて訪問していることに「ごくろうさま」という声をかけていただいた。しかし、歩いて挨拶まわりをしていると、こまったこともでてくる。僕も西元市会議員も、犬が大の苦手。(犬好きの方ごめんなさい)
 僕は、以前に新聞を配達中に、大きな犬に噛まれてた痛い経験があり、それ以来、「うちの犬は噛みませんから大丈夫ですよ」といわれても、尻込みしてしまう。昨日も、お留守のお家にちらしをいれようとしたら、ものすごい勢いで「威嚇」してきたので、西さんと一緒に一目散に走りさった。
 夕方も宣伝行動。午後の挨拶まわりで少々つかれたのか、演説をまちがえてばかりだった。


2003年02月18日(火) 青谷の梅

 あたたかく穏やかな日だった。朝はJR長池駅で宣伝。その後、富野地域の民間保育園の門前で宣伝。午前中は宣伝活動だった。宣伝カーの音響の調子が今ひとつで、代車で出発。午後は、富野青谷地域を挨拶まわり。
 城陽は、昔ながらの農家の軒先きの懐かしい風景と近代的な住宅地が混在するまちである。インターホンをピンポンしても、インターホン越しに断られることもある住宅街もあれば、青谷地域のように、玄関の戸をガラっとあけて、「お〜い」とよぶと、「はいはい」といって家人がでてくるようなところも残されている。この混在が城陽のまちの特色であり魅力なのだ。
 青谷の梅まつりが16日から始まっている。アンテナショップで梅干しやら漬け物を販売している農家の方を訪問。梅が咲きほころび、陽の光に照らされて幸せそう。あまい匂いがあたりに漂い、春がもうすぐそこまできていることを感じさせた。
 夕方から宣伝。夜は、市全体の保育園保護者会の市との話し合い。17人もの保護者や保育関係者があつまり熱心に話し合いをおこなった。
 青谷保育園では、せっかく数年前に0歳児保育を実施できるようにするための、「調乳室」を整備したのに、「3人の0歳児がいなければ、保育を実施しない」という市の方針のもとに、ずっと0歳児保育が実施されずにきた。ところが、同じ保育園に通わせているお母さんに0歳児が生まれ、4月からその子も保育園に通わせたいと希望しているのに、行政側は「1人では0歳児保育を実施しない」の一点張り。財政的な理由や保育士の配置基準の問題など課題は多いのだが、保護者の立場からすれば、たとえひとりでもその子の発達と保護者の働く権利を保障するためにも、0歳児保育を実施してほしい、というが切実な声だ。
 「青谷保育園では、いま0歳児保育の入所希望者が2人おり、あと1人で開設できる」という情報を行政からすすんで市民に公開する意思はないことも表明された。ならば、保護者や市民の力でこの事態を知らせ、あとひとり0歳児で保育を希望する人を発掘し必ず4月から0歳児保育を開かせよう、と市との話しあいのあとみんなで話し合った。


2003年02月17日(月) 青年との懇談会

 16日は、盛り沢山のスケジュールだった。
 朝、9時半からは、新日本婦人の会城陽支部の第36回定期大会で来賓としてあいさつ。これからの時代は、女性のライフサイクル、ライフスタイルにあわせたきめ細かい支援策が必要であり、そのためには大型開発優先といった税金のつかいかたをあらためて、くらしや福祉に重点をおいた発想の転換が必要であること、を訴えた。
 午後1時すぎからは、その新婦人の「40周年記念のつどい」で、ギターの弾き語りによるミニ・コンサートで4曲ほど歌わせていただいた。もともと、府会の予定候補として決まる前の去年の秋頃に依頼をされていたもので、代わりもたてられず、ステージに立つことにした。
 曲目は、童謡の「しゃぼんだま」、笠木透さんの「私に人生と言えるものがあるなら」、野田淳子さんの「千羽鶴」、そして「大きな古時計」。練習不足と女性ばかりのところで歌ったためか、緊張しまくりで、指が動かず、あとで感想を聞くと「たしかに歌は上手だったけど、ギターはちょっとね。。」という声も。よし!選挙が終わったら、練習しまくって、「ギターも上手ね」と唸らせてみせようっと。

 それが終わって、民主商工会のある班の会議で挨拶をさせていただき、そのまま宣伝活動へ。
 夕方は、宇城久の青年たちが集まってのトーク集会。まえくぼ義由紀府会議員とともに参加させていただいた。
 「青年がひとりぐらしで自立できるように、家賃補助を」「伝統地場産業や文化、芸術活動にかかわりたいと思っている若い人たちへの支援策を」「生活道路の整備を急いで」「障害者が安心して移動できる交通バリアフリーの充実を」などなど、切実な声がたくさん出された。
 僕は、青年のみなさんに特別の重点をおいた施策の展開を「青年だけ特別扱いはできない」という行政の態度こそ、青年から見放される時代遅れの考えであること、いま大切なのは、まちづくりの観点からいっても、若い人たちが安心して住み続けられる魅力的な政策を打ち出すことが大切であり、そのために、府議会で働きたい、と決意を述べさせてもらった。


2003年02月16日(日) 35歳に期待しますの声


 15日は午前中、妻が病院にいくので子守り。ひさしぶりにお父ちゃんと二人だから、はしゃぐ息子。かわいい。キャッチボールをしよう、とせがまれたけれど、別の用事をしていてできなかった。「夕方やろうね」の約束したものの、それも果たせず、夜帰ったら、「約束したのに〜〜〜!」と拗ねられた。
 午後からは、挨拶まわり。夕方からの宣伝の合間に、新聞社から取材をうける。
 夕方の宣伝をしているときに、僕のところに、歩み寄ってくる女性がいる。「35歳ですね、期待しています。がんばって!」と握手を求めてきた。あわてて、名刺を手渡すと、「あなた未年でしょ。私の息子もおない年なのよ。息子みたいに思ってるから、がんばってね。若い人にがんばってもらわな」とギュをまた手を握りしめてきた。あたたかった。松戸で一人暮らしをしている母親の姿を思い出し涙がでそうになった。

 


2003年02月15日(土) 日本の伝統文化を守り育てる


 14日は午前中、古川地域で西やすひろ市議予定候補と宣伝。公園で子どもたちを遊ばせているお母さんたちがいるところで、子育て支援に全力をあげるなどの街頭演説をさせてもらった。ビラもうけとってくれたし、最後は手もふってくれたし、反応も上々だった。
 午後は、ごどう辰文議員と挨拶まわり。「乃木神社崇敬奉賛会会員」などの肩書きをもつ方と対話。わざわざお家の中まであげていただき、和歌のこと、文化のこと、などなどを楽しく歓談。
 「日本の伝統文化を守り育てること」ーーこの点で大いに意気投合。立場がちがっても、一致する願いで手をあわせるのが僕の基本的なスタンス。
 とくに、高速道路などがつくられて、自然や景観が破壊されるなどは、「ふるさとの風土や自然を愛する」方たちにとっては、いたたまれないことなのだ。そうした人たちとも胸をひらいて、対話と共同をすすめたい。最後に握手をしてわかれたのが印象的だった。

 夜は、七会場で党と後援会の懇談会。僕は、全会場をくるまで渡り歩き、一言ずつ挨拶をさせてもらった。

 


2003年02月14日(金) 3月議会の議会運営委員会

 朝は、JR城陽駅で宣伝。10時からは、3月議会にむけての議会運営委員会に出席。
 来年度の予算を審議する「予算議会」が2月21日からはじまる。
 予算の概要などは、またサイトに詳しく紹介もし、この間発行できていないメルマガでも発信したい。
 この議会には、「市町合併推進」の請願が提出された。5つの会派が紹介議員となっているものだ。
 正直、この請願には大きな疑問を感じている。
 まず、合併問題の経過でいえば、十分な情報提供が不足していることに加え、市民的な関心の盛り上がりに欠けているもとで、7つもの自治体が合併にふみきるなどということ自体が、非現実的で住民無視の愚行だった。だから、法定協議会ができずに、任意の協議組織も解散するに至ったことは、当然の結末なのである。
 ポイントは、わがまちをどうするのか?を議会も、住民も、時間をかけて十分な情報のもとに議論をつくすことだった。ところが、この3月議会に請願がだされたということは、1回の総務常任委員会での審査で、「合併推進」を行政に求めていく請願に結論が出せなければいけないことになる。継続扱いは、議員の任期ぎれで、自動的に廃案扱いとなるからだ。
 こうした、拙速で不十分な問題の扱い方が、混迷の原因ではなかったのか?
 僕は、請願権は誰にもあるわけだから、請願の提出自体は構わないと思うが、なぜ、市民クラブと日本共産党以外のすべての会派が紹介議員となるのだろうか?採択か継続審議(廃案)の二つしか道はない。継続審査はあまりにも無責任だろう。採択は、全くふりだしにもどったいま、どうやって合併論議をすすめていくのか、その具体的な対案がなければ、これまた無責任といわれるだろう。どうしても、疑問を感じてしまうのだ。

 午後は、地元の新日本婦人の会の会議であいさつ。その後、議員団会議に出席する。
 夜は、建設労働者の後援会世話人会であいさつ。
 僕は、「スロータウン」の理念について、大型公共事業よりもくらしに密着した公共事業でこそ仕事おこしができること、住宅改修助成制度にこめる思いなどをお話させていただいた。
 


2003年02月13日(木) 小休止

 朝は近鉄寺田駅で宣伝。午前中は、奥村議員と挨拶まわり。午後は西元市議と挨拶まわり。夕方からは、宣伝の予定だったが、最近のフル稼動の活動でちょっとだけ、疲れがたまったので夕方のスケジュールをあけてもらう。
 家で横になる。これだけでもだいぶ気分転換になるものだ。

 夜は、商工関係者の集まりへ挨拶まわりをはしごする。今日は短いけれど、以上。


2003年02月12日(水) 飴玉の差し入れ

 朝は小降りの雨が、昼すぎからは本格的な雨に変わった。祝日の11日は、午前中が挨拶まわりで午後からは、「しんぶん赤旗」の拡大行動、夕方から宣伝とフル稼動。
 午前中は、ある団地を訪問したが、高齢化がすすみ寝たきりになって、子どもやヘルパーさんに見てもらっている人も多かった。そんなあるお宅では、こちらが訪問したのに飴玉の差し入れをいただいて恐縮した。
 けっして生活が楽でなく、寝たきりの状態で大変な状況なのに、なんという心の優しさか。僕は、その飴玉を大事にポケットにいれた。

 お昼は、城陽の「生活と健康を守る会」の新年会があり、あいさつをさせていただく。「八よし」さんの2Fに30人を超す会員さんが所せましと並ぶ。すごい熱気だった。多くの方がいまの冷たい小泉政治にいためつけられている人ばかりだ。「なんとかしてほしい」という怒りのような熱気、必死に生きるパワー、が伝わってきた。挨拶をしている途中、午前中の訪問で玄関の向こうに布団に横になりながらも、飴玉を差し入れしてくれた、心優しいお年よりの姿を思いだし、はしなくも挨拶の途中で涙があふれてあいさつがまともにできなかった。
 政治のせいで、傷ついている人がたくさんいる。悲しんでいる人たちがどんどん生まれている。その痛みをわが心に刻み付けて、奮闘する決意があるかどうか。毎日毎日、そのことがとわれている。

 


2003年02月11日(火) 子育てシンポ

朝は近鉄久津川駅で宣伝。若い人たちが、以前にくらべてビラを受け取ってくれるようになってきているのがうれしい。とくに、今回配ったビラは、子どもの医療費が入院にしぼってだが、就学前まで無料化を拡大することを京都府が決めたことをお知らせするビラだったことも受け取りがよかった要因かもしれない。

 午前中は宣伝。午後からは挨拶まわり。そして、夕方も宣伝。
 昼間の宣伝の演説原稿をアメリカのイラク攻撃に反対する世論を高めることのよびかけを入れたものに少しだけ変えた。挨拶まわりをしていて、気づくこと。
 50代の女性の方で、「親の介護のために仕事をやめた」という人がおおいことだ。なかには、病弱な夫の介護のためにやむなく仕事をやめた、という人もいる。毎日の緊張の連続、「体力的にもしんどい」「ひとりになりたいときがある」とぽつりと話された方もいた。とても身につまされる。せめて、経済的な負担を軽くしてあげること、サービスを充実させて介護する側の人にも心をよせたあたたかい施策をすすめることの必要性を痛感する。

 夜は、3月1日に開かれる「子育てシンポ」の実行委員会。
場所は、東部コミセンホール。午後1時30分〜3時30分まで。
 子どもたちがほんらいもっている魅力や可能性をおもいきり発揮できるように、また、おかあさん・おとうさんたちがゆとりをもって、生活を楽しみながら子育て・教育ができるようにするには、どうしたらいいのか?保育、学童などの各分野からの発言とフリートークで考えあう企画だ。僕もパネラーのひとりとして参加させていただく。ちょっと肩の力をぬいて、本音ではなしてみませんか?
 第1部は素敵なミニライブ。これを聴けば勇気と元気がわいてくる!一人でも、親子でも、友だち同士でもオッケーです。ぜひ参加してみてほしい。問い合わせは、僕まで。(yagunet@fm2.seikyou.ne.jp)


2003年02月10日(月) 若者の未来は?

 9日は、午前中、今池地域を宣伝。「短いスポットでお願いします」という要望もあり、約2分間の演説に挑戦。あんまり早口でしゃべったので、「漢字のことばが聞き取りにくい」と同乗したスタッフの方に指摘され、言葉を削ってゆっくりしゃべるようにしたら、なんとかうまくはなせた。家のなかで聞いてる人にはどう伝わっただろう?
 お昼は、寺田西後援会のもちつき大会に参加させていただき、餅をつき、その後挨拶をさせていただいた。(写真は、飯田かおる市会議員。)僕は、「今日のおもちつきのように、ねばり腰で必ず勝利します」と訴えた。 
 午後からは、寺田地域で挨拶まわり。ポスターを新しくはらせてもらえた家もあり感激。その中で、市内のある事業所(超有名な)では、職員の新規採用をせず、リストラを断行するために当面、派遣社員の雇用でのりきる、という話をきいた。20代の若くて未来のある青年が、「派遣社員」の名のもとにリストラの予備軍として不安と背中あわせで働いている。その事業所は営利企業ではないのだ。それなのに、経営第一でリストラ策とは!目先のことだけで、若くて未来ある青年の力を大切にできない会社や事業所に本当に未来はあるのだろうか?いや、そんなことを許している日本社会はこれでよいのだろうか?なにか、腹がたってしかたなかった。
 いま僕は、青年むけの政策とよびかけを準備しようと勉強中である。あまりにも若者が大切にされていない社会は絶対に変えなければならない。
 夕方からは、また宣伝活動。昼間あったかかった分、夕方からの冷え込みはきつかった。
 


2003年02月09日(日) しゃぼんだま

 土曜日の8日は、朝10時スタート。午前、午後、夕方で約30回の街頭演説をした。一回がだいたい7〜8分だから、210分。3時間ちょっと話しつづけた計算になる。
 午後の活動に入る時に、息子が「しゃぼんだましてあそぼ」とせがむ。「時間がないから、またゆっくりね」といったけれど、いうことをきかない。「じゃ、ちょっとだけね」といって、ベランダでしゃぼんだまをとばして遊んだ。「あとは、自分で窓をしめて片付けてね」といってでかけたが、家の外までしゃぼんだまがとんでいた。そのひとつを指先におとすと、不思議なことにこわれずに指のうえにしばらくのっていた。

 夜は、新日本婦人の会のある斑会にあいさつで出席。
 僕は、「しゃぼんだま」の童謡に野口雨情がこめた、「小さないのちが時代の嵐に吹き飛ばされずに、大きく育ってほしい」の思いを現代に生かしたい、という自分の決意を述べさせていただいた。息子がしゃぼんだまを飛ばす姿を浮かべながら。

 


2003年02月08日(土) 木で鼻をくくった返答


 朝は、JR城陽駅と市内の企業門前2ケ所で宣伝。そのあと、城陽市に不況から市民のくらしを守る緊急要求の申し入れを市役所で行った。
 1月10日に、市民のみなさんに、同趣旨の提言を発表させていただいて、この間、たくさんの方と対話ををすすめさせていただいた。どこにいっても、「生活がきびしい」「仕事がない」の声、こえ、コエ。
 僕は、そうした市民の声をわが心として、まず城陽市に緊急の申し入れ文書をつくって、不況で苦しむ市民のために、できることから手をうつべきであると、申し入れを行ったのだ。申し入れの全文は、ホームページにアップするので、ぜひみてほしい。
 申し入れの対応をしたのは、T助役。市長は僕たちの申し入れで直接あうことはめったにない。
 こちらが、申し入れのポイントを説明しおわると、「はい。わかりました。市長に伝えます」「趣旨はわかりますが、財政のこともありますので」と木で鼻をくくったような冷たい対応。
 こっちは、市民との対話を通じて、その声を届けようとしているのだから、「市民からはどんな声がだされていましたか?」とか、「財政はきびしいが、行政として何ができるか、いちど検討してみます」とか、いいようがあるではないか。助役を二人もおいて、「市長に伝えます」の一言では、「あなたは秘書ではなくて、城陽市のナンバー2なんですよ」といいたくなる。時間をとってもらって、申し入れをしているのはこちらなのであまり乱暴なことは言えないので、ぐっとこらえたが、市民が聞いたら怒るに違いない。僕は、あえてこの日記に書いておこうと思う。助役二人体制をとっているけど、野党である共産党議員団への対応は、こんな前時代的な、官僚的な、対応だということを。

 午後からは、挨拶まわり。夕方からは宣伝。夜は、教育関係の懇談会。日本経団連の正月にだした文書で、三つの提言のうちの一つが、人材育成、つまり教育に焦点をあてていること。一部のエリート育成とその他の「ふつうの人」を意識的につくりだす、選別の思想が徹頭徹尾つらぬかれていることに、あらためて驚きと怒りを覚えた。どの子にものびる可能性があり、その個性をのばすことができる環境を保障することこそ、いま大切なことなのに。30人学級をめぐって、国民の運動と財界など支配層のねらう人材育成の攻撃とが激しいせめぎあいになっていることなどもあらためて実感することができ、ぜひ、府議会の場で30人学級の実現にこめられた思いをぶつけたい、と強く思った。


2003年02月07日(金) 夜、4会場をかけめぐる

 朝は、青谷駅で宣伝。たまたま保育運動でいっしょのお母さんにあう。 
 午前中は、宣伝。家の2Fのベランダからずっと演説をきいてくれていた若いお母さんの姿が印象的だった。午後からは、議員団会議。3月議会への対応などを協議。夕方からまた街頭宣伝へ。
 夜は、建築労働者のみなさんの集まりで市内四カ所を一気にまわる。僕は、いま演説のなかで、住宅改修助成制度の創設を訴えている関係から、その訴えにこめる自分の思いを短い時間で訴えさせてもらった。
 しかし、4ケ所を一気にまわるのは至難の業。事務所のスタッフとして常駐していただいている田辺さんが、運転手をひきうけてくれた。その運転のうまいこと、近道、抜け道を知り尽くしていることのすごさは、芸術的ですらある。
 おかげで、時間どおりすべてをまわることができた。選挙は、こういう達人によって支えられているのだ。


2003年02月06日(木) 演説に耳をかたむけてくれる

 朝は近鉄富野荘駅で宣伝。今日も、後援会のみなさんが参加。ありがたい。
 午前中は、青谷地域を宣伝。寒さもやわらぎ、雲と青空が半々ぐらいの天気。それでも山の緑と空と雲の色があざやかで気持がいい。
 ある地域で宣伝をしていると、お年寄りの方が家からでてきて、じっと僕の演説を聴いてくれていた。短かめに終えて走りとよっていくと、腰をまげたおばあちゃんがいう。
「最近、病院にひんぱんにかよわなあかんようになりました。医療費がかさんでほんまにたいへんやわ。もうちょっと医療費を安くしてほしいんですわ」「若い人に気張ってもらわな。応援しまっせ」
 固く握手をさせていただいたが、その手のざらざらと固さ。苦労に苦労を重ねた手だ。そんなお年寄りに医療費の負担を押し付ける。こんなことを許してよいのか。涙が出そうになったがぐっとこらえた。
 また、梅畑の近くで演説していると、おじいちゃんが家からでてきてくれて話をきいてくれた。これまた、かけよってくると、「国の政治では、もっと野党にがんばってもらわなあかん。迫力がたりんとちゃうか?」とひとこと。僕は、「国の悪政をかえるためにも日本の政治の中心である京都でくらしを守る政治をよびかける日本共産党を大きくのばしてください」と訴えさせていただいた。

 演説を終えて、ふと梅畑に目をやると、まだつぼみは小さいけれどふくらみをみせているものもあった。この梅をわが城陽市は観光資源として本当に生かしきれているだろうか?もっと知恵と力を集めて、梅の名所全国9位のランクインにふさわしい位置付けをしていくべきだろう。
 確実に自然の春はちかづいている。政治の春をよびさますために、がんばらなければ。そうおもいながら、懸命に花をさかせようとしている梅たちにむかっても、手をふっておいた。「がんばります。よろしく!」

午後からの挨拶まわりのなかでも、「アルプラ前で保育のことをしゃべっていらっしゃるのを聴いてました」という方と出会う。やっぱり演説をきいてくれている人たちがたくさんいるんだ。そのことにうれしくもなり、もっと工夫をし心を込めて訴えなければ、と思った一日だった。


2003年02月05日(水) 若者を応援する政治を


 朝は近鉄久津川駅で駅宣伝。後援会の方が一緒にビラ配布にたってくれた。本当に頭が下がる。その思いにこたえる活動をしなければ、と心から思う。
 午前中は、宣伝。もうお昼になるころだった。
 今年3月で定年を迎えるという女性の方が近寄ってきて、こんな話をしてくれた。
 「いま国会中継みてるけど、戦争は絶対にあかん。年寄りのなかでは、『アメリカがイラクへ戦争をしかけたら、日本もまきこまれるで。そうなったらむちゃくちゃになる。わたしら戦争は二度とごめんや』って話題になってる」 
 くらしの問題もそうだが、戦争はくらしそのものを破壊するものだ。共産党にもっとそのことを宣伝してほしい、というのだ。
 おまけの話し。「娘と息子がそれぞれ30を超して、まだ独身。誰かいい人をみつけてくれんか?」との相談も。まじめな話し、出会いがないというのは切実な課題なのだ。仕事で忙しく、なおかつ出会いの場所がない。総務省公認の「出会いチャット」の出現には驚いたが、そういう手立てを打たなければいけないくらい、深刻な事態であることも事実なのだ。

 もう一件は、青谷地域であいさつまわりをしているときのこと。ある中小業者の社長さん。
 開口一番。「若者を応援する政策を掲げていない政治家はあかんで。これからの時代は」ーーとても刺激的な話だったので思わずメモをとった。この方がいう話は大要こういうことだ。

 「選挙で、高齢者福祉の充実を公約の1番目にかかげる人がいる。あまりそういう人を応援する気にならない。もちろんそれが大切なのはいうまでもないこと。しかし、高齢者福祉に税金をたくさん使えるようにするためにも、自治体の税収をあげなあかん。そのためには、この城陽のまちに若い人たちがたくさん、住みつき、安心して子育てや働くことができる環境をつくってあげることが大切ではないのか?城陽は中小企業のまちだから、そこを応援して雇用の場をつくる。子育てしやすい環境をつくる。こうすれば、外から城陽に人が集まってくる。こうしてまち全体を元気することが必要ではないのか。そういう未来に向けたビジョンをもっている人にがんばってもらいたい」

 なるほど、と感服してしまった。まさに僕がいいたいことをズバリいってくれている。
 僕は、35歳。子育て世代で親の世代が介護保険などに世話になっていく世代。ならば、この世代の目からみたまちづくりの課題、自分の政策やビジョンを、「若者を応援する政治を」との切り口で訴えていくべきではないのか?体に電流が走った思いだった。
 さっそく、夕方の宣伝では、この角度からしゃべってみた。自分の実感が入るから、演説にも迫力がでてくるようだ。これだから、対話活動はおもしろい。新しい自分を発見させてくれる出会いでもある。
 


2003年02月04日(火) 保育園を休む

 朝は近鉄寺田駅で宣伝。駅まで車で送る人たちがとても多いことをあらためて発見。
 宣伝が終わって、帰ると息子の様子がおかしい。服は着替えていたがどうも保育園にいくそぶりをみせない。「さ、保育園いこ」って抱き上げようとすると、「ぼく眠たいの、保育園行きたくない」とごねはじめた。最初は、やさしく声をかけていたが、だんだんイライラが募ってきてしまい、「お父ちゃん、大事なお仕事があるんだから。いってくれ!」と最後は怒鳴ってしまった。

 「また、やってしまった。」ーーーすぐに自己嫌悪にさいなまれる。すでに今日のスケジュールが決まっていて自分ひとりの責任で他の人に迷惑をかけられない。そう思うと、目の前でいつもどおり保育園にいってくれない息子に「なんでいってくれへんのや!!」とあたってしまう。この子に何の責任もないことなど、十分わかっているのに。
 息子は、泣きながら僕のひざの上でシクシクしているうちに、いつのまにか眠りはじめてしまった。保育園に電話でお休みの連絡をし、しばらく背中をトントンしてあげていると、深い眠りにはいってしまった。結局、午前中いっぱい眠りつづけた。
 午後からが大変だ。僕は挨拶まわりの計画がすでに入っていたので、とにかく事務所でビデオでもみていてもらおうか、と目覚めたばかりの息子を車にのせて出発。事務所にいくと、スタッフの人たちがあちこち連絡をとってくれ、幸い、知り合いの方がお家でみていただくことになり、ご好意に甘えて夕方までみてもらった。
 
 普段の僕は、議会開会時以外は時間に窮屈にしばられる生活をしていない。だが、こうして分刻みのスケジュールのなかで息子の登園しぶりなどがあると、出勤時間がきまっている会社づとめのお父さんやお母さんは本当に大変だろう、とあらためて思う。

 夜、妻が息子から保育園に行きたくなかった理由を聞き出した。
「保育園にね。マメまきで鬼さんがきて、走りまわるのがこわかったの。。。。」息子は今日が保育園の豆まきの日であることを知っており、昨年の経験から鬼さんが走り回る姿を覚えていて、それが怖くてしかたなかったのだ。その話をきいて、息子の想像力の豊かさ、神経の細やかさ(臆病?)に驚いた。そしてそんなことを考えずに、朝しかりとばした自分を悔いた。

 活動のことを少しだけ。午後の挨拶まわりでは、「ポスターでよくお見かけしています」という反応が何件かあった。夕方の宣伝では、寺田駅ロータリーでいつまでも手をふり続けて激励してくれる人がいた。
 いつか息子にも、なぜ自分の父親が、息子をしかりとばしてまでマイクで訴え、お家をまわり挨拶を続けることをしているのか、そのことをわかってもらえる日が必ずくるにちがいない。そう自分に言い聞かせて、明日もまたがんばりたい。


2003年02月03日(月) 終日、宣伝で訴える


 日曜日。朝は木津川マラソンの参加者、ボランティアのみなさんを激励。何度かボランティアのお手伝いをさせていただいてきたが、今回は候補者活動もあるので協力できなかったが、懸命に走る姿を見るとこちらが元気になってくる。来年は、ぜひボランティアで参加したい。
 途中で失礼してその後終日、宣伝カーを走らせ訴えさせていただく。

 ときおり雪がちらつくような寒さ。昼休憩のときに嫁さんに掛毛布をかってきてもらい、腰から下をあたためる。窓は全開で走っているから、風の冷たさをもろにうけてしまうからだ。
 夕方宣伝をしていたら、保育園の保護者とか顔見知りの人たちが車中から手を降ってくれた。
 こういう瞬間がとてもうれしい。明日から、さらにパワーアップして訴え抜いていきたい。


2003年02月02日(日) 「達人」はいないか


 朝は10時から「しんぶん赤旗」を拡大する活動。以前に読んでいただいた方などを中心に訪問。
 いろんな人との出会いは、毎日が新しい発見の連続である。とくに、地域はいろんな分野の「達人」がいることに驚かされる。昨日も飲食店を開業されている方が、実はプロの写真家で、もう何十年と京都市内の風景やお祭り、人物を撮り続けているという話しをお聞きした。城陽市史の写真などもチームを組んで撮影したということだ。今度、ファインダーからみた、地域社会の移り変わりのようなことをぜひ聞かせて下さい、とお願いした。

 考えてみれば、人はそれぞれがなんらかの目標をもって、それに向かって毎日を生きている。何億人いても「自分」という存在は地球にたった一人しかいない。だから、その自分が生きた証を、自分が納得できる歴史を残したいと思うのは、ある意味で本能的な欲求なのかもしれない。だから、一つの思いをもって打ち込むものには、主張があり、他にはない個性があり、美しさもでてくる。
 そういうことに打ち込む「達人」を発見して、激励し、ひとつのネットワークにしたら、地域のまちづくりはどんなに魅力的で活力のあるものになるだろう。これからの行政は、この人間らしさに注目した施策にこだわるべきだ。そんなことを午前中の行動で、一緒にまわった後援会の方と話していた。とても面白く、元気になる行動だった。
 この後援会の方もまた、子どもに好かれ、自然と戯れるすごい「達人」でもある。

 午後1時から、知人の告別式に参列。ずっと寝たきりの生活だったそうだ。家族の苦労も大変だったと思う。帰ってから、妻に「もし僕が、いまごろから寝たきりの生活になったら、別れて息子と一緒に生きてくれよ」っていうと、「だれが、あんたの面倒みるのよ。バカ」といわれた。グッと込み上げるものがあった。
 
 午後は、ずっと街頭宣伝。夜とっぷりと暮れるまで。8時からは、民主商工会の地元の新年会があり、ごあいさつをさせていただく。しんぶんを配り、長い一日が終わった。
 
 
 


2003年02月01日(土) 合併任意協が解散


朝の駅宣は富野荘駅。ビラ配布に参加してくれた後援会の方と、「城陽で子どもミュージカルやりたいね」という話題で意気投合。いまは選挙のことで精一杯だが、自分の原点となる活動だけにどうしてもものにしたい、と強く思っている。

  午前中は、「議会だより」発行のための議会運営委員会。それに先立って、広報課に「7市町合併に関する談話」を届けた。談話の全文はあとでサイトにアップするが、30日の「宇城久・綴喜地域合併・将来構想策定協議会」が参加自治体の足並みがそろわず、解散に追いこまれた事態をうけての談話である。
 京田辺市と久御山町が独自のアンケート結果などをうけて、「合併せず独自のまちづくりをすすめる」旨を表明したことから、4市3町の枠組みが崩れたことが、任意協議会解散の理由である。当然の帰結である。事態は、日本共産党が指摘する方向に大きく動いたことになる。
 日本共産党議員団は、そもそも今回の合併論議が、自治体の下からの議論ではなく、国や府の財政難を理由に、あらたな自治体の枠組みづくりで財界がめざす大型事業への投資の受け皿をつくることが最大の目的にされてきたこと、合併の是非そのものの論議がまったくといいほどなされていなかったこと。十分な住民への情報提供がなされなかったこと、などをあげて、今回の任意協議会の解散を歓迎している。他方、合併を志向している自治体での法定協議会づくりの火種も残されており、今後の推移をしっかりと監視する必要がありそうだ。



 午後からは、東部地域の挨拶まわり。4時からは、乳幼児ネットの会議。そこで、「抹茶ケーキ」の差し入れをいただいた。(写真)とってもおいしくて、おもわずパチリ。
 夕方からは、また街頭で宣伝。夜は、青谷で小さな集会がもたれ、参加させていただいた。



 
 
 


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