ヤグネットの毎日
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2002年09月30日(月) 子どもの医療費無料化で市内を宣伝


  29日は午前中、「しんぶん赤旗」を増やす活動で地域を回る。
 午後からは、「子どもの医療費の就学前までの無料化を求める城陽ネットワーク」のみなさんが宣伝。
 くまのプ−さんの着ぐるみまで登場。これが、大ウケだったようだ。なにしろ宣伝カーの助手席から、くまの着ぐるみが手をふり、スーパーの前で風船を渡すのだ。子どもたちがおおはしゃぎで握手を求めていた。
 あとで聞くと、署名が63筆も集まり、わざわざ車を止めて署名用紙を預かってくれた若いお母さんまでいた。JR城陽駅では、若い人たちが列をつくって署名してくれた。いかに切実な要求になっているのかが、よくわかったと事務局の方は話していた。

  ところで、あの着ぐるみの中に入っていたのは、いったい誰だったのだろう?
 


2002年09月29日(日) 深夜のラジオ


 
 深夜2時から、MBSラジオで「まいど 石田靖です」を聴いた。深夜放送を楽しみにして聴いたのは、高校時代の「中島みゆきのオールナイトニッポン」以来だ。この番組に、日記に何度か名前が登場する、今村克彦さんが出演。石田靖さんと1時間半、教育や子どもたちについて熱く語り合った。
 歯に衣をきせぬ今村先生の話しは、教育行政や教育現場における本質をズバリつくものばかり。いまほど、教師集団が子どもたちに向き合うために力をあわせるべきだ、ということ。「いじめ」は、その子が「いやだ」と思った時点が「いじめ」なのであって、なぜ「いじめ」が起きたのか、その原因を徹底してその子にかかわる過去に溯って資料を集め分析すること、それはすなわち子どもの立場から子どもが抱える問題を一緒に考えてあげることが大切だ、ということ。こんな話が合間にギャグを挟みながら、ものすごいアップテンポですすんでいく。深夜にひとり腹を抱えて笑う自分。うんうんとうなずく自分。ひさしぶりのことだった。
 
 28日は朝、久世小学校の運動会。前日からの雨で開催が危ぶまれたが、早朝から先生やPTAの方たちがグラウンドを整備し、開催にこぎつけたそうだ。頭が下がる。他の小学校では延期にしたところもあったという。保育園の保護者で小学校にお兄ちゃんやお姉ちゃんを通わせている方と何人も出会った。卒園した子の元気な顔もみることができた。中学校と違って、小学校では応援合戦がある。元気一杯の声が運動場いっぱいに広がった。1年生と6年生は体格がこんなにも違うものか、とあらためて驚いた。
 子どもたちの姿を見ていたら、活動が再開できていない「少年少女合唱団」のことが頭をよぎった。なんとか今年中にアクションを起こさなければ…。

 運動会を途中で失礼させていただき、「あるもの」を借りに京都市内へ。「あるもの」は何かは、明日の日記を読んでもらえればわかるだろう。
 午後と夜は、党の会議。10月12日に後援会のみなさんが計画しているボーリング大会の企画の詳細について、いっしょにご相談。昼食をとったあと私の議会報告と懇談を予定しているが、そのあとに「アトラクション」をやってはどうか、と提案させていただいた。「私の特技」「私の自慢」などを発表できる「小さな舞台」をたくさんつくることが大切だ、という思いがある。歌でも三味線でもバイオリンでも手品でもいい。自分を表現しそれをまわりの人に伝える「場」の提供から、文化はおこる。ぜひ後援会企画でも実現してほしいと思っている。

 
 


2002年09月28日(土)  9月議会終わる

 9月9日から開かれていた城陽市議会9月定例会が27日、すべての議事を終え閉会した。
 最終日の27日の目玉はなんといっても意見書の審議。大変興味深い結果となった。
 意見書とは、政府等の関係機関に地方議会としての意志を示す大切な手段である。議会での会派の政治姿勢などが一目瞭然となる。
 先日も書いたが、9月議会には、「第二名神高速道路の建設促進」「原発の総点検と安全対策を求める」「イラク攻撃に関して」「住民基本台帳ネットワークの見直し」の4本の意見書が上程された。第二名神道路以外は、日本共産党からの提案である。
 「第二名神高速道路の建設促進」の意見書の提案説明がはじまったところで、まず「緑の会」4人が退場。「城志会」の3人も続いて退場した。議長を除く議員総数は25人。この時点で、7人が議場から姿を消した。議場から退場することには様々な意味があるが、「少なくとも賛成の立場をとれない」という意味があることだけは確かだ。もし仮に日本共産党の7人が退場してしまうと議会の成立そのものが危うくなる。僕たちは後に上程が予定されている3つの意見書の採択を求めている立場から、討論をして反対の挙手する方針をとった。
結果は、賛成10(自民党市民クラブ、市民クラブ、ひびきの会、公明党)、反対8(日本共産党、無会派・本城隆志)、退場7(緑の会、城志会)つまり、「第二名神高速道路の建設促進」を国に求めることは25人の議員のうち、わずか10人の議員の賛同しか得られなかった。逆にいえば、15人の議員がなんらかの形で反対の意志を表明したともいえる。これは、「国の責任で第二名神高速道路の建設をお願いしたい」と強気の発言をくりかえす橋本市長に大きな影響を与えることは間違いない。
 市民的に第二名神道路建設の問題点を知らせていく活動を強めていけば、「こんな高速道路はいらない」の世論をつくることは可能だ。そのことに確信をもった。
 
 その他の意見書の採決結果も興味深い。
 「住民基本台帳ネットワークの見直し」は、賛成 10(城志会、日本共産党)、反対11(自民党市民クラブ、市民クラブ、ひびきの会、公明党、無会派・本城隆志)、退場4(緑の会)。わずか一票差で否決された。
 「原発の総点検と安全対策を求める」は、賛成15(城志会、日本共産党、市民クラブ、ひびきの会、無会派・本城隆志)反対6(自民党市民クラブ、公明党)、退場4(緑の会)。圧倒的多数で可決された!
 「イラク攻撃に関して」は賛成 11(城志会、日本共産党、無会派・本城隆志)、反対10(自民党市民クラブ、市民クラブ、ひびきの会、公明党)、退場4(緑の会)。こちらは、わずか1票差で可決された。
 自民党と公明党は、とにかく共産党が提出する意見書には頭から反対という立場で一貫した。しかし、他の会派は内容によって自らの立場を決定するという、議会人らしい態度でのぞんだことになる。僕は、心から敬意を表したい。

 本会議終了後は、市町村合併問題での全員協議会が開かれた。議会として市町村合併問題で「勉強会」を開くのは、これが二回目。ところが行政レベルでは、急ピッチで具体化がすすもうとしている。字城久と綴喜の7市町を単位として「合併を前提にして」様々なシュミレーションを試みた「報告書」がまとめられ、関係自治体が集まり住民への「素材提供と意識調査」を行う、任意の協議組織を10月10日に立ち上げるという。
 「合併するかしないかは、住民がきめること」ーーそういいながら、合併しか道はない式のなし崩し的な合併おしつけは絶対に許せない。逆算すると今年中に(今年度ではない!)結論をだし、来年3月までに、合併をすすめるための法定協議会を立ち上げないと、様々な「優遇措置」があるとされる合併特例法にもとづく手続きが間に合わないという。だいたい、わずか3ヶ月で対象となる約40万人の住民に「なぜいま市町村合併なのか」「合併したらわがまちはどうなるのか」の情報提供と意志の確認をとれるはずがないではないか。こんな漫画のような話しを平気で押しつけてくる、国や京都府。相当あせっているとみえる。
 拙速は正確な判断を誤らせる。この問題では執念を持って、合併を許さないために取り組みを強めたい。
 


2002年09月27日(金) 議会の役割がとわれている

 26日は朝から議員団会議。翌日の最終本会議に向けての対応協議、本会議終了後の市町村合併問題での全員協議会対策などで1日みっちり議論を深めた。
 議会最終日の花形は、意見書の論議である。9月議会には、4つの意見書が提出されている。日本共産党からは、「イラク攻撃に関する意見書」「住民基本台帳ネットワークの見直しを求める意見書」「原発事故隠しに関する意見書」の3つを提出。これらには、中立会派の「城志会」の議員さんが賛成者につらねてくれた。
 「いいものには賛成するのは当然だ」ーーあたり前だが、長く「悪しき慣習」となっている「共産党はずし」を一蹴してしまった「城志会」のみなさんの政治感覚に、僕は心から敬意を表し高く評価している。

 もう一つ提出されている意見書が、「第二名神高速道路の建設促進を求める意見書」だ。今度の9月議会では、第二名神道路建設予定地の沿線自治体のそれぞれの議会で、「建設促進を求める」意見書が次々と提案されている。不思議なことに、文書の言い回し等がウリ二つなのだ。

 このさいハッキリと暴露しておきたいのだが、毎年行政側からは、議会に対し「道路特定財源の確保を求める」意見書をあげることの要請が案文つきでくる。僕たちは、行政から独立したチェック機関である議会がなぜ行政から頼まれて意見書をあげなければいけないのか、加えて道路特定財源をやめて一般財源に組み入れるべきだという政策的な見解の相違から、一度も賛成したことはない。
 今回の「第二名神道路の建設促進を求める意見書」も近隣自治体で案文まで同じということは、この意見書案が行政側が作成し議会であげてもらうことを要請してきたのでは、と容易に想像できる。
 いま、高速道路建設についての「凍結や見直し」が叫ばれているのに、採算性という点でも「必要性」でも疑問視する声が噴出している第二名神道路について、こともあろうに行政のムダ遣いをチェックする議会が行政の求めに応じて建設要望の意見書をあげるとは、いったいどういことだろうか?

 仮に第二名神道路が城陽を通過し、そのために莫大な地元負担としてわたしたちの血税が使われ、財政悪化がさらにすすみ、その穴埋めに莫大な市民負担が強行され、くらしがいっそう大変になったとき、そして、城陽の環境が著しく汚染され自然が破壊され人々が住みにくくなり、城陽から流出に歯止めがかからなくなったとき、この意見書の提案を画策し、賛成に手をかした人びとは、どう申し開きをするのだろうか?そんなことに手をかすことが、市民の利益を守る議員の役割だろうか?まさか「あとは野となれ山となれ」ではあるまい。
「すべてを子どもたちのために」最善のものを引き継ぎたいと願う僕にとっては、絶対に許すことができない。多くの市民の方に、この議会の有り様を知ってほしい。


2002年09月26日(木) ようやく教室の室温調査



城陽市議会は一般質問最終日。
 日本共産党は、ごどう辰文議員が登壇した。来年度から障害者の施設利用がこれまでの措置制度から支援費制度へと変わることに伴う諸課題と、公共下水道工事の進捗問題などを中心に質問した。
 福祉分野では、介護保険制度に続いて「措置」から「契約」へと制度のあり方を大きく変えるもので、いちばんのねらいは、国の財政負担を極力減らすことだ。ごどう議員は、制度変更によって障害者や家族への負担が増えてはならない、という立場から「重度加算の継続」「サービス低下をさせないこと」「利用料が現行水準から低下し負担にならないようにすること」を要求した。行政側は、障害者の自立と社会参加、自己決定の尊重などからこの制度がスタートしたことを説明し、全体としてサービスの低下とならないよう努力する旨の答弁があった。しかし、実際にはこの制度の京都府からの説明が質問の当日にやられていることもあり、本格的な具体化はこれからである。しっかりと注視していく必要がありそうだ。

 その他の議員の質問で注目した問題を何点かかいておく。

 「普通教室」へのクーラー設置の必要性を問うた議員への答弁で、城陽市は今年8月7日、全小中学校の普通教室を対象に教室の温度調査を実施したことを報告した。教室の温度調査は昨年12月議会の文教常任委員会での請願審査で、普通教室へのクーラー設置を求める項目があったので、委員会で論議となった。
 他の委員さんのなかには、「子どもたちには暑さに耐えることも学ばせなければならない」と真っ向から必要性を否定された方、「普通教室にクーラーをつけたら莫大な予算がかかるから無理だ」という方もあった。その中で、僕と飯田議員は「せめてどれくらいの暑さなのか、調査を実施すべきだ」と主張した。その当時の教育部次長が「調査します!」と答弁していたので、「ようやくやってくれた」という思いが強い。

 具体的な調査は次のとおり。8月7日の正午と午後2時の二回にわたり、市内の小中学校の教室で、最上階の窓側にある教室を選び温度を測定。その結果、最高温度は39°Cで、最低温度は32、5°C。平均36°Cであった。なお、文部科学省は、普通教室への空調設備の設置にむけて必要な予算を概算要求で要望しているが、城陽市では、今後の計画については検討課題ということであった。
 必要性は明白なので、計画的に実施していくことをこれからも強く求めていきたい。

 さらに、学校給食についての新センター建設問題で、「米飯の直営での炊飯をやるべき」と提案した議員への答弁で、教育長は「米飯の直営炊飯は前提している」と答弁。これは驚いた。先日の文教委員会での飯田議員への答弁では、「今後の検討課題」という表現で、「できるかできないかも含めていちど検討はしてみる」というニュアンスが強かったように思う。それが、与党議員への答弁では「前提にしている」と超前向き答弁。市民の要求が実現することはよいことなので、構わないのだが、どの議員に対してもわかりやすい答弁を期待したいものである。

 


2002年09月25日(水) 自治体の役割が問われている

 城陽市議会は、一般質問の三日目。日本共産党からは、飯田薫議員と若山憲子議員が登壇した。
 飯田議員は、お年より世帯に設置されている「シルバーフォン」の機能充実と踏切りの改良等をはじめとした近鉄寺田駅の周辺整備について質問。若山議員は、介護保険の現状と課題、公園のリニューアル計画の進捗状況を質した。
 二人の質問が行政に問いかけたのは、「自治体の役割とは何か」という基本的だが一番城陽市に欠ける問題だ。
「シルバーフォン」は、65歳以上のお年より世帯、身障者のみの世帯、その他安否確認が必要と認められる世帯に設置されているもので、城陽市内で200台が現在設置されている。万が一の事態には、地域の福祉協力員宅が2カ所、そのどちらにも連絡がとれなかった場合には消防本部につながる仕組みだ。
 飯田議員は、心臓疾患をもつ高齢者が突然倒れ、一時間も仰向けのまま動けず生死をさまよった悲痛な体験をもつお年よりの話を紹介しながら、「地域の福祉協力員の電話は、留守電機能やファックスがついているものではだめ、すぐに対応できる状態にあること」など条件が厳しい。消防本部にすぐにつながるように改善すべきだと主張した。
 これに対し、城陽市は「国の方針で、地域の協力体制が重要との考えからまず地域の協力者二人までの所に連絡が入り、不在の場合には消防署に連絡が入る仕組みをとっている。助け合いの社会を作るのが趣旨であり、変える考えはない」とつっぱねた。
 城陽市のシルバーホンの利用状況は、平成13年で5件の発信、3件を搬送、14年8月現在では4件の発信、3件の搬送で、他市に比べても少ない、ということである。
 市民相互の助け合いはもちろん大切だ。しかし、市民の命を守ることこそ自治体の一番大切な役割ではないのか。そして、市民が安心できる救急体制をつくることこそ優先してやるべき仕事ではないだろうか。
 「国の方針だから」。何ごとも「お上がいうことだから」。「お金もないし仕方ない」。これでは、特色があり市民から喜ばれる魅力あるまちづくりなどすすむはずがないではないか。

 若山議員の公園のリニューアル計画の進捗状況を問うたことに対しても、行政は「魅力ある公園をつくるために現在作業中」という何とも味気ない答弁。

 昨年11月の決算委員会で、青谷の児童公園にある遊具で2歳になる幼児があやまって足を踏み外したり、浮いたくぎにひっかかり転倒する、などの事故がおきた。この問題を僕はとりあげ、改善を要望したところ、行政側からは、「平成13年度中にリニューアル計画を策定中であり、そのなかで改善を図る」と答弁していたのだ。いったい、検討にいつまでかかっているのだろう?

 これも、ある意味で当然である。城陽市の200を超す公園について、関係する自治会等と一つひとつ相談をしようと思えば、それなりの体制が必要だ。職員体制をしっかりしてこそ、住民サービスや住民のための仕事は進むものだろう。その点でも、この公園リニューアル計画策定の異常なまでの遅れは、自治体のあり方が問われた問題なのである。


2002年09月24日(火) 蜘蛛退治の波紋



 先日の日記で、「大グモが我が家に突如あらわれ、妻がほうきとちりとりで退治した」と書いたところ、プライベートサイトのBBSに「蜘蛛は益虫。かわいそう」という反応があいついで寄せられた。ある方は、次のような投稿をしてくれた。ご本人の了解を得て紹介する。

 私は百姓の三男坊です。故郷では、ひい爺さん、ひい婆さんをはじめ、家族、親戚、ご近所大人という大人みんなから言いきかせられたものです。「クモは大きいのから小さいのまで、どの種類のものも1匹たりとも殺してはならぬ」と。
 小さいクモは田畑の害虫を、家のなかをピョンピョン跳ねるクモはハエや蚊を、網を張るクモは蛾やイナゴを、大きいクモはゴキブリを、「人になり代わって捕まえてくれる大事な神様のおつかい。人家に迷い込まれたおりには、そそうのないよう、戸口からそっとお帰りいただくように」と。
 古い実家には縁の下があるので、そこに身を隠す巨大グモをよくみたものです。たびたび、茶の間にひょっこり出てきましたが、「あ、いる」ぐらいの感覚で、そのままテレビを見続けていたものです。
 まあ、ほうきで戸外に掃きとばすくらいはかまわないでしょうが、人間に危害を加えることは皆無ですので、つぶして殺すまでは勘弁してやってはもらえないでしょうか。
 彼らに高度な脳があったなら、きっとこう考えるでしょう。「なんでや!」。

 現在住む京都の家でも、都会育ちの妻が「つぶせ」「殺せ」と私に催促します。僕が、故郷の大人たちと同じことを言って、クモやトカゲ、ヤモリを窓から逃がしてやると宇宙人を見るような目で見つめます。
 環境の違いかなぁ〜。クモに限らず田舎には、大人から子どもに伝承されるしきたり、しつけのための言葉が山ほどありました。「夜に笛を吹くとヘビが布団に入ってくる」(夜に近所迷惑だからやめろ)、「夜に爪を切ると親の死に目にあえない」(深爪するから、爪は明るいうちに切りなさい)、「ミミズに小便をかけるとちんちんが腫れる」(立ちションするな)、「買ったばかりの靴を夜にはくと天狗に下駄で殴られる」(慣れない靴を夜道ではくと、こけて頭を打つぞ)などなど。
 それだけコミュニティーの人間同士の結びつきが濃かった、ということなのかな。地域全体で子育てをしていたため、余裕があったから、子どもをしつけるためのユーモラスな言い回しが生まれたのかもしれませんね。
 科学万能の時代に「神様のおつかい」とか「天狗」というと、子どもにバカにされるでしょうが、今の時代に見合った同様の言葉は生まれるでしょうか。


 この投稿には、生き物に対する接し方はもちろん、大人と子どもをめぐるむすびつきの問題など、大切なことが投げかけられている。
 よく考えれば、銀行員の息子としてわりと都会に近いところで育った僕にとって、蜘蛛など小さい生き物と日常的に接したり、地域全体で子育てをする環境というのは、すでに崩壊しているもとで育ってきたように思う。自分のなかに、ひ弱さを感じるのはそうした自分が育ってきた環境が影響しているのでは…。自分の生育過程まで、蜘蛛退治で振り返ることができた。ぜひ、プライベートサイトに遊びに来てほしい。

 


2002年09月23日(月) 京都まつり

 京都市左京区の宝が池公園で行われた「京都まつり」に17000人もの人たちが集まり、模擬店や文化イベント、筆坂秀世書記局次長による記念講演などで大いに盛り上がった。僕も妻と息子とともに参加。
 城陽市の党後援会は、いちじく、キノコ御飯、城陽の地酒、つきたての餅、城陽の特産の寺田イモなどを販売。仕入れから、搬入、販売と後援会のみなさんの熱心な活動には、本当に頭が下がる。本当にごくろうさまでした。7人の議員もそれぞれの物品の販売に協力(僕はあまり売れなかったが)。
 乳幼児医療費無料化の就学前までの拡大を求める署名も30筆集めることができた。
 
 一区切りついたところで、文化後援会のテントへ。僕が所属する男声合唱団の指導者としてお世話になっている、ヴォーカリストの中島比沙子さんも二曲ほど美しい声を披露されていた。僕も「歌声喫茶」タイムに「翼をください」を歌わせていただいた。

 帰りに京都駅前のアバンティの6Fのブックセンターによる。高世仁さんの「拉致」(講談社文庫)と岩波新書二冊「読書力」(齋藤孝著)「市場主義の終焉」(佐和隆光著)を購入。
 「拉致」は読みはじめたばかりだが、巻頭で横田めぐみさんの父君である横田滋さんが読者に訴える一文を寄せている。めぐみさんが中学での部活動を終え帰宅する途中で忽然と姿を消してから実に四半世紀が過ぎているのである。この間のご両親のわが子を思い、必死で行方を探し続けた心中を思うと、言葉を失う。
 また、拉致被害者の肉親が高齢化し、わが子の安否を思いながら亡くなられた無念を思うと、怒りがこみあげる。読み終えたところで感想はまたこの日記でも紹介したい。

 京都まつりで一番楽しんでいたのは、息子だった。親と子の広場のトランポリンが相当気に入ったようで、ずっとそこで遊んでいたらしい。よっぽど疲れたらしい。近鉄電車のなかで息子は抱っこをせがみ、やがて僕の腕の中で寝てしまった。
 窓に吊り輪がうつり、その向こうでは夕焼けに映える東寺の五重塔。
 何人の人がこの吊り輪につかまり、何人の人がこの夕焼けと五重塔をみつめたことだろう。幾千万の人が生まれ、生き、死んでいくその歴史の中で、人間の感情と理性とがぶつかりあい、一つの社会をつくりあげている。

一見無秩序のように感じるけれど、「幸せになりたい。よりよく生きたい。命を大切にしたい。」という思いでひとつにつながるはずだ。そのつなげ方、気持ちの確認の仕方、それをどうすすめていくのかに問題関心がある。文化や芸術というものがその際にとても有効である、というのがいまの僕の到達だし、どういう方向を目指すべきかをともに考え見い出すところに、政治の役割がある。

 自分に果たせる役割とは何だろう。それは十分に果たせているか。自分を必要としているのはどういう人だろう?

そんなことを考えて息子の顔を見る。全体重を預けて睡眠をむさぼっている息子が愛おしく、ギュ−と抱きしめた。ほっぺは、いつもながらよだれのにおいがした。


2002年09月22日(日) 合併問題シンポジウム

 
 午後、宇治市内で、京都南部の市町村合併についてのシンポジウムが開かれた。城陽市も含め、あまり活発に合併問題が表に出てこなかった。ところが、この9月突然、宇治市の久保田市長が「市町村合併のための協議会結成の呼びかけ」を行ったことから、国や京都府下の強い圧力もあり水面下では着々と準備をすすめているようである。

 この日のシンポジウムは、「押しつけ合併」に反対であり、いま必要なのは、くらしを守る組織としての自治体が自治の力をいかにつけ、魅力あるまちづくりを住民と力をあわせてすすめるかこそ、21世紀の地方自治の課題であること。これが、全体の基調であった。
 とくに、「合併をすれば、地方交付税も増え、まちづくりにプラス」という甘い誘い水が、とにかく合併を促進したい国などのごまかしであることなどは、住民に広く知らせるべきだ。さらに、宇城久と綴喜の7市町が合併するとなると、先進自治体の先進施策は、全体とのバランスからゼロにもどされることになる。そうなれば、京田辺市の住宅改修助成や乳幼児医療の就学前までの無料制度も「元の木阿弥」となる。
 こんなことを、京田辺市の住民が納得するはずがない。こういう、危険な罠がいっぱいしかけられていることなども、ほとんど知らされていないのが実情だ。

 なによりも、住民がわがまちに誇りをもち、小さくても活気があって、魅力ある個性的なまちづくりをすすめていくんだ、という自治精神と要求にもとづく多彩な運動こそが求められる。

 城陽市議会では、27日の本会議終了後に全員協議会でこの問題でのこの間の取り組み状況などが報告される。近隣自治体の動きなどもよく掌握しながら対応をすすめていくつもりだ。

 昨晩が、「十五夜お月さん」だった。でも、雲がかかって、見ることができなかった。残念。





 


2002年09月21日(土) 住民の不安にこたえた自主的判断を「法律違反」

 城陽市議会は一般質問を行う本会議の二日目。共産党議員団からは、山本よし子議員が「住民基本台帳ネットワーク」について、児童福祉施設の改修計画などについて質問。
 質問で山本議員は、国レベルで個人情報を保護する法律が成立していないもとで、プライバシーが守られるのかという住民の疑問や不安は払拭されていないと指摘し、矢祭町や東京・杉並、中野区など独自の立場で参加をみあわせた自治体を紹介しながら、「住民の立場にたって中止すべき」だとキッパリ主張した。
 この問題で市民からの問い合わせは、238件。うち、苦情が34件で反対が26件だという。

 驚いたのは、矢祭町や東京・杉並、中野区など独自の立場で参加をみあわせた自治体の取り組みをどう評価するか?との問いに、行政側が発した答弁だ。
 国で決まった法律を遵守すべきで、「法律違反」であると指弾したのである。住基ネットへの参加を見合わせている自治体は、「住民票が全国どこでも受け取れる」などのメリットと住民全体のプライバシーが侵される危険性とを天秤にかけるなら、自治体としてとるべき態度は、たとえ国の制度であれ、住民の不安にこたえることだと判断しているのだ。地方のことは地方できめるという、まさに地方分権の精神が貫かれた態度ではないだろうか。それをこともあろうに一地方自治体の担当部長が国になりかわって、「それは法律違反だ」とは、何ごとか?!
 第二名神道路の建設も国だのみで建設の是非すら市民に聞く耳を持たず、住基ネットの問題でも国に追随。橋本市政の課題が見えてきた。

 十五夜のお月さん。月の輝きが雲に被われてくっきりとは見えづらかったが、雲の後ろから溢れだしそうな光が神秘的。
 ついこの前、わが家に超巨大グモが出現。大人の手のひらよりも大きいもの。家族みんなで「ぎャー!」。
本当なら、父親である僕がクモ退治の先頭にたつべきなのだろうが、僕はこの類いの生き物が大の苦手。結局、妻がほうきとちりとりを持って追いかけ、見事しとめた。やれやれ、と思っていたら昨晩、今度は別の種類の巨大クモが出現した。こんどは息子が見つけた。絵本を読んでもらっている時に、顔が「フリーズ」し、「へんなものがいるよ」といって後ずさり。今回も妻がほうきをもって果敢に追っかけたが見失った。
 どこに出没するのか不安な面持ちのまま、就寝の床についたわが家族。夢の中にでてくるならまだいいが、寝床を這ってまわったら、どうしよう…。


2002年09月20日(金) 国いいなりとはこのことなり



 朝、庭をみたらトンボが飛んでいた。秋らしさを感じさせる瞬間だ。でも「赤とんぼ」ではなかった。最近、「赤とんぼ」が激減をしている、という。地球環境の悪化が原因であると新聞記事で読んだ記憶がある。
風物詩、風情といったものが一つひとつ失われていくのを拱手傍観していてはいけない。そんなことを思うこのごろだ。

 城陽市議会は、19日から一般質問がスタートした。それに先立つ一般会計補正予算の審議で、運営費として計上されている「ファミリーサポートセンター事業」に関連して質問した。
 これは、保育ニーズの多様化と高まりのなかで、子どもを預けたい人とお世話をしたい人を行政があっせんをして、子育てと仕事との両立などに役立ててもらう、というものだ。こうした地域で、社会で子育てを支援する取り組みが強まることはとてもよいことで、僕は率直に評価した。
 同時に、これですべてよし、ということではなしに、既存の保育施策、サービスをさらに充実させてほしい、ということも要望させてもらった。

 一般質問では、わが党の奥村守団長の質問で、橋本市政の「国いいなりぶり」がとても鮮烈に明らかになった。

 奥村議員は、橋本市長が「第二名神建設要望」を盛んに行うことについて、「必ずしも建設促進が市民の願いではない。市民の声をまず聞くべきだ」「京都ー大阪間の高速道路は、京滋バイパスと第二京阪道路の完成により、完璧を通り越し過剰な域に達する。なぜ、第二名神が必要なのか、市民に説得力をもった説明ができるのか?」と迫った。
 これに対し、答弁にたった助役も市長も、「高速道路といった国土軸の形成にかかわる事業は、国において責任をもってやっていただくべきもの。本市は国の政策にもとづいて、第二名神の通過を盛り込んだ基本構想をうちたて、それにもとづくまちづくりをすすめていく。」の一点ばり。「なぜ、第二名神道路が必要なのか」については、答弁不能。国がやることだから、城陽市として口を挟むべきものではない、というまったくの国いいなりの姿勢に終始した。

 これで何が地方分権か、何が市民参加のまちづくりか。なにが、緑と太陽とやすらぎのまちか。
 
 いま、この大いなる誤謬に気がつかなければ、途方もない借金財政、市民のくらし破壊にまたぞろ、後戻りをすることになる。多くの市民とともに、この事態を知らせ声をあげなければ。

 赤とんぽもこの城陽から完全に姿を消してしまうのは、心の原風景がまた一つなくなるようで、さびしさが募る。国いいなりにならないとは、自立した人間として、自立した自治体として、自分の頭で考え、行動し、結論を出していくことなのだ。その意味で、自治体も人間のあり方も共通するものがあるのではないだろうか。

 


2002年09月19日(木) 空理空論

 すっかり秋空。さわやかな風が心地よい。午前中は、地元の中学校の運動会。来賓席に座って、中学生たちが力一杯走るところを応援させていただいた。
 午後は、山砂利採取や第二名神問題などを集中的に審議する、議会の特別委員会の審議の様子を傍聴。
 その審議のなかで、耳を疑う答弁があった。

 第二名神道路の建設についてだが、城陽市は商工会議所などと連携して、建設促進運動に狂奔している。
 ある与党議員が、「第二名神が城陽市域を通過することが決まった当時から、すでに10年前後が経過している。バブルも崩壊し、右肩上がりの経済が終えんするなど、社会経済情勢も変化している。この高速道路の通行量などの予測に変化があるのではないか。また、自治体で建設費を負担する可能性もあるが、市財政は大丈夫か?」などと質問。
 これに対して、助役は「通行量の予測等は、道路公団がやるべきもので試算等はしていない。」「建設については、基本的には国の責任で(国費)でやっていただくのが前提だ。仮に地方で負担する場合が生まれても、対応できるように、財政の構造改革、財政の効率的運営を努力している。」というのだ。

 第二名神の必要性の核心部分である、通行量の予測等を市独自でやらずに、どうして地元経済の活性化に効果があるといえるのか?

 地元負担が生まれても、対応できるように財政の構造改革をはかるというのは、福祉やくらしなど市民サービスを切り捨てることと同義ではないのか?公害をまきちらし、膨大な市民負担の強要で「過剰施設」である第二名神道路を建設することに狂奔する。

 こんな空理空論で、私たちの税金が使われて環境が破壊されては、たまったものではない。

 いよいよ、市民的にこの事態を知らせていくことが必要だ。

 なんかへんだよ!城陽市政。


2002年09月18日(水) やるせない

 日朝首脳会談のなかで、拉致の事実を北朝鮮が認め、死亡8人生存者5人というショッキングな報道を聞いたのは、夕方のことだった。そのニュースを確認して、暗澹たる思いを引きずったまま、息子を保育園に迎えにいった。「公園でキックスケートをしたい」ときかないので、すでに薄暗くなっていたけれど、公園へと向かう。
 空を見上げると、月のまわりを薄い雲がゆらゆらと戯れるようにかかっていた。
 ある日、忽然として姿を消す。あまつさえ、国家による犯罪に巻き込まれて尊い命を失うとは。楽しそうに、キックスケートで遊ぶ息子が、僕が目を離したすきに拉致され、海を渡り、命を失うことになったら…。いたたまれない。
 帰国を果たせなかった人たち、そしてその家族の心中を思うと、やるせない。怒りと悲しみで、月がさらに霞んで見えた。被害者とご家族に心から哀悼の意を表したい。

 誰が何のために拉致を指示し実行したのか。その責任者の厳正な処罰を徹底して行うべきだ。被害者とその家族への全面的な補償が不可欠なのは、いうまでもない。

 かつて日本の軍国主義政府は、国家の名において朝鮮の人びとを強制的に連行し労働を強要し、命を奪うことさえ行ってきた。北朝鮮の拉致も国家権力によって実行された犯罪だ。無辜の命が奪われたことでは共通する。国家とは何だろう、権力とは何だろう。地方レベルで権力の行使をチェックする立場にある僕自身、深く考えさせられる。真に自立した国民による、社会をコントロールする力の蓄積こそ、国家権力の暴走を防ぎ、国家間の協調関係をつくるあげる土台となるべきものだろう。
 
 徹底して拉致問題の解明をすすめ、その他の懸案事項も話し合いによって解決するうえで、国交正常化にむけて合意がかわされたことは貴重な第一歩だと思う。

 いま読んでいる松岡圭祐さんの「千里眼 メフィストの逆襲」では、まさに北朝鮮による拉致問題がモチーフとなっている。あまりのリアルさに驚きながら読みすすめている。



 


2002年09月17日(火) お月見会

 京田辺市では、今年から子どもの医療費が小学校にあがる前まで無料となった。(窓口負担200円のみ)
 その京田辺市で来春の市会議員選挙に立候補を予定している、ますとみ理津子さんに、この問題で問い合わせをしたら、わざわざホームページでそのことを紹介してくださった。

http://homepage3.nifty.com/masutomi/sub2.htm

 城陽市民が深夜、国道24号線を飛ばして徳洲会病院に駆け込むと、2500円かかるのに、京田辺市民は基本的に無料。住むところでこんな不平等が生まれてよいのだろうか?このことを、もっともっと知らせていきたい。


16日は、午後から保育園の「お月見会」。4歳児がお神輿を担ぎ地域を練り歩き、縁日や保育士の先生による「魚天国」の歌にあわせた、楽しいパフォーマンス。


  最年長の「ゆり組」さんの保護者による、笑いと拍手喝采の「大きなカブ」の寸劇。迫真の演技に、子どもたちも見入っていた。




僕は、昨年に続いて、オープニングに「大きな歌」を歌った。昨年は、ギター伴奏なしだったけれど、あれから16年ぶりにギターをはじめ、今年はギター伴奏つき。前奏を入れたり、飾りをつけたりして自分で演奏することの喜びなども味わいながら、歌った。子どもも大人も元気に歌ってくれて、その顔をみながら歌っていると、なんともいえず幸せな気分になれた。


 わが息子も、ヨーヨー釣りやバザーでのお買い物など、大いに楽しめたようだ。





 


2002年09月16日(月) 敬老の日



 9月15日は敬老の日。この日、70歳を超す党員の方にお赤飯を届け激励かたがた訪問するのが伝統行事となっている。僕の住む地域の方をまわって、「これからもますますお元気で知恵と力を存分に発揮してください」と声をかけた。
 わが家でも、妻の実家と叔母、そして僕の実母に「敬老の日」にプレゼントを贈ることにしている。例年一日早くプレゼントが到着するので、一昨日にいっせいにお礼の電話がかかってきた。
 僕の実母は、事情があって、千葉の松戸で独り住まいをしている。わずかな老齢年金と子どもからの仕送りで生活をつないでいる。体重オーバーから心臓に負担がかり、医者からは減量とウォーキングをすすめられているという。ダイエットにも成功しているそうだ。
 ひさしぶりの母の声。四人の子どもを育てあげた苦労を考えると、仕送りしかできないことが申し訳なく思う。どこかゆっくり温泉にでも連れていってあげたいが、子育てや日頃の忙しさからなかなか実現できないでいる。来年の選挙がすんだら…きっと。

 昼間は、妻とともにダウン。息子だけが元気一杯で、「キックスケートしようよ」「公園にいこうよ」とせがんでくるが、二人とも動けず。ようやく夕方に、妻が近くの公園に連れ出した。

 夜は、二ヶ月も溜まりにたまった新聞の整理。家では、「赤旗」と「朝日」、地元紙を二紙購読している。
その都度、気がついたときにやっておけばいいのに、といつも後悔する。それでも改善できないのが、僕の整理ベタという大きな弱点なのだ。
 僕の切り抜きの方法は、とくにテーマを設けるわけではなく、議会質問や保育運動に役立ちそうなもの、文化や芸術に関わるもので、興味がわくものをアトランダムにひろいだす。該当する記事だけではなくて、基本的にそのページ全体をやぶってしまう。
 昨晩もやりはじめたら、とまらない。ようやく、一区切りつくと、見落としていたこと、「なるほど」とうなづく記事がいっぱい。
 たとえば、ということで1つだけ紹介しておきたい。

 ●「問われた善政からの脱却」(「朝日」9月3日付 私の視点から) 
  長野県知事選挙の結果をどうみるか、で有識者の小論が掲載されている。この中で、長野県望月町の吉川徹町長のコメントが興味深い。

 住民から頼まれたことをただ実現し続ければその首長は歓迎されるだろうが、しかしそれだけでは何かが足りないことを住民はすでに気づいている。参加から自治へと移行する過程には、自立と同時に「自律」への決意が求められるからだ。

 このように、行政と住民との新しい関係を模索する動きが、いま地方のなかで生まれはじめていることを指摘する吉川町長は、「わが町」でのこんなエピソードを紹介する。

 一昨年、私どもの町で社会教育職員と保健師が世話係りとなり、年間を通して子育て講座が開かれた。講座修了後、私は学童保育と子育て支援センターについて強い要望を受けたが、1年間実現できなかった。しかしその一年間、若い母親たちはよく学習し、輪を広げ、高齢者や民生委員などの協力も得て、予算は最小限に抑えて実施できる道を研究した。今年から始まった学童保育と支援センターの運営では、若い母親たちが中心的役割を果たしている。 

 「お上の善政」から脱却し、参加と自治を草の根からつくりあげること。これこそ、僕が指向する政治のあり方の原点である。
 




 


2002年09月15日(日) 学研都市公園

 午前中、妻が病院とカイロプラクティックにいくので、息子と留守番。その間に、メルマガ84号と85号を連続して発行する。
 午後から、サッカーボールと野球のバットとグローブを持って学研都市公園に行った。学研都市公園には思い出がある。98年の知事選挙で民主府政の会に政策宣伝で派遣をされていたときのこと。京都南部での税金の無駄遣いの一つをビデオで紹介するために、学研都市公園の中にある「水景園」を取材した。広々とした芝生、大きなアスレチック、ビオトープの水辺。十分楽しめそうだ。
 当時、妻は流産を三回くりかえし、四度目の妊娠だった。妻のお腹に耳をあて、「元気に育っているな」と確認するのが日課だった。このお腹の子が生まれたら、いつかこの公園にも遊びにくるのかな、そんなことを思い描いていた。そして、今日、その「夢」が現実のものとなった。
 入園料を払う必要がない芝生公園のほうが家族づれでにぎわっていた。偶然、いま保育運動連絡会で一緒に役員をしている方とバッタリ。初めて来たそうだ。
 息子は、最初サッカーボールで遊んでいたが、すぐアスレチックに目が行き何度もチャレンジしていた。
 ここに訪れる人たちは、どこから来るのだろう?学研都市の住宅街からくる人と、うちのように外からやってくる人の割合はどうなんだろう。どこかの保育園の保護者たちが家族づれでグループで遊びにきていた。
 外から来る人をもっと呼び込むのなら、駐車料金400円はいかがなものか?
 
 夜は男声コーラス「ジョイナスグリー」の練習。11月3日の城陽市「産業まつり」で、万葉集に曲をつけて合唱で披露するというイベントがある。会場は文化パルクのふれあいホール。そのあと、それぞれの合唱団ごとに10分程度のステージがあるので、それに向けての練習だ。
 万葉集の合唱曲は、「鷺坂」と「山城」。僕の住む久世という地名もでてくる。日本調の荘厳で優美なイメージが広がる曲である。
 


2002年09月14日(土) 文教常任委員会

 どうしても遅れるわけにはいかない仕事のときに限って、子どもが熱をでしたり保育園への登園をしぶったりする。もう何度となく経験していることだが、そのたびに冷や汗がでる。
 きのうの朝、息子は「おちんちんが痛い」といいだし、めずらしく自分から「お医者さんにいく」といった。しばらく様子を見たが、痛みはとれない。妻が時間休をとり、病院に連れていった。幸い、男の子がこの時期にかかりやすい「おちんちんの炎症」で薬をもらって、その後元気に登園した。
 僕もなんとか、議会にまにあうことができた。

 今議会の文教常任委員会は、付託される議案(採決を必要とするもの)がなく、教育委員会からの報告事項とそれへの質疑が中心だ。

 議題に即した、細かい報告はメルマガにまとめたい。特徴的なものだけ、書いておく。

 1)昨年度の「生徒指導のまとめ」報告
  僕は、カウンセリング活動の強化をよびかけた。城陽市では、教師を対象にした「カウンセリング・セミナー事業」を18年前からはじめ、すでに200人を超す教師が修了している。僕は、このカウンセリングの講習を学校だけではなく、保護者や教育に関心をもつ地域住民にも広げて、そこへの補助等を実施してはどうか、と提案した。教育委員会の回答は、「PTAの研修や家庭教育セミナーへなどで対応する」というものだった。まだまだ、壁は厚く高いことを実感。

 2)学校給食の新センターの建設事業の進捗
 富野森山に建設予定の給食センターについて、造成工事設計業務委託および建築工事の設計業務委託の委託先決定の報告がされた。
  質疑の中で、飯田議員が、「建築工事の設計が具体的にすすでいくが、懸案事項である、*強化磁器の使用、*アレルギー対策の給食調理への対応、*米飯の直営での炊飯、はどうなるのか?と質問。教育委員会は、「設計作業のなかで、すべて検討事項に入れている。」と答弁。これは、重要な答弁を引き出した。よりよい学校給食を求めて、これら3つの要望がすべえ盛り込まれるように声を大きくあげていく必要がありそうだ。


 3)スケートボード用施設のオープンについて
 昨年10月に市内在住の高校生らが自ら署名を集めて、市に請願していた「スケートボード用施設」の建設がこのほどオープンの運びとなった。
 場所は、鴻ノ巣山運動公園内の「石の広場」の一部。面積は約1000平方メートル。開放時間は、月曜日から土曜日までの午前9時から午後9時まで。請願を提出した高校生らは、これまで練習場がなかったため、木津川の堤防などを使わざるを得ず、近隣の市民からの理解を得るために、「ゴミは持ち帰ります」「人がきたらボードからおりて挨拶します」などの看板を自ら設置し、秩序を守る真摯な姿を示してきた。
 質疑の中では、管理体制などを心配する声もだされたが、僕は、「自分たちの施設を自分たちでルールを守って管理する」ことが行政と利用者などの間で恒常的に協議しチェックできるようなしくみをつくっては?と提案した。教育委員会からは、「今後、研究してみたい」との答弁があった。

 その他、富野幼稚園の建て替えにむけての進捗なども報告された。

 夜、メールをひらくと、「高校の後輩です」という方からメールが届いていた。小、中、高校まで同じで僕の一つ後輩にあたる、という。懐かしい。
 さっそく返事をだそうと思う。すべてがセピア色に染まった、茨城での少年時代。ことあるごとに、思い出すふるさとの景色。けっして素敵な思い出ばかりではないけれど、それでもふるさとであることに変わりはないのだ。
 もう少ししたら、「少年時代」のことを、文字にして残してみたい。



 
 


2002年09月13日(金) 1年分の日記を冊子にしたいけれど

 城陽市議会は、13日に文教常任委員会が開かれる。目下、僕の関心時は、「カウンセリング」について。不登校児童・生徒をはじめ、保護者の悩みに積極的に相談にのるスクールカウンセラーが、大いに力を発揮し効果をあげているという。僕は、より専門的知識をもったカウンセラーの体制をいっそう強化するとともに、「セミプロ」のカウンセラーを大量に育成することが不可欠ではないか、と考えている。つまり、保護者をはじめ地域に住む教育に関心をもつ市民などが、カウンセラーの基礎知識をもって、子どもたちと向き合うことができるようにしてはどうか、ということだ。委員会の質疑のなかで、問うてみたい。

 昨年7月からはじめた日記サイト。何をやっても長続きしない僕が、1年以上も継続してこられたのは、「見られている」という心地よい緊張感ゆえだろう。他の議員さんの場合、「活動日記」というふうに、党議員としての活動で見たこと、感じたことを書き綴られていく。これはこれで、大変な作業で脱帽する。だが、僕の場合は活動日誌的な要素と、議員という仕事を離れて、ひとりの人間として(父親として)、何を感じ、どう動いているのか、という「ナマの姿」を知ってほしい、という思いがとくに強い。
 それは、いささか生意気な表現かもしれないが、一般に「固い」というイメージが強い日本共産党議員だが、実際は、涙もろくて失敗もよくして、人間らしい存在だ、ということを知ってほしい。これが、日記を書きはじめる動機だった。
 
 いま、この1年分を冊子にして残したい、という思いにかられている。
 文章もまともに推敲していないので、相当の手直しが必要だが、懸命に「熱い思い」をパソコンの画面にむかってぶつけ続けてきた、「証」として残せれば、と思っている。パソコンやインターネットとは、ふだん無縁に生活をされている方にも、この機会に読んでもらえれば、という少し欲張った思いもある。
 問題は、そのまとめ方のノウハウや費用がどれくらいかかるのか、など基本的知識が不足していることだ。
 日記サイトを本にまとめた経験がある方、ぜひ基本的な情報を提供してほしい。


2002年09月12日(木) 文化の力が、世界を一つにする

 夜、梅原司平さんのコンサートが伏見区の京都市呉竹ホールで開かれた。音楽センターの粟田さんから、ていねいにチケットと案内が送られてきていたので、喜んで参加させていただいた。
 今回のコンサートは、「Will 国際文化交流研究所」というNPOの発足を記念したものである。「9・11」というあの忌わしい同時多発テロがおきて一周年に開かれるのも意義深い。
 「Will 国際文化交流研究所」の設立趣旨と活動目的については、僕の手もとにある資料に、次のような事が書かれてある。大切なことなので、全文を紹介したい。

 国際社会といわれ、インターネットが普及し、世界は狭くなったといわれます。その分、国際交流も盛んになりましたが、自分たちの欲求だけを満たす様な海外旅行が増え、相手の気持ちを理解したり、相手のためになるような国際交流は行われているでしょうか?
 また、日本は固有の長い歴史とすばらしい文化をもちながら、それを紹介しきれず、国全体の流れとしては伝統が損なわれ西洋文化に傾倒しているともいわれます。
 Willでは、このような偏りを是正し、日本の伝統文化を中心に日本の良さと、文化の独自性を守る活動を進め、相互の理解を深め、平和で国際的に共同しあえる土壌を作るお手伝いをしたいと考えています。
           (以上、コンサートのお誘いのちらしから)


 梅原司平さんは、すでに戦後50年の取り組みとして「ドイツ・ベルリンのカイザーヴェルヘルム教会(広島の原爆ドームと同じく、第二次世界大戦のメモリアルとして保存されている建築物)で平和コンサートを開くなど、音楽を通じて、「右手の銃を武器に、左手のナイフを花に、争いより対話を」とよびかける活動を展開されている。今年も、「アンネの日記」のアンネフランクの生き方を学ぶヨーロッパツアーを開催された。そして、これらのイベントの企画を手掛ているのが、「Will国際文化交流研究所」の事務局長をつとめる、宮本茂樹さんという方なのだ。
 これから、僕ができる範囲で協力をさせていただきたい。

 開演の7時を過ぎて、あわてて会場の後方から滑り込む。仕事の帰りの人や、知り合いの姿もあった。コンサートの感想を綴っておく。
 
 梅原司平さんの音楽の底流にあるものは、「人間は、すてたものじゃない。」「人間は、そんなに馬鹿じゃない」という人間への根本的な信頼である。人間への限りない信頼を歌い上げる。
 梅原司平さんのうたごえを聞くと、すぐ妻や四歳の息子の顔が浮かび、保育園で泣きじゃくっていた息子の友だちや、おじいちゃん、おばあちゃんの顔が浮かぶ。
 まわりの人たちみんなに、もっとやさしく語りかけ、手をつなごうとよびかけられたら、どんなにすばらしいことだろう。必ずしも、そのとおりにできずにいる自分が歯がゆくて、涙があふれる。
 「ここでは、おもいきり涙を流してもいいんだよ」梅原さんが、そう語りかけてくれるようで、その安心感がまた涙をさそう。僕にとって、梅原さんのコンサートでは、ハンカチが必需品なのである。

 休憩中にパンフレットをひらくと、「9月22日に、梅原司平・歌手生活30周年を記念してのDVDが発売される」とあった。その宣伝ちらしのなかに、こんな素敵な文章をみつけた。

 悲しみや苦しみを希望にかえる歌がある
 あわただしい暮らしの中で、片隅においやられてしまった夢
   誰からも見向きもされないような、ありふれた愛
   ささやかな日々の中に埋没してしまいそうな心
   
   すべてを優しく包み励ましてくれる
     それが梅原司平の世界

  そのトークに笑い、歌声に涙し、心癒される至福のひと時
    あとは、押し寄せる感動の波に身をゆだねればいい
  いつの間にか感性の扉が開かれている自分自身に気づくだろう
   それはあなた自身を取り戻す旅の始まり

             DVD「時の記憶」の宣伝ちらしより


 梅原さんは、「戦争ではないテロとのたたかい」があるはずだとし、音楽、文化は武器を捨て、世界を一つにするすばらしい可能性があることを、トークと音楽で訴えた。
 また、子どもたちの「心が育ちにくい」深刻な危機があることをみつめながら、自分を認め、表現する力をつけ、みんなとともに生きていく力をつけることも、これもまた音楽、文化、芸術の役割だと訴えた。最近、教育委員会や校長会などからの公演以来が急増しているそうだ。

 そして、あらためて感じたこと。照明、舞台演出(アンコールでスクリーンに映し出されたニューヨークをイメージした影絵(正確なネーミング知らないのだが)、音響。もちろん、舞台の梅原司平さん、金井信さんの演奏もふくめ、熟練した技が自らを主張しながら共鳴しあい、見るもの、聴くものに熱烈なメッセージを放出していた。
 金井信さんのピアノの独奏も、技術的なものはもちろんのこと、「心」で弾いているという感じだった。
 ステージ全体を見て、聴いて、感じることで涙があふれでるのは、ステージをつくりあげるスタッフ一人ひとりの心のなかに、「人間は捨てたものじゃない」という人間への限りない信頼があるからだろう。

 京都音楽センターの時田裕二さんは、「文化活動はボディーブローのようなものだ」とよく僕に語ってくれる。文化は、人間一人ひとりが大切にされ、お互いの存在を認めあい、共に生きる力を育むものだ。たとえ、時間がかかっても。そのことへの揺るぎない確信をまた一つ固いものにしてくれた、コンサートだった。
 
 文化は、争いをとめ、世界を一つにする。
 人びとに対話と共同の必要性をめざめさせ、世界を動かす力になりうる。 
 9・11の一周年に僕が、いちばん感じたことはそのことだ。


2002年09月11日(水) 声のキャッチボール



 朝晩はだいぶ過ごしやすくなってきたもの、まだまだ残暑が続く。
 10日は、一日夜に予定されていた「保育運動連絡会と保護者会連絡協議会との合同会議」の準備に追われた。資料を印刷しようと輪転機をまわすと、とたんに玉の汗。時間との勝負で冷や汗もまじって、全身ドロドロ。
 夕方、家のファックスに「活動ファイル」でよびかけた読者アンケートへの回答が送られてきていた。パソコンを使わない方には、僕のホームページをみていただく機会がないし、声のキャッチボールもできない。そこで、毎週ペーパーにして、一週間の活動を報告している。毎月第二週に、そのときどきの情勢にあわせて読者のみなさんにアンケートと意見を募ることにした。今回初めて声が届けられたので、うれしくて、何度もなんども読み返してしまった。

 質問項目は、1)議会に提出された、「議員定数削減を求める請願」について、どう思うか?2)城陽市を通過する予定の「第二名神道路」について、3)東部地域を通る循環バスについて、どういう工夫や改善が必要と思うか?の3点。

 読者の方の回答をそのまま紹介したい。

1)定数削減を言う自民や保守は、自らの身を削る思いはなく、共産党議員の数を減らすことが目的であることを、遠慮せずに強く市民に訴えて下さい。

2)第二名神が通れば、便利になるというのが一般市民の感覚では?もっと具体的に、第二名神の通る城陽市域の工事費がどれだけかかるのか、一般市民のためのくらし、福祉etc、例えば城陽市の老人医療無料化にこれだけの費用がで可能とか、などを対比してわかりやすく説明しないと、ただ単に便利になるぐらいの感覚で受け取ってしまうのではないでしょうか。もっと市民が自覚的に公共事業の市民不在の税金無駄遣いをあばいてほしい。

3)(東部循環バスの運行の改善は)ムダだと思います。ほとんど空車で巡っています。老人対象とか、市役所、病院、文化パルクも回るようにすべきで、例えば無料コールタクシーを常設させて対応するサービスの方が利便性があると思います。今ならバスの運転手さんも気の毒です。

 いま、考えていること。循環バスの改善や「市民不在の公共事業の税金の無駄遣い」の暴露について、市民の側から、もっとメッセージを発信するような方策を考えられないか。
 わがまちでは、第二名神道路、山砂利採取と跡地整備、バス問題、鉄道問題、寺田駅前のまちづくり、などなど、懸案事項のすべてが、都市整備課というところで担当している。想像するに、現場職員は課題が山積みで、アイデアがあっても、どこから手をつけたらよいのか思案してしまう状況ではないのか?
 
 長野県栄村の高橋村長が、「実践的住民自治」という言葉を発信されている。(「自立をめざす栄村」自治体問題研究所)住民自治に「実践的」をつける理由をこう述べる。

もっと実践的に住民が行政に係れるようにすることで、住民の自治を回復し、参加民主主義を実現していくことができると考えたのです。
 行政は公であり、それを担う行政の職員は公的立場にあります。これに対して住民は私、住民は公のことを考えて生きているわけではありません。行政の側は、ともすると住民に公的態度や行動を求めてしまいがちですが、どうしても一方的なものに陥りやすく理解されなことがしばしば起きます。公と私が一方通行ではなく、同じ方向に向かって力をあわせて行動することを「協働」と私は呼ぶことにしています。この協働関係が成立しないと、住民自治も参加民主主義も機能しないと思います。
 公と私が、互いの立場を尊重しながら、この協働に至る手続きが大事なのではないでしょうか。


 公と私が互いに尊重するといった場合、往々にして「私」の概念のなかに、企業だけがことさらにクローズアップされ、日常の生活をおくる市民の姿が後景に押しやられがちだ。「利権」がからむからだ。
 城陽で、協働関係をめざすためには、形式的に市民の声を聞くという姿勢ではなく、もっと多彩な方法で市民の声を吸い上げるシステムをつくることが必要だ。

 多彩な方法で市民の声を吸い上げるシステムの重要な役割を担っているのが、われわれ議員だということ肝に命じて、実践的住民自治の城陽での具体化に少しでも役立ちたい。


2002年09月10日(火) 真実を身抜く目

田中知事の再選で全国的注目を集めた長野県。その長野の共産党県議団長である石坂千穂さんのホームページがおもしろい。アクセス数のずば抜けた多さにまず驚く。20万件をすでに突破しているのだ。
 毎日更新の日記を読めば、田中県政のこと、魑魅魍魎が跋扈した県議会の様子などが手にとるようにわかる。昨日の日記には、大いに考えさせられた。

http://plaza.rakuten.co.jp/isizakachiho/diaryold/20020909/

 僕は見ていなかったが、8日の朝日系の「サンデープロジェクト」で田中知事の再選に関する石坂さんのインタビューが紹介された。
 「圧勝したことで田中さんが暴走する恐れがあるという意見がある。」「接戦で勝ったほうがよかったという人がいる。」というコメントを紹介して、あたかも田中知事と共産党との「対立」や「不仲」が今後の県政運営での「死角」となっているかのような描き方であった、という。
 
 しかし、石坂さんのサイト日記では、次のように語られる。


お断りしておくが、「・・・田中さんが暴走する恐れがある。」とか、「接戦で勝ったほうがよかった・・・」と言うのは、私の意見ではない。記者が繰り返し、その質問を投げかけるなかで、私は、「不信任の不当さ、理不尽さの決着をつけるためには、圧勝するべきだ。」と主張し続けてきた。サンデー・プロジェクトについて言えば、あの不信任可決の議会が始まる前、議会中、不信任可決後、選挙中、選挙後、かなりの時間を費やして取材に訪れておきながら、そのほとんどの私のコメントは報道されなかった。不信任推進派の県会議員をスタジオまでよんで、その言い分を勝手に述べさせたのに比べれば、まったく差別的な扱いだ。
しかも、昨日報道された私のコメントなるものは、取材の最後の最後に、「でも、圧勝したことで、田中さんが暴走するのではないかという人はいるんじゃないですか。」という質問に対して、私が、「確かに、暴走するんじゃないかという人がいることは事実です。でも、私は、そうは思っていません。」と答えた部分の、「でも・・・」から前の部分だけを意図的に使ったものだ。本来の私の意見の部分を切ってしまう編集に、ある特別の意図を感じないわけにはいかない。このような特別の意図のもとに、手の込んだ編集がされて、それがあたかも真実であるかのように国民に報道される。肝心なことは、知らされない。無責任なマスコミの、残念で悲しい現実だ。


 日本が太平洋戦争へと突入した悲しい歴史のなかで、私たちは、大本営発表などといって、情報が意図的に操作され、それが国民の意識と判断を惑わしたことを忘れてはならない。
 戦後、高度経済成長を支え、のちにバブル経済を「花開かせ」、また日本経済を奈落の底に陥れる過程のなかで、「面白いか、否か」「金もうけになるか、否か」という基準で、マスコミの多くが(すべてとはいわない)国民に情報を与えるという役割を果たしてきたことを忘れてはならない。

 真実を見抜く目を培うこと、マスコミの情報にも批判的な精神を持ち続けることが大切だが、それはひとえに国民の間での、対角線上の情報交換の早さと広さと深さにかかっていると、考える。

 昨日から、9月議会がスタートした。初日の、「議員定数削減を求める請願」をめぐって、本会議上で重要なやりとりがあった。以下、僕のメルマガの最新号から、紹介したい。


◆本会議に議員削減の請願の提案。議員からの質問あいつぐ
 
 この請願は、本会議において上程され、紹介議員による趣旨説明が行われます。紹介議員の野村修三議員が請願趣旨の朗読をして提案に代えました。提案される本会議では、提案者に対して質問ができます。まず、本城隆志議員が手をあげました。

 *本城議員の質問の大要は以下のとおりです。

 「請願の趣旨には、若干名の削減とあるが、紹介議員であれば、何人の削減が適切という目標をもっているはずだがお尋ねしたい。また、削減の理由に経済不況をあげておられるが、バブル経済とその崩壊後すでに13〜14年続いている。現在の26名が多いという人もいれば、少ないという人もいる。議員を削減することで、議会経費がどれくらい削減の効果がでると考えているのか?議員を削らずとも、議員歳費や研修費を削ることも考えられる。なぜ議員の削減なのか?紹介議員の考えを問いたい。」

 これに対して、提案者の野村議員の答弁には、正直いって驚きました。

 「議員の削減は、全国の流れだ。自分は紹介議員であり、付託される議会運営委員会での論議に影響を与えるといけないので、答弁は差し控えたい。」

  答弁は、たったのこれだけです。

 *続いて、吉野鴻議員が質問にたちました。

 「紹介議員であるので、答弁は差し控えたいというが、おかしい。紹介議員となる以上は、ある程度の説明する力をもっておくべきだ。現在の法定議員数からみても、すでに4人少ない状況だ。議員削減は、新人に門戸を閉ざすことになり本市の常任委員会審議の実態をみても、5〜6名で市の重要課題を審議しなければならない状況だ。本市の議会の実態に照らせば、「経済不況」や「行革」を理由に削減するというのは、一般的、抽象的すぎるのではないか。議会運営委員会で具体的審議となるが、紹介議員は具体的に説明すべきである。」

 *ところが、野村議員は、本城議員への答弁と同じく、吉野議員への質問にも「答弁を差し控えたい」のくり返し。

 このとき、本城議員から、「まともに答弁できない議員がいるから、削減しろという請願が市民からあがってくるのではないか!」と鋭いヤジが飛びました。本質をつくヤジではないでしょうか。ちなみに、本城議員のヤジは声もよくとおり、鋭いので定評があります。

 この議員定数の削減の請願は、議会運営委員会に付託されることになりましたが、いつの議会運営委員会で審議されるのかは、未定です。

 本城議員の質問も吉野議員の質問も、私は的を得たものだと思いました。吉野議員が指摘するように、こうした議員定数の話しは、一般論や抽象論で議論すべき問題ではありません。ましてや、ことは住民の参政権にかかる重大問題。徹底した慎重審議が求められます。この問題については、このメルマガでも新しい動きがありしだい、ご報告します。


「議員削減は全国の流れ」という、一般的な情報に踊らされることなく、真実を見抜く目で、わが城陽のまちには、どういう議員が、どれだけ必要なのかを市民にわかりやすく知らせていくことが、いまほど必要なときはない。その役割をこのサイトと日記が少しでも果たせるように、努力したい。



2002年09月09日(月) ちゃんと我慢ができたね



 息子の靴を買いに、六地蔵まで足を運んだ。お目当ての靴はなかったのだが、オモチャ売場の前を通ったのがまずかった。小学生のお兄ちゃんたち二人がテレビゲームの前で遊んでいた。刀で切りあうゲームでいかにも息子が好みそうなもの。急いでその前を通りすぎようとしたが、後の祭り。
 「これしたい!」をくり返す。妻とぼくは、息子にテレビゲームだけは絶対に与えないようにしようと、固く決意をしあっていたので、必死に説得。
 さんざん駄々をこねたあげく息子は諦めて、車にもどった。帰りの車のなかで、「よく我慢できたね。我慢強くなったさとし君はかっこよかったよ」と抱きしめてあげたら、「そんな、大袈裟な〜」と照れ笑い。

 明治大学教授の三沢直子さんが、自分の子どもには、心を鬼にしてテレビゲームを家庭から放逐した、というお話をお聞きした。子どもの成長にとって、決してプラスにならないものと僕たちも考えている。その分、一緒に外で遊ぶことなどの喜びや楽しみを教えてあげたいと思う。

 16日に伴奏をする「大きな歌」の練習をする。単純なストロークだけではなく、飾りもつけようとチャレンジしてみる。ひさしぶりに弾き語りをしたら、気分が明るくなった。最近、練習をさぼっていたのだ。

 


2002年09月08日(日) 教師の高齢化に考えたこと


「朝日新聞」の「広がる子供との年齢差、小中教員の平均年齢過去最高に」という記事を興味深く読んだ。
 この記事は、文部科学省が3年ぶりに実施した学校教員統計調査にもとづいて、教員の平均年齢が小学校教員の平均年齢は43.4歳、中学校教員は41.8歳で、いずれも過去最高になり、「全国の小中学校教員の高年齢化が進んでいる」と指摘する。
 「朝日」の記事でも紹介しているが、こうした高齢化の事態は、「ベテラン教員の担任クラスで『学級崩壊』が相次いだことから、『年齢が離れれば離れるほど教員が子どもの気持ちをすくい取れなくなっている』『若い教員がいないと学校に活気がない』などの問題をはらむ、という。

 僕は、この記事を読んで、問題はもっと深刻ではないのか、と考え込んだ。

 問題は、これから40〜50歳代の教員が定年退職を迎えたときに、一気に噴出する。つまり、「30人学級を」という保護者や教育関係者の切実な声に「金がない」の一言で一蹴する一方で、文部科学省も京都府教育委員会も、少子化の進行のもとで新規採用を抑制してきた。
 その結果、大量に定年退職者を出した時に、後に残るのはどんな事態だろうか?

 いま、子どもの置かれた社会状況は深刻だ。「育てにくい」「育ちにくい」環境下にある。それは、この夏、三沢直子さんの「殺意を描く子どもたち」(学陽書房)で学んだことだし、保育運動やわが息子の子育てのなかでも実感していることだ。しかも、これからは、高度経済成長からバブル崩壊前後に子ども時代を過ごし思春期を過ごした世代が親になり、教師にもなっていく。
 「キレル」「人とのコミュニケーションが下手」「人から干渉されるのがいや」などの世代的な特徴をもった人間集団のなかから教師が生まれ、子どもが育ち、学校という集団を形成する。
 そういうなかで、どんな状況がうまれるのかは、容易に想像がつく。

 必要なことは、社会全体で子どもを育てるしくみをつくるあげることだが、それは、様々な世代が子どもを育てることにかかわれるようなしくみづくりだ。このままでは、学校という集団だけが、「若い世代が、子どもと向き合う」という特殊な世界を構築することになりかねない、と僕は危惧をするのだ。

 自治体によっては、「千葉県柏市のように99年度から30歳未満の臨時講師を小中学校に派遣するなど、自治体が自ら費用を負担して若手を増やす取り組みもある。」(「朝日」同記事)だが、わが城陽市では、相変わらず「新規の教師を単費で採用するとおもえば、莫大な市費を必要とする」として、まったくその気がない。僕の試算では、小学校の新一年生を30人学級とするために、臨時教員を採用しようとすれば、約7000万円の予算でできる。このお金さえ、勿体無いというのだ。

 子どもを育てることを、効率性のものさしではかり、お金がかかっても、大切な命を育て上げていくという意識の低さが、この国の貧困な政治と腐敗を生み出していることに、為政者は気づいていない。いや、気づいていても、あえて手をくだそうとしない。いま、国民ひとりひとりがそのことに危機感を持ち、声をあげ草の根から、「社会全体で子育てを」という運動を展開していくことが、何よりも求められている。

 


2002年09月07日(土) 車にキズ



 一日会議ずくし。午前中は、党洛南地区の会議。午後からは党議員団の会議。9日からはじまる議会の対応を協議する。
 夕方からは、しんぶん赤旗の集金や配達。夜は、地元の党支部の会議。10月に支援者などを中心によびかけて、「ボーリング大会」を催すことになった。その打ち合わせなど。とても楽しいひとときだった。今日もあわただしい一日だった。強烈に小説を読みたくなる。
でも、まとまって時間がとれず。あ〜松岡圭祐の本がよみたいゾ!!

 夜、家に帰ろうとしたら、近所のコンビニの前で「あの車」を発見した。
 「あの車」とは、近所にかりているガレージで僕の隣りにとめてある車だ。実は今週はじめ、車をとりにくときに使っているミニバイクを僕の不注意から転倒させてしまい、「あの車」の左下のボディーに縦に5〜10センチ近くのへこみとキズをつけてしまった。70年代のジムニーだと思う。塗装もきれいにしてあり、持ち主の愛着の深さがよくわかる。それだけに気が動転してしまいしばらくその場でウロウロしてしまった。  
 でも息子を保育園に送らなければならず、その場からいったん離れ、管理している不動産会社に電話して、借り主の連絡先を聞くことにした。
 しかし、ここ数日不動産会社からは音沙汰無し。
 借り主がわかれば、すぐに謝罪と弁償の申し出をするのだが、不動産会社から連絡がないので、心の中がずっと重たい気持ちになっていた。こういうときは、事実をありのままに話し、心からおわびをしてできるかぎりの償いをするのが常識なのだ。それが、できずにいることに気分は落ち込むばかりだった。

 それが、昨晩偶然にも「あの車」を発見できたのだ。僕は、バイクであとをおい、ガレージに車をおさめるのを確認してから、名詞をもって声をかけた。
 「あの車」の持ち主は、さわやかなスポーツマンタイプの方だった。僕は、名を名乗りキズをつけたことを伝え、心からおわびをさせていただいた。そして、修理代は当然負担させてもらうので、請求書等を名詞の住所のところに送っていただければありがたい、旨はなしをさせてもらった。
 その方は、とても柔和な方で、ここ数日間、年休をとり、バイクで遠出をしていたこと、わざわざ声をかけてくれたことに「ありがとう」とまでいってくれた。できるかぎりの弁償をさせていただきたいと思っている。僕は、ここ数日胸につかえていた棘がぬけた思いで、その場に座り込み、本当にごめんなさい、と頭をさげた。
 自分の粗雑さに嫌気がさし、市民の代表であるとの自覚の足りなさを反省し、一挙手一投足に魂をいれて日々過ごさねばならない、とあらためて決意した日だった。
 
 
 


2002年09月06日(金) 事故が起きる前に



 午前中は、地元の党支部の会議。その後、JR奈良線の新田と城陽駅の間で、本来踏切りでもないところにを、人びとが渡り続けている箇所の現地調査に行ってきた。

 写真をいくつか紹介しておく。

 一度フェンスに鍵がかけられたそうだが、いつのまにか…。

 線路の下に敷き詰めている砂利もおちはじめている。危険だ。

 見晴らしのよいところなので、事故はいまのところ起きていないが…


 奈良線は、新田駅までが複線化の工事が進み、ダイヤ改正で通勤時の本数が飛躍的に増えた。京都方面に通勤する市民には朗報だった。他方、沿線の住民(ちなみに僕も沿線住民の一人で、わずか30メートル先を電車が往来している)にとっては、騒音等の問題も指摘されているところだ。
  
 しかし、線路横断の問題は、ずっと以前からあった話しで解決が急がれている。
 城陽市は、東西の交通の便が極端に不自由だ。城陽団地や上大谷、友が丘から西方面に抜けようと思えば、車は渋滞、歩行者は道の狭さから接触事故の恐怖と隣り合わせ。とくに高齢者は、そうした交通の往来の激しいところを避けて、イズミヤ等へ買い物にいこうとすると、くだんの「線路横断」をせざるを得ないわけだ。
 幸い、問題の箇所は見晴らしが抜群にいいところで、これまでのところ事故はおきていない。しかし、いつ事故がおきてもおかしくない状況であることはまちがいない。

 簡易は踏切りをつけられないか。もっと根本的な解決はないものか。近隣の住民のみなさんたちと話しあいをしながら、解決の糸口をみいだせないだろうか、と思案している。

 長野の田中康夫知事の選挙告示日の第一声を、今頃になって読んだ。しなやかな感性と住民への信頼、自治体がどういう方向にすすむべきか、というゆるぎなき確信にみちた演説で、感動した。
 日本共産党の石坂千穂県議団長のサイトから読むことができる。なんとアクセス数は、20万を超えているのだ。石坂さん自身の感性がしなやかで、問題をとらえる視点が新鮮だ。大いに学びたい。URLは以下のとおり。

   http://plaza.rakuten.co.jp/isizakachiho/


2002年09月05日(木) 「鬼さん」のご登場



 あわただしい一日。午前中は、「乳幼児医療費の無料制度拡充を求める運動」に関しての相談。
 午後は、今週の「しんぶん赤旗」日曜版に折り込む、議員団ニュースと自分の「活動ファイル」を作成。夕方から夜にかけてその印刷と、終日事務作業の連続だった。

 話は変わるが、みなさんのご家庭で小さな子どもが、どうしても親のいうことを聞いてくれない時は、どういう対処をしているだろうか?寝る時間がとっくにすぎているのに、ゴロゴロして居間をはなれようとしないとき、保育園などお出かけをする時に、時間が迫っているのに、グズグズしているとき。
 わが家では、そんなとき「鬼さん」にご登場いただく。
 「そんなに、ぐずっていたら、鬼さんに怒ってもらうよ」というと、たいがい息子は「わかったよ〜」と重い腰をあげる。もちろん、本当はよく話して聞かせて理解と納得をしてもらうのが本筋でそんな恐怖観念を助長するようなことはすべきではないことは、十分理解しているつもりだ。
 しかし…。そこは、現実はかなしいもので、どうしても子どものテンポと親のテンポがかみあわないときもある。時間に遅れたら大変な時、「鬼さん」に頼ってしまうわけだ。
 みなさんのご家庭では、どうなんだろう?
 
 


2002年09月04日(水) 保育運動を前進させたい



 午前中、議員団で今週の日曜版に折り込む団ニュースの作成打ち合わせ。午後からは、京都保育運動連絡会のある京都市内の事務所へ。
 来年は、全国の保育団体の合同研究集会が京都で開かれる。1万人規模で成功させる目標だ。そのプレ企画としての「保育大学」を京都南部で開催できないか、という京保連からのよびかけで検討をすすめているものだ。日時は確定した。12月1日(日)に午前と午後、一日かけてのイベントである。詳細が決まり次第、この日記でも紹介するようにしたい。
 夜は、久世保育園の保護者会役員会。僕は、この夏に参加した静岡合研の報告をさせていただいた。
 この秋、僕たちの保護者会では恒例のアンケートに取り組むことにしているが、その内容の検討のなかで、こんな意見が出された。
「園児が増えたことで、ホールがなくなり、生活発表会をみんなが一堂に会するのではなく、各クラスごとにやることになった。残念がっている保護者もいるので、そのあたりの意見を聞く項目をつくれないか。」

 久世保育園は、今年度から午前7時から午後7時までの延長保育をスタートさせたこともあり、入園児が増えた。そのことから、これまでのホールも保育室にかえざるをえない状況だ。施設の老朽化とあわせてたて替えが緊急かつ切実な課題となっている。結局、生活発表会が全体でできなくなった問題も保護者に意見を聞くことになったが、その中で、保護者としても考えるべき課題、社会全体で考えるべき問題もでてきた。こういうことだ。

 ホールで全クラスが集まって生活発表会をやっていたとき、保護者は自分の子どもの発表のときは熱心に写真をうつしたりしているけれど、自分の子どもが終わったら帰ってしまう傾向があった。わが子の成長とともに、まわりの子どもたちの成長を見守る姿勢、みんなで子どもの成長を支える姿勢も大切なのではないか、という問題が一つ。
 もう一つは、社会全体で考えるべき問題だ。生活発表会などで、わが子の発表を見ただけで帰らなければならない親が増えている背景には、休みがとりにくい問題があるのではないだろうか。実際、「有給休暇」をとりたいと思っても、職場のなかでとりにくい雰囲気があったり、そもそも休みをとれば仕事がなくなる、という人もいるかもしれない。もっと、少子化のなかで社会全体が子育てのために最大限の保障をしてあげるような制度とコンセンサスが必要ではないのか。
 そのためにも、保育運動を前進させたい。つよくその必要性を感じている。

 


2002年09月03日(火) 議員定数削減求める請願だされる

午前10時から9月議会にむけての議会運営委員会が開かれた。そこに、「議員定数の削減を求める請願」が出された。9日に上程され、議会運営委員会で審議されることになる。
 この日、日本共産党城陽市会議員団として、議員定数削減問題での見解を発表した。以下、全文を紹介するので、ぜひご意見などを聞かせてほしい。 
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議員定数削減についての見解

             日本共産党城陽市会議員団 団長 奥村 守
 
●9月議会に「議員の定数削減を求める請願」が提出されました。この際、日本共産党城陽市会議員団の議員定数についての基本的立場と見解を明らかにするものです。

1、地方議会の議員定数問題は、憲法と地方自治法で民主主義の根本問題として、議会が住民の意志を代表する機関であるとの位置づけを明らかにしています。この視点に立って住民の意志の反映をどのように有効、且つ、適切に果たし、地方議会としての機能を向上させるのかが今日の重要な課題となっています。
ところが、地方自治体の議員定数などの選挙制度をみると、現在、民意を十分に反映しうる制度とはかならずしも言えない状態が生まれています。議員定数を定める地方自治法が改正になって、城陽市では法定数が36から30にまで削減され、現行の26の定数は法定数にも満たない4人の減数です。
地方議会と議員の役割については、1)それぞれの地域における住民の意志を代表する、2)条例の制定などの立法機能、3)執行機関に対する批判・監督をする、この3つの基本 的な機能をもっており、法定数はこうした機能を発揮するうえで必要なものとして地 方自治法で定められたものです。
 定数削減は、こうした地方自治の原則をゆがめ、真に住民の利益を守ることを困難にするばかりか、市民本位の市政をという市民の願いに逆行するものです。

1、今回、自民党市議が紹介議員として名を連ね、市議会に提出された「議員定数の削減を求める請願」は、その請願理由を「市財政が厳しい中、民間や行政がリストラ・行革に取り組んでいる」「議会も率先して行革すべきだ」として、議員の若干名削減を求めています。
 しかし、いま大変な不況の下で、一生懸命に働き、まじめに納税している私たちの税金が食い物にされる腐敗政治があいつぎ、これを根絶するどころか温存をはかろうとしているのが自民党政治です。しかも、小泉内閣は大企業などのリストラに肩入れした結果、いまの厳しいリストラと雇用不安は国民全体をおおう大問題となっています。その上、命綱を断ち切るような空前の医療改悪の強行など、「行革・リストラ」を口実にして、耐えがたい痛みを市民に押しつけています。日本共産党は、市民に痛みを強いる「行革・リストラ」に反対し、小泉内閣の悪政に真正面から対決するとともに、「住民こそが主人公」の政治革新をめざしています。市民の世論と運動に依拠して、積極的な政策提起や市政のチェック機能を果たす役割こそが議員に求められているのではないでしょうか。今日のように政治不信が増幅し、それに便乗して議員を減らそうという動向の背景には、国・地方を問わず、政治の実態が住民の願いとは遠くかけはなれたものになっているからです。
 市民を犠牲にする政治を許さず、市民の声が行政に真っすぐ届く、そのためにも議員の役割が従来以上に、より重要になっています。定数削減が行われた自治体では、議会の多数派を占める与党や自民党などによって、意のままに政治が動かされるというところも少なくありません。定数削減は、議会と住民の距離を接近させるどころか、いっそう遠ざけるものとなっています。

1、しかも、議員削減で財政的な効果などはほとんど皆無といっていいぐらい、今でも 予算全体からすれば1%です。
 厳しい市財政を前提に考えるなら、市民の立場に立った「行革」とは何かということを市民と議会も真剣に議論する必要があります。例えば、赤字路線との批判の槍玉にあがっている第二名神高速道路は、「凍結と見直し」の対象になっています。高速道路を作り続ければ続けるほど借金が膨らみ、そのツケだけが自治体や市民の負担となる「ムダと浪費」の悪循環を繰り返すだけです。一旦決まった計画に固執して無批判的に、あくまでも建設促進を優先する市の態度と行動を許しておいて良いのでしょうか。
 市民の大切な税金の使い方を考えれば、これらは議員削減より率先して改革に取り組むべき課題のはずです。

1、ましてや定数削減と議員報酬を関連させた議論などは全くの論外です。
 定数2の削減を強行した前回、その後において与党多数の強行で報酬引き上げを許し、市民の批判を浴びました。定数削減が時代の流れかのような風潮が広がっていますが、これ以上の削減は住民の参政権を抹殺することになります。
 日本共産党議員団は、市民の代表である議員の削減は、行政の監視役である議会の機能を低下させ、議会制民主主義に反するものとして断固反対の意志をここにあらためて表明するものです。


2002年09月02日(月) 防腐剤ぬりと素敵なコンサート


 9月1日は、厳しい残暑。午前中は、久世保育園の園庭にあるアスレチックの防腐剤ぬり。
 このアスレチックは数年前の保護者会が中心となってつくった大切な遊具。僕の息子も、このアスレチックのおかげで冒険心や夢を大きくふくらませる力、みんなと力をあわせることなどを学んだ。
 今年から、防腐剤は柿しぶ使うことにした。環境とひとにやさしい防腐剤である。
 はじめにサンドペーパーで全体を磨きあげ、柿しぶペイントの「木肌」という種類のものをまんべんなくぬっていく。みんなで、「あち〜!」といいながら午前中のうちに仕上げることができた。

 午後からは、「たんぽぽ村音楽隊」という地域で主に子どもたちの行事を中心に20年も音楽活動を続けておられるバンドの「20周年記念コンサート」に家族でいってきた。
 おなじみの曲やオリジナル曲が次つぎ披露される。僕も思わず口ずさんだ曲がいくつもあった。
 20年とひとくちにいっても、継続することは大変なことだろう。地道な活動がそこに文化を生み出し、人々の心をとらえるーーそのことを、「たんぽぽ村音楽隊」は教えてくれた。


 
コンサートが終わると、息子は文パルの外にある小さな水辺にいくといってきかない。少しだけ、といったのが失敗。上から下までビチョビチョ。上から降りてくる人たちからも「さとちゃんだ!」と注目を集めてしまっていた。最後は、ぬるぬるしたところでステンと転んでしまい、おしまいとなった。


 


2002年09月01日(日) 第二名神道路

 『この高速はいらない 高速道路構造改革私案』清水草一著(三推社/講談社)を読みおえた。
 昨日の日記で紹介したとおり、この本の中で著者の清水氏は現在建設中もしくは建設が予定されている高速道路の沿道をすべて走破し、その実態調査のもとに必要度や採算度という尺度で、高速道路計画についての具体的な提案をされている。僕は、著者の立場を全面的に支持するわけではないが、「政府や自治体や特殊法人の巨大な債務と不況とに悩む今の日本が、巨額の資金を投じて新たな高速道路を造るなら、より役に立つ高速道路の建設を優先すべきことは明らかだ」(「はじめに」より)という、いまの社会・経済情勢に即した、現実的な政策判断を提唱することには好感がもてる。無論、クルマ社会が自然や環境に与える負荷を真剣に考え、クルマ社会からの脱却をはかるべきだという、今日的なテーマは、一方に重く大きな課題として残されているが…。

 さて、城陽市に住むものとして無関心ではいられないのが第二名神道路の建設だが、本書では、大変興味深い分析と提言をしている。ここでは、著者の結論的な提言を紹介することにしたい。

●第二東名・名神は、御殿場ー草津間の部分開業とすべき。第二名神に限って言えば、工事の進んでいる名古屋ー草津間にとどめ、草津ー高槻間は建設中止。高槻ー神戸間は建設凍結とすべきである。
 
 これが、著者の結論だ。御殿場ー草津間は、すでに工事が具体的に進捗しているという現実的な問題に加え、交通量が全線にわたって、オーバーフロー状態で代替ルートも乏しいことをあげている。現在の東名の交通量緩和という目的で、この区間の建設はすすめてもよいのではないか、と主張する。
 他方、草津ー高槻間はどうか。京滋パイパスは、瀬田東から大山崎ジャンクションまでが開通し、名神のバイパスとしての役割を果たす。さらに、久御山から門真ジャンクションまでの第二京阪道路も建設中だ。これらが開通すると、京都ー大阪間は、「完璧」を通り越して、過剰な域まで達成する。
 第二名神に関しては、滋賀県の草津から西では、用地買収もほとんど始まっていない。日本最初の高速道路である名神の耐用年数を考えると、いずれ建設する必要性格が生じる可能性があるが、草津ー神戸間の建設費は約2兆5000億円と、あまりにも莫大だ。
 そこで、上記にあるような提言が引き出されるわけだ。著者は、「年に3度の渋滞を解消するために3兆円近い巨費を投じる体力は、いまの日本経済にはない。」とこの項を結んでいる。

 僕の住む城陽市の隣りの久御山町では、第二京阪などの建設が急ピッチですすみ、排ガスや騒音等種々の問題が懸念されているので、上記の著者の主張にもろ手をあげて賛同できる、というわけではないのだが、第二名神道路の建設に関する考えは、とても現実的で合理的であると考える。
 
 さあ、わが城陽市の幹部のみなさんは、この第二名神について、どういう分析と評価のうえに東上しての政府等への陳情や近隣市との「建設促進」の決起集会でこぶしを突き上げ、建設促進を叫んでいるのだろうか。広範な市民とともに、この点を明らかにすることが緊急に求められている。


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